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from: 21世紀さん
2009年06月06日 21時55分46秒
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創価学会員必読コーナー
=目 次=
創価学会の『ニセ本尊』を破す「御本尊授与についてのQ&A」
創価学会の本尊はマガイ物だ
創価学会の本物のニセ本尊
今の創価学会は謗法の塊だ
学会員さん、一日も早く目醒めましょう
新興宗教団体 創価学会 破折要集
http://skybiue.gooside.com/gappo/sinjitu/hitudoku/mokuji.htm
コメント: 全70件
from: 21世紀さん
2009年07月29日 19時48分26秒
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「Re:創価学会員必読コーナー」
日顕上人は小欲知足の精神があるのか?
アップ!
http://www.youtube.com/watch?v=6ecTwQFCGxY
ことごとく外れた フェイク の嘘
アップ!
http://www.youtube.com/watch?v=a86EQhogQQc
from: 21世紀さん
2009年07月22日 12時30分51秒
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「Re:創価学会員必読コーナー」
創価学会員の皆様へ
正本堂問題と52年路線
アップ!
http://www.youtube.com/watch?v=SQyBpBslbPs
法主にも間違いがある?
アップ!
http://www.youtube.com/watch?v=IL7QnC_Vk68
創価学会の僧宝観を破す
アップ!
http://www.youtube.com/watch?v=K9HReLg7oP8
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from: 21世紀さん
2009年07月19日 01時31分31秒
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「Re:創価学会員必読コーナー」
創価学会員の皆様へ
大石寺周辺神社への疑難破折(関連)
日元上人誹謗破折
************************************************************
日元上人は、"沼津の浅間神社"に御本尊を下附している。謗法厳誡を貫いた日興上人の御精神に照らした時、まったく言語道断ではないか。(『創価新報』H18.9.20または10.4)
------------------------------------------------------------
沼津に数ある浅間神社のうち、日元上人の御本尊が御安置されている浅間神社のある一帯は「東井出」といい、代々大石寺の総代を務める井出家に連なる人の所領であった。しかも、目と鼻の先には、日蓮正宗の古刹(こさつ)の1つである蓮興寺がある。
蓮興寺は、承応元年(1652年)6月8日、総本山第20世・日典上人によって再興されているから、それ以前のことも考え合わせれば、再興から百年以上も下った日元上人の御代には、一帯全てが日蓮正宗に帰伏していた、といえよう。つまり、この時期、この一帯はすでに広宣流布されていた、と見てよいのである。
ところで日有上人は、『化儀抄』に、日興上人が重須に八幡の社(やしろ)を建立し、その中に御本尊を懸(か)けられた、と記されている。(『富士宗学要集』第1巻157頁)
しかして日有上人は、その意義について、これは、広宣流布の暁には本門寺に八幡の社を建てるように、という手本の意味で建立されたものである、とされている。
つまり、広宣流布の時には、神社を建立し、その内に御本尊を祀(まつ)ることは謗法ではないばかりか(むろん他の神体などと一緒に祀るわけではなく、あくまでも御本尊のみ)、むしろ、それがあるべき姿である、ということである。
現に、かつて広宣流布がなされた大石寺周辺には、大石寺の歴代上人の御本尊が祀られた社が複数あり、その中には、日有上人に係わる社や、日寛上人の御本尊が祀られている社もあるのである。そして、かつて創価学会は、これらを「正しい祭祀(さいし)の伝統と誇りある先人の偉績(いせき)」と評していたのである。
したがって、日元上人が神社に御本尊を下附されていたからといって、それを誹謗される謂(い)われはない。また、もし、後世の大衆のうちの信心薄き者が、そこに謗法の神体などを持ち込むことがあったとしても、それが日元上人の失などでないことも、もちろんである。
それでも、"神社に御本尊を下附したことが謗法だ"とするのであれば、日興上人も、日有上人・日寛上人も謗法を犯した、と誹謗することになり、さらには、それを讃えた創価学会をも誹謗することになるが、『新報』よ、天に唾(つば)するつもりか?(『慧妙』H18.11.1)
※神社への御本尊御安置については、『妙観』平成3年9月15日号、『慧妙』平成5年5月1日号・平成10年3月16日号・平成12年11月16日号を参照されたい。
※<大石寺周辺神社への疑難破折1-14>参照。
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from: 21世紀さん
2009年07月19日 00時51分26秒
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「Re:創価学会員必読コーナー」
創価学会員の皆様へ
大石寺周辺神社への疑難破折(14)
日本語も判らなくなった怪文書犯
(『慧妙』H12.10.1)
『フェイク』300号が、大石寺周辺の〝神社〟に祀(まつ)られた御本尊について、愚にもつかぬ誹謗中傷を並べ立てている。
すなわち、「大石寺周辺の〝神社〟には御本尊が祀られている。富士宮市熊久保地区にある〝神社〟には日顕上人の御形木御本尊が2体安置されており、その〝下附料〟は30万円だった。坊主丸儲けだ」というのである。
〝神社〟に御本尊が祀られていることの是非については、すでに本紙および本紙の前身である『妙観』紙が再三にわたって論じてきたように(『妙観』82号、『慧妙』8号等)、また、かつて創価学会内で発表された「地域広布の立場から大石寺周辺祠社の変革を考える」と題する研究論文にも明記されているように、何百年も昔に、大石寺の周辺地域の神社から、それまで祀られていた神体が取り払われ、その代わりに御本尊が御安置された――そのことにはまったく問題がないはずである。
熊久保の〝神社〟の場合も、堂内に「八幡宮」の額が掲げられてはいるものの、祀られている〝ご神体〟は御本尊であって、何の問題もない。
これらのことを騒ぎ立てたこと自体、『フェイク』が自らの勉強不足(というより、池田教の害毒で日本語も理解できなくなっているのだろう)を露呈させたということだ。
さて、問題の〝神社〟に日顕上人猊下御書写の御本尊が下附された経緯は、次のとおり。
昨年6月頃、この〝神社〟にもともと祀られていた2体の御本尊が、何者かによって盗み出されていたことが発覚。
地区の〝守り神〟である御本尊を失った人々は困り果て、区長のS氏(理境坊講頭)が大石寺に御本尊の再下附を懇請することに。その結果、やっと再下附の許しを得ることができたのである。
もちろん、日蓮正宗は学会と違って御本尊に値段を付けるようなことはしないから、〝下附料〟などというものは、一切求めない。
しかし、それではあまりにも申し訳ないと、地区の人々が相談し、後日あらためて区長が御供養(金額は3万円)申し上げた、というのが真相なのである。
地域を護ってくださる御本尊への渇仰恋慕の思い――その純真な心を『フェイク』によって踏みにじられたことで、地区の人々は今、創価学会への怒りを新たにしている。
なお、『フェイク』は後日、同紙の記事は大反響で、妙観講の悪ガキ共からも感情的電話が来た、などと書いているが、これも、とんだ笑い話。
便所の落書き同然の怪文書には、もとより連絡先電話番号すら記載されていないではないか。
妙観講からは「そんなに電話がほしければ、してあげるから、サッサと電話番号を載せろ」とのコメントが寄せられている。
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from: 21世紀さん
2009年07月19日 00時45分04秒
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「Re:創価学会員必読コーナー」
創価学会員の皆様へ
大石寺周辺神社への疑難破折(13)
大石寺周辺社への疑難を斬る
―注連縄・御神木・拍手・幟も一刀両断―
(『慧妙』H12.11.16)
日蓮正宗憎しのあまり、次々と「邪義だ、謗法だ」と連発する、学会怪文書『フェイク』が、ここのところ熱心なのが、大石寺周辺の社に御安置されている日蓮正宗の御本尊のこと。
神社に、御本尊が御安置されていることについては、今さらいうまでもないことだが、創価学会第2代会長・戸田城聖氏が
「(宣流布の暁には)各神社には御本尊様が御安置されます」
と指導しているごとく、かつて広宣流布された地域である大石寺周辺では、むしろ当然のことである。
さて、この道理が見えない(かつ、信心強盛であった戸田氏の指導が身に染まない)学会怪文書『フェイク』は、「神社に御本尊があることが謗法だ」などと、空騒ぎを続けているのである。
この、道理に暗い『フェイク』執筆陣および『創価新報』執筆陣、さらに、これに同調する尻軽な学会員たちのために、まとめてこれらの疑難を摧破してあげよう。
【学会の疑難①】
************************************************************
社に注連縄(しめなわ)があるから謗法だ。
------------------------------------------------------------
日本では古来から、清浄な地と不浄な地を分ける意味から、注連縄をもって表わしてきた習慣がある。
もちろん、この注連縄が「本尊」「神札」「神体」などというものではないことはいうまでもなかろう。
それ故、戸田氏の指導の中にも
「うそかほんとうか、位牌を焼かしている者があるそうだという話があるが、気をつけるように。ただ、霊友会や立正佼成会などの位牌は、拝む当体だから処置すればよい。神として、仏として拝む、その当体だけを焼くのです。神棚など、社はよいが、中身が悪いのです。『坊主憎けりゃけさまで憎い』などと、そんなことはしないでもらいたい。神棚はとっておけばよい。今まではへんちくりんな神さまがすわっていたのだが。本でも置けばよいし、おしめでも置けるし、便利このうえないものだから、棚はこわす必要はない。これだけは、ほんとうによく注意してください。」(『戸田城聖全集』第4巻)
かくのごとく、戸田氏も、「拝む当体であれば処置しなければならないが、そうでなければ取り去る必要はない」と明確に指導しているではないか。
『フェイク』編集子諸君、何でも「謗法、邪義」などと言っているから、ついには、このような戸田氏の指導までコケにすることになるのだ。以後、気を付けなさい(といっても無駄か)。
【学会の疑難②】
************************************************************
神社の中に日顕上人猊下御書写の御形木御本尊の前に、「御神木」と書かれた木片がある。御神木と御本尊が並んでいるのは謗法だ。
------------------------------------------------------------
そもそも『フェイク』編集子は、「御神木」の意味を知っているのだろうか。
御神木とは、神社の境内地にある樹木のことをいうのであって、このような木片のことをいうのではない。
『フェイク』編集子はあまりにも愚かだから、これだけでは理解できまい。もう少々、この件の説を紹介しよう。
この「御神木」と書かれた木片は、平成元年頃、この八幡宮の境内地に立っていた松の木が、台風で倒れたため、〝神社に立っていた木〟という意味でこの木の一部を切り取り、「御神木」と書いて堂の中に入れておいただけのこと。
ゆえに、この「御神木」には御神体の意味などなく、あくまでも、この八幡宮の「御神体」は日蓮正宗の御本尊なのである。
なお、過日、これが『フェイク』の言い掛かりのタネとなっていることを知った地元の方の手により、この「御神木」の木片は、御本尊が御安置されている祠の中から取り払われている。
【学会の疑難③】
************************************************************
熊久保神社の前で、大石寺の根檀家の人達が、柏手を打っていた。こんな、日蓮正宗の化儀にない礼拝をするのは謗法だ。
------------------------------------------------------------
『フェイク』や『創価新報』は、これをいうために近隣の住民が社の前で手を広げている写真を掲載してるのだが、じつは、これこそ欺瞞そのものなのである。
この地域では、合掌するに際し、いったん手を広げてしかる後に手指を合わせる風習があり、『フェイク』『新報』が掲載した写真は、手を合わせる前の一瞬を撮影したものなのである。
それ故、写真を撮るために、この合掌の一部始終を見ていた人間ならば、十分にそれが理解できたはずだが、この事実を隠して、このような疑難をなすこと自体、創価学会の謀略性を示して余りあろう。
また、このような風習は、〝随方毘尼(ずいほうびに)〟として許容されるであろうことも、付言しておく。
【学会の疑難④】
************************************************************
社の前に、「奉納 八幡大神 氏子中」「奉納 天照皇大神 氏子中」との幟(のぼり)が立てられている。
------------------------------------------------------------
どうやら、幟に書いてある「八幡大神」「天照皇大神」に固執しているらしいが、じつは、その2神が守る御神体こそ、安置されている日蓮正宗の御本尊に他ならない。よって、これが「謗法」などでないことはいうまでもない。
それとも、『フェイク』編集子は、「幟も拝む対象だから謗法だ」と見ているのであろうか。そうなると、もはや付ける薬はないのかもしれぬが……。
以上、いかに鈍根な『フェイク』編集子の頭でも理解できるように、できるだけわかりやすく説明してあげたが、理解できたかな?
いずれにせよ、『フェイク』ならびに『創価新報』は、本紙がこれまでに引用してきた戸田氏の指導や中西治雄氏の論文については、依然、ダンマリを続けたままだ。
この次に今度反論してくる時には、戸田氏の指導や中西論文を破折してから出直してくることだ。呵々。
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2009年07月19日 00時41分30秒
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「Re:創価学会員必読コーナー」
創価学会員の皆様へ
大石寺周辺神社への疑難破折(12)
地域広布の立場から大石寺周辺祠社の変革を考える
―御神体は日蓮正宗の御本尊―
(中西治雄『教学と私』所収・聖教新聞社発行S48/『慧妙』H5.5.1)
<祭礼は随方毘尼で風俗に随ったもの>
上野地区周辺にあっては、開拓時代の象徴ともいうべき村の鎮守が、前記小字の部落毎に、必ず1ヶ所、祭祀されていたといわれる。
また、そこで村人たちが、祭を催し、村の繁栄を願ったり、豊作を祈ったりしたことは、他町村同様に、きわめて自然に行われていたと想像できる。
しかし、何時の時代にか、村人たちが正法弘化の法雨に浴し、大石寺の檀家となり、社参物詣の謗法を自覚したとき、社祠を中心とした変革が必然的になされたであろうと推測される。おそらく地域全体の人々の合意のもとに、社祠堂そのものを除去しようとしたであろうし、あるいは、悪鬼乱入の根源である神体を取り除き、その処置について大石寺に、指示を仰いだとも思われる。
現在、上野、白糸、富丘の3地区に亘り、大小種々の数少ない社祠が残されている。が、その中から、それを裏付けするような数多の事実を発見することができる。(中略)
しかるに、前記、3地区に存在する数十の郷社、村社、鎮守社のうち少なくとも12社については、いわゆる堂内に祭祀してある御神体なるものが、じつに立派な、日蓮正宗の御本尊に取って代わられており、奉祀されているという事実である。これは何を物語るものであろうか。
思うに、この御本尊は、社祠を守る氏子たちが社参詣の謗法に目覚めた時、堂内の謗法を払い、時の猊下にお願いして、授与された御本尊であることは、間違いない事実である。
村人たちは、御本尊を社殿に祀ることにより、家にあっても野にあっても、信仰に励み、諸天善神の加護を蒙ることができたであろう。
さらに派生的な問題として、鎮守神への信頼は、往古から行われている村の祭を行うことによって具体化する。この祭については、どのように考えたであろうか。(中略)ここに上野地方にても、その例に洩れず部落毎に、何等かの関係ある神を祀ったと考えられる。当然、年々の祭礼も行われたであろう。
仏法に随方毘尼という法門がある。『月水御書』を拝すれば
「委細に経論を勘え見るに仏法の中に随方毘尼と申す戒の法門は是に当れり、此の戒の心はいたう事かけざる事をば少少仏教にたがふとも其の国の風俗に違うべからざるよし仏一つの戒を説き給へり」
と。
随方とは、その地方の風俗習慣に随うということであり、毘尼とは、戒のことである。すなわち、物事の大綱や、その精神において仏教に違わない限り、その形式などは、その国情または地域のしきたりに随ってもよい、という意である。
この法門に則り、かつは代々の御法主上人の御慈教により、鎮守神の祭の習慣がそのまま残って部落の人々の願いは叶えられ、年1度の祭を心から祝い合ったことであろう。
<御本尊奉祀で真の「山王大権現」>
―一村の広宣流布の姿―
上野地区の上条古ヶ谷戸の部落に、鎮守の森と称して、そこに、御本尊を祀る古びた社殿がある。
位置は総坊の南端、日帰り登山者の利用する常来坊のさらに南50メートルの所にある、環状線道路を越えてゆくと、すぐ鳥居が目に入る、その奥には、石段を登ると、くちかけた1間四方くらいの大きさの社殿が建っている。背後には、小高い丘があり、杉の木が社殿を囲むようにして静寂さを保っているかのようだ。その丘陵は、そのまま霧ヶ峯、常灯ヶ峯につづいている。
大きさからいえば、一般の神社とは比較にならぬほど、小規模なもので、むしろ、祠を大きくしたものといってよい。
鳥居正面には、大きな表札が高くとりつけられて、「山王大権現」と書かれている。
山王大権現は、天台宗・比叡山延暦寺の守護神である大三輪神が祭神といわれており、比叡山の地主であるところから山王が祭られている。それが何時の時代から、なぜここに祭祀されたかについては、古記録もなく、不明である。
鳥居をくぐり、社殿に昇ると、扉があり、それを開くと10メートル四方の広さの板敷の広間があり、優に20人くらいの人が、車座になって懇親会や、宴会もできるような恰好の広間でもある。
その正面に小さな厨子が安置され、その中に御本尊が奉祀されている。大きな白木の立派な御本尊である。唱題しつつ、左方の脇書きを拝すると
「授与 山王大権現」「天明第七永年、九月十五日」(1787年)
さらによく拝見すると
「是好良薬、今留在此、汝可取服、勿憂不差、病即消滅、不老不死、諸願不虚、亦於現世、得其服報、以仏滅後、能持是経、故諸仏皆歓喜、現無量神力 第二十六世 日寛上人師 享保三戊戌年 十月 書写之(1718年) 御本尊年数経 文字消難拝故今般再興之 弟子 日堅 宮中安置者也 古ヶ谷戸村中 繁栄一切無障礙似」
前半は御本尊を信仰する者の功徳を述べられた法華経の文と、後半は、第36世日堅上人が、日寛上人の時代(約70年前)に顕された御本尊がよく拝せられなくなったので、新たな御本尊を授与された旨の御文である。それも天明年間のことであり190年前の出来事であることが分かる。
奥の方には、もう1体の御本尊が御安置されている。中央に
「山王大権現」
脇書きの所には
「享保三年戊戌年十月十五日」
また
「以仏滅度後 能持此経 也諸仏皆 歓喜現無量神力」
と拝することができる。享保といえば260年も前のことである。その間、風雪にもさらされ腐蝕の恐れもあったのに、今日まで保存されてきたことは、全く驚くべきことといわねばならない。
このあまりにも貴重な資料により、古ヶ谷戸村の人々は、すでに徳川中期に当る享保年間に、村の全家庭があげて御本尊信仰の人となり、大石寺檀家であったことが知られる。
そして、時の猊下であった第26世日寛上人の御許しにより、この山王権現の御本尊を下付されたのであろうか。
当然のことながら、それ以前に、従来祭られてあったであろう、神体なるものは、完全に取り払われ、社殿はまさしく仏法守護・国土安穏を使命とする、真の山王大権現が鎮座ましましたのである。
これこそ、当時の古ヶ谷戸村の広宣流布でなくてはならない。
<御本尊を鎮守神とする村人の誇り>
以来、2百数十年、この村の鎮守は、村人たちにどのように守られてきたか、知る術もないが、現在行われている、年2回の地祭りの内容により、また、毎月定められた日に清掃給仕する習慣や、風俗により、その片鱗を伺うことができる。
1月1日、部落全体が社殿に集まり、新年会、各自が正月のおせち料理や酒を持参し宴会を楽しむ。
現在は組長(部落の中心者)宅で行うようになった。 10月16日〜18日まで鳥居の前に祭りを示す白地に社名を書いた「のぼり」2本を立てる。
収穫を祝い、豊作を感謝し、部落全体の繁栄を祈願する。社殿に供物を供える。酒、赤飯、餅、すし、だんご、煮物、等々を納める。その供物を当日参詣に来た人々に、また、部落の子供達に配ってあげる。
農村地帯で、何の楽しみも持たない農家の人達が、彼岸の頃(おひまち)に祭りを行い、飲んだり食べたりして楽しんだ。また、個人的には当番に当る家庭で毎月清掃を行い、この時、御僧侶の導師により、『方便品』、『寿量品』、唱題の儀式が行われる。
2月の節分と称する行事は一切なし。このように、非常に素朴な風習に過ぎないが、祭りに際しては、部落全体の家庭が、社を中心に何らかの形でこれを祝う、という習慣が今でも残っている。わずか、30世帯前後の部落ではあるが、人々の心の奥には「うちの鎮守神は、どこにもない立派な仏様が祀られている」との誇りを一様にもっているからであろう。
以上上条小字古ヶ谷戸の山王大権現の例を述べたが、これと同様に御本尊を祀る祠社が、他に9ヶ所、さらに堂内にある棟札の年月日の記録により、また、上野村村誌の記録により、現在には奉祠されていないが、かつては立派な御本尊が祀られてあったと推定される社が、4ヶ所ほどあげられる。(中略)
なお、興味深い事実は、上野村全域の郷社である日吉神社は、下条字宮下にその居を構えて、この地方の中心となっており、その資格は郷社として、県下にもその存在を知られている大社である。
だが、小部落と異なり、広大な上野村全部の広布は、ついに実現されなかったのだろうか。前記の諸社に比べ、最大の規模をもっているにもかかわらず、この神社は、悪鬼乱入の神社に荒れ果ててしまっている。本殿内のいわゆる神体らしきものは、単なる鏡が置いてあるに過ぎない。
それに比較して、小字の部落にひっそりと建つ小祠ではあるが、そこに奉祠されている御本尊を思うとき、その両者の価値が、まさに天地雲泥の相違を覚えずにはいられない。
<この正しい祭祇の伝統を未来にまで>
それにつけても、御本尊を祀る前記・諸部落の人々の、今日の御本尊参詣、ならびに御給仕の実態を見るとき、「雖近而不見」の油断はないかとの疑念が、多分に生じてくる。かつては、村内あげて法を求め、教学を研鑚し、勇猛精進した先人の威徳を偲ぶことも、必要ではないのか。
そして、社祠を守る大石寺膝下の市民の有り方は、いかにあるべきかを、自己のためにも、部落のためにも、真剣に考え、かつそれを具体的実践に移すべきではないだろうか。
さらに、未来の子々孫々の繁栄のためにも、この上野にのみ存在する、正しい祭祀の伝統と誇りある先人の偉績を、立派に残していく責務があるであろう。
とくに今日、部落の急速な都市化を思うとき、古きが故にややもすれば失われがちな、忘れ去られようとする文化財的諸資料を、信心による価値観に立って先人が我々に伝えたと同じように、後代のために大事に存続し、つとめて原型のまま伝えられるべきではないだろうか。
といって、いたずらに注文が多すぎはしないか、自らを振り返って、地域の広布の進展度は如何、省みて地域はおろか、我が家の広布が精一杯とあっては、上野の方々への進言は、そのまま我が信心に厳しく言い聞かせねばならない。
大石寺周辺の社祠の変革を考えて、自己の地域の広布の確立を期し、ただ精進あるのみである。
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「Re:創価学会員必読コーナー」
創価学会員の皆様へ
大石寺周辺神社への疑難破折(11)
【金毘羅神宮】
************************************************************
場所:金毘羅神宮 富士宮市半野小字中山238 白糸の滝西1キロ
建物:社殿 石塔 鳥居なし
奉祀:金毘羅1体、板本尊2体、御影1体
調査報告:
ここは元日蓮正宗の末寺・妙経寺のあった跡地である。妙経寺創立時の地域は曹洞宗、北山本門寺の本源寺(原村)があり、布教は困難だったようだ。正保元年(1644年)甲申4月に、大石寺16世日就が弟子本立坊日習に指示、創建され、本堂間口3間奥行6間内地513坪、檀家10戸だったと記録に残っている。(中略)
その後、明治29年1月17日(1896年)愛知県尾張国西春日郡小木村小木に移転され、252年の幕が閉じた。
そして、明治の終わりごろ金毘羅神社となり、明治41年に2間四方の小堂が立てられたと大石寺の『富士年表』に記されている。
さて以前より大石寺の御本尊があるとの情報により、9/9行って見た。すると今日は祭りとのこと。村の人に金毘羅さんの由来を聞きながら中を見た瞬間、まさに板本尊が2体、金毘羅もあり、なんと大聖人の御影もあるではないか。(中略)板本尊はS病院→終戦後W家→M家→W家→Hクラブ→昭和40年頃金毘羅神社に移され現在に至っている。(<富士宮ボーイ>WS)
------------------------------------------------------------
<どこが謗法なのか>
大聖人の御影が祀られていることは問題ないように思われる。問題があるとすれば、「金毘羅」を祀っていることか。しかし、社殿内部の写真を見る限り、宮殿内に祀られているのは御幣であり、神前も仏式である。
●御神馬一疋・用途三貫文、令進給、御状法主聖人御神殿へ奉備進候了(第2祖日興上人『弁阿日道上人への状』在大石寺/『富士日興上人詳伝(下)』257頁)
-----------------------
「神殿」「神馬」の特史実大いに伝うべき(中略)仏聖人を神に擬したる(中略)開山の御在世に、日道上人が奥州新田よりはるばるとその地特産の駿馬を牽(ひ)ききたって、愛馬に名だたる日蓮大聖人の正御影のおわします富士の御神殿に奉納せられた特志を悦ばれた御受書であることの尊さに、贅筆を加えておく。(第59世日亨上人/『富士日興上人詳伝(下)』257頁)
●これはご神体ではありません。神座が無い印の、御幣でしょう、それもかなり前の。本来の御神体なら、「唐櫃(からびつ)」や「柳筐(やないばこ)」と呼ばれる入れ物に入り、御簾(みす)を掛けて、大祭といえども見せることはしません。
例えば、私が神職の立場なら、全く神社有職を無視したお祭りですよね。
明治時代に「廃仏毀釈」が行なわれて、多くの神社は国家神道に統合され、その礼式は統一されていますので、ここだけ当てはまらないというのは少しおかしく感じます。
五具足の仏式荘厳、華は樒、そのうえ太鼓まで。
何が謗法に当てはまるのでしょうか?(N.I『慧妙』H12.11.16)
-----------------------
これは半野八幡宮についての記述であるが、太鼓以外は、金毘羅神宮にも当てはまる。
[御幣]ご‐へい=幣束(へいそく)の敬称。白色や金・銀の紙などを細長く切り、幣串(へいぐし)にはさんだもの。お祓いのときなどに用いる。おんべ。(『大辞泉』)
[幣束]へいそく=①神前に供えるものの総称。幣帛(へいはく)。にぎて。ぬさ。
②裂いた麻や畳んだ紙を細長い木にはさんだ祭具。おはらいをするのに用いる。御幣(ごへい)。(『大辞林』)
◆ここは元日蓮正宗の末寺・妙経寺のあった跡地である。
◆明治の終わりごろ金毘羅神社となり、明治41年に2間四方の小堂が立てられたと大石寺の『富士年表』に記されている。
-----------------------
確かに『富士年表』(H2)には、明治41年7月25日に「静岡県富士郡白糸村半野妙経寺址に小堂を建立」とあるが、その「小堂」が金毘羅神社かどうかは不明である。
◆正保元年(1644年)甲申4月に、大石寺16世日就が弟子本立坊日習に指示、創建
-----------------------
しかし、『富士年表』によれば、第16世日就上人は寛永9(1632)年に既に御遷化されている。
◆板本尊はS病院→終戦後W家→M家→W家→Hクラブ→昭和40年頃金毘羅神社に移され現在に至っている。
-----------------------
明治41年に宗門によって建立された「小堂」(『富士年表』)が金毘羅神社であるならば、そこに安置される本尊は、直接大石寺から下付されるはずであり、本尊は宗門の所有であるはず。その本尊が複数の人々の間を転々とするなど、考えられない。
<金毘羅神社が宗門と無関係である可能性>
①『富士年表』(H2)には、明治41年7月25日に「静岡県富士郡白糸村半野妙経寺址に小堂を建立」とあるが、その「小堂」が金毘羅神社かどうかは不明である。
②明治41年に宗門によって建立された「小堂」(『富士年表』)が金毘羅神社であるならば、そこに安置される本尊は、直接大石寺から下付されるはずである。その本尊が複数の人々の間を転々とするなど、考えられない。
③明治41年に宗門によって建立された「小堂」(『富士年表』)が金毘羅神社であるならば、その堂は宗門の所有であるはず。その堂に「金毘羅」なる神体(?)が、祀られるなど、あり得ない。
④学会側怪文書『フェイク』でさえ、当該神社についての疑難はないようである(<富士宮ボーイ>WSを見る限り)。
●以上上条小字古ヶ谷戸の山王大権現の例を述べたが、これと同様に御本尊を祀る祠社が、他に9ヶ所、さらに堂内にある棟札の年月日の記録により、また、上野村村誌の記録により、現在には奉祠されていないが、かつては立派な御本尊が祀られてあったと推定される社が、4ヶ所ほどあげられる。(中西治雄『教学と私』所収・聖教新聞社発行S48/『慧妙』H5.5.1)
-----------------------
かつては、法華講員によって守護されてきた祠社が、時代の移り変わりとともに守護する者が絶え、謗法化することはままあることである。例えば、かつては学会の会館にも正しい御本尊が安置され、正しい化儀が行われていたが、今は謗法にまみれている。もし、学会の言うように謗法の御神体が祀られているのであれば、学会の会館と同じようなことが、金毘羅神社にもいえるのではないか。その場合は、日蓮正宗の御本尊が祀られていても、宗門乃至法華講とは無関係だということになるが・・・。
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from: 21世紀さん
2009年07月19日 00時29分17秒
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「Re:創価学会員必読コーナー」
創価学会員の皆様へ
大石寺周辺神社への疑難破折(10)
【「本地久遠実成釈尊」】
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神社に下付された33世の板本尊の授与書に「本地久遠実成釈尊 垂迹富士浅間宮」とあるだろ?明らかな邪宗の邪義じゃないか。(旧sf:3526)
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この人は「名同義異」「本地垂迹」ということを知らないようです。
<釈尊>
―「釈尊」に6種、大聖人は「末法の教主釈尊」―
◆[釈尊]=第26世日寛上人の末法相応抄、観心本尊抄文段などには、観心本尊抄の義をもとに6種の釈尊が明かされている。(中略)末法今時には、法華経本門・寿量文底に秘沈された南無妙法蓮華経を説く末法の教主釈尊がある。(『新版仏教哲学大辞典』初版834頁)
<久遠実成>
―「久遠」とは、下種仏法の立場では久遠元初のこと―
●御義口伝に云く此の品の所詮は久遠実成なり久遠とははたらかさず・つくろわず・もとの侭と云う義なり、無作の三身なれば初めて成ぜず是れ働かざるなり、卅二相八十種好を具足せず是れ繕わざるなり本有常住の仏なれば本の侭なり是を久遠と云うなり、久遠とは南無妙法蓮華経なり実成無作と開けたるなり云云(『御義口伝』全集759頁)
-----------------------
「久遠実成」とは法華経の文句であるが、大聖人は下種仏法の立場から使用されている。
●霊山浄土・多宝塔中・久遠実成・無上覚王・直授相承本迹勝劣の口決相伝譜、久遠名字より已来た本因本果の主・本地自受用報身の垂迹上行菩薩の再誕・本門の大師日蓮詮要す。(『百六箇抄』全集854頁)
●久遠釈尊の口唱を今日蓮直に唱うるなり。(『百六箇抄』全集862頁)
●久遠実成の自受用身は本・上行菩薩は迹なり(『百六箇抄』全集866頁)
<本地垂迹>
―諸天善神は本仏の垂迹―
●我が釈尊・法華経を説き顕し給いしより已来十羅刹女と号す、十羅刹と天照太神と釈尊と日蓮とは一体の異名・本地垂迹の利益広大なり(『産湯相承事』全集879頁)
-----------------------
大聖人の本地は「久遠実成釈尊」であり、諸天善神はその「垂迹」なのである。
★一般邪宗の神社に諸天善神が居られないことは「神天上の法門」から明らかであるが、当該神社は、"広宣流布の縮図"ともいうべき大石寺近辺のものであり、御神体=末法の教主釈尊=久遠元初の自受用報身如来である。だから、末法の教主釈尊と「一体の異名」(『産湯相承事』)である諸天善神が祀られている、と考えて差し支えないのである。
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from: 21世紀さん
2009年07月19日 00時25分44秒
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「Re:創価学会員必読コーナー」
創価学会員の皆様へ
大石寺周辺神社への疑難破折(9)
<「御神燈」>
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入り口の門には「御神燈」、裏には「天下泰平」とかかれている。どう見ても神様の祭りだ(fb)
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本宗の御本尊を根本とした諸天善神のお祭りじゃいけないのでしょうか? (N.I『慧妙』H12.11.16)
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from: 21世紀さん
2009年07月19日 00時21分23秒
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「Re:創価学会員必読コーナー」
創価学会員の皆様へ
大石寺周辺神社への疑難破折(8)
<注連(しめ)縄>
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社殿には注連縄が張られ、紙垂(かみしで)が垂れ下がっている。(『フェイク』H12.10.12/fb)
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日本では古来から、清浄な地と不浄な地を分ける意味から、注連縄をもって表わしてきた習慣がある。もちろん、この注連縄が「本尊」「神札」「神体」などというものではないことはいうまでもなかろう。(『慧妙』H12.11.16)
●うそかほんとうか、位牌を焼かしている者があるそうだという話があるが、気をつけるように。ただ、霊友会や立正佼成会などの位牌は、拝む当体だから処置すればよい。神として、仏として拝む、その当体だけを焼くのです。神棚など、社はよいが、中身が悪いのです。「坊主憎けりゃけさまで憎い」などと、そんなことはしないでもらいたい。神棚はとっておけばよい。今まではへんちくりんな神さまがすわっていたのだが。本でも置けばよいし、おしめでも置けるし、便利このうえないものだから、棚はこわす必要はない。これだけは、ほんとうによく注意してください。(『戸田城聖全集』第4巻/『慧妙』H12.11.16)
-----------------------
かくのごとく、戸田氏も、"拝む当体であれば処置しなければならないが、そうでなければ取り去る必要はない"と明確に指導しているではないか。『フェイク』編集子諸君、何でも「謗法、邪義」などと言っているから、ついには、このような戸田氏の指導までコケにすることになるのだ。以後、気を付けなさい(といっても無駄か)。
<拍手>
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決定的なのは理境坊檀家が拍手を打って参拝している姿だ。“ご神体”とか“地区の守り神”の御本尊には拍手を打って参拝するのが大石寺の教えなのか?(『フェイク』H12.10.7/fb)
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『フェイク』や『創価新報』は、これをいうために近隣の住民が社の前で手を広げている写真を掲載してるのだが、じつは、これこそ欺瞞そのものなのである。
この地域では、合掌するに際し、いったん手を広げてしかる後に手指を合わせる風習があり、『フェイク』『新報』が掲載した写真は、手を合わせる前の一瞬を撮影したものなのである。
それ故、写真を撮るために、この合掌の一部始終を見ていた人間ならば、十分にそれが理解できたはずだが、この事実を隠して、このような疑難をなすこと自体、創価学会の謀略性を示して余りあろう。
また、このような風習は、〝随方毘尼(ずいほうびに)〟として許容されるであろうことも、付言しておく。(『慧妙』H12.11.16)
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from: 21世紀さん
2009年07月19日 00時13分15秒
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「Re:創価学会員必読コーナー」
創価学会員の皆様へ
大石寺周辺神社への疑難破折(7)
<「氏子中」>
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理境坊の檀家の人々は「氏子中」と名乗っているが、これは弁明できるか?(『フェイク』H12.10.7/fb)
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御本尊御安置の場所が寺院ではなく社殿の形式であるため、「氏子」の呼称を用いているにすぎない。(『慧妙』H12.10.16)
<「八幡大神」「天照皇大神」の幟>
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白山八幡宮(※半野八幡宮の誤り)の前には「奉納 八幡大神 氏子中」「奉納 天照皇大神 氏子中」の幟がはためき(『フェイク』H12.10.12/fb)
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どうやら、幟(のぼり)に書いてある「八幡大神」「天照皇大神」に固執しているらしいが、じつは、その2神が守る御神体こそ、安置されている日蓮正宗の御本尊に他ならない。よって、これが「謗法」などでないことはいうまでもない。
それとも、『フェイク』編集子は、「幟も拝む対象だから謗法だ」と見ているのであろうか。そうなると、もはや付ける薬はないのかもしれぬが……。(『慧妙』H12.11.16)
●通称半野の氏神と呼ばれている、半野八幡宮のインターネット上の画像を見ると、全て神前が仏式になっています。 学会系と思われるそのホームページには「のぼりには『奉納天照皇大神 氏子中 昭和三十八年吉日』『奉納八幡大神 氏子中 昭和三十八年吉日』」と書いてありますが、これも当たり前だと思うのですが、御本尊様の日本国守護の諸天善神として書写されている神号ですよね。 普通の神社と言うか、神社庁管轄の神社では「**神社」と対の幟(のぼり)が立つのが当たり前であり、神社神道とは全く違う祀(まつ)り方です。(N.I『慧妙』H12.11.16)
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from: 21世紀さん
2009年07月19日 00時04分29秒
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「Re:創価学会員必読コーナー」
創価学会員の皆様へ
大石寺周辺神社への疑難破折(6)
<御神木>
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形木本尊と「八幡宮御神木」が“同座”している白山八幡宮(※半野八幡宮の誤り)の実態については屁理屈ばかり並べる『慧妙』でも弁解できまい。(『フェイク』H12.10.12/fb)
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そもそも『フェイク』編集子は、「御神木」の意味を知っているのだろうか。
御神木とは、神社の境内地にある樹木のことをいうのであって、このような木片のことをいうのではない。
『フェイク』編集子はあまりにも愚かだから、これだけでは理解できまい。もう少々、この件の説を紹介しよう。
この「御神木」と書かれた木片は、平成元年頃、この八幡宮の境内地に立っていた松の木が、台風で倒れたため、〝神社に立っていた木〟という意味でこの木の一部を切り取り、「御神木」と書いて堂の中に入れておいただけのこと。
ゆえに、この「御神木」には御神体の意味などなく、あくまでも、この八幡宮の「御神体」は日蓮正宗の御本尊なのである。
なお、過日、これが『フェイク』の言い掛かりのタネとなっていることを知った地元の方の手により、この「御神木」の木片は、御本尊が御安置されている祠の中から取り払われている。(『慧妙』H12.11.16)
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from: 21世紀さん
2009年07月18日 23時57分10秒
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「Re:創価学会員必読コーナー」
創価学会員の皆様へ
大石寺周辺神社への疑難破折(5)
【半野八幡宮】
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大石寺が日顕の形木本尊を下附したのは熊久保神社だけではなかった――こんな衝撃的な情報が、ある有力筋から寄せられた。新たに露見したのは大石寺近郊の白山八幡宮(※半野八幡宮の誤り)で、確かに日顕の形木本尊が安置されている。(『フェイク』H12.10.12/fb)
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<子安大明神>
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「奉納子安大明神」とかかれた木の横に御宮殿があり、その中には「木片」が祀られている。(fb)
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これはご神体ではありません。神座が無い印の、御幣でしょう、それもかなり前の。本来の御神体なら、「唐櫃(からびつ)」や「柳筐(やないばこ)」と呼ばれる入れ物に入り、御簾(みす)を掛けて、大祭といえども見せることはしません。
例えば、私が神職の立場なら、全く神社有職を無視したお祭りですよね。
明治時代に「廃仏毀釈」が行なわれて、多くの神社は国家神道に統合され、その礼式は統一されていますので、ここだけ当てはまらないというのは少しおかしく感じます。
五具足の仏式荘厳、華は樒、そのうえ太鼓まで。
何が謗法に当てはまるのでしょうか?(N.I『慧妙』H12.11.16)
[御幣]ご‐へい=幣束(へいそく)の敬称。白色や金・銀の紙などを細長く切り、幣串(へいぐし)にはさんだもの。お祓いのときなどに用いる。おんべ。(『大辞泉』)
[幣束]へいそく=①神前に供えるものの総称。幣帛(へいはく)。にぎて。ぬさ。
②裂いた麻や畳んだ紙を細長い木にはさんだ祭具。おはらいをするのに用いる。御幣(ごへい)。(『大辞林』)
※要するに、学会員は「木片」=「子安大明神」だと勘違いしたのである。実際は、祀られているのは御幣であり、拝む対象ではなく御供え物だったのである。
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2009年07月18日 23時45分06秒
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「Re:創価学会員必読コーナー」
創価学会員の皆様へ
大石寺周辺神社への疑難破折(4)
<賽銭箱>
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日顕の形木本尊が安置されて、その前には「奉納」と書かれた賽銭箱まで置かれている。(『フェイク』H12.9.21/fb)
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これは常設されているものではなく年に数回、集会等の折に持ち出して参加者(『フェイク』も書いているように理境坊の檀家)の御供養を入れ、それをとりまとめて理境坊へ奉納するのであるから、何の問題もない。(『慧妙』H12.10.16)
●法花宗の御堂なんどへ他宗他門の人参詣して散供まいらせ花を捧くる事有り之れを制すべからず、既に順縁なるが故なり、但し大小の供養に付いて出家の方へ取り次ぎ申して仏聖人へ供養し申せと有らば一向取り次ぐべからず、謗法の供養なるが故に、与同罪の人たるべし云云。(第9世日有上人『有師化儀抄』/『富士宗学要集』第1巻75頁)
●「散供まいらせ」通例御賽銭と云ふもの此時代では通貨でも米でも仏前に蒔き散らすが普通の例であった、此は丁寧なる儀式でないが却つて信謗の区別なき一般的のもので順縁と云ふべきであるから禁制に及ばぬと仰せらるのである「出家の方へ取り次ぎ申して」云云とあるは此は一般的のものでない特別の意趣で御供養する内心が謗法味を帯びてをるから迂潤に仏聖人即ち御本尊へ捧げてはならぬ、能くよく其意趣を聞糺して信仰に入れてから其御供養を受くるやうに為すべきである、然らずして謗法者の供養を直に取次ぐことは取次の僧も謗法者と同罪に陥いるのであると制せられてある。(第59世日亨上人『有師化儀抄註解』/『富士宗学要集』第1巻156頁)
●散供とは米を散じ上げること。賽銭は後世のことで、古代は米を散じ上げた。この米は鳥や鼠等の食となる。花は古代は専ら樒である。本宗の本堂へ他宗の人々が参詣して、散供米や樒を上げることがありますが、それを拒否してはいけません。これがその人々にとって順縁となるのでありますから。しかし、供養物の多少にかかわらず、住職に向かって御本尊様に供養して下さいと申し出たならば、決して受け継いではいけません。その施物は謗法の供養物ですから、もし受けると与同罪の人となります。(第66世日達上人『(略解)日有師化儀抄』98頁)
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from: 21世紀さん
2009年07月18日 23時36分49秒
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「Re:創価学会員必読コーナー」
>創価学会員の皆様へ
大石寺周辺神社への疑難破折(3
【熊久保八幡宮】
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日顕が神社に御形木御本尊を2幅も下附していたという驚くべき大謗法の事実が判明した。下附した相手は大石寺近郊の熊久保地区にある神社。中央上方の注連縄の下には「八幡宮」の札が掲げられ、その下方の左右に日顕の形木本尊が安置されて、その前には「奉納」と書かれた賽銭箱まで置かれている。(『フェイク』H12.9.21/fb)
------------------------------------------------------------
問題の〝神社〟に日顕上人猊下御書写の御本尊が下附された経緯は、次のとおり。
昨年6月頃、この〝神社〟にもともと祀られていた2体の御本尊が、何者かによって盗み出されていたことが発覚。
地区の〝守り神〟である御本尊を失った人々は困り果て、区長のS氏(理境坊講頭)が大石寺に御本尊の再下附を懇請することに。その結果、やっと再下附の許しを得ることができたのである。(『慧妙』H12.10.1)
<八幡宮の脇士?>
************************************************************
>『妙観』『慧妙』が、どんな屁理屈を並べても御本尊を八幡宮の脇士のような形で安置するのが謗法であることは言うまでもない。それとも「御本尊を八幡宮の下方両脇に安置せよ」という文証を示せるか?!(『フェイク』H12.10.7/fb)
>日顕の本尊ではなく、「八幡宮」の札であり、八幡宮を祀っている神社だからこそ「八幡宮」というのである。(『フェイク』H12.10.19/fb)
------------------------------------------------------------
いうまでもなく、「八幡宮」とは、「宮」すなわち建物の名称であって、本尊でもなければ神体でもない。
『フェイク』は、八幡宮に御安置された御本尊の側に「八幡宮」の扁額があることをもって「御本尊を八幡宮の脇士にしている」などと言っているわけだが、右に書いたように「八幡宮」の扁額(要するに建物の名称を書いた額)は神体ではなく、あくまでも祀(まつ)られているのは本宗の御本尊だけなのだ。
本当に馬鹿の相手をするのは疲れる!(『慧妙』H12.10.16)
************************************************************
両側にある日顕上人の形木本尊を従えるように中央上方に掲げられた「八幡宮」の〝ご神体〟の何処が御本尊というのか。(中略)それでも「八幡宮の〝ご神体〟は御本尊」と強弁するのか。(『フェイク』H12.10.7/fb)
------------------------------------------------------------
馬鹿に馬鹿を重ねたような一文である。
誰も「『八幡宮(建物の扁額)』が御本尊だ」などとは言っていない。「八幡宮」という建物の〝神体〟が御本尊である、と言っているのである。
『フェイク』編集子の狂った頭でちゃんと理解できるかどうか不安だが、強弁などしなくても、「八幡宮の〝ご神体〟は御本尊」である。
『フェイク』編集子は、くだらぬ強弁を重ねるより、小学生の国語から勉強し直した方がよい。(『慧妙』H12.10.16)
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2009年07月18日 23時26分42秒
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「Re:創価学会員必読コーナー」
創価学会員の皆様へ
大石寺周辺神社への疑難破折(2)
【化儀解釈と法主の権能】(<化儀と血脈>参照)
●手続の師匠の所は、三世諸仏高祖已来代々上人のもぬけられたる故に、師匠の所を能く能く取り定めて信を取るべし。また我が弟子も此くの如く我れに信を取るべし、此の時は何れも妙法蓮華経の色心にして全く一仏なり、是を即身成仏と云ふなり(第9世日有上人・化儀抄『富士宗学要集』第1巻61頁)
-----------------------
「手続の師匠」とは直接の師匠(一般僧侶にとっては御法主上人)のことである。「もぬける」とは、蛇などの脱皮のこと。日達上人は「師匠は三世諸仏や、大聖人已来、歴代の法主上人の御心がぬけられて、師匠のところに来ている」(『日興遺誡置文・日有師化儀抄略解』)と仰せである。
日有上人は「我が弟子も此くの如く我れに信を取るべし」と仰せである。その理由は「手続の師匠」(時の御法主上人)は「三世諸仏高祖已来代々上人のもぬけられたる故」だからである。「代々上人」とは唯授一人血脈相承を受けられた大石寺歴代上人であることは『産湯相承書』や『百六箇抄』などからも明らか。
●若し法華経の謂(いわれ)を知らざれば法華も仍(なお)これ爾前の経なり(乃至)若し本門の謂を知らざれば本門は仍これ迹門なり(乃至)若し文底の謂を知らざれば文底は仍これ熟脱なり(乃至)若し文底の謂れを知れば熟脱も即ちこれ文底の秘法なり(乃至)問う、若し爾らばその謂は如何。答う、宗祖云く「此の経は相伝に非ずんば知り難し」等云々。「塔中及び蓮・興・目」等云々。(第26世日寛上人『撰時抄愚記』/『日寛上人文段集』聖教新聞・初版271頁)
●問う、夫れ正像未弘の大法、末法流布の正体、本門の三大秘法とは一代諸経の中には但法華経、法華経の中には但本門寿量品、寿量品の中には但文底秘沈の大法なり、宗祖何んぞ最大深秘の大法経文の面に顕然なりと言たもうや。答う、一代聖教は浅きより深きに至り、次第に之れを判ずれば実に所問の如し。若し此の経の謂われを知って立ち還って之れを見る則んば爾前の諸経すら尚お本地の本法を詮せずと云うこと莫し、文底の義に依って今経の文を判ずるに三大秘法宛も日月の如し。故に経文の面に顕然なりと云うなり。問う、此の経の謂われを知るとは其の謂われ如何。答う、宗祖云わく(一代聖教大意)、此の経は相伝に非ざれば知り難し等云々。三重の秘伝云云。(第26世日寛上人『依義判文抄』/『富士宗学要集』第3巻104頁〜)
-----------------------
「若し此の経の謂われを知って立ち還って之れを見る則んば」「文底の義に依って今経の文を判ずる」とは依義判文である。この場合は「最大深秘の大法経文の面に顕然」となる。しかして、「此の経の謂われを知るとは其の謂われ如何。答う、宗祖云わく(一代聖教大意)、此の経は相伝に非ざれば知り難し等云々。」とあるように「此の経の謂われ」は相伝によって知ることができるのである。つまり、文底仏法に基づく正しい依義判文は、相伝によって行われるということである。そして、その相伝とは何かといえば、「『塔中及び蓮・興・目』等云々。」(『撰時抄愚記』)とあるように唯授一人の血脈相承のことなのである。
★日寛上人も、文底下種仏法に基づく正しい依義判文、つまり経文や御書、先師の文証の正しい解釈は、唯授一人の相伝に拠らなければならない、と仰せである。すなわち、御書や先師の御指南の文文句句についての解釈は、時の貫首が最終的に決定すべきである。また、法門(化法)を儀式の上に表明したものが化儀なのだから、時代状況に応じた化儀の決定もまた時の貫主が行うべきである。
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from: 21世紀さん
2009年07月18日 23時23分50秒
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「Re:創価学会員必読コーナー」
創価学会員の皆様へ
大石寺周辺神社への疑難破折
<謗法容認シリーズ/fb>
①『化儀抄』に違反していない。
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『化儀抄』で禁止しているのは、「謗法の人の所に勧請の神社」。当該神社は"広布の縮図"とも言える地であるから問題ない。
②法門および化儀の解釈は時の御法主の権能
③祀られている神体は御本尊だから謗法ではない。
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「本地久遠実成釈尊」の語も「名同義異」の上から問題ない。
④「御神木」「注連縄」「賽銭箱」「拍手」等は謗法ではない。
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「御神木」「注連縄」は信仰の対象ではないから問題ない。「賽銭箱」も『化儀抄』に照らして問題ない。「拍手」については、学会の捏造。
⑤学会も公式に讃歎していた。
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<地域広布の立場から大石寺周辺祠社の変革を考える>参照。
【『化儀抄』の解釈】
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●日興上人の時、八幡の社壇を重須に建立あり内には本尊を懸けらる、是れは本門寺の朽木書と云云、今の義にならず、天下一同の法花経信仰の時は当宗の鎮守は八幡にて在すべし(『化儀抄』)
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神社に本尊を安置することを「今の義ではない」、「天下一同の法華経信仰の時」と定められているにも拘らず、まだ全国でわずか30万にもならない現時点で、日犬の本尊が「半野神社」「熊久保神社」に祀られたのはどういうことか。これが機の判定というのならば、ただの謗法ではないか。これに対する言い訳として、内事部などは「時代の流れと共に・・・」などと開き直ろうとしたのですが、「江戸時代の話などではなく、現在の管長の本尊なのですよ」と厳しく諭したら、それっきり黙ってしまいました。(旧sf:1281)
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●日興上人の時、八幡の社壇を重須に建立あり内には本尊を懸けらる、是れは本門寺の朽木書と云云、今の義にならず、天下一同の法花経信仰の時は当宗の鎮守は八幡にて在すべし云云、大隅の八幡宮の石の文に昔は霊山に在りて法花経を説き、今は正宮の中に有て大菩薩と現すと八幡の御自筆有り、釈迦仏の垂迹にて在すが故なり云云、所詮朽木書とは手本と云ふ意なり。(『化儀抄』)
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日興上人は、わざわざ社檀を建立されているが「是れは本門寺の朽木書」とあるように、例外であり、原則としては神社建立は広宣流布のときとの御指南である。その理由は、一国謗法のときに市中に正法の神社を建立すれば、不敬となり罰を被るからであろう。しかして、当該神社は、広宣流布の縮図ともいえる地域での神社である。時の御法主が、広布の時に準じて、神社への御本尊下付を許されたものと拝される。神社への御本尊下付は、第26世日寛上人も行われており、日寛上人を正師と仰ぐのであれば、徒(いたずら)に疑難をすることは控えるべきであろう。
●謗法の人の所に勧請の神社に垂迹有るべからずと云ふ義は爾なり、我か正法の人として正法に神社を修造せん事は如何と云云、是れは道理然かなれども惣じて此の国は国王将軍謗法の人にて在す故に、謗法の国には垂迹の義有るべからずと云ふ法門の大綱なるが故に、我か所に小社などを建立しては法門の大綱混乱する故に、謗法ならん間は神社を必す建立なきなり、此の国正法の国ともならば垂迹を勧請申して法花宗参詣せんに子細有るべからず云云。(『化儀抄』)
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先の日興上人の社檀建立から考えて、上記御指南は、原則論であって、まったく例外を認めないというものではないといえよう。
そもそも、寺院に御本尊を安置することが許されて、神社に対してはいけないという理由は何であろうか。「神天上の法門」があるからだといえばそれまでであるが、名前こそ神社であるが、祀られる"御神体"は寺院と同じ御本尊なのだから、不思議ではないか。その辺りのところまで知悉した上で、広布達成前の神社建立の是非を論ずるべきであろう。
1つ私論を述べるならば、一般の神社と寺院との大きな違いは、管理者が常駐であるかないか、従って誰でも無断で拝めるか否か、ということである。だから、神社に祀られた御本尊への不敬を回避するためには、少なくとも周辺地域が広宣流布されていることが必要だと思われる。これは、広布達成前に大御本尊を公開しないことに通ずる理屈であるようにも思われる。このような視点から、広布達成前の神社建立を原則として禁止されたのではなかろうか。然るに当該地域は、"広布の縮図"とも言えるから、例外的に御本尊下付が認められたのであろう。
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from: 21世紀さん
2009年07月18日 18時35分50秒
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「Re:創価学会員必読コーナー」
創価学会員の皆様へ
◆ 日 蓮 大 聖 人 が 警 告 し て い る 悪 知 識
悪 知 識 を 畏 る べ し 【人のたばかりは・おそろしき事なれば】
○私ならざる法門を僻案せん人は偏に天魔破旬の其の身に入り替りて人をして自身ともに無間大城に堕つべきにて候つたなしつたなし、(中略)総じて日蓮が弟子となって法華経を修業せん人人は日蓮が如くにし候へ(四菩薩造立抄)
○されば仏になるみちは善知識にすぎず(中略)而るに善知識に値う事が第一のかたき事なり、されば仏は善知識に値う事をば一眼のかめの浮木に入り、梵天よりいとを下て大地のはりのめに入るにたとえ給へり、而るに末代悪世には悪知識は大地微塵よりもをおく善知識は爪上の土よりもすくなし(三三蔵祈雨事)
○人のたばかりは・おそろしき事なれば・一定法華経すて給いなん(上野殿御返事)
○仏の曰く「悪像等に於ては畏るる心なかれ、悪知識に於ては畏るる心をなせ、何を以ての故に悪像は但身をやぶり意をやぶらず・悪知識は二共にやぶる故に、此の悪像等は但一身をやぶる悪知識は無量の身・無量の意をやぶる、悪像等は但不浄の臭き身をやぶる・悪知識は浄身及び浄心をやぶる、悪像等は但肉身をやぶる悪知識は法心をやぶる、悪像の為に・殺されては三悪に至らず・悪知識の為に殺されたるは必ず三悪に至る、此の悪像は但身の為のあだなり、悪知識は善法の為にあだなり」と、故に畏る可きは大毒蛇・悪鬼神よりも弘法・善導・法然等の流の悪知識を畏るべし、略して邪見の先を明かすこと畢んぬ(星名五郎太郎殿御返事)
日蓮大聖人は“悪知識”(邪義)は浄身及び浄心をやぶり、法心をやぶり、必ず三悪に至り、善法の為にあだになると、繰り返し“悪知識”を畏るべしとお説きです。
日蓮正宗の御法主上人猊下及び御僧侶方が“悪知識”なのか、それとも池田創価学会が“悪知識”なのか、日蓮大聖人の御金言から拝すべきことを願っています。
ここに創価学会の悪知識の実例の、ほんのごく一部を紹介します。
日蓮正宗においては、僧侶が日蓮大聖人のお遣いとして葬儀を執行し、その際、導師曼陀羅(御本尊)を御安置し、故人に戒名を授けて、懇(ねんごろ)に成仏へと導きます。ところが、昨今の学会は、この日蓮正宗の葬儀を、大聖人の教えとはまったく無縁の邪義であると、誹謗しています。
日蓮正宗の葬儀を誹謗する主な主張は、
日 蓮 正 宗 の 葬 儀 に 対 す る 学 会 の 誹 謗 (創価学会の主な主張)
1大聖人の時代には、宗門僧侶が葬儀を執行した、という事実はない
2戒名は、江戸時代に既成仏教が金儲けのために始めたことで、それを日蓮正宗が取り入れたのだ
3導師曼陀羅は謗法である
4大聖人が塔婆を立てて供養されたこともない
というものです。
1については、『宗祖御遷化記録』にも明らかであり、また日興上人の『曾禰殿御返事』にも、お弟子の僧侶を遣わして、葬儀を行うことを言っておられます。
2の戒名については、日蓮大聖人が自ら、父君は「妙日」、母君は「妙蓮」という法名(=戒名)を授けています。戒名とは本来、仏門に帰依したときに授けられるもので、法名と同義であり、そのことは学会で出している『仏教哲学大辞典』にも出ています。
3の導師曼陀羅については、学会は、「御書にない『五道冥官』等の文が書かれ、大聖人の御本尊と明らかに異なっている」と主張していますが、学会で大聖人直結の方とする二十六世日寛上人の顕わされた御本尊の中にも、やはり「五道冥官」等と書かれた導師御本尊が存し、御書P12の中にも「五道冥官」の語は示されています。
4の塔婆供養については、以下の『中興入道消息』や『上野殿後家尼御返事』『草木成仏口決』の御文を拝読してください。
そ と ば ( 卒 塔 婆 ) の 功 徳 に よ り て
【丈六のそとばをたてて其の面に南無妙法蓮華経の七字を顕して】
○丈六のそとば(卒塔婆)をたてて其の面に南無妙法蓮華経の七字を顕して・をはしませば、北風吹けば南海のいろくづ其の風にあたりて大海の苦をはなれ・東風きたれば西山の鳥鹿・其の風を身にふれて畜生道をまぬかれて都率の内院に生まれん、況や・かのそとばに随喜をなし手をふれ眼に見まいらせ候人類をや、過去の父母も彼のそとばの功徳によりて天の日月の如く浄土をてらし、孝養の人並びに妻子は現世には寿(いのち)を百二十年持ちて後生には父母とともに霊山浄土にまいり給はん(中略)此れより後後の御そとばにも法華経の題目を顕し給へ(中興入道消息)
○いかにも、いかにも追善供養を心のをよぶほどはげみ給うべし(上野殿後家尼御返事)
○我等衆生死する時塔婆を立て開眼供養するは、死の成仏にして草木成仏なり(草木成仏口決)
このように故人の成仏と後生にとって、重大な意義を有する葬儀でさえ、創価学会は平然と虚偽を説いているのです。そして創価学会の葬儀は、こうした虚偽をもとにして僧侶不在、在家だけで執行される学会葬を行っています。(ニセ僧侶が用意される場合もありますが)
読経・唱題の導師を勤めるのも、僧侶ではなく在家幹部であり、導師曼陀羅はなく、学会製のニセ形木本尊を斎場に持ち出して使用し、位牌には戒名でなく故人の俗名が書かれるという、「学会葬」「友人葬」「同志葬」と称される葬儀です。したがって、これらの学会儀は、故人を堕地獄に引導する最直道となることでしょう。
以上、創価学会の“悪知識”の実例の、ほんのごく一部を紹介しました。
名 利 名 聞 を 捨 て 法 華 経 を 説 か ん 僧 を 敬 ひ
【末代の衆生は僧をあなづり法をいるかせにして悪道におつべし】
何としても此の経の心をしれる僧に近づき、いよいよ法の道理を聴聞して信心の歩を選ぶべし。(中略)地獄に堕ちて炎にむせぶ時は願くは今度人間に生まれて諸事を閣(さいお)ひて三宝を供養し後世菩提をさずからんと願へどもたまたま人間に来る時は名聞名利の風はげしく仏道修業の灯は消えやすし、(中略)末代の衆生は法門を少分こころえ僧をあなづり法をいるかせにして悪道におつべしと説き給へり、法をこころえたる・しるしには僧を敬ひ法をあがめ仏を供養すべし、(中略)後世を願はん者は名利名聞を捨てて何に賎しき者なりとも法華経を説かん僧を生身の如来の如くに敬うべし、是れ正く経文なり。(新池御書)
御法主上人猊下及び御僧侶方の御指南、御指導に耳を傾ければ、なお一層宗門が「善知識」であり、創価学会が「悪知識」である事が理解できます。しかし法然の選択集の「捨・閉・閣・抛」さながらに、学会以外の書物及び批判記事類は「捨・閉・閣・抛」せよという指導が徹底しているようで、耳を塞ぐ傾向にあります。
創価学会の指導に絶対の自信があるのならば、寺院に来て堂々と宗門の指導にも耳を傾けたり、機関紙に目を通したりすれば、正当性が比較検討出来るのではないでしょうか。
私は「平和と人権」を看板にする団体である聖教新聞も読んでいます。この新聞の“寸鉄”欄には、
「薄汚いドブネズミ」
「人間の皮をかぶった鬼畜」
「衣を着た畜生」
「インチキ坊主」
「暗闇を這い回るどぶ鼠は、社会の害毒」
「「11月3日は『文具の日』。デマを書くペンは魂を腐らす凶器だ。叩き折れ!」
「金金金、嘘嘘嘘、陸士卒も旧制中学卒もデタラメ竹入(元公明党委員長)。お前なんか屑屑屑」
「仏典『愚者は、悪い行いをしながら気づかない』。悪行竹入は人生愚者愚者」
等々の異常な文言が掲載されていますが、この欄は池田/大作の肉声に近いものだと言います。
元公明党委員長の竹入義勝に対する異常とも思える誹謗・中傷は、竹入氏が「勲一等」の叙勲を受けたためだとも言われています。つまり池田/大作が外国からかき集めた勲章や名誉称号等の2200もの顕彰類は、早い話が「お金さえ積めば誰でも与えられる」たぐいのものばかりのために、池田が嫉妬し、激怒したというのが真相のようです。
「勲一等」ばかりは、さすがの勲章好きの池田/大作でさえも、手に入れるのは無理だったようです。
それはともかくとして、聖教新聞記事を冷静に隅々まで読み(ただし異常な文言の数々や教義の誤り等で、精神が破壊されないようにするのが一苦労ですが)、日蓮大聖人の御書及び釈尊の法華経二十八品及び大白法等の内容と比較して、どちらが「善知識」であるかを判断しています。けっして聖教新聞を「捨・閉・閣・抛」などはしていません。
学会員も同じように「大白法」(日蓮正宗法華講連合会の機関紙)等を「捨・閉・閣・抛」せずに、冷静に隅々まで読んでみて下さい。それが公正・公平と言うものでしょう。批判している側の意見に耳を塞いでいて、どうして真実が分かるでしょうか。
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from: 21世紀さん
2009年07月13日 07時32分49秒
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「Re:創価学会員必読コーナー」
> 創価学会員の皆様へ
「本尊は勝れたるを用ふべし」
学問や芸道等の道において理想とするところは世界的な権威者や、その道の第一級の勝れた指導者について、もっとも勝れた智識や研究の成果や諸道の極地を学ぶ事が出来る幸せです。しかし、なかなかそのような良き指導者にめぐり合う事はむづかしいでしょう。これは医療の面でも同じ事であります。
自分乃至家族の治療に当たっては名医の診断のもとに、世界最高の水準の治療を受けて克服したいと願っています。それが実現出来れば、そんなうれしい事はありません。しかし現実はむづかしいと言えましょう。
そうした事と同じように、信仰の世界も、世界第一の真実の仏の教導に従って、世界第一の御本尊のもとにおける信仰をめざす事が大切なのです。信仰ははどれも同じではないのです。
日蓮大聖人は「本尊問答抄」に「本尊とは勝れたるを用ふべし」(御書一二七六)
と仰せになり、また「諸法実相抄」において
「一閻浮提第一の御本尊を信じさせ給へ」(御書六六七)
と御教示下さっているのです。宗教は最高最尊の御本尊を選び、世界一勝れた宗旨に就き、真実に正しい信仰を全うする事が大切であり、それが実現出来るのです。
日蓮正宗は日蓮大聖人によって建立された唯一の世界一勝れた宗旨であります。その誇りをもって日蓮正宗の信仰に生き、多くの人々を教化、救済し、共に幸せをわかち合いましょう。
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正義顕揚、
from: たかおちゃんさん
2010年12月25日 09時13分42秒
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「Re:Re:創価学会員必読コーナー」
被害者の顔が判るのはまずい。
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