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創価学会SGIを本音で語ろう

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  • from: 21世紀さん

    2009年06月08日 08時28分54秒

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    池田/大作作小説人間革命批判

    名前: yuriko 投稿日: 2003/05/05(月) 12:32

    ここの書き込みでは、主に、同十二巻を取り上げる。
    同作品は、私小説と断られていないし、純粋な伝記でもない。作者は、これをフィクションと言っている。
    しかし、人物の配置、時代設定等を鑑みるとどう見ても、ドキュメンタリーとしか読めない。
    つまり、作者に都合の悪い面は、フィクションで、都合の良い部分は、真実としているのだ。
    同十二巻では、露骨に「誰」とわかる形で、「反逆者」への陰険な人格攻撃が際立っている。その描写は、あまりにも生々しく、日本の法律で定めた「名誉毀損の罪」に該当するのは、明らかなのだ。
    しかし、不思議な事に誰も作者を訴えようとしていない。これは、公明党の存在が明らかな憲法違反であるにも拘わらず、誰も本気で問題にして来なかった事と並んで、日本文化に於ける不思議の一つだ。
    私が、ここで問題にしたいのは、同小説160ページに登場する石川幸男こと、石田次男氏への侮辱的記述である。これが書かれた当時は、石田氏は存命中だった。
    石田氏の母は、初代の創価学会婦人部長であり、戸田先生との信頼関係は、深いものがあった。しかし、どういう訳か、同小説には、登場していない。これは、意図的に削除されたのだろう。
    その息子である次男氏への戸田先生の信頼は、並々ならぬものがあった。同氏は、大卒ではあるが、有名校出身ではない。にも拘わらず、戸田先生に目をかけられた。という事は、池田先生の場合と同様、石田氏の人格的素養が戸田流の人材育成法のメガネに適った為だったのだろう。
    p160には、次のような記述がある。
    『一一幸男は、九州との馴染みはあるが、力量、人格はどうか....。
    石川は........戸田は、翌年四月に聖教新聞が創刊された時には、編集スタッフに任命し、ほどなく彼を編集長とした。......
    二十六年七月の男子部結成式の折には、石川は第一部隊長に抜擢され、一年半後には、青年部出身の初の支部長として、小岩支部長に就任したのである。まさに彗星のように、短日月のうちに登場してきた幹部といってよい。』
    つまり、作者としては、戸田先生と石田氏との特別な関係を意識的に無視した上で、一応の敬意は払っているように見える。
    当時の創価学会は、戸田創価学会と言うべきで、特に人事の面では、戸田先生が全てを裁可した。
    その中で、石田氏は、『まさに彗星のように、短日月のうちに登場』したのだ。並々ならぬ戸田先生の信頼を受けていたのだ。
    これは、ただ事ではない。ただの要領だけで、(当時の)学会の中で出世できるものではない。
    さらに、そこに記載はないが、次男氏は、学会青年部初の理事にも就任している。
    誰が見ても、それは、戸田先生が石田氏を自分の後継者とする布石だった筈だ。
    実際、戸田先生の石田氏への信頼は、並々ならぬものがあったのは確かだった。
    例えば、石川氏を小岩支部長にした時、戸田先生は、
    「追いて来る者だけが追て来ればいい。次男と私で創価学会の旗を持って死ぬ覚悟だけだ」
    とまで、言った。
    また、現在の創価学会が愛用している「御書全集」への氏の貢献は、大きい。同全集は、長年の掘米尊師(後、猊下)の研究がなくては、成立するものではなかったが、氏の貢献も無視してはならい。
    因に創価学会では、未だに、同書を「創価学会教学部が総力を結集して成った全集」と位置ずけている。
    今年は、その創刊60周年?記念だそうだ。石田氏が果たした学会貢献を再評価するいい機会ではないのか?
    戸田先生は、その貢献を称えて、一首の歌を送っている。正確には、覚えていないが、
    『夫婦して 作れり御書全集 本仏の 永久に輝け その誉れ高し』
    みたいなものだったと思う。
    名前: yuriko 投稿日: 2003/05/05(月) 12:32

    ここの書き込みでは、主に、同十二巻を取り上げる。
    同作品は、私小説と断られていないし、純粋な伝記でもない。作者は、これをフィクションと言っている。
    しかし、人物の配置、時代設定等を鑑みるとどう見ても、ドキュメンタリーとしか読めない。
    つまり、作者に都合の悪い面は、フィクションで、都合の良い部分は、真実としているのだ。
    同十二巻では、露骨に「誰」とわかる形で、「反逆者」への陰険な人格攻撃が際立っている。その描写は、あまりにも生々しく、日本の法律で定めた「名誉毀損の罪」に該当するのは、明らかなのだ。
    しかし、不思議な事に誰も作者を訴えようとしていない。これは、公明党の存在が明らかな憲法違反であるにも拘わらず、誰も本気で問題にして来なかった事と並んで、日本文化に於ける不思議の一つだ。
    私が、ここで問題にしたいのは、同小説160ページに登場する石川幸男こと、石田次男氏への侮辱的記述である。これが書かれた当時は、石田氏は存命中だった。
    石田氏の母は、初代の創価学会婦人部長であり、戸田先生との信頼関係は、深いものがあった。しかし、どういう訳か、同小説には、登場していない。これは、意図的に削除されたのだろう。
    その息子である次男氏への戸田先生の信頼は、並々ならぬものがあった。同氏は、大卒ではあるが、有名校出身ではない。にも拘わらず、戸田先生に目をかけられた。という事は、池田先生の場合と同様、石田氏の人格的素養が戸田流の人材育成法のメガネに適った為だったのだろう。
    p160には、次のような記述がある。
    『一一幸男は、九州との馴染みはあるが、力量、人格はどうか....。
    石川は........戸田は、翌年四月に聖教新聞が創刊された時には、編集スタッフに任命し、ほどなく彼を編集長とした。......
    二十六年七月の男子部結成式の折には、石川は第一部隊長に抜擢され、一年半後には、青年部出身の初の支部長として、小岩支部長に就任したのである。まさに彗星のように、短日月のうちに登場してきた幹部といってよい。』
    つまり、作者としては、戸田先生と石田氏との特別な関係を意識的に無視した上で、一応の敬意は払っているように見える。
    当時の創価学会は、戸田創価学会と言うべきで、特に人事の面では、戸田先生が全てを裁可した。
    その中で、石田氏は、『まさに彗星のように、短日月のうちに登場』したのだ。並々ならぬ戸田先生の信頼を受けていたのだ。
    これは、ただ事ではない。ただの要領だけで、(当時の)学会の中で出世できるものではない。
    さらに、そこに記載はないが、次男氏は、学会青年部初の理事にも就任している。
    誰が見ても、それは、戸田先生が石田氏を自分の後継者とする布石だった筈だ。
    実際、戸田先生の石田氏への信頼は、並々ならぬものがあったのは確かだった。
    例えば、石川氏を小岩支部長にした時、戸田先生は、
    「追いて来る者だけが追て来ればいい。次男と私で創価学会の旗を持って死ぬ覚悟だけだ」
    とまで、言った。
    また、現在の創価学会が愛用している「御書全集」への氏の貢献は、大きい。同全集は、長年の掘米尊師(後、猊下)の研究がなくては、成立するものではなかったが、氏の貢献も無視してはならい。
    因に創価学会では、未だに、同書を「創価学会教学部が総力を結集して成った全集」と位置ずけている。
    今年は、その創刊60周年?記念だそうだ。石田氏が果たした学会貢献を再評価するいい機会ではないのか?
    戸田先生は、その貢献を称えて、一首の歌を送っている。正確には、覚えていないが、
    『夫婦して 作れり御書全集 本仏の 永久に輝け その誉れ高し』
    みたいなものだったと思う。
    http://www16.ocn.ne.jp/~a1133/925_1052105523.html

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コメント: 全12件

from: 21世紀さん

2009年06月08日 19時25分57秒

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「Re:池田/大作作小説人間革命批判 」
88 名前: yuriko 投稿日: 2003/05/13(火) 11:52

続3
さらに余談だが、池田城久氏が池田先生の後継者となる為の布石として、
御学友グループなるものが結成されていた。
池田家の面々は、日頃から自分達が特別だと思っていたらしく、何かと、「皇族」めいた名称を好む傾向があった。
一番下らなかったのは、天皇家を真似た、この一家との園遊会が屡持たれたことだった。バカバカしかった。
御学友グループは、本当の意味で城久氏と学友だったわけではなく、創価大学出身者の中で、特に優秀なものだけを集めた、城久氏支援グループと呼ぶべきものだった。
一期生から、八期生までと幅広い。米国留学生も何人か含まれていたのは、興味深い。
これは、明らかに創価学会内に派閥を創ろうとする動きで、とんだ庶民のリーダー達の誕生だった筈だ。
ところが、当の城久氏が急死した為、同グループは自然解散となった。
私は、常々こうした創価学会にある衆愚支配的傾向を快く思ってこなかった。
一度、池田先生が来米した際、「君達は庶民の味方になりなさい」というメッセージが創友会のメンバーに伝えられた。
その時、私が思ったのは、「こいつら自分達を何様だと思っているんだろう」だった。
バカばっかりなのに、会員達は、いい迷惑だ。


89 名前: 会員x 投稿日: 2003/05/13(火) 11:57

人間革命批判資料編
創価学会 池田/大作の著書より
 >みなさん方は広宣流布といえば、なにかお祭りのことばか、ひとつの理想と
思っているのです。『一生懸命、広宣流布とは言うけれども、話だよ』と
心のなかで思っている人がいるのではないかと思うのです。ということは、
会長先生が、ニ、三年前におおせになったことがあるのですよ。『諸君らは、
それを本気に思えないのだろう。絶対そうではないよ。もしか、広宣流布が
できなかったら、日本は滅亡ですよ。世界の滅亡ですよ。仏さまのおおせに
なったことは、ウソになるよ。』と。
 仏さまは、ウソをつかないと私は信じます。また、会長先生もウソはつきません。
仏さまです。きちんと二十一年先を目指して、そうおおせになったのだもの。
先生が四年前に『もう、自分はそろそろ眠るから、青年部しっかり聞いておけよ。
聞いておけよ。あと二十五年だよ』とおおせになったのだから。それから四年目だから、
ちょうど二十一年です。というわけで、必ず広宣流布はできるのです。>
『会長講演集 第三巻』 昭和36年11月5日初版発行 P317より。
これは昭和33年9月14日に行われた講演なのですが、
これから二十一年後に創価がどうなっていたかを調べたらびっくり!
池田先生が第三代会長を辞任した年でした。前年にはあの「お詫び登山」
やってるし…広宣流布どころか内紛を起こしてましたよ。
池田先生の虚言壁が証明されました。


90 名前: SGI 投稿日: 2003/05/13(火) 20:11

>>82 yuriko さんへ

1)森田理事長の件
 森田理事長は、中央大学の夜間です。
 理事長の父・悌二氏が戦前からの会員で、戦争中、横浜・鶴見区に疎開。戦後昭和21年夏、戸田会長が座談会を復活されると、森田宅も会場となり、森田理事長は戸田先生の薫陶を受けるようになりました。

2)法華経研究会の件
 「法華経研究会」が具体的に何を指しているのか判然としません。
 が、記録によれば、戸田先生は昭和21年元旦から法華経講義を始められております。
 第1回法華経講義は、21年1月1日〜3月28日で、受講者は、戦前の学会の経済人グループ「生活革新倶楽部」のメンバー4人。岩崎洋三、西川喜方、本間直四郎、藤森富作の各氏。
 第2回法華経講義は、同年4月12日〜9月で、奥山和平、矢島周平、原島宏治、小泉隆、辻武寿、小平芳平、柏原ヤスの7名が受講。戸田先生は、このメンバーの終了式に、わざわざ鶴丸のバッチを作って一人ひとりに手渡しました。このバッチが、後に学会の会員章にもなったのです。
 そして、全員に歌を歌わせ、知っている気に入っているものがあれば合唱させたそうで、これが(戦後の)学会の会合で歌を合唱するようになった最初の日だと伝えられております。
 池田名誉会長は、昭和23年9月からの第7期法華経講義の受講生です。
 法華経講義は、戸田先生の理事長辞任まで続けられました。戸田会長の事業破綻は、この法華経講義に原因があったと、25年11月の第5回総会で総括されております。


91 名前: SGI 投稿日: 2003/05/13(火) 20:17

追記
第7期法華経講義の受講生は、約50人。
法華経講義は、第5期から毎回50〜60人位を対象として、西神田の学会本部が会場です。


92 名前: Leo 投稿日: 2003/05/14(水) 00:04

>>90 >2)法華経研究会の件
(ご参考)
東京大学関連としては、東京大学法華経研究会という東大生の創価学会サークルが
ある(あった)そうです。(又聞きですが...ソース提供の方に深く感謝します)

ちなみに東京大学法華経研究会は『日蓮正宗創価学会』(山喜房仏書林、1962年)
という書籍を出版したとのことです。研究会メンバーと直接関係ないのでしょうが、
蒼蒼たるメンバーが寄稿されています。(以下、敬称略)
序文
小口偉一
第一部
池田/大作、原島宏治、秋谷城永(栄之助)、北条浩、黒柳明、鈴木一弘、
森田康夫、矢追秀彦、辻武寿、石田次男、篠原誠、高松和男
第二部
小平芳平、多田省吾、渡辺城克、柏原ヤス、中西治雄、渡辺通子、
竜年光、牛田寛
付 創価学会に期待する (寄稿者多数!)
池田勇人、佐藤栄作 (当時の総理、与党・野党の政治家)、(当時の都知事)、
(会社社長)、藤原弘達 (政治評論家)、(新聞記者)、(大学教授)、(芸術家)などなど

昔は学会は期待されていたのですね...
(寄稿者の中には後に学会を糾弾する竜氏、藤原氏も含まれています)



http://www16.ocn.ne.jp/~a1133/925_1052105523.html

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from: 21世紀さん

2009年06月08日 19時21分01秒

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「Re:池田/大作作小説人間革命批判 」
83 名前: yuriko 投稿日: 2003/05/13(火) 07:09

私の個人的意見としては、法難と自然現象とは、何の因果関係もないと思っている。
ところが、人間革命十二巻、涼風で、池田先生は、戸田先生の口を借りて、その因果関係を似非科学的分析によって説明しようとしている。
とすれば、あの雲仙普賢岳における大噴火も、仏教的因果関係で説明できるのだろう。
平成二年十一月に於ける池田先生の本部幹部会スピーチは、どう贔屓目にみても、品性低劣な宗門批判に終始していた。そして、それに呼応するかのように翌日、雲仙普賢岳が大噴火を起こしたのである。
あの大火砕流の衝撃は、未だに私のみならず、多くの日本人の記憶に生々しく残っている。
そこで、人間革命の戸田先生(池田先生の分身?)の噴火と法難の因果関係の高説(珍説?)を引用してみる。
p12、13
『戸田城聖は、浅間山の山頂を仰ぎながら言った。
「この天明三年の浅間山の大噴火は、その後、何年間にもわたって、大飢饉をもたらし、日本国中の人びとを苦しめることになる。....................不思議なことには、そのころ、日蓮正宗の歴史のなかで、法難がもっとも集中して起こっているのだよ。」
...............
まさに、弘法の芽が、無残にも摘みとられていった時代であった。
戸田は、感慨深く頷く伸一に言った。
「............
しかし、こうした現象が起きなければ、謗法に気ずかないのだから愚かな話だ
結局、噴火は、諸天の怒りの表れかもしれない。」』
この珍説に忠実に従えば、創価学会による宗門の迫害が、雲仙普賢岳における大噴火を誘発したのは、明らかなのだ。
とすると、創価学会は、その甚大な被害額を負担する用意があるというのだろうか?
更に、その珍説に従うならば、五年後の淡路関西大震災も創価学会の宗門迫害が因となっている。
さらに更に言うならば、バブル経済の崩壊に続く、平成大不況もすべては、創価学会=公明党の宗門迫害が遠因(直接の因か?)となっているのだ。
正に、恐るべきは、池田創価学会と言える。
面白いのは、こうした墓穴を掘ったような人間革命の記述は、第十巻にも登場する。
乃ち、第十巻には、ある幹部が、御本尊を勝手に作成した謗法の報い故か、胃穿孔(いせんこう)で悶死したとある。とすると、後継者と目された池田家の次男城久氏の胃穿孔(いせんこう)による悶死は、猊下による許可を得ずに作成した板本尊模刻による、父親の謗法の報いなのは明らかとなる。
まさに憤版ものだ。
85 名前: yuriko 投稿日: 2003/05/13(火) 11:36

>>83続き
テーマ 池田城久氏の胃穿孔(いせんこう)は、父親の謗法の報いだろうか?
誰であれ、死者を侮辱するようなことはしたくない。
尤も、池田先生は、ちょっと違っていたようだ。
長年、奴婢のように仕えた北条浩第四代創価学会会長が亡くなった時は、
「暑い時には、死ぬのは止めようよ」
などと、ブラックユーモアで周囲の重い雰囲気を和らげてくれたし、戸田第二代会長が亡くなった時も、
「戸田先生も良い時に死んでくれたよな?」などと、
真意を計りかねるジョーク?を放ってくれた。
自分の次男が亡くなった時は、どんなブラックユーモアを放ったか、興味あるが、それは、聞かない。それは、さしずめ
「やっぱり、親の因果が子に報いるって本当だったんだな〜」と言った所だろう。
原島崇著
「誰も書かなかった 池田/大作創価学会の真実」の中で一つだけ大きな間違いがある。
それは、池田博正が世襲の下準備の為に米国留学を試みたが失敗した、とする記述だ。
そこは、そのまま次男城久に入れ替えるべきだ。
池田先生の城久氏への期待は、並み大抵のものではなかった。
これは、余談だが、池田先生の元恋人の道子の息子にもこの名前を送っている。
周りから勘繰られないわけがない。
城久氏は、第三期生として、創価大学に進学している。
それがどういうわけか、彼等(三期生)は、自分達を特別だと思い込み、自分達を称して「本門の一期生」などと卒業文集や決意文に書いている。
そうすると、創価大学一期生は、迹門(しゃくもん)の一期生というわけだ。ばかにした話だ。
外部の人の為に説明すれば、本門=本当の 迹門=仮の
みたいな意味合いだ。
池田先生自身、三代目会長就任後、「本門」の広宣流布の指揮を取る、などと嘯いた事がある。先師への侮辱だ。「気概」などという言葉で誤魔かせまい。
その本門の一期生だが、普通なら殆ど下付されない、「お守り御本尊」が卒業の際、全員に配付された。
今から考えれば、あれも一種の偽御本尊だったのは、確かだ。


86 名前: yuriko 投稿日: 2003/05/13(火) 11:40

『普通なら殆ど下付されないお守り御本尊」』ーー1977年当時
続1
そんな城久氏の米国留学は、99%決まっていた。ところが、当時のMR。ウイリアムス氏の不手際で実現されなかった。
もし実現していれば、ひとまず米国理事長に就任して、創価学会会長かSGI会長への足がかりとする予定だった。
本格的世襲は、後の課題だった。
娶った妻も第一庶務出身の超美人だった。
そんな何もかも揃った環境で、帝王教育を受けて育った城久氏だったが、「普通なら死ぬ筈のない」胃穿孔というストレスが原因の病気で呆気無く他界してしまう。
それは、胃に孔があき、出血多量で死ぬ病気だ。文字通り悶死する。
そんな超エリートの城久氏が、米国を訪れた際、創友会で迎えたことがあった。将来、理事長に就任する為の下準備という噂だった。
城久氏への取り扱いは、完全に「池田先生名代」としてであり、創友会メンバーの緊張感は並み大抵のものでなかった。
そんな超大物であったのに、あっけなく27才の若さで亡くなってしまった。
対応した病院『創価学会系)の不手際が原因だった。
医療事故といってもよかった。
創友会メンバーの失望感も大変なものだった。


87 名前: yuriko 投稿日: 2003/05/13(火) 11:44

続2
質問『胃穿孔というのは、通常命取りになるものと聞き及んでおるのですが。』

確かに、急性の場合命取りになる。
というより、殆ど急性だ。しかし、一昔前なら別だが、救急医療の設備が整った病院に搬送され、緊急手術を受ければ、大体助かる。
心筋梗塞、脳溢血、自殺による出血多量など何れも、時間こそが生死の境を決する。
そんな中、日本では、ベット不足の為、救急患者の受け入れ拒否が時にあるという。信じ難い話だ。それらは、医療過失というより医療殺人と呼ぶべきだ。
城久氏の場合も、救急病院で受け入れを拒否された事もあり得る。
しかし、見るから緊急手術を必要としている患者を突き返すことはないと思う。
真相は、学会関係者が、異常事態を外部に漏れるのを恐れたのと、事態を軽く??見過ぎて、患者を学会関係医院に搬送した為、手当ての遅れで、死亡させてしまった。どういうわけか、適切な処置を施さずに何日間も入院させていた。そして、何と、そこの専門が何と、産婦人科だったというから、呆れる。
確かに、産婦人科医といえど、一応内科も診療していた。治療できると思ったのかもしれない。
しかし、緊急患者の場合、やはり設備が整っていないと万一の時がある。判断ミスでは、言い訳にはならない。
日本でも、米テレビ番組ERが放映されているらしいが、救急医療の現場は将に戦場だ。医療活動になくてはならない施設だ。
そんな基本的な状況判断の間違いで、城久氏は悶死してしまった。
それも、搬送先では、どういう訳か、偽名を名乗らされていた。
文字通り、父親の宿業の犠牲になってしまった、哀れな後継者であった。



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from: 21世紀さん

2009年06月08日 19時13分34秒

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「Re:池田/大作作小説人間革命批判 」
79 名前: SGI 投稿日: 2003/05/12(月) 22:19


名誉会長には、多くの「神話」や「伝説」がある。
学会員は、毎日のように40年間うわべだけの偶像神話を聞かされ、ウソも百遍聞かされると「本当かな」と思ってしまう。だが、これら「師弟神話」が、ことごとくウソ・誇張・歪曲であることを言及した。

 ○入信エピソード ⇒ ウソ >>30 >>31 >>33 >>46 参照
 ○出獄・入獄の7月3日 ⇒ ウソ >>15
 ○「大阪事件」 ⇒ 歪曲 >>15
 ○戸田先生の個人教授 ⇒ 誇張 >>15
 ○師弟年齢の一致 ⇒ ウソ >>47
 ○編集者生活 ⇒ 歪曲 >>47 >>74
 ○折伏の名手 ⇒ ウソ >>75
 ○教学神話 ⇒ 誇張 >>75

どうしてここまで「神話」を創作するのか。
詐欺師は、人をだます時、まず自分が信じ込み、その話を確信もって語るから、人はだまされる。つまり誠心誠意のウソをつくのである。今般の数々の宗門批判を語る幹部たちは、まさにその姿であろう。そして語っているうちに、そう思い込んでしまう。ウソが事実になっていくのである。

名誉会長や学会中枢には、「師弟神話」を創作・演出しなければならない理由がある。
それは、第三代会長誕生の経緯がいかがわしいからだ。
『人間革命』は、学会の真実の歴史を綴るものではない。単に自己顕示欲の業にとどまるものでもない。歴史を改ざんし、名誉会長と池田創価学会中枢の存在に正当性を付与するためのものだ。

池田/大作・第三代会長誕生の経緯は、戸田先生の“想い”を裏切る「師敵対」行為にほかならず、それ故、覇権を握った名誉会長らは必死になって、その「師敵対」行為を誤魔化すために、池田/大作を“特別の人”として宣揚し続けなければならないのだ。
現下の学会の“歪さ”の淵源は、池田/大作会長就任にある。まさに戸田先生の予言「学会の敵は内部だよ」は至言だった…。


80 名前: Leo 投稿日: 2003/05/12(月) 23:21

名誉会長は国主ではないのだが学会が国家の中の国家であるならば国主に相当するであろう。
(本来ならば)すべての学会幹部・活動家は次の御書を心して拝すべきであると思う。
(でも、大方はなんちゃって仏法・ニセ仏法だから深く(正しく)考えないのかな..?)
「汝若し知恩の望あらば深く諌め強いて奏せよ非道にも主命に随はんと云う事佞臣の至り不忠の極りなり」
(「聖愚問答抄」、全集、p.493)
「汝忠を存ぜば諌むべし孝を思はば言うべきなり」
(同上)
「仏の正法を弘めん者経教の義を悪く説かんを聞き見ながら我もせめず我が身及ばずば国主に申し上げても
是を対治せずば仏法の中の敵なり、若し経文の如くに人をもはばからず我もせめ国主にも申さん人は
仏弟子にして真の僧なりと説かれて候、されば仏法中怨の責を免れんとてかやうに諸人に悪まるれども
命を釈尊と法華経に奉り慈悲を一切衆生に与へて謗法を責むるを心えぬ人は口をすくめ眼を瞋らす、
汝実に後世を恐れば身を軽しめ法を重んぜよ」
(同上、全集、p.496)

http://www16.ocn.ne.jp/~a1133/925_1052105523.html

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2009年06月08日 19時08分17秒

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「Re:池田/大作作小説人間革命批判 」
75 名前: SGI 投稿日: 2003/05/11(日) 22:42


名誉会長のもともとの本名は「池田/太作」。
長男・博正氏が生まれた時、正式に「大作」と改める。「たいちゃん」「たっちゃん」と呼ばれていた少年時代に触れられることをひどく嫌う。記述は省略するが、複雑な家庭環境にあった。
父・子之吉氏は「強情さま」ともいわれるほどの真言宗の強信者。葬儀も真言宗で行っている。名誉会長が折伏した家族親族は、一応十人兄弟姉妹といわれる中で、兄弟2人だけだという。

名誉会長は1対1の個人折伏がとても苦手。
“人間・池田/太作”を知る人の大半は、入信していないようだ。幹部として指揮する立場を得た時は、自信に満ちたはったりと気配りで成果を出しても、名誉会長自身が紹介者となる個人折伏は、ご本人が語るようにあまりない。
「『折伏しろ』っていうから、私は自分の友だちを十人ぐらいよんだのです。…会長先生がわざわざ、私のおよびした会合に出て下さったこともありました。しかしだれも信心しないのですよ。一生懸命やってもね。みな友だちがはなれっちゃうんだよ」(『聖教新聞』昭和34年2月6日付)。
他人の成果をも自分の手柄にして誇るよりも、素直に御本仏のご照覧に委ねる方が、よほど信仰者らしいと思うのだが……。

戸田先生時代、「教学の石田・行動の池田」といわれていたと聞く。
≪名誉会長の教学歴は、別スレ「初心者に教えてください。 」>178 をご覧下さい。≫

名誉会長が得意なのは“実践の教学”。
大聖人の御消息を切り文して、組織活動の中で状況に応じ、陳列していくやり方だ。この独特な解釈展開が、教義解釈になりがちな講義よりも受けたのである。「私のは対機説法だから、難解な講義よりよっぽどいいでしょう」とのたまう。
会長就任後の『御義口伝講義』や『立正安国論講義』等でも、現代解釈や生活に約した展開は“ヒラメキの人”だけに口述しているが、法義の解説に関しては優秀な教学部スタッフが担当している。40年間、いつもこのやり方で通している。

それでも、名誉会長のこの独特な解釈展開は、昭和30年代でも、1つ1つの組織活動のみならず名誉会長に関わる個人的な言動にも、何か大聖人の深いご法義の裏付けがあるかのような錯覚を周りの青年部会員に与え、“名誉会長は特別なのだ”という雰囲気を生んでいったのである。


76 名前: ソ-ス不明のコピペですが 投稿日: 2003/05/12(月) 16:08

2002/12/13

『戦う愛知の誉れ』
(聖教新聞「随筆 新・人間革命」より)

「昭和四十五年の“言論問題”の前後より、学会は、数人の代議士からも罵倒され、ある時は、テレビを使い、雑誌を使い、演説会を使い、非難中傷された。あらゆる会合で、火をつけるように、悪口罵詈(あっくめり)を煽り立てられた。
 なんという悪逆か! なんという狂気じみた悪口か!
 私自身も、愛知県の代議士から、国会喚問の要求を初めてされた。
 『信教の自由』を侵害する狂暴な嵐であった。理不尽な罵倒の連続であった。
 ともあれ、中部の同志は、血の涙を拭いながら、断固として仏敵と戦う決意を、炎と燃やした。
卑劣な強敵と、真っ向から勇敢に戦った。
 全会員が、極悪の非難に対して、怒鳴り返し、堂々と反転攻撃の闘争を、連日、続け始めた。
 人びとの幸福と平和を願い、基本的人権をもつ市民として、正義の信仰を流布して、何が悪いのか!
 信教の自由ではないか!
 社会の改革に奔走して、いったい、何が悪いのか!憲法に保障された、最も正しい人権闘争ではないか!
 勇気凛々たる中部の同志のスクラムは、敢然として、真っ向から、敵に火を吐く思いで戦い抜いた。
 何人かの臆病者は、逃げた。敵についた者もいる。


77 名前: 続76 投稿日: 2003/05/12(月) 16:10

しかし、今の大野和郎副会長を中心に、すべての真の同志は、未曾有の弾圧の嵐を堪え忍んで、遂に赫々たる太陽の昇るが如き、勝利の中部の堅塁を護り、盤石にしていった」
IDファイルはありません。)
 創価学会・池田/大作さんの散文詩です。共産党の不破哲三さんが紹介したものです(笑)。

 むろん私は共産党は嫌いである。しかし,現在,政府与党に入り込んだ公明党=創価学会を正面から叩くのは共産党ぐらいのものであり,「毒をもって毒を制す」立場はぜひ必要であろう。
 これは池田/大作さんが昭和45年=一九七〇年の言論・出版問題について,自分の心情を歌ったものである。
 前に書いたように,昭和45年=一九七〇年の言論・出版問題とは,創価学会=公明党が,藤原弘達さんの「創価学会を斬る」の出版を,当時の自民党幹事長田中角栄(その秘書の早坂茂三さん,反省しているか?(笑))に頼んで妨害・阻止しようとした事件である。当時,創価学会の組織内では,池田/大作および創価学会批判の言論の自由は圧殺されていた。創価学会=公明党はそれをのぼせ上がって,社会全体へ拡大しようとしたのである。藤原弘達さんの勇敢な対応によって,池田/大作および創価学会批判の言論の自由の圧殺は社会問題となり,池田/大作・創価学会は猛烈な批判を浴びた。
 不破哲三さんによれば,当時,毎日,朝日,読売などの社説は次のようであったという。「毎日」一月十八日「言論出版妨害事件について」。「朝日」二月三日「公明党は徹底的に体質を改めよ」。「読売」二月四日「公明党の抜本的体質改善を」。「毎日」二月五日「公明党の体質改善に望む」。「読売」二月二十六日「議員“脅迫”問題を究明せよ」。「朝日」三月十四日「出版妨害問題の究明を要求する」。「毎日」三月十六日「“言論・出版の自由”究明を」。「読売」三月十九日「出版妨害問題の真相究明を」。
 これだけキャンペーンをやられてはたまらないであろう。当初,公明党・創価学会は、「出版妨害はデマだ」と北朝鮮と同じ白切りを行ったようだが,明白な事実だから,白を切れなくなった。で,その過程で,公明党=創価学会が,自分たちの信仰である日蓮正宗を国の宗教とする国教化をめざしており、国会の議決により「国立戒壇」を建立することを目的としていることも明白になった。他の宗教および宗教結社をすべて「邪宗撲滅」の対象とする記事も当時の聖教新聞には少なくなかった。これらいっさいが猛烈な批判を浴びたのである。
 そこで,ついに七〇年五月三日、池田/大作会長が創価学会本部総会で「猛省」講演を行うにいたったのである。まず池田さんは、「言論妨害というような陰険な意図はなかった」,しかし,「これらの言動が全て言論妨害と受け取られ、関係者の方々に圧力を感じさせ、世間にも迷惑をおかけしてしまった」「今後は、二度と、同じ轍を踏んではならぬと、猛省したい」と述べたそうである。
 しかし,こんなもの猛省だろうか?。事実,言論妨害をした組織が,あるいはさせた人間が「言論妨害をしました。おわびします」と言うのならともかく,「言論妨害したつもりはないが,そう受け取られたのならごめん」と言うのが「猛省」だろうか?。言論・出版妨害は,思想上の傷害行為である。事実,客観的にケガをさせた人間が,相手がケガをさせられたと思うのならごめんなんて言いぐさがあるだろうか?。事実,言論妨害をしました,すみません,もう二度としませんと言って始めて,反省であり,謝罪なのである。これでは金正日の拉致の謝罪と反省のレベルにさえ達していない。
 池田さんの血肉には言論の自由という規範がない。言論の自由は池田の規範ではないが,これだけ批判を浴びるのだから,一応配慮はします,もう二度とばれるような言論・出版妨害はしませんと言っているだけなのである。言論の自由に一応配慮します,あまり公然とは妨害しませんと言うのだって,進化と言えば進化だが(笑),揺り戻しの危険は高い。現在も創価学会組織の中で,いっさいの池田批判,池田に対する正面からの批判はもちろん,皮肉,からかい,ヤジ,ちょっとした不平不満のような批判も許容されていない以上,揺り戻さないとすれば,組織の外の力関係によっているだけである。公明党の支持率3%ではむちゃはできなというだけのことである。池田に対する批判の自由が確立されない限り,創価学会は本質的に金正日の朝鮮労働党と同じ体質の組織であると言わざるを得ない。創価学会組織の中で,池田/大作批判の言論を全面的に圧殺している以上,池田/大作は社会的にはまだ少数派の金正日にすぎない。
 で,「戦う愛知の誉れ」における怒号となる(笑)。池田は全く「猛省」などしていないことが暴露されている。


78 名前: 続続76 投稿日: 2003/05/12(月) 16:11

池田,いいか,人間には言論の自由が食糧と同じほど必要だ。いや言論の自由などという固い言い方では不充分であり,何でもくっちゃべられる自由とでも言った方がいいほどだ。池田,おまえ何や,美食に耽ってぶよぶよの顔しやがって,それでも宗教家か,アホなどという言論を自由に言えないような組織は屑である。
 この散文詩の中で,人間にとってめしや命と同じほど大切な自由を妨害したことを批判されたことに池田/大作は逆上している。もうそこに池田/大作および創価学会のダメさ加減が暴露されているのである。人間にとってめしや命並みに大切な言論の自由を妨害したことに対する反省と謝罪が全くない。
 それほど大切なものを妨害したら,くそみそに批判されるのは当たり前である。何が「悪逆」だ,何が「狂気じみた悪口」だ,バカが。お前のした言論・出版妨害こそが,傷害・殺人と同等以上の悪逆なのであり,狂気じみた悪行なのである。国会喚問されるのだって当たり前である。おのれに恥じるところがないのなら,堂々と出ろ。大体,情けないではないか。日蓮なら,絶好の説法の機会と見なして喜んで出るのではないか。言論の臆病者め。
 誰も批判しない,誰も正面からの批判はもちろん,皮肉,からかい,ヤジ,ちょっとした不平不満のような批判もしない。みんながあんたの奴隷,乞食として振る舞うような場でしかしゃべれない奴が,何が池田先生だ,アホくさ。
 「『信教の自由』を侵害する狂暴な嵐であった。」と?。お前がまず言論の自由に対して狂暴な侵害をした。では,逆襲は当たり前であろう。それに,他人のくっちゃべりを妨害する信教の自由なんかあるわけがねーだろ?。他人の自由を妨害し,圧殺しようとする奴には自由など与えられないのである。「最も正しい人権闘争」だと?。他人の人権を理不尽に侵害した奴は,人権の資格を剥奪されるのが当たり前なのに,池田/大作は自己正当化に突っ走っている。
 言論の自由は空中でかまいたちのように侵害されるのではない。池田/大作や金正日のように,自分に対する正面からの批判,皮肉,からかい,ヤジ,ちょっとした不平不満のような批判のすべてを許容できない不寛容な人間によって侵害されるのである。自己肥大が過ぎ,しかも実は自己のみみっちさを骨の髄まで知っていて自信がなく,他人からの批判のいっさいに寛容になれない男(女),これこそ自由と民主主義の不倶戴天の敵なのである。
 たしかに創価学会は現在,マスメディアの舞台上では随分と穏和なようである。しかし,組織という地下室では,池田/大作批判の全面的,徹底的な圧殺が行われ,すべての成員が池田/大作に対する奴隷・乞食として振る舞うことを要求されているというのが現実であろう。池田/大作は猛省しなければならない。くっちゃべる自由を全成員に与えなければ,創価学会に未来はない。自由国家の中の,金正日の朝鮮労働党となるしかないのだ。
 くっちゃべるのが好きな創価学会の君,なんで池田/大作の乞食や奴隷になってるわけ?
 で,老婆心ながら,不破哲三さん,共産党も大改革した方がいいと思うよ(笑)

ところで、公明党はどうでしょうか。1972年6月7日付の「公明新聞」には、北朝鮮に代表団を派遣して金日成(キム・イルソン)をほめたたえる共同声明がでています。北朝鮮の国際的無法が明らかになっていた時期でした。97年10月10日付の「公明新聞」には、金正日(キム・ジョンイル)総書記就任にあたって、礼賛の祝電を送っていることも報道されています。数々の北朝鮮の無法に批判の声もあげず、迎合を続けていたのは、公明党ではありませんか。さらに公明党は、85年に拉致事件の容疑者である北朝鮮の工作員が韓国で逮捕されたことに対して、容疑者の「釈放を求める要望書」に署名をしたり、97年12月東京都議会に出された拉致事件の解明を求める意見書に反対し、「韓国による北朝鮮への攻撃だ」という根拠のない北朝鮮側の言い分を代弁しているのです。公明党こそ拉致事件の解明に妨害的な態度をとってきたということではないでしょうか。



http://www16.ocn.ne.jp/~a1133/925_1052105523.html

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from: 21世紀さん

2009年06月08日 09時27分24秒

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「Re:池田/大作作小説人間革命批判 」
70 名前: Leo 投稿日: 2003/05/10(土) 23:00

>>66-68 yurikoさん。
>私は、主に人間革命第十二巻を取り上げて、その人権蹂躙的記述を批判してきた。

>存命中の人物を無許可?で登場させて、扱き下ろす作者の神経に唖然とせずにはおれない。

>池田先生の偽善に溢れた若き日々を知る竜は、「知り過ぎた男」になってしまったのだ。

>どう考えても、創価学会が人道主義を掲げ、人権問題に本気で取り組んでいるとは
>思えないのだ。実に胡散臭い団体だ。

『人間革命第十二巻』は他の巻から後に1993年出版されたものですが、このようなウラが
あったことは興味深いです。竜氏の発言や著作をチェックしてみたくなりました...


71 名前: SGI 投稿日: 2003/05/11(日) 00:32

yuriko さんが、『人間革命』の記述に基づき論及されていることを邪魔する所存は全くありません。
ただ私自身は、今『人間革命』を読み返す気持ちにはなれないのです。嫌悪感が先立ち、触れたくもない心境です。

しかし、第12巻は、昭和33年の学会が舞台です。「3・16広布の模擬試験」における一連の流れの中で、戸田⇒池田の“エレベーター相承”があったとされる、学会の歴史にとって大変重要な事柄を記述するところです。
“エレベーター相承”は、敷衍すれば「師弟神話」(王権神授説)の最大エポックです。そこで、師弟神話の虚構と第三代会長就任の経緯について、『人間革命』の描写から直裁的には離れておりますが、私なりに言及したくレスしております。

竜年光氏の告発手記『池田創価学会を解散せよ』(日新報道刊)は、名誉会長の尊厳性に対する重大なトゲとなって突き刺さっております。なにしろ、戸田-池田の師弟神話に関するエピソードが全て「作り話」であるということを、当事者が暴露しているのですから。
山崎氏や原島氏は、名誉会長が第三代会長に就任し、独裁者・絶対者として君臨してからの名誉会長の実態を暴露していますが、
竜氏は、名誉会長の先輩として、会長就任前の実態を公表しております。それだけに“師弟の道”を説く学会にとって、名誉会長の尊厳性や学会指導の根源性を根本から否定することになりかねず、神経質にならざるをえないのです。そこで、いかに竜氏が人間として破人格であったかということを執拗に綴るのでしょう。

竜氏の手記によれば、33年3月の大講堂落慶法要や広布の模擬試験の「車駕」(輿)は、戸田先生の全くの意向ではなく、名誉会長が勝手に勘違いをし作らせ、戸田先生から烈火の如く怒鳴られたことが記され、この頃の名誉会長の言動を、戸田先生が不快に思っていたことを明らかにしております。


72 名前: yuriko 投稿日: 2003/05/11(日) 16:46

今までの人間革命への批判文の中で、最も印象に残っているものは、文芸春秋に掲載された井上ひさし氏の書いたものだった。
(正確な年月日は忘れた)
その中で氏は、同書を「むずかしい書」と呼んだ。読んで行く内に何で、氏は、何故、わざわざ同書をひらがなで「むずかしい書」と書いたのか解って来る。氏は、同書を本当は、「はずかしい書」と呼びたかったのだ。氏らしいパロデーと言える。氏によれば、山本伸一というスーパーヒーローが縦横無尽の活躍をする姿が何とも不自然に格好良すぎるのだ。その人物が、現実に生きている著者その人だと言う事が露骨に明らかとなれば、そこに「恥知らず」という言葉がぴったり当て嵌まるのだ。そこでは、日本人が伝統的に美徳として重んじてきた、「控えめ」とか「人を立てる」などの徳が無造作に吹き飛ばされている、と井上は述べている。
全くその通りだと思う。私は、主に人間革命第十二巻を題材に批評しようと思う。
まず、同書の最初の章「涼風」では、戸田が山本と森川の二人の弟子を引き連れて軽井沢の浅間山の噴火口を覗きながらのやりとりが描写される。
山本は、言うまでもなく池田先生で森川とは、森田理事長を指しているのは、会員の間では、常識だ。森田理事長は、東大出身で、同法華経研究会に所属し、戸田先生から直接訓薫を受けて来た学会のエリート中のエリートである。その森川は、物語りの中では、見事にピエロを演じている。それは、勿論、スーパーヒーロー山本を際立たせる為だ。
p8
『「すごいですね」
森川は、こう言ったきり、次の言葉が続かなかった。』
そして、我等がヒーロー山本青年は、様々な鋭い質問を戸田にした挙げ句に、戸田著作の小説人間革命の感想を見事に述べ、自らが「続人間革命」を書く事が、戸田から暗黙の内に託されていた事を白々しく述べている。そういう白々しい池田先生の自己顕示欲を井上は、「はずかしい」と呼んだのだ。


73 名前: yuriko 投稿日: 2003/05/11(日) 16:49

私は、小説人間革命は「はずかしい」書である以上に、人権侵害の書だと思う。
その傾向は、第十二巻で特に顕著だ。
人間革命第十二巻では、宗門批判を露骨にやり始めた事と並んで、所謂学会反逆者に対する人格攻撃が明からか様に行われている。登場人物が誰だかわかるだけに、その描写は無惨を窮める。
その中で、滝本欽一に次いでも悲惨な人格の持ち主として描かれているのが、藤川一正である。
藤川とは、藤原行正氏の事である。
藤川は、部下を無造作にこき使った挙げ句に、事故死に追いやった鬼上司として描かれている。
その上、責任逃れの為か、葬式にも顔を出さずじまいの「破人格者」として登場する。
彼は、そんな破人格に加えて、異常に功名心も強いとされている。
p257
『戸田城誠は、翌日、藤川が通夜にも参列しなかったと知ると、顔を真っ赤にして激怒した。
「なにッ!藤川は人間として許せん。先輩でありながら、無責任極まりない態度ではないか。今後、藤川のことは、いっさい信じるな!」』
こういう戸田先生の遺言があったにも拘わらず、池田先生は、言論出版妨害事件の折には、重要な密使の役を藤原氏に最初に演じさせている。そして、藤原弘達氏をして「小物を派遣して、生意気だ」と言わせ、その後の事態の進展を悪い影響を与えた。戸田先生の遺言を真面目に受け取らなかった池田先生に責任の一端はあるとも言える。
さらに藤川の妻が登場するのは面白い。
彼女こそ池田先生の元恋人渡辺(旧姓松川)通子の姉であり、池田先生を振った事があり、池田先生から逆恨みされていたのだ。
p250
『.....女子部の幹部である松田幾代と結婚するが、彼の名聞名利を欲する心はますます強くなったように思えた。
戸田は、怒りをこめた声で山本伸一に言った。
「藤川は、一将功なりて万骨を枯らすことになる。とんでもないことだ。しかし、女房も女房だ。あの見栄っぱりの性格が。ますます亭主を狂わせている。悪いのは女房だ。」』
ここまで特定の人物を誰とわかるにも拘わらず、露骨に描写し、バカにするとなると、人権侵害行為は明らかである。公共性や真実性が問題となる名誉毀損罪とは、別に侮辱罪が成立すると思う。それに、死人に口無しとばかり、師を利用して語らせている点は、毎度の事ながら、池田先生の目的の為には手段を選ばない悲惨な人格が現れている。
尤も、過去に於ける「私小説に登場する人物描写」に絡んだ裁判所の判例では、著者の裁量を大幅に認めるものと、認めないものの両方があっただけに、人権侵害を立証するのは、難しい点はある。しかし、争点はあると思う。


74 名前: SGI 投稿日: 2003/05/11(日) 22:40

>>47 自己レスの続き

貸金の取立てなどに辣腕をふるい、金回りのよい名誉会長は、
田代冨士男元参議院議員の手記『将軍学を学ぶ』など、多くの資料でも明らかなように、
会員に対して頻繁に万年筆やライター、念珠、交通費等をあげたり、ビスケットや饅頭、チョコレートといった菓子類の差し入れ、ラーメンやカレーライス、時には寿司などをおごる。
こうした“気配り上手”が、金の世界で誰よりも「生き金・死に金」を学んだ名誉会長の最大のセールスポイントとなった。

戦後の新興宗教ブームは、一般に「貧乏・病気・争い」からの救いを求めて起こったといわれる。再建当時の学会も「貧乏人と病人の集まり」といわれ、ご多分にもれなかった。誰もが貧しかったのである。
そこに、戸田先生の下で働き、妙に金回りがよく、いろいろと“気配り”してくれ、時には「ベートーヴェンを聞こう」なんてことを言い出す、こざっぱりした若いやり手いる。クラシック音楽などには縁がなかった人々であるだけに、畏敬の念も生まれよう。
こうして、組織内で幹部として出遅れた分を取り戻すどころか、名誉会長を中心とする親分子分にも似た集団が青年部の中に生まれていったのである。

http://www16.ocn.ne.jp/~a1133/925_1052105523.html

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from: 21世紀さん

2009年06月08日 09時21分06秒

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「Re:池田/大作作小説人間革命批判 」
63 名前: yuriko 投稿日: 2003/05/10(土) 05:10
最初にこの小口偉一編『新心理学講座』の池田インタビューを読んだ時は、その真偽を疑ったが、
池田先生の生い立ち等を考えると、それは、真正のものだ。
その感想は、『こいつとだったら、友達になれそうだ』という好感だった。しかし、その後に本人が辿った輝かしい『人間革命』のお陰で、池田先生は、今や日本で最も嫌われている人物になってしまった。
池田先生がその過程で身に付けたものは、周りの錯覚を己が自覚とした上で、嘘で固めた得意の演出で、自分を偉そうに見せる処世術だけだった。哀れとしかいいようがない。
私は別にコピペのみをしているわけではない。自分の意見を述べるのに必要な資料として提示しただけだ。
個人的には、創価学会の社会に果たして来た役割を高く評価している。そこには、少なからず池田先生の果たした部分もあるだろう。しかし、池田先生=創価学会=公明党には、あまりに欺瞞の歴史が多すぎる。
北朝鮮もよもやと思われたのに、その厚い壁を開きつつある。創価学会に於ても、「人間革命」に代表される嘘で固めた歴史に終止符を打ち、より民主的な開かれた、正直な団体に生まれ変わるべきなのではないのか?
66 名前: yuriko 投稿日: 2003/05/10(土) 20:23


私は、主に人間革命第十二巻を取り上げて、その人権蹂躙的記述を批判してきた。
作者は、言うまでも無く池田先生である。
ゴーストライターの手になる部分が大半だろうが、池田先生の思考パターンか如実に現われているのは確かだ。特異で陰険な表現で反逆退転者を揶揄した挙げ句、粉微塵にその人格を砕く残酷なやり方には、池田先生の面目躍如たるものがある。
その中で、最も悲惨な人格の持ち主として描写されているのが、「滝本欣也」つまり、「竜年光」でる。
かれは、十二ページにも亘り登場する。
存命中の人物を無許可?で登場させて、扱き下ろす作者の神経に唖然とせずにはおれない。
竜の登場の仕方が面白い。
『ある時、報告にやって来た参謀の滝本欣也が、戸田にたずねた。
「................もはや、敵はなくなったと思います。これからの学会は、何を敵として進んでいけばよいのでしょうか」
(戸田先生)「敵は内部だよ」................
滝本は、.....ますます仕事の手を抜くようになっていった。』
つまり、竜の破人格は、とっくに戸田先生の見通す所で、いつか反逆すると面と向かって宣言していたというのだ。
もし、これが本当なら戸田先生は、余程陰険な性格の持ち主だったのだろう。
竜は、仕事を放って『(学会活動の為に)さっさと帰ってしま』ったり、昼休みに勝手に『大学者ぶって御書の講義を始めた』りして、職場に多大な迷惑をかける人物として描かれている。
義弟となった竜に対して、『酒田(誰かな?)は、会合などで見せる幹部の顔とはまったく裏腹な、彼(滝本)の実像を見せつけられて来た』と思っていた。
実に辛辣な表現だ。


67 名前: 続1yuriko 投稿日: 2003/05/10(土) 20:27

そんな破人格の典型である竜は、第四部隊長となり、『伸一は滝本の部隊の班長となった。』これが、竜にとって、生涯の仇になった。
池田先生の偽善に溢れた若き日々を知る竜は、「知り過ぎた男」になってしまったのだ。
『そのころ、......時に喀血さえしながら、病身に鞭打ち、壮絶なまでの戦いを展開していたのが山本伸一であった』が、実際は、会合をサボって、映画などを見ていた
この事は、池田先生が自ら、後に公開した若き日の日記で明らかにしている。
{別にいいんじゃないの?でも嘘はよくない....}(私の独り言)
そして、
『.伸一は、この日も、やむなく仕事のために欠席せざるをそえなかった。』
『滝本は、伸一が欠席しているのを知ると、冷たく言うのであった。
「山本は退転だよ。また欠席だ」』
池田先生、もう嘘はばれちゃったんですよ。
『戸田は、以前から、滝本の壮士気取りの生き方を憂慮しつずけ.....(滝本に)善意の人を自分の為に利用する心が芽生えたのであろう。』と分析させている。
つまり、戸田先生は全く竜を信用していなかったとしているのである。
さらに、終に酒田は、だらしない上、無責任な義弟の滝本を解雇してしまう。
滝本はさんざん悪たれをついて辞める。しかし、どう言うわけか、酒田の家に居座り続ける。
何か腑に落ちない。不自然だ。やはり、解雇の背景には、やむを得ぬ事情があったのではないか?
そんな破人格者の竜を、戸田先生は『腐っても私の弟子であることに変わりはない。』として、忍耐強く訓育し続けたとしている。
そして『滝本は、戸田の指導によって、かわっていったように見えた。そして
滝本は、品川の区議会議員となった。』
メデタシ、メデタシ。しかし、ここで終わりじゃないのだ。


68 名前: 続2yuriko 投稿日: 2003/05/10(土) 20:31

さらに続けて、戸田先生は池田先生にこっそり言う
『滝本はいつ退転してもおかしくない男だ。だが、そんな男だからこそ、まともな日の当たる人生行路をあるかせてやりたいと思って、私は、滝本を育ててきたんだよ。...........
伸一、仏法者というのは、騙されても、騙されても、最後まで相手を信じ、つつみながら、再起と更生を願って、手をつくしていく以外にないのだよ』
そんな怪し気な人物だと戸田先生はわかっていたなら、絶対に大幹部に任命したり、その行動によって学会の社会的評価が左右される議員に推薦などするべきでなかった。
さらに、続けて
『しかし、ひとたび、学会に牙をむき、仏子の和合を破壊しようとしてきたなら、その時は、徹底的に相手を叩きつぶすまで戦うんだ。』
もし、戸田先生が自分が育てた弟子に対してこう思っていたとしたら、戸田先生こそ嫌な人格の持ち主の典型だったと言える。
ただ安心できるのは、この事は、毎度のように戸田先生が池田先生だけにこっそり話していた。
従って、人間革命の今までのパターンとして、この部分は、100%作者の創作と見た方がいい。
さらに結びが強烈だ。
『(三年後)
(戸田)は、滝本をまじまじと見詰めて、もう一度、言った。
「敵は内部だよ.......」』
池田先生は、自分の師匠の陰険ぶりを実に見事に描いている。
結局、『仏法者というのは、騙されても、騙されても、最後まで相手を信じ、つつみながら、再起と更生を願って、手をつくしていく以外にない』だから、
創価学会員も池田先生から、騙されても、騙されても、最後まで池田先生を信じ、つつみながら、池田先生の再起と更生を願って、手をつくしていく以外にない。
でもちょっと気ずくのには、遅すぎた気がするのだ。
池田先生は、余程竜氏が気に入らなかったのだろう。
後に恭しく公開した「若き日の日記」では、竜氏は、Rとして登場して、「バイク事故の弁償金を学会が負担したにも拘わらず、礼の一つも言わない嫌な同志」として登場する。
私にも経験あるのだが、気持ちがあまりにも落ち込んでいたりすると、常識的なマナーまで忘れてしまう事がある。
後で、しまったと思うが遅すぎたりする。そして、せめて自分が逆に人を助ける立場になったら、相手の気持ちがよくわかる故に、あまり厳しい態度を取るまいと思うのだ。
もっとも、いずれの立場もあまり歓迎したくない。
「若き日の日記」で、もっと注目すべきは、竜氏の妻に対する批判的見解だ。
竜氏が「礼も言わぬ嫌な同志」と書いた後、続けて、「特に女房の態度が気に入らない」などと書いている。
池田先生の人間性のパターンとして、こうして敵対者?の家族のものまで攻撃するのだ。
既に、藤原氏の妻「幾子夫人」「日顕上人の妻や息子」「竹入氏の妻や息子」なども容赦なく人格攻撃されている。
ねらいは、「お前等、もし反逆でもしてみろ、お前だけじゃなく、家族、親類、友人関係すべてに塁(るい)が及ぶのだ」という脅しなのだろう。
竹入氏などの場合も、かつての同志達の口から薄汚い人格攻撃や秘密の暴露がされるのも当然といえる。
どう考えても、創価学会が人道主義を掲げ、人権問題に本気で取り組んでいるとは思えないのだ。
実に胡散臭い団体だ。

http://www16.ocn.ne.jp/~a1133/925_1052105523.html

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2009年06月08日 09時14分33秒

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「Re:池田/大作作小説人間革命批判 」
46 名前: SGI 投稿日: 2003/05/08(木) 20:29

>>42 yuriko さんへ
>とすると、竜氏の発言「池田青年は、会場に居た」というのは間違っていたのだろうか?
 そうでもないんじゃないか?
>つまり、戸田先生と池田先生の出会いは、少なくとも最初は、何の変哲も無い凡庸なものだった。よくある話だ。

その通りだと思います。
>>31 でご紹介した部分の前段には、三宅さん宅が蒲田の拠点で、戸田先生の月例の「立正安国論」講義の会場だったことをお話されております。そこで、三宅さんのお姉さんが同窓生だった名誉会長を連れてきたことは、話の流れの中で容易に頷けられるところです。
ただ、小説『人間革命』の描写が「全く事実は違います。」と明言されていることと、
きちんと自己紹介をし戸田先生に面識をいただいたのは、昭和24年1月の、三宅さんのお母さんを通じての就職依頼の時だったということです。

したがって、yurikoさんがご指摘されているように、天皇制や愛国者等の質問や即興詩を朗々と詠んだというのは、全くの脚色・創作でしかないでしょう。まさに“神話”創りなのです。


余談を1つ。
興味深いのは、名誉会長が御本尊下付の後、「家に帰っても三日間おがまずにほっておきました。三日目にものすごい雷が鳴って、私の上ばかりでゴロゴロ鳴って、私ばかり狙っているように思ったので、そのとき思わず南無妙法蓮華経と口をついて出ました」(小口偉一編『新心理学講座』より)と、雷への恐怖心から信心を始めたと語っていることです。

宗教改革の流れを生み出したマルティン・ルターは、大学で法律を学んでいたのですが、ある日、目前に雷が落ちて死の恐怖の中で、修道士になることを誓い、1505年に修道院に入りました。
雷は、信仰心を呼び目覚めさすのでしょうかね。

名誉会長は、今般の宗門vs学会抗争が起きる前、側近幹部を前にして
「俺は、マルティン・ルターになる。日本では宗教改革の歴史がなかった。今、それをやるのだ。坊主とケンカをするのだ。もしもの時でも、大聖人の仏法を掲げて、外から宗門を攻めていく」と語っております。
ご本人は“新教の確立”をめざし、改革者気取りなのかもしれませんが、所詮脂ぎった無知性な俗物然としたおっさんにしか思えないのは、私だけでしょうか。


47 名前: SGI 投稿日: 2003/05/08(木) 22:20


 名誉会長の入信は、昭和22年8月。昭和3年1月生まれの名誉会長は19歳だった。この「19歳」も、師弟神話に脚色する。つまり「牧口と戸田」「戸田と池田」の出会いにおける師弟の年齢が一致する、というウソである。

 「牧口と戸田」の出会いは、牧口先生が東京・西町小学校の校長時代〔大正8年12月12日〜9年6月22日の半年間〕。ところが2人の出会いの正確な日付が明らかではない。様々な資料に当たったが、曖昧で確定しないが、「48歳と19歳」か「49歳と20歳」のいずれかになる。

 一方の「戸田と池田」は、昭和22年8月とすれば、戸田先生が47歳で名誉会長は19歳。そこで、弟子の年齢を「19歳」と限定しても、牧口:48歳で戸田:47歳で一致しない。つまり、「48歳と19歳」で一致し「仏法の不思議」とか「尋常ならざる因縁」という師弟神話は成立しないのである。


 さらに名誉会長が、戸田会長の事業に従事した日付も資料によってマチマチだ。また「出版業(編集者)」なのか「信用組合・金融業」なのかはっきりしない。

 とりあえず『革命の大河』に基づき、昭和24年1月、雑誌編集者ということにしておこう。ところが『冒険少年』は同年8月に『少年日本』と改題され、10月には廃刊となっている。この時、戸田先生は全社員の信用組合への異動を命じている。つまり名誉会長の編集者生活は、最大限に見積もっても1年弱。
 
 信用組合は、翌25年8月に業務停止命令が出され、戸田会長は同年秋に大蔵商事を設立。名誉会長に営業部長を命ずる。したがって戸田先生の下で従事した仕事の大半は、保険代理業や高利貸し、手形割引等を営む大蔵商事の“営業”である。
 名誉会長は、編集者であったことをいろいろな機会で得意気になって公表している名誉会長だが、高利貸しの“営業”だったことはひたすら隠す。

 信用組合が26年3月に正式に解散すると、戸田先生は学会第二代会長に就任。大蔵商事の業績も、信用と顔がものをいう世界だけに、顧問の戸田先生が会長を務める学会の発展に伴い、急速に好転していく。
 信用組合の清算中は給与の遅配や分割払いもあったが、解散後は、歩合給の池田/大作営業部長も、債務者への取立てに辣腕ぶりを発揮し、相当の高給を得るようになった。あの住宅事情が悪かった時代にもかかわらず、20代の若さで家持ちとなるほどだ。
 この経済力が、学会組織内で幹部として出遅れた分を取り戻す源泉となったのである。

http://www16.ocn.ne.jp/~a1133/925_1052105523.html

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from: 21世紀さん

2009年06月08日 09時09分01秒

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「Re:池田/大作作小説人間革命批判 」
42 名前: yuriko 投稿日: 2003/05/08(木) 11:13

その後、昭和二十四年の一月、池田が二十一歳のとき、蒲田工業会に勤務していた彼を、私の母が、日本正学館を経営されていた戸田先生に、「よい青年がいる」と、初めて紹介し、就職を依頼しました。池田の学会での仕事の出発点がここであり、私は、このときのことを今でも鮮明に覚えています」(『大白法』平成15年3月16日付)。

とすると、竜氏の発言「池田青年は、会場に居た」というのは間違っていたのだろうか?
そうでもないんじゃないか?
(名誉会長を学会の会合に誘ったのが三宅さんの実姉)なのだから、本人以外、証明できない。
また、竜氏のいよれば、その座談会会場には、森田青年(後の理事長)も居たというが、池田青年のことは、全く目立っていない為、全く記憶になかったそうだ。
竜氏によれば、池田青年が座談会場に居たことは、竜氏以外に記憶に残ってさえいない。
『戸田先生に、「よい青年がいる」と、初めて紹介し、就職を依頼』とすると、
戸田会長さえ、池田青年のことは、記憶に残っていなかった。
こんな事はよくあることで改めて言及する必要さえ感じられない。
つまり、戸田先生と池田先生の出会いは、少なくとも最初は、何の変哲も無い凡庸なものだった。よくある話だ。
問題は、池田先生が悪智慧を出して、戸田先生を利用した挙げ句、自分が入信した場面を脚色をグロテスクに施した事実だ。
創価学会では、古来から「入信記念日は、第二の誕生日」などと嘯いてきた。
ところが、池田先生の醜悪とも言える権力への野望は、そんな大事な「入信記念日」さえデマによって粉飾(ふんしょく)した。その目的は自分が「神」になることに他ならなかった。


43 名前: yuriko 投稿日: 2003/05/08(木) 13:31

前にも書いたが、聖教新聞に時折連載される随筆人間革命は、主に会内むけであり、それだけに作者?池田先生の本音が窺われて興味深い。ときには、露骨に反学会勢力への怨み事を書いている。外の社会に対しては、神妙な反省の態度を示しながら、内部向けには、怨み事を縷々と書いている。
  小説人間革命は、新旧併せて、20巻になろうとしているのに、そういう性質の書物故に、市場に発刊されたのは、何と文庫本の一冊だけだ。もっとも、最近では、インターネットの急速な普及により、そんな内部向けの内容でも、一般で容易に閲覧できるようになった。
  書店などで唯一取得できる聖教新聞社発行の「随筆人間革命」では、作者が思わず真実の執筆背景を書いてしまう箇所がある。
「ともあれ、執筆にあたって、今までも多くの方がたにご協力を戴く。..........とくに私を激励してくれたS氏にいたっては、資料の収集はもちろんのこと、文体の運び方、文章の調子、結構までご協力を戴き、感謝の言葉もない。益々のご協力をただ乞う。」(p47)
さらに興味深い記述がある。
「多量にわたる原稿書きは、最早、万年筆では不向きである。....鉛筆のほうが能率があがるからと、....一月中旬より実行。」(p47ー8)
「『人間革命』の執筆直前までは、恩師の出獄は巣鴨が通説となっていた。この通説はかなり抜きがたいもので、私はS氏らに詳しく調べてもらったものである。」(p70)


44 名前: 続yuriko 投稿日: 2003/05/08(木) 13:33

これらの記述からは、一体池田先生は、何をして、同書を自分の著作としていたのか不思議に思う。資料の収集はしない。基本的文さえ書けない。それなのに、堂々と、自分の名を冠しているのだ。
後に、人間革命の代筆を疑われて、大量の直筆の原稿が会員の間に配られた。私もその恩恵?に浴したのだが、それは、万年筆で書かれたものだった。当時は、感激したものだったが、これを読むと、普通は、鉛筆書きだったことがわかる。そうすると、あの万年筆の原稿は、代筆者が仕上げた原稿を写し、さらにそれをそれらしく、万年筆でなぞったものだったようだ。それにしても、上から様々な手直しが加えられていて、本物みたいだった。手の込んだことをすると思う。
「新聞をつくろう。.....俺が社長になる。伸一は副社長になって出発するのだ」(p122)この会話が持たれたのは、昭和25年としている。
池田先生が入信したのは、これよりほんの三年前だ。池田先生は、やっと教学部助師、つまりやっと入門レベルに辿りついただけだ。役職は、やっと班長になったばかりだった。
一方、後に池田先生のライバルとなる石田次男氏は、既に、教授という教学部最高の地位に就いていた。更に、御書の編集発刊や当時の唯一の教義解説書である折伏教典の中心的執筆者であった。役職も、青年部の第一部隊長という栄光の座にあった。そんな中で、戸田先生が石田氏を差し置いて、池田先生に新聞の発刊の相談をしたり、副社長に内示したりするのは、不自然というものだ。
後に両者と戸田先生との距離は、逆転してしまうのだが、ライバルの功績を全て盗むやりかたは、陰険そのものだ。
  それでも、この随筆人間革命執筆当時は、石田氏に対しては、それなりの気使いが伺える。
「その後、社に帰り、ただちにスタッフの人選に入った。.....その最初の編集長として、選ばれたのが、後に名編集長とうたわれたI君である」(p122)
I君とは、言うまでもなく、石田氏のことだが、晩年、聖教新聞社の専務とはなったが、最終的には、窓際に追い込まれた挙げ句に、退転反逆(創価学会に対して)をした。
人間革命12巻では、辛辣に批判されている。最期は、60代の若さでこの世を去ったのだが、その葬式には、弟の幸四郎氏(三代目公明委員長)は出席していない。まさに憤死したと言える。
何故に、池田先生は、名編集長とまでうたわれた人材を活用するどころか憤死させてしまったのだろうか?池田先生のリーダーとしての力量に疑問を投げかける、一つのエピソードだ。
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from: 21世紀さん

2009年06月08日 08時55分35秒

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「Re:池田/大作作小説人間革命批判 」
37 名前: yuriko 投稿日: 2003/05/08(木) 07:00

池田先生は、最近の「随筆人間革命」(平成14年8月25日)において、しつこく自分の入信秘話を美化している。
抑、何への「入信」だったのが大いに疑問だ。せめて、死ぬ前に正直になったらどうだらう?
池田先生は、最近でも戸田先生は、軍国主義に反対して牢に入ったと強弁しているが、そんな事実はない。これは、かつては、『戦争に反対して.....}』という言い回しより前進しているが、池田先生得意の誤魔化しの論法だ。
正しくは、「戦争の遂行方針の方法論で、時の政府と対立した為」だ。
戸田先生や牧口先生は、日蓮大聖人の御本尊を奉じてさえいれば、戦争に勝利できると信じて居た。
聖教新聞に随時掲載される随筆人間革命は、主に内部向けであり、そこには、池田先生の本音がよく現われている。言いたい放題の嘘が書き連ねてある。
8月24は、一応池田先生の入信記念日になっているが、抑、何に対する入信だったのだろうか?
『昭和22年8月14日のよる。私が人生の師と仰いだ戸田先生と大田区の座談会場より御会いしてより、満55年。私は、即座に戸田の弟子たることを決意した。』
竜年光氏(後に第4部隊長、青年部参謀)は、此の日、その座談会の司会をしていて、池田青年は竜氏のすぐ後ろに座った。それで、竜氏のみが、池田先生をよく憶えていた。他にも、辻副会長もいたが、池田先生の事は全然記憶になかったそうだ。それほど池田先生は、目立たぬ男だった。
池田先生は、天皇制について質問をし、そのあと何やらメモらしきものを取り出して、読み出した。
ところが、あまりに、ぼそぼそ喋っていた為に、誰も何を言っているのかわからなかったそうだ。座は完全にしらけた上、池田先生は、無礼にも途中で帰ってしまったそうだ。
それで、池田先生は何か癪に障って、創価学会本部に再び、友達と連れ立って行った。
理論で負けたら、入信すると言って、当時の教学部長の小平氏と論争した。ところが、全く太刀打ちできないで、5時間も締め上げられ、入信を渋々する事になる。随分と随筆人間革命の記述とは隔たりがある。


38 名前: yuriko 投稿日: 2003/05/08(木) 07:02

37の続き
『入信を決意し、大田区から向かった杉並区にある寺院までお道のりは、肺病と肋膜を病んだ私には、随分と遠く辛く感じられた。
入信の儀式の勤行も唱題も、それは長く感じた。慣れない長時間の正座で、足は痺れた。』←---池田先生の日蓮正宗寺院に対する逆恨みは、ここまで逆登れる。だからこそ、池田先生は、勤行をサボり、怠行を皆に勧めているのだ。
『私もまた、青年の直感で、「戦争中、平和の為、仏法の為に投獄された、この人に付いていける」と確信したのであった』
これも全くのデタラメだ。本当は、『前の信者さん達が、牢獄に行ったことで、恐ろしかった』と二の足を踏んだのが、真相だ。
『ちなみに、その「立正安国論」が鎌倉幕府に提出された文応元年の7月16日は、当時の西暦であるユルウス暦では、1260年の8月24日に当たるようだ』
得意のこじつけだ。吐き気がしてくる。それで自分は、日蓮大聖人の再誕とでもいいたいのだろうか?
『侘びしく粗末な西神田の学会本部では、戸田先生の法華経の講義があった。
疲れ切った我が身をはげましながら、青年らしく求道の道を走った。どんなに多忙でも、必ず講義に出席した。』
これも、大嘘で、竜氏によると、池田先生は、戸田先生の事業を手伝うのに忙しいと、言い訳をして、殆ど講義には、出席しなかった。後に、中西氏をして、「あの人の欠点は、教学がないことです」と言わしめた遠因は、ここら辺にありそうだ。
『「言論の自由の時代だ。一つの新聞を持っているということは、実にすごい力を持つことだ。
学会もいつか、新聞を持たなければならない。太作、よく考えておいてくれ」
聖教新聞は、実に、この苦難の渦中の8月24日、師弟の対話から生みだされた。』
これも真っ赤な嘘だ。
戸田先生が、入信したばかり(三年目)で、学歴もなく、得体の知れない男にそんな大事を託す筈がない。
寧ろ、戸田先生は、自分の秘蔵ッ子である石田次男(故人)に全てをまかせて、編集長に命じた。
後年、戸田先生の池田先生への信頼も並々ならぬものがあったのも確かだが、日頃から、戸田先生は池田先生には、「次男が長男で、太作が次男だぞ」と釘をさしていた。これは、決して、駄洒落のつもりで言っていたとは、思えない。
『師匠を支えるために、私は夜学も、さらに大学への進学も断念した』
自分の学歴コンプレックスを戸田先生のせいにする池田先生の嫌らしさがよく出ている。
古今東西、学歴がなくても立派な仕事を成し遂げた人は、いくらでもいる。何故にもっと、肯定的に自分の人生を見れないのだろうか?
『毎朝、そして毎日曜に万般にわたる教育をしてくださった。今もって、その慈愛を噛み締めてて感謝している』
これも恐らく、これまでの文脈からすると、嘘だろう。
池田先生の初期の著作(「政治と宗教」や「政治と科学」など)には、池田先生の無教養ぶりが躍如している。
池田先生は、戸田先生を誉めているようで、貶めている。「催尊入卑」の典型だ。

http://www16.ocn.ne.jp/~a1133/925_1052105523.html

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from: 21世紀さん

2009年06月08日 08時50分46秒

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「Re:Re:池田/大作作小説人間革命批判 」
34 名前: Leo 投稿日: 2003/05/08(木) 01:34

で、『池田名誉会長の青春対話③―21世紀の主役に語る―』 聖教新聞社 では
このように述べられています。

・「ほとんどは「勝者が書いた」歴史」
・「[名誉会長] いわんや、過去の真実を見きわめるのは至難のわざです。特に歴史書は、
  ほとんどが「勝者の歴史」です。「勝てば官軍」と言うが、 「勝ったほうが正義」
  とされる。負ければ悪人にされる。そこを見なければいけない。」
・「そのためには、こうすればいいという簡単な方法はない。やはり、ありとあらゆることを
多く学び、多く考え、多く体験する以外にはない。大事なことは、 どこまでも公正に、
利己主義にとらわれず、「事実」を追究し、「真実」を探求することです。」
・「その歴史は、永遠の流転の一コマですが、真実をきちんと残し、積み重ねていかないと、
  正しい歴史観がゆがめられ、また未来に不幸を重ねてしまう。
  正しい歴史を残すことが、人類の平和と幸福の道を残すことになるのです。歴史は、
  ゆがめたり、歪曲したりしてはいけない。歴史をつくってしまっては《小説》に
  なってしまう 。」
・「〝過去を見ない人は、現在にも盲目〟」

まさにこのとおりで、創価の歴史も同様でしょう。


35 名前: Leo 投稿日: 2003/05/08(木) 01:52

>>34 (そのまんま自己批判なってます...)

http://www16.ocn.ne.jp/~a1133/925_1052105523.html

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from: 21世紀さん

2009年06月08日 08時45分40秒

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「Re:池田/大作作小説人間革命批判 」
31 名前: SGI 投稿日: 2003/05/08(木) 00:43


 名誉会長の入信経緯は、Leoさんが度々ご紹介されているように、『人間革命』の記述は全くのウソ。
 そこで、小口偉一編『新心理学講座』第4巻とは別の資料を提示してみる。

 まず1つは、『聖教新聞』昭和32年10月18日付の「私の初信当時」欄。
 これは、名誉会長が青年部参謀室長として、新潟・長岡市での会合で自身の入信当時を振り返って語ったものを掲載している。
 「私が信仰したのは、丁度今から十年前の八月二十四日です。…折伏されたのは、前の本部です。前の本部は会長先生が事業をなさっていらっしゃった二階の八畳と六畳の二間でした。…私はそこで教学部長から折伏されたんですよ」

 小口偉一編『新心理学講座』のインタビューは昭和30年頃。この記事は32年。共に戸田会長の生前中であり、第三代会長就任前の名誉会長自身の談話である。それだけに信憑性は極めて高い。

 もう1つは、先頃(平成15年2月23日)開催された法華講・東京第一地方部総会での体験発表。
 発表者は、妙縁寺信徒の三宅妙子さん。平成13年10月に脱会し入講された年配の三宅さんは、なんと小説『人間革命』で名誉会長と戸田先生が初めて出会ったとする蒲田の座談会会場のお嬢さん。名誉会長を学会の会合に誘ったのが三宅さんの実姉で、いわば名誉会長入信の紹介者の妹なのだ。

 「時は昭和二十二年の八月、私の姉が同伴してきたのは同窓生であった池田/大作その人でありました。小説『人間革命』には、そのときの美化された戸田先生との出会いが描かれていますが、それは全く事実は違います。そのとき十九歳であった彼は、折伏されて十日後に入信しました。
 その後、昭和二十四年の一月、池田が二十一歳のとき、蒲田工業会に勤務していた彼を、私の母が、日本正学館を経営されていた戸田先生に、「よい青年がいる」と、初めて紹介し、就職を依頼しました。池田の学会での仕事の出発点がここであり、私は、このときのことを今でも鮮明に覚えています」(『大白法』平成15年3月16日付)。
 
 つまり、三宅さんの話では、名誉会長と戸田先生のちゃんとした出会いは24年1月のことであり、入信の経緯は、『新心理学講座』や「私の初信当時」に記述の通り、三宅さん宅に新来者として初めて学会の座談会に参加し、その十日後学会本部で小平教学部長に折伏されたのだ。



> http://www16.ocn.ne.jp/~a1133/925_1052105523.html

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from: 21世紀さん

2009年06月08日 08時34分38秒

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「Re:池田/大作作小説人間革命批判 」
yuriko 投稿日: 2003/05/05(月) 12:34

作者の言い分とは逆に、戸田先生の石田氏への信頼は絶対とも言える程深かった。
また、戸田先生は、とりわけ聖教新聞の役割を重視した。「聖教新聞は、学会のミサイルだ」と戸田先生が常々語っていたのは有名な話だ。これは、聖教新聞が現在のような無礼講の人格攻撃や争い事を奨励したというより、「聖教新聞こそ広宣流布の道を切り開く最大の武器」という意味だったと思う。
私は、一部内容はともかく、聖教新聞の長年の愛読者である。よく出来ている新聞だと思う。新聞は、その起ち上げこそ重要である。従って、初代編集長の石田氏の貢献度はとりわけ大きかったと言える。
さらに、注目すべきは、石田氏は、当時の創価学会の唯一、最高の教義解説書の「折伏経典」の最初の章で、「宿命論」の執筆を任せられていた点だ。
これは、戸田先生が、石田氏を自分の分身と見ていた何よりの証拠だ。
不幸な事に、戸田先生の死後は、その章は、戸田先生の生命論にそっくり差し換えられた。
そうした戸田先生と石田氏の師弟の交流の記述は、人間革命では、スッポリ抜け落ちている。
p162には、次のような面白い記述がある。
『....彼(戸田城聖)は、石川によくこう言うのであった。
「幸男は長男だな、伸一は次男だよ」
それは、長男が甚六といわれるように、観念的な傾向が強く、苦労知らずの石川に対する戸田の婉曲的な指摘であったが、石川にはその意味がわからなかった。むしろ、石川は、それを自分が学会の跡取りであるといわれているように受け取ったのかもしれない。』
つまり、戸田氏が石田氏にこっそりと話した事を作者の地獄耳が捉えていたらしい。
私は、最初これを読んだ時、大笑いしてしまった。こうした珍説を読んだ全国の長男の会員の皆さんは、どう感じたのだろうかと、思ってしまったからだ。特に、池田家長男の博正氏はどう思ったのだろう?
余程、博正氏は父親から嫌われているののだろう。かつて、次男の城久氏が池田先生の後継者に最有力とされ、彼の突然死の後は、今は、三男の尊弘氏が池田家後継の最有力候補だ。
確かに、組織に於いては実力主義こそ最も尊ばれるべきものだが、古今東西、経験と実力は、ある程度の相関関係があるのも、常識だ。
まして、戸田先生の石田氏への信頼度を考えれば、戸田先生は、石田氏を自分の後継者と考えていたという意味で、氏を長男とよく言っていたのではなかろうか?また、それは、野心家の池田先生の心根を戸田先生は、鋭く見抜いた上での、池田先生への鋭い牽制だったのではなかろうか?
その上で、作者は、石田氏の事を酒のみで乱れがちな上、酒任せの指導をしては、会員から顰蹙を買っていたとしている。そういう破人格者である筈にも拘わらず、戸田先生は、石田氏を九州総支部長に任命している。それを作者は次のように解説している。
p163
『燃え盛る炎のごとき気質をもった「火の国」九州の総支部長には、まったく対照的な理の人にみえる石川幸男が就任することも、全体のバランスを考えると、よいかもしれないと思われた。
一抹の不安はあったが、戸田城聖は、あえて石川の可能性に賭け、彼を九州総支部長に任命しようと決めたのである。』
全く、人をバカにしきった記述だ。なぜに、戸田先生は、破人格の典型ともいえる人間に重要な役職を与えたかの説明には全くなっていない。私は、寧ろ作者が毎度のように勝手に戸田先生の心を推測し、平然と解説する厚顔ぶりにこそ、ぞっとした。
こういうデタラメを許し、有り難がっている創価学会員こそ哀れというより、バカである。
不幸な事に、戸田先生から深い信頼を受けていた石田氏は、戸田先生の死後、完全に池田専制体制から閉め出された。
池田先生が学会本部にやって来ても、周囲が騒然とする中、石田氏のみが、平然としていたという。
そんな態度が我が儘な池田先生の神経を逆撫でしていたのは、想像に難く無い。
そして、晩年には、公然と反旗を翻している。
普段から会員には、「仲良く!」などと池田先生は指導しているが、何故に『兄とも仰ぐべき』石田氏とは、仲良く出来なかったのか不思議だ。
池田先生が、自分を戸田先生の真の弟子を自称するなら、戸田先生が最もかわいがっていた弟子をもっと大切にすべきではなかったのか?
氏の実弟は、第三代公明党委員長の石田幸四郎氏だ。
幸四郎氏は、池田先生の命令の故か、実の兄の葬式にも訪れていない。
戸田先生の一番弟子が惨めに憤死した事実は、重く受け止める必要がある。
全く、目的故には、師弟、夫婦、親子、兄弟、姉妹の仲を平然と裂く池田先生の人生学は、恐ろしい。(参考資料 『堕ちた神池田/大作』 『創価王国の野望』 溝口敦

http://www16.ocn.ne.jp/~a1133/925_1052105523.html

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