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  • from: 21世紀さん

    2009年11月14日 08時37分51秒

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    目師会


    目師会の意義】(大白法より)

     日目上人は、文応元年、伊豆国仁田郡畠郷において御誕生になられた。折りしもこの年は、宗祖大聖人が当時の最高権力者である北条時頼に『立正安国論』を奉呈し、第一回の国主諌暁をあそばされた年でもある。

     文永九年、十三歳の御時に修学の志をもって畠郷よりほど近い円蔵坊に登られた日目上人は、二年後の文永十一年に、走湯山を訪れた日興上人に対面し、日興上人の御姿を拝して得度の志を懐かれた。

     それから二年後の建治二年四月には、十七歳にして晴れて念願であった日興上人の弟子として出家得度あそばされ、さらに同年十一月には日興上人に随って身延山に詣でられ、ここで初めて日蓮大聖人にお会いし、それ以来、大聖人に対して常随給仕の誠を尽されたのである。

     その日目上人の御振る舞いは『申状見聞』に、
    「昼は頭に水木を戴き頂上既にくぼくなり、夜は身を以って床座と為し常随給仕し玉ふ、然りと雖も勤行学問怠り玉はず御かうべの凹む事、御行体の謂なり」
    と記されるごとく、師弟相対の信心の上から正直に真心からの御奉公をあそばされたのである。

     なかでも、日目上人は毎日、水桶を頭にのせて運んだので頭の頂が窪んでおられたということが、今日まで言い伝えとして残っている。

     さらには、修学についても行体堅固であられ、大聖人の厳格な教えを身をもって御修行あそばされると共に、直接多くの御法門を聴聞あそばされ、大聖人への常随給仕を通して仏法の真髄を体得されたと伝えられる。

     日目上人は、大聖人御入滅の後は日興上人に仕え、元弘二年には日興上人より『日興跡条々事』を承けられ、一閻浮提の御座主となられたのである。

     その御生涯において、弘安五年の池上問答では叡山の学僧・伊勢法印を論破し、正安元年の十宗房問答では西脇の十宗房を屈伏せしめ、さらには奥州方面への弘教を行い、朝廷や幕府に対しては四十二度もの国主諌暁をあそばされるなど、不惜身命の御精神で正法を弘通あそばされたのである。

     そして元弘三年十一月の国主諌暁において、日目上人は美濃垂井の雪中に、その尊い御生涯を閉じられたのである。

     我々は、この日目上人の師弟相対の信心、そして正法弘通のために勇猛果敢に折伏に邁進あそばされた御姿を鑑とし、「『立正安国論』正義顕揚七百五十年」の佳節における「地涌倍増」の大目標に向け、唱題を根本にさらなる折伏・育成に励み、日目上人に御報恩謝徳申し上げるべく法要に参詣することが肝要である。

     目師会は、全国の各寺院においても奉修され、さらに同日、七五三の祝儀も行なわれる予定である。

     この七五三の祝儀は、日蓮正宗の未来広布を担う子供たちの成長と息災、信心の倍増を、親子共々御本尊様に御祈念申し上げるという、法統相続の上からもたいへん深い意義が存するのである。

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