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from: 荒野の素浪人さん
2010年01月16日 12時08分54秒
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創価学会の隠された真実史
正信(しょうしん)を貫いた戸田2代会長の大功績
かくて、戸田会長は数年間にも渡る苦心惨憺の結果、牧口氏の「砕尊入卑」という根本的な謗法を学会の中から取り除かれた。
そして、壊滅状態であった学会を、勤行・教学・登山・折伏・御供養等の徹底指導によって再建、僅か10年のうちに75万世帯を突破せしめられたのである。
その戸田会長の根底を成していたものは、先代・牧口氏と異なり、日蓮正宗に対する絶対的な信心の赤誠であった。
ただ、その豪放磊落な性格の故に、一般常識人から非難されるような行動や、細かい点で行きすぎた面などはあったとされるが、あたかも大水が小火を呑み込み、太陽の光が星の光を隠してしまうように、戸田会長の余りにも強く純粋な正宗に対する信心が、総ての瑕瑾を吹き飛ばしてしまっていたといえよう。
以下、戸田先生(心からの尊敬をもって、かく称させていただく)の珠玉の指導を引く。
「良き法と、良き師と、良き檀那との三つが、そろわなければだめだ。南無妙法蓮華経、これは良き法に決まっている。大御本尊は良き法なのです。また御法主上人は唯授一人、64代の間を、私どもに、もったいなくも師匠として大聖人様そのままの御内証を伝えておられるのです。ですから、御法主上人猊下を通して大御本尊様を拝しますれば、必ず功徳が出てくる。ただ、良き檀那として、その代表として、その位置にすわれたことを、私はひじょうに光栄とするものであります」(昭和30年12月13日、関西本部入仏落慶式)
「学会は猊座のことには、いっさい関知せぬ大精神で通してきたし、こんごも、この精神で一貫する。これを破る者は、たとえ大幹部といえども即座に除名する。信者の精神はそうでなければならない。むかし、関西に猊座のことに意見をふりまわして没落した罰当たり者があったそうだが、仏法の尊厳を損なう者は当然そうなる。どなたが新しく猊座に登られようとも、学会会長として、私は水谷猊下にお仕えしてきたのでと、いささかも変わりはない。新猊下を大聖人としてお仕え申しあげ、広布への大折伏にまっすぐ進んでいくだけである」(『信者の大精神に立て』昭和31年1月29日)
「ありがたくも、本日は、御本山の猊下のお出ましを願い、畑毛の猊下のお出ましを願って、われらとしては、これ以上の名誉はない。来年の今日までの間に、ほんとうに功徳をつかむ覚悟で、自分の悩みの心に、大御本尊を目の前に浮かべ、両猊下を拝もうではありませんか。それでは、わたくしが導師になります。(題目三唱)」(昭和29年5月3日、創価学
会第10回総会)
「日本中にいる一般の坊主は、全然不用なものである。(中略)二十の扉の語をかりれば、『動物』という題で、陰の声が『寺に住む動物の親分』ということになる。すなわち高級乞食である。
かかる何十万の動物の中で、同じ姿こそしておれ、厳然として人であり、人の中でも立派な僧侶と名づくべき百数十人の小さな教団がある。この教団こそ日本の宝である。日蓮正宗の僧侶の教団こそ、これである。
かかる、立派な教団でも、身近に住む信者はありがたいとも思わず、ふつうだと考える。これは、この教団の偉大な功績を見ないものであって、この教団の一部分観をなしたり、または、この教団存立の目的たる広宣流布において、なまけているものが、おったりするものだけを見るから、"宗祖大聖人のお衣の袖にかくれ、仏飯を腹一杯食うことを唯一の願いであるとしている猫坊主が多い"と攻撃して、功績の方を見ない。(中略)
かかる近視眼的かつ部分観的、一時的に観察せずに、大聖人御出世の御本懐より、または、仏法に大局観よりなすなら、口にも筆にも表せぬ一大功績が、この教団にあるのである。
わずか百数十人の僧侶が、愚僧、悪僧、邪僧、充満の悪世に、よくたえるもので、大聖人の『出世の御本懐』たる弘安2年10月12日御出現の一閻浮提(いちえんぶだい)総与(そうよ)の大御本尊を守護したてまつって、700年間、チリもつけずに、敵にも渡さず、みなみな一同、代々不惜身命の心がけで、一瞬も身に心に身心一つに、御本尊を離れずに、今日にいたったのである。(中略)もったいないではないか。神々しいではないか。ありがたいではないか。……かくも、法体(ほったい)を守護し、かつ化儀(けぎ)連綿たる功績こそたたえねばならぬことである。この上に、大聖人の御教義は、深淵にして、厳博であって、愚侶の伝うべきことではないのに、賢聖時に応じてご出現あらせられ、なんら損することなく、なんら加うるなく、今日まで清純に、そのまま伝えられたということは、仏法を滅しないことであり、実に偉大なる功績ではないか」(『僧侶の大功績』昭和26年6月10日)
「(戸田会長は)決然と立って、『御供養することは、信徒の務めである。もし、それが使途不明であるとか、収支決算せよとか、御供養を出しもしないうちから、はじめからそんなことを言っておるのは信徒の努めを怠っておるものである。信徒は御供養することによって利益があるのである。御利益は供養することにある。もしそのお金を不正に使ったならば、それは使った僧侶が罪を受けるのである。地獄へ堕ちるのである。信徒は清い供養をすれば、それで御利益がある。経文に照らしても、また大聖人が仰せではないか』と叫んだのである」(昭和40年7月11日『大日蓮』234号)
挙げたらキリがないが、戸田先生は、心底から日蓮正宗を信じ、大切に想い、赤誠の御奉公を貫こうとしていたのである。
そうした戸田先生の信心の大功績によって、まさに
「花は根にかへり、菓(このみ)は土にとどまる。此の功徳は故・道善房の聖霊の御身にあつまるべし」(報恩抄、新編1037頁)
との御金言の如く、師であった牧口常三郎氏の罪は隠れて遺徳が大きく顕彰され、また、戸田先生の遺した創価学会も数百万世帯にまで発展した。
しかし、その総てが、今、第六天魔王・池田大作の手によって、灰に帰してしまったのである。
しかも、因縁というのであろうか、池田のとった路線は、かつて牧口氏が指向していた異流儀の在家教団路線を蘇らせ、さらに悪質化したものであった――。
なお、戸田先生の牧口氏を想う心情と、遂に牧口氏の遺徳を成し遂げた苦労を考えるにつけ、真実の歴史の公表には心苦しいものがあったが、何より日蓮正宗の仏法を護らんとした戸田先生の信心に鑑み、やむなきことと意を決した次第である。
最後に、謹んで御法主日顕上人のお言葉を引用させていただき、戸田先生の追善に供したい。
「戸田会長のころの創価学会の在り方は、その根本精神において、あくまで総本山が根本であり、そのための創価学会であるという気持ちの上から、あの大折伏が遂行されたということが、はっきりと言えるのであります。
ですから、3代の池田会長は、戸田氏が命懸けで作られた組織と、その流れに乗ったに過ぎないのであります。戸田氏は、本当に命懸けで、指揮をとりましたが、広布75万世帯の時点でお亡くなりになりましたので、その後を受けた後、たしかに数としては増えているようでありますが、すでにその時には、そののち発展する内容は戸田氏によってできあがっていたと、私ははっきり見抜いておるものであります。
したがって、800万世帯にいたる大折伏は、戸田氏の清浄な、正法を護る気持ちの中から行われたところであり、その中から皆様方が現われてきたのであるということをはっきりと見定めるところに、創価学会に縁のある方々が、創価学会の存在理由とその経過、すなわち正しい仏法の流れを正しく知る所以があると思うのであります。
しかして、池田大作なる者が会長になってから、次第にいろいろな角度で誤りを犯すようになったのであります」(平成4年3月29日、法華講連合会壮年部大会お言葉)-
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