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from: 21世紀さん
2010年02月26日 23時14分40秒
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御法主日如上人猊下御言葉
元旦勤行の砌平成22年1月1日於総本山客殿宗旨建立758年の新春、あけましておめでとうございます。御隠尊日顕上人猊下には、御機嫌麗(うるわ)しく新年を
元旦勤行の砌
平成22年1月1日 於 総本山客殿
宗旨建立758年の新春、あけましておめでとうございます。御隠尊日顕上人猊下には、御機嫌麗(うるわ)しく新年をお迎えのことと慶賀に存じ上げます。また、山内をはじめ宗内僧俗の皆さまには、すがすがしく「広布前進の年」を迎え、決意も新たに、いよいよの精進・御奉公をお誓いのことと存じます。
宗門は、昨年1月3日、総本山におきまして、「出陣式」を挙行し、次いで7月15日・16日の両日、「立正安国論正義顕揚750年記念大法要」を厳粛裡に奉修し、さらに次いで7月26日、「7万5千名大結集総会」を、予定を上回る78,423名の大結集をもって見事に達成し、続いて11月28日には、年末を待たずに「法華講50万総登山」を突破・達成することができました。また、その間、5回にわたり「海外信徒20,000名大結集総会」を大成功裡に行うことができました。
このように、僧俗一致して、すべての記念行事を大勝利をもって御報恩申し上げることができたのも、ひとえに全国法華講各支部の指導教師ならびに御信徒各位の弛まぬ御尽力と絶大なる御協力の賜物と、心から厚く御礼申し上げるものであります。
さて、本年「広布前進の年」は、平成27年ならびに平成33年の新たなる目標へ向けて、全支部が足並みをそろえて大前進すべき、まことに大事な年であります。 目標の平成27年も33年も、遠いようで近く、「光陰矢の如し」「歳月人を待たず」と言われていますように、時は瞬くに過ぎてしまいます。
したがって、目標達成のためには、我々はまず本年を必ず勝利することが肝要であります。なすべき時になさず、時を過ごして、あとで悔やんでも「後悔先に立たず」で、自責の念に駆られるだけであります。「未だ早いが遅くなる」という教訓がありますが、寒苦鳥のようであっては目標を達成することはできません。
目標達成のためには、一年一年をおろさかにせず、緩みなく、時を移さず進んでいくとが肝要であります。我々の広布の戦いは、けっして停滞があってはならないのであります。停滞は後退につながりかねないからであります。後退は敗北であります。
大聖人様は『聖人等御返事』に、
月々日々につよ(強)り給へ。すこしもたゆ(弛)む心あらば魔たよりをうべし。(御書1397ページ)
と仰せであります。月々日々に信心を奮い立たせ、とどまることなく、力強く広布の願業へ向けて前進していくことが大事でありまして、もし油断して緊張が緩むと必ず魔が襲ってきます。
『聖愚問答抄』には、
人の心は水の器にしたがふが如く、物の性は月の波に動くに似たり。故に汝当座は信ずといふとも後日は必ず翻(ひるが)へさん。魔来たり鬼来たるとも騒乱(そうらん)する事なかれ。(同409ページ)
と仰せであります。「魔来たり鬼来たるとも騒乱(そうらん)する事なかれ」と御金言を心肝に染め、いかなる障魔が競い起きようが、唱題をもって決然として障魔を退治し、もって堂々の折伏大前進を断行していただきたいと思います。障魔が起きたとき、その障魔を払う術は、大御本尊に対する絶対信であります。絶対信とは、無疑曰信(むぎわっしん)の信であります。
そもそも、信は仏道修行の第一歩であり、『法華題目抄』には、
夫(それ)仏道に入(い)る根本は信をもて本とす。(同353ページ)
と仰せられ、『御義口伝』には、
此の本法を受持するは信の一字なり。元品の無明を対治する利剣は信の一字なり。無疑曰信(むぎわっしん)の釈之(これ)を思ふべし云云。(同1764ページ)
と仰せられています。さらに『開目抄』には、
我並びに我が弟子、諸難ありとも疑ふ心なくば、自然に仏界にいたるべし。天の加護なき事を疑はざれ。現世の安穏ならざる事をなげかざれ。我が弟子に朝夕教へしかども、疑ひををこして皆すてけん。つたなき者のならひは、約束せし事を、まことの時はわするゝなるべし。(同574ページ)
と仰せであります。疑うことなく、大御本尊への絶対の信を持って、真剣に自行化他の信心を励むとき、いかなる大難も乗り越え、必ず即身成仏の本懐を成就することができるのであります。「諸難ありとも疑ふ心なくば、自然に仏界にいたるべし」との御金言をよくよく心肝に染めて拝すべきであります。
『法華初心成仏抄』には、
凡そ妙法蓮華経とは、我等衆生の仏性と梵王・帝釈等の仏性と舍利弗・目連等の仏性と文殊・弥勒等の仏性と、三世諸仏の解りの妙法と、一体不二なる理を妙法蓮華経と名づけたるなり。故に一度妙法蓮華経と唱ふれば、一切の仏・一切の法・一切の菩薩・一切の声聞・一切の梵王・帝釈・閻魔法王・日月・衆星・天神・地神・乃至地獄・餓鬼・畜生・修羅・人天・一切衆生の心中の仏性を唯(ただ)一音に喚び顕はし奉る功徳無量無辺なり。(同1330ページ)
と仰せであります。妙法受持の功徳は、「一度妙法蓮華経と唱ふれば」云々と仰せのように、ひとたび妙法蓮華経と唱える、そのただ一音によって、一切の仏・一切の法・一切の菩薩等、宇宙法界の十界の衆生がの仏性が喚び顕され、成仏に至ることができるのであります。
つまり、信心、生活等、すべての問題解決の道は大御本尊への絶対の信を持って、妙法受持の偉大なる功徳を心から拝信し、確信を持って自行化他の信心に励むことであります。
ここで大事なことは、「自行化他の信心に励む」ということであり、自らも広大無辺にて計り知れない大御本尊の功徳を享受するとともに、「我もいたし人をも教化候へ」(同 669ページ)と仰せの如く、一人でも多くの人に妙法を下種し、折伏を行ずることであります。すなわち、一人ひとりが「身軽法重・死身弘法」の御聖訓を奉戴(ほうたい)し、妙法広布に身を捧げ、折伏を行じていくところに、必ず自信の成仏がかない、自他共に幸せを築いていくことができるのであります。
本年「広布前進の年」の「広布前進」とは、言葉を換え言えば、「折伏前進」ということであります。この「折伏前進」こそ、我々がなすべき本年度の最も大事な課題であります。されば『如説修行抄』には、
誰人にても坐(おわ)せ、諸経は無得道堕地獄の根源、法華経独り成仏の法なりと音(こえ)も惜しまずよばはり給ひて、諸宗の人法共に折伏して御覧ぜよ。(同673ページ)
と仰せであります。現代の如き、人心がが極度に荒廃し、世の中が乱れ、すべての社会現象が混迷を極めている原因は、ひとえに謗法の害毒あり、その謗法を退治していかななければ、自分自身の幸せも、他の人々の幸せも、混沌とした現状を打開することも、平和な仏国土を築いていくこともできないのであります。
今こそ我々は、一切衆生救済の秘法たる大聖人の本因下種の仏法をもって、世のため、人のため、真の世界平和実現を目指して立ち上がり、憂国(ゆうこく)の士となって折伏を行じていくことが、本年の「広布前進の年」の最重要課題であることをよくよく認識し、異体同心・一致団結してすべての法華講員が折伏に励まれますよう心から願うものであります。
どうぞ皆様には、本年「広布前進の年」の意義を心肝に染め、勇猛精進、折伏に励み、悔いなく戦いきっていただきたいことを心から念願し、元朝の挨拶といたします。
from: 21世紀さん
2010年03月24日 22時11分55秒
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「Re:御法主日如上人猊下御言葉」
唱題行(1月4日)の砌
平成22年1月4日 於 総本山客殿
立宗758年の新春、あけましておめでとうございます。皆様にはすがすがしく「広布前進の年」をお迎えのことと慶賀に存じます。本年「広布前進の年」は、言葉を換えて言えば「折伏前進の年」ということであります。折伏なくして広布は達成できないからであります。
大聖人は折伏について、まず『聖愚問答抄』には、
抑仏法を弘通し群生(ぐんじょう)を利益せんには、先づ教・機・時・国・教法流布の前後を弁ふべきものなり。所以(ゆえ)は時に正像末あり、法には大小乗あり、修行に摂折あり。摂受の時折伏を行ずるも非なり。折伏の時摂受を行ずるも失(とが)なり。然るに今の世は摂受の時か折伏の時か先づ是を知るべし。摂受の行は此の国に法華一純に弘まりて、邪法邪師一人もなしといはん、此の時は山林に交はりて観法を修し、五種六種乃至十種等を行ずべきなり。折伏の時はかくの如くならず、経教のおきて蘭菊に、諸宗のおぎろ(願口)誉れを擅(ほしいまま)にし、邪正肩を並べ大小先を争はん時は、万事を閣(さしお)いて謗法を責むべし、是折伏の修行なり。此の旨を知らずして摂折途(みち)に違はゞ得道は思ひもよらず、悪道に堕つべしと云ふ事、法華・涅槃に定め置き、天台・妙楽の解釈にも分明なり。是仏法修行の大事なるべし。(御書402ページ)
と仰せであります。要約して申し上げますと、まさしく今、末法は「経教のおきて蘭菊に、諸宗のおぎろ(願口)誉れを擅(ほしいまま)にし、邪正肩を並べ大小先を争はん時」すなわち、邪教池田創価学会をはじめ邪義邪宗の者達が、お互いに自分の思想や教義がいかに深遠で優れているかと、手前勝手に主張をしているような時は、「万事を閣いて謗法を責むべし、是折伏の修行なり」と仰せの如く、一途に折伏を行じなくてはならないのであります。
したがって、折伏を行じなければならない時に摂受を行ずるようなことがあれば、悪道に堕つることは必定であると、法華經・涅槃経に定め置かれており、天台大師や妙楽大師の解釈も同様に説かれており、摂受、折伏の途を違えないようにすることが仏法修行の最も大事なところである、と仰せられいるのであります。
もし「折伏などしなくとも、朝晩の勤行をして、お寺の御講や座談会にもそこそこ参詣していれば、それで充分」などと考えていたら、それはこの御金言に反することになります。御本仏の御金言に背いた信心をしていたのであれば、絶対に幸せにはなれません。
されば、また『聖愚問答抄』には、
今の世は濁世なり、人の情もひがみゆがんで権教謗法のみ多ければ正法弘まりがたし。此の時は読誦・書写の修行も観念・工夫・修練も無用なり。只折伏を行じて力あらば威勢を以て謗法をくだき、又法門を以ても邪義を責めよとなり。(同403ページ)
と仰せられております。すなわち、今、末法濁世んいおいては「読誦・書写の修行も観念・工夫・修練も無用なり」と仰せられ、何を差し置いても折伏を第一に行ずるべきであると仰せられているのであります。
さらに、『法華初心成仏抄』には、
「地獄には堕つるとも、仏になる法華経を耳にふれぬれば、是を種として必ず仏になるなり。されば天台・妙楽も此の心を以て、強ひて法華経を説くべしとは釈し給へり。譬へば人の地に依りて倒れたる者の、返って地をおさへて起(た)つが如し。地獄には堕つれども、疾(と)く浮かんで仏になるなり。当世の人何となくとも法華経に背く失(とが)に依りて、地獄に堕ちん事疑ひなき故に、とてもかくても法華経を強ひて説ききかすべし。信ぜん人は仏になるべし、謗ぜん者は毒鼓(どっく)の縁となって仏になるべきなり。(同1316ページ)
と仰せであります。この御文中、「法華経」と仰せられているのは、法華経本門寿量品文底秘沈の南無妙法蓮華経のことであります。したがって、この妙法蓮華経の広大無辺なる功徳によって、たとえ地獄に堕ちた者でも、妙法蓮華経を耳に触れれば、それを種として必ず仏に成るのでありますから、とにもかくにも、強いて下種折伏を行じていくことが肝要であります。なぜなら、折伏を受けた人は「信ぜん人は仏になるべし、謗ぜん者は毒鼓(どっく)の縁となって仏になるべきなり」と仰せ如く、順逆二縁共に必ず成仏をするからであります。
今、宗門は総力を結集して折伏を行じ、平成27年、33年に向けて前進すべき、まことに大事な時を迎えております。目標達成のためには、我々一人ひとりが、理屈ではなく折伏を実践する人となることであります。信心とはすなわち実践であるからであります。されば、すべての信心活動の源となる唱題をしっかりと行い、その功徳と歓喜をもって折伏に打って出ることが大事なのであります。故に『三大秘法抄』には、「末法に入って今日蓮が唱ふる所の題目は前代に異なり、自行化他に亘りて南無妙法蓮華経妙なり」(同1594ページ)と仰せであります。
唱題は自行、折伏は化他行、この自行と化他は一体であります。されば唱題に励み、折伏を行ずることが、信心の原点とも言えるのであります。この信心の基本をしっかりと実践していくときに、「法華経の行者の祈りのかなはぬ事はあるべからず」(同 630ページ)との御金言が確実に実証されるのであります。
どうぞ、皆様には大御本尊の広大なる功徳を信じ、なお一層唱題に励み、万難を排し、勇猛精進して折伏を行じ、すべての支部が必ず目標を達成されますよう心からお祈り申し上げ、本日の挨拶といたします。
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