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from: 21世紀さん
2010年03月26日 00時36分27秒
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‘破折済みの疑難’ カテゴリーのアーカイブ
7万5千名大結集総会
2009年9月26日 土曜日
7万5千名大結集総会の成功に焦る学会
機関紙の誹謗記事に妬みの心がアリアリ
証拠抜きで「失敗」罵るだけの『創価新報』
嘘だらけの誹謗記事を検証して粉砕
「空席」というが実際は満席状態だ
規模からいえばトラブルも皆無と同然!
八月十九日発行の『創価新報』。その七面には大きく「日顕宗の大会はやっぱり水増し結集」との見出しが踊った。『新報』は、
「去る七月二十六日の日顕宗の総会は大失敗に終わったが、宗門は機関紙『大白法』(八月一日付)でこの集会を特集。ところが、この新聞が、総会の悲惨な実態と宗門の大ウソを暴(あば)く大墓穴を掘るものとなっている」
とし、〝『大白法』に掲載された写真を見れば、三門前エリアに大きな空席スペースがあり、他にも空席が散見される〟としているのだが、不思議なことに、その駄文には裏付けとなる写真が掲載されていない。
〝『大白法』に掲載された写真を見れば……〟というのだから、当該『大白法』の紙面を載(の)せればよさそうなものだが、視覚で確認できる証拠は、まったく掲載していないのである。
なぜか――それは、件(くだん)の写真を載せてしまえば、『新報』の記事こそがデタラメであることが一目瞭然(いちもくりょうぜん)になってしまうばかりか、大結集総会が大成功したことを学会員に周知する結果になってしまうからに他ならない。
この哀れな『新報』に代わって、本紙が件の写真を掲載し、真実を証明してあげよう。
たしかに、 の写真を見れば、三門前にはまとまった空席があるように見える。
が、三門脇の杉木立付近をご覧いただきたい。その空席に相応する程度の人数が、そこに確認できるではないか。そして、この杉木立の中にはトイレがあるのだ。
今回は、参加人数等も考慮して、大結集総会の間であっても、トイレに立つことは規制されていなかった。そして事実、この写真のように、トイレに立った人がいた――それだけのことである。
『新報』編集子も、そんなことは写真を見て百も承知だったはず。にもかかわらず、かような記事を書かねばならなかったところに、また、『フェイク』をはじめとする怪文書が今も、大結集総会に対する誹謗(ひぼう)を続けているところに、七万五千名大結集総会の成功に対する、創価学会の焦(あせ)りと妬(ねた)みがハッキリと浮かんでいるのである。
『新報』はまた、
「転倒してケガをする者、総会中に卒倒してタンカで運ばれる人、総会前に吐き気を催(もよお)し悶(もだ)える人、これらは実際に参加者が目の当たりにした悲惨な光景である」「救急車は、何度も往来。一日のうち、大石寺にあれだけ救急車が出入りしたことが過去にあっただろうか」
などと書き殴っているが、これもまた、ためにする悪口でしかない。というのも、「これだけの規模の催しであれば、アクシデントがもっと発生していても何ら不思議ではないのに」と、市の関係者はじめ外部の人間が異口同音に語っていたほど、問題が少なく、また小さかった、というのが実際のところなのである。
実際、万が一の事態に備えて、今年三月に東京マラソンで有名タレントの一命を救ったことで知られるAEDを、山内各所に配置していたのだが、結局、それらは一回も使用されることがなかった。それほど、空前の大結集の規模に比すれば、アクシデントは皆無というべき状況だったのである。
加えて、当初、危惧(きぐ)する声が強かった(その声も大半は学会怪文書だが)富士宮市内の大渋滞も、事前の周知と周到な準備に加え、緻密(ちみつ)な運営の成果で、本山周辺の一部の道路を除き、大結集総会に起因するような渋滞は起きなかったという。これについては、『大白法』(八月十六日号)に掲載された法華講員の「声」の中に、それを裏付けるタクシー運転手の証言が紹介されている。
偽造された許可証もって謀略部隊が
総会終了後の空席を必死で撮影する姿も
このように、大成功のうちに終わった大結集総会だが、一方で、これの失敗を願う謗法の輩(やから)は、何とか総会の〝アラ〟を探して誹謗の種にしようと、あの手この手で暗躍した。
中でも呆(あき)れ返るのは、総会当日、わざわざ[PRESS」用の許可証まで偽造し、会場内に紛れ込んできた男がいたこと。
警備員がなぜ、その男に目を留めたのかといえば、その男は大結集総会の四日前にも、大石寺に現われて、総会の準備風景を撮影するなど不審な動きをし、警備員に誰何(すいか)された不審者だったからである。
参加者の中にその男の姿を見つけた警備員が男に声をかけると、男は、「PRESS」という文字と「立正安国論正義顕揚七五〇年」のロゴマークが印刷されたパスを、堂々と胸のところに下げていた(!)。
そして男は、警備員に対し、〝今日はお寺の記録係として、写真撮影をしている〟と釈明したのである。
だが、そもそも大結集総会の「PRESS」パスは、特別に許可された者だけに発行されたもので、〝お寺の記録係〟としての信徒個人に対しては発行されておらず、しかもこの男が身につけていたパスは、本物とは微妙に色合いが違っていたのである。
この男の属する「PRESS」が、いかなる新聞(文書?)であるかは読者の想像にお任せするとして、身分証まで偽造して侵入しようとする、その犯罪体質には開いた口が塞(ふさ)がらない。
また、登山バスの車列にカメラを向ける学会青年部の姿や、はては、総会終了後の空席を必死に撮影する(笑い)学会職員の姿までが目撃されているが、誰が逆立ちしてみたところで、大結集総会が成功した事実は覆(くつがえ)せないのである。
今回の大結集総会に関しては、その模様を伝える写真集『はばたけ未来広布へ!』も発行されている。
我々は、〝学会は大繁栄、法華講は衰退の一途〟と教え込まれている学会員に対し、厳然たる事実を彼らの眼前に突きつけ、正しい信心へと覚醒(かくせい)させていこうではないか。
慧妙 編集室
コメント: 全4件
from: 21世紀さん
2010年04月08日 00時07分58秒
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「Re:‘破折済みの疑難’ カテゴリーのアーカイブ」
> 創価学会の愚劣な離間策を粉砕す
> 2006年04月21日
まず、(A)については、『暁鐘』の誌上座談会で、「現代の広宣流布の姿ではないとの理由で、邪宗を折伏しに行かないように、という指導があった」との発言に対し、別な講員が「(邪宗を折伏してはいけない、というのは)日蓮正宗の信心じゃないですよ」と述べた、というものであり、法道院を日蓮正宗の寺院ではない、と述べたものなどではありません。 『フェイク』は切り文により、『暁鐘』が法道院を日蓮正宗の寺院ではない(つまり他宗の寺院である)として全面否定した、との話をデッチ上げているのです。
次に、(B)については、平成4年当時、『創価新報』および学会の御用新聞『中外日報』が、激しく宗門誹謗・僧侶誹謗を繰り返す中で、当時の法道院主管・早瀬日慈尊能化に対しても、悪質なデマ宣伝を加えてくる、という状況がありました。 日蓮正宗御宗門を厳護せん、との想いに燃える妙観講では、他の御僧侶方についての場合と同様、早瀬日慈尊能化に対する謂われなきデマ中傷についても、『妙観』(平成4年3月15日号)紙上で徹底的に打ち砕いたのです。
その見出しを挙げておけば、 「捏造だらけの正宗誹謗(7) 東京・法道院編」 「またも邪推に基づく俗悪記事! いまや嘘、誇張、低俗は『中外―』『―新報』の代名詞」 「ありもしない法道院誹謗はやめよ!」 というもので、これを見ただけでも、『妙観』の破折ぶりが明らかでしょう(何なら、その記事全文を縮刷版で確認してみれば、いっそうハッキリするはずです)。
この記事は、まず『中外日報』『創価新報』による早瀬日慈尊能化への誹謗を簡単に取り上げ、それについて、 「何ともはや、呆れたものだ。 まず、早瀬尊能化は、85歳という御高齢であり、よく参詣していた信徒なら誰でも知っているように、もう何年も前から歩行に困難をきたされ、しばしば複数の御僧侶方が手を貸されて、ようやく御出仕になっておられた。 その尊能化が、どのようにすれば、『中外―』『―新報』記事のごとき『乱行』をなしうるというのか。いかなる手品や、医学の助けを借りたとしても、まったく不可能な話である。
念のため、古くからの法道院所属の講員達にも、何人も当たってみたが、やはり皆、誹謗されるような事実は一度として見たことも聞いたこともなく、むしろ『それほど御主管がお若く、お元気であってくれたら、本当に嬉しいのに』といって一笑に付す人や、怒りに震える人ばかりであった。
要するに、早瀬尊能化に対する『中外―』『―新報』の誹謗記事は、無責任な邪推による特定少数の悪口を、実際に見てきてもいない記者がもっともらしく書き立てたもので、まったくの嘘だった、ということである。
あまりの馬鹿らしさに、早瀬尊能化はこれを捨て置かれているが、『中外―』にせよ『―新報』にせよ、少しは自らの程度の低さと悪らつさを恥じたらどうか。(※まだまだ破折は続くが、長文につき後略)」 等と破折を加えたものでした。
しかるに『フェイク』は、この部分を「何ともはや、呆れたものだ」までで切って、その後に続く破折の箇処を丸ごとカットしてしまい、あたかも『妙観』が『中外日報』や『創価新報』の早瀬日慈尊能化に対する誹謗記事を紹介だけして、悪意の宣伝をしたかのごとく、書き殴ったのです。 そして、「『何ともはや、呆れたものだ』の結びも(※本当は〝結び〟ではなく、後が続いているのだが)、早瀬家の乱れを指しているようだ。早瀬家を庇う素振りを見せながら、実は早瀬家の恥部を宣伝・公表しているのである」とまで言い放ったのでした。
何という悪辣、何という根性の悪さでありましょう。
こんなデタラメは、『妙観』の原文を検証すれば、すぐに判明することですが、『フェイク』は読者である学会員を舐めきっているが故に、このような騙しを平然と仕掛けてくるのであります。これに乗せられるような者は、よほどの迂闊者といわねばなりません。
次に、(C)についてですが、これは、『離籍の真相』の序に、小川只道尊師が書かれた、前掲の文の次下に、 「今、彼等(※大草講頭等、移籍した200余名)に対し、邪心をもって悪口・誹謗を浴びせる者は、日蓮正宗の信仰を妨げ、ひいては御法主上人猊下に敵対する大謗法の者、と断ぜざるをえない」 と続く部分を改竄し、 「小川只道(尊師)が『法道院関係者は大謗法』『早瀬日慈(尊能化)らは大謗法』と罵倒した」 などと、まったく別な内容に作り変えてしまったものです。
一目見れば『フェイク』の文意改竄は明白、その嘘は小中学生にでも判りますから、これ以上の解説は不要でありましょう。池田狂徒というのは、これほどまでに悪逆で馬鹿、度し難い一闡提人である、という典型的な例であります。
最後の(D)も、まったく同様の、切り文による文意の改竄です。 原文は『離籍の真相』の中にありますが、同書の全文を読めば明らかなとおり、要は、在家の者が勝手に、「次の猊下(※日達上人の次の67世の猊下)には誰それがなるのだ」とか「本当は、誰それこそが66世の猊下になるはずだった御方で、日蓮正宗の中で(※当時の御法主・日達上人も含めて)一番偉いのだ」などという発言をするのは大変な誤りである、と戒めた記述と共に、 「また『早瀬一族から次の猊下(※67世の猊下)が出るのは当然のことだ』など、とても信じられぬ話がA氏よりあった」 として、在家が猊座継承の事に軽々しく口を挟むことを「とても信じられぬ話」と批判したのです。
これは、血脈相承が唯仏与仏の境界において行なわれることからして、日蓮正宗の信仰上では当然の戒めであって、何ら不思議なことではありません。 しかるに、『フェイク』はこれを改竄し、あたかも、日顕上人猊下の御代の時に、大草講頭が「早瀬一族から次の猊下(※68世の猊下)が出るなどということは信じられぬ」と言って、猊座に容喙する発言をしたかのように、話を正反対にひっくり返してしまい、同時に、これが、早瀬日如上人への侮言であったかのごとく見せかけ、喧伝しているのであります。 いかに怪文書とはいえ、悪辣が過ぎるではありませんか。
同様の偽装は、前の(A)についてもなされています。
つまり、前述のように「『法道院は日蓮正宗ではない』と『暁鐘』(昭和53年10月号)が書いた」という話をデッチ上げておき、「その日蓮正宗でない法道院から猊下(※68世日如上人猊下)が出たことにつき、妙観講は弁明ができなくなっている」などと言うのです。 むろん、これは前提がデッチ上げですから、まったくお話になりませんが、もう一つ重ねて言っておけば、早瀬日如上人は昭和53年当時、新宿・大願寺の住職を務められていました(法道院主管となられたのは、それよりずっと後の平成5年のことです)。
したがって、早瀬日如上人と大草講頭等の移籍とは、何の関係もないのです。 これを、時間的隔たりを無視して結び付け、あたかも、『暁鐘』が早瀬日如上人を邪宗寺院の住職であると書いていたかのごとく、作り上げてしまうのですから、開いた口が塞がらない、とはこの事です。
以上のように、怪文書『フェイク』が切り文やスリカエを行なう理由は何か、といえば、御法主日如上人猊下と妙観講を何とか対立させたい、という点にあります。そして、あわよくば、宗門攻撃のために邪魔な妙観講を排除してしまいたい、というのが彼奴等の腹の内なのです。 しかしながら、こんなミエミエの離間策が功を奏することは金輪際ありえない、と知るべきでありましょう。
③学会怪文書『フェイク』は、 「『慧妙』を批判する宗門の僧俗は謗法である、と『暁鐘』が書いた」 などと大騒ぎしました。
これも、またもや文意の改竄です。すなわち、『暁鐘』(平成18年2月号)に載ったのは、 「ある法華講員が、〝仏子である創価学会と仲直りしなくては広宣流布はできない。それなのに学会を徹底的に責める『慧妙』は広宣流布破壊の謗法の新聞だ〟と書いて送ってきたそうだが、三宝破壊の学会を〝仏子〟だなどと言うのは浅識である。
また、〝『慧妙』も『創価新報』もどっちもどっちだ〟と言って日顕上人から喩された人がいる。ただ強い口調で責めているから、どっちもどっちだ、などと考え違いをしてはならない。学会は三宝破壊の大謗法であり、日蓮正宗は三宝を護るべく、一歩も引かずに学会を折伏しているのである。 それを上辺だけ見て考え違いし、〝宗門と学会の争いは、トップ同士の喧嘩にすぎない。宗門も学会も、どっちもどっちだ〟などという捉え方をするのは浅識謗法である」(要旨) というものです。
まったく正論であり、『フェイク』の言うような内容ではありません。もし、これが、文意の改竄ではなく、本当に前述のごとく読めたというなら、『フェイク(=虚報)』などと名乗り、文字どおり正法を惑乱するための虚報を繰り返しているうちに、その深重の罪報が、まさに彼奴等の脳味噌を破壊してしまったのでありましょう。げに恐るべきは謗法であります。
さて、以上のような①②③といった歪曲の積み重ねの上に、『フェイク』は次のように言います。 「右に列記した妙観講による法道院・早瀬批判、悪行の数々は全て事実である。(略)宗務院は真相究明に乗り出し、批判者の大草らを厳正に処分するべきである。」 彼奴等の狙いが、宗内から妙観講を排除するところにある、というのは、これで明らかでしょう。
それにしても、大謗法の極悪団体が、日蓮正宗の宗務院に妙観講の排除を懇願するとは、莫迦も極まれり、といったところです。要は、それほどまでに妙観講の存在が邪魔であり、このまま妙観講の折伏が進展していくことに恐れを懐いている、ということなのでありましょう(もし彼奴等が、そうでない、というなら、このような薄汚い策略を巡らしたりせず、涼しい顔で見ていればよいのです)。 ならば、いっそう創価学会に対する折伏に励むのが、正宗信徒としての心意気というものです。
最後に、この『フェイク』の結びの言葉を、妙観講として正しく言い換えておくことにしましょう。 「右に論証したとおり、学会による宗門・妙観講の離間策、悪辣な歪曲・捏造の数々は、もはや誰の目にも明らかである。全講員はこの真相をよく胸に入れ、謗法者である創価学会員をこれまで以上に徹底的に折伏するべきである。」 以上。
妙観講
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from: 21世紀さん
2010年04月08日 00時04分28秒
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「Re:‘破折済みの疑難’ カテゴリーのアーカイブ」
創価学会の愚劣な離間策を粉砕す
2006年04月21日
現在、妙観講からの破折に耐えかねた創価学会では、奸計をめぐらせ、妙観講の宗内での孤立化(あわよくば妙観講潰し)を狙って、怪文書を使った愚劣な策略を仕掛けております。
その内容は、〝第68世御法主日如上人猊下が御登座前、法道院主管を務められていた〟ということと、〝昭和52年暮れに、大草講頭ほか200余名が法道院から理境坊へ所属替えとなった〟ということを絡めて、あたかも妙観講が日如上人猊下を誹謗してきたかのごとく偽装し、これを喧伝し続ける、という悪辣なものです。
本来、日蓮正宗から破門された大謗法団体が、宗内の寺院と信徒の関係に口を挟んで云々すること自体、まったくの筋違いというものであり、反論の必要すら認められません。しかし、妙観講員とぶつかる学会員が、この疑難を持ち出しては、昔の事情に疎い講員を煙に巻こうとしていること、また、信仰の浅い短慮な講員が誑される恐れなしと言えないこと――等により、ここにあえて学会の愚劣な策略を破すことにいたします。
①まず、大草講頭ほか200余名が理境坊へ移籍となった経緯および、それに対する非難への答えとして発刊された小冊子『離籍の真相』、同じく『暁鐘』(昭和53年9月号・10月号)掲載の誌上座談会「広布の波涛」については、その全てが、時の御法主・第66世日達上人の御采配と御照覧のもとに運ばれたものである、ということです。
そのことは、当時すでに内事部に勤められていた理境坊住職・小川只道尊師が、『離籍の真相』の序に、 「この移籍の件は、すでに御法主上人猊下の知られるところとなり、法道院主管と私との話し合いで、双方が了解しているのである。したがって、宗制宗規に照らしてみても、何ら悖ることのない処置である。(中略)大草氏等の行動は、大御本尊を信じ奉り、御書を根幹として、御法主上人猊下へ随順せんとする赤誠の信仰心に貫かれた上でのことである」 と述べられていることや、この小冊子の作成・発送等に拘わる費用の一部を、法華講連合会の会計で負担していることからも明らかです。
しかして、この問題は昭和53年中に全て解決をみて、法華講法道院支部も、大草講頭等200余名でスタートした理境坊東京支部(仮称)も、共に日達上人の御もと、日蓮正宗法華講の一員として歩むところとなりました。
その後、折伏によって陣容拡大した仮称・理境坊東京支部は、昭和55年8月、第67世日顕上人より正式な講中結成の御認可を賜わって「妙観講」を結成、以後、折伏弘教を重ねて、今日2万数千の講員を擁するに至りました。
こうした経緯から明らかなとおり、大草講頭ほか200余名の移籍の件は、今から30年近くも前に、日達上人の御采配によって解決済みの話であり、その後、日顕上人の御代になってから結成され、拡大してきた今日の妙観講には、関係のない出来事であるといえましょう。 したがって、この事を取り上げ、今日、執拗に「妙観講が法道院を誹謗!」などと喧伝し続ける学会怪文書は、子供騙しのスリカエで人々を騙そうとしているのです。
そもそも、大謗法を犯して日蓮正宗より放逐された極悪団体が、とうの昔に宗内で解決済みの事柄に、今更「ああだ、こうだ」と口を挟むこと自体、筋違いであり余計なお世話であります。
それは、あたかも、凶悪な殺人鬼が、仲良くやっている兄弟に向かって、「お前達は30年前に口ゲンカしたことがあるだろう! 兄弟ゲンカは悪い事やで! 原因は何か、言ってみい! 兄弟ゲンカなどという非道の行ないはワシが許さん!」などと、大声で喚き散らしているようなもので、まったく馬鹿丸出し、という他ありません。
私共妙観講としては、こうした、極悪人の筋違いな口上に乗せられることなく、「それは30年も前に日達上人の御采配で解決済み。しかも、それは宗内の事なのだから、破門された大謗法のお前達が心配する筋合いではない。そんな余計な心配より、自らの後生の堕獄を真剣に心配しろ」と言いきっていくのみです。
②学会怪文書『フェイク』は、この移籍に関連する事柄として、「『法道院は日蓮正宗ではない』と『暁鐘』(昭和53年10月号)に書いてあった」(A) 「早瀬日慈(尊能化)の批判記事を『妙観』(平成4年3月15日号)に転載して法道院の恥部を宣伝した」(B) 「小川只道(尊師)が『法道院関係者は大謗法』『早瀬日慈(尊能化)らは大謗法』と罵倒した」(C) 「『〝早瀬一族から次の猊下が出るのは当然のことだ〟など、とても信じられぬ』と大草(講頭)が断定した」(D) 等と書き殴っています。
しかしながら、呆れたことに、これらの全てが、切り文とスリカエによって原文の意をネジ曲げたものであります。そのため、この『フェイク』を真に受けた愚かな学会幹部が、妙観講々員に「この内容が事実そのとおりでなければ脱会する」と大見栄を切って誓約書を書き、結局、事実でなかったために遁走してしまう、という事態まで発生しています。
以下、『フェイク』の書き殴った疑難の一々について、その誑惑を指摘しておきましょう。
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from: 21世紀さん
2010年04月03日 19時37分35秒
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「Re:‘破折済みの疑難’ カテゴリーのアーカイブ」
通諜本文
2009年9月25日 金曜日
創価学会教育学会各理事
殿
仝 各支部長
理事長 戸田城外
通諜
時局下、決戦体制の秋、創価教育学会員には益々尽忠報国の念を強め会員一同各職域に於いてその誠心を致し信心を強固にして米英打倒の日まで戦ひ抜かんことを切望す。依って各支部長は信心折伏について各会員に重ねて左の各項により此の精神を徹底せしめんことを望む。
一 毎朝天拝(初座)に於いて御本山の御指示通り、皇祖天照大神皇宗神武天皇肇国以来御代々の鴻恩を謝し奉り敬神の誠を致し、国運の隆昌、武運長久を祈願すべきことを強調指導すべきこと。
一 学会の精神たる天皇中心主義の原理を会得し、誤りなき指導をなすこと。
一 感情及利害を伴へる折伏はなさざること。
一 創価教育学会の指導は生活法学の指導たることを忘る可からざること。
一 皇大神宮の御札は粗末に取り扱はざる様敬崇祖の念とこれを混同して、不敬の取り扱ひなき様充分注意すること。 以上
六月廿五日
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通諜は実在した!
2009年9月21日 月曜日
やはり学会文書「通諜」は実在した
返還された押収書類の中に約三十通
〝事実無根説〟総崩れ・ これが実物カラー写真だ
偽造写真事件で窮地に立たされている学会では、会員から疑惑の眼が向くのを必死にかわそうとして、インチキ新聞『創価新報』を使い、かの戦中の学会文書「通諜」を「戦後の偽書」「捏造文書のプロの仕業」「宗門の愚かな画策」であるとするキャンペーンを打ち上げた。だが、この必死の悪あがきも、正真正銘の「通諜」の実物が提示されてしまえば、すべて崩壊する。ここに本紙は、学会の「愚かな画策」を粉砕すべく、「通諜」の実物カラー写真を初公開し、併せて同文書の伝わった経緯と背景を明らかにするものである。
「通諜」の所在と伝わった経緯
一つの事実は百万の言葉に勝る。まず、このカラー写真をご覧いただきたい。これが、かねて騒がれてきた、昭和十八年六月二十五日付・戸田城外(後に城聖と改め)理事長名の「通諜」・・その実物である。
この文書は、東京の稲葉荘氏(学会の初代総務・稲葉伊之助氏の子息)宅に保管されていたもので、かつてフリーライターの溝口敦氏も『池田大作・創価王国の野望』(紀尾井書房刊)中に
「今回の取材で初めて確認したのだが、この通牒は真物である。もともとの出所は稲葉荘氏で、稲葉氏は同家の地下室に収蔵していたため、文書は湿気で周辺部がボロボロになった。現在、同文書は同大同形の紙で裏打ちされ、たしかに畳(たた)まれて保存されているが、畳まれたときの破損状況は理にかなって作為はあり得ない」
と述べ、これを『妙観』紙(平成四年五月十五日付)でも引用掲載したことがある。
しかるに今回の新報のキャンペーンでは、何故か稲葉氏の名には少しも触れず、ひたすら、野島辰次氏(元副理事長)作成説を批判してみたり、「戦後に入信した、ある特定の法華講員」による後世の偽作と勝手に決めつけたりしている。おそらく、稲葉氏について触れれば、同氏宅に「通諜」の実物が保管されていることがクローズアップされてしまい、それがもし〝実物鑑定〟にまで発展してしまえば、同文書が戦中のものと判明してしまう・・それが、学会にとっては至極、都合が悪かったからであろう。
だが、そうした姑息な考えに基づく策謀も、ここに「通諜」の実物を提示したことで、すべて吹っ飛んでしまった。すなわち、いかに「通諜が存在しなかった証拠」をあれこれ考え出してみたところで、実物が存在している以上、すべてが空論と化してしまうからである。
さて、動かぬ証拠ともいうべき「通諜」の実物を提示した上で、さらに、これが稲葉氏宅に伝わった経緯と背景について述べる。
昭和十八年七月六日、牧口会長・戸田理事長・矢島周平氏・稲葉伊之助氏らが逮捕された際、各人の家は特高警察の刑事達によって捜索され、関係資料の一切(この中には、なんと御本尊までが含まれていた)が押収されてしまった。
稲葉氏宅の場合、この押収資料が返還されることになったのは、ようやく戦後十年も経った昭和三十年頃のことであり、リヤカーを引いて資料の受け取りに行ったということである。
その折、伊之助氏の娘(荘氏の姉)が牧口氏の息子・洋三氏(戦死)に嫁いでいる、という縁戚関係があったことから、当局より、牧口氏の押収資料も一緒に引き渡され、稲葉荘氏はハトロン紙に包んだ返還資料を二人分(二個口)持ち帰ってきた。
そして、当時すでに二代会長に就任していた戸田会長に架電し、牧口氏の分の返還資料の処置について相談したところ、
「それは荘君が保管していてくれ」
との指示であった。
そこで稲葉氏宅では、いったん二個の包みを開き、その中味を一緒に保管するところとなったのだが、昭和三十五年に池田が三代会長に就任して後、柏原ヤスを通じて、
「保管されている牧口先生の分の資料を、記念品として学会に引き渡してほしい」
旨、申し入れがなされた。
こうして、ほとんどの牧口氏の資料が学会に引き渡されたのだが、稲葉氏宅では、二個の包みをほどいて中味だけを一緒に保管していたため、牧口氏の携行用の小さな御書を含め若干の引き渡し洩れが生じたのであった。そして・・この引き渡し洩れの牧口氏の資料の中にあったか、あるいは稲葉氏の分の資料の中にあったか、定かに区分けすることはできないが、ともかく、そのとき稲葉氏宅に残った資料の中に、ワラ半紙にガリ版刷りの「通諜」があったのである。その数、およそ三十枚・・。
稲葉氏宅では、この文書がそれほど重大な問題になるものとは夢にも思わず、他の資料と共に、再び地下室に収蔵したのであった。その後、湿気の多い地下室に長期収蔵されたため、同文書は多くが破損滅失し、残りは各関係先へ資料として寄贈された(幸いにして三通の「通諜」の現存が確認されている)。
以上が、稲葉氏宅に「通諜」が伝わった経緯である。
「通諜」にまつわる謎を解明
傍証となる学会側記録も明らか
このことから、さらに立ち入って考えてみると、「通諜」が入っていたのは、おそらく牧口氏宅から押収された資料の中、と考えて間違いない。
何故ならば、もし稲葉氏宅からの押収資料の中にあったとすれば、少なくとも昭和十八年七月六日の逮捕前に、「通諜」は稲葉伊之助氏に渡されていたことになる(それも三十枚も)。
むろん、「通諜」の宛て先が当時の「各理事・各支部長」となっていることからすれば、理事であった稲葉伊之助氏に渡っていても不思議はないが、だとすれば、当時の副理事長であった野島辰次氏が「通諜」の存在を知らない(と思われる)ことや、稲葉氏宅以外で見つかっていないことは、どうにも不自然に感じられる。
では、この「通諜」が稲葉氏宅から押収された資料の中になかった、とするならば、あと残る可能性としては、牧口氏宅からの押収分の包みの中に入っており、しかも学会への引き渡しから洩れた分の中にあった、ということになる。
つまり「通諜」は、昭和十八年六月二十五日付で文章が作られ、その翌日くらいまでに約三十枚がガリ版印刷された後、牧口氏宅に届けられたが、折しも六月二十九日には、理事の陣野忠夫らが非常識な罰論を使ったことが原因で逮捕され、そのゴタツキが起きたためであろうか、牧口氏は「通諜」を配布する機会のないまま、七月二日早朝から地方布教に出かけ(おそらく氏は、幹部の一斉逮捕などというほど、事態がさし迫っているとは思っていなかったであろう)、七月六日の下田での逮捕となったから、「通諜」は誰の手にも渡らないまま、約三十枚がそっくり牧口氏宅から官憲に押収されたものと考えられる。
されば、今回の新報がいうような、「獄中の野島を見ても『通諜』は一切出てこない」「『通諜』が実在していたのなら、野島は当然それを供述しているはず」「当時の理事・支部長だった人達にも配られていない」等というのも、むしろ状況としては当然のことといえよう。野島氏以下ほとんどの幹部達は、「通諜」の存在を知らなかったであろうから。
また、新報のいう「もし『通諜』があれば、とくに高齢だった牧口会長に対しては、保釈も検討されたであろう。(略)尋問調書や裁判書類には『通諜』は一切出てこないし、押収書類のなかにも『通諜』はないのである」等という疑難はどうであろうか。
じつは、当時の特高警察は、先に逮捕してあった陣野氏らを激しく取り調べ、学会弾圧の罪状を作成した上で、一挙に、牧口氏以下二十一名の幹部を逮捕に踏み切っている。つまり、学会を潰滅せしめる意志決定が、あらかじめなされていたのだ。
それであれば、まだ配布もされていない「通諜」なる文書が牧口氏宅からの押収資料中にあったとしても、当局としては、これを取り挙げるどころか無視を決め込むであろうし、ましてや「保釈を検討」したり、わざわざ「尋問調書」等の中に記録を残すようなヘマをするはずがない。悪名高い戦時中の特高は、人の良い民主警察ではないのである。
これで、「通諜」に関する大きな謎・・戦時中の証言や資料が出てこない理由・・が解明されたが、では、この「通諜」の存在についての、古い証言や資料はまったく皆無なのかといえば、それは否である。『冨士宗学要集』(五十九世日亨上人編)の第九巻の法難編・第十三章「昭和度」に、
「左の一編は小平芳平氏(※当時の学会教学部長)の記に依る」(四二九頁)
として、学会側から寄せられた弾圧記録が載せられている。そこに、
「十八年六月には、学会の幹部が総本山へ呼ばれ、『伊勢の大麻を焼却する等の国禁に触れぬよう』の注意を、時の渡辺部長より忠告を受けた。牧口会長は、その場で暫く、柔らかにお受けした。(中略)合同問題のもつれと、小笠原一派の叛逆、牧口会長の国家諌暁の強い主張等を背景とし、直接には、牧口会長の折伏が治安を害するといい、また神宮に対する不敬の態度があるとして、弾圧の準備が進められたから、会長の応急策もすでに遅し(※以下、次々と牧口氏ら学会大幹部が逮捕された状況が述べられている)」(四三一頁)
との文を見ることができるのである。
この文中、すでに手遅れだった「会長の応急策」とは、まさに六月二十五日付「通牒」をさすことは明白である。もし、そうでないというなら、六月二十日に総本山で「忠告を受けた」後、七月六日に逮捕されるまでの間に打った「会長の応急策」とは、いったい何だったのか、また、どうして「すでに遅し」だったのか、それらを明らかにした上で反論しなければなるまい。
ともあれ、この宗学要集掲載の文が、「通諜」実在の傍証であることはもはや確実であり、このことは、とりもなおさず、〝学会の首脳陣は「通諜」の存在も、作成の経緯も知っていた〟ということを、雄弁に物語っているのである。
嗚呼(ああ)、なんたる不正直の謀略組織であることか・・。
崩壊した学会側の疑難!
自己矛盾と幼稚な妄説を破す
なお、右の宗学要集掲載の文中、「牧口会長は、その場では暫く、柔らかに(宗門の忠告を)お受けした」とあることについて、新報では、野島辰次氏の遺稿集『我が心の遍歴』(平成四年六月十九日発行)を頼りに、
「野島の記述は、当時の学会が、本山の申し出を後にも先にも、まったく受け入れなかったから弾圧された、ということであり、その意味で『通諜』などまったくなかったことの重要な証言といえよう」
などと、はしゃいでいる。
だが、この野島氏の遺稿は、氏自身の心に感じた、主観的な見方を書き綴(つづ)ったところの、まさに『我が心の遍歴』であり、一方の、小平教学部長の手による宗学要集掲載の文は、昭和十八年六月二十日の「忠告」の場に立ち合われた日亨上人が允可(いんか)されたものであり、また学会の公式見解ともいうべき記録である。
それを、その時の都合次第で猫の目のように変節し、これまで「裏切り者」「退転者」と罵ってきた野島氏の遺稿を利用して、自ら公認してきた記録の方を知らぬ顔で引っ込める、この破廉恥ぶり。信仰者として、恥ずかしくないのか、と言いたい。
これについては、稲葉荘氏夫妻が、昭和十八年六月下旬当時の出来事として、
「学会では、慌てて神札の取り扱い方を変え、いちおう受け取るよう、指示を流しました。私の家も、他の家も、それで神札を受け取ったんです。それが、おそらく本山からのお話のあった直後のことだった、と思います」
と証言していることだけ紹介しておこう。
最後に、今回新報が述べたてた「宗門、『野島作成説』で命取り」という論調については、宗門ではこれまで「野島作成説」など主張したことはない、ということをここに明記し、また「(通諜は)戦後に入信し、戦前の学会とは何の関係もない、ある特定の法華講員が作成した」との妄説については、ならば、その「特定の法華講員」の氏名と、その人物が「作成した」という根拠を責任をもって明示せよ、(どうだ、できまい? それは学会のムリな言い掛かりだからだ!)と申し伝えておく。
慧妙編集室
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from: 21世紀さん
2010年04月12日 18時54分31秒
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「Re:‘破折済みの疑難’ カテゴリーのアーカイブ」
「学会は宗門の『C作戦』で破門された」って!?
その言葉だけが勝手に一人歩きした「C作戦」
裁判所も「客観的根拠に乏しい」と存在を否定
学会員は、いまだに「学会は、好き好(この)んで宗門から離れたのではない。宗門の『C作戦』によって、追い出されたのだ」と言って、〝悪いのは御宗門、学会は一方的にカット(C)された被害者〟という立場で日蓮正宗を誹謗(ひぼう)してきます。
しかし、学会のいう「C作戦」などというものは、もとより存在していません。
今回は、この「C作戦」について、お答えします。
そもそも、学会のいう「C作戦」とやらは、いったい、どこから出てきたのでしょうか。
学会では、どこからか入手したというある僧侶のメモ書きに「C作戦」という言葉があったこと、そして、『C作戦文書』なる文書があったこと、を挙(あ)げています。
しかし、いずれも、「C作戦」の存在を証明するものではありません。
まず、ある僧侶のメモ書きなるものですが、このメモ書きは、その僧侶の個人的なものであり、ご本人の意思で公開されたものではありませんから、他人が、ましてや破門された学会が、入手できようはずがないものなのです。
にもかかわらず、学会はこのメモを入手した、というのですから、いったい、どこからどのようにして入手したのか、まず、それを明らかにするべきであります。
また、そのメモ書きというのは、平成二年七月十八日、総本山において、当時の御法主・六十七世日顕上人猊下御臨席のもと、学会への対策を協議する会議が開かれたのですが、その会議に出席していた僧侶が会議の内容をメモしたものです。
その会議は、その年の春頃から表面化してきた、学会の御宗門に対する不遜(ふそん)な行動に対し、今後の対応を協議する目的で開かれた会議でした。
かつて、昭和四十九年当時、「本山とはいずれ関係を清算せざるを得ない」「長期的に見れば、うまくわかれる以外にない」「やる時がきたら、徹底的に戦いたい」との考えのもと、六十六世日達上人を威圧したり、僧侶方を恫喝(どうかつ)してつるし上げたりと、卑劣(ひれつ)な行動を平然と行なってきたのが、池田創価学会です。
このような団体を正していこうとすれば、最悪の場合、日達上人の時と同様、〝手を切る〟という事態になることも覚悟して、事を進めていかなければならないのは、誰にでも理解できることです。
この会議では、こうしたことがいろいろと論議され、結論としては、「まず宗門僧侶が自らの姿勢を正し、学会から付け入られたりしないよう、綱紀自粛すべきである。学会に意見や質問を投げかけるのは、当分見合わせる」ということが決定されたのです。
ですから、メモの中に「手を切る(カット=C)」という表現が残っていたとしても、これをもって、「この会議で学会を切るための『C作戦』が立案された」などということは、まさに天を指して地というような、全く乱暴きわまりない話です。
また、もう一つの『C作戦文書』なるものですが、これは、七月十八日の会議で「C(作戦)」という言葉が出た、ということを漏(も)れ聞いた人が、その言葉を使って、いかにもそれらしい作戦文書に仕立て上げ、創価学会幹部に送り付けてからかったものである、ということがほぼ判明しています。
そこに記されている計画は、平成二年七月十九日以降の実際の宗門の動きとも全く異なっており、会議の当事者でもない人物が勝手に作った怪文書であることは、誰の目にも明らかです。
以上のように、「C作戦」なるものは、もともと存在していないのです。
このことは、後年、日蓮正宗と脱落僧・吉川雄進との間で行なわれた〝寺院明け渡し訴訟〟において、裁判所の判決でも明確にされました。
「被告(※吉川雄進)は、右対立状態に至った原因は、原告(※日蓮正宗宗門)の画策実行した『C作戦』にある旨、主張し、(中略)右主張に沿う部分(※メモ書きやC作戦文書)があるが、これらは、いずれも一方的な陳述の類(たぐい)であり、その内容も客観的根拠に乏(とぼ)しく、また、これらを補強しうる的確な証拠もないから、右証拠から直ちに被告の右主張を認めることはできない」(平成十一年四月二十一日・長野地裁松本支部)
と。
このように、学会のいうような「C作戦」などは、最初から存在していないのですから、学会員各位には、早くこの真実を認める目を覚ましてほしいものです。
【慧妙 平成21年1月1日号より】
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