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from: ハムスターさん
2010年06月10日 20時36分17秒
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「人間革命の正しい読み方」慧妙編集室編 連載二回目
創価学会「反戦の歴史」の嘘 (第一巻「黎明」の章より
池田大作著『人間革命』は、
「戦争ほど、残酷なものはない。戦争ほど、悲参なものはない。だが、その戦争は、まだ続いていた」との書き出しから始まっている。学会員に言わせれば、「創価学会の平和主義を端的に示している」 ということらしい。
これと同様に、創価学会が当初から戦争に反対してきたかのような記述は、随所に出てくる。次の一節もそのひとつである。
「しかも、その戦争はまだ終わっていない。『馬鹿気たことを、いつまでやっているんだ!』彼(※戸田城聖)は吐き出すように、誰に言うともなく、激しい口調で呟(つぶや)いた。その声は、闇に消えたが、彼の怒りは燃えさかっていたのである。
平和と幸福への願いは、万人共通の念願であるはずだ。戦争は断じて行うべきでない。 戦争して誰が喜ぶか。誰が幸福か。勝利者も。敗北者も-------。」(第一巻「黎明」の章)
池田の記述では、創価学会二代会長・戸田城聖氏は、戦争を遂行した当時の政府に激しい怒りをぶつけていた、という。
しかし、本当にそうであろうか。
創価学会の「反戦の歴史」のウソについては、すでに『慧妙』紙で数度にわたって論じられているが、『人問革命』の虚構を暴くに当たって、まず、この点についても触れておこう。今の学会にとって、「世界平和」という語がセールスポイントだからである。
さて、現在の創価学会では、太平洋戦争を「侵略戦争」と捉(とら)えているが、 戸田氏はその太平洋戦争の遂行に意欲を見せ、自らの著書『人間革命』(池田の著は、この続編という形をとっている) の中で次のように語っている。
「日本の癌(がん)になる対支問題の解決には、われわれが支那大陸の地下工作にまで乗り出そうではないか!勿論(もちろん)、厳(がん)(※戸田城聖白身をモデルとした主人公)の全財産は、この運動に提供する。」(精文館発行『人間革命』三八六頁〜三八七頁)
「牧田城三郎先生(※牧口常三郎初代会長のこと)は国家諫暁を思い立たれ、白分は学会幹部を集めて、救国の一大折伏戦や支那大陸への潜行運動などを展開しようとしたが、それは飽く迄(あくまで)も、日本を負けさせたくないからであって(以下略)。」(同書四五五頁)
一目でわかるように、池田著の『人間革命』では「戦争に反対していた」ハズの戸田氏が、戸田氏著の同名小説では、当時の日本の国策であった太平洋戦争遂行のために、「国家諫暁」とともに「地下工作・潜行運動」を行なおうと主張しているのである。しかも、その動機が「戦争で日本を負けさせたくない」ため、というのであるから、前の池田の記述がいかにウソっばちであるかがわかろう。
また当時、戸田氏ならびに牧口氏が主張した「国家諫暁」とは、どのようなものであっただろうか。
戦後、戸田氏は、心理学者のインタビューに次のように答えている。
「戦争では勝ちたかった。負けるとは思つていなかった。私の今もっている信念は、当時はなかった。私には教学もなかったし、勉強もしてなかったからなんだ。初代会長は勝つといっていた。教線が伸びたのは日本の戦勝と一致していたし、学会の弾圧と敗戦への方向が一致し、初代会長の獄死と共に本土空襲がはじまったので、その結びつきは考えた。」
(小口偉一編『宗教と信仰の心理学』)
つまり、「馬鹿げた戦争をやめろ」ではなく、「戦争に勝つ」ために折伏を行ない、国家諫暁を行なおうとしていたのである。当時の学会に「反戦平和」などという思想がなかったことは、これで明らかであろう。
なお、誤解のないようにことわっておくが、本書は、当時の戸田氏が“侵略”という意識を持っていたとか、好戦思想の持ち主だった、などといって、批判しようというのではない。現在の創価学会が、己れの過去を飾り、戦前・戦後を通じて「反戦平和主義」であったかのように会貝を洗脳しているから、その洗脳を覚ますべく、ありのままに紹介しているだけである。
戦争の悲慘さを訴え、平和を論ずることは、今日、有意義であることはいうまでもない。しかし、創価学会自身の戦争翼賛(よくさん)の歴史を隠し、会員獲得と洗脳のために虚飾の歴史を綴(つづ)ることは罪悪である。
御書に云わく
「疵(きず)を蔵(かく)して徳を揚(あ)げ自ら省(かえり)みることは能(あた)はず。是無慙(むざん)の人なり」(御書1730頁)と。
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