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  • from: ハムスターさん

    2010年07月16日 04時02分31秒

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    「人間革命の正しい読み方」慧妙編集室編 連載九回目

    >「言論出版妨害事件」より40年の節目に当たります

    そうですか、私は事件の名前は知っているのですが、実態はしりません。
    多くの学会員も知らないのではと思います。
    アホ学会の真実の姿を確実に残していって欲しいと思います。

    描かれない”高利貸しで大活躍”の過去(第四巻「疾風」の章より)

    『人間革命』第四巻“疾風”の章に、会社の経営不振で苦境にあった戸田氏を支える池田大作の姿が描いてある
    その一節。
    「この頃、山本伸一は戸田の指示のままに、毎日、四方八方に飛んでいた。用件のことごとくは、厄介(やっかい)な外交戦といつてよい。どちらかといえば、気の弱い、真面日な彼には、外交戦は苦手であった。だが彼は、自分の目前のいやな道を、決して避けなかった。 彼の正義感が、それを許さなかったからである。

    彼の仕事は、相手の了解を求めたり、支援を依頼したり、厳重に督促(とくそく)したり、苦情を受け止めたり、一件として気の許せる仕事ではない。現実の厳しさと、貢任の重さに、一日一日くたくたになって疲労はかさなった。
    若い伸一は、あまりにも早く、大きな波をかぶってしまったともいえるのである。(『人間革命』第四巻“疾風”の章)

    この場面は、昭和二十五年、戸田氏が経営に参画していた「東京建設信用組合(※小口金融業=小説中では東光建設信用組合)が経営危機に陥り、苦境の戸田氏を救うべく、山本伸一こと池田大作が孤軍奮闘しているところである。

    が、戸田氏と池田の奮闘も空(むな)しく、その年の八月には、大蔵省から業務停止命令が下され、池田はその残務整理に追われることになる。実際、債権者の取り立ては厳しかったらしく、後に池田は
    「昭和二十五年はすごかった。戸田先生の奥さんは薬売りをしようとする。借金取りは連日悪口を云った。私一人で頑張った。横領罪で訴えられそうになった。二十五年の十二月には、 もう駄目かも知れぬと思った」 (『社長会記録』昭和四十三年四月二十九日)ともらしている。

    その後、池田は、同じ頃に創設され、同じく戸田氏の傘下にあった金融業・大蔵商事(※小説中では大東商工株式会社)で奮闘し、苦境の戸田氏を支えたことになっている。

    しかし、どういうわけか池田は、冒頭の東光建設信用組合については、その出発から業務内容まで詳しく書きながら、大東商工株式会社については、会社名のみの紹介で、いつから始まったのか、また業務内容は何なのかは、まるで書いていないのである。戸田氏を支えきって活躍し、それこそ独断場であったにもかかわらず、である。

    ここでは、そのナゾを追ってみよう。
    まず、 池田が小説では明らかにしてぃなぃ大東商工株式会社こと大蔵商事の業務は、不動産・保険代理業・高利貸し等である。

    池田は、その年の十一月、そこの営業部長を命じられ、仕事に精を出している。
    もっとも、営業部長といえば聞こえはいいが、池田以外は戸田氏の親戚二・三名で、名前のみの「部長」であった。

    のちに池田は、この当時のことを振り返って、
    「大蔵商事では一番いやな仕事をした。どうしてこんないやな仕事をするのかと思った」
    (『社長会記録』昭和四十三年二月十日)
    「戸田先生の唯一の失敗は、私に、金貸しのような、汚い仕事をやらせたことだ。 俺なら後継者の人生経歴を、そんなことで傷つけたりしない」(山崎正友氏の証言)と語っている。

    これらの言葉からわかるように、池田は大蔵商事の営業部長として、金貸しや取り立てに、法律に抵触するギリギリのところで辣腕(らつわん)を振るい、一説には「病人の寝ている布団をはぐ」ほどの強引な取り立てまで行なったという。

    この、やり手の高利貸し屋・池田大作の給料が上がらぬわけがなく、
    「戸田先生の時代に二十六、七歳の時、三年かかってかせいだ歩合のお金、私の貰い分が当時の金で二百万、今の金にすると数千万円になるな。それで先生の借金を返したが、戸田先生は少しも有り難うなんて云わない。」(『社長会記録』四十四年六月一日)

    と語っているように、当時、大学卒の初任給が一万円そこそこであったろう時代に、わずか三年で、しかも歩合給だけで、当時の金額で「二百万円」、今日に換算すると「数千万円」ものカネを稼(かせ)いでいたのである。
    この一事だけでも、池田の高利貸し屋としての辣腕ぶりが理解できよう。

    冒頭に挙げた『人間革命』の一節では、池田は「気の弱い、真面目な彼には、外交戦は苦手」などと殊勝(しゅしょう)なことを言つているが、実際は、誰もが「一番いやな仕事」と感じる「金貸しのような汚ない仕事」に、「正義感」をもって精を出していた、というのが真相であった。

    さて、話を元に戻そう。池田が、事業としては失敗に終わった東京建設信用組合での活躍のみを記して、大成功したハズの大蔵商事での活躍を省(はぶ)いた理由----それは、池田が自ら「一番いやな」「汚い仕事」と恥じる、高利貸しとしての素顔の経歴を隠すためであり、また、いかにも自分が清貧に甘んじながら戸田氏を支えていつたかのごとくカモフラージュするためだったのである。

    それにしても、このような欺瞞(ぎまん)だららけの小説を丸ごと信じて池田についていく会員達-----学会を抜け出さないかぎり、被らは高利貸し屋・池田大作に骨の髄(ずい)まで搾(しぼ)り取られ続けるのである。

    まさに、「哀れ!」としか言いようがない。



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コメント: 全2件

from: ハムスターさん

2010年07月20日 02時31分54秒

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「Re:Re:「人間革命の正しい読み方」慧妙編集室編 連載九回目」
>> ご無沙汰しています。
>  はじめまして、ハムスターさん、宜しくお願いします。
> 良い点をついていますね、まさか、創価学会の会長になられたお方が、過去に大蔵商事で金融の取り立てで、大儲けしたとは、間違っても知られたくないのでしょう。
>  大蔵商事の主業務は手形の割引であった。
> 「割り引いてもらいたい者は創価学会支部長の紹介状をもらって朝九時までに大蔵商事に行く。商事では手形を預かり、午後三時にまた来いというわけだ。それから、目と鼻の先の三菱銀行市ヶ谷支店に運んで、銀行の手で振出し銀行に問い合わせ、ふるいにかけて午後二時に戻ってくる。割引率はふつう一割五分、三ヵ月手形なら四割五分を引く。一方、会員からは日歩十五銭で運用してやると金を集めていた」
>
>  この大蔵商事の顧客は、大部分は創価学会員だったようです。
> それは、聖教新聞に「資金の融通は大蔵商事」と広告をうっていることからも分かります。
> その為、創価学会員は、池田大作が大蔵商事で金融の取り立てをやっていたことは知っていたと思われます。(当時)
>
>  しかしながら、池田大作が会長になってからは、大蔵商事での仕事は隠したかったのです。会長が、過去に金融の取り立てで大儲けし、先輩たちに奢ってあげた、とは間違っても学会史には載せられないのでしょう。その為、大蔵商事での仕事は触れられないのです。
>
>  いずれにしても、仏教を志す方が、金融の取り立てをやること自体、間違っています。
>
>  次回は、戸田城聖の遺産の行方を述べたいと思います。
>
> 参考文献:溝口敦著「池田大作権力者の構造」

はじめまして、22世紀さん。
この大蔵商事のことは、次回も続きます。
今度は、聖教新聞の大蔵商事の広告写真入りになる予定です。

洗脳された学会員が、目を覚ましてくれればよいのですが・・・・
私も折伏など忙しいので、なかなか進みませんが、気長に続けますのでよろしくお願いします。

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from: 22世紀さん

2010年07月19日 23時24分46秒

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「Re:「人間革命の正しい読み方」慧妙編集室編 連載九回目」
> >「言論出版妨害事件」より40年の節目に当たります
>
> そうですか、私は事件の名前は知っているのですが、実態はしりません。
> 多くの学会員も知らないのではと思います。
> アホ学会の真実の姿を確実に残していって欲しいと思います。
>
> 描かれない”高利貸しで大活躍”の過去(第四巻「疾風」の章より)
>
> 『人間革命』第四巻“疾風”の章に、会社の経営不振で苦境にあった戸田氏を支える池田大作の姿が描いてある
> その一節。
> 「この頃、山本伸一は戸田の指示のままに、毎日、四方八方に飛んでいた。用件のことごとくは、厄介(やっかい)な外交戦といつてよい。どちらかといえば、気の弱い、真面日な彼には、外交戦は苦手であった。だが彼は、自分の目前のいやな道を、決して避けなかった。 彼の正義感が、それを許さなかったからである。
>
> 彼の仕事は、相手の了解を求めたり、支援を依頼したり、厳重に督促(とくそく)したり、苦情を受け止めたり、一件として気の許せる仕事ではない。現実の厳しさと、貢任の重さに、一日一日くたくたになって疲労はかさなった。
> 若い伸一は、あまりにも早く、大きな波をかぶってしまったともいえるのである。(『人間革命』第四巻“疾風”の章)
>
> この場面は、昭和二十五年、戸田氏が経営に参画していた「東京建設信用組合(※小口金融業=小説中では東光建設信用組合)が経営危機に陥り、苦境の戸田氏を救うべく、山本伸一こと池田大作が孤軍奮闘しているところである。
>
> が、戸田氏と池田の奮闘も空(むな)しく、その年の八月には、大蔵省から業務停止命令が下され、池田はその残務整理に追われることになる。実際、債権者の取り立ては厳しかったらしく、後に池田は
> 「昭和二十五年はすごかった。戸田先生の奥さんは薬売りをしようとする。借金取りは連日悪口を云った。私一人で頑張った。横領罪で訴えられそうになった。二十五年の十二月には、 もう駄目かも知れぬと思った」 (『社長会記録』昭和四十三年四月二十九日)ともらしている。
>
> その後、池田は、同じ頃に創設され、同じく戸田氏の傘下にあった金融業・大蔵商事(※小説中では大東商工株式会社)で奮闘し、苦境の戸田氏を支えたことになっている。
>
> しかし、どういうわけか池田は、冒頭の東光建設信用組合については、その出発から業務内容まで詳しく書きながら、大東商工株式会社については、会社名のみの紹介で、いつから始まったのか、また業務内容は何なのかは、まるで書いていないのである。戸田氏を支えきって活躍し、それこそ独断場であったにもかかわらず、である。
>
> ここでは、そのナゾを追ってみよう。
> まず、 池田が小説では明らかにしてぃなぃ大東商工株式会社こと大蔵商事の業務は、不動産・保険代理業・高利貸し等である。
>
> 池田は、その年の十一月、そこの営業部長を命じられ、仕事に精を出している。
> もっとも、営業部長といえば聞こえはいいが、池田以外は戸田氏の親戚二・三名で、名前のみの「部長」であった。
>
> のちに池田は、この当時のことを振り返って、
> 「大蔵商事では一番いやな仕事をした。どうしてこんないやな仕事をするのかと思った」
> (『社長会記録』昭和四十三年二月十日)
> 「戸田先生の唯一の失敗は、私に、金貸しのような、汚い仕事をやらせたことだ。 俺なら後継者の人生経歴を、そんなことで傷つけたりしない」(山崎正友氏の証言)と語っている。
>
> これらの言葉からわかるように、池田は大蔵商事の営業部長として、金貸しや取り立てに、法律に抵触するギリギリのところで辣腕(らつわん)を振るい、一説には「病人の寝ている布団をはぐ」ほどの強引な取り立てまで行なったという。
>
> この、やり手の高利貸し屋・池田大作の給料が上がらぬわけがなく、
> 「戸田先生の時代に二十六、七歳の時、三年かかってかせいだ歩合のお金、私の貰い分が当時の金で二百万、今の金にすると数千万円になるな。それで先生の借金を返したが、戸田先生は少しも有り難うなんて云わない。」(『社長会記録』四十四年六月一日)
>
> と語っているように、当時、大学卒の初任給が一万円そこそこであったろう時代に、わずか三年で、しかも歩合給だけで、当時の金額で「二百万円」、今日に換算すると「数千万円」ものカネを稼(かせ)いでいたのである。
> この一事だけでも、池田の高利貸し屋としての辣腕ぶりが理解できよう。
>
> 冒頭に挙げた『人間革命』の一節では、池田は「気の弱い、真面目な彼には、外交戦は苦手」などと殊勝(しゅしょう)なことを言つているが、実際は、誰もが「一番いやな仕事」と感じる「金貸しのような汚ない仕事」に、「正義感」をもって精を出していた、というのが真相であった。
>
> さて、話を元に戻そう。池田が、事業としては失敗に終わった東京建設信用組合での活躍のみを記して、大成功したハズの大蔵商事での活躍を省(はぶ)いた理由----それは、池田が自ら「一番いやな」「汚い仕事」と恥じる、高利貸しとしての素顔の経歴を隠すためであり、また、いかにも自分が清貧に甘んじながら戸田氏を支えていつたかのごとくカモフラージュするためだったのである。
>
> それにしても、このような欺瞞(ぎまん)だららけの小説を丸ごと信じて池田についていく会員達-----学会を抜け出さないかぎり、被らは高利貸し屋・池田大作に骨の髄(ずい)まで搾(しぼ)り取られ続けるのである。
>
> まさに、「哀れ!」としか言いようがない。

ご無沙汰しています。
 はじめまして、ハムスターさん、宜しくお願いします。
良い点をついていますね、まさか、創価学会の会長になられたお方が、過去に大蔵商事で金融の取り立てで、大儲けしたとは、間違っても知られたくないのでしょう。
 大蔵商事の主業務は手形の割引であった。
「割り引いてもらいたい者は創価学会支部長の紹介状をもらって朝九時までに大蔵商事に行く。商事では手形を預かり、午後三時にまた来いというわけだ。それから、目と鼻の先の三菱銀行市ヶ谷支店に運んで、銀行の手で振出し銀行に問い合わせ、ふるいにかけて午後二時に戻ってくる。割引率はふつう一割五分、三ヵ月手形なら四割五分を引く。一方、会員からは日歩十五銭で運用してやると金を集めていた」

 この大蔵商事の顧客は、大部分は創価学会員だったようです。
それは、聖教新聞に「資金の融通は大蔵商事」と広告をうっていることからも分かります。
その為、創価学会員は、池田大作が大蔵商事で金融の取り立てをやっていたことは知っていたと思われます。(当時)

 しかしながら、池田大作が会長になってからは、大蔵商事での仕事は隠したかったのです。会長が、過去に金融の取り立てで大儲けし、先輩たちに奢ってあげた、とは間違っても学会史には載せられないのでしょう。その為、大蔵商事での仕事は触れられないのです。

 いずれにしても、仏教を志す方が、金融の取り立てをやること自体、間違っています。

 次回は、戸田城聖の遺産の行方を述べたいと思います。

参考文献:溝口敦著「池田大作権力者の構造」

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