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from: ハムスターさん
2010年08月18日 22時59分38秒
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「人間革命の正しい読み方」慧妙編集室編 連載十二回目
「権力と宗教」を語る池田のホンネ(第六巻「七百年祭」の章より)
創価学会の政教一致は常に騒がれているが、ここでは政治権力と宗教の関係について、池田の考えを検証してみよう。
『人間革命』第六巻に、この関係を述べた箇処がある。
「権力と手を結ぶ宗教がある。だが、一時は権力とともに栄えることはあっても、やがて権力とともに減んでゆく。逆に、民衆のなかに生きた宗教は、幾多の圧迫を受けつつも、いよいよ輝きを増していくものだ。」(“七百年祭”の章)
まったくもって正論だが、これが池田の本心かというと、じつはウソ。
まず、池田が、国家権力への足がかりとして作った公明党の日的は、というと。
「こう言うと、また政教一致といわれるけどね。教義を実現するためには、政治の力が必要です。そういう目的で公明党を作ったのだから。 それは変わらないですよ」(平成六年九月十四日・記者懇談会)
と、創価学会の「教義実現」のために公明党を作ったのだ、とマスコミの記者に解説している。
では、池田のいう「教義の実現」とは、どのようなことなのか。
池田はこれまで、
「広宣流布の時(※学会が天下を取った時)には、参議院議員、衆議員議員もいてさ、(中略)要所要所を全部ね、学会員で占める」([「聖教新聞』昭和三十二年九月六日)
「天下を取らない党なら、やる必要はない。私が控えているから心配するな」
(昭和五十一年十一月十六日、公明党議員に対して)
「私が数わったのは帝王学だ、私は最高権力者になる」(『現代』昭和四十五年七月)
「妙法の 宝を胸に抱きしめて 君等戦え天下取るまで」(公明党に与えた和歌)
「世間が、アッ、しまった、と思った時が広宣流布の時だ」(側近に対する常日頃の口グセ)等と豪語(ごうご)してきた。
これによれば、創価学会の目的とするところ(教義の実現)は、国家の要所要所へ、長期的かつ継続的に学会工作員を送り込み、最後に、公明党が連立政権から単独政権へと駒(こま)を進めて政権を押さえ、 ついに日本国の機構を完全に握ってしまおう、という天下取り構想である。
「権力と手を結ぶ」どころか、権力を完全に掌握(しょうわく)してしまおう、というのだから、ものすごい。
池田は、『人問革命』等の中で、美辞麗句を並べ立てて、大衆を欺(あざむ)きながら、実際には、創価学会に天下を取らせ、自分が最高権力者として君臨しようとしているのだ。
その夢が叶いそうになったのが、平成四年の夏のこと。 公明党の、連立政権入りがほぼ決まった直後の、第六十九回本部幹部会の席上、浮かれた池田は、突然、「すごい時代に入りました、ね! そのうちデェジン(大臣)も、何人か出るでしょう、もうじきです。明日あたり出るから。みんな、皆さん方の部下だから、そのつもりで。日本一の創価学会ですよ」(平成五年八月八日第六十九回本部幹部会)などと、問わず語りにブチまけた。
なんと、日本国の行政を司(つかさど)る国務大臣を、「皆さん方(創価学会員)の部下」だ、というのだ。場内は狂喜した学会員の、大拍手と歓声の渦(うず)!
このようにして、池田が、徐々に国家権力を掌握していこうとするのは、けっして、国家や国民のためではない。ひとえに、池田大作自身のために、国家のあらゆる権力を使おうとしているのである。
実際、歴史上有名な、創価学会による「言論・出版妨害事件」では、公明党議員が暗躍し、数々の学会批判の出版物を闇に葬(ほうむ)ったり、池田の国会喚問を阻止してきた経緯がある。
また最近でも、宗教法人法改正論義のさなか、新進党議員らが、肉弾戦をもって池田の参考人招致を阻止している。
さらに、平成五年には、学会員である現職警察官が、高速道路を走行中の御法主上人御一行の車輛を、職権をもって停止させ、嫌がらせを加えるという事件があった。
細かい事例を挙げれば、まだまだ多数あるが、行政にたずさわる立場の学会員が、池田と学会を利するために動いていることは、否定しようのない事実である。
ともあれ、池田によると「一時は権力とともに栄えることはあっても、やがて権力の減亡とともに減んでゆく」そうだ。
政権奪取を企(たくら)む池田大作---「権力とともに栄え」なくともよいから、一日も早く、「権力の減亡とともに減んで」ほしいものだ。
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