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from: 22世紀さん
2010年09月20日 10時01分09秒
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池田大作「権力者」の構造
池田の授戒(入信の儀式)はこの折伏から10日後の8月24日、中野の観喜寮(のちの、昭倫寺)で行われた。これによれば本部で即刻入信したとも取れるが、文章の省略であることは次の証言に明らかである。
「堀米日淳(日蓮正宗第65世法主)師からよく聞かされたものだが、池田の御授戒は日淳師が住職をしていた中野の観喜寮でだったんですね。池田は小平に連れられて来たが、御授戒だけは受けたものの御本尊を受けるのはどうしても嫌だという。日淳師は仕方なく小平に持たせ、そのうち池田の気が変わるだろうからといったそうです」(当時、宗門の機関紙『大百蓮』の編集を手伝ってい、のちに、創価学会我孫子支部参与の瀬尾正吉談)
「はずかしくて」は、19歳の新しがり屋の青年の感情として、十分うなずける。
当時、創価学会の折伏法は、戦前の価値論から、生活体験を重視する方向に移っていた。
牧口の「価値論」とは人生の目的を幸福の追求にありとし、幸福の追求とは価値の創造獲得であるとするものである。その価値は、新カント学派の真・善・美の三価値から真を除き、利を加えて、美・利・善の序列で三段階に分けられる。美は人間の部分的な価値の対象、つまり感覚等にかかわるから個人の利より低く、善は公利だから、単なる利より高い。
また美・利・善に対して醜・害・悪の三反価値があり、それはそれぞれ大・中・小の三等級に分けられる。頂点は大善であり、そこで日蓮教学と結びつき、罰論が導入されて、大善を知りながら行わないのは大悪とされる。
牧口の「価値論」は現在、学界からまったく無視され、ことにその日蓮正宗教学との結びつきは恣意的とされている。
戸田は「価値論」を「生命論」の論拠としてないがしろにせず、『折伏教典』に一章を設け、29年には戸田補訂で再刊もしているが、その会員への普及度は低く、また折伏や講義の実践にもさして用いられなかった。価値論から入るより、まず開口一番、「あなたは幸福か?」とぶつけ、「我々には完全無欠な大生命哲学がある。これによって宿命を転換し」と水をむけ、「現証」で説得する方式が多く取られた。「価値論」の非論理性を嫌ったのではなく、なにより創価学会の大衆化には理屈より実体験、実利という観点からであった。
それは敗戦後という時代に、積極的に弱肉強食の思想を肯定し、とまどいながらも、進まざるを得ない世の趨勢に投じたものであった。
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