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from: 22世紀さん
2010年09月21日 19時33分52秒
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池田大作「権力者」の構造
「牧口先生が教えられたことは主として価値論であった。・・・・・それに対して、戸田先生が教えられたことは、『しょせん、世の中で、たよれるものは、自分以外にない』という、敗戦後の混乱のなかで、だれでもが感じている真理であった。・・・・・戸田先生は、御本尊様は功徳聚である。御本尊を信じ、自行化他の題目に励むことによって、病人は健康体に、貧乏人は金持ちに、バカは、利口になると教えられたのである。
・・・・・頼るものは自分の力以外にないことは、だれしも認めざるを得ない。きびしい現実であった。自己の生命力を豊かにし、福運を増し、生活を裕福にすると説く仏法が受け入れられたことは理の当然であり、深い深い仏智によると拝さねばならない」(柏原ヤス「再建期の教学」、『大白蓮華』昭和39年1月号)
池田に対しても同様な方策が取られたと思われる。依然として貧・病・争に悩む池田が顔をあげて自身の将来を見れば、絶望以外になく、彼は小平のいう「宿命」に無関心ではいられなかっただろう。先行き不安というより、お先真っ暗な池田に、そして、世に乗り出す者として自分の運命に鋭敏たらざるを得ない池田に、小平の話はいかに論証不可能なものであれ、問題のあらわな提起として一定の衝迫力を持った。
しかし、その「宿命論」は、一個の独立人格としての存在理由は何か、といったような突きつめた問いに接触はしても、その問い自体ではなかった。なぜなら、そのような問いに本気で立ち向かうならば、それまで安全に見えていた大地に突然割れ目ができ、そこから深淵をのぞきこむような不安や不気味さに襲われるからだ(神谷美恵子『生きがいについて』)。
池田はそうした知の危機を通過しなかった。彼の弱さが、存在理由の追求の最中に、安易に手を締めさせたのである。存在意義の根拠は、つねに自分の内にはなく、他者の中にのみ見出し得るものだが、池田はこのインタビューの最終部で述べるように、彼自身の「ずっと順調で申し分のない幸」の享受以上のものを望むことがなかった。彼の病身も彼を手一杯それにかかずらわせて、彼の精神の病を防いでいた。池田が精神の危機を通過しなかったことこそ、宗教者に見られる精神の高貴さや気品に欠けさせるものであった。-
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