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from: 22世紀さん
2010年09月23日 12時05分33秒
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池田大作「権力者」の構造
入信神話批判
ここで池田の「入信神話」を検討する。彼の入信時の状況、心理は前述の通りだが、池田は後にこれを実に見事なまでに改竄する。入信神話こそ、池田の嘘の出発点、典型といって決して過言ではあるまい。次の引用は、池田が小説ではなく、事実として記した文章である。
「私が、先生(戸田)に、はじめてお目にかかったのは、昭和22年、19歳の夏の暑い夜であった。・・・・・
私には、・・・・・小学校時代からの友人で、時折り訪ねてくる仲間があった。そして、ある日、その友人の家で『生命の哲学について』の会があるからと、誘われたのである。この時、戸田城聖という名を、はじめて耳にしたのであった。
私は、好奇心から誘われるままに、読者仲間(協友会)も連れて出かけたのである。
やや嗄れた声で、屈託なく語っているのは、四十代の人であった。度の強い厚い眼鏡が光り、広い額は、すっきり禿でている。話の内容は、最初さっぱりわからなかったが、どうやら仏法の話らしい。そう思って聞いていると、身近な日常の生活や、現代の政治についての鋭い洞察も語られていく。そしてまた、急に難解な仏法用語が出てきて、私には実に不思議な未聞の哲学に思えたのである。
いわゆる宗教の講話でもなく、伝統的な哲学の話でもなかった。話は、きわめて即物的で、観念を弄ぶようなところはなく、卑近な事実が、そのまま高度の真理を語っているようにさえ思われた。部屋には、中年の男や、家庭の主婦や、若い娘や、元気な青年たちが溢れている。服はいずれも貧しかったが、戸田先生にじっと注目して真剣そのものの姿である。善良な街の庶民の人々にまちがいない。そこには不思議な活気が燃えていた。
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