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創価学会SGIを本音で語ろう

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公開 メンバー数:98人

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  • from: まりこさん

    2010年11月25日 11時17分44秒

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    こんにちは

    では言いますけど、戦時中に神札を貰ったのでどこかなあ、誰が一番信徒を増やしたのが誰かなあ。住職と我々は平等ですよ、「様」なんて入れるのがおかしいねえ、日蓮正宗のお葬式に行ったら、何で住職がくるまで頭を下げているの〓誰か答えて下さい。

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コメント: 全6件

from: まりこさん

2010年11月25日 15時17分01秒

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「Re:こんにちは」
うん〓不正団体だからみんなに嫌われている、みんなって誰の事を指しているの〓それに末法だから広めるの厳しいのは決まっているでしょう、上毛新聞に大きく創立80周年の事を書いてありました。日蓮正宗の方が知らない人が多いじゃない。

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from: 正義顕揚さん

2010年11月25日 12時53分11秒

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「Re:こんにちは」
創価学会が間違っている事が解ったのでは?
まりこさんはオームのああいや上祐の類いで素直さがないですね。
創価学会は不正直な団体ですから世間から嫌われるのですよ。
日本語の正しい読解力がありませんね。まりこさんに限らず創価学会員に共通している事ですが、ところで池田教祖は6月の本幹欠席以来人前に姿を見せていません。教祖の死後創価は分裂すると思います。何のために書き込みをしたのか解りませんが、一貫性がないところをみると、単なるカキコチンピラの類いかな。
まりこさんにふさわしい掲示板なら、学会員主宰の若鷹の掲示板がありますのでそちらでご活躍ください。

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from: まりこさん

2010年11月25日 12時17分13秒

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「Re:こんにちは」
よ〜く分かりました。21世紀さんのお陰で創価学会が正しいと分かりましたのでありがとうございました。

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from: 21世紀さん

2010年11月25日 12時04分29秒

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「Re:こんにちは」
> では言いますけど、戦時中に神札を貰ったのでどこかなあ、誰が一番信徒を増やしたのが誰かなあ。住職と我々は平等ですよ、「様」なんて入れるのがおかしいねえ、日蓮正宗のお葬式に行ったら、何で住職がくるまで頭を下げているの〓誰か答えて下さい。
当時の特殊な状況下、神札を一応形として受け取ることは、止むを得ない措置であった。だから、日亨上人をはじめ、その後の宗門としても決して"誤った選択"などとは考えていなかった。だからこそ、日亨上人も史実として堂々と掲載されたし、その点について何ら自己批判されていないのである。

日淳上人は「学会の最も良き理解者」だから宗門をかばったが、日昇上人は理解者でないから堂々と宗門批判をした、というのもおかしな行動である。むしろ、常識的に考えれば逆でないのか。日淳上人が学会の理解者だと考えるのならば、むしろ正々堂々と学会の"正義"とやらを宗門の正史に掲載していただく絶好の機会だったはず。それをせずに、むしろ戦時中の宗門と同じ行動(しかも学会流の見解では謗法)をとっていたことにして、そのことをもって「宗門をかば」ったという発想は、まことに卑屈で、自己中心的御都合主義の情けない行動基準である。要するに学会は、日淳上人を理解者とは考えていても「法の師」としてどこまでも仕えるという師弟相対の信心には立っていなかったのである。また、日淳上人が日昇上人から受けられた法を絶対的には信じていなかったのである。これは、むしろ日淳上人を冒涜するものである。本当に、自分達の行動が正しいと思い、尚且つ日淳上人とその所持する法が真実だと思うならば、相手が誰であろうと真実を堂々と述べるべきである。それができない学会は、相手や自分たちの立場に応じて"真実"をクルクル変える無節操な団体である。蛇足ながら、学会の御法主上人方に接する態度は、"水魚の思い"ならぬ"魚心あれば水心"であり、時代劇の悪代官か悪徳商人の心根そのままである。(笑)



【戸田城聖著『人間革命』聖教新聞〜昭和29年8月】

************************************************************
 この『富士宗学要集』第9巻は、昭和32年10月10日発刊である。当時の管長は、戦中戦後において、創価学会の最も良き理解者である堀米日淳上人である。それだけに創価学会側は、史実を伏せて宗門をかばい、穏当な表現をしたと思われる。
 このことは、戸田第2代会長が「妙悟空」の名で著された『人間革命』の単行本発刊にもあらわれている。『人間革命』は、もともと『聖教新聞』紙上に昭和26年4月より昭和29年8月まで連載されたものである。
 この『聖教新聞』の連載をまとめて昭和32年7月3日に単行本にしたのだが、新聞紙上に連載の『人間革命』に記述されていた、昭和18年6月に宗門が神札甘受を命じた箇所が単行本では割愛されている。以下に、割愛された箇所の一部を紹介する。
 「笠公〈小笠原慈聞〉は破門せられ、堀井〈堀米泰榮・のちの日淳上人〉尊師は内務部長の位置を離れた。ガサ公は野にある虎の如く宗門に喰ってかかつてゐる。
 牧田〈牧口会長〉先生の一行はこの空気の中に登山したのであつた。客殿の隣りにある広書院へ通された、正面には日恭上人、お隣りにすこし座を下つて堀御隱尊猊下が着座されている。すこしその下手に新らしき内務〈庶務〉部長渡辺慈公〈渡辺慈海〉尊師がお座りになつている。正面にむかつて下座に牧田先生の一行は静粛にかしこまつていた。
 慈公尊師が牧田先生に向つて
  『牧田さん、今度登山をお願いしたのは折入つてよくお話したい事があるのです、それは外でもないが神札の問題です』
  『ハツ』と云つて牧田先生はあらたまつた。巖〈戸田会長〉さんと他の一行は何だ神札の事かと云う様にケロリとした顔をしていた。
  『貴方の会では神札を焼かせたり神棚をとつたり、又神札を受けないそうじゃありませんか』
  『それはどう云う事なのでしょうか』
  と牧田先生もけげんそうな顔をされた。
  『時勢がこの様な時勢だから、神札だけは各寺院でも一応は受取る事にしたのです、貴方の会でも神棚や神札にふれん様にしたらいかがですか、そうして頂きたいと此方は希望するのです』
  牧田先生は決然と言上した。
  『神詣でのついでに宗祖聖人へお目通りに来られた尼をおしかり遊ばしたと云う話も承わります、御開山上人の身延離山のその原因に地頭波木井が三島神社へ供養した事がある、と承わつて居ります。牧田は決してそんな事は出来ません』
 慈公尊師
  『何事もおんびんにやつてもらいたいと云う主旨なのです』
  『天照大神は天皇陛下の先祖であつてかえつて我々がズケズケおまいりするのは不敬になるとしているだけなのです。今少し強く申し上げたいと思いますが、時ではないと思うので、これでも心掛けているつもりです。ただし謗法だけは我等の会員にはさせたくないと思いますが、どうしたものでしようかな』
  『一度神札を受けてそつと処分すると云う様な方法か、又積んで置いてもそれ程の害はありますまい』
 あまりの言葉に何事にも無頓着な巖さんでも、やれやれこれは困つたもんだわいと思い出した」(昭和28年12月6日付『聖教新聞』より一部抜粋。〈 〉内は筆者加筆)
 単行本化するにあたり、これらの箇所が割愛されたのは、堀米日淳上人が猊座にあり、宗門の創価学会への理解が高まっていたという時代状況にあったことと関連すると思われる。これと同様の配慮が、『富士宗学要集』の記述の仕方にもなされたのであろう。(『地涌』第667号)
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◆(※牧口会長)「天照大神は天皇陛下の先祖であつてかえつて我々がズケズケおまいりするのは不敬になるとしているだけなのです。(戸田城聖著『人間革命』聖教新聞・昭和28年12月6日付)
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神社参拝をしない理由が「ズケズケおまいりするのは不敬になる」からだという。これのどこが、謗法厳戒の正論なのか。これは、対外的見解ではなく、本山での会話であるから、本心であったのであろう。つまり、牧口会長は、判断基準こそ違え天皇やその祖先に対する「不敬」を恐れていたのである。

◆「(※牧口会長)今少し強く申し上げたいと思いますが、時ではないと思うので、これでも心掛けているつもりです。ただし謗法だけは我等の会員にはさせたくないと思いますが、どうしたものでしようかな」(戸田城聖著『人間革命』聖教新聞・昭和28年12月6日付)
-----------------------
「強く申し上げたい」とは、上記「不敬」云々のことであり、「申し上げ」る対象は、国家権力側であろう。つまり、学会として神社参拝を控えているのは、不敬を恐れてのことであることを、国家に対して「強く申し上げたい」としているのである。これが、牧口流"国家諌暁"の中身だとすれば、あまりにもオソマツというほかない。しかも、それが「時ではないと思う」というのであるから、消極的である。その上、自分の確信を主張して宗門の指示を一蹴するどころか、「どうしたものでしようかな」と本山側に対して指導を求めているのである。

◆「(※本山庶務部長)一度神札を受けてそつと処分すると云う様な方法か、又積んで置いてもそれ程の害はありますまい」(戸田城聖著『人間革命』聖教新聞・昭和28年12月6日付)
-----------------------
本山側の"神札受け取り"は一応形だけのものであり、決してそのまま受持することを勧めたものではない。

★以上の記述は以下の点において『創価学会の歴史と確信』の記述や池田大作著『人間革命』の記述とは大違いである。昭和29年8月まで『聖教新聞』に連載されたという戸田城聖著『人間革命』の方が、牧口会長自身、神札拒否に頑なではなく、むしろ宗門に指導を求めており、『富士宗学要集』の小平記述に近いことが分かる。


①靖国神社不参拝の理由は、謗法厳戒からではなく、天皇やその祖先(天照大神)に対する不敬を恐れたから。
-----------------------
ただし、『大善生活実証録』においては、感謝のための参拝を認めている。

②牧口流"国家諌暁"とは、神社不参拝の理由(上記①)を国家に訴えることだった。その上「時ではない」と消極的だった。
-----------------------
国家権力を折伏し、正法に帰依させるという、壮大な計画ではなかった。尚、同じく戸田城聖著『人間革命』には、牧口会長の意見として「この日本の大戦争を勝たせるためには、どうしても広宣流布しなければ勝てっこはない。まずこの時こそ、天皇陛下が自ら目覚められて、尊い御本尊を拝まなくてはならん」との記述があるが、本山における会話での「強く申し上げたい」内容といい「時ではない」という消極的態度といい、両者は大いに相違している。これは、牧口会長自身の心境の変化か、あるいは『人間革命』自身が所詮「小説」の域を出ないフィクションであり、事実と理想をゴチャマゼにした結果、矛盾を露呈したものであろう(実際、牧口学会が"国家諌暁"を行った事実はないが)。

③牧口会長は、強い信念と確信をもって神札拒否で一貫していたのではなく、会員に謗法を犯させずに、不必要な弾圧を回避する方策について本山に指導を仰いでいた。

④本山は神札を「そっと処分」する方法を提示していた。

◆単行本化するにあたり、これらの箇所が割愛されたのは、堀米日淳上人が猊座にあり、宗門の創価学会への理解が高まっていたという時代状況にあったことと関連すると思われる。これと同様の配慮が、『富士宗学要集』の記述の仕方にもなされたのであろう。(『地涌』第667号)
-----------------------
上記のように「割愛」された箇所こそは、牧口会長が神札拒否に頑なではなく、むしろ本山に指導を仰いでいた部分である。要するに「堀米日淳上人が猊座にあり、宗門の創価学会への理解が高まっていたという時代状況」において、学会は、『地涌』の主張とは逆に、「宗門をかば」うどころか、「一度神札を受けてそつと処分する」(本山庶務部長)という宗門の謗法厳戒の主張を隠す一方、神社不参拝の呆れた理由=オソマツな国家諌暁の中身、弾圧回避について本山に指導を求めていたこと、つまり学会の"カッコ悪い"実態を隠蔽したのである。学会は、「最大の理解者」である日淳上人が管長であることをこれ幸いと、学会にとって都合の悪い真実を隠していたのである。

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from: ぷーぎんさん

2010年11月25日 11時53分45秒

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「Re:こんにちは」
私は一般人で最近日蓮正宗の人の葬儀に出たが住職さんが来る前は遺族である信徒は題目はあげていたが頭は下げていなかった。
あと花輪が全部樒だったのが印象的だった。
日蓮正宗用の数珠を貸してくれてかけ方や経典で目で追いかけて下さいと遺族も熱心だった。
悪いがまりこさんは実は日蓮正宗の葬儀を知らないで話しているのではないか。
日蓮正宗が憎いのは分かるが想像でものを話してはいけない。

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from: 21世紀さん

2010年11月25日 11時38分22秒

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「Re:こんにちは」
> では言いますけど、戦時中に神札を貰ったのでどこかなあ、誰が一番信徒を増やしたのが誰かなあ。住職と我々は平等ですよ、「様」なんて入れるのがおかしいねえ、日蓮正宗のお葬式に行ったら、何で住職がくるまで頭を下げているの〓誰か答えて下さい。
本山での神札指導

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【富士宗学要集】


(左の一編は小平芳平氏の記に依る)(中略)18年6月(※初旬)には、学会の幹部が総本山に呼ばれ、「伊勢の大麻を焼却する等の国禁に触れぬよう」の注意を時の渡辺部長より忠告を受けた、牧口会長はその場では暫く柔かにお受けした、が心中には次の様に考えられていた、当時の軍国主義者は、惟神道と称して、日本は神国だ、神風が吹く、1億一心となつて神に祈れ、等々と呼びかけていた。少しでも逆う者があると、国賊だ、非国民だといつて、特高警察や憲兵のつけねらう所となつた、もとより牧口会長は、神札を拝むべきではない、神は民族の祖先であり、報恩感謝の的であつて、信仰祈願すべきではないと、日蓮大聖人、日興上人の御正義を堂々と主張なされていた。(中略)会長の応急策も已に遅し(『富士宗学要集』第9巻431頁)

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「会長の応急策」こそは、会員に対し、神札を粗末に扱わなうよう指導する通牒だったのである。学会は、神札受取を勧めた当事者の1人である日亨上人がウソをついているというのか。まことに不知恩の極みである。


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 『慧妙』(平成5年6月1日付)は、『富士宗学要集』(堀日亨上人編)第9巻に、「18年6月には、学会の幹部が総本山へ呼ばれ、『伊勢の大麻を焼却する等の国禁に触れぬよう』の注意を時の渡辺部長より忠告を受けた牧口会長は、その場では暫く柔らかにお受した」と記されていることを取り上げ、あたかも創価学会側が、宗門の指示する神札甘受を認めたかのように記している。
 しかも、この『富士宗学要集』第9巻の文について、「左の一編は小平芳平氏の記に依る」と『富士宗学要集』に書かれていることをもって、これを創価学会の公式見解であると解釈している。根拠は、小平氏が本稿執筆当時に創価学会教学部長であったということになる。
 たしかに小平氏は、創価学会を代表して「昭和度」の法難史を記したものであろうが、『富士宗学要集』の編者が日亨上人であることから、編者への遠慮があったものと思われる。日亨上人は昭和18年6月、神札甘受についての宗門より創価教育学会への申し渡しに立ち会われている。
 そして、いわずもがなのことであるが、宗門の戦中の罪をかばって創価学会側が露骨な表現を避けたと考えられる。(『地涌』第667号)
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◆『富士宗学要集』第9巻は、昭和32年10月10日発刊である。(『地涌』第667号)
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『富士宗学要集』第9巻は昭和32年10月10日の発刊であり、翌月に日亨上人は御遷化なされた。つまり、既に戸田会長が『創価学会の歴史と確信』(昭和26年)で"神札拒否"や"登山停止"について、公式に言及した後のことである。あたかも、学会の"公式の歴史"の誤りを糾すかのように、歴史の生き証人の1人として日亨上人は、信徒団体・創価学会をも含む日蓮正宗の宗学書(しかも学会の発行)に、"創価学会による神札受容"を歴史的事実として、永遠に記載したのである。

<小平記事の真相>
 創価学会にとって、牧口会長が神札拒否を貫き、投獄され獄死したことは、最高の誉れであり信仰の原点である。であるならば、宗門の"正史"ともいうべき宗学書(『富士宗学要集』)に、その誉れある事実を積極的に記載して欲しい、と考えるのが当然の心理であろう。ところが、小平氏は、学会教学部長という公的立場でありながら「牧口会長はその場では暫く柔かにお受けした」「が心中には次の様に考えられていた」などと、(牧口会長が)神札拒否を明言しなかったことにしてしまった。それどころか、神札受け取り指示の記述を受ける形で「会長の応急策」が講じられたことを認めたのである(「伊勢の大麻を焼却する等の国禁に触れぬよう」の注意→その場では暫く柔かにお受けした、が心中には・・・→会長の応急策も已に遅し)。
 もし、『創価学会の歴史と確信』が事実であれば、当時の学会教学部長として、このような記述は絶対にありえない。では、なぜ、このような記述をしたのか?その答えは、本山において牧口会長は神札受け取りを受容したのであり、その結果、講じられたのが「会長の応急策」だった、これこそが真実だったからに他ならない。一般の会員は騙せても、当日現場におられた日亨上人は騙せなかった、だからこそ、日亨上人には真実の記事を提示したのであろう。 とはいえ、「心中には・・・」と断りながらも、長々と学会の"正義"を語っているところは、「創価学会を代表して『昭和度』の法難史を記した」(『地涌』第667号)教学部長の、健気な"抵抗"か?

◆編者が日亨上人であることから、編者への遠慮があったものと思われる。(『地涌』第667号)
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日亨上人の歴史書編纂の態度からすれば、あり得ない。日亨上人は、日精上人の著述に対しても、辛辣な批評をされている。だからこそ、学会は、そこに付け込み、日亨上人の権威を利用する形で、日精上人ひいては血脈そのものを攻撃しているのだ。日亨上人の日精上人に対する批判には、多くの誤解があったけれども、御自分が宗門の歴代に名を連ねながら、同じく宗門の歴代である日精上人の著述を厳しく批判されたのは、自己の立場を度外視しても真実を追究したい、という"学者気質"の賜物であろう。そのような日亨上人の"学者気質"は、学会も充分承知していたはず。このような日亨上人の、客観性を重んじる御性格と、自己主張・自己正当化に余念のない学会の体質を考え合わせるならば、もし神札拒否が事実ならば、学会が、日亨上人の前で自己の信仰の原点ともいうべき"正義の歴史"を「遠慮」して主張しないことなど、ありえない。また、かりに、真実を枉げて「遠慮」した文書を小平氏が提示したとしても、事情をよく知る日亨上人が、そのような真実を枉げた記録を御自分の歴史書に掲載されるはずがない。


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「暫く柔らかにお受けした」とは、激しく反発をせず話をいくらか聞いたといった程度のニュアンスにしかとれず、これを神札甘受にたちまち結びつけることは、やや無理がある。(『地涌』第667号)
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勿論、「暫く柔らかにお受けした」というだけでは、そうかも知れない。しかし、「が、心中には・・・」とあるから、心中においては神札を拒否したが、その意思は表明されなかったことが明らかである。つまり、本山よりの神札受け取り指示に対して、牧口会長が拒否の意思表示をしなかったことは、文意として明らかである。その上、この話の流れの中で、「会長の応急策も已に遅し」とあるのだから、この「応急策」が、神札受け取りに関するものであることも明白である。もし、牧口会長が「心中」のとおり、神札拒否を貫いたのであれば、「応急策」など必要ない。また、「応急策」が、神札受け取りと無関係であるならば、それについての説明があるはず。とくに具体的な説明もなく単に「応急策」と述べたのは、本山での神札受け取り指示に呼応したものであるからに相違ない。


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この『富士宗学要集』第9巻は、昭和32年10月10日発刊である。当時の管長は、戦中戦後において、創価学会の最も良き理解者である堀米日淳上人である。それだけに創価学会側は、史実を伏せて宗門をかばい、穏当な表現をしたと思われる。(『地涌』第667号)
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●(前略)昭和30年7月1日 編者日亨耄沙弥89歳の病床に横たわりて富士大石が原の雪山文庫にて識るす。(学会版『富士宗学要集』第9巻緒言)
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昭和32年10月の発行だというが、原稿はそれより以前に書かれた。まして、発刊計画ともなれば、かなり以前から関係者が相談していたはず。日淳上人が御登座されたのは昭和31年であるから、同上人の御登座後に発刊の話が出たかどうかは微妙であろう。

 小平氏の記述(『富士宗学要集』収録)には、本山が学会に対して、神札受け取りの指示をしたことが述べられている。これは、学会が"宗門は国家権力に屈して神札受け取りを容認した"(趣意)と宗門を攻撃する内容そのままでないか。これのどこが「宗門をかば」っていることになるのか。また、"学会が宗門の謗法に従った"ことが、宗門を庇(かば)ったことになると考えるのは、あまりに卑屈な発想でないか。
 別の見方をすれば、学会が神札受け取りを受諾したことによって、宗門の行為(神札受け取り指示)が、謗法でなくなる、ともとれる。これは、謗法か否かの基準を、学会と同意か否かに置いているともいえる大増上慢である。本当に神札受け取りを謗法であると考えるのなら、それを"受諾した"と虚偽の記述をして「宗門をかば」うことも謗法与同である。まったく学会の言うことなすこと、全て支離滅裂というほかない。

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