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創価学会SGIを本音で語ろう

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  • from: 22世紀さん

    2010年12月13日 21時51分23秒

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    池田大作「権力者」の構造

     選挙違反に見る創価学会の論理

     昭和32年5月19日、炭労(全日本炭鉱労働組合)第17回定期大会は、運動方針に「新興宗教団体への対策」という一項を付加し、組合運動に悪影響を与える創価学会への対決方針を打ち出した。ついで6月27日、北海道炭労はそれに従って「新興宗教対策」を発表、炭鉱地帯からの創価学会の締め出しを指令した。
     戸田は炭労のこうした動きに「信教の自由」で反論し、参議院議員・辻武寿、白木義一郎、理事・石田、渉外部長・池田らを北海道に送り、また自らも渡道して7月1日札幌で、2日夕張で炭労弾劾大会を開いた。
     大会の席上、池田は、
    「炭労の幹部が、組合活動で救えなかった人たちがここに大御本尊様によって救われたのであります。したがって炭労の幹部がガヤガヤいうことはやきもちをやいているのじゃないかと思うのでございます」(『聖教新聞』昭和32年7月7日)
     などと演説した。
     これより前、6月30日に学生部結成大会が開かれている。学生部長には仙台支部長・渋谷邦彦が任じられた。
     また4月23日、参議院大阪地方区の補欠選挙が行われ、創価学会からは船場支部長・中尾辰義が立ち(落選)、小泉、池田らが選挙運動にあたっていた。が、これにからみ、大阪府警は6月29日理事長・小泉隆を、7月4日池田を、「堂々と戸別訪問せよ。責任は私が負う」と会員に要請した疑いで逮捕し、7月29日それぞれ起訴した。
    「創価学会幹部45人起訴
    〔大阪発〕大阪地検は、去る4月行われた参議院大阪地方区補選での創価学会幹部らの公選法違反事件について、29日、同学会本部理事長、東京都議小泉隆(48)=東京都大田区蒲田5の11=ら45人を買収で、(うち2人は略式請求)同渉外部長池田大作(29)=同区調布小林町388=ら3人を戸別訪問で、それぞれ起訴した。起訴状によると、この選挙で、小泉理事長は主として〝実弾作戦〟を、池田渉外部長は戸別訪問をそれぞれ担当、現地で指揮に当たり、大阪、船場、松島、梅田、堺の5支部に「選挙係」を設け、府下約6万世帯の信者のほとんどを戸別訪問に動員したもの。
     投票数日前には、〝タバコ戦術〟として職安十数ヵ所で、日雇労務者に候補者名を書いたピースなど約4000個をバラまいたという」(『朝日新聞』昭和32年7月29日夕刊)
     池田は大阪東署に15日間留置され、検事のいうがままの調書に署名し、7月17日(小泉は15日)保釈出所した。この間、創価学会は事件(大阪事件とよばれる)を、同会を「おとしいれようとして仕組まれた策謀」だとして、小泉、池田以外の関係者41人を12日、戸田命令で除名し、小泉、池田の即時釈放を要求する大会を12日東京で、17日大阪で開催した。
     大阪大会には出所直後の池田も出席し、
    「大悪起れば大善来たるとの、大聖人様の御金言の如く、私もさらに、より以上の祈りきった信心で皆様とともに広宣流布に邁進すると決心する次第であります」(『聖教新聞』昭和32年7月21日)と挨拶して、事件が彼の信心をぐらつかせず、逆に強固にしたことを明らかにした。
     大阪事件は牧口、戸田と二代続いた下獄を連想させ、会長をめざす池田にはプラスに作用した。
     事件は翌33年小泉が無罪となり、4年後の37年1月25日、池田が禁固十月の求刑を受けたものの、戸別訪問の指示を立証できず、無罪を判決されて解決した。
    『聖教新聞』昭和37年1月27日は、公判の結果を報じて、「『大阪事件』に勝利の判決 無実の罪晴れる 裁かれた権力の横暴」と大きく見出しにうたったが、「勝利」は池田にかぎったことで、他の会員にとってはそうでなかった。このとき、同時に、池田以外の20人の創価学会員に対しては戸別訪問で罰金1万円から3千円、うち10人に公民権停止3年、7人に同2年の判決が言い渡されている。見出しは彼らの存在を無視したものである。
     さきの戸田の41名除名は、幹部に累をおよぼさぬため末端会員の信仰を恬然として切り捨てる戸田の非情さを物語っているが、それはそのまま池田に受け継がれて有罪の会員を度外視させた。池田もまた一将功成って万骨枯るの犠牲の上に、第三代会長の栄華を謳歌したのだった。
     昭和32年9月8日、青年部東日本体育大会が開催され、その席で戸田は、意向は諒としても酔っ払いの論理に似てあまりにも名高い原水爆問題についての宣言を発表した。
    「もし原水爆をいずこの国であろうと、それが勝っても負けても、それを使用したものは、ことごとく死刑にすべきであるということを主張するものであります。なぜかならば、われわれ世界の民衆は、生存の権利をもっております。その権利をおびやかすものは、これ魔ものであり、サタンであり、怪物であります。それをこの人間社会、たとえ一国が原子爆弾を使って勝ったとしても、勝者でも、それを使用したものは、ことごとく死刑にされねばならんということを、私は主張するものであります」(戸田『講演集』下)
     池田は後年これを『人間革命』4で、「深い洞察」として持ち上げたが、持ち上げるほどに、池田の社会科学的な常識の欠如と非論理性を証しかねないといった宣言であった。
     9月26日、九州に総支部制がしかれ、総支部長に石田次男が任じられた。石田は27年の第1回地方折伏以来、九州を手がけ、福岡支部を育てあげてきた功労者である。小岩支部長の石田の後任には和泉覚が任命された。
     12月、戸田の目標とした75万世帯が達成されたと発表された。

     


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