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創価学会SGIを本音で語ろう

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  • from: 22世紀さん

    2011年01月07日 23時13分21秒

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    池田大作「権力者」の構造

    池田体制の発足

     昭和34年6月30日、選挙結果をもとに、組織機構が大きく変えられた。まず池田、北条浩、森田一哉、竜年光の4名が青年部参謀室を離れて理事に就任し、理事は計11名となった。青年部は、参議院議員になった青年部長・牛田寛ではなく、参謀室長の池田を鋭角に結集されて政権交代グループと化し、池田が参謀室の下僚3名を引き連れて、理事室入りしたわけである。
     また池田が前年来つとめてきた総務の権限は、ここにきてはじめて、「理事長のもとに、理事室を代表して、事務局及び各部を統括する」と規定された。新任の理事が理事室を代表するというのは驚くべき人事だが、これは別掲図表と、次の「大幹部席順」に明らかなように、実質的な池田体制の発足にほかならなかった。

     大幹部席順
    1、理事長
    2、総務
    3、理事
    4、本部婦人部最高顧問
    5、部長
    6、青年部参謀
    7、男子女子両部長
    8、総支部長
    9、副部長
    10、本部指導部員
    11、文化部参与
    12、副総支部長
    13、支部長
    14、総支部幹事
    15、副支部長
    16、本部常任委員
    17、本部婦人部顧問
    18、総支部婦人部長
    19、支部婦人部長
    20、男子、女子両企画室
    21、地方青年部参謀

    別掲図表
    創価学会本部機構
     (昭和34年6月30日当時)

    理事長:小泉隆
    理事室:小泉隆、和泉覚、白木薫次、原島宏治、柏原ヤス、辻武寿、
        石田次男、池田大作、北条浩、森田一哉、竜年光
    総務:池田大作
    事務局:局長=北条浩、次長=森田一哉
    指導部:部長=原島宏治
    企画部:部長=森田一哉
    監査部:部長=竜年光
    統監部:部長=牛田寛
    財務部:部長=森田悌二
    文化部:部長=鈴木一弘 参与:
    教学部:部長=小平芳平
    学生部:部長=渋谷邦彦
    青年部:部長=秋谷城永、男子部:部長=多田省吾、女子部:部長=湊時子、参謀室:主任参謀=吉田顕之助
    婦人部:部長=柏原ヤス
    聖教新聞編集部:部長=秋谷城永
    大百蓮華編集部:部長=多田省吾
    出版部:部長=中西治雄
    経理部:部長=北条浩
    登山部:部長=星野義雄
    庶務部:部長=和泉美代



     つぎに本部の計18部は二分され、事務関係を扱う6部――庶務、登山(新設)、経理(新設)、出版、大百蓮華編集、聖教新聞編集の各部――は事務局に統一され、事務局長に北条浩、同次長に森田一哉が任じられた。
     これにより、事務局は青年部出身者に完全に掌握されたが、同じことは事務局下の各部についてもいい得る。庶務部長・和泉美代を除いて、各部の部長はすべて青年部出身者によって占められた。
     登山部長は前男子部第4部隊長・星野義雄、経理部長に北条(事務局長兼任)、出版部長に前男子部第3部隊長・中西治雄、大百蓮華編集部長に前男子部第5部隊長・多田省吾、聖教新聞編集部長に前男子部長・秋谷城永が、それぞれ任命されている。
     また事務局下以外の12部においても、新設の企画部長に森田(事務局次長兼任)、監査部長に竜、青年部長に秋谷が就任したほか、指導部副部長に北条、学生部副部長に男子部第44部隊長・渡部城克(本名は一郎)が任じられて、おのおの部長・原島宏治、渋谷邦彦を補佐することになるなど、12部の過半を青年部出身者が制圧した。
     この組織改革は、前青年部員でなければ人にあらずといった勢いの青年部の過重視であり、戸田の組織論の主眼である青年部育成をトッコにとって、極端に誇張した人事というべきものであった。前掲の席順を29年の席次と比較すれば、青年部、ことに参謀室の偏重はさらに明白で29年では本部婦人部常任委員の下に位した(この席順においては第16位の本部常任委員の次に相当する)男女両部長、参謀室が支部長ばかりか、総支部長をも凌駕して、順序を逆にしたうえで第6、7位にランクされているのである。

    このことは総務・池田の権限規定が、青年部のクーデターに等しい内容の一大キャンペーンのもとに強行されたことを推測させる。池田は自身の異常な覇権確立の根拠を、青年部による代替わりに求めるほか、方途がなかったのだ。参院選から機構改革に至る池田の動きは、まさに水際だったとしか、いいようがない。
     前青年部員の要職占拠により、古参幹部は後退し、古参幹部に繰り入れられた石田も後退した。石田は聖教新聞編集部長の職を秋谷に追われ、実権のない主幹にタナ上げされた。また彼の妻・栄子は青年部参謀から本部婦人部常任委員に移され、彼の母・つかも婦人部長を柏原ヤスに譲り、婦人部最高顧問に祭りあげられねばならなかった。石田家におけるわずかな昇進は、弟・幸四郎の男子部企画室任命だけであった。
     この人事異動は全体に降職がなく、降職を意図する場合には、名のみあって実のない顧問等に据えるなど、穏便な策がとられた。これは微罰のときを除いて、創価学会の大幹部に対する伝統的な定式である。なお、このとき渉外部は廃され、従来の指導監査部は指導部と監査部に二分され、また東北、埼玉、中部、中国の4総支部と16支部が新たに設けられている。
     監査部長に任じられた竜は「組織改革の意義」と題して、新組織の保守を得々と弁じたてた。
    「わたくしはただいま監査部長の命をうけました。(故)会長先生の教えの〝戸田先生の生命より大事な〟この創価学会を、いつまでも若々しく永遠に力強くするために、少しでも虫がつかないように、くさらせないように、身命をとして守るつもりでございますので、皆様のご協力を切にお願いいたします」(『聖教新聞』昭和34年7月3日)
     竜は「検察長」との異名をとる攻撃型のタイプで、池田体制擁護のための監査部長にはうってつけだった。当時、彼はいわば池田に謀られ、昔の上長だったことを忘れて、その下位に立つ忠良な盟友だったが、のちに池田に袖にされた。彼もまた池田のための哀れな手駒だったのである。






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