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創価学会SGIを本音で語ろう

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  • from: 22世紀さん

    2011年01月11日 20時23分26秒

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    池田大作「権力者」の構造

    第三文明と三国志の思想

     池田以下4名の理事就任は、理事と責任役員が同一メンバーであるという前例を破って、宗教法人の責任役員への就任を意味しなかった。彼らの就任は1年後であり、この時点での登記面の変化は、7月17日に小泉が代表役員代務者を辞任して、正式に代表役員となったことである。
     秋谷栄之助(城永)の「会長と代表役員は同一人で、それは学会成立後変わっていません」という言葉(『現代』昭和45年5月号、村上兵衛「池田会長就任までの権力抗争と終身会長制への疑問」)を適用するなら、ここに小泉隆が第3代会長に就任したとみなざるを得ない。池田らの責任役員不就任とともに、外部からはうかがい得ない不可解なできごとである。
     当時、小泉隆が第3代におさまるという噂があったが、それを裏付ける暫定措置――小泉の実権がかたまり次第、外部に発表される――でもあったのだろうか。そうとするなら、池田の覇権確立は小泉の意を体したものになり、1年後に池田が小泉に叛旗をひるがえしたことになる。この論拠は、さきの席順における理事長――総務の位置が、戸田時代の会長――理事長の構造をなぞっていることに求められるかもしれない。
     しかし、今、この説はとらない。人事の真相は、32年に改定された創価学会規則の、責任役員7名という規定を盾にとった、一部旧理事陣の抵抗の一環をなすものであったろう。規則は改定可能だったが、彼らは在来の7名の理事で定員は一杯であるとして、池田らの就任を拒み、せめて法規面の地位だけは確保しようとした。同様に小泉を代表役員に立てて、池田に一本釘をさしたつもりでいたのではなかったのか。
     また小泉の代表役員就任の2日前、創価学会の目的に、出版事業と幼稚園経営が加わっている。登記面には、「目的達成に資するため出版事業を行い、並びに幼稚園を設置し、これを管理する。幼稚園は東京都大田区本蒲田五丁目十一番地に置き、これを『新宿幼稚園』と称する」とある。
     幼稚園経営は翌々36年5月10日に抹消されており、おそらく計画倒れに終わったのだろうが、計画自体が創価学会の戦闘性に似つかわしくない気がする。この年末の公称世帯数は約141万世帯で、成長率は23%と前年よりさらに落ち込んでいる。あるいは実数が幼稚園経営という弱気に出ざるを得なかったような劣悪なものだったかもしれない。
     7月3日、池田は男子部幹部会で、「第三文明」を提起した。
    「学会は資本主義でもなければ――資本主義でないということはないが――自民党思想でもなく社会党思想でもない。いま必要なのは第三文明です。・・・・・精神文明の世の中も、また物質文明の世の中ももの足らぬ。どうしても全民衆の根底からの欲求というものは、物でもなく、心でもない。・・・・・色心不二の哲学が必要な時代である。最高の文化が広宣流布であると会長先生が仰せになったこともあります。最高の文化とは何か、第三文明です。これがこの文明なんです。カビの生えたような、偏
    頗な文明ではないのです、ゆえに、思想的にいっても、共産思想、自民党みたいな片寄った思想ではない。いまだかつてない、全人類が根底から要求しているところの、〝新社会主義〟こそ、王仏瞑号の思想であると、わたくしは信ずるんでございます・・・・・」(『聖教新聞』昭和34年7月10日)
    この粗雑、曖昧な第三文明論が創価学会の政治進出のための基本理念となった。論旨は、自民党と社会党の否定=資本主義と社会主義の否定ということにつきようが、この発想の原形は『三国志』にあったといって過言ではない。
    「池田総務は『日本をみれば自民党、社会党、創価学会の三国志なんだ。共産党なんか問題でない。世界もまた三国志である。・・・・・』と、おっしゃっている」(『聖教新聞』昭和35年1月1日)
     この『三国志』の思想こそ、公明党の、キャスティング・ボートを握ったうえでの駆け引きのうまさ、政策のなさ、無定見、ジグザグ路線等をもっとよく説明するものである。が、それを派閥抗争にはともかく、政治に持ち込むお粗末さは、言論弾圧事件で、「問題でない」はずの共産党にしてやられ、電話盗聴で報復しようとしたものの、今また裁判に訴えられていることからも明らかであろう。
     が、要は池田の造語能力にあった。創価学会にあっては、一見新しそうなことをいえば、内容がどのように陳腐であろうと、それで通用する。第三文明、新社会主義といった似而非ジャーナリスティックなセンスは池田以外になかった。池田だけが戸田の「地球民族主義」の衣鉢をついだのである。
     10月30日、聖教新聞に論説室が設けられ、主幹に石田次男、論説委員に北条、牛田、秋谷、多田が任命された。石田の担当していた社説は彼らに分割され、石田の地位は、聖教新聞においても低下する一方であった。
     11月、日蓮正宗の法主・堀米日淳は病死し、細井日達が第66世法主となった。細井は、前述のように戸田ともっとも近しく、創価学会派の僧侶だったが、多少の振幅はあったものの、昭和45年ころから創価学会の傀儡であることをやめ、抵抗を強めて今日の批判派僧侶、檀徒活動の基盤をつくった。



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