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from: ハムスターさん
2011年02月03日 13時37分05秒
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総括! 創価学会問題の真相 №1
”その時”への準備
これまで、平成の創価学会問題の根本的な原因がどこにあったのかを探るために、昭和五十二年路線の概要を見てきた。
それによって分かったことは、全てが戸田会長の虎の威を借り数百万の会員のトップに君臨した裸の王様・池田大作の慢心から発生している、ということ。
そして、池田の功績とされている全ての事跡は、純真な創価学会員の金銭的・組織的なバックアップがあったればこそであり、池田自身が苦労をして成し遂(と)げたものではないこと。
池田は、会員の純真さを逆手(さかて)にとり、教義を改変して創価学会中心主義を浸透させ、宗門・寺院・僧侶を蔑(ないがし)ろにしてきたこと等々。
そして、五十二年路線は『お詫(わ)び登山』を経(へ)て『池田辞任』という形で収束したが、池田はじめとする学会首脳は、この失敗を次に活(い)かすべく、十年もの間、より狡猾(こうかつ)に、よりしたたかに、より盤石(ばんじゃく)な態勢を整えていたのである。
実際、平成の問題を見ると、学会の宗門に対する攻撃の仕方(宗門の対応に対する)応戦の仕方、会員のフォロー、(宗門が悪、学会が善という)対外的なアピール等々、そうとうな準備が水面下でなされていたことが窺(うかが)える。
昭和五十二年の問題は、まさに今日まで多大な影響を及ぼしている、といえるのである。
これよりは、平成3年11月の創価学会破門処分以降の動向について、追っていくこととする。
まず、平成3年の年末の動きをみる。
破門処分が下った平成3年11月28日について、秋谷会長(当時)は、『魂の独立記念日』として喜びのスピーチをした、と報じられている。
これと、この年の初めよりなされていた『新報』・『聖教』紙上での宗門誹謗(ひぼう)の報道を合わせてみると、学会はむしろ、宗門からの破門処分を待っていたか様子さえ感じられる。
さらに12月2日付の『聖教』紙上では、「だいたい、『破門』などと言っても、日蓮大聖人の御精神のまま仏法を実践している創価学会員は大聖人の信徒であり、池田門下生であります。 もともと謗法の日顕法主の門下などになった覚えは全くありません。 したがって、いくら破門と言われても、信心の上から全く意味のないものであります。 私どもにとって、何の効力ももたない、単なる”信者脅(おど)し”の手段にすぎず、こんなことで驚く学会員は一人もおりません。」
などと語り、五十二年路線の時とは一変して、宗門と徹底抗戦の姿勢を見せている。
そして、12月27日に学会から宗務院宛に送付された『法主退座要求書』『退座要求署名』(※宗務院では受け取り拒否)は、破門処分に先立つこと数ヶ月前から署名活動がなされており、これが会員引き締め工作でもあったことをしめしている。
ちなみに、この時の署名は一千四百満人分集まった、と言っているが、なんと、その中には、乳児・新生児はもちろんのこと、会員宅で飼うペットの名前から、未入信の一般人の名前までが多数含まれていた。
平成3年11月の破門処分以降の年内の動向はこの程度だが、この頃から学会は、タガが外れたように謗法化への道を暴走し、濁流のごとき憎悪が宗門を襲(おそ)い学会員をも巻き込んだ。
そして今も正信に帰れぬ学会員は、その濁流の中でもがき苦しんでいるのである。
破門処分後20年の節目を迎えた今年、『創価学会問題の真相』を広く学会員に伝えると共に、絶対に風化させてはならない教訓として、今後も真相を究明していく。
慧妙 平成23年1月16日より
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