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  • from: 22世紀さん

    2011年07月06日 20時59分05秒

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    池田大作「権力者」の構造

    池田大作「権力者」の構造 投稿者:管理人 投稿日:2011年 7月 6日(水)20時57分43秒   通報 返信・引用
    池田の文章力および、改名とその野心

     7月21日、戸田は男子部幹部43名(前年昭和27年12月に非公式に発足、のちに70余名に増員、30年からは24名の第二期生となる)を選抜して、毎月2回の特別指導を与えるために水滸会を新結成した。同会の会場には、ふつう創価学会本部が使われたが、時に富士五湖へ出かけ、奥多摩にキャンプし、また戸田を新宿の洋食屋に招待することもあった。
     池田はその第一回会合の時、宣誓文を起草し、それに会員の一人ずつが署名捺印した。池田が書いたのは、彼が水滸会の指導格であったからではなく(指導格は辻武寿)、なにより筆まめだったからであろう。
     彼はこの年の『聖教新聞』元日号に、部隊長の竜がかくべきところ、彼にかわって第四部隊の抱負を書いているし、また24年、『大百蓮華』の校正を手伝った際には、余白を池田紳一郎のペンネームによる自作の〝詩〟で埋めてもいる。彼の文章力は、会内でも決して高く評価されていたわけではなかったが(たとえば、『聖教新聞』は彼の文章力について、「一面、文学的にももって生れたものを持っていることはあまり人に知られていない」《昭和29年5月16日》といいきっている)、生来、好きであったなりに筆まめで、池田の有効な武器になっていた。
    「一、われら水滸会員は、宗教革命にこの身をささげて、異体同心にして東洋の広宣流布の大偉業を完遂せんことを、大御本尊様にお誓いいたします。一、われら水滸会員は、戸田城聖先生の大目的たる人類救出の御意志を受け継ぎ、その達成には、身命をささげて戦い抜くことを誓います。一、われら水滸会員は、学会の先駆であるとともに、戸田会長先生の無二の親衛隊なることを自覚して、いかなる事態になろうとも、かつまた、いかなる戦野に進もうとも、絶対に同志を裏切ることなく、水滸会の使命をまっとうせんことを誓います」(『大百蓮華』153号)
     ここに見られるのは、大時代な使命感と選良意識、戸田への絶対的な忠誠心だけだが、池田はこれを心から記した。彼は迷いや価値の相対観とはぷっつり縁がきれた、ふくらみに欠ける自信家だった。彼の確信は、彼が確固とした世界観を求めて彷徨した結果ではなく、たずねることを放棄したことによって生まれた。彼は戸田の教えこむ世界しか知らなかったが、信じ込むにはそれだけで十分であった。
     創価学会が一人の非信者を相手にする折伏を専らにして辻説法も行わず、そのうえ池田を短期間で、直接的な折伏からも引き離し、指導役に就かせたことは、彼を一般世間から遠ざけ、その視野をいっそう狭く、限られたものにしていた。彼がわずかに会外の社会とつながりを保つのは、創価学会とほとんど変わらぬ大蔵商事の営業部長としてで、それもあらわな金を通してに過ぎず、また結婚前には、家庭からも断ち切られていた。
     池田はいわば創価学会という純粋培養の器の中で成長し、その中で満たされていた人工人間であった。が、それだけに会内の立ちまわりには滅法強かった。
     水滸会の教材には『水滸伝』『モンテ・クリスト伯』『永遠の都』『三国志』『太閤記』『レ・ミゼラブル』等が使われた。これらはいずれも、不信と自信喪失の現代小説より前期の、血わき肉躍る情熱と行動の書といった点で共通しており、たしかに新興宗教幹部という一種の社会運動家を育成する教材としてはふさわしいものであった。
     池田は文学に毒されることなく、正義や同志愛、信念や純愛、はっきりした憎むべき敵などの単純に割り切れる世界に遊び、それらを短絡的に現実に持ち込める幸せを享受することが出来たのである。
     11月から創価学会員の寺籍の移動が始まった。それまで、ある寺院に所属する会員(檀家)が移転しても、遠隔地の者を折伏しても、すべてその寺への所属という点では不変だったが、創価学会員の各地での急増にともない、不便と混乱が生じていた。そのため会員の寺籍は居住地から最も近い寺院に移すことになった。これにより、すでに本山大石寺で確立されていた、日蓮正宗に対する創価学会の主導権が、全国の末寺にもおよんだ。
     11月13日、戸田は新宿区信濃町32番地の元イタリア大使館付武官の私邸(洋館、二階建)を1,150万円で買い取り、200万円で改造して創価学会の新本部とした。
     同月25日、前に述べたように、池田は太作を大作に改名した(それ以前から彼は会内で非公式に大作の名を使用している)。改名の理由はまず世間体への顧慮だったと思われる。彼はこの年、長男・博正をもうけ、子がもの心ついてから父の名を恥じないように、との思いもあったろう。が、彼の世間体はなにより彼自身の野心と関係していた。
     このころ彼は実家を訪ねて四兄と話を交わしたが、そのとき池田は車の後席に坐る身分になるといったという。
    「弟(池田をさす)は『これからが多忙になり大変だ』というから、『自動車の免許をとって、活動したらどうか』といったんです。私は当時、免許をとって、小さな工場を経営し、すでに自動車で仕事をしていたもんですから。そうしたら、こういうんです。『僕は不器用だから、自動車の免許はとらない。見ていてくれ。自分は後ろに乗るから』」(央、前掲書)
     池田のすでに手に入れた、ある程度の地位はそれ以上を望ませ、彼の出世欲はいっそう熾烈になっていた。彼の身分は、次の年には会員に色紙を書くほどであり、その署名にも、彼が渇望する地位にも、太作の名はいかにもふさわしいものでなかった。




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