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from: 22世紀さん
2011年07月10日 10時41分04秒
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池田大作「権力者」の構造
池田大作「権力者」の構造 投稿者:管理人 投稿日:2011年 7月10日(日)10時36分42秒 通報 返信・引用
第5章
池田大作の独裁体制へ
約束されていた成功
生前、戸田は北海道に向かう飛行機の中で、「お前たちの孫の孫の代までの構想は教えてゆくからな」と、言ったという。戸田はそれを教えずに死んだのだろうが、会長についた池田としては、創価学会の構想をことあらためて教わるまでもなかった。池田は戸田が敷設したレールの上を、それまでの惰力を減殺することなく、走ればよかった。戸田亡き後の創価学会の成功は、池田の能力に大きく負うとしても、その成功は基本的には、最初から約束されていた。
創価学会の政治進出や出版活動、寺院や会館の建設、文化面への進出など、すべての事業活動を可能にする根本は、多数の会員と、やむことのないその増加である。会員の増加が金を集め、販路を開き、人材を供給し、それらを通して、また会員を増加させる。会員が順調に増大しているかぎり、池田の企みはすべて成功し、その会長としての手腕は疑われようがない。
会員の増加はすべてを可能にするが、重要なことは、それが創価学会の教義に内在化している点である。その意味では、創価学会の一定の成功は、なにも池田の優れた才幹にまつまでもなかった。
創価学会員の信仰生活にふつう課されたのは、勤行と折伏、『聖教新聞』と『大百蓮華』の購読、座談会や講義への出席、大石寺への登山などだが、そのうち最重要視される任務は折伏であり、折伏が創価学会の自己増殖のメカニズムである。
「今末法においては、日蓮大聖人の仏法たる三大秘法の御本尊を信じたてまつって、題目を唱え折伏行にいそしんでこそ絶対的な幸福境涯を会得し、成仏ができるのである。・・・・・自己の幸福のみを願って信心をしていけばよいというのは、真の仏弟子ではない。また、謗法の者を見ておいて折伏をしなければ、仏法中怨として無間地獄に落ちるのである。・・・・・
折伏行に邁進するならば、不幸な人々を救う歓喜はもちろんのこと、折伏によって自己の生命力も強められ、永遠に崩れない歓喜にあふれた幸福境涯を建設することが出来るのである。しかも順縁広布の機は熟し、さらにわれわれは勇気をもって折伏に励むべきである。
これこそが末法の信心であり、折伏なのである」(創価学会教学部遍『折伏教典』)
いうまでもなく折伏とは会員の獲得、非信者の創価学会員化にほかならず、それは、怠れば無間地獄に落ちるとの威迫によって、ネズミ講と同じ仕組みである。会員は次々と被害者――折伏の責任を負わされるという被害者を作らねばならず、被害者さえ作れば、本人は被害者でなくなる以上に、「生命力も強められ、幸福境涯を建設すること」ができる。だが、ネズミ講では被害者二人を作れば事たりるが、創価学会はそれだけでは満足しない。
このような折伏をもってすれば、創価学会の急伸も理の当然であり、それは会長の能力、資質、構想のいかんに左右されない原構造であった。
さらに会員増を支えたものに、創価学会員になることの容易さがある。本尊を幸福製造機とあからさまにいうことに象徴される現世利益の賛美、奨励は、現在の主流の生活信条ともいうべき拝金主義、快楽主義の促進であり、会員はなんら自己変革を要求されることがないばかりか、それまでのためらいながらの欲望、利己心を、野放図に解放することができた。
そこにあるのは出世主義や体制内での遊泳術、二十日鼠の勤勉主義、個人の損か得か、他人の蹴落としだけであり、社会という視点はまったく欠落する。
「資本家というのは、働らけば働くほど自分の利益になります。労働者は、やはり時間だけ働いて、あとは帰ったほうが得で、おそくまで働いても、直接的には自分には利益はないと、いちおう、こういう立て分けができるのです。しかし、私どもは、いっさい働いたことが、ぜんぶ自分の功徳になるのだと決心するのです。また、事実そうなるのです。それが一念随喜なのです。われわれは資本家と労働者のどちらに味方するわけでもなく、両方ともひっくるめた立場でありますけれども、例として、資本家的な気持ちで、すなわち自分が働いたものが、ぜんぶ自分のためになるのだという信心でなくては損なのです」(池田『池田会長講演集』十一)
これは労働の論理でなく、仕える論理であり、現代では失望と落胆、うまくいって抜け駆けとスト破りしか結果しないが、個人の利益に密着しているなりに理解しやすく、革新陣営の運動員になることに較べ、創価学会員になることを易しくしていた。
会員の増加は池田の功績となり、池田体制の安泰を保ち、年と共にその権力をより強固にした。そしてさらに創価学会流の教義解釈が、その池田の地位を超絶性の高みにまで押し上げていた。
その教義解釈とは仏教説話中の覚徳比丘と有徳王の話のあてはめであり、梗概は、――
釈迦出現前に、正法を説く覚徳比丘という僧がいたが、邪法の僧に迫害された。時の国王・有徳はこれを聞いて駈けつけ、満身創痍となりながらも覚徳比丘を守った。この功により有徳王は阿閦仏の国に生まれかわって仏の第一の弟子、覚徳比丘は第二の弟子となった。両者の地位が逆転したわけで、のちの有徳王が釈迦、覚徳比丘が迦葉仏になった。
――というものである。
池田はこの説話を自ら、創価学会会長と日蓮正宗法主の関係にあてはめた。
「『正法を説ける覚徳比丘あり、その比丘を守る有徳王あり、この有徳王は邪宗教と戦闘して、全身に芥子ばかりも残らぬほどの傷を受け、最後まで戦いきった」という経文があります。いま創価学会の私どもは、日夜、朝な夕な、不幸の人々を救おうと折伏に励み、また教学に、座談会に、支部結成に、総本山を、日達猊下をお守り申し上げているその精神、その姿、その方程式こそ、有徳王の精神であり、姿であると私は信ずるのであります」(『聖教新聞』昭和36年5月6日)
池田の話は一気にまくしたてた感じで、文の接続がおかしいが、これを整理していうなら、「覚徳比丘とは、末法今時よりこれを読めば日蓮大聖人の教えを堅く守るものであり、お山の代々の法主上人である。これを守る有徳王とは創価学会会長の立場である」(東京大学法華経研究会『日蓮正宗創価学会』)と、いうことになる。
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