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from: 22世紀さん
2011年09月12日 09時39分09秒
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池田大作「権力者」の構造
池田大作「権力者」の構造 投稿者:管理人 投稿日:2011年 9月12日(月)09時37分18秒 通報 返信・引用
文化活動の強化
池田の会長就任時、創価学会の定期刊行物としては、『大百蓮華』『聖教新聞』『聖教グラフ』の三紙誌を数える
のみであった。
これらはいずれも会員を対象にしたもので、創価学会独自の販売店を通して会員に売り捌かれた。一般の定期
紙誌とは異なり、営業面での危険性は少なく、利潤はきわめて大きく、また安定していたが、購読者数の増加を
会員増だけに仰ぐという閉鎖的な、内部結束用の刊行物であった。
一応、これらの概況を述べておこう。
『大百蓮華』は月刊誌で、昭和24年7月に創刊された。聖教新聞社の発行で、教学部研究室長・原島崇が54年
8月に除名された後、同年8月号から編集兼発行人は桐村泰次。内容は同会の教義理論誌といったところで、
55年1月現在の公称発行部数は244万部であり、その部数は実質的な創価学会員数をつかむ有力な目安の
一つである。
『聖教新聞』は同会の日刊機関紙で、昭和26年4月に創刊された。はじめ旬刊で発足したが、28年9月に週刊、
40年7月に現在の日刊紙に移った。発行元は聖教新聞社。55年時の公称発行部数は454万部で、広告料も三大
紙並みという。
昭和56年現在、聖教新聞社の代表は秋谷栄之助、出版代表・山崎良輔、編集代表・松岡資、営業代表・横松昭
である。従業員は1,300人だが、一時期、創価学会の外郭団体である「21世紀研究会」「近代マスコミ同志会」
「現代マスコミ研究会」「近代思想研究会」「東洋思想研究会」等が取材陣をカバーしたという(浅野秀満『あすの創
価学会』)。
『聖教グラフ』も同社の刊行物で、池田の創価学会総務時代、34年1月に創刊された。当初の年刊から、その後
季刊、月刊と変わり、37年3月に現在の週刊となった。聖教新聞の写真版といった内容で、55年時の公称部数は
109万部、編集長は乙成宣昌である。
なお聖教新聞社は池田の『立正安国論講義』などの講義ものや『人間革命』既刊十巻、創価学会教学部編『創価
学会入門』など、会員に教科書、参考書として読まれる単行本、46年からは聖教文庫なども刊行している。
以上の三紙誌がすべて会内コミュニケーション用だったのに対し、池田による文化面への進出は、会外部に向け
ての宣伝に重きが置かれ、その統括には36年5月に設立された、前述の文化局があたった。
文化活動という語は曖昧だが、創価学会においては、「広宣流布は文化活動である」(『聖教新聞』昭和36年5月
13日)と、広汎に定義され、具体的には政治、経済、教育、言論、学芸等に関する、同会のセクションと、公明党を
筆頭とする外郭団体の活動、それらにともなう出版活動を意味した。
清水雅人は、創価学会が「広宣流布は文化活動である」という以上、文化局の活動は、さまざまの名称で呼ばれた
ところで、結局、間接的な折伏、間接布教にほかならなかったと指摘している(清水「創価学会文化局」、『中央公論』
昭和46年7月特別号)。
池田の文化面への進出には、かつて選挙運動を文化運動と称したと同じ思想がより巧妙な形で貫かれていたわけ
であり、その目的とするところは、贅沢な資金を新事業に振り向けてさらに増収をはかるという営業的な側面、現代風
な組織や刊行物による、創価学会の知的デコレーション――イメージ・アップ策、間接侵略風の思想工作、の三つが
あったとみられる。
池田の最初の文化面へのスタートは昭和35年6月創刊の『潮』できられた。同誌は当初、青年部の機関誌で、市販
されなかったが、38年4月から、現在の創価学会臭をほとんど感じさせない月刊総合雑誌へと編集方針を転換した。
『潮』は創価学会の「一般への窓」(央忠邦)の最たるもので、上条末夫はその機能を、「第一は、文化人の〝撫徇
工作〟であり、第二には一般人の〝懐柔工作〟である」(上条「創価学会の〝文化人工作〟」、『改革者』昭和45年
3月号)と評している。執筆場所の提供や高額な謝礼によって、大学教授や文化人に関係をつけ、また心理的な負い
目を負わせて彼らを自陣、もしくは中立に立たせ、さらに購読者に対しては、著名な文化人の執筆論文で釣り、創価
学会アレルギーを解消するという戦術である。
昭和56年現在の発行部数は32万部といわれ、発行は潮出版社(42年12月設立、資本金1,600万円、従業員
86人)が行っている。同社は一時期、『週刊言論』(公称50万部)、季刊雑誌『日本の将来』を発行していたが、『週刊
言論』『日本の将来』とも47年11月で休刊している。潮新書、潮文庫などを持ち、44年には2億169万円の利益
(税務申告)をあげている。
代表取締役は旧華族の島津矩人、取締役に創価学会総務の池田克也(編集局長兼任)、八矢洋一、他に公明党
国会議員の黒柳明、渡部通子も取締役だったが、言論抑圧問題の最中、45年3月11日に、同年1月5日付の辞任の
登記をしているという(「黒い〝鶴〟のタブー」25、『赤旗』昭和45年4月8日)。
昭和56年現在の社長は富岡勇吉、編集代表志村栄一であり、「ヤングミセスの生活全般にわたる実用実利を追求
する」と銘打つ『婦人と暮し』(月刊、48年4月創刊、公称52万部、編集長・鈴木征四郎)、少年漫画誌『少年ワールド』
(月刊、53年7月創刊、公称30万部、編集長・門脇良充)、『別冊少年ワールド』なども刊行するようになった。
また同社の設立目的には、雑誌、書籍、レコードの出版、販売のほかに保険代理業、不動産の売買、仲介、賃貸し、
植木の栽培、通信教育、講演会の開催等が掲げられている。保険代理業や不動産業は戸田以来の創価学会系企業
の伝統である。
『潮』以外にも35年には創価学会学生部の機関誌『第三文明』が創刊されている。同誌は創価学会教義の応用誌と
いった性格をもち、のちに第三文明社の刊行になる。同社は以前、公明協会の所有するマンションに事務所を構えて
いた創価学会系の出版社である。創立は昭和44年7月、資本金1,800万円で従業員30名。社長は栗生一郎、編集
代表・狩野良平という構成であり、月刊誌の『第三文明』(公称18万3,000部、編集長・佐々木利明)のほか、月刊の
教育研究雑誌『灯台』(37年創刊、公称26万5,000部)、レグルス文庫などを刊行している。なお同社は、今では山
崎師団の現場指揮官・広野輝雄、北林芳典などが一時期、在籍したことで知られている。
また学生部は38年10月に『学園ジャーナル』を発刊し、さらに週刊機関誌『大学新報』公称15万部を大学新報刊行
会から発行している。
36年は文化局とその下部機構の設置に費やされ、翌37年に創価学会は具体的な文化活動に入った。この年は文
化面での全面進出への転換点ともいうべき多彩さで、おもな事項を拾っただけでも、次のように活発である。
1月27日 東洋学術研究所設置
4月2日 『公明新聞』発行
8月4日 富士吹奏楽団結成
8月21日 広報局に映画部設置
9月13日 『公明』発刊
9月18日 教育部機関誌『灯台』発刊
11月1日 言論部『言論』発刊
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