サークルで活動するには参加が必要です。
「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
※参加を制限しているサークルもあります。
-
from: 22世紀 - 2さん
2011年11月24日 13時29分31秒
icon
池田大作「権力者」の構造
なりあがりの大物好み
もっとも池田は勝ち抜いてきた者として、大物との人交わりを好み、彼らに親近感を抱いていた。その際の必要条件
は、相手が彼を認めるという一点につきた。彼にとっては彼の権威を認めないこと、彼に礼を尽くさないことにすぐる
権利侵害はなかった。彼はそれを傲慢と決めつけ、皮膚感覚的にヒステリー反応を起こした。
「威張る者とは戦おう。それが社会正義の人だ。威張るのは、キャラクターとして、最低だ」(小林正巳『池田大作』)
と池田はいきまき、たとえば彼を呼びつけた上、待たせた大野伴睦にひどく恨みを含んだ。創価学会の勢力の伸張と
ともに、池田は表敬に過敏となり、それだけ立腹の機会も多くなっていた。
が、逆に彼に頼みごとをもって訪ねてくる大物ほど彼を喜ばせるものはなかった。池田は頼みごとを必ずしもかなえ
はしなかったが、依頼を彼の権威の承認と受け止め、ひとり悦に入った。
池田への依頼持ち込みの最盛期は昭和38年4月に行われた、現職の東龍太郎と、阪本勝が一騎打ちした都知事
選で、この時には大野伴睦、岸信介、南条徳男、佐藤栄作が池田を訪ねているという(草柳大蔵『現代王国論』)。
彼らの依頼が奏効したか、公政連は、それまで都政の欠陥と腐敗を攻撃していたにもかかわらず、その都政の最高
責任者である東龍太郎支持を表明し、多数都民の批判を浴びた。
池田をはじめとする創価学会=公明党幹部には、つねに正当に評価されていない、世に認められていないという、
被害者類似の意識が濃厚だったから、自らの利益に支障ないと判断できるかぎり、大物に認められ、おだてられれば、
時に豚のように木に登った。
また池田はこれと思う大物を創価学会の文化祭に招き、参加者名簿をその声望と権力の貯金通帳として眺めた。
42年10月の文化祭への来賓は5,000人にのぼり、『日本の潮流』によれば、そのおもな顔ぶれは次の通りであった。
「政界は三木外相、前尾繁三郎(自民)、賀屋興宣(同)、田中角栄(同)、田中法相、塚原総務長官、劒木文相、柳田
秀一(社会)、佐々木秀世(自民)、石橋政嗣(社会)の各氏ら。美濃部都知事、秦野警視総監、竹山静岡県知事、
東前都知事もローヤルボックスに姿を見せ、じっと見守っていた。官界からも多数が顔を見せていた。
財界では松下幸之助氏の姿が目立った。銀行関係は田実渉(三菱)、岩佐凱実(富士)、堀田庄三(住友)、金子嘉徳
(東海)、村野辰雄(三和)、原純夫(東京)の各氏ら。
建設業界は本間嘉平(大成)、竹中練一(竹中)、吉川清一(清水)、渥美健夫(鹿島)の各氏。
デパートは松田伊三雄(三越)、飯田新一(高島屋)、小菅丹治(伊勢丹)、古屋徳兵衛(松屋)、堤清二(西武)、根津
嘉一郎(東部)、服部礼次郎(和光)の各氏ら。
製紙業界は熊沢貞夫(王子)、金子佐一郎(十条)、木下又三郎(本州)、白石稔(三菱)の各氏(以下一流企業の大
どころが続くが略す)。
学者では大熊信行(神奈川大)、清水幾太郎(学習院大)、木下広居(専修大)、磯村英一(都立大名誉教授)、古田
重二良(日大)の各氏ら。それに一流出版社の幹部も数多く姿をみせた」
池田はこれらの知名人に、動く人絵や人文字を見せて、会員の統制された、彼自身への忠誠心を見せつけ、出席者
に様々の感慨を強いた。森下泰は「団結力」に感嘆久しくしたし、木下広居は「日本の将来に明るい気持ちをもった」
(『週刊現代』昭和42年11月2日号)。
また昭和38年の関西文化祭を見たマックファーランドは、「こうした大衆のエネルギーと盲目的従順の表明に慄然と
した。第二次世界大戦当時を覚えている者にとっては、こうした光景は決して忘れられるものではない。私の心に、
ナチスの青年大会のニュース映画の一コマや、文明を絶滅させてしまった全体主義の光景が、ちらっと浮かんで来る」
とその著に記さねばならなかった。-
サークルで活動するには参加が必要です。
「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
※参加を制限しているサークルもあります。 - 0
-
サークルで活動するには参加が必要です。
「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
※参加を制限しているサークルもあります。 - 0
icon拍手者リスト
-
コメント: 全0件