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from: 22世紀 - 2さん
2011年12月05日 17時45分33秒
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昭和五十二年路線と日達上人の御教導
大白法・平成6年4月16日刊(第407号)より転載
ーついに池田大作は離脱を断念ー
創価学会は反論不能
前回では、『北条文書』・『山崎八尋報告書』等を引用し、創価学会本部の宗門乗っ取り、もしくは分離独立の悪辣(あくらつ)な策謀(さくぼう)を検証した。これまで、本紙で破折するあらゆる記事に対して、無理やり苦しい反論を試(こころ)みてきた学会側(聖教・新報・怪文書)も、今回はどうあがいても反論することはできないらしく、だんまりを決め込んでいるようだ。それもそのはずである。特にこの北条文書は、御先師日達上人御遷化(せんげ)後に初めて世間に公表されたものであり、この文書については、昭和五十四年十二月一日付聖教新聞の『お答えします』という欄(らん)に、『北条副会長(当時)の文書について』と題して、学会本部として謝罪する旨の正式見解が述べられているのである。
「文書の中に『分離』うんぬんの論議が述べられておりますが、一時的、感情的な意見であり(中略)この点については、日顕上人にも経過をご説明申し上げるとともに一時的、感情的にせよ、こうした問題があったことについては、お詫び申し上げました」
つまりこれは、昭和四十九年当時、日達上人の御存知ないところで、このような分離独立を示唆(しさ)する文書が、池田の側近によって実際に作成され、これがあるアクシデントによって世間に公表されてしまい、作成者である故北条会長(当時)の存命中に、創価学会の公式見解として事実存在した文書であることが認められたものである。
まさに、今、創価学会が鬼の首でも取ったかのごとく騒いでいる『C作戦』なる幻の作戦についての報道より、更に十五年以上も前に、既に学会本部では、宗門支配、もしくは独立構想が練られていたことを証明する証拠なのであり、学会がいかなる反論を試みようとも決して言い逃れのできない、驚くべき事実なのである。
日達上人も、当時の創価学会の不穏(ふおん)な態度や行動に対して、
「昭和四十七年に正本堂が建立せられた。その直後から非常に学会の態度がおかしくなってきた。大変僧侶も馬鹿にするし、また教義上に於いても非常に変化が多いように思う。そのつど私も種々な時にそれを指摘して、そういうことはいけない、日蓮正宗の教義に違うと指摘してきたつもりでございます」
と、昭和五十三年二月の時事懇談会の席上、当時を振り返って述べられ、学会の態度の変化に対し、非常に苦心されていたことを回顧遊ばされている。
昭和五十二年路線の謀略
ーすべての発端は池田大作の野望ー
平成二年以降の今回の創価学会大謗法問題の根源は、すべてこの昭和四十年代後半から五十年代前半に練られた策謀の再現、あるいは現実化を目論んだ第六天の魔王・池田大作の仏法破壊の陰謀(いんぼう)によるものである。その証拠に、当時から学会本部内で池田の側近であった、現創価学会理事長・森田一哉は、平成三年三月十八日『杉並ビクトリー勤行会』という異様な名前の会合の席で、
「もう聖教新聞には堂々と書いてある。こんなことは初めてじゃないですか。創価学会始まって以来ですよ、堂々とやってんのは。十年前は堂々とできなかった。
一言も言えなかった。それで失敗しましたんで、今度は堂々とやっている」
などと平然と発言していることなどが挙げられよう。
さて、故北条氏が池田大作宛に「長期的に見れば(宗門と)うまくわかれる以外ない」と所感を述べたその恐るべき策略(さくりゃく)は、池田大作の総指揮のもと、昭和五十二年路線として現実のものとなった。
日達上人は、創価学会問題が表面化する数年前の昭和四十九年当時、既に学会の方針に対して憂慮(ゆうりょ)遊ばされていた。
「この辺でも、最近、人間革命が御書だということを盛んに言われてきております。私の耳にもしばしば入ってきています。又、誰れが本仏であるという言葉も、この近所で聞かれるのであって、私は非常に憂慮しています(中略)凡夫が、体の仏であるということは、御書にはっきり書いてあります。その体の仏を以て、どこまでも仏だといいふらしていくならば、大変間違ったことになります。やはり、末法の仏は、宗祖大聖人以外にはないのであります(中略)それが、たまたま違ったことが入るならば、それは、日蓮正宗でもない。もし、日蓮正宗の御本尊を拝するならば、日蓮正宗の教義に従って、信心していかなければならないのであります(中略)日蓮正宗の教義が、一閻浮提(いちえんぶだい)に布衍(ふえん)していってこそ、広宣流布であるべきであります。日蓮正宗の教義でないものが、一閻浮提に広がっても、それは、広宣流布とは言えないのであります」
(達師全集第二-六-二九五頁)
すでに『北条文書』が極秘に作成されていた当時、創価学会の不穏な動きは、宗門の憂慮するところであり、各地において特に学会幹部により、さまざまなトラブルが起こされ始めていたのである。
そして、そのくすぶっていた小さな火種は、池田大作により、すさまじい勢いで燃え盛る大火となって、宗門をはじめ多くの純粋な信徒を混乱させたのである。
さて、ここに、そのきっかけとなった、昭和五十二年一月十五日に行われた池田大作による講演、『仏教史観を語る』の記録がある。その発言内容たるや、まさに宗門七百年の伝統教義をねじ曲げ、出家僧侶不要論を展開した挙げ句に、創価学会こそが大聖人直結の団体であるとの方針を打ち出したものであった。そして、この講演以後、誰はばかることなく、創価学会は宗門総攻撃を展開し、御法主上人の御宸襟を悩ませ奉ってゆくのである。
①僧侶不要論
池田はまず、小乗仏教の形骸化・官僚化を指摘し、「上座部」の僧侶達が、
「在家の民衆から供養を受けながら、それを当然のごとく考え、民衆をへいげいし、エリート意識をもって君臨していた教団であります」
と批判した。
確かに、本文の中には、日蓮正宗のことであるとははっきり述べてはいないものの、なぜ二千数百年も前の小乗仏教の僧侶たちを、大聖人様が大正法を建立遊ばされ、大聖人よりの正しい血脈相伝に基づく日蓮正宗が存在する今になって、このような具体的な形をもって「出家」批判として弾劾(だんがい)しなくてはならないのか。これは明らかに、言葉を換えて宗門を誹謗したものなのである。当然、池田大作を盲信(もうしん)している、仏法に無知な会員達が、このような発言を聞けば「僧侶」という存在自体に疑問を生じることは明白である。
そして池田大作は、
「小乗の出家仏教があまりにも形式主義、官僚(かんりょう)主義に陥り、民衆の苦悩から遊離(ゆうり)していたのに対し」
て、在家を中心に行われた大乗仏教運動は、
「釈尊の精神、すなわち仏教の原点から問い直そうとした」
すばらしい運動であると結論付けている。
出家を中心に仏教を流布していくのではなく、あくまでも在家(池田創価学会)を主体として広宣流布を進めなければならないと言いたかったのである。
さらに、
「仏法というものの流布における『現在』から『未来』への歴史の教訓を見いだそうという趣旨から」
これを述べるとし、
「かつての民衆のなかから生まれ、みずみずしく躍動した仏教が、沈滞・形骸化していった大きな要因のなかに、仏教界全体が“出家仏教”に陥り、民衆をリードする機能を失った」
から、今後は、血脈付法の御法主上人を中心とした日蓮正宗を排除(はいじょ)して、在家集団である創価学会主導によって未来に向かって仏法を弘めようと言いたかったに違いない。
そうでなければ、なぜこの時に、会員に向かって敢(あ)えて、インドにおける正法時代の出家のあり方についての批判をしなければならなかったのか。まさに我田引水の暴言である。
②在家僧宝論
次に池田大作は、
「在家はもっぱら唱題に励み、供養し、そのうえ、力にしたがって仏法を語るべきであるとされているのであります。僧侶がもっぱら折伏に徹し、三類の敵人と戦い、広宣流布するのに対して、在家は自身の成仏のため唱題し側面から僧侶を応援する立場である。その本義に立てば、現代において創価学会は在家、出家の両方に通ずる役割を果たしている」
と述べ、さらに、
「出家、在家を問わず、ひとたび仏教の正しい信仰に目覚め、苦悩の民衆を救済しようとの精神に立った人は、その瞬間から形式を越えて精神においては出世間の人々である」
としたうえで、その結論として「出家も在家も全く同格である」とまで言い切った。
これまさに、日達上人、更には宗開両祖への挑戦と言わずして何と言おう。創価学会とそれを指導している池田大作こそ『現代における僧宝』と断言し、宗門の僧団を『形式的なもの』と見下すよう会員を洗脳したのである。
御本尊の御前に向かい奉って南無妙法蓮華経と唱え、成仏を願うことには僧俗の差別は存在しないことは当然である。しかし、だからといって、宗祖日蓮大聖人以来、唯授一人血脈相承をお受け遊ばされる御法主上人と、在家の総大将といえども、信徒である池田大作が、どうして同一と言えるのであろうか。
例えば、一例を挙げれば、御書の解釈、あるいは広宣流布への方針などは、一宗を教導遊ばされる御法主上人の御指南に従うべきことは言うまでもない。しかも、唯授一人血脈相承とは、まさに宗祖大聖人の御命たる本門戒壇の大御本尊を身に宛てて所持されるところの、犯すべからざる法体の血脈であり、全世界の民衆を教導遊ばされるための大権を所持される御法主上人と、信徒の代表が、どうして全く平等であると言えようか。
とにかく、池田大作は、僧俗が全く平等であることを会員に印象づけ、宗門の権威(けんい)を失墜(しっつい)させ、そのうえで次に示す「創価学会も供養を受ける」という方針を打ち出していくのであり、これこそが池田大作のの本当の狙(ねら)いであったのである。
なお、この池田大作による僧俗平等論については、最近の学会による平等論を対象とした破折文書が、既に日蓮正宗時局協によって「『僧俗平等論』の誤りを破す」と題して徹底的に破折されているので参照いただきたい。
③創価学会も御供養を受けられる
以上のような話の流れから、現代における真の僧団たる創価学会、ひいては現代の僧宝池田大作こそが、仏法の本義から供養を受けられると進んでいく。池田は、
「真に仏法流布に艇身(ていしん)し、民衆救済に進むものには、供養を受ける資格がある」
「その供養が仏法流布に生かされるならば、在家の身であっても供養を受けられる」
とはばかりなく断言し、今後学会でも『御供養』と称して、会員から金銭を集めることを宣言したのである。
④ 会館は現代の寺院(道場)
そのためには、会員を宗門からなるべく離れさせなければならなかった。そこで、「会館は現代の寺院」論を主張したのである。寺院へは行かなくとも、会館へ来ればよいという自分勝手な暴論(ぼうろん)である。
インド小乗仏教における寺院のあり方を例に取り、
「儀式だけを行ない、我が身の研鑚もしない、大衆のなかへ入って布教をするわけでもない既成の寺院の姿は、修行者の集まる場所でもなければ、ましてや道場であるわけは絶対にない」
と、今頃になって小乗仏教の寺院のあり方を徒(いたづ)らに批判し、大乗仏教の本来の寺院のあり方を、
「当時の菩薩僧の多くは、出家に対し在家であり、それぞれの家をもっております。また、剃髪しているのでなく、有髪である。衣服も僧衣でなく俗衣、つまり普通の衣服をしているのであります。大乗仏教の興隆は、この在家中心の寺院を拠点として生まれた在家教団によってなされたのであります」
と、自らの都合のいいように勝手に解釈している。まさに在家が中心となった団体が集う場所、すなわち学会の会館こそが真実の寺院であるという邪論を展開したのである。
総本山大石寺をはじめ正宗寺院への参詣を勧めるどころか、会館へ行けば、寺院へ参詣する必要はないと会員をに洗脳したのであり、宗門外護どころか、実質上の寺院潰(つぶ)しである。
⑤ 池田本仏論
そして、いよいよ池田の発言は、クライマックスへと入ることになる。すなわち池田が予(かね)てから仕組んでいた「我こそは法華経に予証された末法出現の仏」とする『池田本仏論』の展開である。
法華経の神力品に示される、
「日月の光明の 能(よ)く諸(もろもろ)の幽冥(ゆうみょう)を除くが如く斯(こ)の人世間に行じて 能く衆生の闇(やみ)を滅(めっ)す」
との文を引きながら、末法出現の上行菩薩(=御本仏)について、
「この経文に、まず『斯の人』とあることに注目したいのであります。『この如来』とも『この菩薩』とも『この僧』ともない」
と、あくまでも、末法出現の本仏は、単なる『人』である旨を、執拗(しつよう)に強調している。
ここで考えなければならないことは、法華経に『斯の人』と表現されている意味である。つまり、末法出現の上行菩薩、すなわち御本仏は、釈尊のように、金色(こんじき)に荘厳(しょうごん)されるなどの三十二相・八十種好の仏の相貌(そうみょう)を備えているのではなく、凡夫(ぼんぷ)僧の姿をもって、民衆救済のために、久遠元初以来の三大秘法を建立遊ばされるのである。そのお方とは、当然、日蓮大聖人をおいて他にはおられないことは言うまでもない。
しかし、池田は、「『この僧』ともない」として、末法出現の本仏は、僧侶であるとは限定されていない確かにこの講演の中では
「『斯の人』とはいうまでもなく、日蓮大聖人は、ご自身であると断定されています」
と、一応は末法出現の仏は大聖人である、とはしているが、先の発言はあくまでも出家・在家にかかわらず、広宣流布のために三類の強敵(ごうてき)と戦う総大将(自分のこと)、本仏であるということを言わんとしたものであることが明らかである。
昭和五十二年当時から現在に至るまで、御書よりも池田の指導を重視するような会員達の中には、「やはり池田先生こそ仏様だったのだ」と、とんでもない誤解を生じた者も多くいたことは言うまでもない。
この洗脳方法は、すべてのことにも言えるが、池田の常套(じょうとう)手段である。自分では「我は仏なり」などとは決して言わず、周囲の人間に、そのような錯覚(さっかく)を起こさせ、そう言わしめるような指導を徹底(てってい)してゆくという卑劣(ひれつ)なやり口である。そして、まさかの時には「自分はそんなことは言っていない」といつでも逃げられるようにしているのである。
この池田大作による狂った講演の後、創価学会の教義逸脱(いつだつ)はその頂点に達した。寺院参詣の阻止(そし)が徹底され、会館における法要・婚礼の執行などが平然と行われるようになり、学会組織内は会員を巻き込んで大混乱に陥(おちい)っていった。その結果学会は、宗門をはじめ正宗内外よりの激しい非難(ひなん)を浴びることとなり、雪崩(なだれ)のように続々と脱会者が出はじめ、さらにその混乱は、宗門を巻き込む大問題へと発展していったのである。
そして、かの悪名高き『御本尊模刻事件』が、創価学会大幹部に近い赤沢朝陽社長・赤沢氏より日達上人に報告され、宗の内外に露見(ろけん)したことと併(あわ)せて、これらの教義逸脱(いつだつ)問題は、池田を窮地(きゅうち)に追い込む結果となったのである(御本尊模刻事件についての詳しい経過は、当紙三九七号の『検証・御本尊模刻事件』を参照)。
日達上人による創価学会への御教導
日達上人も、これら池田率いる創価学会の邪義、もしくはこれに同調するような暴論(ぼうろん)に関しては、事あるごとに徹底的に破折遊ばされている。
①「学会こそ僧宝」に対する御指南
我々が布教し折伏するが故に、我々も僧宝であるから他の人々が我々を拝んでもいいんだと云うような心を起こせば、それは既に憍慢(きょうまん)であります。
【昭和五十二年七月二十七日】
②「寺院不要論」に対する御指南
或(あ)る本で大聖人様の寺院観と云うものを、大聖人様が居らっしゃった所が御寺だと言ったならば、或る人は“寺、寺”と言うならばまるで多造塔寺堅固(けんご)の時代に逆戻(もど)りしたようなものだと出ておる。これは考えが違うんだ。其(そ)の人は表面はそういう言葉を知っているから使うだけであって、大聖人様の仏法と云う事を知らない。感違いしている(中略)大聖人様の仏法を広宣流布する為に、寺々家々それぞれお題目を上げる為に寺を建立するのは当り前の事です。
【昭和五十二年八月十八日】
③ 「僧侶侮辱(ぶじょく)論」に対する御指南
世間の人は基本が分からない。基本の学問をそっちのけにして、唯(ただ)言葉を知っているからと云って、やたらと悪口を言う。例えば我々は僧侶である。
日蓮正宗の僧侶である。で、それをすぐ「供養を欲しがる禿人(とくにん)だ」などと言っておる。“禿人”と云うのは、もともと食べる事が出来ないで、乞食(こじき)ですね、食べる事も何も出来ないから、仕方無しに坊さんの格好をすれば供養がある。日蓮正宗の僧侶はそういうものではない。
【昭和五十二年八月十八日】
④ 「学会の師弟観」に対する御指南
よく世間では、「あの人は私の師であるから、あの方が地獄(じごく)へ堕(お)ちるならば、私も地獄へ行っていい」等と言う人があります。此の人は何の為に信心しているのか分かりません。大聖人の仏法に対して全く誹謗(ひぼう)の人であります。
【昭和五十二年十一月二十七日】
など枚挙(まいきょ)に暇(いとま)がない。そうした、御自ら率先(そっせん)して学会の邪義を破折遊ばれた日達上人の御意を受けて、宗門僧侶の中から、創価学会に対する大折伏戦が加えられたのである。
池田大作、日達上人にお許しを願う
そうした、すさまじい破折に八方塞(ふさ)がりとなり、遂(つい)に行きづまった池田は、とうとう日達上人に平身低頭してお許しを願った。
昭和五十二年十二月四日、宮崎県・日向本山定善寺の本堂新築落慶入仏式において挨拶に立った池田は、
「我々は凡夫であり、愚昧(ぐまい)にして未熟な点ばかりである。また大勢であるが故に、勝手気ままと思われる節が多々あろうかと存じます(中略)本年の末寺の大事なお会式で、参詣者が少ない寺院があったと聞き誠に残念なことだと思っている(中略)また彼岸法要等において、学会としても宗教行事として行ってまいりましたが、各寺院の儀式も-
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