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  • from: 21世紀さん

    2012年03月14日 11時22分41秒

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    Forum21

    記念特集/創刊10周年に寄せて

    創・公複合体に深く刺さった槍

    溝口 敦

    ノンフィクション作家

     創刊10周年おめでとうございます。創刊以来「フォーラム21」が社会で果たしてきた役割は非常に大きいものがあります。

     創価学会=公明党に対する社会的な警戒心は決して消失していませんが、近年衰退著しい政界やメディアなどが創・公複合体を受容しようとする動きがあります。創・公複合体は一定の票や議員数、また巨額の広告宣伝予算を持っているため、それらに頼ろうとする政党やメディアが跡を絶ちません。彼らは創・公複合体が社会に流す害毒と、その有害な体質に目をつぶってお先棒を担ぎ、複合体という神輿を担うことで社会的な警戒心や抵抗を弱める働きをしています。

     そういう中でフォーラム21は創価学会批判の旗幟を鮮明にして、戦い続けています。もちろん創・公複合体は「フォーラム21」を目の仇にして、何度も訴訟を乱発し、嫌がらせを行いました。しかしフォーラム21は一歩も退くことなく粘り強く戦い、貴重な勝ちをおさめています。

     フォーラム21は決して立ち位置を変えません。創・公複合体がいくら攻撃を繰り返しても、決して音を上げず、妥協しません。だからいつでも掲載記事が信頼できるのです。創公複合体と戦う者にとっては橋頭堡であり、情報拠点です。創公複合体から離脱し、新たに戦おうとする者にとっては羅針盤の役割を果たしています。

     フォーラム21が創刊された10年前と今とを比べれば、明らかに創・公複合体の士気も結束力も落ちています。力の結集点である名誉会長・池田大作氏の植物人間化で、指揮命令系統が拡散、混乱していることが原因と思われます。創・公複合体はちょうど北朝鮮と同じで、池田氏を英雄的に祭り上げることで個人崇拝に結びつけ、その個人崇拝を組織的な力の源泉にしてきました。しかし池田氏の心臓はまだ停まっていないといった病状では、単に生物的に死んでいないだけの話です。組織的にはトップが不在ですから、複合体の官僚が今までの惰性で適当に組織を動かしているだけです。

     このことを端的に象徴するのは「週刊文春」の大誤報に対する創・公複合体の微温的な反応でしょう。同誌は去年10月27日号で、「池田大作名誉会長『厳戒病室』本当の病状」とタイトルにうたい、創価学会の医療関連施設「南元センター」で看護師として勤務していたという人物の証言を載せました。

     「先生の病気は、脳梗塞です。梗塞は2カ所にあり、もともと糖尿病という持病をお持ちなので、合併症を誘発する恐れもあります。自力で歩くことはできず、移動は車椅子でした」

     いかにもリアリティのありそうなコメントであり、特集記事でしたが、なんと週刊文春は12月29日号の「編集長から」で訂正し、詫びています。

     「記事につき、創価学会より『該当する看護師は存在せず、証言は事実無根である』との抗議がありました。これを受けて小誌は再取材を行いましたが、証言者が看護師であるとの確証を得るに至りませんでした。病状についての記述を取り消し、ご迷惑をおかけした関係者にお詫びいたします」

     創・公複合体はよほど注意深く雑誌に目をさらさないと見つからないこの小さな訂正文を出させることで週刊文春を無罪放免としました。仮にも池田氏の病状に関する誤報です。従前の創価学会なら名誉毀損で裁判に訴え、多額の損害賠償を求めたことでしょう。

     しかし池田氏の病状は誤報とはいえ、週刊文春記事に近いはずですから、池田氏が記事の影響を判断した上、立腹し、裁判しろと号令を掛けることもできなかったのでしょう。創価学会がこれまで敵視してきたのは週刊新潮でしたが、新潮に加えて新たに文春も敵に回すのはという気のすすまなさから訴訟を控えたとも伝えられています。創価学会の官僚にとっては池田氏に怒られる心配がない以上、誤報の扱いなどはどうでもいいことなのです。

     明らかに創価学会の士気は薄まり、かつて戦闘的といわれた社会への鋭角性を失っています。長期的に見れば、将来はふつうの社会の中に溶融していくでしょうが、それまでの間、フォーラム21は創公複合体に深く刺さった槍であり続けるはずです。

     

    (みぞぐち・あつし)ノンフィクション作家、フリージャーナリスト。1942年生まれ。早稲田大学政経学部卒。出版社勤務などを経てフリーに。宗教関係をはじめ幅広く社会問題を扱う。『食肉の帝王』(講談社プラスα文庫)で第25回講談社ノンフィクション賞、日本ジャーナリスト会議賞、編集者が選ぶ雑誌ジャーナリズム大賞の3賞同時受賞。『堕ちた庶民の神』(三一書房)『歌舞伎町・ヤバさの真相』(文春新書)『パチンコ「30兆円の闇」』『生贄の祀り』『あぶない食品』(小学館文庫)『武富士 サラ金の帝王』『池田大作「権力者」の構造』『中国「黒社会」の掟』『細木数子 魔女の履歴書』(講談社プラスα文庫)『暴力団』(新潮新書)『抗争』(小学館新書)など著書多数。

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コメント: 全5件

from: 21世紀さん

2012年05月26日 19時47分41秒

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「Re:Forum21」
特集/大衆の前から姿を消して満2年――混迷の度深める創価学会
投稿日: 2012年5月24日 作成者: okkotu
特集/大衆の前から姿を消して満2年――混迷の度深める創価学会


「主不在の2年」を裏付ける信濃町の混迷

古川利明
ジャーナリスト



 「最高意思決定権者」の不在が混迷招く

 公明党と創価学会を完全にコントロールしていた池田大作が、「公の場」、つまり、大勢の人間の前で、自らの肉声を披露し、その健在ぶりをアピールすることが途絶えてから、もうすぐ丸2年が経つ。

 最後にその動静が確認されたのは、2010年5月13日、創価国際友好会館で行われた、中国・清華大からの名誉教授号の授賞式である(記事は、翌日付の聖教新聞に掲載)。それからまもなく、「私を頼るのではなく、君たちが全責任をもって、やる時代である。私はこれからも君たちを見守っているから、安心して、総力を挙げて広宣流布を推進しなさい」とのメッセージを託し、翌6月の本部幹部会を欠席してからは、こうした学会の公式行事に、池田は姿を見せてはいない。

 このように、「公の場に出て、自らの健在をリアルタイムで誇示することができない」という厳然たる事実が、「主(=池田大作)不在」に陥っている信濃町の現状を、何よりも雄弁に物語っている。それゆえ、池田大作の「老化による体力の衰え」ということについては、もはや、否定のしようがない。

 確かに、学会サイドとしては、過去に撮りだめておいた池田の写真が膨大にあるため、その著名人との対談の類をはじめとして、それらを使い回すことで、その“健在ぶり”については、いくらでもアピールできる。また、『新・人間革命』はもとより、「SGIの日の提言」といった長尺の文章についても、“代作局”のメンバーがフル稼働して、その執筆にあたるため、さしあたり、とりたてて困るということはないだろう。

 しかし、池田大作が「最高意思決定権者」として君臨していた最大の証は、「政局」をはじめとして、組織の動向に関わる重要案件については、自らが判断、決裁し、指示を出していたことである。諸々、「布石を打つ」ということから始まり、「ここで一気に突っ込んで勝負に出るのか、それとも兵を引くのか」という大局的な判断は、池田の専権事項というより、「池田にしかできないこと」でもあった。

 そこで、本題のタイトルに付けたように、ここ最近見られる「創価学会=公明党」の混迷ぶりというのは、ひとえに、その「主不在」という決定的要因によるものではないか、というのが筆者の見立てである。

 本気度が疑われる脱原発姿勢

 今、永田町の政局は、政府・民主党が提出した消費税増税法案を巡り、この通常国会の会期末である6月21日に向け、「解散、総選挙になるか」に絞られている。これまでの新聞報道等によれば、もし、このタイミングで解散・総選挙がないと、ズルズルと来年夏までの衆院の任期満了までなだれ込みかねない情勢である。その場合、予定されている参院選と合わせ、都議会も任期満了を迎えるため、下手をすると「トリプル選」もありうる。信濃町としては、どうしてもそれは避けたいため、「今国会中の解散、総選挙」を目指し、早期に消費税増税法案の審議入りを迫り、そこで法案を「否決」することで、「政局の流動化を狙う」戦略である、とされる。

 その意味では、確かに、公明党は最近になって、野党色をだいぶ出してきたとはいえるが、しかし、有権者にとって、消費税増税とともに、最大の関心事である「原発問題」については、池田大作が今年1月に「SGIの日の提言」として、「脱原発」に言及したにもかかわらず、あまりにも鈍い反応なのである。

 例えば、この4月11日に党首討論が行われたが、公明党代表の山口那津男は、政府・与党に対して、「脱原発への政策転換」を突きつけるどころか、そもそも、原発問題には全く触れずじまいだったのである。また、その少し前の3月27日には、市民団体からの直接請求を受け、大阪市議会で原発稼動の可否を問う住民投票条例案について、大阪市長・橋下徹の率いる大阪維新の会とともに、公明党は否決に回っている(賛成したのは、共産党のみ)。

 確かに、橋下市長は、このとき、同市議会の第2党である公明党とともに、「再生可能エネルギーの導入促進や発送電の分離」を国や電力会社に求める決議案を提出し、可決させている。だがそもそも、この住民投票条例案については、橋下市長が「住民投票条例の結果は、関電に対して法的拘束力を持たず、多額の費用もかかる」として、反対意見を付けて議会に提出していたものだった。そこで、総選挙に向け、まずは大阪で橋下新党との選挙協力を打ち出している公明党(=創価学会)としても、その替わりとして持ち出した「脱原発の決議」とは、橋下自身も「脱原発の姿勢」を打ち出している手前、住民投票を求めた市民団体、さらには、それを支持する有権者に対する「ガス抜き」の側面があったといえるだろう。

 しかし、新潟県巻町(現・新潟市)で東北電力が計画していた原発建設に対して、それを最終的に断念へと追い込んだ「切り札」とは、じつは「住民投票」だった。90年代半ば、建設反対派の住民が、原発を推進する当時の町長をリコールで解職させたのと合わせ一本で、運動の中心メンバーだった笹口孝明氏を町長に当選させ、その新町長のもと、原発建設の賛否を問う住民投票を実施。そこで圧倒的な「ノー」という地元の意思を明確にしたことが、最終的に03年12月、東北電力に「原発計画の撤回」を公表させる原動力となった。
 それゆえ、住民投票の結果が法的拘束力を持たないとはいえ、「民意の発露」という方法として、このように大きな力を持っているのである。それでいうと、今回、大阪市議会で、公明党が「それ」を否決したということに、あの橋下市長ともども、「脱原発に対する本気度」を疑われても仕方がないだろう。

 「政治からの撤退」という選択肢も考慮すべき

 こうした「公明党=創価学会」の混迷ぶりは、大きくは、その司令塔である「主(=池田大作)の不在」があるだろう。それと、本誌前号の「トピックス」が指摘していたように、例の「矢野裁判和解」におけるウラ事情として、矢野絢也氏が『乱脈経理』(講談社)で指摘していた池田大作の「公私混同」を突破口に、「今後、予想される池田の相続税問題について、『事前交渉』には応じない」という国税当局の頑なな姿勢が、陰に陽に信濃町サイドへの「揺さぶり」となって、その動きを鈍くさせ、いっそう混迷に拍車をかけている可能性は、十分にある。

 そもそも「権力の源泉」とは、「国会の議席数」である。であるなら、その「議員定数削減」とリンクした「選挙制度の改革」によって、とりわけ、衆院においては、現行よりも議席増が間違いなく見込める、比例中心の「連用制」(もしくは、「併用制」)の実現を図るよう、本来であれば、公明党は強く要求してしかるべきなのだが、そうでもない。

 おそらく、信濃町サイドも、あの「自公蜜月」の味が忘れられないのかもしれないが、しかし、「自公選挙協力」とは、政権与党の座にいてこそ、「集票効果」のある戦術である。なぜなら、信濃町がフレンド票の上積みのため、自民党候補者に出させた後援会名簿に載っている有権者とは、いわゆる「基礎票」と呼ばれる層で、そういう層というのは、あけすけに言ってしまえば、「霞が関から予算をぶん取ってきてくれる政権与党であるからこそ、投票する人たち」だからである。

 それゆえ、そうした状況も含め、その「主不在」ということに象徴されるように、既に「池田大作=創価学会・公明党」の天下取り戦略が破綻している、ともいえる。だから、余計なお世話かもしれないが、この際、「政治からの撤退」ということも選択肢の一つとして考慮する時期に来ているのではないだろうか。
 いきなり、「全面撤退」は難しいだろうから、さしあたり、「衆院からの撤退」ということで、とにかく、「在野の政党として、権力の監視と政治の浄化に徹する」という方向を目指すべきではないか、ということを、敢えて提言しておく。(文中・一部敬称略)

 
(ふるかわ・としあき)1965年生まれ。毎日新聞、東京新聞(中日新聞東京本社)記者を経て、フリージャーナリスト。著書に『システムとしての創価学会=公明党』『シンジケートとしての創価学会=公明党』『カルトとしての創価学会=池田大作』『デジタル・ヘル サイバー化監視社会の闇』『日本の裏金(上、下)』(いずれも第三書館刊)など。

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from: 21世紀さん

2012年04月20日 18時23分32秒

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「Re:Forum21」
特集/人心を蝕むマインドコントロール……創価学会etc.

フランス司法省通達、そしてマインドコントロールについて




広岡裕児

国際ジャーナリスト パリ在住




 脆弱さの濫用罪

 昨年9月19日フランス司法省は、「セクト的逸脱警戒および対策に関する刑事政策についての通達」を出した。検察官や予審判事向けで、とくに刑法の「脆弱さの濫用罪」に的を絞ったものである。

 通達は「セクト的逸脱の危険は存在しつづけている」「05年の通達以来セクト的逸脱に進化が見られる」といまあえて出した理由をあげたあと、あらためておさらいする。

 「セクト的逸脱とはグループまたは個人によって公共の秩序、安全、人の十全性を侵害することである。依存状態をつくる技術や圧力、脅迫あるいは精神支配を助長する実践としてその人の自由裁量の一部を奪うものである」

 なお「技術」と訳したが体系的な確立されたものとはかぎらない。「テクニック」といったほうがニュアンスは伝わるかもしれない。「圧力」もいかめしいが、なんとなく「プレッシャー」のことだ。

 さて、その「脆弱さの濫用罪」だが、01年の通称アブー・ピカール法で、従来からあった刑法の脆弱さの濫用罪を改正し、高齢者や障害者病人などに加えて「重大または繰り返しの圧力、またはその人の判断を変質させるのに適した技術の結果心理的または肉体的な服従の状態にある人」を「その人に重大な害を及ぼすような行為あるいは不作為に導くために、不正な濫用をすること」を犯罪としたもの。

 マインドコントロールそのものではなく、その結果生じた肉体的精神的物質的被害によってはじめて犯罪が成立する。「その人」という言葉が重要で、この犯罪の被害者はコントロールを受けた者自身なのである。

 今回の通達は、この心理的依存状態の立証に直接関連のある要素として「家族との分離、職業や友人関係の環境からの断絶、通常の医療の拒否、金銭の要求、メディアの遮断……」とあらためて説明している。

 この条項のセクトへの適用は、毎年平均5件ほどあるが、小さなグループばかりである。大きなグループは専門家によってうまく法の網をすり抜けられるようなシステムがつくられているために立証がむずかしいのだ。

 かえってセクトとは関係ない個人が犯人になる事件の方が多い。

 たとえば、2011年3月8日逮捕されたアンジェリナという占い師。「精神的支援をする」と称して35歳から50歳の客と同棲し同衾までした。偽の近親相姦や幼児性愛と思い込ませることに成功し、何人かは実際にこの偽の記憶をもとに無実の両親や親戚を告発。目を醒ました客たちが「詐欺、背任、脆弱さの濫用」で告発したものだが、中でも、とくに司法は、35歳の女性のケースに注目している。彼女は偽の記憶を植え付けられて家族から完全に引き離し、5年間アンジェリナの言いなりになっていた。



 マインドコントロールと洗脳

 あらためてはっきりさせておきたいが、 マインドコントロールと洗脳は違う。

 洗脳はいやがる相手を無理やり思想改造させようとする。そこには暴力がつきまとう。

 対してマインドコントロールは「物理的な意味での身体的拘禁や拷問を用いず、当人が操作されていることさえ認知しないような状態で、個人のアイデンティティを別のものへ導くテクニック」である。(西田『マインドコントロールとは何か』)

 人の持つ好奇心や依存心を利用して次第に引きつけ、別の方向にもっていく。そのキーポイントは「やさしさ」である。セクトのマインドコントロールでは「ラブボンビング(愛の爆撃)」とよばれる段階がある。

そして被害者の「自発性」をことさらに強調する。

 べつにコントロールされると無気力になるというわけではない。「自分の意思で」ガムシャラに動いてとても活気があるように見えることもある。加害者が一見頼りなさそうな人間だったり、そう仕向けたりしたりしたばあいには被害者の方がかえって加害者を支配しているように見えることもある。

 二人きりの関係の中でもできる。男女の場合、しばしば単なる恋愛感情とまちがえられる。だが、マインドコントロールの被害者には二重の自己をもつという特徴があるのではっきり区別できる。

 「メンバー本人には、統一教会に入る前と入った後では、変化があらわれています。ひょっとしたら、会話の中で気づかれた家族もあるかもしれません。入信前の自己が現れたり、その都合によって二つの自己が使い分けられます」(パスカル・ズィヴィ『マインド・コントロールからの脱出』)

 その時々顔を出す以前の温和で優しい人格は、まるで周囲に助けを求めているようである。

 影響力が薄れて落ち着いてくると、本来の自分に戻って柔和なのびのびとした表情と声で話しているのが、ある種のことを話そうとすると言葉が途切れ、突然話し方がかわる。表情さえ変わる。しかもそのとき別のものに操られているのだということがはっきりわかる。それを機会にまた加害者のもとにもどってしまうこともある。じつにあっけない。影響力はそれだけ大きいのだ。

 そのとき無理してでも引き止めなければならないのだが、監禁だなどといわれてしまう。幸い日本の場合統一協会での判例で、裁判所も理解を示しているが、フランスではまだむずかしい。

 ただほんのうわべだけの人間関係しかなければちょっと変わった程度としかみえず、この二重の自己には気づかない。気づいても正面から向き合うのには並外れたエネルギーがいるので人間の自己防衛本能から被害者がいう「自分の意思」という言葉をアリバイにして、現実から目をそらす。

 本来の自分に戻る手助けをするのが脱会カウンセラーだ。彼らは人間の複雑さを認識し、取り巻く環境もよく理解した上で、親や家族ができない部分を手助けするだけの役割である。救出できるのはあくまでも親や家族など深い愛で結ばれ、場合によっては自分が犠牲になってもいいと思える人だけである。

 これに対して、脳機能学者などデプログラマーは逆マインド・コントロールで別人格をつくる。混同してはならない。



 的外れな論評

 オウム事件や統一協会問題などで、日本でもずいぶん認識されたと思っていたが、洗脳という言葉が乱れとぶ中島知子さんの報道ぶりをみると、どうもまだまだのようだ。中でも呆れたのが霊感カウンセラーの江原啓之氏の言葉。

 「そもそも中島さんの騒動って、社会生活が送れなくなり家賃滞納をして関係者に迷惑をかけたことが問題ですよね。〓中島さんに同情〓的な報道に違和感を抱 いている人もいると思いますよ。(……)こんな騒動になりましたが、中島さんはマインドコントロールをされているとは言えません。正しい言い方をすると〓共依存〓でしょう。依存する心とそれを利用する者との関係です」(女性自身http://jisin.jp/news/2531/3686/)

 まさに「依存する心」を利用して社会生活を送れなくすることこそ「マインドコントロール」なのだ。

 マインドコントロールのことを理解していないカウンセラーには近づいてはならない。

 コントロールするつもりがなくても相手のほうからハマッてしまうこともある。そのときちゃんと道を外さぬよう修正にしなければならないのだが、初めからわかっていないのだから、危険を察知しようがない。

 ちなみに、洗脳とマインドコントロールの基本的な違いもわかっていない宗教学者のまったく的外れなコメントもあった。

 そもそも宗教学者に聞くこと自体が間違っている。宗教学はマインドコントロールを否定している。入信者はすべて自発的に入ったものであるというのが大前提で、技術で騙されて入ったのでは学問の根底が崩れてしまう(と思っている)のである。

 

広岡裕児(ひろおか・ゆうじ)国際ジャーナリスト。1954年生まれ。大阪外語大学フランス語科卒。パリ第3大学(ソルボンヌ・ヌーベル)留学後、フランス在住。パシフィカ総合研究所(PSK)主任研究員。著書に『プライベート・バンキング』(総合法令)『皇族』(読売新聞社)など。
投稿日: 2012年4月4日 作成者: okkotu

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from: 21世紀さん

2012年03月30日 21時12分20秒

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「Re:Forum21」
内部文書から見る創価学会の反社会的体質
建築ラッシュの信濃町

 東京都新宿区信濃町で創価学会の新総本部づくりが進んでいる。地上7階・地下3階。建物の正面に8本の太くて高い列柱をそびえさせ、低層部をガラス張りにして自然光を取り入れ、内にエントランスホールや大礼拝室や特別会議室などを配したとても重厚なものにするという。建物の延べ面積は2万1308,mだ。その「堂々たる勇姿」が現われるのは来年。2013年11月である。としたら池田大作さんがこれと対面できるのかどうか…、かなり危うい。
 彼らはいま新総本部の南東でも施設をつくっている。創価学会文化センターだ。こちらは地上6階・地下2階、建物の延べ面積は6289㎡。今年9月に完野田峯雄ジャーナリスト成する。
 その建設現場を右手にみて20mほど東へ行く。すると、2010年3月に竣工させたばかりのSGI世界文化センター(地上6階、延べ面積6780㎡)がある。同ビルは、池田さんが闘病していると指摘される、さらに東側の南元センター(創聖健康保険組合診療所)とくっつくように建てられていて、このなかに併設されている恩師記念会館に池田大作さんがときどき現われ写真を撮らせているという。それにしても、オムツをつけているなどといわれる重篤患者の記念写真撮影はなんとも奇妙としか言いようがないけれど、あらためて注目したいのは、この街独特の光景である。あちらにもこちらにも-暴力」がひそんでいる。
 SGI世界文化センター(恩師記念会館)は、入口を固く閉ざし、おまけに窓が狭いせいかひどく陰気な感じを与える。道路から数歩外れて入口に近寄る。と、たちまち警備員がすっ飛んできて「ウチの敷地に入った!」と騒ぎ始める。前述の建設現場近くでも同様、執拗に「あんたはここへ何をしに来たのか」と尋問してくる。
 池田大作さんたちはすでにこの街(信濃町=0・19k㎡)の約7割を押さえ、さらに南側の、JRとの間の区域(南一兀町)のほとんどを抱え込むことにも成功して、「私たちの幸福大城」の建設にいそしんでいるのだが、新宿区役所に提出した建築計画概要書によるとそれらの用途はすべて礼拝所。つまり非課税の宗教施設である。この非課税の施設群を一暴力」がすっぽりと被っている。彼らは監視や盗撮、脅し、尾行などを日常化させ、しきりに集団暴行の気配をふりまく。

「新潮社を倒せ」と打倒新潮唱題会

 昨年、創価学会の新宿総区(9本部・49支部・202地区1万世帯余り)から、「統監」と称する学会員の個人情報、携帯電話番号まで入れた幹部たちのリスト、国政から区政までの選挙活動、池田さんたちの叱咤激励、巨額の金集め(財務、90年代後半=8〜9億円、05年11億円?)、聖教新聞の拡販のこと、内部連絡など、おびただしい数の資料が流出した。なかでも関心を引かれるのは彼らが勝手に〝敵〟とみなした者たちに対する言動の記録である。
 とくに日蓮正宗の寺に所属する檀信徒に対しては、1人につき3〜4人を張りつけ、名前や住所については言うに及ばず、その行動の把握、ビデオ撮影などを繰り広げ、これを得々と自慢しているような姿が哀しい。また、たとえば婦人部長のS・A子さんは02年11月、こんな活動報告をした。
「『先生を辱め貶める新潮社は許せない』との怒りは燃え上がり…。『新潮社を倒し、その屋上に大きな三色旗を掲げて皆で記念撮影をしよう』と決めました。早速支部長の提案で壮年部を先頭に、毎晩9時から10時の〝打倒新潮唱題会〟がスタートしました。最初は二・三人でしたが、まもなく広宣流布のプロ集団の婦人部がドッと加わり、二・三十人の参加となりました。この年は折伏に走りに走り、年末には52世帯の折伏を達成。翌年はすっかり下種もなくなり、困難と思えた折伏戦でしたが、祈り続けました。すると経済苦や離婚、人間関係での悩みを抱えた人が次々と現われて、20世紀の悼尾を飾るような勢いで入会したのです。皆でその人たちを”世紀末グループ”と名づけて、人材に育てていきました」
 彼ら独自の心の動きを臆面もなくさらすA子さんの話にもう少し耳を傾けよう。
「新潮社に現証が現われたのは、唱題会をはじめて三年目のことです。…不思議な事にその暮れから、新潮社の主要幹部が次々と死亡していきました。そして昨年2月、ある経済誌に『何の因果か呪われた新潮社』という記事が出たのです。週刊新潮の生みの親・斉藤十一の死亡、佐藤会長の死亡など次々に幹部社員が四人も死んだと報道。加えて発行部数の減少。将来に暗雲が垂れ込めているというものでした。記事には『呪われた新潮社』と出ましたが、私たちは『祈られた新潮社』だと話し合いました。
 更に7月3日には、写真誌フォーカスが莫大な負債を抱えて廃刊。元週刊新潮の編集長で学会誹謗中傷の張本人、大悪人の松田が、テレビで涙をにじませ敗北宣言。『ヤッター現証が出た』と喜び合いました。
 その直後、先生よりわが支部に町の名前の入った『矢来広宣流布』とのご揮毫と、たくさんの支部員に短冊をいただくという大変な激励を頂きました」
 さらに、A子さんはこんなふうに憎悪まみれの決意をぶちまける。
「最近、またも山友(故山崎正友)その手先乙骨のデマ雑誌『21世紀フォーラム』が新潮社と目と鼻の先に来たとの情報に、この際、新潮社とまとめて退治するぞとの思いでいっぱいです」

優遇税制に守られる反社会的体質の集団

 流出資料のなかに「広宣部」のものがある。広宣部長のN・Tたちが日蓮正宗門の寺を監視しこんなメールを送っていた。
「こちらのポイントも知られているとみえ、喫茶マーブの前に敵とみられる壮年が、こちらの車を警戒している様子」(00年9月3日)
「彼岸のビデオ、撮影したものはKさんに渡しました。やはり、遠いので小さくて顔は判別出来ないと思います。ポジションは最高ですので、望遠レンズ等、対策を考えます」(00年9月25日)
「必要あらばいつでも広宣部が出る態勢をとっています」(00年11月2日)
 広宣部とは。もっぱら謀略活動を展開している、創価学会の裏組織である。89年前後に生まれ、正木正明(現理事長)や谷川佳樹(現副会長)のもとで全国組織になったといわれる。彼らはおもに創価学会批判者を対象にして、監視、尾行、盗撮、盗聴、脅迫、嫌がらせ、郵便物チェック、家庭状況調査、はてはゴミの持ち去りまで行ない、しばしば怪文書をバラまき、攻撃を請け負う。「カゲの戦いに徹する」が彼らの鉄則だという。
 カゲの戦いと言えば。池田さんが76年11月、宗門との攻防の過程で男子部に「学会を護るための新組織=創価班」を発足させているが、その基本精神のひとつである。同グループの任務は通常、大規模な会合を開催するさいの場内整理、会館周辺の交通整理、不審者チェックなど。ちょっとヤワな印象を与える。しかし創価班メンバーになるには地元の幹部面接を受け創価班大学校で1年間、徹底的に〝池田大作教〟について学ばなくてはならない。その結果どうなるのか。たとえば新宿総区から流出した文書のなかに栗原創価班委員長の「教宣活動について」があり、彼はこんなふうに誓っていた。
「青年部、なかんずく我々創価班は、どこまでも、池田先生に心をあわせ、広宣流布の全ての戦いに先駆し、断固、仏敵を倒して参ります」
 前述した広宣部は、その池田大作教のカタマリとでも言うべき創価班(池田いわく「広宣流布の精鋭中の精鋭」)などから、さらに選り抜きを集めてつくった組織(カゲ)だといわれる。
「敵を叩け、つぶせ」。池田さんは口を開くとそう叫んできた。でも、御本体が倒れてしまった。このときカゲはどうなるのか。ポスト池田の混乱のなかで暴走するのか、あるいはひっそり消えていくのか。いずれにしろ、創価学会の謀略(暴力)体質を放置したまま、あまっさえ優遇課税対象にしているようなこれまでの愚を早急に是正しなければならない。

「フォーラム21」平成24年1月号

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from: 21世紀さん

2012年03月28日 20時34分11秒

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「Re:Forum21」
特集(2)/消費税増税論議と宗教法人課税問題

奇妙な消費増税大合唱と「聖域」の宗教法人税制

柿田睦夫

ジャーナリスト




 世論を操作するマスコミ報道



 政官界にもマスコミ界にも、奇妙なことが進行している。「社会保障と税の一体改革」だ。なぜ「一体」なのかよくわからないまま既成事実となり、全国紙の元日付社説も申し合わせたように、この言葉で埋まっている。

 「取り組むべきは、社会保障と税の一体改革を実現させ、成熟社会の基盤をつくることだ」が「朝日」の社説。「読売」も「社会保証と税の一体改革は、どの政党が政権を取っても、与野党で協力して実施に移さなければならない」と説く。唯一、「毎日」は「民主的手続きを踏まえ一歩一歩ことを進めていくしか道はない」とプロセス重視を求めるが、それでも「この改革の必要性については、私たちもこの欄で何度も訴えてきた」と言い添えるのを忘れない。

 「一体改革」しか選択の余地はないぞ、とマスコミが国民を説き伏せる、そんな構図だ。「大東亜共栄」へと国民を誘導した戦前のマスコミを想起する人もいるだろう。だがこの「一体改革」は国会で正式に、つまり国民の面前で議論したものでも確認したものでもない。「毎日」がいう「民主的手続き」を踏んでいないものなのだ。しかもここでいう税とは「増税」のことであり、いつの間にか「消費増税」になってしまっている。

 増税といっても選択肢はいくつもある。所得増税もあれば法人や株式配当金にかかる軽減税率の是正という手もある。配当益は証券優遇税制により半減されているし、研究開発減税や連結納税制で実質税負担率は名目の半分以下という大企業も多い。軽減額は年間1・7兆円になるそうだ。資本金10億円超の企業の内部留保を活用するという方法もある。その7%弱で6万人の新規雇用ができるという試算もある。

 「社会保障財源に消費税」論が実は曲者だ。社会保障充実のための果てしなき増税になりかねないからだ。問題は、こんな議論や選択肢を国民に提示しないまま事が進んでいるところにある。

 実際、国民の過半数は消費増税に反対している。1月中旬の世論調査でも「反対」は「朝日」で57%、「読売」55%、「日経」56%に達した。するとマスコミは、自分のことは棚にあげていっせいに「政府の説明責任」を唱える。政権を批判するように見せて実は後押しをしているのだ。「朝日」は「なぜ、知事たちは増税に必要性をもっと強調しないのか」(1月24日付社説)とまで書いた。

 しかも、である。日本新聞協会の秋山耿太郎会長(朝日新聞社長)は元日付協会報で「新聞は民主主義や文化の発展を支える公共財」だから「軽減税率を適用する」よう求めた。国民には消費増税必要論を説教しながら、自分たちには軽減税率では虫がよすぎるのではないか。

 マスコミはこぞって「一体改革=消費増税」を「与野党協議」で実現しろと要求する。ありていにいえば民・自・公の3党談合である。他の政党は国会の場で3党合意に賛否を表明するだけでいい。国会の形骸化だ。だから議員は「身を削れ」では本末転倒だろう。比例定数を大幅削減し小選挙区で残るのは2大政党だけ。これで議会はさらに形骸化する。

 ちなみに3党協議について公明党は政権側が「社会保障の将来像を明らかにする」ことを条件にしている(「読売」1月14日付)が、数年前に「百年安心の年金」と見栄を切ったのは、いったい誰だったのか。

 「身を削る」のに手っ取り早いのは政党助成金のはずだ。年間320億円(共産党は受領せず、その分は各党で山分けしている)。これがあれば、議員を80人減らすよりもはるかに経費節減になる。そもそも国民に消費増税をさせて、その税金を政党が使うという発想自体がおぞましい。だが、大半の政党も大手マスコミも、この選択肢を国民に提示しようとしない(一部の地方紙やブロック紙はこの問題を取り上げている)。



 まずは歪んだ税務行政の是正を



 奇妙なことの極め付きは税務行政そのものにあり、しかもそれが「聖域」だということだ。前述のような大企業と中小企業の税の格差や優遇税制は「制度」として公然と行われているが、同じ税制の下でもサジ加減ひとつで課税したりしなかったりするという実態が放置されているのである。

 端的な例が本誌190号(昨年11月号)の特集「矢野絢也著『乱脈経理』が明かした創価学会の税務調査妨害」に見られるような「税の見逃し」である。

 矢野絢也元公明党委員長が昨秋、自責の念を込めて国税との闇取引の実態を公表した。平成2年から4年にかけて行われた創価学会に対する税務調査の顛末記である。

 創価学会が矢野氏に命じたのは、絵画の買い漁りなど池田大作氏がらみの乱脈経理に手を触れさせないこと、関連帳簿類を秘匿しきることだった。矢野氏と国税幹部が談合を重ねた。これには自民党の竹下登元首相も一役買った。公明党は湾岸戦争への90億円追加支援やPKO法案に賛成するという政治取引までした。

 その結果、墓苑事業会計のごく一部をアリバイ的に申告漏れと認定するだけで、他はすべて不問となり、「事実上、税金をゼロにする」ことで決着する。国税幹部は「今回は矢野さんや竹下さんの顔を立てて、この辺で納めた」と語ったという。

 一般の宗教教団や、とりわけ末端の寺や教会に対する税務調査は頻繁に行われている。会計帳簿から過去帳まで根こそぎ調べる。葬儀式場や結婚式場を運営すれば「貸席業」として課税される。

 ところが創価学会に対する税務調査はこのとき以後20年間、一度も行われていないと矢野氏は書いている。創価学会の会館を公明党の選挙に提供しても課税されない。――国会もマスコミも増税議論の前に、このように歪んだ税務行政の是正をすべきだろう。





 悪用される宗教法人非課税



 宗教法人の布施や献金など宗教上の収入や固定資産税は非課税だ(但し、そこから支出する住職や職員の給与は通常に課税される)。事業収入にも軽減税率が適用される。宗教の「公益性」を認めた措置である。

 筆者も原則的にはこれに異論はない。しかしこの制度をとんでもない形で使う例が少なくない。創価学会も典型例だが、オウム真理教も徹底してこの特典を利用した。滋賀県に本部のある教団では平成21年、元郵政相への6000万円の政治献金や、原価5200万円の山林が4億円になるという土地転がし疑惑が発覚した。原資は非課税の宗教収入である。

 だが奇妙なことに、民主、自民両党から、大企業・資産家への優遇税制や防衛費にメスを入れろと主張する共産党にいたるまで、こうした宗教法人税制の実状には口を出さない。「聖域」なのである。

 「一体改革=消費増税」路線には欺瞞が多い。とはいえ震災や原発の復旧だけでも巨額の財源が必要だ。国民全体が知恵をしぼり、負担も合理的に分けあうべきだろう。

 米国の富豪や企業投資家からは「私たちからもっと税金をとれ」という声が出ている。

 ところが日本の富豪や優遇税制に浸っている大教団(弱小教団や寺、教会のことではない)からは、そんな声すら出てこない。「復興までの時限立法でも我々にも課税を」。そんな声が宗教界から上がれば、経済界も「我々の減税は継続しろ」とは言いにくいだろう。

 布施・献金の帳簿や信徒名簿は信仰の自由を守るため公開できないという議論には一理ある。それなら自主申告という方法もあるし、少なくても固定資産税の算定は確実にできる(固定資産税相当額を自治体に寄付する教団もある)。

 筆者たちの調べでは平成7年当時、大阪市内の創価学会施設の土地建物の固定資産税相当額は2億1000万円だった。同12年当時、東京・信濃町近辺の学会施設の固定資産税相当額は土地だけで2億7000万円。こんな施設が全国に千数百もある。その多くが宗教とは関係ない選挙に使われているとすれば、「この財政非常時に」という声が出ても不思議ではあるまい。

 

柿田睦夫(かきた・むつお)フリージャーナリスト。1944年生まれ。業界紙記者などを経て1979年から「しんぶん赤旗」社会部記者。2011年の退職までの間、「現代こころ模様」シリーズなどで「宗教と社会」の関わりを取材。葬儀や戦後遺族行政に関わるレポートも多い。著書に『霊・超能力と自己啓発―手さぐりする青年たち』(新日本新書、共著)『統一協会―集団結婚の裏側』(かもがわ出版)『現代葬儀考』(新日本出版社)『宗教のないお葬式』(文理閣、共著)など。

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from: 21世紀さん

2012年03月14日 11時25分14秒

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「Re:Forum21」
対談/「フォーラム21」創刊10周年を振り返る

言論封殺と戦い続けた10年 必要不可欠な宗教と政治に関する情報発信

段 勲 ジャーナリスト

乙骨正生 ジャーナリスト

 創刊の契機となった自公連立政権




 段 今号をもって「フォーラム21」は創刊満10周年を迎えることになりました。

 乙骨 平成14年3月の創刊以来、多くの読者の方々、執筆者の皆さまに支えられて、おかげさまで通巻194号をもって満10年を迎えることができました。

 段 振り返ると創刊時の平成14年3月は、平成11年10月の自公連立政権発足から2年半を経て、両者の蜜月関係が極めて強固なものとなっていた時期でした。当時、政権の一角を占めたばかりか、選挙協力による票縛りで自民党の鼻面を引き回すまでになるにいたった創価学会は、その余勢を駆って自らに批判的な言論のパージを図ることに腐心し、「言論の暴力による人権侵害を許すな」とのキャンペーンを展開。国会では創価学会の意向を受けた公明党が、名誉毀損罪の速やかな適用や名誉毀損の損害賠償の高額化を推進しました。その結果、多くの出版媒体が萎縮し、触らぬ神に祟りなしとばかりに創価学会問題を敬遠する傾向が強まり、創価学会・公明党についての批判的な報道は一部の雑誌媒体を除いてほとんど姿を消しました。

 そうした時期に、創価学会問題をメインとする雑誌を創刊することなど常識的には考えにくいし、そもそもが個人で雑誌を創刊して発行を続けるなど容易なことではない。それだけに乙骨さんとは長年にわたる友人ですが、私は率直に言って雑誌の創刊は無謀ではないかと心配しました。

 乙骨 たしかに「フォーラム21」の創刊は、自公政権がまさに佳境に入る時期にあたっていました。また創価学会にあっては「フォーラム21」を「すぐに潰してやる」と豪語し、「聖教新聞」において「デマ雑誌を撲滅しろ」「デマ雑誌は高額の賠償金で叩き出せ」などのキャンペーンを張っていましたから、皆さんにいろいろとご心配をいただいたのでしょう。10年の節目にあたってさまざまな激励や支援をいただいたこと、あらためて御礼申し上げたいと思います。

 段 もっとも困難は予想されましたが、「フォーラム21」の創刊は時宜を得たものだったとも思います。なぜなら多年にわたって憲法の政教分離規定への抵触が問題となるとともに、極めて全体主義的な体質を持つ創価学会が政権に参画したにもかかわらず、政界やマスコミ界が創価学会批判を行わないことに、多くの人々が忸怩たる思いを抱いていたからです。

 乙骨 実は「フォーラム21」の創刊に先立って、自公連立政権発足以来、「フォーラム自由21」と題する創価学会・公明党問題を考える勉強会を、定期的に行っていました。勉強会には政界・宗教界・学界・マスコミ界などからさまざまな方々が参加をされ、創価学会問題に関する情報を共有していました。それはそれで有意義だったのですが、創価学会のキャンペーンによって創価学会報道が減少していく現実を前に、勉強会で創価学会問題についての情報を共有することよりも、創価学会に関する正確な情報を広く社会に発信することこそ急務なのではと思うようになり、思い切って「フォーラム21」を創刊することにしました。

 段 批判的言論のパージに成功しつつあった創価学会にとって、創価学会問題を専門的に取り上げる雑誌媒体が新たに誕生することなど、予想外の出来事だったであろうことは想像に難くありません。それだけに創価学会は「フォーラム21」を目の敵にしました。「フォーラム21」が創刊された平成14年に、「フォーラム21」の事務所がある新宿区の創価学会組織の会合で、婦人部幹部が「フォーラム21」を「デマ雑誌」と呼び、「週刊新潮」を発行する新潮社とともに「退治する」との決意を披瀝している事実からも、いかに創価学会が「フォーラム21」をマークしていたかが分かります。

 乙骨 面白かったのは、創刊してすぐに創価学会の広報室職員が、電話で「フォーラム21」の購読を申し込んできました。そこで私は購読の条件として、「聖教新聞」の購読を拒否されていましたので、「『聖教新聞』を購読させくれればOK」と答えたのです。広報室の職員は、「検討します」といって電話を切りましたが、後日、「やはり乙骨さんに『聖教新聞』の購読を認めることはできません」と購読を断ってきました。しかしその一方で、「『「聖教新聞』など、どこからでも手に入るでしょう」といって、再度「フォーラム21」の購読を求めてきました。別に隠す必要もないので「フォーラム21」の購読は許しましたが、創価学会の臆病さ、腹の小ささには呆れました。

 段 なんとしても「フォーラム21」を手に入れたかったのでしょう。そういえば創価学会の男子部幹部・活動家によって、乙骨さんの携帯電話の通信記録が違法に盗み出されたいわゆるNTTドコモ事件で、実行犯が乙骨さんの通信記録への犯行を実施した時期も「フォーラム21」の創刊時に当たっていましたね。

 乙骨 創刊の前後2カ月にわたって私の使用する携帯電話の通信記録が、NTTドコモの子会社に勤務する創価大学OBの男子部活動家によって違法に引き出されていました。事件は平成14年に刑事事件の有罪判決が出され、平成19年には真相究明のために私が提訴した民事事件の判決で東京高等裁判所が、犯行は全国副青年部長という創価学会青年部の最高幹部の「指示又は命令」によって実行されたものであると認定、同判決は確定しました。

 実行犯の男子部活動家は、犯行の動機を単なる「個人的興味」であると強弁しましたが、通信の秘密を犯すことは憲法や刑法で禁じられた重罪であることを十二分に教育されている電気通信事業者の社員が、単なる「個人的興味」で違法行為を犯すはずがない。犯行時期が「フォーラム21」の創刊時期に重なっている事実は、犯行の真の動機が「フォーラム21」の出版に関する情報収集にあったことを示唆していると考えるのが自然でしょう。



 熾烈だった創価学会の言論弾圧




 段 「フォーラム21」は創刊以来、一貫して専門誌ならではの創価学会に関するディープな特集を組んでおり、政界やマスコミ界そして宗教界でも高い評価を受けています。それだけに創価学会は「フォーラム21」を目の敵にしました。昨年11月に乙骨さんに対する創価学会の名誉毀損事件で、東京高裁は乙骨さんに対する創価学会の誹謗中傷は、「言論の自由の範疇」にすら入らない悪質な名誉毀損であると認定しましたが、機関紙誌や謀略本などを用いての攻撃は熾烈でした。その上で創価学会や公明党は、乙骨さんとフォーラムに対する名誉毀損に基づく訴訟を濫発することで、乙骨さんと「フォーラム21」を潰そうとしたのです。

 乙骨 自公政権の発足を契機に、創価学会は私に対する訴訟を濫発するようになり、「週刊新潮」に掲載されたコメントや、月刊誌「諸君!」に執筆した記事などについて、創価学会や公明党の神崎代表らから、民事・刑事での複数の提訴や告訴を新潮社や文藝春秋社と共同被告として起こされました。「フォーラム21」に関しては、創価学会ならびに創価学会関係者が4件の訴訟を起こしてきました。

 段 残念ながら乙骨さんが敗訴した事件もありますが、創価学会の提訴が乙骨さんや「フォーラム21」を狙い撃ちにしていたことは明白です。要するに創価学会は、乙骨さんを提訴することで、乙骨さんの社会的信用を貶めるとともに、乙骨さんを使うと訴訟になると威嚇することで、マスコミに乙骨さんの記事やコメントを使わないよう周知徹底する。そして時間的・経済的に応訴の負担を強いることで乙骨さんとフォーラムを追いつめる狙いだったのでしょう。

 乙骨 創価学会は、「言論の暴力による人権侵害を許すな」と強調するなどして、提訴の正当性をアピールしますが、その主張は額面どおりにはうけとれません。なぜなら「言論の暴力による人権侵害を許すな」と強調する創価学会は、私が提訴した名誉毀損事件で敗訴していますし、日蓮正宗僧侶に対する名誉毀損事件で、秋谷会長や青木理事長さらには現会長である原田副理事長の不法行為責任が認定されるなど、「言論の暴力による人権侵害」をくり返しているからです。

 これらの判決は確定しているにもかかわらず、創価学会は、反省・謝罪をするどころか、無視黙殺を決め込んでいます。

 段 謝罪するどころか、名誉毀損による不法行為責任を裁判所から認定された原田副理事長を、判決確定後、公益法人として税制上の優遇措置を受けている創価学会の会長に昇格させている。

 当時の「聖教新聞」の記事を見ると、「乙骨をマスコミ界から追放しろ」とか、「デマ雑誌」を「撲滅しろ」などと書きたてていますが、乙骨さんが敗訴した事件では、訴訟における損害賠償の仮執行として、新潮社・文藝春秋社・講談社・小学館・日本ジャーナル出版など、乙骨さんが原稿を書いたりコメントしている出版社に対して、乙骨さんの原稿料やコメント料の差し押さえまで行っている事実もありますね。

 乙骨 一審の東京地裁で私が敗訴し、50万円の損害賠償の支払いを命じられた事件でした。もちろん私は東京高裁に控訴し、裁判は継続していたのですが、創価学会は各出版社に対して、私が将来、原稿を書いたりコメントをした場合に発生する原稿料やコメント料を、損害賠償の債務であるとして差し押さえたのです。私がその出版社で原稿を書くかどうかも分からないのに、書いた場合は差し押さえるという内容でした。

 通常、仮執行における差し押さえというのは、雇用契約や出版契約などによって給与が支払われるなどの定期的な金銭の支払いがある場合になされるものです。私の場合、フリーですから出版社との間には雇用契約も出版契約もありません。にもかかわらず差し押さえを行ったのは、出版社に私を使うと面倒なことになるという認識を持たせ、私を使わないようにするための圧力以外のなにものでもありません。

 段 一連の事実は、創価学会の提訴の意図と動機が、不法行為による損害の法的回復にあるというよりも、訴訟を批判的言論を押さえ込むための手段として悪用していることを示している見ることが可能だ。

 乙骨さんや新潮社が敗訴した場合、創価学会は「東京地裁 ガセネタ屋乙骨を断罪」などの見出しでその事実を大々的に報道する一方で、乙骨さんが勝訴した場合には創価学会敗訴の事実をただの一行も報じようとはしない。別件の創価学会関連の裁判に出廷した聖教新聞記者の創価学会幹部は、「創価学会は敗訴した場合は報道しない」と証言していますが、そのご都合主義には呆れるばかりです。



 創価学会の膝下に屈した政界・マスコミ界



 乙骨 創価学会の機関紙誌ばかりではありません。一般のマスコミ、特に新聞社や通信社は、私が敗訴した事実は報道しますが、私が勝訴した場合は報道しません。NTTドコモ事件でも、全国紙は創価学会の男子部活動家に有罪判決が出された事実を報道しましたが、創価学会の活動家であるとか創価大学OBなどということは書きませんし、そもそも被害者である私の名前すらいっさい書きませんでした。ですから一般の読者はなんの事件なのかさっぱり分からない。創価学会が発注する機関紙誌の巨額の印刷費や広告費の前に屈し、創価学会に迎合する日本のマスコミの病巣は、本当に深刻です。それだけに「フォーラム21」の存在意義もあるのですが。

 段 「言論の自由」のないところに健全な民主主義は育ちません。マスコミが創価学会の膝下に屈した結果、政治と宗教に関する議論も低調なものとなり、創価学会と公明党の関係についての批判は事実上、封じられてしまった。その結果、政界でも創価学会問題はタブー視されるようになってしまいました。

 「フォーラム21」の10年の歩みは、自公連立政権の歩みとほぼ重なっていますが、創価学会の政教一致の実態や、自公政権の内実を抉り出した「フォーラム21」の記事は、将来、21世紀初頭の日本の政治状況が検証される際、あるいは日本における宗教と政治の問題を検証する際に第一級の資料になると思います。

 乙骨 幸いにも「フォーラム21」創刊の契機となった自公連立政権は、平成21年夏の衆院総選挙で国民の批判の前に潰えましたが、日本における宗教と政治の関係に大きな変化が生じなかったことは残念でなりません。オウム真理教問題や創価学会問題など、政治と宗教、政治と社会の関係を考える絶好の機会があったにもかかわらず、日本の政党や政治家は政治と宗教の関係を真摯に見直そうとの姿勢に欠け、創価学会問題を政局や政権奪取のための手段としてしか見ないという、打算的な姿勢に終始したからです。

 段 自民党は宗教団体を自らの集票マシーンとすることに腐心してきた歴史があります。また宗教団体側も、宗教法人の非課税問題などで政権与党である自民党にすり寄り、媚び諂ってきた経緯がある。「フォーラム21」ではそうした両者の実態についての批判や問題提起をくり返し行っていますが、両者のもたれあい関係はいまだに続いている。

 乙骨 民主党にしても大同小異。創価学会を厳しく批判していた菅直人氏が、首相に就任したとたん、東京富士美術館に足を運び創価学会に媚びを売った事実が、政治家の無節操ぶりを象徴しています。民主党や菅さんは「仏敵」とまで言われ、それを問題視していたのに情けないことです。

 民主党は、自公連立政権が成立した平成11年には、「政治と宗教を考える会」を立ち上げ、創価学会・公明党の政教一致体質を問題にした。また矢野元公明党委員長が創価学会から退会し、創価学会から人権侵害を受けたとして提訴した際には、「矢野絢也さんから話を聞く会」を立ち上げ、矢野氏から創価学会が公明党の政治力を使って政治権力・行政権力を歪めていた事実を聴取している。その中には創価学会による税務調査妨害問題も含まれていた。そうした事実を踏まえて民主党は矢野氏や池田大作氏の国会招致問題に言及していたのです。ところが昨年、矢野氏が「乱脈経理」を上梓し、その中で国税庁の税務調査を妨害した事実を具体的かつ詳細に明らかにしたにもかかわらず、民主党はこの問題をまったく取り上げようとしません。結局、創価学会問題を政局として、政治的駆け引きの手段としてしか考えていないのです。

 段 野党にしても、民主党が「社会保障と税の一体改革」を掲げ、税制改革の論議を提唱しているのだから、その一環として宗教法人の非課税問題を議論し、その中で創価学会の税務調査妨害を取り上げてもいいはずなのに、まったく言及しようとしない。どうかしています。

 オウム真理教事件を契機に、宗教法人法の改正が議論され、財務会計の透明性の強化などが図られました。しかしこの改正にしても、カルト問題を含む抜本的な議論の必要性が叫ばれたにもかかわらず、結局は微温的な修正に終始しました。その背景には、既得権を守るための宗教界の反対もありましたが、最大の要因は宗教法人法改正そのものが、自民党と新進党・創価学会の政権奪取をめぐる政局として利用されたことにあった。宗教法人法改正の過程で、当初、自民党は池田氏の国会喚問を要求したが、最終的には秋谷会長の参考人招致で妥協した。自民党にすれば創価学会にブラフをかけて自らに逆らうことの恐ろしさを骨身に染みさせればよかったのです。彼らは本気で宗教と政治の関係を是正しようなどとは考えていなかったのです。

 乙骨 宗教法人法改正の経緯、そして、昨年、矢野氏が「乱脈経理」で明らかにした国税庁の創価学会に対する税務調査は、池田氏の心胆を寒からしめ、権力に迎合することの必要性をあらためて痛感させたことでしょう。それが自公連立政権の成立に繋がっていった。しかしこうした政治と宗教の関係の暗部、実態を日本のマスコミは報じようとしないのです。

 段 そう。政治と宗教に関する本質的な議論、ことに創価学会問題を政界・マスコミ界がタブー視している結果、かつてはオウム真理党が、そしていままた幸福実現党のような政党が出現してしまった。これも創価学会流の政教分離論に対する批判が政界・マスコミ界で行われないことから、宗教団体が政党を作り、政権奪取を目指して信徒・会員の政治選択の自由を阻害するような動きが正当化されてしまっているのです。幸福実現党については、母体の幸福の科学がマスコミに大量の広告を出稿しているから、適切な批判ができないという、創価学会そっくりの構造がある。

 乙骨 そしていままた政権交代に失望した多くの人々が、政治的閉塞感を破るものとして、「独裁」を売り物にし、個人の思想信条の自由すらないがしろにする橋下徹大阪市長率いる大阪維新の会に大きな期待を寄せている。この橋下・大阪維新の会と創価学会・公明党が連携する動きを見せています。自公連立政権は崩壊しましたが、各種選挙や政局において創価学会・公明党が影響力を発揮する政治状況はまだ続いているのがいつわらざる日本の政界の現実です。それだけに宗教と政治の関係についての監視と検証、そして情報発信がいまだに必要不可欠なのです。



 混迷と混乱が予想されるポスト池田大作



 段 ご承知のように一昨年の5月以来、池田大作さんは本部幹部会を欠席するなど、大衆の前に姿を見せていない。創価学会は「フォーラム21」を「すぐに潰してやる」と息巻いていましたが、どうやら池田さんの方が先に倒れてしまいそうな雲行きです。

 「フォーラム21」では、ポスト池田大作体制についてもたびたび取り上げており、池田大作さんの長男・池田博正さんを中核とする世襲体制になるだろうと予想していますが、ポスト池田大作体制が円滑に進むかどうかは不透明です。特に、池田大作氏亡き後、創価学会がどのような政治選択をするかは未知数です。その意味でも、創価学会に対する監視を怠ることは危険だと指摘できます。

 乙骨 人権侵害を含むさまざまな違法行為・不法行為をくり返している創価学会が、公益法人たる宗教法人の適格性を欠くことは明白です。また創価学会・公明党の政教一致体質が、政治権力や行政権力を歪めていることも、矢野氏の告発によってあらためて裏付けられました。

 そうした創価学会が、日本の政治に大きな影響力を保持していることは、日本社会や日本国民にとって大きな不幸です。しかしそうした創価学会の実態や、創価学会と政治の関係を含む日本の政治と宗教の歪んだ関係を、当事者の政党や政治家はもとより、権力を監視する役目を果たすべきマスコミがまったく取り上げようとはしない。本来であれば10周年の節目を契機に、「フォーラム21」はその役割を閉じたいところですが、残念ながら当分、創価学会の動静を含む宗教と政治、宗教と社会に関する情報の発信は続けなければならないと覚悟しています。

 段 20世紀から21世紀にかけて日本社会に多大な影響を及ぼした池田

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