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from: 22世紀さん
2012年08月22日 22時33分31秒
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池田大作と暴力団
池田大作の〝密使〟が反対運動潰しの依頼
創価学会と後藤組の歴史は70年代まで遡る。日蓮正宗の信徒団体だった創価学会はかつて、後藤組の地元、静岡県富士宮市の「大石寺」を総本山としていたが、70年ごろから大石寺周辺の土地を買い漁り、境内を拡張。72年には大本堂「正本堂」を建立し、73年からは正本堂近くの広大な敷地に墓苑「富士桜自然墓地公園」の建設を始めるなど(80年完成)大規模な造成を行った。
後藤が得度した翌年の10年に著した自叙伝『憚りながら』(宝島社)によると、〈当時、大石寺絡みの土地売買や建設工事で、富士宮に流れ込んだ金は莫大だったんだ。大本堂で300億円、富士桜(自然墓地公園)で200億円、その周りの土地を買うのに数百億円といった具合に、全部で1000億円近くになったんじゃないか〉という。
ところが当時、後藤とも懇意だった地元市議が経営する建設会社「日原造園」が「富士桜自然墓地公園」の利権を独占していたため、他の業者から不満が集中。日原と後藤組との関係を指摘するビラが撒かれた。
そして77年、後藤組幹部がこのビラを撒いた住民宅に、大型ブルドーザーで突入し、ブロック塀を10メートルにわたって破壊。さらに、その住民を日本刀で切りつけ、左腕や背中などに2カ月の怪我を負わせ、翌日、殺人未遂の容疑で逮捕された。
後藤によると〈この事件でウチの若い衆は(懲役)6年食らったんだけど、実は日原の後ろにはあの「山崎正友」がいたんだ。日原と山崎は、それこそ二人三脚で富士桜を進めていたわけだ〉(前出『憚りながら』より。以下〈 〉内は同)。山崎は当時、創価学会の顧問弁護士で、池田大作・創価学会会長(当時、現在は名誉会長)の〝お庭番〟であると同時に、「宮本顕治共産党委員長宅盗聴事件」など、過去に創価学会が行なった数々のダーティーワークの指揮官でもあった。
後藤によると〈学会は、大本堂を造る時からデタラメなことをしてた〉という。〈大本堂を造る際に、市道を勝手に(市の許可なく)潰したり、農地を不正に取得したりしてな。それが(富士宮市)議会で問題になったり、道路法違反で池田大作が告発されたりしたんだよ〉さらに富士宮市内では、学会と日原の癒着を追及する「日原造園、創価学会と市政の疑惑を正す市民会議」が結成され、学会に対する大規模な反対運動が起こったのだが、その〝反対運動潰し〟に学会が使ったのが、後藤組だった。
〈山崎から(反対運動が)「何とかならんか」という相談があった。そういう裏の話は当時、あの男(山崎)がすべて仕切っていて、池田ともサシで話し合えるぐらいの実力は持ってたんだ。
実際、俺にも「親分のことは池田会長に伝えてあります。池田会長も『くれぐれもよろしく』と言ってました」と言ってたんだから。
一方の俺も、その頃には多少は力が付いてたから、もう日原なんか相手にしないで、山崎と直で話をしてたんだ。そのうち(富士宮市)議会に、「百条委員会」なんかができて、山崎を証人喚問に呼べだの、池田の名誉市民(称号)を取り消せだのという話になって、いよいよ学会がのっぴきならない状況になってきた〉
百条委員会とは、地方自治法100条に基つ゛く特別調査委員会で、関係者の証人喚問、強制調査、さらには証言拒否や偽証には禁固や罰金刑を科せる、という強力な権限を持つ。富士宮市議会では80年末から、この百条委員会設置に向けての動きが始まった。
〈この間(80年)、山崎は学会を破門(除名)になって失脚するんだけど、山崎が作った俺とのパイプは生きていて、今度は地元の公明党の連中を通じて(百条委員会を)「何とかして欲しい」という相談があったんだ〉
つまり学会は、反対運動潰しに続いて、〝百条委員会潰し〟を後藤組に依頼したわけである。
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