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創価学会SGIを本音で語ろう

創価学会SGIを本音で語ろう>掲示板

公開 メンバー数:98人

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  • from: 21世紀さん

    2009年02月12日 23時52分53秒

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    故・山崎正友氏、奥様の手記

    「夫・山崎正友のこと」理境坊信徒山崎桂子さん昨年十二月二十九日、夫・山崎正友が死去しました。振り返れば故人の人生は長い創価学会との闘いでした。平成八年

    「夫・山崎正友のこと」

    理境坊信徒山崎桂子さん

     昨年十二月二十九日、夫・山崎正友が死去しました。振り返れば故人の人生は長い創価学会との闘いでした。

     平成八年二月に私と再婚してからも、その闘いは続いておりました。びっくりするのは、結婚生活十二年間、休むことなく創価学会関係者からの尾行が続いていたことです。

     そんな中でも夫・正友は野菜作りに喜びを感じ、スイカ・ジャガイモ・大根・夏野菜等の収穫を楽しんでおりました。園芸も大好きで、家の周りをいつも四季折々の花で埋め尽くしておりました。二年半ほど前から私は友人と二人で、自宅の一階を事務所として、小さな会社を立ち上げました。

     友人も夫・正友の優しい人柄に打ち解け、仕事の合間に畑作りを教わって、昼休みにはいつも楽しそうに畑に出かけておりました。ところが、そんな彼女が、ある日「びっくりよ。畑の中に、目立たないように大きな穴が掘ってあって、落ちて転んでしまったわ。それに穴の中には針金のような物が剌してあって、危うくケガするところだった」と、立腹して帰ってきました。

     また、別の日には、豆の葉やトマト畑一面にセメントが撒かれていたり、ペットフードが撒かれていることもありました。バケツに「死ね」と書いてあることもあり、嫌がらせは日に日にエスカレートしていました。友人は怒り、呆(あき)れ、嘆(なげ)きましたが、夫・正友は穏かに、怒りに震える友人を静かに慰(なぐさ)めていました。

     友人は日蓮正宗の信徒ではありませんが夫・正友の生きる姿勢に真の信仰者としての姿を見ていたようです。友人は「人を見ればその人の信じるものの真の姿が分かります」と言いました。

     そんな日々が続く中、去年は次第に体力も落ち、食事が摂(と)れなくなっていきましたが、それでも必死で生きる努力をし、闘いに力を尽くしておりました。好きだった野菜作りもやめ、園芸も少しずつ関わる時間を短くし、体力の続くかぎり、創価学会との闘いに全力を尽くしていたのです。



     亡くなって知ったのですが、『慧妙』一月一日号に掲載されておりました手記「続・あの頃のこと」に、「私自身、いつまで生きられるか分かりません」と、自分の命が長くないことを自覚した文面が書きつづられておりました。夫・正次は創価学会の教えの誤りを正す活動を死ぬまで続けておりましたが、一度も怨念(おんねん)による個人攻撃はせず、ただ信仰者としての正しい姿勢、僧俗の正しいあり方を伝えることのみに智力を尽くしたと思います。

     亡くなる二日前、飼っている猫「幸四郎」の頭をなでながら、「お父さんはいろいろ大変だったけど、とても幸せだったよ」と語っていました。そして亡くなる当日、私と共に最後の勤行・唱題を務めた後、何の苦しみもなく、本当に気持ちの良さそうな表情のまま、静かに息を引き取ったのです。

     最後まで自分の意志を貫き、また頑張り続けた夫・正友の生き方に、私は称賛の言葉をかけてあげたいと思います。

    ◇  ◇  ◇

    編集室より
    山崎氏の告別式は亡くなって八日後の一月六日に執(と)り行なわれましたが、参列した学会脱会者の方からも「八日も経(た)っているのに、顔色も生前と変わらず、穏やかな表情で、本当に驚き感激しました」との声が寄せられています。

    山崎正友氏のご冥福(めいふく)を、衷心(ちゅうしん)よりお祈り申し上げます。

    2009年1月16日 慧妙紙より

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    王様 金吾

    from: 21世紀さん

    2009年05月13日 11時55分26秒

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    「Re:故・山崎正友氏、奥様の手記」憎悪の批判者攻撃山崎正友氏(元創価学会顧問弁護士)死去に狂信者が跳梁(ちょうりょう)-遺体を10台の車で追跡、怪文

  • from: 21世紀さん

    2009年02月24日 01時05分33秒

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    創価学会員の皆さんへ

    創価学会員で恥ずかしくありませんか勤行は早からず遅からず、声は大きからず小さからず中道がよい。五座・三座の勤行をきちんとやれば体がきちんとする。やって

    創価学会員で恥ずかしくありませんか


    勤行は早からず遅からず、声は大きからず小さからず中道がよい。 五 座・三 座 の 勤 行 を きちんとやれば体がきちんとする。 やっていない人に限っておかしくなるのだ


     この言葉は池田元総講頭のものです。極端な教条主義では困りものですが、基本的なことが大きく変わるのは如何なものかと思います。また、そのような姿に、信用ならぬ、という世間の目が注がれるのです。
     
     信用されていないことを一番感じているのが当の池田氏自身です。ですから、勲章や名誉称号で我が身を飾ろうとするのではないかと思います。

    ①本当に諸外国で信用されていると思いますか?
    ②そうであれば、何故日本では好かれないのでしょうか?
    ③それとも池田氏を好きではない日本人がおかしいのでしょうか?
     
     先日も、元公明党の委員長を務めていた矢野絢也氏が、池田氏と袂を分かって脱会しました。これで公明党の委員長を務めた5人の内、初代の原島氏の子息も脱会し、3代目の竹入氏も脱会し、4代目の委員長・矢野氏も脱会しました。

     原島氏の子息は、池田氏のもとで教学部長を勤めたほどの人でした。竹入氏は池田氏の「一の弟子」を自他共に認める存在でした。矢野氏も池田氏にとっては功績が大きい委員長でした。

    ○何故脱会したのでしょうか?

     創価学会でいわれているようなことだけなのか、それとも他に原因があるのか、少し考えてみませんか。

     聖教新聞ばかりを見ないで、幹部の言うことばかりを聞かないで、そろそろご自分の目と耳を使うときです。

     そして、一日でも早く富士大石寺に御安置の「本門戒壇の大御本尊」様の信仰に立ちかえることが出来ますようお祈りいたします。


    以上    

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    from: 21世紀さん

    2009年04月14日 15時07分30秒

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    「Re:創価学会員の皆さんへ」学会員さんへ(時代が変わったから指導が変わったという学会員さんはよく読んでください。)破門後の創価学会は、ニセ本尊を作り

    from: 21世紀さん

    2009年02月24日 01時25分27秒

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    「Re:創価学会員の皆さんへ」「日顕宗などと言う宗旨は実在しません」創価学会では日蓮正宗を誹謗する言葉として「日顕宗」ということを言い出し,あたかも日

  • from: 21世紀さん

    2009年02月15日 18時19分38秒

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    昭和52年路線

    日達上人猊下お言葉昭和53年6月29日於大講堂大広間全国教師指導会開会直後のお言葉今年になって2・3回、皆様にお集り願いまして、最後に皆様から、学会が

    日達上人猊下お言葉
    昭和53年6月29日
    於大講堂大広間
    全国教師指導会開会直後のお言葉

    今年になって2・3回、皆様にお集り願いまして、最後に皆様から、学会が、本宗の教義と違背しているところが有れば、皆、それを指摘して本山へ提出するということになっておりましたが、早速全国からそれについてたくさん参りまして、一々文献を揃えて、新聞のこういう所に出ている、或はいつのこういう雑誌に出ているという風に細かく出て参りました。それを宗務院で整理致しまして、同じ部類のものは皆一つにまとめて、同一のことがたくさん有りますし、又何だか訳の解らない、どこが違反しているのか分らないのも2・3有ったように聞いております。

    とにかく、それをまとめて清書致しまして、今皆様に配ると思いますが、そういう風に一定の質問状を作りまして今月(S53年6月)の19日に学会へ提出したのであります。

    それについて学会から、今までの教義のまちがったこと、又言い過ぎた分について答が出ました。それを今日皆様の手元に配りまして、皆様の了解を求めたいと思う次第でございます。だいたい、その答の線であれば、私も宗務院の方でも良いと思うが、皆様からその資料を集めたのですから皆様にそれをお渡しして、目に通して頂きたいと思いまして、今日御集合を願った次第でございます。

    ただ今から教学部長(※阿部御尊師)が読みますから、どうぞお聞き取り下さい。(※創価学会よりの回答につづく)

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    from: 21世紀さん

    2009年03月26日 23時37分50秒

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    「Re:昭和52年路線」池田名誉会長挨拶(お座替式の祝辞)S54.8.6『大日蓮』S54.9・20頁)◆謹んで、総本山第67世御法主日顕上人猊下の御座

    from: 21世紀さん

    2009年02月20日 14時15分56秒

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    「Re:昭和52年路線」:れいな日付:2月18日(水)9時46分日達上人は学会が教義逸脱をあらわにする当初から、その危険性を警告するためこのように御指

  • from: 21世紀さん

    2009年02月28日 23時37分33秒

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    黒い手帖 創価学会「日本占領計画」の全記録

    黒い手帖創価学会「日本占領計画」の全記録著者:矢野絢也発行年月日:2009/02/28サイズ:四六判ページ数:302ISBN:978-4-06-215

    黒い手帖 創価学会「日本占領計画」の全記録

    著者: 矢野絢也

    発行年月日:2009/02/28
    サイズ:四六判
    ページ数:302
    ISBN:978-4-06-215272-3

    定価(税込):1,785円
    内容紹介
    --------------------------------------------------------------------------------
    強奪された100冊近い手帖……そこに記された創価学会の日本を地獄に変える陰謀!

    あなたの隣で進行中の「クーデター」
    「本書のタイトルである『黒い手帖』、すなわち、私の30年にも及ぶ政治家としての記録を公明党の議員OBに『強奪』され、創価学会とも裁判所で争うようになり、そうして今、距離を置いて振り返ってみると、当時の私はマインドコントロールにかかっており、創価学会によって操られていたと思わずにはいられない。池田xx名誉会長の野望――学会の『日本占領計画』を成就させるため、その計画のど真ん中で働いていたのではないか、との思いが日増しに強くなっているのだ。」――<「まえがき」より>


    目次
    --------------------------------------------------------------------------------
    序章 私はなぜ創価学会に反旗を翻したか
    第1章 黒い手帖の極秘メモ
    第2章 手帖強奪
    第3章 創価学会の卑劣な違法行為
    第4章 カルト化する「池田教」
    第5章 創価学会に完全支配される公明党
    第6章 宗教政党の罪
    第7章 池田名誉会長の野望
    第8章 日本占領計画


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  • from: 21世紀さん

    2009年02月27日 11時42分48秒

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    御法主上人猊下御講義 立正安国論

    於夏季講習会第1・2期<立正安国論講義の開講に当たって>皆さん、おはようございます。今回、平成21年の『立正安国論』正義顕揚750年に向かいまして、宗

    於夏季講習会第1・2期
    <立正安国論講義の開講に当たって>
    皆さん、おはようございます。今回、平成21年の『立正安国論』正義顕揚750年に向かいまして、宗門僧俗一致しての正法護持興隆・行学増進に励む次第であります。そういうことから、本年度よりまた、この夏期講習会を始めることになり、今回は第2期に当たります。昨日から、それぞれ担当講師によりまして、折伏その他のいろいろな重要な行学に関する話があったことと思うのであります。

    本年度は『立正安国論』正義顕揚750年を6年後に控えた、その最初の年といたしまして、『立正安国論』を拝読して、皆様と共に大聖人様の深い御仏智を拝したいと思うのであります。それで、講義の内容を考えましたが、『安国論』の始めから終いまでの御指南の量は、たとえば『開目抄』とか『報恩抄』『撰時抄』というような御書はとても長い御書でありますが、それに対してもっと短い御書も御消息等においてはあるわけで、この『安国論』は、ちょうどその中間くらいの長さになります。

    そこで、全10期にわたっての講義の内容をどのようにしたらいいかということを考えた挙げ句が、『安国論』全体を5つに分けさせていただき、第1期と第2期を最初の部分、次のところを第3期と第4期というような形で行うことにいたしました。したがって本日は、先般の第1期のときに拝読いたしました『安国論』の最初の部分を、もう1回拝読する次第であります。


    <安国論建白の背景と意義>

    最初に、この『安国論』は、どのような縁由によって示されたかと申しますと、その当時、数年にわたって大風・大雨・洪水・飢饉・疫病・大地震等の災害がずっと重なったのであります。これは日本国中が正に背き、邪を行っておるところの謗法に因るということを大聖人様が御覧になりまして、しかも王臣共にこれを覚らず、したがって仏の弟子としてその謗法を戒め、不義・邪悪を諌めるということが、この『立正安国論』を作り、最明寺入道時頼に献じられたその意義であります。

    しかし、これは一往、文に付しての形の上からの縁由でありますが、再往の深い元意におきましては、久遠元初自受用報身という根本の仏様が末法において再誕をせられ、そして法華本門の下種の大法を、その大行者たる日蓮大聖人によって末法万年の正法広宣流布のため、一切の民衆、一国乃至全世界への折伏諌暁の書であると拝して、しかるべきと思うのであります。

    その時は、人皇(にんのう)90代・亀山天皇の御宇(ぎょう)でありました。いわゆる文応元(1260)年7月16日に奏呈をされました。そのときの将軍は、鎌倉9代の中の第6代・宗尊(むねたか)親王であり、執権は北条長時という人でありましたが、政治の実権はその前に執権を務めた最明寺入道時頼の手にあったのであります。時頼は4年前の康元元(1256)年に落髪をして入道となりましたが、なお政務に携わっており、したがってその政治の権力を持つ実力者として存在しておりましたから、宿屋入道光則(みつのり)に託して、この『立正安国論』を時頼に献ぜられた次第であります。

    その主意は、第一に未来の大災難、これは経文等に明らかに示されるところの自界叛逆(じかいほんぎゃく)の難と他国侵逼(たこくしんぴつ)の難、この2つは、それ以外のたくさんの災難が現れておるこの時点においても、まだ現れていなかったのであり、かかる大災難の起こるべき所以を、予言書として示されたのであります。第二に、その災難の原因としての謗法の誤りを指摘して、これを強く諌められておる。すなわち仏法上の謗法に対する諌めであります。それから第三には、衆生の現当二世にわたる救済のために、その謗法の罪を糾されるという意義があります。

    しかるに、文永9(1272)年の2月にこの予言の一つである自界叛逆の難が起こりました。さらに文永11(1274)年10月と弘安4(1281)年5月の2回にわたって蒙古の国が攻め寄せてきて、他国侵逼の災難の大予言が、まさに寸分も違わず的中したわけであります。これまさに、このことを通じてさらに下種の御本仏が未来末法万年にわたるところの日本乃至世界における真の正法護持、立正安国により真の平和に至る道を示された大予言であり、その大指針であります。


    <安国論の題号について>

    次に、「立正安国」の題号ということについて申し上げます。

    「立正安国」というのは「正を立てて国を安んずる」ということです。この依拠は経文にたくさんありますけれども、法華経の『方便品』に、「正直捨方便・但説無上道(正直に方便を捨てて、但無上道を説く)」(法華経124ページ)という文があります。すなわち、従来の爾前経、大乗・小乗等の四十余年の経々はすべて方便教であるということを、釈尊自らがはっきりと決定した上で「正直に方便を捨てて但無上道を説く」ということを説かれたのであります。この正直に方便を捨てるということは、方便にいつまでもとらわれて真実を見ないところが邪道であり、その邪を破すという意義であります。また無上道を説くのが正法を立てること、顕正であります。いわゆる「破邪顕正」が、この「立正」であります。

    次に、「正」の内容は非常に深く、また広いのであり、すなわち五重相対が考えられます。これは第一に内外相対、次が大小相対、第三番目が権実相対、第四番目が本迹相対、第五番目が種脱相対で、この5つの相対の上からはっきりと浅深勝劣をつける。そこに本当の「正」の意義と衆生を開導する徳が現れるのであります。

     ・内外相対

    第一の「内外相対」ということは、内道すなわち仏教は法界の一切と過去・現在・未来の三世にわたるところの正しい原因・結果、さらに因縁・果報ということをはっきり正しく述べておるのであります。しかるに、外道たる他の哲学・宗教等においては、このところがまことにはっきりしておりません。イスラム教やキリスト教など、その他世界中にはたくさんの宗教がありますけれども、それぞれの神様が出来た原因は、全く説いておりません。神は元々存在するというのです。しかし、これは一切万物の、原因があって結果があるという理法に反するのです。仏教においては、仏も仏としての原に成る原因がある。また、それによって一切衆生がその筋道の上から本当の仏の修行と悟りに基づいて、真の幸せを得ることができるという次第であります。

    また、因縁因果は、そのまま善因善果、悪因悪果という大原則に通じています。この善因は必ず善果を生じ、悪因は悪果を生じるという因果の理法が徹底していないために、今、世の中において「目前の結果さえ良ければ、悪いことをしても平気である」というような誤った思想が現れておるのであります。その悪見が、今日の世界の様々な不幸と大動乱を起こしておるということが言えるのです。

    したがって、内外相対した場合に、「内道」の仏教と、仏教以外の教えの「外道」との相対において、仏教が因縁因果の道理を説く故に本当に正しい教えであるということ。その筋目から見ないと、この『立正安国論』のこれから拝読していくところの本当の意義が判りません。やはり仏の教えをきちんと正しい意義と筋道において見ることにより、はじめて「正」が立つわけであります。それが第一の内外相対であります。

     ・大小相対

    次は「大小相対」です。この「小」というのは小乗のことで、同じ仏教の中でも小乗と大乗の区別があり、仏教は外道に対すれば正しいけれども、大乗と小乗を内容の上から相対すれば、小乗は非常に視野が狭いのであります。教えの内容が、単に六道の迷いから抜け出して、より安穏な灰身滅智(けしんめっち)のところに行こうということにすぎません。ですから法界全体の存在とその因果の姿、またその大きな法界観、世界観によるところの修行の道が欠けているのであります。したがって、小乗は自分だけが迷いを去って悟りを開けばいいということだけで、他の苦悩の相を見ることができないのです。

    しかし実際には、世の中は決して自分一人だけの存在ではありません。必ず他との関連において善悪、正邪、幸不幸等、あらゆることが存在するのです。したがって、自分が善い行いによって幸せになっていくと共に、他をも導いていくということがなければならない。故に、小乗は「空」の真理を示すのみであるのに対し、大乗は「空」と「仮」と「中」の真理観が説かれます。それらをはっきりと示して、全体観の上から教えを説くのが大乗の教えであります。

    したがって、小乗と大乗を相対するならば、小乗に対して大乗こそ真実の正法であるにもかかわらず、小乗が大乗に背くならば邪の意義が生じます。故に「正を立てる」とは、小乗を廃して大乗を立てることが大小相対の意味であります。

     ・権実相対

    次が「権実相対」。「権(ごん)」とは「かりのもの」方便の意で、「実」とは真実の意です。仏教五千七千の経巻を大きく分ければ、方便と真実に分かれます。この方便教として華厳・阿含(あごん)・方等・般若等の四十余年の諸経が説かれておりますが、それに対して「正直に方便を捨てて、但無上の道を説く」と、釈尊が法華経においてはっきりと宣言され、法華経こそ一切の衆生を真に導き幸せにするところの教えであると示されました。

    そうすると、この権教によって宗旨を立てておるところの、いわゆる念仏・禅・真言・律等、様々な仏教における権大乗の宗旨は、すべて正法を無視し、正法の意義と価値に背いておるところに邪の意味があるのです。その邪を打ち破って、真実を立てるところに権実相対における「立正」の意義があります。特にこの『立正安国論』においては、大聖人様の御一期(いちご)のうち最初の御化導の形として、まず第一に法然(ほうねん)の念仏宗の邪義を中心として破折されており、これがこの権実相対の内容からの破折に当たるのであります。

     ・本迹相対

    その次が「本迹相対」です。これは法門の上から言うならば、本門の大法をもって根本とし「正」といたしますから、爾前迹門にとらわれた考え方は邪法となります。その法華迹門を中心とする宗旨として天台宗があります。これは一往、法華経の教えをもって正しく仏法を立てたものであるけれども、まだ権実相対までがその教義の主意になっておりまして、きちんとした形で本門と迹門とのけじめがついていないのであります。これは迹門付嘱の天台や伝教の法義としては当然のことなのです。

    しかし、すでに時の過ぎた、像法の時代の衆生を導く法華迹門にいつまでもとらわれることは邪法となり、末法においては法華本門の教えをもって爾前迹門との区別を立てていくところに「立正」の「正」という意義が存するのであります。

     ・種脱相対

    [本尊] 最後は「種脱相対」です。これは下種の法華本門の教えこそが本門の宗旨の実体であり、大聖人の御出現の目的でありますから、その種脱に迷乱するところの日蓮他門家はことごとく、「立正」と口では言っても真実の「立正」ではありません。それは何かと言えば、下種の本尊とその三大秘法こそが真の「立正」の「正」という意味であり、末法万年の下種仏法の弘通、化導の上にはっきりと示された大法であります。そこに種脱相対しての「立正」とは、三大秘法の妙法大漫茶羅、本門戒壇の本尊であります。その意義はすでに大聖人の『立正安国論』の中に深く篭(こ)められておるわけですけれども、ただ化導の具体的な形としては、文永、建治、弘安等、御一生の御化導の上から、それが次第に現れてくるのであります。

    さて、「立正」とは「三大秘法」であるということよりして、この「正」とは何かと言うと、第一には「妙」ということなのです。「妙」が「正」、「正」がまた「妙」です。ですから「妙」ということを離れて真実の「正」はないのです。

    故に「妙」についてさらに本仏の悟りを拝するならば、それは「妙法蓮華経」の五字であります。この妙法蓮華経の法体のもとについて、大聖人様が『観心本尊抄』に仰せであります。すなわち、末法万年を救う法華経の根本的な付嘱の要旨として、「此の本門の肝心、南無妙法蓮華経の五字に於ては仏猶(なお)文殊・薬王等にも之を付嘱したまはず、何に況んや其の已外をや。但地涌千界を召して八品を説いて之を付嘱したまふ。其の本尊の為体(ていたらく)、本師の娑婆の上に宝塔空に居し、塔中の妙法蓮華経の左右に釈迦牟尼仏・多宝仏…」(御書654ページ)と示されております。右の文の「本尊の為体」というところに、特に注目すべきです。

    すなわち妙法蓮華経とは、地涌の菩薩に付嘱された法華経本門の根本の法体としての本門の本尊なのです。ですから「立正」の「正を立てる」ということは、三大秘法を立てるということであり、その第一は「本門の本尊」を立てることであります。本門の本尊を正しく立てることが「立正」の「正」なのであります。

    [題目]さらに、この御本尊を顕す目的は、一切衆生に正しい修行をさせるためである。ですから、この正境の本尊に縁するということは、正しい本尊に縁して初めて信心が正しくなるわけです。信心が正しくなるから、また「行」というものが正しくなるのです。もし間違った「行」をしていたら大変です。いつの間にか不幸になっていき、未来は地獄に堕ちるような結果となります。

    すなわち正しい「行を立てる」とは、本門の本尊を信じて南無妙法蓮華経と唱えることであり、これがいわゆる「行」についての「立正」であります。ですからこれは「本門の題目」です。

    [戒壇]また、次に「正」とは「一」に「止」まると書きまして、この「一」とは、三に非ず、五に非ず、七に非ず、九に非ず、三乗、五乗、七方便、九法界を超絶し、かつこの一切を含む久遠元初の実相たる人法体一の法体です。これについて、「一大事の秘法を霊鷲山にして相伝」(同1569ページ)という『南条殿御返事』の中の大事な御文があります。その御本尊を所持されて末法に出現し給う大聖人様のおわしますところ、またその御魂を墨に染め流して御顕示あそばされた本門の本尊のところに妙法の法体が止(とど)まるわけであります。

    「止まる」とは、すなわち住する、そこに存在するということです。したがって、止まり住するということは、本尊の住するところの意義であり、すなわち「本門の戒壇」であります。ですから、先般、皆様方の尊い御供養によりまして立派な奉安堂が出来ました。この奉安堂に本門戒壇の大御本尊様を御安置申し上げておるところが、すなわち本門の戒壇であります。

    さらに、戒壇に関する根本的な大聖人様の御指南の上から拝するならば、『一期弘法抄』『三大秘法抄』のごとく、「国主此の法を立てらるれば、富士山に本門寺の戒壇を建立せらるべきなり」(同1675ページ)と示された戒壇は、また広宣流布の時の戒壇です。そのような意味において、日本国乃至世界の衆生の妙法受持の功徳をもって立てる事の戒法の顕現たるところの戒壇。それがまた「立正」の「正を立てる」という意味に当たります。故に「立正」とは、末法万年に弘通するところの本尊と題目と戒壇、すなわち三大秘法であるということ、これをまず申し上げておく次第であります。



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    from: 21世紀さん

    2009年02月27日 16時54分51秒

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    「Re:御法主上人猊下御講義立正安国論」創価学会なども、今、世間の宗教に迎合して大聖人の教えの本筋を捨て、世の中をうまくごまかすため、あらゆることを言

    from: 21世紀さん

    2009年02月27日 16時50分03秒

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    「Re:御法主上人猊下御講義立正安国論」・乃至其の王久しからずして当に重病に遇ひ、寿終の後大地獄に生ずべし。この大集経の文は、前に一度挙げてあります。

  • from: 21世紀さん

    2009年02月27日 09時34分46秒

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    2005年09月17日 師弟子の道と妙観講の在り方 ―疑問に答える―

    平成十五年一月に『妙観講の基(もと)をなす信条・誠心(じょうしん)』が発刊されました。『誠心』は、妙観講がいかなる信条に基(もと)づいて構築・運営され

    平成十五年一月に『妙観講の基(もと)をなす信条・誠心(じょうしん)』が発刊されました。
     『誠心』は、妙観講がいかなる信条に基(もと)づいて構築・運営され、今日に至ったのかを明らかにしたもので、護法と広布の使命に挺身(ていしん)せんとする妙観講の“心”であります。
     妙観講の在(あ)り方は、一言で言えば、日蓮正宗の伝統の師弟子の道を明らかにし、これに徹することを根本として、全てが成り立っています。しかし、それは、これまでの講中の中に不文律的に活(い)きており、体系的に成文化されていませんでしたので、外部の方々や、信仰の浅い講員には、なかなか理解されることがありませんでした。
     そのため、妙観講に対しては、いろいろな無認識な批判や憶測がなされ、それは、妙観講が止どまることなく大きくなっていくのにつれて、得体の知れないものに対する不安な心理から、いっそう拡大していったものと思われます。
     しかし、それらは全て、『誠心』の「序」に指導教師・小川只道御尊師が
     「批判の根拠は明確でなく、ただ皮相的な見方の上から誤解している」
    と述べられているように、“群盲(ぐんもう)象を撫(な)でる”類(たぐい)の誤解に他なりません。
     “群盲象を撫でる”というのは、大勢の盲目の人達が象に触る機会を与えられたところ、ある者は尻尾を握り、ある者は足に触り、ある者はお腹を撫で、ある者は鼻を掴(つか)んだ。そして、“象はヘビのような生き物だった”“いや、柱のようだった”“巨大な壁のような動物だった”等々と、てんでんバラバラな感想を持つに至る。自分の手に触れたのは、象の一部に過ぎないのですが、象の本当の姿を知らない盲目の人達は、それを象そのものだと思って誤解してしまったわけです。
     それと同じことで、妙観講の真の姿や信条をわかっていないが故に、外形に現われた一つ一つの相を正しく捉えることができず、妙観講そのものを誤解してしまう――、妙観講に対する多くの批判は、そうした類のものでした。
     しかし、こうした諸々の批判や憶測は、このたび発刊された『誠心』によって払拭(ふっしょく)された、といってよいでありましょう。
     『誠心』を読むなら、妙観講が、一貫して大聖人以来御歴代上人の御教示に則って構築・運営されてきたこと、その在り方は全て大聖人の教えに基づいていることが明らかとなり、同時に、今後の私達一人ひとりが、どのような規範によって信仰していったらよいか、が明確に判るでありましょう。
     この『誠心』の内容を踏まえた上で、さらに補足説明する意味で、講中の在り方に関し、Q&Aの形で述べていくことにします。

    Q一、在家主導の創価学会・僧侶主導の正信会・元は法華講の一支部だった顕正会が、悉(ことごと)く異流義化したのだから、先々、誰が異流義化しないとも限らず、安心して信心していくことができない。

    A一、それは無用な杞憂(きゆう)です。
     まず、この創価学会・正信会・顕正会という三つのケースについて、検証してみましょう。 

    創価学会の場合
     創価学会は、もともと日蓮正宗を信仰する法華講中の一つでありました。
     その創価学会が、戦後、戸田二代会長のもとに大折伏を展開し、爆発的に教勢を拡大しつつあった昭和二十六年末、独自の宗教法人の設立を宗門に願い出てきました。
     本来、「宗教法人・日蓮正宗」のもとにあるべき法華講の一つ、創価学会が、日蓮正宗とは全く別の宗教法人を在家だけで組織するということは、一歩間違えば、日蓮正宗とは異質の一宗一派となりかねない危険をはらんでいます。
     そこで、宗門におかれては、「折伏した会員は信徒として各寺院に所属させる」という条件を付して、設立を認可されたのでした。
     この約束によって、創価学会では、個々の会員を各々の地元寺院に所属させました。
    しかし、ここで問題だったのは、個々の会員を最寄(もよ)りの寺院に所属させたものの、肝心の創価学会自体は寺院に所属せず、手続ぎの小師を持たない状態となってしまったことでした。
     巨大化したとはいえ、創価学会も、もともとは一つの法華講中であります。ならば、創価学会という講中として、決まった一つの寺院に所属し、手続ぎの小師の教導のもとに会員を指導していく、というのが、本宗の信仰の掟(おきて)を守った本来の姿であります。(『誠心』十一、十四項目参照)
     結局、創価学会は、本宗の教義から逸脱して異流義化する遥(はる)か以前、すでに組織の成り立ちの段階において、本宗の化儀を破り師弟子の道を破っていたのです。
     そして創価学会は、池田xxが“人生の師”“永遠の指導者”であり、会員は全て池田の弟子である、との師弟論を立てて、会員を次第に日蓮正宗とは異質の邪義邪信へと誘導していったのでした。
     しかし、もし創価学会が一つの寺院に所属し、池田xxの上位に手続ぎの小師を仰いで、会員の指導にあたっていたら、どうだったでしょう。
     たとえ、池田xxが慢心を起こしたり、一部の幹部が池田を神格化しようとしたところで、その池田の上には、手続ぎの小師がおられ、さらに、その上には本師たる御法主上人がおられるのですから、池田を押し上げることは、さらに上位の師を押し上げることになって、池田本仏論のごとき邪義が成立することはありませんし、また、池田が謗法に走って、小師・本師から打ち砕かれたときには、会員の大多数は小師・本師に随い、盲目的に池田に付き随ったりしなかったでありましょう。
     したがって、創価学会の異流義化は、宗門の組織を破って手続ぎの師を持たなかった、そこに原因があった、といえるのであります。

    正信会の場合
     一方、後に正信会となっていった寺院では、個々の檀信徒(だんしんと)に対し、所属寺院の住職を手続ぎの師と仰いで信仰していくことを強調し、全て住職が指導するという形をとっていました。
     この形は、在家主導の創価学会に対し、完全な僧侶主導であり、ゆえに学会のような誤りは起きないものと言われていました。
     それなのに、約十万世帯といわれる正信会所属の檀信徒の大半は、所属寺院の住職もろとも異流義化し、大謗法の徒となってしまったのです。
     その原因は、ひとえに師弟子の本末関係を弁(わきま)えていなかったことに尽きる、といえましょう。
     『化儀抄』には、総本山の御法主上人の前では、手続ぎの小師といえども、信徒と共に弟子分の側に摂(せっ)せられることが定められています。つまり、根本はやはり本師であり、本師と小師の間には自ずと本末関係があるのです。(『誠心』八項目参照)
     したがって、もし、小師が本師に違背(いはい)して邪師になってしまった時、信徒はどうすればよいのか、といえば、本末関係の上から、邪師となった小師を捨てて、迷わず本師につかなくてはなりません。
     ところが、これを弁(わきま)えていなかった正信会の檀信徒は、“手続ぎの師に従っていかなければ成仏できない”として、本師たる御法主上人よりも末寺住職に従ってしまった。それが本師に背き異流義化する結果となってしまったのです。

    顕正会の場合
     顕正会は、もともとは今日のような在家組織ではなく、日蓮正宗の末寺に所属する「妙信講」という名称の法華講支部でした。
     末寺住職を指導教師(手続ぎの小師)と仰ぎ、総本山の御法主上人を拝(はい)していた元「妙信講」こと顕正会が、なぜ、逸脱してしまったのでしょうか。
     妙信講の初代講頭・浅井甚兵衛は、大正二年、東京都品川区の妙光寺にて日蓮正宗に入信しています(現在の顕正会々長の浅井昭衛は、甚兵衛の長男で、父の跡を世襲した)。
     ところが、その後の経緯を見ますと、浅井らは、気に入らないことがあったりすると、いとも簡単に幾度も所属寺院を移り変わっているのです。
     第二祖日興上人は、自分を折伏・育成してくれた初発心(しょほっしん)の師を捨てることは、五逆罪にあたり地獄に堕(お)ちる業因(ごういん)となる、と戒められ、第九世日有上人も、信徒は手続ぎの小師との師弟子の筋目を守るべきである、その筋目を違(たが)えたなら、大不信謗法となって成仏できなくなってしまう、と戒められています。(『誠心』六、七項目参照)
     浅井らが、自分の都合で、初発心の師を捨て手続ぎの小師を乗り換えて、何度も所属寺院を移り変わった行為は、日興上人・日有上人の仰せによれば、五逆罪であり成仏の道に反する謗法だったのです。
     その信仰姿勢が、自己中心の?慢(きょうまん)をさらに増長させることとなり、結果として浅井らは総本山の指南にも従えなくなり、ついに日蓮正宗から破門されて異流義化する、という末路を招いたのです。

     以上、創価学会・正信会・顕正会が異流義となった原因は、本宗の化儀・信条に照らして、あまりに明らかであります。
     したがって、これをよく弁(わきま)えて、どこまでも本宗の師弟子の道を固く遵守(じゅんしゅ)していくならば、たとえ難しい法門が理解できず、教義解釈の是非(ぜひ)が判らなかったとしても、異流義に陥ることなどありえないのです。
     安心して信心に励んでください。

    Q二、教義のことはもとより、日常のこまごまとしたことまで、すべて僧侶に指導を受けて信心していきたい。

    A二、小川御尊師は、昭和五十三年、講中の在り方について、
     「講員の信心倍増を計るためには、一人ひとりの講員に対するきめ細かな指導・育成が必要である。しかし、講員が増えてくれば、とても一人の指導教師が全てをみていくことはできない。そこで、信徒の中でも信行学に勝れた人達を役員として立て、その人達にある程度まで委託をして、その指導にそって講を発展させていくべきである。そして、それを見ていくのが指導教師の役割である」
    との方針を示されています。(『誠心』十二項目参照)
     広宣流布を目指して折伏を進め、講員が増加していくなら、入信・入講した全ての講員について、日常的に指導教師が信仰の指導をしていく、ということは不可能であります。
     したがって、講中の成長発展に伴って、信徒にもある程度、指導・育成を委ねることが必要となってくるのであり、これを抜きにしては、折伏弘教を進め、広宣流布へ大きく前進していくこともできません。
     むろん、創価学会のように講中制度を誤用した前例もありますから、講中制度の正しい運用に心を砕いていくべきことは、当然の大前提です。(『誠心』十一項目参照)
     『誠心』巻末の感想文に、
     「以前、“このまま講員が増え続け、組織が大きくなっていって、本当に大丈夫なのだろうか?”と、根拠もない不安を懐(いだ)いたことがありましたが、どんなに大きくなっても、逸脱せずに正しい信仰を貫いていけるよう、充分な配慮のもとに妙観講が成り立っていたことを知り、無用な心配だったとわかりました。
     また、人数の少ない法華講を見て、『御住職と親しくアットホームに接している。あんな講中もいいなあ』などと思ったこともありましたが、それでは、講中を成長発展させない、ということになり、広宣流布もできないことに気付かせていただきました」
    との一文がありましたが、講中制度の正しい活用によって、誤りなく信仰に励み、かつ広宣流布へ向かって大きく前進していける体制こそ、まさに広宣流布を目指す法華講の在(あ)るべき姿といえましょう。

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    from: 21世紀さん

    2009年02月27日 09時39分17秒

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    「Re:2005年09月17日師弟子の道と妙観講の在り方―疑問に答える―」Q五、妙観講の会合では、合唱があったり、登壇者の呼びかけに皆で「ハイ!」と返

    from: 21世紀さん

    2009年02月27日 09時37分33秒

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    「Re:2005年09月17日師弟子の道と妙観講の在り方―疑問に答える―」Q三、妙観講では、御住職に接する機会よりも講中幹部と接するウェイトの方が大き

  • from: 21世紀さん

    2009年02月27日 09時23分06秒

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    池田xxが歪めた創価学会史

    戸田会長の真意を曲げ自らを神格化許せぬ!池田の悪らつな歴史改竄「栄光の――」「誓願の――」「不滅の――」等々、様々な〝冠詞〟をつけて語られてきた、創価

    戸田会長の真意を曲げ自らを神格化
    許せぬ!池田の悪らつな歴史改竄

     「栄光の――」「誓願の――」「不滅の――」等々、様々な〝冠詞〟をつけて語られてきた、創価学会でいうところの「広宣流布の模擬試験の日『3・16』」――。
     この日はまた、第二代戸田会長が、池田xxに実質的に後を託(たく)した日、とされてきたが、その前提となっているのが、昭和三十三年三月一日、大講堂落慶大法要の当日に、大講堂のエレベーターの中で行なわれたとされる、いわゆる〝エレベーター相承〟の話。
     しかし、この〝エレベーター相承〟、調べれば調べるほど、池田が自ら発信者となって演出した〝ガセネタ〟の疑いが濃厚になってきた。
     戸田会長の真意を曲げ、創価学会の支配者として君臨(くんりん)し続けようとする池田xxを叱(しか)る。

    「戸田会長が『第三代を守り抜け』と」!?
    戸田会長の意図はそれと正反対

     「師弟に生き抜け!不滅の『3・16』」――。創価学会の機関誌『大白蓮華』三月号は、池田xxが、第二代会長・戸田城聖氏から創価学会の全てを引き継いだ、とされる昭和三十三年三月十六日、いわゆる「3・16」についての、延々二十八ページにもわたる特集記事(※まだ次号にも続くらしい!)を掲載、池田xxのさらなる神格化を目論(もくろ)んでいる。
     『大白蓮華』はまず、去る一月二十七日に行なわれた創価学会の「全国代表協議会」で、池田xxが次のような〝指導〟を行なったとする。
     「戸田先生は次のようにおっしゃっていた。
     『第3代会長がいる限り、創価学会は興隆し、発展する。幹部は、だれ人たりとも、第3代を守り抜け! これが、私のただ一つの遺言である』
     将来のために、あえて伝え残しておきたい。」
     そして、記事
     「この『ただ一つの遺言』を託す式典こそ、戸田第2代会長が亡くなる前月の、昭和33年3月に行われた『3・16(広宣流布記念の日)』の儀式であった」
    と断ずるのである。
     だが、はたして戸田城聖氏は本当に、「幹部は、だれ人たりとも、第3代を守り抜け!」と語ったのか――。
     池田xxが、その発言の根拠(というより原型、元ネタ)としたのは、戸田会長の次の指導であろう。
     「(いまの牧口門下がわたくしを支えるように)三代会長を戸田門下が支えていきなさい。わたくしは広宣流布のために、身を捨てます。その屍(しかばね)が、品川の沖に、また、どこにさらされようとも、三代会長を支えていくならば、絶対に広宣流布はできます。」(昭和二十七年二月十七日「青年部研究発表会」)
     一読して判(わか)るように、これは、先輩・同志が若い三代会長を介助していけ、という意味で「三代会長を支えろ」と指導したものである。
     しかしてその後、戸田会長は、
     「会長は会員の小使であり、支部長は支部員の小使である。(中略)会長は諸君に使われるものでしかない。」(昭和二十九年三月三十日「三月度本部幹部会」)
     「(組織論として〝長を守れ〟というのは当たり前だろうが)私がきみたちに守ってもらっているか。支部長に守ってもらっているか。けっして守られていない。それより、支部長をかばってやっている。(中略)
     いま、支部長で、(後輩の)地区部長に守られているようなものは出ていきなさい。支部長は、地区部長を守ってやるのです。これを支部長に命令します。また、地区部長は(後輩の)班長に守られるようではいけない。(中略)班長は組長を、組長は組員を守りなさい。これが学会の精神です。
     学会の幹部で、支部長、地区部長、班長、組長に守られているような、だらしのない者は一人もいないと思う。もしいたら、手紙を出してください。このように学会の伝統的な精神はきまっている。だから、あまり、守る、守るといわないように。おへそが茶を沸(わ)かすから」(昭和二十九年五月三十一日「五月度本部幹部会」)
    と、厳しく指導しているのである。
     その戸田会長が、「だれ人たりとも第3代を守り抜け!」という遺訓(いくん)を残した、などと平然と語ること自体、「恩師」の真意を冒涜(ぼうとく)する無慙(むざん)な行為である。
     「恩師」戸田会長の真意を曲げ、〝私を守れ〟〝私を守れ〟とひっきりなしに口にする「だらしのない者」の代表・池田xxは、戸田会長の指導のとおりなら、自ら進んで学会から出ていくべきなのだ。

    「『3・16』は広布後継の儀式」!?
    35年当時は最高幹部も揃って無視

     さて、この『大白蓮華』は、かの有名な〝エレベーター相承〟について、次のように書いている。
     「戸田第2代会長、青年部の室長であった池田名誉会長らが、エレベーターで6階に上がるその途次のことであった。
     戸田第2代会長は池田名誉会長に後事を託す遺言を残した。
     『三月一日、先生は、私に言われた。《大作、あとはお前だ。頼むぞ!》』(『随筆 新・人間革命』)
     また、その時の模様を池田名誉会長はこうも語っている。
     『戸田先生のお体は、非常に衰弱したご様子で、私が片腕を抱えながら、その日の式典の会場へ向かった。その大講堂の式場に向かうエレベーターの中で、先生は《これで自分の仕事は全部終わった。いつ死んでもよいと思っている。あとは大作、頼むぞ》と、ほほえみながらも厳格な口調でおっしゃったことが、胸に突きささってはなれない。この時、戸田先生五十八歳、私は三十歳となっていた。』
    ◆証言(山浦千鶴子さん)
     3月1日、落成法要を終えて、戸田先生は祝賀会に向かうためにエレベーターに乗られ、柏原ヤスさんと森田一哉さんと私が同乗しました。戸田先生は隣の池田先生の顔を見つめながら言われました。
     『これで俺の仕事は終わった。これからは、xx、お前が全部やるんだ』
    と。
     あまりにも峻厳(しゅんげん)な師弟後継の歴史的場面でした。『そうなのだ。広布後継はきまったのだ』。その感動は忘れられません。」
     山浦千鶴子氏の〝主観〟はひとまず置き、この〝証言〟が事実だとすれば、いわゆる〝エレベーター相承〟の現場には、柏原ヤス・森田一哉の両名が同座していたことになる。
     ところが、この両名が、『大白蓮華』昭和三十五年六月号の「特集・第三代会長就任」と題する記事に寄せた文。その内容は、それぞれの言葉で〝戸田会長が意図したとおりに青年部の中から三代会長が生まれた〟ということを喜び、池田へおべんちゃらを贈ったものだが、両名とも、「xx、お前が全部やるんだ」との重大発言のことどころか、「大講堂落成法要」にも、「3・16」にも触れていない。当然のことながら、「エレベーター」の「エ」の字もない。
     そればかりか、この特集記事には、総勢十名の創価学会最高幹部が名を連ね、それぞれ自分の知る、戸田会長と池田xxのエピソードを披瀝(ひれき)し、池田xxこそが戸田会長の後継者に相応(ふさわ)しい、と持ち上げているが、そうしたエピソードにおいても、「大講堂落成法要」「3・16」に関するものは皆無である。
     このことからも、〝「3・16」は広布後継の儀式だった〟というのが、後から強引にコジツケたものであることが窺(うかが)われる。

    池田のいう〝エレベーター相承〟はデタラメ
    戸田会長は「第三代は皆で決めろ」と

     また、〝エレベーター相承〟なる話が、いかにデタラメなものであるかは、次の事実からも言えよう。
     すなわち、池田xxはこの翌年、『大白蓮華』昭和三十六年五月号の「巻頭言」に
     「昭和三十三年三月一日、大講堂落成式の日、五階から、一階に降りるエレベーターの中で、先生は申された。
     『わしの、いっさいの仕事は、これで終わったよ。あとは、おれと、お前だ。お前が、あとはしっかりするんだぞ』と」
    と書いている。
     また、〝証言者〟である森田一哉はさらに後年、
     「『わしのいっさいの仕事はこれで終わったよ。あとはおれとお前だ、お前があとはしっかりするんだぞ』と、大講堂落成式の日、五階から一階に降りるエレベーターの中で、恩師より先生に申されたのである」(『大白蓮華』昭和四十年五月号)
    と書いている。
     つまり、少なくともこの時までは、「五階から一階に降りるエレベーターの中」で〝相承〟が行なわれたことになっていたのだ。
     ところが、これが『人間革命』では、
     「エレベーターが上昇しはじめると、戸田は、伸一の顔をのぞきこむように見すえた。そして、静かだが、力をこめて言った。
     『さあ、これで、私の仕事は終わった。私はいつ死んでもいいと思っている。伸一、あとはお前だ。頼むぞ!』(中略)
     それから戸田は、大きく頷(うなず)くと、にっこりと微笑を浮かべた。エレベーターは六階に着いた」
    となっており、先に紹介したように最新の『大白蓮華』も
     「エレベーターで6階に上がるその途次のことであった」
     「(※六階で行なわれる)祝賀会に向かうためにエレベーターに乗られ」
    と書いている。
     はて、「五階から降りる」途中だったのか、それとも「六階に上がる」途中だったのか。さすが〝エレベーター相承〟だけあって、降りたり上ったり、目まぐるしいことこの上ない。この目まぐるしさでは、〝相承〟もへったくれもなかろう。
     ともあれ、大事の〝相承〟についての記述の基本部分が、このように大きく変遷(へんせん)していては、池田らの言葉を信ずることなど、できようはずがない。
     ちなみに、戸田会長の真意について、戸田会長が、第三代会長候補として実際にその名を口にしたこともある石田次男氏(故人)は、その著書の中で、
     「戸田先生は、この儀式の祝宴散会後の午後四時頃、その場、その席で、理事長以下、祝宴に参加した全員に対して『次の会長は皆で相談して決めろ、皆で仲良くやっていけ』とおっしゃったではないか。そしてその席に池田氏は参加していなかったし、それでも当日のうちには耳にした筈(はず)ではないか。池田氏の言いぶりでは、戸田先生は理事長以下、理事・支部長・常任委員・婦人部長・男女青年部長・の全員を騙(だま)した事になる」(『内外一致の妙法・この在るべからざるもの』)
    と、また、龍年光氏は
     「(3・16の後)、先生の体がいよいよ衰弱されたため、原島宏治、小泉隆、辻武寿、柏原ヤス、馬場勝種ら理事たちと、池田・北条・森田・龍の四参謀が、揃(そろ)って戸田先生の枕元に行き、遺言を聞こうということになった。音頭を取ったのは辻、原島、小泉らで、この際、はっきり池田を三代会長に指名してもらおうというハラづもりだったようだ。
     辻は『大久保彦左衛門』と渾名(あだな)され、どんな場面でも物怖(ものお)じせずにズバッと物をいう男だった。この時も、病の先生の枕辺で、当然のような顔をして、『先生、三代会長は誰にするんですか』と単刀直入に尋ねた。ところが先生は、はっきりした声で、『それは、お前たちが決めるんだ』と答えられた」(『日蓮正宗の敵池田創価学会を解散させよ』)
    と記し、歴史の証人として、池田の主張のデタラメさを暴(あば)いている。
     前の池田らの信じ難い主張と較べ、やはり、こちらが真実のようだ。
     あらゆる手法を使って歴史を改ざんしようとする池田xx――。だが、真実の歴史は、変えようにも変えられるものではないのである。


    投稿者 myokanko : 2006年04月01日 15:38

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    王様

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    2009年02月24日 07時39分14秒

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    七・三大阪事件

    特集/七・三大阪事件(池田xx選挙違反事件)の罪と罰「末端会員切り捨て」で買い取った「池田無罪」/溝口敦(ジャーナリスト)創価学会では初代会長・牧口常

    特集/七・三大阪事件(池田xx選挙違反事件)の罪と罰
    「末端会員切り捨て」で買い取った「池田無罪」 /溝口 敦(ジャーナリスト)

     創価学会では初代会長・牧口常三郎、第二代会長・戸田城聖がともに戦前、治安維持法違反と神社に対する不敬罪で逮捕、投獄された歴史を持つ。中でも牧口はついに釈放されることなく、敗戦の前年、刑務所内で死亡した。いわゆる獄死であり、これにより戦前、創価学会は侵略戦争に反対して、壮絶な弾圧を招いたという「学会伝説」のもとをつくった(実際には侵略戦争や天皇制に反対したからではなく、それらをいっそう強化するため、その誤りをいましめる「国家諫暁」という立場を固執したため、当時の政府から弾圧を加えられた)。

     ブタ箱勾留を神聖な「法難」と祭り上げる

     他方、学会内で「大阪事件」と呼ばれる事件は、池田xxが公選法違反で逮捕され、大阪東署と大阪拘置所に十五日間勾留された一件を差す。いわゆるブタ箱入りであり、酔っ払って乗車拒否のタクシーを蹴っ飛ばすぐらいでも、間と運が悪ければ、あり得る事件である。
     勾留は刑ではない。警察署内の留置場(ブタ箱)と、れっきとした刑務所とは大いにちがう。勾留とは本来、刑が確定する前の被疑者・被告人の逃亡・証拠隠滅を防ぐために行われる「未決拘禁」であって、刑罰としての意味はまるでない。
     だが、池田はこの大阪事件に連累したことで、初代、第二代と続いた名誉ある「投獄・法難」を第三代会長である自分もまた受けたとして、池田自身の神聖化に活用し、自己顕彰の根拠にしている。
     その実態はどうだったのか、以下、検証してみよう。

     昭和三十二年(一九五七年)四月、参議院大阪地方区の補欠選挙が行われ、創価学会は船場支部長・中尾辰義を立候補させた。当時の学会本部の理事長・小泉隆と学会の渉外部長・池田xxらがこの選挙運動を指揮した。結果は落選だったが、大阪府警は六月二十九日に小泉を、七月四日には池田を「堂々と戸別訪問せよ。責任は私が負う」と会員に要請した疑いで逮捕し、七月二十九日、それぞれ起訴した。

     当時の新聞は次のように伝えている。

     「創価学会幹部四十五人起訴 ・大阪発・大阪地検は、去る四月行われた参議院大阪地方区補欠選挙での創価学会幹部らの公選法違反事件について、二十九日、同学会本部理事長、東京都議小泉隆(四八)・東京都大田区蒲田五ノ一一・ら四十五人を買収で(うち二人は略式起訴)、同渉外部長池田xx(二九)・同区調布小林町三八八・ら三人を戸別訪問で、それぞれ起訴した。起訴状によると、この選挙で、小泉理事長は主として"実弾作戦"を、池田渉外部長は戸別訪問をそれぞれ担当、現地で指揮に当たり、大阪、船場、松島、梅田、堺の五支部に『選挙係』を設け、府下六万信者のほとんどを戸別訪問に動員したもの。  投票数日前には"タバコ戦術"として職安十数カ所で、日雇労務者に候補者名を書いたピースなど約四千個をバラまいたという」(『朝日新聞』昭和三十二年七月二十九日夕刊)

     池田は大阪東署と大阪拘置所に十五日間勾留され、検事の言うがまま調書に署名し、七月十七日(小泉は十五日)保釈で出された。
     この間、創価学会は一連の事件を「大阪事件」と呼び、同会を「おとしいれようとして仕組まれた策謀」だとして、小泉、池田以外の、選挙運動に動員、起訴された創価学会員四十一人を十二日、戸田の命令で除名し、小泉、池田の即時釈放を要求する大会を十二日東京で、十七日大阪で開いた。  大阪大会には保釈で出された直後の池田も出席し、
     「大悪起れば、大善来たるとの、大聖人様の御金言の如く、私もさらに、より以上の祈りきった信心で皆様とともに広宣流布に邁進すると決心する次第であります」(『聖教新聞』昭和三十二年七月二十一日)と挨拶した。
     大阪事件では、翌三十三年小泉が無罪となり、四年後の三十七年一月に池田が禁固十月の求刑を受けたものの、検察側は公判で戸別訪問の指示を立証できず、無罪を判決されて解決した。池田が小泉に比べ長期の公判に耐えなければならなかったのは、勾留段階で池田が検事の調べに怯え、検事に迎合するような供述を行って署名したため、調書をひっくり返すに多くの困難があったからとも伝えられる。
     『聖教新聞』三十七年一月二十七日号は、公判の結果を報じて、
     「『大阪事件』に勝利の判決 無実の罪晴れる 裁かれた権力の横暴」と大きく見出しにうたったが、「勝利」は小泉や池田に限ったことで、他の会員にとってはそうでなかった。このとき、同時に池田以外の二十人の創価学会員に対しては戸別訪問で罰金一万円から三千円、うち十人に公民権停止三年、七人に同二年の判決が言い渡されている。
     見出しは彼らの存在を無視したものだった。戸田や池田は末端の会員を切り捨てることで池田の無罪を買い取ったともいえよう。創価学会には戸田時代から末端会員に対する非情さがある。
     が、どう強弁しようと、大阪事件の実態は、たかだか参院選の指揮に際し、池田が戸別訪問を指示、警察の把握するところとなり、ブタ箱に十五日間放り込まれた話以上のものではない。獄につながれた、投獄された、というのは有罪判決に基づく服役を意味し、勾留とは法的にまるで別物である。

     弾圧・投獄を怖れていた小市民・池田

     だが、池田は意図的にブタ箱と刑務所を混同し、池田自身が第三代会長に就いたことの根拠の一つに、この大阪事件を使っている。彼にとってはブタ箱入りが聖なる「法難」であり、女性スキャンダルで法廷に立った経験はあるものの、ブタ箱以上の経験はない。
     が、とはいえ、ブタ箱・法難説は後知恵で、当初、池田は当局の弾圧や投獄を怖がるャ市民でしかなかった。投獄が名誉のしるしなど、本来の池田にとっては、とてもとてもの発想だったのだ。
     池田は昭和二十二年八月の入信だが、戸田は学会を戦後再発足させた後、早い時期に宗教学者の調査を受け入れ、池田にもインタビューに答えさせている(小口偉一『宗教と信仰の心理学』に所収)。
     それによれば、入信一年後、池田の心理は次のようなものだったと、池田自身が語っている。
     「それから一年は普通にやっていました。そのころはバチがこわかったのです。前の信者さんたちが牢獄へいったということが気になりました。全部の宗教に反対するから必然的に弾圧される。そのときはどうしようか、寝ても覚めても考え、やめるなら今のうちがよいと考えました」
     ここでは池田も創価学会が侵略戦争に反対したから政府の弾圧を招いたとは強弁していない。単にすべての宗教に反対したから(当時の創価教育学会は皇大神宮の神札を祀って拝むことを拒否した。末法の世、伊勢神宮には魔物しか住まない。神札の受け入れは謗法の行為に当たるというのが牧口の考え)と語っている。
     しかも理由はどうあれ、戦前、当局の弾圧を招いたこと自体が恐ろしく、やめるなら今のうちがよいと、意気地なくホンネを洩らしている。指導性はもちろん、見識、勇気、思想性といったものに、一切無縁な存在が池田だった。
     だが、池田は後に同じことを次のように言い換え、創価学会と池田自身の修飾につとめる。
     「戦後戸田会長に会ったときも、この人は戦争に反対して二年間も、牢に入っていた、この人のいうことならば、わたしは信じてついていってもまちがいはないと、と思ったのです」(『文芸春秋』昭和四十三年二月号)
     ご都合主義の極みだが、しまいには創価学会 ナ聖性を証明するとされる『法難』を一手に我がものにしたいとさえ、池田は願うようになる。災難を受けることが正しさの証明であるかぎり、災難を受ける資格は池田だけが持つことであって、他の幹部が災難を受けることは許し難いといった逆転した感覚である。

     創価学会の本部職員が次のエピソードを紹介する。
     「昭和四十六年九月、当時の竹入義勝公明党委員長が党本部前で暴漢に刺され、重傷を負う事件がありました。本来なら『名誉ある法難』とされるところ、新聞(特に政治面)が大々的に報じたものだから、池田さんは『竹入のやつ、たいしたケガでもないのに大げさに入院しやがって』と、ご機嫌斜め、しばらくは竹入夫人が挨拶に行ってもそっぽを向いていたそうです」
     外部社会にはきわめて分かりにくい。災難を受けることは創価学会にあって、ある面、その人間の正しさの証明である。竹入義勝が暴漢に襲われたのは竹入の正しさの証明であり、さらにいえば竹入の大物性、指導性の証明になる。池田は竹入が誰がみても不当・不法というしかない形で暴漢に襲われ、ゆえなく負傷し、同情的に大きく報道されることにかぎりない嫉妬を覚えた。池田は移動する際、十重二十重にボディガードに身辺を囲ませ、暴漢に襲われたくとも襲われる隙がない。

     日蓮は鎌倉幕府に、正法をもって国政の元とすべきことを説いて、幕府や他の宗派からの弾圧・迫害を招いた。伊豆流罪、小松原法難、龍ノ口法難、佐渡流罪などがそれだが、「いま日蓮」の名を願う池田は法難によりわが身の正しさと正統性を証明したい。だが素材に窮して、まことに卑小な「大阪事件ブタ箱入り」の活用に行き着いたというべきかもしれない。その心根は哀れである。 (文中敬称略)

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    from: 21世紀さん

    2009年02月24日 07時45分06秒

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    「Re:七・三大阪事件」■池田神話のひとつ「大阪事件」の真相―「勾留」は刑罰にあらず!「法難」は大ウソ――有罪会員を切り捨て何が「正義の証明」か!?―

  • from: 21世紀さん

    2009年02月23日 21時18分40秒

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    第二代会長戸田会長指導

    ―――この万物を変化させる根本の実体を、南無妙法蓮華経といい、そのように変化していく力自体を、御自分の力となされた方を、仏という。一切衆生を変化させる

    ―――この万物を変化させる根本の実体を、南無妙法蓮華経といい、そのように変化していく力自体を、御自分の力となされた方を、仏という。一切衆生を変化させる側を寂照といい、その力を見出されたお方は、ただひとりのみであり、すなわち日蓮大聖人様である。/変化させる力とは、大宇宙の変化律、生命力であり、その大生命力そのまま、紙に写されたのが大御本尊様である。生命力を変化させる力がこもっているのである。/紙に書いた字ほど恐ろしいものはない。私のところに、英語で今晩殺すと手紙がきても、すこしも驚かない。また、ドイツ語であす一千万円あげるときても、すこしもうれしく思わない。なんとなれば、読めないからである。/みんなも、わからないのであるから、しかたがないから、疑うことなく御本尊様を信じ、また末法の衆生に信じさせる以外にないのである。あなたたちに幸福をくださる、絶対の御本尊様、宇宙の変化を起こさせる根本の生命が、御本尊様である。境智冥合して、生命が変化して、功徳がでるのである。これをわかろうとして、苦心せねばだめである。これを批判してやろうとするのはよしなさい。批判するのはバカです。宇宙大の生命力の御本尊様を信じて、功徳を受けていただきたいのである。(第二代会長戸田先生「忙しい時の折伏こそ真の供養」、昭和28年=1953年=5月)

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  • from: 21世紀さん

    2009年02月23日 18時42分13秒

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    財界さっぽろ2月号205頁

    From:たかぼん創価学会の元副会長で、北海道本部の第3代道長を務めた丸谷康照氏72歳。かつて各級選挙に強い影響力を発揮した実力者。その丸谷氏の会社が

    From: たかぼん
    創価学会の元副会長で、北海道本部の第3代道長を務めた丸谷康照氏72歳。かつて各級選挙に強い影響力を発揮した実力者。その丸谷氏の会社が行き詰まり破産状態になっているという。

    創価学会第3代道長の丸谷氏の会社が08年末に行き詰まり破産状態になったのだといわれる。
    学会に詳しいさる経済人は丸谷氏についてこう語った。
    「2代目道長の高間さんは政治にはほとんど関わらなかったが、丸谷氏は副道長だった鈴木信彦さんとの丸谷-鈴木ラインで
    各級選挙に強い影響力を発揮した人です。明るいざっくばらんな人柄で幅広い人脈をもった人でした。
    創価学会の副会長兼道長まで務めあげた実力者の丸谷氏は、道長を後任の浜名氏に譲り、組織の一線を退いた後は、2001年に配管防錆機器販売の「北海道システム企画」や産業廃棄物設備の企画・開発の「コスモジャパン」を設立。
    廃棄物処理プラント・焼却炉・産業廃棄物防護シートなどの企画営業をはじめ、イベント企画・広告業・不動産売買、健康機器販売等々、丸谷氏の顔、人脈を生かしていろんなことを手がけていたという。
    だが、北海道経済は長期低迷を続け、ここにきて不況の度合いも一段と強まってきた。そんな中、丸谷氏は思うような事業展開ができず、ついに破綻したのだという。


    創価学会からの脱会を考える会
    http://www.c-player.com/ac56076?rf=notice&pf=pc

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