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創価学会SGIを本音で語ろう

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    2011年08月28日 20時06分02秒

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    信濃町探偵団―創価学会最新動向

    2011年7月投稿日:2011年8月11日作成者:okkotu・6月3日付「聖教新聞」「ポーランド・国家遺産省からSGI会長に文化功労勲章金賞」・6月

    2011年7月
    投稿日: 2011年8月11日 作成者: okkotu
    ・6月3日付「聖教新聞」「ポーランド・国家遺産省からSGI会長に文化功労勲章金賞」

    ・6月10日付「聖教新聞」「南米ボリビア サンタクルス州女性市議会議員連盟 SGI会長夫妻に顕彰証書」

    ・6月14日付「聖教新聞」「ブラジル ポンタグロッサ市 池田香峯子夫人に名誉市民証」

    ・6月23日付「聖教新聞」「池田SGI会長の新対談がスタート 『新たな地球文明の詩を タゴールと世界市民を語る』 インド ラビンドラ・バラティ大学前副総長 バラティ・ムカジー博士と共に」
     「輝くアジアの大詩人タゴール。池田SGI会長の新対談『新たなる地球文明の詩を――タゴールと世界市民を語る』の対談が、月刊誌『灯台』8月号からスタートする。(中略)2004年2月、タゴールの魂を継承する同大学の『名誉文学博士号』を授与するため副総長として来日したムカジー博士は、SGI会長と共に、タゴールの精神闘争の軌跡を語り合った。さらに書簡等を通して進められている連載対談では、一段と幅広く、タゴールの生涯や詩作、女性観などを論じ合っていく」

     ※本誌今号の特集記事「かくも長き不在――本部幹部会欠席満1年」で詳述しているように、池田大作名誉会長が本部幹部会を欠席し始めてから満1年が経過した。健康状態の悪化が取りざたされる池田氏だが、なんと8月から月刊誌「灯台」で、新たな対談の連載を始めるという。しかし「聖教新聞」記事にあるように新たな対談の連載といっても、対談相手と話し合ったのは2004年のこと、あとは書簡の往復だという。公の席に姿を見せない池田氏と、池田夫人に対する顕彰等も相変わらず。結局、創価学会には“池田大作”しか売り物がないことがよく分かる。

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  • from: 21世紀さん

    2011年08月17日 22時38分14秒

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    かくも長き不在―本部幹部会欠席満1年

    投稿日:2011年8月11日作成者:okkotuメルトダウンする池田独裁体制乙骨正生ジャーナリスト虚構の神話で情報操作創価学会の池田大作名誉会長が、本

    投稿日: 2011年8月11日 作成者: okkotu
    メルトダウンする池田独裁体制
    乙骨正生 ジャーナリスト

     虚構の神話で情報操作

     創価学会の池田大作名誉会長が、本部幹部会に出席しなくなってから、今年の6月で1年が経過した。昨年6月3日開催の本部幹部会から始まった池田氏の欠席。その際に池田氏が欠席理由を述べたメッセージは次のような内容だった。
     「法華経の会座において、幾度もくり返される弟子の誓願があります。それは、〓私たち弟子は、師匠の仰せの通りに広宣流布を成し遂げます。どうか、ご安心ください。心配なさらないでください〓という誓願であります。弟子たちが、本気になり、一丸となって、不惜身命の祈りと行動を起こしてこそ、真実の勝利がある。これが法華経の後継の真髄なのであります。
     ゆえに、私は、きょうは、あえて出席いたしません。厳然と一切を見守っておりますから、原田会長を中心に、皆で明るく元気いっぱいに行いなさい」(平成22年6月4日付「聖教新聞」)
     創価学会が教義上の拠り所とする法華経には、「釈尊」に対して弟子の「菩薩ら」が、「釈尊滅後の弘通」を誓う場面が説かれている。池田氏は、そうした「菩薩」の「誓願」の意味を我田引水的に解釈し、自らの本部幹部会欠席に、さも宗教的な意味合いがあるかのように主張している。しかもこれに続く文脈において池田氏は、晩年の戸田城聖創価学会二代会長の本部幹部会欠席と自らの本部幹部会欠席を重ね合わせ、本部幹部会を欠席するのは、創価学会の後事を託すための儀式ででもあるかのように強調している。
     「戸田先生は、75万世帯の願業が一歩一歩、達成に近づいていくなかで、私たちに、一つ一つ、戦いの指揮を託していかれました。先生は『みんなも立派に育ってきたからな。君たちに任せるよ。自分たちで責任をもって考え、進めていきなさい』と言われ、時には本部幹部会等にも出られなかったのであります。
     それは、未来のために考え抜かれた獅子王の訓練であることが、私にはよくわかりました。先生は、仏法において、何よりも大切な『時』というものを鋭く見極められて、弟子たちが永続的に前進し、勝利し、発展していける流れを創ってくださったのです。
     特に、私に対しては厳しかった。『大作、私が打てる手は全部、打っておいたぞ。あとは、おまえが思う存分、戦いまくれ!勝ちまくれ!』と厳命されたのであります。
     今、私も、戸田先生とまったく同じ心です。君たちに万事を託していく総仕上げの『時』を迎えているからであります」(同)
     この池田メッセージによれば、戸田は晩年、後継の弟子らに後事を託すために、意図的に本部幹部会を欠席した。それは弟子らの成長を受けての措置だったが、同時に戸田は池田氏に後事をすべて託していたということになる。その上で池田氏は、自分も戸田と同じ心持ちであり、創価学会の将来を託すために、「あえて」本部幹部会を欠席すると、もったいをつけた物言いで本部幹部会の欠席を正当化している。
     しかし本誌の176号(平成22年9月号)の特集記事「『闘病記』を発表した戸田城聖と情報不開示の池田大作の落差」で詳述したように、戸田が本部幹部会を欠席したのは、重篤な肝硬変を患っての闘病のためであり、後継の弟子らに後事を託すためではなかった。まして戸田が「君たちにまかせるよ」と指揮権を委託ないしは譲渡したり、池田氏に創価学会の後事を託したという事実はない。
     というのも戸田は、昭和33年2月11日に行った自らの全快祝いの祝宴において、向後7年間にわたって会長を続ける意志を表明しているからである。その発言内容は、池田氏がメッセージ中で紹介した「みんなも立派に育ってきたからな。君たちに任せるよ。自分たちで責任をもって考え、進めていきなさい」との戸田発言とはまったく逆。会長である自らが病気で不在となった昨今は成果があがっていないと、暗に弟子らによる運営を批判し、創価学会の振興は自分にかかっているとして、再び先頭に立って陣頭指揮をとる強い決意を次のように明かしている。
     「会長就任以来七年になるが、私は七年目ごとに難に逢っている。今度の病魔も打ち破ったのだから、もう七年また会長としてがんばるから一つよろしく頼む。末端指導、末端指導と今までずい分力をそそいできたけれどもこのごろは余りその成績が上がっていない。それはもっと根本がしっかりしなければならないということである。『源深ければ流れ遠し』の通りで、要するに学会の振興は会長自身がしっかりしなければならん。私自身が私を教育し磨いて行く。支部なら支部長がしっかりすることだ。そうなって行けば自然に地区部長も班長もしっかりしてくる。自己が大切だということを自覚して、明日から以前と同じように本部へ行って指揮をとる。皆も従前通りよろしくたのむ」
     戸田は、この発言からわずか1カ月半後の昭和33年4月2日に死去する。要するに戸田は、死の直前まで自分が陣頭指揮を取る意志を示していたのである。
     すでに戸田の死から半世紀の月日が流れており、戸田死亡時の事実関係を知る学会員がほとんどいないことから、池田氏ならびに創価学会は、自らが陣頭指揮をとるとの戸田の意志とは全く異なる虚構の「弟子への委託」神話を構築し、それを吹聴することで、池田の本部幹部会欠席の正当化=池田の健康状態の悪化を糊塗するとともに、ポスト池田大作体制構築のための一環として情報操作を繰り広げているのである。
     周知のように日本の原子力発電は、虚構の「安全神話」に基づいて建設され、稼働してきた。そして虚構の「安全神話」を守るために東京電力などの電気事業者をはじめとする政・官・業・学癒着のいわゆる「原子力村」は、事故の隠蔽やデータの改竄などの情報操作・情報統制をくり返してきた。だが、甚大な放射能被害をもたらした福島第一原発の事故は、「安全神話」の虚構性を白日の下に晒した。この事実が示すように、もはや虚構の「神話」を構築し、その「神話」を情報操作・情報統制で維持し、組織や法人の利益や利権を守ることなど無理な時代になってきているのである。
     だが「原子力村」ならぬ「信濃町(創価学会)」は、相変わらず虚構の「神話」作りに腐心し、その「神話」を学会員に刷り込むことで体制の維持を図ろうとしている。そのためのツールとして活用されているのが、過去の池田氏のスピーチ映像である。冒頭で紹介したように池田氏は、昨年6月以来、月例の本部幹部会を欠席しているが、本部幹部会では毎回、池田氏のメッセージが代読されるとともに、元気だった頃の過去の池田スピーチが放映される。

     過去のスピーチ放映はXデーの準備

     池田側近の長谷川副理事長による池田スピーチの代読は、池田氏の健在を誇示する役割を果たしている。過去の池田スピーチの放映も、全国の会館で本部幹部会の録画映像を見ている学会員には、あたかも本部幹部会に池田氏が出席しているとの錯覚をある程度はもたらすだろう。しかし、その効果は限定的であり、むしろ過去の映像の繰り返しは、「お元気」(平成22年9月・本部幹部会での原田発言)であるはずの池田氏の「かくも長き不在」を、視聴する学会員に否応なく意識させるものとなっている。その意味で過去の池田映像の放映は、「かくも長き不在」を続けている池田氏が、「永遠に不在」となる日に向けての予行演習、馴化のプロセスとして放映されているといえようか。
     実際、本部幹部会では池田スピーチを流す前に、原田会長が必ず池田スピーチを放映する意味に言及するのだが、その発言内容は「私どもは永遠に池田先生のご指導通り、正義の前進を貫いてまいりたい」(今年4月度本部幹部会)などと、池田氏の「永遠の不在」を意識したものとなっている。以下に今年6月・4月・2月と、直近の3回の本部幹部会における池田スピーチに関する原田発言を紹介しよう。
     まずは婦人部結成60周年記念全国婦人部幹部会を兼ねた6月の新時代第49回本部幹部会、ここでは2007年1月の本部幹部会・全国婦人部幹部会における池田氏のスピーチを放映した。スピーチに先立って原田会長は、次のように言及した。
     「このあと2007年1月におこなわれた本部幹部会、全国婦人部幹部会での池田先生のご指導を拝聴したいと思います。池田先生の青年部へのご期待、婦人部へのご慈愛を命に刻んで前進の糧にしてまいりましょう」
     同様に、池田氏の会長就任記念日である5月3日を慶祝する5・3記念と銘打たれた今年4月の新時代第48回本部幹部会の原田発言。ここでは池田氏の会長就任記念日を祝福する意味あいもあってか、前出のように池田氏の「永遠性」が強調された。
     「このあとここ関西池田記念会館で2007年に行われた本部幹部会、関西総会での先生のご指導を拝聴したいと思います。私どもは永遠に池田先生のご指導通り、正義の前進を貫いてまいりたい。東北の皆さまも、全世界の同志が祈っております。先生がメッセージでおくってくださった、『断じて負けるな、勇気を持て、希望をもて』、この言葉通りに断じて負けないでください。東北の皆さん断じて勝利しましょう」
     芸術部総会と結成60周年記念第2回青年部幹部会を兼ねて開かれた今年2月の新時代第47回本部幹部会で原田会長は、戸田が死の直前に広宣流布のバトンを弟子なかんずく池田氏に託したと創価学会が主張する、昭和33年3月16日実施の「広宣流布の模擬試験(日蓮正宗総本山・大石寺の大講堂落慶法要)」の意義を語る池田スピーチを学習する姿勢を強調した。
     「さあいよいよ3・16から4・2、そして5・3へ、これが創価の師弟を貫く勝利のリズムであります。このあと池田先生が3・16の意義などについて語ってくださった2009年3月の本部幹部会でのご指導を拝聴し、決意を新たにしてまいりたいと思います。全同志が師弟の精神で、断じて勝利し、栄光の5・3、晴れ晴れと集いあってまいろうではありませんか」
     昨年6月から池田氏は本部幹部会を欠席しているが、それ以前はほとんどすべての本部幹部会に出席して、スピーチや指導を行っている。また各種の会合で池田氏は指導・スピーチを繰り返している。したがって創価学会には、池田氏の指導やスピーチの映像はそれこそ枚挙に遑のないほどにストックされているはずである。
     そうした池田氏の指導・スピーチの内容は、宗教指導に名を借りた十年一日の内容(主として自己宣揚と自慢話だが)であり、2005年のものでも2007年のものでも、はたまた2009年のものであってもたいして変わりはない。
     それゆえ今年2月の本部幹部会において、「3・16」の意義を強調する2009年の池田スピーチ映像を流してもなんら違和感がないのである。
     4月の本部幹部会で、2007年の関西総会を兼ねた本部幹部会での池田スピーチを流したのも、4月の本部幹部会の会場が関西だったからに他ならない。
     同様に6月の本部幹部会で、2007年の婦人部幹部会を兼ねた本部幹部会の池田スピーチが流されたのも、6月の本部幹部会が創立60周年記念全国婦人部幹部会を兼ねており、6月には全国各地の組織で婦人部総会が開催されることから、婦人部幹部会を兼ねた本部幹部会での池田スピーチが流されたのである。
     要するにこの先も、九州で本部幹部会があれば、かつての九州総会や九州総会を兼ねた本部幹部会での池田スピーチを、11月の本部幹部会であれば、11・18の創価学会創立記念日を祝福した本部幹部会での池田スピーチを流せばいいのである。そうした池田氏の映像を繰り返し放映し、「私どもは永遠に池田先生のご指導通り、正義の前進を貫いてまいりたい」(4月後本部幹部会・原田発言)と強調しておけば、当面、困ることはない。
     かくして全国の学会員の心底に、「永遠の不在」への免疫が醸成され、飼いならされた学会員は従順に世襲体制を受け入れると、創価学会の執行部は目論んでいるのだろう。
     だが原発の「安全神話」が福島第一原発の事故で脆くも崩壊したように、創価学会の「炉心」である池田氏が「メルトダウン」を迎えた時、創価学会が世襲体制へと安定的に移行できるかどうかは未知数である。〓無謬・常勝・正義〓などの「池田神話」が国政選挙の敗北、司法による断罪、日蓮正宗からの破門などで次々と崩壊する中、「神話」に基づいた世襲体制など、砂上の楼閣に過ぎないからである。
     「かくも長き不在」が「永遠の不在」に移行した瞬間から始まる池田独裁体制のメルトダウンは、日本の政界・社会にいかなる影響を及ぼすか。警戒を怠ることは危険である。

    乙骨正生(おっこつ・まさお)フリージャーナリスト。1955年生まれ。創価中学・創価大学法学部卒。宗教・政治・社会分野などを取材、週刊誌・月刊誌を中心に執筆。著書に『怪死』(教育資料出版会)『公明党=創価学会の野望』『公明党=創価学会の真実』『司法に断罪された創価学会』(かもがわ出版)など。

    FORUM212011年7月 特集

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  • from: 21世紀さん

    2011年08月13日 22時43分12秒

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    日顕上人から創価学会員への説諭

    [創価学会員の皆さんへ]【─宗門はなぜ「破門」を通告したか─】平成二年は、日蓮正宗総本山大石寺のご開山二祖日興上人が、身延山を離山され、新たに駿州富士

    [創価学会員の皆さんへ]



    【─宗門はなぜ「破門」を通告したか─】

    平成二年は、日蓮正宗総本山大石寺のご開山二祖日興上人が、身延山を離山され、新たに駿州富士郡上条大石ケ原に大石寺を開創してからちょうど七百周年にあたります。その年から具体的にはじまった、宗門と創価学会との問題は、いまや謗法集団となった創価学会にたいし、宗門の正統性と、日蓮大聖人の教えをまもるための容易ならざるものでありました。宗門は、いわば危急存亡のときを迎えたのであります。そして、ついに昨年十一月七日、本宗は断腸の思いで、創価学会にたいして「解散勧告」をし、同月二十八日には、「破門通告」を発することとなりました。

    創価学会と訣別するにあたって、私はあの宗祖日蓮大聖人のお姿を思い起こしていました。

    文永八年(一二七一年)、鎌倉幕府の手で捕らえられた日蓮大聖人は、鎌倉の大路を馬に乗せられて引き回され、由比ケ浜の竜の口刑場まで連れ出されたのでした。いざ首をはねられんとした時、突如天変地異がおこり、大聖人は虎口を脱したと自ら述べられています。生涯を仏法の布教に捧げた大聖人の法難はまだ多くあります。大聖人がいかなるときでもみずから困難を切り開きあそばされたことを思えば、どうして当代の私が逡巡することができましょう。

    また、日興上人のお姿も私が深く拝する処です。日興上人が、身延山を離山される契機となったのは、当時の身延山大檀越たる波木井実長が、大聖人の教えに背いた行為(すなわち謗法)をおこなったことを、日興上人が厳しく制誠し、聞き入れられなかったからです。厳格に日蓮大聖人の教えを守ろうとされた日興上人が身延を離山し大石寺を開かれたのは、正応三年(一二九〇年)のことでした。

    私はここに宿縁を感ぜずにはいられません。折しも七百年後の今日、再び日蓮正宗が、宗門の根本を揺るがす困難と向き合うこととなろうとは。

    昨年十一月七日、宗門は、創価学会にたいして「解散勧告」をし、さらに十一月二十八日「破門通告」をいたしました。このことは広く報道されることとなりましたが、一般社会の方にとっては、なぜこのような事態にいたったのか、真相がよくわからなかったのではないかと思われます。

    この間、私の耳にも、学会員の方々が、宗門の信仰と創価学会という組織との問に立って、非常に悩み苦しんでいるという声が多くつたわってきました。その懊悩の声を、私は苦渋の思いで聞いていました。しかし、こうして私自身が、信徒の皆さん、創価学会の皆さん、さらに広く社会一般の方々に、思うところをお話しする機会に恵まれたことを、喜んでいます。

    「解散勧告」及び「破門通告」にいたる直接の端緒となったのは、一昨年十一月十六日の、池田名誉会長の発言でした。その内容に非常に不穏当なものがあったからです。ケジメをつける意味から、創価学会にたいして真意を質しておくべきであるという考えから「お尋ね書」を送達したわけです。それに対して学会からは真面目な返事はなく、まったく別個の、宗門と私にたいする大変ひどい誹謗・中傷をしてきました。これが「九項目のお伺い書」と呼ばれるものでした。
     
    そういう経緯があっても、なんとか善導したいという気持ちは、捨てたわけではありませんでした。そのときのみならず、私が法主となってから十有余年、創価学会と相対してきましたが、その間、なんとか本来の信徒のあり方にもどってもらいたいという気持ちをもちながら、池田名誉会長以下の人たちと対応してきたつもりでした。しかし、残念ながら、ついに十分な教導ができなかったので



      【今回の処置の意義】

    その原因のひとつには、創価学会の池田名誉会長たちの心の中に、やがて自分たちが主導権を握って宗門を支配しようという考えがあったのではないかと思われます。そういうところから、私たちの誠意をもった善導を聞かず、むしろ逆に彼らの立場からは批判なり、嫌悪なりということが、ずっと蓄積されていたのでしょう。それが一昨年、不意に無法な言いがかりという形で吹き出たと思うのです。

    先ほど述べた通り、この発端が、ちょうど開創七百年というときに現れたところに、私は大変不思議を感じておるわけです。なぜかといいますと、七百年の昔に、日興上人が、大聖人の仏法を誤ってはならぬということで、正しく対処する意味で決然と身延を離山し、大石寺が開かれました。それからちょうど七百年目に学会の問題がおこったわけです。じつは、その年の最後に、宗門もきちんとした立場で処置をしておこう、ということで考えたことがありました。

    しかしそのときは、決定的な処分とかいうことではなく、法華講本部の規約改正ということを行い、総講頭などの本部役員の資格を一時的に喪失するということで、その後の反省を期待することとなりました。しかし、まったく期待はずれで、いよいよ宗門にたいして、反抗に反抗を重ねるような様子が出てきたわけでございます。

    その結果、昨年一年教導・制誠を重ねたすえに、やむをえず創価学会にたいする破門というところにまで至ったわけです。

    将来のために、正しい大聖人の仏法を、どこまでも守ろうということで、今回の処置があったということです。日興上人の大石寺開創の意義に通ずるものがあると、確信しています。

    創価学会が、法人をつくり、僧侶をおしやって、自分たちが主導権をもっておるかのような有り様でしたので、僧侶がなにか気持ちのうえで萎縮しているような面がありました。本来の僧侶の自覚と申しますか、民衆の先頭にたって導いていく姿勢が出てこない。

    しかし、今回こういうことになったために、かえって僧侶の自覚が回復したのではないでしょうか。その点からは、私にはむしろやるべきことをやったという意味での、安堵感があるということも言えると思います。

    学会員の中にもいろいろな立場の方がいるようです。「よくやってくれた」という人、宗門を完全に敵視している人、その中間にあって悩んでいる方もあると思います。この信仰と組織の板バサミになっている」方々にご同情申しあげますが、しかし私どもは正しいことをした、と申し上げたい。学会の秋谷会長や森田理事長などが、今回のことは宗門、法主の嫉妬にあるなどと全く見当違いの言をしばしば弄していますが、これなどまさに自分の境涯で推しはかるから「嫉妬」などという考えが浮かぶのです。一心欲見仏不自惜身命の僧侶の確信など到底知りえない人たちだと思います。

    創価学会側の報道は、宗門の悪口だけが先行しています。そういうものだけ読まされている多くの学会員が、非常にゆがんだとらえ方をしているということもあるでしょう。そういう意味で、中間にいて、本質も知らされずに悩んでいる人たちは、お気の毒です。なんとかこの人々にたいして、正しい考え方に基づいて、正しい選択をしていただきたいと念じています。

    ちょっと世間的に見るとおかしく感じられるかもしれませんが、私どもは、あくまで宗教団体としての見解をもって、一切を対応していこうと思っております。

    日蓮正宗では、入信の時、寺院において僧侶からご本尊を受け、そしてその教えを頂く意味での「ご授戒」という儀式があります。それを受けた人たちは、基本的には日蓮正宗の信徒です。これは変わりません。創価学会員の折伏によって入信した人でも、日蓮正宗の信徒としてご本尊を受けたわけですから、個々の人は、創価学会員である前に日蓮正宗の信徒であるということであります。

    ただし、創価学会を破門にしたということは、やはり必然的に学会員の立場の人たちを併せて破門にしたという意味がありますので、学会員という身分とか立場の主張は認めません。そういう対応をきちんとしていくことで、割り切ったつもりでおります。

    ここで、おさらいのために、日蓮正宗と、創価学会のそもそもの関係をお話ししておきましょう。



     【日蓮正宗と創価学会】

    日蓮正宗は、日蓮大聖人が弘安二年(一二七九年)に顕された本門戒壇の大御本尊(総本山大石寺にご安置)を信仰の主体にしています。そして、大聖人の仏法を唯授一人の付嘱によって正統に承継せられたご開山二祖日興上人以来、代々の法主上人が血脈相承をもって、宗祖の仏法をうけついでまいりました。

    これにたいして創価学会は、はじめ創価教育学会として昭和五年に発足し、その後、日蓮正宗信徒の団体となり、昭和二十年創価学会として再建したものでした。法主の指南のもとに日蓮正宗を外護し、また正宗の教えを「広宣流布」するのが設立の目的でした。

    したがって創価学会員は、学会員である前に、まず日蓮正宗の信徒なのです。また創価学会は、宗旨の根本に絶対的に帰依し、法主の教導に従って、日蓮正宗信徒団体としての本分を守らなければならないということは、いうまでもありません。

    創価学会の戸田城聖二代会長は、昭和二十六年、宗門外護と折伏活動の便宜の上からという理由で、宗教法人を設立しようとしましたが、その際、宗門より提示した三つの原則を守ることを確約しました。それは、


    一、折伏した人は信徒として各寺院に所属させること

    二 当山の教義を守ること

    三 三宝(仏法僧)を守ること


    の三点でした。

    すなわち、宗門外護と三原則の遵守こそは、宗教法人創価学会が、自らの会則規則においても定めるとおり、本宗信徒の団体として存立する上で欠くことのできない大前提であったのです。

    本宗三宝とは、仏宝、法宝、僧宝の三つです。本宗の仏宝は宗祖日蓮大聖人、法宝は本門戒壇の大御本尊、僧宝は日興上人を随一として唯授一人血脈付法の歴代上人(法主)すべてにわたります。したがって、教えの上からいけば、日蓮正宗信徒及び創価学会会員は、ともに三宝に帰依しているはずです。ゆえに、日蓮正宗を信仰している創価学会員ならば、当然、僧侶を敬い尊ぶものでなければならないのです。

    日蓮正宗の寺院では、これまでは、僧侶のお経などによって、葬式・法要などを行なうことになっていました。それが、一昨年十二月に、法華講本部の規約を改め、それにともなって、前の規約により就任した総講頭、大講頭の職にあった者は一時的に資格を喪失するということになりました。

    するとたちまち、常識では考えられないような宗門にたいする罵言雑言や非難がおこりました。挙げ句の果てに昨年の中頃くらいから「葬式も何も、僧侶に頼む必要はない」と言い出したわけです。これは、自分たちが勝手にいままでのあり方を全部破壊しようというものです。日蓮正宗の本来の信仰のあり方に対する逸脱であるし、背反の行動でもあることは、はっきりしています。

    しかし、宗門側としては、今までも学会員の場合は葬式を引き受けないとか、法要を拒否するとかいうことは一切ないのです。願って来ればかならず僧侶としての立場から、正しく対応しております。

    なにしろ学会は、上層部で非常に強い指導をしているらしく、心の中では「私は僧侶にお願いしたい」と思っている人まで、無理強いのような形で、ぜんぶ僧侶を呼ばない学会葬を強制されているようで、そういう点ではお気の毒だと思います。

    今となっては遠い昔話のようにも感ぜられますが、私は戦前に、創価学会の初代会長である牧口常三郎先生と、何度かお会いしたことがあります。その頃私はまだ十七、八歳だったでしょう。青年僧侶とも言えない年齢でしたが、お通夜の帰り、二人で電車の吊革にぶら下がって、いろいろなお話をしたものでした。

    牧口さんという方は、非常に仏教の信仰が篤く、学究肌の印象の強い教育者でした。「利・善・美」という「利」を強調した独特の価値観をお持ちで、そういう形で仏法をわかりやすく説明されました。真面目な方で、半面、組織経営はあまり得意でなかったようです。当時の創価学会の会員数は五千人………一万人には満たなかったと思います。戦時中特高警察に逮捕されて亡くなったことは返す返すも惜しいことでした。

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    from: 21世紀さん

    2011年08月16日 22時53分53秒

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    「Re:日顕上人から創価学会員への説諭」【「法主何する者ぞ」】たとえば、池田大作氏は、実質的には公明党という政党の支配者と言われています。法華経自体の

    from: 21世紀さん

    2011年08月14日 12時37分49秒

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    「Re:日顕上人から創価学会員への説諭」【仏法上の誤り】学会の組織を大きくしたのは、二代会長の戸田城聖氏でした。この方はまことに機略縦横な方で、仏法の

  • from: 22世紀さん

    2011年08月15日 21時03分45秒

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    池田大作「権力者」の構造

    池田大作「権力者」の構造投稿者:管理人投稿日:2011年8月15日(月)21時00分57秒返信創価学会による日本支配計画創価学会の政治進出は国立戒壇の

    池田大作「権力者」の構造投稿者:管理人 投稿日:2011年 8月15日(月)21時00分57秒 返信
    創価学会による日本支配計画

     創価学会の政治進出は国立戒壇の建立を大目標としたほか、副次的に、会内の結束、折伏のための下
    工作、会内外に対するデモンストレーション、政治権力を用いた優遇、利権の獲得――などを目的として
    いた。池田は昭和40年から47年、総本山に建つ正本堂が本門戒壇だとして国立戒壇を否定しはじめたが、
    政治権力を握ったうえでの正本堂の国立戒壇への移行を放棄したわけではなかった。池田は信仰上の永
    遠の大目標であるべき広宣流布を現実次元に引き下げ、それへの宗教的なアプローチである折伏のほか、
    政治権力を握ったうえでの正本堂の国立戒壇への移行を放棄したわけではなかった。池田は信仰上の永
    遠の大目標であるべき広宣流布を現実次元に引き下げ、それへの宗教的なアプローチである折伏のほか、
    政治権力を握ったうえでの正本堂の国立戒壇への移行を放棄したわけではなかった。池田は信仰上の永
    遠の大目標であるべき広宣流布を現実次元に引き下げ、それへの宗教的なアプローチである折伏のほか、
    政治権力を獲得しようとする選挙戦を闘うなかで、また公明党がすでに持つ一定の政治権力を利用して、
    広宣流布の実現を目指した。いわば宗教的手法と政治的・社会的手法のミックスであり、両手法の相乗・
    拡大効果によって、広宣流布を達成しようとした。
     広宣流布とは王仏冥合の実現と同義であり、より具体的には、池田内閣、ないし創価学会による日本支
    配を意味した。実現のとき、必然的に日蓮正宗は国教化されようし、その象徴としての国立戒壇なのであっ
    た。
     昭和45年の創価学会=公明党による言論抑圧・出版妨害に対する世論の糾弾、その後の宗門支配を目
    指した52年路線の失敗による宗門問題の激化、55年の教学部長・原島嵩と顧問弁護士・山崎正友の離反
    と批判活動、創価学会脱会者による檀徒と、宗門批判の僧による正信会の批判活動――これらを通して
    池田創価学会の力は相対的に弱まり、それに伴って公明党の勢力を減退したばかりか創価学会との間に
    矛盾をはらむようにさえ変化しているが、池田が政治権力の掌握を放棄していないという事実に変わりはな
    い。たとえ公明党の主な役割が池田創価学会のための政治的防波堤になりさがっているとしても、である。
    「われらが政治に関心をもつゆえんは、三大秘法の南無妙法蓮華経の広宣流布にある。すなわち、国立戒
    壇の建立だけが目的なのである」(戸田『巻頭言集』)
    「大聖人様の至上命令である国立戒壇建立のためには、関所ともいうべきどうしても通らなければならない
    のが、創価学会の選挙なのでございます」(池田「一致団結、火の玉に」、『聖教新聞』昭和34年5月8日)
     国立戒壇建立を政治進出の大目的に据えたことが、公政連――公明党についていわれる、政策の無さ、
    ジグザグ路線など、あらゆる体質を決定した。
     まず、それは初期においては、具体的な政策をたて得ないという政治団体としての致命的な欠陥をもたら
    した。創価学会議員たちは一般的な政治構想を用意せずに選ばれたから、現実社会への対策を持たず、
    国立戒壇に関係しない通常の議案に無関心を押し通した。そればかりか、その多くが会期中一度も発信せ
    ず(できず)、ただ議席を占めてだけいた。
     そのため公政連においては、政治論理を政策に代用することが行われた。
     昭和37年1月7日、公政連は基本要綱、基本政策を発表したが、基本政策は核兵器反対、憲法改悪反
    対、公明選挙政界浄化、参議院の自主性確立という四項で、その真っ先に掲げられた核兵器反対が、前述
    した戸田の非現実的な「原水爆声明」の繰り返し(「戦争に使用する国々の責任者に対しては、人類の生存
    権を否定する悪魔として死刑に処すべきである・・・・・」)だったことはともかくとしても、政策の半分を政治倫
    理で間にあわせていた。
     公政連の政治倫理の重視、無政策ぶりをなにより雄弁に物語ったのは、その選挙管理委員会のスローガン「公明選挙」のお株を奪った命名である。
     公明選挙と政界浄化の主張や、派閥抗争と党利党略への攻撃は、誰もが反対できない政治的徳目ではあるが、議案の賛否を問われる創価学会議員たちになに一つ指針を示すものではない。彼らが昭和35年の安保問題に頬かぶりしたのも、議員としての職責を自覚する以上に、安保に重要性を認められなかったからにほかならない。
     後の公明党においても、この政治倫理の過重視は、たとえば46年暮れの沖縄国会で、審議拒否はできないとして(あるいはできないとの名目で)、自民党の単独採決を助け上げ、社公民連合を裏切るなど、依然として尾をひいている。
     政策の無さをいわれることは公政連の存在自体を問われるに等しく、政策の立案は、絶対であるはずの創価学会の政治的立場を限定するという新たな困難を引き起こすが、それを押し切り、是が非でも達成されねばならなかった。
     創価学会の議員は、「公政連では、議員候補を決めるとき、収入を重視した。議員となって生業の時間を奪われても生活していける人だ」(高瀬広居『公明党』)とあるように、多く一般会員より上層の、中小経営者層の出身だったから、公政連は彼らの利益を反映し、また池田の第三文明論に裏つ゛けられて中間政党の要因を持ち、その政策も修正資本主義的な大衆福祉に容易に逢着した。
     昭和38年10月、大衆福祉は公政連の第三回大会で中心的な政策として登場した。が、創価学会=公政連の大衆福祉は、民社党のそれとは別の、独自の政治路線でなければならなかった。
     そのため池田は地球民族主義、新社会主義、人間性社会主義、仏法民主主義といった曖昧な新造語、折衷語を乱作し、痙攣的なまでにその粉飾をこらした。公明党結成時の綱領はこれをなぞって、①王仏冥合と地球民族主義による世界の恒久平和 ②人間性社会主義による大衆福祉の実現 ③仏法民主主義による大衆政党の建設 ④議会民主政治の確立、の四項をうたっていた。
     だが、それにしても創価学会員は政治的にではなく、宗教的に同会出身の候補者に投票して、候補者の公的の如何を問わなかったから、いきおい公約にとどまる公政連=公明党の政策は試練を経ず、たとえば正確な税源を示せない福祉経済案など、粗雑という欠点をまぬがれなかった。
     その政策の多くは緻密な論理や計算によらず、短絡的な論理によって解決をはかるといった点で共通しており、そのよい例が官庁の新設で社会的矛盾を一挙に解決しようとする提案でもあった。
     昭和37年3月、公政連は19項目からなる政策を発表したが、そのうち四項は文化省、科学省、経済統合本部、教育企画本部の各設置の要求であった。
     この、組織さえ作れば、との発想は公明党になってからも見られる、創価学会=公明党の顕著な特質で、このほかにも交通安全省、住宅省、軍縮省などの要求があり、また、東京で米・ソ・中・南北ベトナム・南ベトナム解放民族戦線などを集めた和平会議を開催するという、池田のベトナム戦争解決策なども場当たり的という面で一脈通ずるものがあった。
     これらはまた、蟹は甲羅に似せて穴を掘る、のたとえどおりの創価学会=公明党の機構信仰の反映でもあった。

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