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「哲学〜真理〜探求について」

「哲学〜真理〜探求について」>掲示板

公開 メンバー数:13人

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  • from: 沙羅さん

    2009/03/28 19:41:36

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    皆の  覚書  メモ帳  気になるサイト保管場所 多目的コーナー


     うぅぅんn、、こういうサイトもあるんですね

     面白いですねえ。

     http://www.asahi-net.or.jp/~RG1H-SMED

    /渡来人研究会



    弘法大師と秦氏

    大師が どこで何をしていたかの消息が不明の期間があります。

    (1) 仏教を修行すると宣言してから 遣唐使の一人として登場するまで7年間 
    (2) 唐の長安に入り青竜寺の恵果を訪ねるまでの2ヶ月間
    (3) 帰国し太宰府に着いてから京に入るまでの期間(3年?) 

    (1)については
    司馬遼太郎氏は 「空海の風景」の中で 大安寺の僧、勤操の非公式な弟子として過ごしていたのではないか?と しています。 
    当時の大安寺は朝廷直轄の官立大寺であり、現在の 文部省と東京大学を合わせたようなものです。 僧は国家のエリート公務員でした。 勤操はその有力者ですから もし非公式な弟子であったとしても、それを告白する事は勤操に迷惑がかかる為に出来なかったと思われます。 

     また大師が若い時代に虚空蔵菩薩求聞持法を修したことは知られていますが、この法を日本に伝えたのは大安寺の道慈律師でした。 入唐留学の長安で善無畏三蔵から直接に教えを受けたと云われます。 この虚空蔵菩薩求聞持法を空海に授けた人物は、勤操だろうと言われてきました。(異説もあり)
    この求聞持法は寺の秘法として弟子に伝授されるものですから、大師は勤操から教えを受けたと話すことは出来なかったのでしょう。 

    弘法大師は『御遺告』において、道慈を「わが祖師」と称し、勤操を「わが大師」と呼んでいます。
    大師と勤操及び大安寺との深いつながりを推測させる事実です。

    大安寺のHP

    大安寺の歴史(弘法大師と大安寺)   道滋律師 (勤操大徳についてもここから)

    大安寺の歴史は聖徳太子の創建した熊凝道場に始まります。太子の遺言で天皇家により造営された百済大寺が、高市大寺、大官大寺と名と所を変え、平城京に移って大安寺となりました。
    829年には弘法大師はこの大安寺の別当に補任されています。

    管理人は この大安寺は秦氏と深い関係が有ったのではないかと想像しています。
    多くの入唐留学僧が大安寺から派遣され、また帰国後寺に戻っています。
    日本に招かれた多くの外国僧も大安寺に入りました。 現代風に言うと国際仏教研究所のようなものでしょう。

    海外交易を行う(と 管理人が想像している)秦氏が関わりをもっているのは当然と思われます。
    もしかしたら遣唐使の予算の一部を負担していたと考えることは出来ないでしょうか?

    http://www.geocities.co.jp/kmaz2215/motto/keikyo/keikyo/keikyou-hata.htm


    以上のサイトの管理人さんは、良心的に書かれているとおもうのです。
    まず、あくまでも、自分の空想に過ぎません
    という事を断ってらっしゃるところが、わたしは言説行為自体の存在性のバランス力を自己内で保っている、、、という感じがするんです。
    つまり
    他サイトに多く感じるところ、
    自分の信じている領域内に引き込みたがる、我田引水的な
    述論の結果に導こうとする方向<矢印>に書き込みの姿勢がどうしても出てしまうんですよね。

    信仰を持つという事はそういう事なので、信仰自体を、批判したりしているのではもちろんありませんし、むしろ信仰は、人間には必要でしょう、、という立場をとる位置にいるつもりです。
    しかし、信仰が人間に必要でしょう、、という思考が
    実際自分自身に、だから、自分も信仰が必要であるという、、やみくもに考えもなく、ある内包する一部の思考に自分自身同化してしまうという事はないはずなんです。

    客体と主体のなせる技と言っては、変ですが、、、、

    例えば
    夢を見てる時も、

    自分が誰かと食事をしているという夢を見ている、又もう一人の自分がいるので、もう一人の自分は、
    「あーー夢見ているのだから、目を覚まさなきゃいけないわねえー」と思うので、自分で目を覚まして、現実にかえる、、という事を自由に睡眠中でもコントロールするというところにあるのと同じ感じなんですね。

    なんというのでしょうか?
    夢を見っぱなし、、、という状態はないというか、、
    夢見た、、という言葉が、自然に目が覚めて起きてから、見た夢の記憶を探って述べるのと、、夢を見ている途中のもう一人の自分の自覚によって、自分で起きるのとは、
    どこかで、能動的に作用させる器官があるように思えるのです。

    そのような、夢の中の食事をしている自分と、サイトの記事を書く管理人の心に這わせてみて、

    それを、もう一人の自分<つまり、自分自身で目を覚ます自分の心が、その記述本人に重ね合わせた記載行為をしている自分自身を、見て、バランスが取れた書き込みをしているか?というある差異感情を見つけるのだと思うのですね。

    まず、自分自身の物差しがなるたけ偏重しない、無限大の物差しがないと
    何故?
    という疑問が生じる目差しがないので、
    どうしても、
    物差しが小さいと、物差しの』メモリを超えるつまり自分自身の物差し以外の図れない物はや概念は、
    違う物でも違う人でもなく、
    異なる物や、異なる人、、として判断しやすくなるようなんですね。
    ここが、違う<異なる>者への、許容とか受容、キャパシティー、、に繋がるのだと思うのです。

    自分自身が他者から見ると、どのように他者の目には写ってみえるのかな?、、、という疑問は、他者を介さないと決して自分自身は観えないはずなんですが、、今度は、他者の存在は結局自分自身の中に存在させないと、他者の感じてる事や、他者の思っている事が伝わってこない、、、という世界になっているようなんです。

    実に複雑な世界であるような感じです。

    ちょっと、スレットから大幅にズレましたねぇ、、

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コメント: 全28件

from: 沙羅さん

2011/08/02 18:26:51

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「Re:Re:皆の  覚書  メモ帳  気になるサイト保管場所 多目的コーナー」
MSG559の続き

 京都にある、東寺 の朱印を見て、思いますが、、

 東寺を尋ねたのは、去年の10月25日の2週間前は、さくらちゃんに、
 連れられて室戸岬を訪ねている。
 
 空海の虚空蔵菩薩の真言を百万遍念誦る
 
 室戸岬にある、洞窟<去年から、フランスのラスコー洞窟、ルルドの洞窟、などなど、洞窟めぐりが 気に入っている>

室戸岬の洞窟は、御厨人窟(みくろど)と神明の窟 と二つ左右に並んでいる。

名前がですねぇぇ、、 御厨人 という名前が珍しいと、行く前にサイトで調べていて思っていた。

さくらちゃんが、たまたま私が一人で行くつもりだった、室戸岬に行く日10月10日、その日は、珍しく休みなので、同行しますと述べてきたのだ。

彼女は新聞記者で、週末休みの会社員と違い、不規則だ。

彼女が自分の車で、室戸岬の洞窟の後、四国24礼場 最御崎寺

に連れて行ってくれた、

何故か?

わたしの頭の中には、

洞窟まで訪ね、高知に戻ろうとする意識しかなく、このお寺の存在まで意識が行かなかった。

時間も、あったので、24礼場を訪ねた。

と云っても、御厨人洞窟から、歩いても行ける距離なのだけど、標高を昇るので、杖をついて、昇ってくるお遍路さん団体さんは、ハーハー言って 昇ってくる。
このお遍路さん24礼場のお寺が通称、東寺 と呼ばれているのだ。

ただし、音素は違うらしい。 京都は とうじ<東寺>で、室戸岬の
東寺は、ひがしてら と言う名前の音素らしいけど、

漢字で書かれた書物で、振り仮名がされていないものが、多く

このお寺も 東寺 と呼ばれているのね、、と、思ってしまう。

何を 述べたいの?
と聞かれるかもしれないけど、

わたしは、去年、訪ねた お寺は 東寺と呼ばれる名前のお寺二つ尋ね、どちらも 空海さん繋がりだった、、、という

予定はしていないけど、結果、そうなっている、、、という流れになっている、、、という事を、時間を追って書いているのですよね。

しかも驚くのは、10月25日の午前中、京都の 東寺訪問中に、
四国から来られた、お遍路さんツアーが、あの白い姿と頭には笠をかぶり、
40人ほど一緒に、鉢合わせになった。

しかも 講堂 の中に居る時だった。

あの曼荼羅構図に設置されている 講堂は奥行きがなく、

40人も団体さんが入ると 一杯なのです。

しかも、一斉に、般若心経を唱えますから、、すごく、反響する。

いったい、何故?

 この人達と一緒に なったのかしら?

と考えて、わたしも、一緒に立って、手を合わせていた。

 このような事を、最初に会った 超能力者 W さんに話すと

 「空海さん、愉しんでいるようなんですよね?こういう風な、経験すると、こういう風に想像するだろうって、愉しんでいるようですよ」と笑っていうので、冗談なんでしょう?と思って聞いている。

 しかし〜、、人生は不思議の連続なのです。

 

================================


室戸岬周辺は、かつて無名の青年だった弘法大師が荒磯修行に来た場所で、岬の洞窟にこもり虚空蔵求聞持法(こくうぞうぐもんじほう)を修行したといいます。その時空に輝く明星が大師の口に飛び込み、大師はここが仏法の最適地であると感得、虚空蔵菩薩(こくうぞうぼさつ)の蔵を刻んだといいます。つまりこの岬は大師が最初に悟りを開いた場所と伝わります。

その岬の頂上にある最御崎寺は、「東寺」の愛称で知られ、寺域は45万9845平方メートルを誇る。大同2年(807)、唐から帰朝した弘法大師は、再びこの地を訪れ、嵯峨天皇の勅願を受けて伽藍を建立しました。寺は歴代天皇からの信仰も厚く、足利尊氏はここを土佐の安国寺として利生塔(りじょうとう)を置きました。近世初期には落雷火災に遭い堂宇を焼失したが、元和年間(1615〜1624)には土佐藩主・山内忠義の援助で、僧・最勝が再興。堂宇を建立し、七堂伽藍が整備されました。明治初年の神仏分離令により堂宇は荒廃するが、大正時代に再興されます。境内には明星石やくずら芋など、大師にまつわる旧跡も点在。
http://www.junpai-center.net/guide/kohchi/g24/index.html




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from: 沙羅さん

2011/08/02 00:09:49

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「Re:Re:Re:皆の  覚書  メモ帳  気になるサイト保管場所 多目的コーナー」
そうそう、追記ですが、

 平成6年6月6日と記したのは、佐藤愛子という作家の書なのですから、創り話しでしょう?

 という地点に立ち、造り話と思う意識、、、
 
 実際、そのように言う人を知っているけど、、、

 その日に、交霊が行われたのか?

 という 
 検察の事情聴衆から、証拠、物件、信憑性といった
 同じ次元で見ているのではなく、

 何故?

 その数字が現れたのですか?

 という原因さがしですよね?

 証拠物件探しばかりすると、性格 悪くなるようですよ。

 心を、自ら、汚すようなメディアの情報に 泥まみれになるような事はするのよしましょうよ。

 そのような人間の欲望が 人間らしい、、といって笑ってるほど、呑気な世界観を造っている事はもう限界時である事ぐらいもう感じているのではないですか?

 人間は、もっと美しい事を感じル事ができ、高次の世界へと心を進化し、浄化させる魂をもっていると思うのですね。

 宿命と運命は違うのですよね。
 これも 書きましたけど、、

 同じ結果に例え観えても、その過程の心や意識が違うと思うのです。

ですから、結果ばかりに 執着し、結果が善であれば、自分も同結果を得るように、同一結果=目的にする。
またはその結果を避ける為に、同じ類似行動は避ける。

または、個々人に責任を擦り付けるような 行為に一生懸命になっても、世の中の質は変わらないのではないでしょうか?

感情吐露を、しないと精神の均衡がとれない、、というのではなく、どうして

そのようなストレスを背負ったり、欝病に 至るのか?

という人間が置かれている 構造のしくみを観ようとする、能動的な意識ではないでしょうか?


安易に他者に頼る<信じる>という行為は、裏切られたり、期待した結果を得られないと、 同等量の怒りが生まれますから、

怒りを放つ 対象をさがさないといられない、、という事なんでしょう。

この、感情のしくみから、離れましょうよ、

個々人の INDEPENDANT アンデパンダント そして、能動的に、何かを信じたり愛したり、見返りを期待せず、健康的なポジティブの世界をつくりましょうよ。

なんだか、仏教を語りだすと、なんだかオドロオドロ感をひきずってしまうような世界観というのをどうにかして欲しいと思うのですね。

健康です、健康な心身世界です。

欲望があって当たり前なのですから、欲望なければ、種族保存が続かないのですから、なんでも、人間に持たされている煩悩がいけないとか、滅すという事ばかり、放っても、人々はますます、一人で部屋に閉じこもり、ネット世界を相手に性欲の捌け口を探さないと生きていけないようになるでしょう?若い人達だったら、性的な倫理感が破壊されてしまう人間関係が蔓延るといった世界は、、普通でしょうか?

 男と女が存在するのは、どうしてですか?

 何故?

 性別があるのでしょうか?

 ただ子供を作るため?

 違うでしょう?

 そのような性的行為だけではないでしょう?と思いませんか?

 他<異性>が何故?
 存在しているのでしょうか?

 他<異性>の存在と自分の存在は、共存している世界観を持つ事ではないでしょうか?

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from: 沙羅さん

2011/08/01 23:22:03

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「Re:Re:皆の  覚書  メモ帳  気になるサイト保管場所 多目的コーナー」

 本<記号>との出会いというのも考えてみた、

 正直言うと 読みたい、、と 欲望を、心底感じる本は、ないというか、、、、

 買ってみて読みたいという本はない、、、のに、

 時々、読みそうもない本を 纏めて買っていたりする。

 数年後に、、何かのきっかけで、何度も、何度も 読み返したりしている本というのもあるのだけど、

購入する本だけ考えると 買うという行為と、読みたいという欲望が、まったく 時間的にズレているらしい。
 安いから買うという行為にもないらしい、

 何故なら、こんな難しい本読む分けないなぁぁ、、とか思いながら
 高額でも購入している自分がいる。

 反対に、他者によって、持ち込まれる本もかなりある。

 普通といっては、ナンだけど、

 わたしの場合、人に本をあげる事はないのだけど、
 わたしの友人達は、本をくれる人達が多い。

 不思議なのは、M さんみたいに、わたしの趣味など聞く事もなく、

 突然、私に読んで欲しい、、、といって 持ち込まれる本もある。

 なんだか、人間の関係というのは、不思議に出来ている。

 日本は、神道の国だったと、 気がつかされる、、のも

 他界された M さん が持って来た、佐藤愛子の 本の数々だった。

 本が持ち込まれたのは、去年なのに、

 「私の遺言」に書かれていた、神道研究家の 相曽氏と、佐藤愛子の人間関係も、会うべきして会う、、という流れのようなのです。

 佐藤愛子の買った、北海道の家の霊障問題が、どんなにしても解決せず、とうとう、相曽氏は北海道に 向う。
北海道の土地の霊を沈めに行く、、という話しになるのだ。

読んでるわたしは、第三者の関係なのだが、

これが、非常に不思議に思うのは、

この北海道の家の霊を沈めに 相曽氏が向う日が、

何故か?

平成6年の6月6日なのだ。

これほど、6並びになるのは、理由があるのか?

佐藤愛子はそのような文字や数字の奇遇せいまでは書かれていないけど、
読む方としては何となく、気になる。

それは数字やアルファベットというのは、意味がなく並べられているのではなさそうだ、、という視点ですね。

そうでなければ、占いは、存在しないでしょうから、、

6という数字、世洋数秘術では、六角形、調和の印、、あのダヴィデの星

六芒星とユダヤ教は密接な関係をもっている・


ところで、今年の6月6日は、昔のボーイフレンドのH氏のお父様が亡くなれたのだが、おじい様の名前が二文字で、六という数字がついているそうだ、
亡くなられたお父様は、おじい様のお名前のもう一つの漢字一文字の名前で、私の母と同じ名前なのだ。

この、「わたしの遺言」
という本が、何故?去年わたしの前に現れたのか?

関係づけさせられる、、というのは、

実に、自分が、好きとか嫌いとか 興味があるとか、興味がないとか、、

そういった自分の意志を超える次元から、まったく知らない人や、自分の事をまったく分かっていないとおもうような第三者から、突然色々な情報が メッセージとして、現れるようなのです。


一つの事に 意識を 固定させてはいけないでしょう?

目の前にうさぎ<えさ?>をつら下げて、永遠に走らされる、犬の競争がありましたよね?

えさを 追う、、みたいな 視界ではなく、

派手に動くもの、派手なもの、度肝をぬくもの、過激なもの、インパクトの強いもの、 紋きり表現、 このような 時間の瞬間に現れるものはどうでもいいのですよね、、

どっちにしても、その場限りの表れで、普遍性を持ちませんから、

流れ、時間と時間の流れ文字だったら、行間を読むですかね、、

そのような方向センス<SENS>があるのですよね。根底に流れていくSENS,,

その大河の流れの方向を感じとる、、という感じですよね。

ダヴィンチが、何故?

モナリザの後ろに 渓谷や川を描くかが、観えてくると思うのですね・




 
 

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from: 沙羅さん

2011/08/01 17:34:05

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「Re:皆の  覚書  メモ帳  気になるサイト保管場所 多目的コーナー」

自分から コンコンと湧き出るように、波動の高さを放っている人というのは、普遍性を持つので、

 知らない人達が、ドンドン 集まってくるという感じなんでしょうね?

 それも、非常に不思議な現象ばかりが、その集まってくる人達の回りの人間関係とに生じているという事らしいんですね。

 つまり、見ず知らずという人間関係であるという事が味噌の」ようなんですね。

 誰かに、前もって 用意された情報が、流されているのではなく、

 初めて会う人が、「実は〜、、こういう事があったんですよね〜、、
 という事を、後から、、伝えられる。

 それまで、偶然会ったと思っている人なんですけどね、、

 つまり、あれでしょう?

 形而下の世界での、名声を重んじたり、すでに知られていたり、有名とか、知名度を重んじるという行為は、発信側の 用意された意識が

 お金をつかって、広告されて 知らされるという 物質世界での出来事ですよね?

 このような、流れの中で、本当の 真 を知ろうとする人達は、とりあえず、 一番売られている何がしか?に価値観をおかないと分からない、、判断できない、よって、情報は、売られている記号を手中するという 読む 行為に 偏るのじゃないかしら?

 読むは、 言に売ですものねえ?

読む行為そのもの事態に、何か 問題あるのでしょうか?

波動の高い世界というのは、形而上世界の情報ネットワークみたいなものが、あるのでしょうね? 分かっている人は、字など書いて売ったりする行為などしなくても、

そのもの自体の存在が、普遍性をおびる 現われ方なんでしょうね、、

ですから、色々な無関係な分野の人達が、自然とちかづいてきて

 「ところで〜、、」という 話しを聞かされて
 驚くのですよね。

 つまり、因果関係で繋がっている 人達というのは、まったく予想もつかない場所に住み、考えられない職種だったり、する訳で、
 それでも、未来に繋がっている人間関係であれば、

 必ず 自然と会わされる、、という引力というか波動の法則が、働いているらしいのです。

 現存の 見えてる事だけに、執着していては何も 見えないと思うのです。自分の可能性の広がりをもつのは、自分の外にあるのでしょうね。

他者のもつ知識や認識の間違い探しという、時間を後から追うという意識ではなく、他者の存在自身に思えます。

他者の放つ 言説の内容などは、本当はどうでもよい事なので<といっては怒られますが>

 大事な事は、

 その時、その場所で、なぜ?
 それを読むか?でしょう???

 時間を 超える という事は、そのような意識でないと
 観えてこないと思うのです。

 実践に繋げましょうよ、、皆さん、、

 体感、体験、共感、、そういった 自分自身の 経験に超越という意識を体験しましょうよ。

 いつまでも、超越とは?、、という地点に停止するのではなく
 その停止地点は、実践に移せない知識の積み重ねみたいに思えます。、

 思考の 視点 を変えてみませんか?

 空海さんが、空解散みたいな 話し合いに、いつまでも、なってしまっては、

 空海さん、お気の毒です。空海さんは、他者ですけど、 自と他は

 一緒に、共存の世界ですよね?

 宇宙 UNIVERS ユニヴェーとはそういう世界観を述べていると思いますが、いかがでしょうか?

 
 

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from: 沙羅さん

2011/07/06 23:37:53

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「Re:皆の  覚書  メモ帳  気になるサイト保管場所 多目的コーナー」

 日本のキリスト教の布教は、フランシスコ、ザヴィエル、によってですが、

 ザヴィエルが 日本に来る前に関わった人達、イエズス会の発足にいたった理由、、

 全て繋がっているのでしょうね、、

 イエズス会の結成の頃、
 当時のキリスト教、プロテスタントとの争いや中世の歴史が何をイエズス会の結成へ導いていったのか?

 そして、アジアへの布教へと、イエズス会のメンバー達は、命がけで、
 遠い地球の果てへと 布教の旅へでる。

 なんと申しましょうかね?

 歴史の重さというか、 パリのモンマルトルの誓いが、結局

 ザヴィエルを、薩摩藩の藩主にまで会わせた経過も考えると、
 500年以上たった今、モンマルトルに立つ自分の存在も、考え深いものがあるんですね。

 パリの存在は、そんじょそこらの存在ではないという 歴史の重さを本当に感じます。

==================================

 パリでの日々とイエズス会の結成
1528年、イグナチオはパリ大学に入学し、一般教養と神学を学んだ。パリでは七年学んだが、多くの人々がイグナチオの霊的指導を求めてやってきた。その中で、1534年までに彼は六人の重要な同志を得ていた。フランス出身のピエール・ファーヴル、バスク出身のフランシスコ・ザビエル、スペイン人のアルフォンソ・サルメロン、ディエゴ・ライネス、ニコラス・ボバディリャ、そしてポルトガル人のシモン・ロドリゲスであった。
1534年8月15日、イグナチオと六人の仲間はモンマルトルの丘に登り、サン・ドニ記念聖堂で唯一の司祭だったピエール・ファーブルのたてるミサにあずかって、神に自分の生涯をささげる誓いを立てた。世に言う「モンマルトルの誓い」である。彼らの立てた誓いは「今後、七人はおなじグループとして活動し、エルサレムでの宣教と病院での奉仕を目標とする。あるいは教皇の望むところならどこでも赴く」というものであった。これがイエズス会の始まりである。
1537年、七人は教皇から直接修道会としての許可を受けようとローマに向かった。時の教皇パウルス3世は一同の知的レベルと志の高さを認め、司祭叙階と聖地巡礼の許可を与えた。6月24日、ヴェネツィアに赴いた一行はアルベの司教から司祭叙階を受けた。当時、イタリア半島では神聖ローマ皇帝や教皇、オスマン帝国を巻き込んだ戦いが行われていたため、聖地への渡航をあきらめ、当面はイタリア国内で説教と奉仕活動に専念する方針をたてた。
1538年10月、ファーヴルおよびライネスを従えて再びローマに赴いたロヨラは、教皇から修道会の会憲の認可を得ることで正式な許可を得ようとした。会憲を審査した枢機卿団は好意的な評価を下し、パウロ3世は1540年9月27日の回勅『レジミニ・ミリタンティス』で会を正式に許可した。その際の唯一の条件は会員数が60名を越えないことということであった。この制限も三年後の1543年3月14日に出された回勅『イニュンクトゥム・ノビス』で撤廃された。
http://dictionary.sensagent.com/%E3%82%A4%E3%82%B0%E3%83%8A%E3%83%81%E3%82%AA%E3%83%BB%E3%83%87%E3%83%BB%E3%83%AD%E3%83%A8%E3%83%A9/ja-ja/

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from: 沙羅さん

2011/06/23 05:07:32

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「Re:皆の  覚書  メモ帳  気になるサイト保管場所 多目的コーナー」

 文明は人間によって要求されるものの上に立てられているのであり、
 人間に与えられているものの上に立てられているのではない。

        アントワーヌ、サン、テクジュぺリ

 教養 CULTURE キュルテュー の目的は、人間の潜在的能力の
 十全な現実化である、
 残念ながら、
  教養 CULTURE キュルテゥーと云う語が、今日では  
 人格の調和ある発達 というよりも、
 知性の 肥大 という感じを与えている。

                ジャン、ラクロア

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from: 沙羅さん

2011/06/03 00:56:06

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「Re:Re:皆の  覚書  メモ帳  気になるサイト保管場所 多目的コーナー」
MSG 210の
の続き

再度、UP します。



> wikiのソクラテスです。 > >

ソクラテスの 

字を書かない・・・

著作をしない、という理由だそうです。 > > > > > >

著作をおこなわなかった理由 [編集] >


写真は、去年10月25日に東寺を 訪れた時に、

あるご住職の方から呼び止めら、頂いた弘法大師のお言葉です。

そういえば、弘法の 弘という字は、 弓 がつくのですよね。見ると
ショ
書された、5月8日という日は

フランスでは、1945年、VICTOIREの日5月8日、ジャンヌダルクの日なんですね。

日本は3ヶ月後の終戦記念日が8月15日ですけど、

ヨーロッパ<フランス>は、1945年、5月8日です。
終戦記念日という意味ではなく


VICTOIRE ヴィクトワールの日です。


=============================

ソクラテスは書記言語の野放し状態の普及を激しく非難していた[2]。
> >

ソクラテスは、話し言葉つまり「生きている言葉」は、書き留められた言葉の「死んだ会話」とは違って、意味、音、旋律、強勢、抑揚およびリズムに満ちた、吟味と対話によって1枚ずつ皮をはぐように明らかにしていくことのできる動的実体であると考えた。

書き留められた言葉は反論を許さず、柔軟性に欠けた沈黙であったので、ソクラテスが教育の核心と考えていた対話のプロセスにはそぐわなかったのである[3]。 > >

ソクラテスは書き言葉が記憶を破壊すると考えた。

個人的知識の基盤を形成するにふさわしい厳密さを期待できるのは暗記するという非常な努力を要するプロセスのみであり、そうして形成した知識基盤は教師との対話の中で磨いていくことができるという信念を抱いていたからである[4]。

> > ソクラテスは読字を恐れていたわけではないが、過剰な知識が必然的にもたらす結果、表面的な理解しかできないことを恐れていた[5]。

 

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from: 沙羅さん

2011/06/02 01:49:20

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「Re:Re:皆の  覚書  メモ帳  気になるサイト保管場所 多目的コーナー」
突然ですが、
戸隠観光、客寄せの為の書き込みみたいです。
でも、この奥社までの道はすごいでしょ?


お勧めです。でもわたしは、鏡池に良く行きました。クロスカントリーで、池の周りを散歩です。不思議ですけどね、
ここで主人と初めて会ったのですけどね、、
去年、日本に帰国した時、戸隠に常宿していた、宿に電話して、宿のご主人と親しかったので久しぶり、近況聞くため、数年ぶりに電話したんです。70歳くらいだったのだけど、そしたら、他界されていたんです。

電話したのは、他界されて2週間くらい経ってたと思うけど、そしたら、主人と知り合った戸隠の宿屋のご主人が他界された日は、私達の結婚記念日の日だったんですよね。これはびっくりしました。

主人は私以上にがっかりして、可哀想でした。音信が途絶えても、昔の楽しい時を過ごした思い出の人にもう会えないと分かるとがっくりします。

ただ、フランスに帰ってきたら、もっと驚く事ありました。15年くらい前にうちに一年居候していた、フランス人の男性、F君が、突然 来ました。前にいつでも、泊まりにいらっしゃいと云っていたのだけど、10年以上会えませんでした。
その彼が一緒になった奥さんと初めての赤ちゃんと一緒に、いらしたんです。赤ちゃんの生まれた日が、私達の結婚記念日でした。嬉しいですね、、縁って、、

http://kameyahonten.jp/kankou/togakushi.html

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from: 沙羅さん

2011/06/01 23:47:32

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「Re:皆の  覚書  メモ帳  気になるサイト保管場所 多目的コーナー」
msg109の続き

不思議ですね?古事記に出てくる神様って、、、

 戸隠出身のD君と話し、佐藤愛子の、私の遺言 という本に書かれている、
 心霊科学協会が、信頼をもつ、神様は、戸隠中社の、天八意思兼命

という名前の神様らしい、、

実は、去年、M さんが持ってきて読むまで、聞いた事がない神様の名前だったのだ。

戸隠が 江原氏のいうパワースポットとして人々を引寄せるのなら、この神様は、何か存在の意味があるのかしら?

よく分からないでいたのです。

取りあえず、隠れてしまった天照大神を、呼びよすのに、天八意思兼命の神様は、智慧を絞るらしいんです。智慧<学問>の神様だそうです。


==========================

学問の神様=戸隠中社(天八意思兼命)
スポーツの神様=奥社(天手力雄命)
「昔、天照大神(アマテラスオオミカミ)が、弟の素戔鳴尊(スサノオノミコト)の乱暴を怒って天の岩屋へお入りになってしまわれました。世の中は真っ暗闇になり、いろいろの悪い神々が出てきて、恐ろしいことや、悲しいことが次々におこりました。
 大勢の神様たちは、岩屋の前に集まって、天照大神に岩屋から御出でになっていただくにはどうしたらいいだろうかと、相談をしました。その時、戸隠神社の中社にお祀りされている天八意思兼命(やごころおもいかねのみこと・学問の神様)が「良いことを思いついた。私たちが岩戸の前で踊ったり歌ったりして楽しそうにしていると、きっと天照大神様は、『あの者たちは何をしているのだろう』とおのぞきになるにちがいありません・・・」と知恵をしぼって考えをだされました。
 天八意思兼命のお考えにもとづいて、神様たちは準備をしました。まず鶏を沢山集めて鳴かせました。火之御子社に祀ってある天鈿女命(あめのうずめのみこと・芸能の神様)の命は大変踊りの上手な神様ですが、この神様が伏せた桶の上にのって足拍子も面白く「とんとん、とととん、と」と踊りました。大勢の神様も「やんや、やんや」と手拍子をうってこれに応えました。
 天八意思兼命が「コケコッコー」と長鳴鶏の鳴き声をまねると、沢山の鶏は一斉にコケコッコーと鳴きだしました。天鈿女命の踊りがあまりに面白いので、神様たちも「わっはは」「おっほほほ」と笑ったりつられて踊りだしたりしました。
 岩屋のなかの天照大神は何事がおきたのかと、そっと岩戸をあけて外をご覧になりました。
 その時岩戸のかげで待ち構えていた天手力雄命(タジカラオノミコト・スポーツの神様・奥社にお祀りしてある神様)が岩戸に手をかけ一気にガラガラと渾身の力を込めて、岩戸をあけてしまわれ、天照大神を岩屋からお出ししました。
 世の中は再び明るくなり、悪い神々は、にげ去りました。天手力雄命は、また天照大神が岩戸にお入りになってはたいへんと、岩戸を「エイッ」と持ち上げ下界へなげすてて仕舞われました。岩戸は宙を飛んで日本のだいたい真ん中に落ちました・・・・・・。
 この時、天手力雄命が放り投げたのが、「戸隠山」であるという話は、「古事記」や「日本書紀」にもあり、日本の神話として昔から語りつたえられている有名な話ですが、この岩戸神話と同じような話が、戸隠の古い記録である「戸

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from: 沙羅さん

2011/05/26 03:29:22

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「Re:皆の  覚書  メモ帳  気になるサイト保管場所 多目的コーナー」

 数日間
 うちに居候としていらした、D君。

 長野の戸隠中社の近くの出身なのです。

 「 ねぇぇ、その戸隠中社は、ここ数年江原浩之が、テレビのスピリチュエルで、パワースポットとして、話したから、今すごい観光客の数なんでしょ?』私

 「すごい数の観光客で、おみくじ引くの、1時間以上並ぶって聞いた

!観光バスの数もすごいんです」D君

 わたしが、スキーに行った戸隠スキー場は、二十年前以上になるけど、静かな
 何処にでもある田舎村だった。戸隠中社は、いつも、ひっそりしていた。

 「ねぇぇ、中社はなんて言う名前の神様?」わたし

 「なんだっけなぁぁ、、?」D君

 「ね?戸隠中社の事が書かれた、佐藤愛子の本があるわよ。

 亡くなった友人だけど、去年わたしに読んで欲しい、、て、
 小説とかD君読む人?」私
 
 亡くなられた、Mさんが、わたしに置いていった 「私の遺言」の本は、佐藤愛子の二十年以上の経験が書かれている。

 述べたかったのは、D君が生まれる前の事佐藤愛子自身の体験談だ。

 D君が、スピリチュエリストの江原浩之を知っている前にすでに、江原氏は佐藤愛子と知人として関係があり、霊を呼ぶ 招霊が無事行われる為にに、心霊科学会の人達が信頼しているという戸隠中社に、お札をお願いする

佐藤愛子に招霊日の前にお札の用意が必要と伝えるのだ。

つまり、戸隠がパワースポットとして、人々を引く現象に見えるけど、江原氏がテレビで宣伝したという事は直接知覚できるインパクトの現象だけど、その現象が表象化<対象化>に導く原因は、、それはもっと前、、、途上であろうと思う。
 
 
「いやぁ、ぼく頭悪いから、小説読まないんだ、前に人に言われて 借りた本1ページ読んで、 それで、すぐ止めて返したんです。」 D君

 「あぁぁぁ、それならいいけど、あの本に戸隠中社の神様書かれていたっけ?何だっけ?』私

 と言いながら、階上の本棚から探して、「私の遺言」を探してパラパラめくって探してみた。

そのまま、サロンに置いといたら、

 本を読む事はない、、と云っていたのに、

 手にとってパラパラめくりながらしていたらそのまま、ズート読みはじめ、
 何か、夢中になって読みはじめている、

 「何?その本面白いの?なんだか、夢中に読んでて、、」私
  「云、、面白い、、、」D君
 
 結局、2日で読み終えたようなのです。

写真は、コンコルドのオべりクスとエッフェル塔を斜に撮って見た・

 

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from: 沙羅さん

2011/05/04 17:54:31

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「Re:皆の  覚書  メモ帳  気になるサイト保管場所 多目的コーナー」

福島の原子力発電所のニュースが毎日流れだし、原子炉に接近し、復興する現地入り人達のニュースが流れだして、毎日

リキダシヨン、 りキダテゥー、フクシマ、、リキダシヨン、 りキダテゥーの音素を、毎日、聞こえてくるという世界観になってから久しい。

 フランス人達も、このりキダテゥーの言葉を、わたしと話す時は、申し訳なさそうな、目線が下を向く。彼らは顔色が暗くなる。わたしが日本人だと、思うのかもしれない。

 新聞にも、一面に書かれてあった。
 りキダテゥー

 LIQUIDATEUR と書くのです。仏和辞典(クラウン)で調べたら、精算人、決算者

と出てて、ドテン、、こけましたけど、、

マ!仕方ない、、、

Quels risques pour les liquidateurs de Fukushima?
Le 17 mars 2011 par Remy Maucourt

JAPON – Des liquidateurs « kamikazes » à Fukushima

Le sacrifice des liquidateurs de Fukushima
Le Point.fr - Publié le 18/03/2011 à 15:33
Équipés de combinaisons et de masques de protection, les "liquidateurs" sont malgré tout exposés aux radiations.

 英語も、LIQUIDATIONの使い方の意味は同じだと思うのですが、、、

 リキッドLIQUIDE、って、液状の意味ですし、流れますから、、

 面倒な問題の解消、と書かれている辞書もある。

 フランスのバーゲンの季節や、閉店に向けてたな卸し、品物を
 破格の値段で売る
 お店のガラス窓に、大きく 赤い字で

リキダション LIQUIDATION、と書かれている

 最初、バーゲンの事かと思ったくらいだった。

 フクシマは流れるのかな?
 原子炉に近づいて補修工事をする人達を、リキダテゥー流れる人???

 バーゲンの人達???

 うぬぬぬ、、違うんじゃない???

 人間を、バーゲンのたな卸しのような売買に、扱ってはいけないのですよね。
  何が? 問題なのでしょうか?

  犠牲? サクリファイスを、生け贄などと、簡単に訳すとますます、
  その行為を受動的に捉え、忍従心を異様に美化する事でしか、
  放てない、、、、

  そのような、世界観を造っていませんか?

 人間は、バーゲン用品ではないんです。
 
 流れては、いけないんです。

 10数年前の 旅客機の乗客を人質にとったテロ事件では、

 どこかの 国は、人質安全の手段をとり
、テロ犯人の釈放だったかな?

 「人間の命は、地球よりも 重い」と、世界の報道記者が唖然とした
 言葉を述べた。

 「そういう問題ではないんじゃない???」

 という外国報道陣達の疑問が、沈黙の空気の中にあったと、、、知り合いから聞いた。

 このちぐはぐ感は、いったい、どうして生まれるのかしら???

 「人間の命は地球より重い」、、、と放つ総理の居る国では、原子力発電所の、復旧工事には、

 リキダション という 人間手段を使う。

 でも国民は、それを、サクりファイスと受け止め情動をなびかせる。

 いつまで、このような事を続けて、いかなければならないのかしら?




 

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from: 沙羅さん

2011/01/07 05:38:08

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「Re:Re:Re:皆の  覚書  メモ帳  気になるサイト保管場所 多目的コーナー」
MSG 216
の続き



言葉の事を、考えないという事は、何も考えていない、、アラン

「言葉パロールは、語る者にとって、すでに出来上がっている思考を翻訳するのではなく、思考を完成するのである」
                    メルローポンティー 

あぁぁ、、やっぱり、メルローポンティーは すごい

 こういう事を さりげなくいう事が出来る。

 言葉を、訳しているというコミュニケートの次元では

 違うんですね。

 コピペという行為をしながらというコミュニケート、

 すでに停まって動かない、停止していますよね?

 地球は休みなく 回って時間を刻んでいるというのに、

 心はもっと流動性のある動きがありますよね?
 

 そうそう、こんなのがあったのです。

 明治時代の 渋谷川


 こんなに 短期間の間に、

 渋谷川が、どぶ川に変わってしまったのね!

 どうにか、してくれぇぇ、、

 川を汚さないで欲しい、、、

http://www.npo2050.org/harunoogawa/orienteering/mukashino_map_06.html


 そういえば、数年前だったか、

 渋谷の 忠犬ハチ公 の 映画 があったけど、、

 渋谷の金王神社の敷地は、ハチ公の散歩道だったのだろうか?

 渋谷には、何かを普遍化させようと、未来に息吹くなにかがあるのだろうか?


http://www.youtube.com/watch?v=P3s11acb7Z8&feature=related

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from: 沙羅さん

2010/12/18 21:52:05

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「Re:Re:Re:Re:皆の  覚書  メモ帳  気になるサイト保管場所 多目的コーナー」
MSG
879の続き、

 先祖探しというのも色々あるようなのです。
 実際には、お墓の墓石に彫られた名前であるとか、

 話は飛びますが、フランスの哲学者メルローポンティーのパリのぺーらシェーズ墓地のお墓には、お母様とお二人一緒なので、父親より母方に近い存在の仕方なんだと思うのです。お母様の出身はミディピレネー地方と彫られているんですね。
 墓石には全ての人の名前が刻まれますから、その人の生前の生き様がだいたい分かるんですね。

 それはよいのですが、お墓とお寺と役所ですかね?
 そういう処に出向かないと分からないんですね。

 しかし、、思うのです。

 スピリチュエルの世界というのは、観得てもあまり過去世に拘る事はないようなんです。それで、大体超能力者の言説に、普遍性があるか?ないか?だいたい観得てくるんです・

 超能力者と会うというのは、わたくしの場合、言われた事が当たっているから鵜呑みにして信じるという意識は全くないんですね。

だからといってその人の人格を疑うという見方でもないです。

 R子さんの観てもらった超能力者に興味があって会ったのは、R子自身の知り合いの話に亡くなったご主人が無意識分野にコミュニケートされていたから、R子さんにわざわざ外国から、会いに来るという行動に至っていたその親しい友人の話をされた。

 という全く見ず知らずの第三者、初めて会う超能力者の言説はやはりインパクトがあるんです。

 つまり、私自身も、今まで親しく交信していないのに、わざわざ横浜から九州くんだりまで、しばらく会っていないR子さんの近況を聞き会いに行く、、というわたしの無意識行為というか意識があるのですが、、、、いったい誰かがそうさせているのではないか?
という感じなんですね。

今回、高校時代の友人Aさんの場合もそれに近い感じがあった。

しかも、彼女の一人息子さんの誕生日は、9月29日で聖ミカエルの日だ。もちろんそのような事も逢って話しているうちに知ってくる。彼女自身の誕生日も、高校時代には覚えて、プレゼントとかあげた事もあったのか>?よく覚えてないけど、8月15日、聖母被昇天の日が誕生日という事や、しかも今年の初めにお兄様を亡くされたばかりの年にわたしは、日本に着き、自宅に電話を入れてコミュニケートをして他界の知らせを受けたのだった。

3年前にR子の紹介で会った霊能者にも一度会ってみた。太宰府の戒壇院で会った、田中氏も急死されていたというのも、気になった・

10月15日で、戒壇院を訪ねる前日だった。

結局、彼の話を纏めると

過去世など知ってもしょうがない、、という事のようだった。
 つまり、人間は、何百回も何千回も何万回も、生まれ変わっているのだから、今の地点で知ってどうかなるのか?
という事のようだった。

たとえ、過去世に有名な聖人の霊が超能力者に観えたとしても、
それがどうかしたのか?という質問は今現在生かされる自分自身の意識の姿勢を問われるのであって、過去の何がしかの霊や聖霊に追随する事ではない、、というご意見のようだった。

 つまり、現在生きている自分が一番大事なのであって、生かされている生まれた意味が必ずある、、という事のようなのです。

 これはスピリチュエルの世界では殆ど同じ事を言われる。江原浩之の本にもそのように書かれてあった。

実は、哲学はこの思考の方向性にあるはずなんです。東洋の宗教が輪廻や転生を強調しだすというのは、元々が彼らの目指しが向う方向が同じ方向性を成さないからだと思うのです、

哲学はその人間の身につかないとならないはずなので、何も不幸になる為に哲学しててはいけないと思うのです。自分が幸せを感じる事が出来る。社会の中の一員として未来観をもつ思考の仕方が出来る。そのような事はまず根本的に哲学が存在していこうとする意味だと思うのです。


そういった意味で、超能力者と接触するのは、私の何故?
過去が観えたり、未来の事が観えるのか?
何故?
観える人と観えない人がいるのか?
そのような疑問はやはり沸くんです。

それが正しい観方であるとか正しくない観方であるとか、そのような地点にいるんではなく、当たっても外れても結局はどちらでもよいんですよね。

霊能者の普遍性も観えますし、どのように一般の人達の中に存在していっているのか?
心理分析ももちろんするんです。

それと、色々な超能力者に会ってこの世界で活躍されてる人達の霊格レベルというのも、知りたいと思いました。

興味深いんですよねぇぇ、、
色々知ると、、本とに興味深いです、、、

話を戻し、それで渋谷氏のご先祖探しはいったい意味があるのか?とも考える訳です。神主さんには、「ちゃんとお調べしてみたら?」と言われましたが、、、

、片方の超能力者は、だって空海さんだって、キリストだって、お釈迦さまだって、もっと昔からある者引き継いできているんだから、過去世なんて知ったってしょうがないんですよ!、、、と言われる。

実に面白い。わたしがR子さんの話を聞いて観てもらった霊能者は、I子の話では、
オーラの泉で、三輪明宏が、「日本で信用出来る霊能者は、3人だけで、東京の江原さんと恐れ山に住む、木村さんと、福岡に住むWさんだけです」、
と述べていた、、という事を後で知った。わたしが会ったW氏の事らしい事がわかった。たまたまR子の話を聞いて興味半分で会いに行った私なのですが、
やはり、なんというのでしょうかねえぇぇ、、

会わされる人は会わされる何かが生じるみたいな感じなんです>

それでも、わたしは過去世だか?、守護霊だか?背後霊だか?よくわからないけど、知りたいと思うのですよね。

それで、W氏には、「過去世など知っても仕方ないんですよ」、、と言われたので、東京のある密教僧の霊能者にフランスに帰る間際に会ったのでした。

京都の東寺を訪ねたその午後に逢う約束をしていたのだった。

そしたら、開口一番に、

「Wさんから、聞かれていらしたの?」と言われてびっくりした。
 

「Wさんは、過去世など知ってもしょうがない事述べられまして、しかも、何で僕に会いにくるの?僕に相談するような悩みなどないはずだけどなあぁ」、、と言われました、、、

と正直に述べたら、笑っているのですよね、、

マ!わたしの存在は、普通のクライアントの存在と違うようなのですね。それは別にどうでも良いのですが、それより、科学的でない神秘的な事の個人的判断をするという事ばかりに夢中になるのではなく、体験されればいいと思うのです。非科学的な事でも、日本だけでなく世界の人達が不思議に思う、どうしてそのような体験が出来る人がいるのか?信仰があるからなのか?信仰を持つ持たなくても、そのような神秘体験をする人が世界には存在するという事はどのような事なのか?
自己判断する前に、自分の足で自分で体験してみる、、という事は大切な行為と思えるのです。他者が存在するという、他者とのコミュニケートには必要に思えるのです。

そういえば、興味深い事をW氏は、言ってらした。

僕は、本は読まないんですよね。
本読むと、自分に知識をつけて、その知識で相手を判断しようとしますから、相手の心が読めないんですよね。本読むと、活字が他者と同化出来ないような事をいってらした。
当たっているかもしれない。
活字中毒者には、相手の話している意味が何を言おうとしているのか、全く通じていない事がよくあるのです。










 

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from: 沙羅さん

2010/12/18 08:52:14

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「Re:Re:Re:皆の  覚書  メモ帳  気になるサイト保管場所 多目的コーナー」

渋谷金王八幡神社の神主さんは、他界した祖母の代から、ある神棚の中の霊じと呼ばれるものが、30-40くらいはある、、
叔母が話したら、「そんなにご先祖様を守ってらっしやる神棚がおうちにあるのは珍しいと思うのですよ。一度、ちゃんとお調べなった方がいいですよ」と仰り、

私達は、「はぁぁ、、」という頼りない返事をしたのです・

いったい、調べるといったって、、、、
どうしたら良いのかしら?
とりあえず、渋谷氏は、鹿児島にかなり移り住んでいるという。母の話だと「お父様の前の代の人が鹿児島だといっていたから、、でもわかんないよ、、色々転勤したりお殿様についていったり、移動がはげしかったから、、、」と頼りない母の返事はつづく。鹿児島ねぇ、、

薩摩に移動した渋谷氏に関し面白いある人文献があった。

http://www.city.yamato.lg.jp/web/content/000001975.pdf

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from: 沙羅さん

2010/05/10 15:15:58

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「Re:皆の  覚書  メモ帳  気になるサイト保管場所 多目的コーナー」
 めるろ〜さん

 覚え書き、メモのコーナーに移しませんか?

 







何故清水寺がそこに建てられなければならなかったか?

清水寺の創建に空海が関与していませんが、
鎮護国家としての意味合いを持つ時に関与していたと思われます。
清水寺の創建時は、観音信仰による救済という意味合いの
お寺だった。

空海の真言宗は、鎮護国家をも視野に入れた思想であり、
空海の入唐時代に、当然触れたであろう道教が鎮護国家を
し初めていた時代に入唐したのです。
空海が道教の占いの部分を引き継いでいたと思われます。

坂上田村麻呂は、奥州征伐の前に清水寺の創建に関与している。
この時は、信仰心の意味合いがあったものと思われます。

何故、そこなのか?
多分に賢心が立てたおほらに、長岡京の鎮護の為その北?の方に
ある清水の地に賛同したものと思います。

798年に坂上田村麻呂が十一面千手観音菩薩と同時に
脇侍させた
地蔵菩薩は、信仰心
毘沙門天は、鎮護国家
という意味なんだろうと思います。
平安京の遷都による都の東になるのは、
不可抗力の賜物かと思います。

また、796年造東寺長官で南家の藤原伊勢人が堂宇を創建し
鞍馬寺と称した。鞍馬寺も創建当時から毘沙門天を安置しており、
東西南北の守護を目的としているものと思われます。


http://www.kiyomizudera.or.jp/

清水寺HPより
宝亀 9 778 大和子嶋寺の賢心、夢告により清泉を尋ねて
       音羽の滝に至り、永年修行の行叡居士に観音霊木を
受け彫像奉祀し寺を創建。
宝亀11 780 坂上田村麻呂公、音羽の滝の清水に導かれて滝上に
       止宿・練行中の賢心に遭い、観音に帰依して
       仮仏殿を造立し、十一面千手観世音菩薩を安置、
       寺を創建。 賢心は名を延鎮と改める。
      <794年平安京遷都>
延暦17 798 田村麻呂公、延鎮上人と力を合せ、更に伽藍を
      造替え、本尊金色八尺の千手観音像、
      脇侍に、地蔵菩薩・毘沙門天像を安置する。
弘仁 1 810 鎮護国家の道場となり、「北観音寺」の法号を賜い「清水寺」の額を掲げる。
弘仁 2 811 5月23日、坂上田村麻呂公、没。
弘仁12 821 6月17日、開山・延鎮上人、入寂。
承平 7 937 轟門に多聞天・持国天を奉祀する。

「坂之上田村麻呂」

[宝亀11 780 坂上田村麻呂公、音羽の滝の清水に導かれて滝上
      止宿・練行中の賢心に遭い、観音に帰依して仮仏殿を造立し、十一面千手観世音菩薩を安置、寺を創建。]
      
784年、延暦3年、父苅田麻呂造長岡宮使に任命され、
      長岡京遷都に関与します。

<長岡京遷都>

786年、延暦5年、父苅田麻呂死去します。享年59歳。

789年、延暦8年、征東大将軍紀古佐美は奥州征討に出発。

     蝦夷の大将阿弖流為との巣伏村での戦いで官軍大敗を
     喫します。

791年、延暦10年、1月坂上田村麻呂、百済王俊哲と共に
     東海道諸国に蝦夷征討の準備の為に派遣されます。

     そして、7月征討軍が派遣されます。

     其の数およそ10万といいます(日本後記によると)。 征夷大使:大伴弟麻呂、
     副使:百済俊哲、副使:多治比浜成、
     副使:従5位下坂上田村麻呂、副使:巨勢野足。

794年、延暦13年、1月征夷大将軍大伴弟麿に節刀を賜う。
     6月13日、副将軍坂上大宿禰田村麿己下蝦夷を征す (日本記略)。

     坂上田村麻呂の指揮の下、蝦夷(エミシ)部隊を殲滅して首級457をあげております。官軍の大勝利だった
     ようです。

    延暦十四年征夷将軍正四位下近衛中将越後守。

     同年二月兼木工頭。
     <平安京遷都>

795年、延暦14年、1月大伴弟麻呂、節刀を返上して
     おります。

     2月征夷の功績で坂上田村麻呂は従4位下に特進して
     おります

     (この伝記では正4位下になっております。)。

     そして木工頭(こだくみのかみ)に任じられました。

796年、延暦15年、1月坂上田村麻呂は陸奥出羽按察使
     ・陸奥守に任じられます。

     10月坂上田村麻呂は鎮守将軍も兼務します。

797年、延暦16年、11月坂上田村麻呂は征夷大将軍に
     任じられました。

798年、延暦17年、これ以後数年間は積極的に奥州の俘囚を
     各地に移配しております。

     これに坂上田村麻呂が大いに関与したものと
     思われます。

     同二十年十一月叙従三位。

801年、延暦20年、第3次の征夷作戦が始まります。

     2月に坂上田村麻呂は節刀を賜っております。

     (このときは軍勢4万で攻撃)

     9月27日、征夷大将軍坂上宿禰田村麿等が夷賊を
     討伏したと報告しております(日本記略)。

     10月、この功績にたいして従三位を授けられて
     おります。

     このとき、「遠く閉伊村を極めて」とありますので、

     胆澤・紫波地方よりも北に攻め込んだことも
     考えられます。

802年、延暦21年、1月坂上田村麻呂は陸奥國胆澤城使に
     任じられて 、胆沢城の造営を開始します。

803年、延暦22年、3月今度は造志波(しわ)城使に
     任じられ、胆澤城よりも北の地点(盛岡市のやや南)に城を築きます。

     志波城は北上盆地のほぼ北に位置し、
     それから北は奥深い山林となっておりました。

     同二十三年正月補陸奥出羽按察使。

804年、延暦23年、第4次の征夷作戦が計画されます。

     坂上田村麻呂は再び征夷大将軍に任じられます。

     板東・陸奥7カ国に動員令がだされ、兵糧が小田郡
     中山柵に運び込まれます。

     次の目標は岩手県の北から青森県にかけてです。
     最終打倒の標的は津軽(?)でした。

     坂上田村麻呂はこのとき、征夷大将軍従3位行近衛中将兼造西寺長官陸奥出羽按察使陸奥守勲2等となって
     おります。      

     同二十四年任参議。

805年、延暦24年、坂上田村麻呂は参議に任じられました。

     12月、有名な「天下の徳政」論議がおこなわれ、
     藤原緒嗣の建議によって、第4次の征夷作戦が
     中止になります。

弘仁元年(大同元年の間違い?)叙正三位。任中納言。

806年、延暦25年(大同元年)坂上田村麻呂は中納言そして
     中衛大将に任じられております。
     <空海帰国>

807年、大同2年坂上田村麻呂50歳、4月中衛府改め右近衛府となってその右近衛大将になります。

     8月には侍従に、11月に兵部郷に任じられて
     おります。

808年、大同3年坂上田村麻呂4月正3位に叙せられて
     おります。

     同年九月任大納言。
     
     <空海、神護寺を賜る>

810年、弘仁元年(大同5年)坂上田村麻呂は9月大納言に
     任じられました。

     藤原薬子の変で、坂上田村麻呂は鎮圧軍の指揮を
     とっております。
     <清水寺鎮護国家の道場となる。>北観音寺と号す。

811年 弘仁2年1月坂上田村麻呂は渤海國の使者を
     接待しております。

    同二年五月二十三日薨。

     干時年五十四。

坂上田村麻呂は平安京郊外粟田別業で死去しました。享年54歳。

即日賜し(糸偏に施の右の字=あしぎぬ)六十九疋。調布一百一段。商布四百九十段。

米七十六こく(角+斗=石)。役夫(えきふ)二百人。

坂上田村麻呂が没したその日、遺族は上記のものを賜っております。


>  時々、考えるのは、民族が大陸上、または海を越えて移動する本当の理由はなんだったのかしら?と不思議に思うのです。
>  京都、清水寺の創建に導いた、坂之上田村麻呂は、いったい
>  何処からきて何処の出自だったのかしら?
>  何故?
>  音羽山で、清水寺を、建てなくてはならなかったのか?
>  色々人物の歴史上の出現とその意味、その後の歴史の流れの方向を感じ、その流れに導いた要因や原因や理由には、複雑な思いや心や願いが関係しているのではないか?と思うのです。
>  
>  いえですね〜・・・大阪生まれで大阪育ちで、しかも平野の杭全神社に近いようなんですよね。Jさんの話しなんですが〜・・・
>
> http://maoda.hp.infoseek.co.jp/tamuramaro.html
>
> つまり、とても一筋縄ではいかなくて、多種多様の人間の集まりが過程の何処かで、繋がっているようなので、他者との違いに意識を引っ張られて、自分自身が正しいというような我田引水説を、している限り、永遠にその現れ方しか出来ないので、真理にはドンドン遠く遠方へと行くようなんです・・・・笑
>
> 他者を非難したり、排他している限り、自分自身を自分で排他したり認めようとしていないのと同じ事なので、長い歴史的な流れを観ると
> 結局自分の首を絞めているような間接的な行為、末端行為をしているのだと思うのです。時間と空間の存在する意味は、やはり人間にもう少し賢くなりなさい!・・という創造主からの暗示でしょうかね?
>
>
>

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from: 沙羅さん

2010/04/24 06:55:18

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「Re:Re:皆の  覚書  メモ帳  気になるサイト保管場所 多目的コーナー」
昨日、テレビのニュースを見てて、サッコズィ【日本語音素は、サルコジ】大統領が、サヴォア公国【現在2県サヴォア県とオートサヴォア県>の、フランス統合150年記念の式典に参加していた様子が流れた。

フランスに統合した一番最後のサヴォア公国、、、なのです。

ダヴィンチを擁護し、実際、フランス国げと招待した、フランソワ一世の母方、
ルイーズ、サヴォア家のお城の前での式典が映された。

県庁は、シャンベリーという町で、ふと、テレビを見て、町中の様子と、大統領の歩く方向に意識を向けてハタ!と気ついた。

そうだわ!、サヴォア県庁シャンベリーは、インドと非常に関係があり、この町の発展に貢献したのは、インドに行って貢献したボワーニュ公が、インド遠征でのご褒美の財産を、病院や、学校や、シャンベリーの復興に貢献したのでした。

サっコズィ大統領も、サヴァア城から、
まっすぐ、インド象がある広場へと歩いていた。

しかもサヴァアの県旗は、十字架なので、あちこち十字架の旗が揺らいでいる。http://www.youtube.com/watch?v=7r9AEsyw0eY

不思議な感じがする。
150年以前までは
フランスのサヴォア地方(オート・サヴォア県とサヴォア県)を含む

西はレマン湖周辺からは東は現在のイタリア北部のトリノT周辺、南は現在のニースNiceまでを領土としていたサヴォア家の所有するサヴォア公国という国でした。


18世紀には現在イタリアの領土であるサルディーニャ島もサヴォア公国の一部となりました。

 
 いきなりですが、

 宮崎駿の、アニメ、紅の豚が、乗っている飛行機は、ご存知ですか?PORCO ROSSOという豚さんが、赤い戦闘機を運転するんですね。

 何故?宮崎駿が、サンテクジュペリに感化されて、彼のアニメが、世界中へと普遍化していったか、何となく分かりました、

紅の豚が乗る、戦闘機は、SAVOIE S21機 サヴォアs21という、
サヴォア公国に存在していた、イタリアの飛行機会社の名前が、サヴォア、マッケティという名前だそうです。、
戦闘機をつくる会社が、サヴォア公国内にあって、、
戦闘機のエンジンは、アルファロメオ、、WIKIに載っているのです。

つまり、アルファロメオのエンブレムは、人を丸呑み蛇と、十字架がくっついた紋章です。

、紅の豚さんの愛機、SAVOIE s21、の模型を好きで作る人が、外国には結構いるらしいのです。昔の飛行機マニアで、宮崎氏みたいな方があちこちにいらっしやるんですね?

http://www.youtube.com/watch?v=A4DJowJ3c2k

宮崎氏は、サンテクジュペリの最後の飛行の目的地は、地中海〜飛び立って、サヴォア県、イゼール県の上空を飛び、写真をとり、帰路の途中
地中海沖に墜落してしまって、遺体は結局みつからない。、、、という事はご存知なのかしら?
http://www.youtube.com/watch?v=98RjgQMO4kM&feature=related
 

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from: 沙羅さん

2010/02/06 06:44:36

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「Re:皆の  覚書  メモ帳  気になるサイト保管場所 多目的コーナー」

昨日、一週間家<うち>に滞在されてた、I さんは、TGVに乗って、パリに戻られた。

滞在中は寒かったです〜。
一時、ヨーロッパアルプス山脈、スキー場は、マイナス25度近くなった。
パリもマイナス7度くらい。

マイナス15度くらいの時だったか・・・
山中のチャペル巡りをしようとIさんと出かけたけど、あまりの寒さで、彼女が挫折。
早々、家に戻って、暖炉の前から動かなかった。
暖炉のある部屋は、23度くらいあり、外気温との差が30度以上・・・

それでも、彼女が、ARC河が通る、モリエンヌ谷のサン、ジャン、SAINT JEAN の町の大聖堂に、洗礼者、聖ヨハネの聖遺物、3本の指があるのを見たいというので、行ってみた。


でも残念ながら、見れなかったです。

年に1日しか公開しないそうなのですね。あまり人影もなかった。

入り口にSAVOIE家の初代、ウンベルト一世のお墓がありました。
ウンベルト一世は980年だから、ダヴィンチを擁護したフランソワ一世に繋がるのに、5世紀以上の時間を費やさないとならない。

Humbert Ier aux Blanches Mains (980-1048), comte de Savoie

├─> Amédée Ier (-1051), comte de Savoie

└─> Othon Ier (-1060), comte de Savoie

├─> Pierre Ier (-1078), comte de Savoie

└─> Amédée II (1048-1094), comte de Savoie

└─> Humbert II (mort en 1103), comte de Savoie

└─> Amédée III (v. 1095-30 août 1149), comte de Savoie

└─> Humbert III (1136-1189), comte de Savoie

└─> Thomas Ier (v. 1177-1233), comte de Savoie et seigneur de Piémont

├─> Amédée IV (1197-1253), comte de Savoie
│ │
│ └─> Boniface (1244-1263), comte de Savoie

│ Princes de Piémont
├─> Thomas II (1199-1259), seigneur de Piémont
│ │
│ ├─> Thomas III (1248-1282), seigneur de Piémont
│ │ │
│ │ └─> Philippe Ier (1278-1334), seigneur de Piémont, prince d'Achaïe de 1301 à 1307, fils du précédent
│ │ │
│ │ └─> Jacques (1315-1367), seigneur de Piémont
│ │ │
│ │ ├─> Philippe II (1340-1368), seigneur de Piémont
│ │ │
│ │ ├─> Amédée (1363-1402), seigneur de Piémont
│ │ │
│ │ └─> Louis (1364-1418), seigneur de Piémont
│ │
│ │ Comtes de Savoie
│ ├─> Amédée V (v. 1249-1323), comte de Savoie
│ │ │
│ │ ├─> Édouard (1284-1329), comte de Savoie
│ │ │
│ │ └─> Aymon (1291-1343), comte de Savoie
│ │ │
│ │ └─> Amédée VI (1334-1383), comte de Savoie
│ │ │
│ │ └─> Amédée VII (1360-1391), comte de Savoie
│ │ │
│ │ └─> Amédée VIII (1383-1451), duc de Savoie, prince de Piémont
│ │ │
│ │ └─> Louis Ier (1402-1465), duc de Savoie
│ │ │
│ │ ├─> Amédée IX (1435-1472), duc de Savoie
│ │ │ │
│ │ │ ├─> Philibert Ier (1465-1482), duc de Savoie
│ │ │ │
│ │ │ └─> Charles Ier (1468-1490), duc de Savoie
│ │ │ │
│ │ │ └─> Charles II (1489-1496), duc de Savoie
│ │ │
│ │ ├─> Louis (1436-1482), comte de Genève, roi de Chypre
│ │ │
│ │ ├─> Philippe II (1438-1497), duc de Savoie
│ │ │ │
│ │ │ ├─> Philibert II (1480-1504), duc de Savoie
│ │ │ │
│ │ │ ├─> Louise de Savoie (1476-1531)
│ │ │ │ X Charles d'Orléans (1459-1496), comte d'Angoulême
│ │ │ │ │
│ │ │ │ └─> François Ier, roi de France
│ │ │ │
│ │ │ ├─> Charles III (1486-1553), duc de

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from: 沙羅さん

2010/01/17 05:12:16

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「Re:Re:Re:皆の  覚書  メモ帳  気になるサイト保管場所 多目的コーナー」

モナコがありますよね?
 公国です。フランスとイタリアの間にある小さな公国です。
 5月にフォーミュラー1の、コースにモナコ公国の道路は変わります。
 同じく、スイスとイタリアの国境沿いに在るsavoie県も、150年前に、フランス国となりましたから、
150年前は、フランス国ではないんですね。

この写真なんだか分かりますか?

イエスに洗礼を行った、洗礼者聖ヨハネの3本の指ですって、、
怖いですねぇぇ

聖人さんや殉教者の身体の一部をこうやって、保存して、教会を守っていくらしいんですね。

マジでしょうか?<怒られる>

聖遺物を、仏語ではreliqueルリックと音素で呼ぶのです。

それで、この洗礼者聖ヨハネの3本指の骨がある大聖堂が、
savoie県の ARC川が流れている、サン、ジャン、という町です。
ジャンjeanは、仏語音素ですが、ヨハネですね。

ST JEAN DE MAURIENNE モリエンヌ峡谷にある、聖ヨハネ という名前ですから、私は、てっきり
12使途、例の、ダヴィンチコードでは、マグダラヤのマリアと取替え事件の本人です。

聖、ヨハネの方と思っていました。

そして、この大聖堂に、ダヴィンチを擁護したフランソワ一世の母方のご先祖発生の地であり、サヴォア家の一番最初の
フンベルト一世さんのお墓もあるそうなんですね。

http://fr.wikipedia.org/wiki/Maison_de_Savoie



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from: 沙羅さん

2010/01/16 21:10:19

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「Re:Re:Re:皆の  覚書  メモ帳  気になるサイト保管場所 多目的コーナー」
哲学思考していて、よくある事なのですが、
 横を素通りしてて、気が付かない、、

 本とに、しょっちゅう真横を通っていて、
 ちょっと、基点を返れば、ワーと、自然に開けて観えるのに、
 その観る基点を変えないで、そのまま素通り、、、

 ちょっとの違いなんですよね、、

 なんでもそうですが、ちょっと観方を変える、、

 自由自在に、無秩序に思考の柔軟性かな?
 絶えず、どの時代にも求められるのでしょうね。

 思考する探求の仕方が自由自在でないと、普遍は観えてこないのでしょうね。

 

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from: 沙羅さん

2010/01/16 09:37:11

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「Re:Re:皆の  覚書  メモ帳  気になるサイト保管場所 多目的コーナー」
突然ですが、

 わかった!、、ダ。ヴィンチの言いたい事、、

 何故? 聖 洗礼者ヨハネを最後まで手離さず、後生大事に保管していたか、、
    フランソワ一世の家系を辿ると起源は、フンベルト、一世の生まれた場所は
   st jEAN  ね。
   ARC河が通っているものね。そこは、アメリカの元ケネディ大統領の奥さんジャクリーンオナシスさんの家系がでてるわね?http://Comtes de Savoie


│ ├─> Amédée V (v. 1249-1323), comte de Savoie
│ │ │
│ │ ├─> Édouard (1284-1329), comte de Savoie
│ │ │
│ │ └─> Aymon (1291-1343), comte de Savoie
│ │ │
│ │ └─> Amédée VI (1334-1383), comte de Savoie
│ │ │
│ │ └─> Amédée VII (1360-1391), comte de Savoie
│ │ │
│ │ └─> Amédée VIII (1383-1451), duc de Savoie, prince de Piémont
│ │ │
│ │ └─> Louis Ier (1402-1465), duc de Savoie
│ │ │
│ │ ├─> Amédée IX (1435-1472), duc de Savoie
│ │ │ │
│ │ │ ├─> Philibert Ier (1465-1482), duc de Savoie
│ │ │ │
│ │ │ └─> Charles Ier (1468-1490), duc de Savoie
│ │ │ │
│ │ │ └─> Charles II (1489-1496), duc de Savoie
│ │ │
│ │ ├─> Louis (1436-1482), comte de Genève, roi de Chypre
│ │ │
│ │ ├─> Philippe II (1438-1497), duc de Savoie
│ │ │ │
│ │ │ ├─> Philibert II (1480-1504), duc de Savoie
│ │ │ │
│ │ │ ├─> Louise de Savoie (1476-1531)
│ │ │ │ X Charles d'Orléans (1459-1496), comte d'Angoulême
│ │ │ │ │
│ │ │ │ └─> François Ier, roi de France
│ │ fr.wikipedia.org/wiki/Maison_de_Savoie、

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