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from: 沙羅さん
2009/10/05 00:59:24
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ラン ♪ ラン ♪ ラテン語
うぅぅ〜ん・・・・・やはり、ラテン語コーナーは必要に思えるのです。
倫理は、ETHIQUE エティック
とか、 MORAL モラルという言葉なのです。
モラル MORALとは、 善を行うようにと人間を導くのを
役割として教えている教えの体系というふうに一般的には定義するそうなんです。
ETHIQUEエティック も、MORALモラル も
本来等しい意味の言葉だったそうです。前者はギリシャ、後者はラテン語からそのまま派生した言葉だそうです。
しかし、現在は、同じニュアンスの言葉としては、訳さないんですね。
MORAL モラルは、取り分け、実践に関わるんですね。或る社会集団の内部で受け入れられて、倫理学者によって、設けられたりした、規定や禁止の全体を現す、具体的なものだそうです。
倫理学はとりわけ理論に関わり、哲学の専門用語に属しています。
モラルを構成している規定の全体の基礎となってる哲学的諸原理の体系以外のものは、ほとんど示さない、倫理学は、<行動に関する抽象的な考察だそうです。
価値論[AXIOLOGIE]アクスィオロジー
は、諸価値についての学問で人間に尊敬や応報を与える倫理的価値ばかりでなく、審美的価値、知的価値、経済的価値、あらゆる価値を対象とするので、価値論は高度の抽象の領域において
用いられる述語であるそうです。
さて、このフランス語で使われる MORAL モラルは、フランス語のMOEURSムールス、<習俗>を意味するラテン語の
MORES から派生しているそうです。ですから、モラルは習俗学であるといわれてきました
これは言葉の定義は名目上の定義であって、現実を反映した事物に即した定義ではないそうなんですね。
ラテン語の MORES童謡フランス語の MOEURS ムールスは、時には、善悪の考慮を抜きにした習慣や風習を示す、、例えば
礼儀の現し方、食事の時の作法など、、多くの場合は、道徳律、又性的関係に関わる道徳律の守られ方を示す事もあるそうです。
習俗学は実際的なものであって、現実にあることを明らかにするんですね。習俗学が果たす役割は、ある社会的な集団の構成員が、人生や自分達個人的あるいは集団的習慣についてもっている理解についての一覧表を作成する事だそうです。
この習俗学にアイロニー、芸能人や有名人のゴシップが売れたりするんですね〜・・・でも、モラルと言いましても習俗学なので、
大衆、万人に共通なモラルは規範的なものであって、そのような人間を取り巻く実際の生活条件を知っていなければ、アイロニーもなんでゴシップとして取り扱われるか?分らなくなるんですね。
面白く、有名人の私生活知りたい雑誌が売れるというのは、この万人
に共通なモラルを、価値基準においているからなんです。
そして、倫理学は、そのような、人間を取り巻く実際の生活条件を知ることのできる事柄を超えたところに倫理学者は、理想を垣間見るのだそうです。
自分が観察するさまざまな種類の行動に対して価値判断を下すに際して規範として役立つのだそうです。
さてこのモラルですが、
モラルと科学は無関係ではなく、理性に基づいているんですね〜。
他方、科学者はその研究遂行の差異、若干のモラルの規範に服従させられるそうです。ですから、モラルは、科学と同じ観点に立脚することではないそうです。
「モラルはこうあるべきだ・・・」ということを命令し
例えば
{お前は嘘をついてはならない。」
又
価値判断を定式化する
『嘘をつくことは、恥ずべきことである」
といったモラル事に対し
科学は
実際にあることを明らかにするんです。
水は100度?が沸騰点である、現実判断のみを言い表すんですね。
おそらく、多くの科学{例えば天文学}が、
「こうである筈だ」Ce qui doit etre ス キ、ドワ エートル
という事を明らかにしています。
ここで、用いられるフランス語
Ce qui doit etre の動詞、DEVOIR<doit>デゥヴオーは、その翻訳からも分るように、将来起こる出来事について寸分違わない確実な事[次回満月は、何月何日に起るはずだ}や、或る結果が必然的に生じることを示すのであって、
決して、義務を示していないんですね。
数学は必然的な関係があることを確認し<そうならない筈はない>
のに対し、モラルの方は、しかじかの行為が義務的であることを断言するのですね<行為が義務的であるということは、その行為が現実のものとはならない場合もあり得る・・・・
ことを予想させるんです。そして同時に
義務を任せられた人びとが、その義務に背く場合があり得る・・という風にも柔軟に思考するんです。
何故?
義務が万人にゆきわたらないのか?と思考するのは、心理学の分野でしょう。
ここでは省きますが
以上の事からモラルの基盤、即ちモラルが下す価値判断やモラルが命ずる規定の究極的根拠を、科学の中に見出すことはできないということになるんです。何故なら、一人、一人魂をもつ、人間だ!という人間の心の接し方を問われているのだと思います。、一色タンに皆纏めて、一つの決まった規範カテゴリー内にはめ込むような、心の接し方を、人々は、胡散臭い考えとして、決して良いイメージを持たないと思います。
一つのカテゴリーの中で、一色タンに、接したり取り扱う様な事は出来ないはずです。
つまり
実際にあることから、こう或あるベキだ!・・という事を結論することは、出来ない・・・とフルキエの行動[哲学講義]、では説いています。
事実から権利もしくは義務へ、、という訳にはいかないのである、このような不可能性について、ポアンカレは下記のようにも述べています。
三段論法の前提が二つとも、直接法で述べられておれば、結論も直説法で述べられるであろう。結論が命令法に置かれるためには、少なくとも前提の一つがやはり命令法で述べられていなければならないであろう。例えば、科学の諸原理、幾何学の公準は直接法で述べられるし、直説法でしか述べられない。
実験に基ずく真理が述べられるのもやはり直説法でである。
諸科学の根底には、それ以外のものはないし、あり得ないのである。
従って、最も精密な倫理の使い手は、自由自在にこれらの原理を操ることができ、それらを相互に複雑に組み合わせたり、次から次へと上に積み重ねたりすることが出来るのである。そして、彼が、其処から引き出すものも、すべて直説法で述べられるであろう・・「これをせよ」、、、とか、「それをしてはならない」といった命題、即ち、モラルを確認したり、モラルに反撥したりする命題に彼が到達することは決してないであろう
ポアンカレ、晩年思想、1913
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コメント: 全7件
from: 沙羅さん
2010/07/28 23:10:57
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「Re:ラン ♪ ラン ♪ ラテン語 」
言語は、構造をなす重要なエレマントと言われるのは、
思考する支配言語によって、思考の仕方の型がある程度固定化する、、、という事だと思うのですね。
この支配言語は母国語と訳してもよいのですが、
私自身の事を考えて、母国語は確かに日本語なのですが、思考する時、文態を造る時に仏語に変わっているというのは自覚でしるので、どちらが支配言語なのか?よくわからないでいるという状態なのです。
文態のつくりSOVの順番も時々違う。
主体発信の時に特に、日本語の表現に直すのが億劫になるのはどうしてなのかしら?
話は違いますが、
エベレスト、ヒマラヤ山脈の名前、、
ダウラギリの事が書かれていた、知人T氏の本を読んで、
若い頃、何気なし、無意識にはなっていた、
ダウラギリ、、という音素は、サンスクリット語
だと知って、驚いた。
昔、10代の頃にサンスクリット語よ、、と言われても
「何?それ』的に感受したと思うので、
ダウラギリ、という音素がサンスクリット語の音素を維持しているという事に新鮮な発見をして、
じゃ?エベレストは?
チョモランマ、とかローツェとか、山の名前は何処から来たの?
と探求心がわいた。
考えたら、何故? インドの上方に、世界最高峰の山脈が何故?存在するのかしら???
とk神様も答えられない、疑問を自問自答していたりする。
般若心経を聞いていると、どうしても、音韻学とか考えてしまう。
母音と子音のフォルマント、やRIME <韻>と呼ばれる
つくりを考えさせられる。
何故?
この音で、放たれるのか?
が、
何故、このお経が、国民的に誰でも知っている普遍化したお経として、堂々と存在しているのかしら?
ただ短いお経だから、、、という理由では、納得させられない
何かが?
あるような気がして仕方ない。
大概の人は、般若心経は知っていると応える人はいるけど、
菩薩って何?
と聞いてくる、一般人は多い。
可笑しかったのは、
テレビで、三輪明宏 が出演している番組で、
司会者の若い男性が、
三輪明宏の過去世の事を、話されていて、
菩薩、、という言葉がでたら、
「菩薩?マ、そのようなよく分からない話はよこにおいといて、、」
と話されていたので、一般人の菩薩という言葉の普遍性のなさは、
日本だと、だいたいこの程度と理解された方が無難だと思うのです。
結局ごくごく一部の自己満足の為の分野の争い事を、開示するという現れ方をしているより、普通の人達、一般の人達が悩む、
社会がもつ問題、自殺の数の多さや、いじめや、心理的な問題は、自分自身が興味がある分野の問題よりも、何万倍、何千万倍と広い分野にわたって放漫してしまっている。
まず、そのような環境に置かされている自分や他者を客観的に観て、他者や自分の』生かされる世界への影響を考えて、言説や言葉を選ばなくてはならない、、、という広い意味での、哲学<生き方>とでも言ったらいいのか?
まずは、自分の信じている信仰や宗教に、一生懸命勧誘するという事より、一般の人達が存在している複数他者達との世界を共有するというのが重大だと思うのですね。
実践は、菩薩やキリストやモハメッドとは関係ないはずですから、
彼らの心とは?、、、だと思うのです。
ですので、般若心経の意味を知りたいと思う人は、一般的興味からかけ離れているという感じですから、、、、
わざわざ、知りたいと思わない人達に向って、
『般若心経とは云々、、」の説明をするという
現れ方をするから、
結局、知識や認識があるのをいい事に権威的にふるまって、押し付けがましい人達、、、、、
と、思われて嫌われる存在と化しているのだと思うのですね。
現れ方、、、というのは、大変大事に思えますです。
何々がいけないという判断ではなく、
何故?
そのような行動にでるのか?
と、他者を理解するという視点に気つき、断定的で権威的な表現をもって、他者と関係を結ぼうとなさるのは、音による、支配的な関係を強めているのだと思うのですね。
そのような支配的な関係を求めれば、自分も他者から支配されるという順繰りは決して、健康的な世界観とは思えないです。
自由を放任するというのではなく、自由は自発意志であって、最終的には選択がなくなり、それしか善、真、美をかたどっているものは、ない、、、という感じではないでしょうか?
そこまでの長い道のりの上での自由の解釈は個人個人全く違うと思うのですね。
それで、他者を理解したいと思う時、
どうしても、他者の放つ音に気をつける。
スイスジュネーブの言語学者、ソシュールが、インド、ヨーロッパ
語の造りに類似点を見つけたのは、偶然の発見だったのか?
ヨーロッパの緑色の分布、、これはラテン語系民族と、インドは、確かに同じ緑色の分布図になっている。
印欧祖語には、フォルマンと、息継ぎ、不発音による隙間、RIME韻、繰り返し、、
などなど、まるで、音楽でも聞いているような気分になる。
何故?
途中で切るの?
音楽を、小節分解して
シンフォニーや、コンツェルト を何故?
理解できるのでしょうか?
曲がはじまるあの一瞬時、指揮者が、指揮棒をあげた時
さーっと、鳥肌がたつ、、
あの沈黙による空気の凝縮はなんなのかしら?
音が反響する場というのは、この沈黙にも、なんらかの鳥肌を感じさせる何かを発している
ソシュールはジュネーブ出身なので、支配言語は、フランス語だったのかしら?
思考するもとの言語はいったい何語だったのか?
色々考える。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%89%E3%83%BB%E3%83%A8%E3%83%BC%E3%83%AD%E3%83%83%E3%83%91%E8%AA%9E
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from: 沙羅さん
2010/07/28 08:03:55
icon
「Re:Re:Re:Re:Re:ラン ♪ ラン ♪ ラテン語 」
> > デカルトさんはそれなりに、大変な功績を残しましたよね?
> > でも、哲学は停止できないんですよね。
> > いつも生きてる時代の普遍性を追い続ける、、
> > 追い続ける、、、追い続ける、、、、
> >
> > 哲学は目的を持たされ生かされる人間の生の意味にも似ていますよね?
> >
> > 終わりがないと言うか、、、、何故?
> >
> > 生きてるうちに、これが真実だ!と断定的に 何かを述べれるのでしょうか?
> >
> > といつも思う。
> >
> > 実践にうつっているのかしら?と思うと、ただの机上の議論の途中経過でないのを、結論らしく述べたりするらしい。
> >
> > で、実践には全く至らず、他者への影響も全くないから仕方ないしに、お金をだしたり、プロモーションして、広告しないと、自分の言説に誰も意識を引っ張られない、、、
> >
> > これは違いますよね?
> > といつも言うのですが、、
> >
> > 本当の普遍性は、因果関係が分かりますから、天空の出来事で情報が伝わっているので、人ビトの足が近づくんですよね。
> >
> > 電話もメイルも不要なんです。
> >
> > 普遍というのはそういう意味で、広告料を払ったほうが、人に知られ、有名になり、何かが売れたり、知名度が高くなるという事が普遍性を持つと、勘違いしないで下さい。全然違います。
> >
> > 記号に頼るから、記号で、他者の身分や職業や、学歴などが知りたくなるんですね。
> >
> > 記号に頼るからなんですね。
> >
> > 記号要りません。音だけです。心に想い、思う事でつうじていますです。
> >
> >
> > そうそう、それで、フッサールという哲学者は、
> >
> > コギトが問題ではなく、
> > コギト、コギタータCOGITO COGITATA
> > <私ハ思惟ノ対象ヲ思惟スル>と言ったのです。
> >
> > この場合の思惟は、意識と同義語ですね。
> >
> > これが現象学者のいう、
> > 意識はつねに何ものかについての意識である、、という文体で表現されるところの意味あいなんですね。
> >
> > 又感覚も同じですね。
> >
> > 必ずなにものかについての感覚であり、なんらかの実在についての感覚にほかならないのですね。
> >
> > 志向的は、INTENTIONNEL インタンショネル
> > という語源から分かるとおり、感覚は志向的なんですね。
> >
> > 自分自身に閉篭もっているのではなく、感覚は進んで対象の方へ
> > 志シ向ッテ逝く <TENDIT IN>なんですね。
> >
> > 知覚は、PERCEPTION ぺーセプションという音素ですから、突き抜けるとか、貫く、穴を抜ける等、、という動詞
> > PERCER ぺーセーが語源なんです。
> >
> > 決して、知覚は
> >
> > ボーっとしてて、外部から働きかけられて、気がつく感覚ではないんです。
> >
> > 前にも書きましたけど、収税吏を、同じ突き抜ける、貫く、の動詞PERCEPTEURぺーセプテゥール
> >
> > ですから、感覚的に収集し集める、、という感じなんですね。
> >
> > 税金を快く好意的に自発的に払うというのと、
> > 何処かの障害者の施設に寄付するというのと、
> > 同じ出費にも、意識が違うのは分かりますよね。
> > PERCEPTEURは、前者の税金を、集めるのですから、
> >
> > 当然鋭く隠れている情報を察知する、簡単には観えない情報をサッと知覚する、洞察眼がするどい、、という感じの
> >
> > 単語が知覚、PERCEPTION という音素に含まれているんです。
> >
> > ボ〜っと、皆も感じる事が感じるという知覚という意味とは違いますよね。
> >
> > デカルトの「私ハ思ウ」、
> > COGITO から出発し、人間の本質、思うは広い意味での想念から想念、つまり想念から思い浮かべるという架け橋が外界の対象へと結びつくは如何にして行われているのか?
> >
> > という連続性の思考による行為は、いかにして行われるのか?
> > という心理学上の問題へと展開しなければ、普遍性が観えなかったんですね。
> >
> >
> > 普遍性が見えないのは、消えてしまいます。
> >
> > そしたら、魂は他者に自己が存在する事を感じてもらいたくて、色々な手段で、自己の存在を確認したく、他者に関係すると思うのですね。
> > そこで、自分一人の一方通行のコミュニケーションばかりしてても、これこそ、他者はぼーっと聞く事に務めるので、知覚の働きになりませんね。
> >
> > いかに多くの、心や魂の感じるひだに、問いかける、、、というコミュニケート又は、応答の仕方に限られてくると思うのです。
> >
> > 最終的には、普遍性は、心 が心地よい驚きを感じる、、というコミュニケートの仕方だと思うのです。
> >
> > 支配的なコミュニケートばかりしてても、知らない他者は一向に振り向かないですし、普遍性の波も全く起こらないと思うのです。
> >
> >
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from: 沙羅さん
2010/07/13 23:47:02
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「Re:Re:Re:ラン ♪ ラン ♪ ラテン語 」
> > MSG439
の続き
それで、述べたかったのは日本語の綴りなんですよね。
直接に目的に直結するという語の造りがすごく気になる。
言葉のニュアンスを感じとれない人とか、抽象表現が不得意であったり、それはよいのですが・・・・・・
何を語っても、全て後ろから返事がきて、すごく画一的に記号を捉えているという感じがするのです。
既に、何かに支配されているような観方の人達がすごく多いのを感じるのですよね。
思考は言語ですから・・・・
例えば、ラテン語と言っても、ラテン語で話して日常生活してもらわないと、又、その状態を直接体験できなければ、本当の意味は通じないと思っているんです。
同じく、サンスクリット語も同じに思えます。
思考する頭脳が、ラテン語、叉は他のどのような言語でもいいですけど、サンスクリット語で文体を造り、想起し、その文体で他者とコミュニケートするというのは本来の、会話、対話とするところに思えます。
それが出来ない以上、必ず訳者のフィルターがかかってしまうはずです。
それとも、超越し、何がしかn霊と接触するというような超人能力みたいな感じかもしれませんが、・・・・・
そのような聖人は、テレビに出たり、新聞のコラム書いたり、
執筆作業などしないと思うので、
自然にジワジワ・・・・と大衆がアリさんみたいに伝播をつうじて存在を知覚するというのが自然の形ではないでしょうか?と思うのです。それ以外は、なんというか〜〜〜・・・・もう他者の心本当に分かっているのでしょうか?というような、話し方なんですよね?
奥さんに気持ちがなく、外に若い異性が出来てしまって家庭の揉め事で困っている・・・というような相談事をされて、
何故?
「不倫はいけません」・・・みたいな事、杓子定規な事しか言えないのでしょうか?
と思うのです。
そんな事は、当人は最初から分かっているのですから、
何故?
奥さんから心が離れてしまうのか?
何故?
家庭に足を向けたいと、思う事がすくなくなったか?
何故?
という視点をもてないで、
いつも、いつも、
他者を自己判断するだけで、自己判断は社会道徳と一律だと誤解し、挙句のハテに、貴方には悪い気がついているから・・・とか
なんとか言い出したり、、、もう少し、他者が何を感じているか?
他者がどのような事に縛られているのか?
理由や原因を聞いてあげようと思う気持ちをもって欲しいのですよね。
子供が非行にはしって、学校いかなくなったから・・・って、
何故?
子供が非行に走ってしまったか?
視点であって、
非行に走った子供は悪い・・・・>という判断は酷いでしょ?
子供の心を何も考えて居ないと思うのですね。
と思うのです。
全てが、人<個>への判断を自分勝手にし、他者を苦しめ、そして、自分も他者から自分の同価値感覚で判断されていると思い込む。
自分か自分から苦しみを探しにいってるように思えるのです。
CRITIQUEクリティックという単語を仏和辞典でひくと、
まず、危機的な、危険な、重大な・・と言う意味があります。
ETATエタ<状態> CRITIQUEクリティック、危険な
つまり、危険な状態と言う意味、死期が迫っているでも、重体だという意味でCRITIQUEという音素をつかうのです。
同じ音素CRITIQUEを使い、危険、重大、そして批判や批評などなど・・・・・・・・
言葉は意味なく生まれたのではないので、必ず必然があって生まれたので、言葉が使われる意味性、外枠を感じ取るという事だと思うのです。
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from: 沙羅さん
2010/07/13 18:27:12
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「Re:Re:ラン ♪ ラン ♪ ラテン語 」
>
> 突然ですが、
>
> 例えば、日本語の批判という記号がありますよね。?
>
> 単純に和仏をひくと、JUGEMENTジュージュマン
> CRITIQUE クリティック
>
> でてくるんですね。
>
> JUGEMENT はJUGE という音素がつくから
> どのような意味が含まれてるか、日本語の意味使いが微妙に違うの感じませんか?ジャッジJUGEという音素は、裁判用語、意味は重いですよね?
>
> 今度は、CRITIQUE クリティック
>
> この音素も批判という日本語の意味使いと違うと感じるのですよね。
> 批判という字に 比べる という字が含まれているのが気になるんですよね。
>
> 批判は、比べるじゃないでしょう?
> 何かと何かを比べれば、必ず 差<違い>がしょうじますから、、、
>
> これはCRITIQUEの本来の意味と違うと直観するんです。
>
> 日本語では、例えば
> 哲学を勉強するのに、哲学を身につけるのは、批判精神を宿す・・・・云々、、、言われませんか?
>
> 哲学じゃなくても学者というのは批判精神がなければ、精進しません・・・みたいな使い方ってすごく、人々を納得させる文脈で使われているんですよね。
>
> で・・・・違うと思うのです。
>
> 批判ではなく、日本語でしたらむしろ指摘という音素が妥当に近いと思うのです。
> 何故なら?
> 差を見つけて、優劣や正誤を放つ・・・・という直接行為になるのを、避ける・・・意味でわたしは、極力日本語の批判という音素を使わないようにしているんですよね。
>
> なぜなら、観ると分かりますが・・・全て受動態で感じ読んでいるんですよね。
>
> 感嘆に言えば、批判しているのではないのに、読む側は他者から批判されてると感じて読んでいるのが分かるんです。
>
> つまり比べられてその差に正誤の判断があって、読む側は自分は正しくないと他者から批判されてると感じて反応しているのではないか?と思わされる場合がほとんどなんです。
>
> ですから、批判という記号[音素]も使うのは辞めました。・・・笑
>
>
> つまり、言葉というのは、裏表同じに解釈できますから、
>
> 言葉そのものに、自分の心の状態を映しだしてしまっているんですよね。
>
> 自分が他者を安易に批判するから、他者も自分を批判すると思ってしまって、反応する・・・という考え方です。
>
> しかし、発信者の述べた文脈は批判ではなくむしろ批評と解釈してもいいと思うのですね。ところが批評は、批評できる位置にいる人がする行為だと思っているみたいなところがあって、実はどうでも良いと思っているのですが・・・・笑
>
> CRITIQUE クリティックに精神(ESPRIT)エスプリをつけますと、仏語は、
> ESPRIT DE CRITIQUE
> エスプリ デゥ クリティック
>
> になりますが、意味合いは、①(欠点ばかりをあげつらう、)やかまし屋、うるさ型と、②批評精神
>
> がありますから、①の意味の方が普遍的に訳されると思います。
>
> ですので、哲学または、学者世界は、批判の精神で、成り立つというと、
> 哲学するのも学者の世界は、・・結局
> 欠点ばかりをあげつらう、やかましい、、人達・・・・
>
> と一般人は理性的に評価していらっしゃいますね。・・笑
>
> 哲学に限らず、宗教もそうでしょう。
> そのCRITIQUEの精神をどうにかしてもらいと思っているのですよね。美しく現れる・・・・
> 慇懃無礼に、現れたり、言葉の繊細さが欠けて他者を安易に傷つける言葉を、放ったり品格のない態度をとってはいけないと思うのです。
> そういう事全て、他者が何を感じているか?
>
> 他者を返さないと自分の心の状態がわからない・・
>
>
> コミュニケートはそこの地点をいうので、回りの無言の人達の足並みを感じられないであったり、
> 対峙者の述べたい意味が通じないで、何度も読んだ言葉の自分の解釈だけを永遠にする・・・・
> そこには、複数他者達が思っていたり感じたりする雰囲気から感じる共感を得られていない・・・というのが分かると思うのです。
>
> 場の雰囲気というのは、その人の現れ方<出現のし方>なんですね。
> 場の雰囲気を感じて、あまりにも場を一人の現れ方によって占領するという事であれば、何がしかの言葉の表現力を駆使できる教養が広い場で身についた方の存在が必要不可欠に思えます。平等というのは、皆に言説を述べる時間を同じ時間与えるという場を仕切るという平等感もあると思うのです。
>
> 何でも自由と、何しても自由は、本当の意味での自由ではないと思うのですね。
>
> もともと自由でありもともと魂が平等なのだ・・・という魂の性質を述べているので、
> 本当に魂の世界だけだったら、そのような言葉も生まれようがないのですから・・・・
>
> 他者に指摘され、他者の言説をコピペして、自由云々述べている事態を生むのも、なんというのでしょうか〜・・・・・
>
> 本人自身が生きてる限りそのあらわれを続けていけば、普遍性はなくなって、ますます生きにくい世の中に感じるように自分をますます苦しめて、ますます、他者から観れば、不愉快な返事の仕方、攻撃的な関係作りをしていると、回りの複数他者に益々感じられてる。
>
> あの世は 心しか持っていけないんですよね。
> あの世に行ってまで、あまりあの世の魂といがみ合いをしたくないではないですか?魂の平安は、あの世にいけばあるのではなく、この世の出来事をちゃんと思い出としてもっていくと思うのです。
> そういった意味で、もっと気持ちよい世の中を造ろうと思いませんか?
>
> 、
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from: 沙羅さん
2010/07/05 02:01:12
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「Re:Re:Re:ラン ♪ ラン ♪ ラテン語 」
キリスト教では、隣人への愛・・・とよく聞きます。
隣人は、哲学での他者なんですね。
他者、他者。他者・・・と哲学が述べるのは、
他者への愛が謳われているからんですよね。
自分を観るのには、他者を介す・・・という現象学は、
実は、愛 すると、他者を介して自分を観ている
と同じと解釈してもいいと思うのです。
目的としては、他者を愛さないと、普遍化の力動化にならないのですから・・・・。
フランス語で、
「近い」という意味形容詞は、PROCHE プロッシュ
と現すのですが、これは、「隣の」・・・という意味もふくまれています。
隣の駅・・という時は、PROCHAIN隣のプロシェン STATION駅
です。空間的に最も近い(プロッシゥ PROCHE)ポストであるとか、時間的には次期の大臣(プロシェン、PROCHAIN)大臣MINISTE
という表現になります。名詞的に使うと、ともに人間だけを指しますが、人間の同義語ではないんです。
我々の近しい人々 = NOS (ノ我々の) PROCHES(プロッシュ、)
隣人は、 Leル prochainプロシァン は、逆に空間的であり、親族関係から見てであり、いかに離れていようと、全ての人間を含むんです。
つまり、 他者と隣人(la prochain)は同義語なんです。
旧約聖書のユダヤ人は、隣人や兄弟の呼称を、自分達の民族のすべての人へ拡大しましたが、それ以上は超えなかったんですね。
自分のように隣人を愛せよと命ずる律法の掟を、異邦人には適用しなかったんですね。
そこから、キリスト教は、分かれていきますね。
キリスト教は、ここで、神の子が』我々の隣人、我々の兄弟となったその行為は、神の子に、我々人間の条件を負わしめたんでしょう。
つまり、あらゆるキリスト教倫理の基礎が、神の前では、皆隣人(他者)であり同類である・・・キリストは、人間救済は隣人への愛を普遍化し、
我々のあらゆる態度の基礎となる・・・・と
人間中心、
隣人(他者)中心へと展開していったのですよね。
パリは、歩いていると本とに疲れるし、汚いし、、、
住むのには、避けたい町なんですが〜・・・・・
なんたって、パリ雑踏の中心部に聖母マリアが出現するという歴史をつくってしまうんですよね。1830年・・・・7月18日〜19日にかけてです。
不思議な事が良く起きるパリの町・・・・
セーヌ河、、美術館の中・・・、精霊達の囁きが聞える町
一人で居ないで、外にでて人と話してみましょう・・・
貴方が現われるのを、ズ〜〜〜と、500年ここで待ってた・・・・なんて、話しかけてくる人に出会う場所が沢山ある。
http://www.youtube.com/watch?v=s37uGJOS_sY
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from: 沙羅さん
2009/10/27 21:59:12
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「Re:Re:ラン ♪ ラン ♪ ラテン語 」
>
> ギリシャ語には、生命 に対応する二つの言葉があるそうなんです。
>
> ひとつは、BIOS ビオ コレは人間にしか、用いられないそうです。
>
>
> もひとつは、ZOE ゾエ これは人間にも動物にも用いられる
> そうです。
>
> 故に、人間についての生物学(BIOLOGIE,ビオロジー)が
> 存在し、他方・・・人間は動物学(ZOOLOGIEゾーロジ、ちなみに英語の動物園も、ZOO ですね)
>
> の対象にはならないんですね。
>
> ですから、人間と動物は、分けて考える方が、良いと思うのですね。
>
> ここで、問題になるのが、精神 ESPRITエスプリ・・・と
> 呼ばれる、なんだか、心なのか魂なのか曖昧な言葉、精神は、
> 人間だけに宿るとされた、意識なんだと思うのです。
>
> たまに、仏和辞典でひくと、精神、心 と載っているので、
> フランス語を話すフランス人達自身もかなり表現は曖昧に使われいます。
> 正です〜〜、、、哲学が西洋宗教と全く無関係でないというのは、イエス、キリストの存在なんですよね〜・・・・
>
> 父と子と聖霊です。
>
> 父は父である神で =>AU NOM DE PERE オノン、デゥ、ペール
> 子は、キリストで => LE FILS ル、フィス
> 聖霊は、フランス語では、=>SAINT ESPRIT サン、エスプリ
>
> ですから、聖心 でも、聖魂 でもないんですが
>
> 精霊でもなく、精神でもなく・・・・
>
> でも、時々冠婚葬祭時の教会のミサに参加すると
>
> 三位一体は、ESPRIT 精神にSAINTをつけて
聖精神と日本語に訳せるのね・・・・という事に気つくのです。
>
> この地点で、魂は動物もあるようなんですが、精神ESPRITエスプリ
> は、人間だけにもたされた崇高な意識なんですよね。この地点が高次に繋がるキーワードだと思うのです。
>
> そうすると、ユダヤ教から何故?
> イエス、キリストが現れてこのような、三位一体説を説く事になった、歴史の流れになっているのかしら???
> というと、結局、その後の自由であるとか平等であるとか、愛だとか・・・・人間自身が、言説を放たなければならなくなってしまう時間軸の途上・・・つまりそのSENS(方向、感覚)の流れにのっていると思うのです。イエス、キリストはいきなり偶然に現れてしまった・・・・という風には考え難いと思うのです。
> 何故なら、形而上での自由であるとか平等は、やはりZOOLOGIEの世界のできごとではなく、人間だけの世界の出来事、つまり魂や心と、ESPRIT エスプリ精神というものが、人間には備わっているのではないか?・・・・・という流れを感じる事ができると思うのです。
>
> そうすると〜〜、、、イエス、キリストの存在の意味も、
>
> マタマタ、「うぅぅぅ〜〜ん」・・・と不思議な偶然の存在だわ〜〜・・・と考える、ハメ・・・になってしまう・・・
>
> これは輪廻思考と呼ばれるもんでしょうか〜? ^^
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from: 沙羅さん
2010/08/03 17:52:53
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「Re:ラン ♪ ラン ♪ ラテン語 」

おはようございます。
突然ですが、という漢字を書いた瞬間、突然という変換字<記号>に ハット、、突然する、、! アレ???
いえですねえ、、
15000年前の、クロマニヨン人が、電気もない 洞窟で、
何故? ひとびとは、集まって、何をしたのか?分かりませんが、、、
暗い まっくらな壁に、 獣 <牛や馬や鹿>の動的な壁画
を描く事の意味、、意味、、、意味、、、、
そして、ひとびとは、くら〜い、何も見えない洞窟に入って、、何かを喋る、、喋る、、喋る、、音を放つ、、、
字として記号を介して、コミュニケートするもっと、以前に存在していたのが、 字 ではなく、声なんですね?
字はずーと後の時代でしょ?
音を介して、心の動きを感じていたのではないですか???
字 ではないでしょう????
字は認識でしょ?
字は、学校という文部省が、税金を払った国民に教えるのですよね?
そのような教育機関以前の、大昔から存在させてきた、何かを感じませんか?
高等教育を受けないと、書かれている字の意味が分からない、、、という次元の事ではなく、、
字など生まれてない時代の人達の、生活を想像してみる、、という事なのですけど〜?
空海の名前の空、、これも、穴という字がついている。
室戸岬の洞窟の洞 という字じゃ、さんずいに同じの同じ、、と言う字が、何故?
洞になるのかしら???
空海という名前はWIKIによると、
室戸岬にある洞窟の中からみると、海と空しか見えない場所で、毎日お経を唱えたらしい、、虚空蔵求聞持法 を授かったらしのです。求聞持 には、聞く、、という漢字があるのです。
読むではありません。
聞くです。
音は読むのではなく、
音は聞くです。
お経は、音ですね。 心から音を聞いて、音に願いや心を篭めるのだと思うのですね。
WIKIより
御厨人窟は平安時代初期、当時青年であった弘法大師がこの洞窟に居住したと伝えられている。この洞窟から見える風景は空と海のみで、ここから「空海」の法名を得たとされる。
洞窟 は、フランス語の、音素は???
GROTTE グロッテュ カタカナ発音でしか、書けないけど、
GLOTTE ではないので、洞窟の中で、 R とLの発音を両方したら全然違う音に聴こえるはずです。
ルルドの洞窟に、突然 出現した聖母マリア、、
突然の突も、穴という字なのですが、、
何故?
急にとか、いきなりとか、予期できない とつ という音素に、 穴という記号を、当てはめたのかしら?
ラスコーの洞窟は、
4人の子供達によって発見された。
、これも、一緒に遊んでいた、犬、ロボが、穴に落ちて、這いあがれなく,呼んでも、ヒン、ヒン、泣いている。
穴に落ちたのだ。
4人の子供達は、犬を助けルために、犬の泣き声がする下方に、向う。そしたら、木々が生い茂る、ロボが落ちた穴は、もっともっと下に長く続いているのが分かった。
子供は、探検が好きだ。
わたしも、小さい頃、近所の空き家になって久しい、通称 お化け屋敷と呼ばれる家に、皆で肝試しに入った。扉は半分開いていて、窓ガラスは割れて、無人の家なのだ。しかも東京の杉並区。新宿まで30分かからない地区なのにこんなようなワクワク遊び場が沢山あった。
あぁァ〜、、昔はよかった、、
ラスコーの洞窟は、15000年以上前のクロマニヨン人による、SANCTUAIREお祈りの場所だった。
話は違うのですが、哲学ではよく主観という音素を放つのですが、
この主観的とか主観の、、
という漢字日本語音素は、
仏語だと、SUB という接頭語がつくSUBJECTIF。 SUB の発音記号は、SYB なので、英語音素とは違う、 SUB は、スュブ という音素の接頭語が沢山、ラテン語には存在する。
コンシアンス、CONSCIENT 意識
の前に、このSUB の接頭語がつくと、
SUBCONSCIENT は潜在意識の、、という訳されるのですが、
もともとの、SUB という音素には、ラテン語音素からくる、
急に、、突然に、、という意味が含まれている。
つまり、JECTION ジェクションという音素の前にSUBという音素をつける事で、主観的とか、主語などの、SUB+JECTION 主観、、という意味の語が生まれるのです。
思うに、主観は、時間を越える時間の存在しない、又は短時間の間に生じる何か>直観に近い意識を表していたのでは?
熟考するという表現は、むしろ、客観、自分の立場と言う付属思考が生じると思うのです。
現象学は、他者を介す事で、自分がどのような人間として、回りの人から見ると、思われているか?
という心情が必ず述べられるので、
他者と自分との関連性が、必然的に、他者達にもみえてくると思うのです。
言説に第三者との関連や関係が述べられない場合は、その人の位置する世界、その主体が書く、主体の存在する世界が観得てくると』思うのです。
主体が存在する世界の閉塞性も感じる事ができると思うのです。
この閉塞性なのですが、超越者の主体発言には、二通りあるので、
コミュニケートの能力如何で、
この人が、何を言いたいのか?
この人は、何を言おうとしているのか?
という文の解釈をする事だと思うのですね。
何が?書いてあるのか?
という文を機械的に分解するのではなく、、
その文が、その時に現れる意味です。
ですから、記号は、落とされてしまったら、死んだ点と線でしかない、、と言われると思うのです。
落された記号を、保管スル行為だけに一生懸命になる行為も、通時態の行為ではないので、図書館の保管作業と同じレベルかもしれません。
昔の記録に頼ると、昔から動かないのかも知れません。
未来に稼動するのは、向こうから必然的にくるのではないでしょうか?向こうから、目前に、ぱっぱと現れる、、、という感じではないかしら?
自分が拘ると、昔の記憶や昔の記録をファイルする作業に熱中する、、、
あぁ、、サンテクジュペリの星の王子さまに、
数字や記号を見ながら計算する、一生懸命に計算している、異様な姿で、机に突っ伏してる、何処かの学者さんと星の王子様は、会わされて話すんですよね?
「いつも、いつも何の計算をしているの?」だったかな???
異様ですよねぇ、、、
星の王子様の会話は 面白い。
超越者でも、一人で、超越しちゃって、普通の一般の感覚と、違いすぎ、生活もままならない、、病に近い、、という複数他者達の無言の判断も確かにあると思うのです。
コミュニケート能力は大変大事に思えます。
芸術や文学が存在する意味は、他者達との感覚器官を介してのコミュニケートです。各国、言語が違うのですから、思考が言語の象る限界であるなら、言語を超えないとコミュニケートの限界も見得て来る。閉塞感も、ついづいすると思うのです。
書いてある文が、間違っている、あってる、、、という次元にいて、記号の照合あわせを、各人や各国の信仰や民族的な価値観を違いを、提示しあっても、ま、それでも良いですけど、、
それを永遠に続けていても、閉塞感は付きまとうと思うのです。
なんだか、随分意味深な文面になってしまいました。
写真は、今年たまたま、泊まったシャモニのホテルの入り口には、あの言語学のソシュールの曾おじいさんかな?
モンブラン登頂に関与したジュネーブのソシュールのイマージュが中心にあった。
モンブランの登頂を夢みたり、サンスクリット語とラテン語の類似点を発見して論文書いたり、、
ソシュール家は代々大変ですねえ、、、血が騒ぐのかしら?
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