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from: めるろ〜001さん
2009/02/16 12:21:44
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沙羅ちゃんとボティサットヴァ
沙羅ちゃんの専用コーナーを作っておかないとと思い、スレッドとして作製いたしました。ご自由にご投稿お願い致します。
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from: 沙羅さん
2010/10/28 11:24:19
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「Re:Re:Re:Re:沙羅ちゃんのブログ」
日本に帰国し、何人かの旧友に実際会って話した。
日本に住む彼ら、彼女達が実際日常生活するという事、
子供を生み、子供を学校に送る。
そこでの、学校生活を子供の目から見た状態を聞く私の友人達<親>
R子さんは公立の小学校を3つもつ、英語を教える先生なのです。
クラスの中に、授業中一人で立ち、歩き回る、といった現象はかなり前から言われているのですが、
コミュニケートが取れない子供たち。
子供だけでなく、親自身が、非常に隔離された世界に住んでいること。
両親の価値観の違いだけでなく、むしろ、何か心情や感情といった心の動き、心の作用が、不自然であり、激情型が多い事。
今朝、わたしは、JRの8時台の電車に乗った。
混雑していたので、中中央に行った。つり革につかまるのには、一番遠い場所なのです。
突然、中学生で、学生服を着ている、一見賢そうなショートカットの女学生が、わたしの背中を押しながら、通り抜けていった。
満員電車の中では、他人との身体の接触はやむを得ない。
自分が降りる駅に近づいた時、満員電車に今まで乗っていたら、出口までの距離は、ほとんど他人と密着状態なので、一人、一人、身体を押して、自分が外に移動するには、いちいち、個々人に、「すみません」とは言わず、全員に、「通してください」か?
それとも、「降りますから通してください」と、いうコミュニケートになる。
つまり、一人称単数から二人称複数のコミュニケートになると思うのですね。
ところが、それほど、込まず。それでも、ある一部分は、誰かの身体に接触するか、または 押すか?・・・微妙な空間領域になるのだ。
他の人達が、似たような状態で、どの人でも、押しのけないと、自分が降りれない状態なら、いちいち個人的な関係は生じないでしょう。
ところが同じ他人でも、例えば、前の人の足を踏んでしまったら、前の人に、謝るという事が生じるので、前の個人宛のコミュニケートと、「すみませ〜ん、降ろしてください}と放つコミュニケートは本質的には、放つ対象が、個人か複数か違うと思うのですね。
心、心理的、精神的な問題を生じる、コミュニケートは、
この両者に向けるはずの柔軟なコミュニケートが、絶たれている場合が多いのですよね。
対峙関係は、必ず、個 へと向かいがちであり、
自分の居る世界、自分のしている行動を、複数他者の目を介してみると、明らかに、奇異に写っている事を、感じる事が不可能なんですね。
これがコミュニケートの断絶ですね。
複数他者の目から見て、なんだか、異様な雰囲気であり、自然でなく、あるいは、何か、恐怖心に絶えず怯えたり、そうかと思うと、非情に、最初から横柄であったり、知らない人なのに、言葉を交わす、言葉でもって、一般の人達と交流する事、つまり最低の常識的な接し方、話し方というのは、身につけ、実践されてない人が何故?
こんなに多いのでしょうか?と思わされるのですよね。
WEBの世界では 特にそう思わされるのは、
WEBという世界が、自分の部屋にあるからなのではないか?
画面の字は、他者の発信する字なのであり、自分のパソコンであっても、自分の家の人と同じような、心の接し方をするというのも、
やはり、少し どころか、大変疑問でしょう。
世界のWEBの書き込みに参加しながら、母国語でのWEBに参加するという、世界との接点とのバランスを捕る・・・というのも必要ではないか?と思うのですね。
これでは、全員が、臨床心理学の基礎知識がなければ、
WEBの書き込みもままならない・・・・
コミュニケートが記号<字>を介しながら、皆と会話をする事が不可能であれば、会って話すしかないと思うのですね。
人間のコミュニケートは、記号<字>だけではないのですから・・・・
と思ったりする。
そうこう、ここ数年考えていたら、
日本の教職につく友人達が毎回話す、コミュニケートが断絶されてる子供達の様子を、初めて今朝、、
「あぁ〜〜こういう子供の事だったのね」と思わされる、どこか私立の制服を着ていた、女学生に、後ろからボンと押されて、通っていた子を、振り向きながら、見てわかった。
彼女は、私との接触を感じていないのだ。たぶん岩かなんかとしてなのだろう。
精神病や臨床心理学の分野は興味があるので、だいたい察しが一目でつく。
日本語でいう自閉症的なので、人の目を見るという事はなく、一人で、歌みたいなのを、歌っているようなのだが、
その声が大きいので、なんとなく、他の周りの数人も振り向く・・・という感じなのだが、彼女はその振り向かれた、幾人かの視線も気づかない<気にしないのではなく、感じない>
このコミュニケートが断絶されてる子供をどうやって、あの授業風景
の一員として、想像しようとおもっても、
とても、周りの学生達との感情の交流などできないのは、歴然としている。
知り合いの子供に、家族で食事をすると、その子供は、大人の話がつまんないので、手元の携帯のゲームに夢中になっている子がいる。
10歳のお姉さんは、皆と食事をしながら、家族や招待された人たちの話を聞いている。たまに笑ったりする。しかし、その弟は、ずーと、手元のゲームに夢中になっていた。
父親が怒って、その息子のゲーム機をひったくり、放り投げた事があった。
フランスの家族が3家族くらい招待され、食事を皆でしていた時だった。
老若男女、食事を一緒にする、人の話を聞く。人の話の応答をする。
公共性、協調性、共感、そういった社会性を子供達は、親が時どき自宅に呼ぶ大人達の食事をともにする会食会で、社会性を身につける。話の内容は、それほど面白いとは思わないのでしょう。
しかし、自分と違う他者が明らかに、社会を構成しているのだ。
いつまでも、自分の寂しさだけを理解し、聞いてくれる人を求めるといった、個と個の関係だけを求めて、あちこち彷徨う・・・挙句の果てに、自分の意見が正当化されないと、自分勝手に傷つき、誹謗中傷行為を、個人の対象者とする行為、を目にされる他者達は、たまったもんではないんですよね。
そこまで厳しく、言えないのですが、、
結局コミュニケートが出来ない心の孤立化も。問題ですし、
他者との会話による協調性は、他者への存在への尊厳と、他者からも自分の存在への尊厳をもち、関係をもとうとしない限り、いつまでも、人間の弱い部分で、呼応しながら、類は類を呼ぶ・・・というような低次元の仲間探しみたいな世界を作ってrしまうのではないでしょうか?と思うのです。
何故?
このような心理的な問題が生じる土壌になったんでしょうかね?
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