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from: めるろ〜001さん
2011/02/24 12:22:33
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感性の時空ではないですが
古代イラン発祥のゾロアスター教はアフラ‐マズダは光の善神アングラ‐マインユは闇の悪神ということだそうです。それぞれ、一切の善悪を創造し、両者が闘争し、
古代イラン発祥のゾロアスター教は
アフラ‐マズダは光の善神
アングラ‐マインユは闇の悪神
ということだそうです。
それぞれ、一切の善悪を創造し、両者が闘争し、
他界で最後の審判があるものとする。
火の神聖視が、のちに、阿修羅となり、
大日如来へと系譜が繋がっているようです。
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from: 沙羅さん
2011/02/27 19:10:57
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「Re:Re:Re:感性の時空ではないですが」

福岡県に住むR子は、突然「佐藤愛子の本を送りました。」
というメイルを送って来た。
自分で買って読んだのに、本棚みたら同じ本があったの、、、
ろ話してきた。
どのタイトル?か肝心な事は書かれていない。
なにしろ、ここ数ヶ月、佐藤愛子の本を、回りの皆が
黙ってても、という感じなのだが
持って来て、「これ 読んで?』と言うので、、
なんだか、色々お借りした本があるのです。
本というのは、正直いうと、好みがあるので、わたしは、よほど本人の性格や好みを知らないと、プレゼントはしたくないのですが、
最近は、色々考える。
信 という意識にやっかいなのは、
自分がこんなに、感動したのだから、他人も感動するだろう、、、
という意識がすごく強くなるらしい。それは良いのだけど、どうしても、人間というのは、感情を他者と分かち合いたいという欲望を持たされているらしいのですね。
自分にいいと思った事は、他人も良いに決まっている、、と
思い込むところに、他者との繋がりがお仕着せ気味になるのではないか?
この地点において、共同体、貴方とわたしの関係を求めるのでしょうね。
心 の接し方というのは、自然<無意識>にそのようになるようになっていた、、、と言う事が後から分かるという事だと思うのです。、その人の心の存在が時間を越え存在しようとしている、、
という事だと思うのです。
同じ、日本人だから
、同じ信仰を持つから、
同じ言語をはなすから、同じ思考同士
血が繋がっているから、
守るのは当たり前???
この同じという理由でしょうか、現実たる事実というのは、肉体が滅びても、永遠にVALABLE<効力をもつ、価値のある>なんでしょうかね?
他者は、家族、親子、夫婦 という血縁関係ももちろん含みますから、、、、
関係ないですが VALABLE は、VAL という音素が前頭にくるんですよね。
VAL は渓谷ですし、万人が有すであろう、真実と思わせる何かへの共通価値、、、これって物質ではないでしょう?
物質やお金も大事ですが、大事な事はちがいますよね。
死なないと分からないのではなく、
死後の世界でも 心や魂の世界では、価値ある何かに向って精進させられている、、死後も生前もなく、そのような 永遠の時の繋がりの途上の上で一環した、精神の姿勢というものを、表現しないといけないのではないですか?
話しは違いますが
去年、秋ごろ
癌を患っているMさんも突然、わたしに読んで欲しいという本を、6,7冊持って来た。
佐藤愛子の本が多かった。
読むと、佐藤愛子の半生に渡る不思議な出来事<とは言いがたい、壮絶な心霊にかんする体験談>をきっかけとし、
死の世界に対して、宗教者、霊能者、霊的な問題の解決法実際にライフワークとしている人達との経験により、霊界に対するある程度の応えをだしている。
作家は、文章を書く、
大衆とのコミュニケートであり、
大衆、、つまり普通の人達のコミュニケートレベルに、
照準が当てられているのでしょうね。内容を好む、好まないに関わらず、とりあえず、意思伝達や感情伝達をするという、最低のコミュニケートが出来ないと、作家にはなれませんよね?
この方は、作家としての高い表現能力を駆使しながら、一般の人には自覚できない体験を何とか、民衆の心が感じる事の出来る経験レベルの言語に変換し、話す。
つまり、超越者というのは、聞いてると、話す内容処は、訳の分からない、観えない世界を語られて、
聞いてる方は経験のない 見えない事を一方的に話しかけられてくる、、、という事ではないので、佐藤愛子の存在は、現実世界での理屈の上で、照合しようとするので、助かるのですよね。
そういった意味で、コミュニケートを重要視したい私も、
なるほど、、という視点に気つかされる事が多いのです。
やはり、心情や感情のコミュニケートは、表現力を問われると思うのです。それには、小さい時かあらゆる人間との対話や経験が租借でき、自分自身の普遍的な存在の仕方というのは、大事に思うのです。文学や芸術を、民族が蔑ろに扱いだすと、その民族間での豊かな感情交流が滞るのだと思うのですね。
豊かな感情、発達した情緒、、、心 の接し方、魂の接し方は大変重要に思うのです。
家族や回りの環境により心の接し方はスポイルされ、何でもお金を与えれば子供は満足すると思わされた事によって、
情緒障害と思われる人達がドンドン生まれる、
そのような人間世界で、生き辛い世の中だ、、
と愚痴がでない方が、不思議です。
それで、R子から佐藤愛子の本が届いたのだった。
手元に届いた佐藤愛子の本には、よく遠藤周作さんとの交流が書かれている。
読んでいると、笑える。遠藤周作さん自身と会話をしなくても、なんとなく、あのこ狐狸あん先生と呼ばれる 人柄が想像でき、容姿や言説と一致するというところで、ほほえましい。
そういえば、わたしが中学生の頃、父の買う本は遠藤周作の本が多かった。
書棚は廊下にあるので、わたしも手にとって読んだ本は、遠藤周作ものが多かった。その中の一冊は、タイトルは忘れたけど、珍しく、霊界の話しが書かれていた。
今ほど、スピリチュエルの話しが幅を利かしていない時代なので。
理性的でない、霊界や霊障問題を取り上げたこの手の内容は、胡散臭い目で見られがちだった頃、父は何故か?購入し、読後本棚に置いてあった、
わたしが、ラップ現象を知識として初めて知ったのは、その遠藤周作の本だった。
霊が存在する時は、必ず 生木が裂ける音がする、、という遠藤氏の表現を記憶していたのだ。
ところで、何故?遠藤周作の本を頻繁に購入したのか?
当時、狐狸あん先生と呼ばれる存在は普遍性があったのでしょうね?
上智、慶応、仏文、フランスのリヨンに留学し、キリスト教信者であるという事くらいは、記憶していたのですが、
佐藤愛子さんの本に登場する遠藤周作さんの姿は、なんというか、存在性を感じられるのだ。
江原浩之とある日電話で話していた時に、
突然江原氏の霊視の中に現れた、遠藤周作氏
佐藤愛子の生前の約束事によって、現れた。
もちろん、江原浩之氏は、佐藤愛子と、遠藤周作の二人の会話の内容などは知らない。
この前娘達と見たヒアーアフターと言う映画では、13,4歳くらいの少年双子の一人が自動車事故で死んでしまう。母親は薬物中毒者で入院する。
残った、少年は、双子の兄弟の遺灰を抱え、霊能者に逢うのだ。
彼は、たった一人しかこの世にいないと思っているけど、それは違う。いつも他者<死者>はわたし達と一緒にいる
と、その少年に言う。
これは、霊能者じゃない、私自身、体感出来る事なので、むしろ、わたし達の心は天界には筒抜けに観えているのでしょう、、というコミュニケートが出来ている、、というところで、納得出来る言説なんですよね。
自分自身を知る。他者を介し自分自身も観る、、というのは現象学は他者の存在を介す という事はすごく重要に話されるのですが、
現象学というは、生きてる人間の心や魂とのコミュニケートを通し、その生かされている人達を 守る存在させてるなんらかの存在達がコミュニケートを取る
と言う事だと思うのですね。
それを心霊科学世界では、守護霊だとか、指導霊といった単語で表現するのだと思うのです。これはイスラム教の一人に30人だったか?沢山の天使達がその人の存在を守る、、という考えに似ていますね。
コミュニケートは、そのような万物のものとのコミュニケートによって、大昔から その国の民族性によって口伝され筆記され教義とし存在し続けているのだと思うのです。
ですから、高次レベルの霊体とコミュニケートする人達は、宗教や信仰を越える次元で
コミュニケートをとるはずですし、テレパシーで伝えてきますから、わざわざ記号に現す事もないのだと思うのですね。
ですから、今度は霊感が強い人達を導いているというか指導している人達を守る、なんらかの背後に存在する霊体の霊格や次元、または人格?といった霊魂の崇高性を見抜かないとならなくなると思うのです。
なんでも、当たるからといっても、その人を成す魂の霊格が低いと、霊視能力を使い普遍性を利用し、人間を支配しようとしたり、自分の信じる宗教こそが正しいというような言説しか放たないという現れ方になっているので、この現れ方は他者不在ですよね。?
判断は自分ではなく複数他者達に任されているのですよね?
どちらにしても、魂の性格は、自由であり平等である、、そして愛す、、でしょうか、、
愛される存在の仕方
愛される、魂の存在は
自分も他者を愛する、、という意識がないと稼動しないと思うのです。
愛するというのは、自分の物にしたいという意識と全然ちがいますよね?
現れそのものが、美しく、永遠であるから、愛さずにはいられない、、、という意識だと思うのです。
愛するものを自分の物にしたいという思いは、ただの物欲と同じレベルというか煩悩ですよね?
何故?自分のものにしたいのか?と考える方が、賢いと思いませんか?
自分が、その次元に到達できてないから、、という事になりませんか?
すると、何でも、外に意識を向け欲するのではなく、自分自身の魂の次元を上げようとする、、という考えに至りませんか?
なんでも他力本願せず、まず、自分自身の心の内面を見詰める、
信仰や宗教はなんでも<というと不謹慎だけど>自分が心地よい感じを受ける方法を選べばいいと思うのです。自由にすればいいと思うのです。
それで、遠藤周作氏の話しは次回です。
http://www.youtube.com/watch?v=UgTK-U96k5Q&feature=related
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