新規登録がまだの方

下の[新規登録]ボタンを押してコミュニティに登録してください。

登録がお済みの方はこちら

コミュ二ティポイントのご案内

詳しく見る

「哲学〜真理〜探求について」

「哲学〜真理〜探求について」>掲示板

公開 メンバー数:13人

チャットに入る

サークル内の発言を検索する

サークルで活動するには参加が必要です。
「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
※参加を制限しているサークルもあります。

閉じる

  • from: アナンさん

    2011/11/01 19:13:08

    icon

    大乗仏教は釈尊の教えを否定しています

    『般若心経』の矛盾は、密教そのものの矛盾

     単に『般若心経』を唱えているだけでは、この矛盾には気つ゛かない。その表面をなぞっただけでは、後半では、
    空の思想が真実で虚しいものではないことが強調されているかのように読める。実際空海は、『般若心経秘鍵』
    で、「『真実不虚』は、体(真言の本質)を指し」と述べている。
     だが、よくよく考えてみるならば、すべてが空であるなら、例外はなく、真言もまた空であるはずである。
    『般若心経』は、その点で明らかに矛盾している。
     最近話題になった詩人の伊藤比呂美の『読み解き「般若心経」』(朝日新聞出版)では、真言について解釈した
    部分で、「ふふ、あれだけ、ない、ない、っていっといて、この『ぎゃーていぎゃーてい』はあるっていっているんだから、
    かんのん、むじゅんしている」と述べられているが、まさに卓見である。
     実はその矛盾は、密教そのものの矛盾でもある。仏教は、原始仏教から部派仏教へと発展し、そのなかから
    大乗仏教が生み出され、高度な理論が形成されていった。そして、そのなかからさらに密教が生み出されていく
    こととなった。
     密教は、それが形成されると、仏教界を席捲する。中国でも日本でも、密教が紹介された段階で、積極的な
    摂取が進められた。それも、密教には神秘的な力の信仰があり、国家の安寧や病の治癒、災厄の除去など、
    実際的な利益が期待できたからである。
     しかし、神秘的な力を実体を伴ったものとして信仰することは、空の思想を捨てることを意味する。密教は、
    大乗仏教から逸脱する傾向を秘めている。実際、密教のなかからは異端的な宗派や教えが生み出されていった。
     仏教は射程の長い宗教的な実践であり、そのなかには、多様なものが含まれる。高度な哲学が発展した一方で、
    民衆を救済するための神秘的で土俗的な信仰も発展した。『般若心経』についても、高僧たちが翻訳や注釈に
    励んだだけではなく、一般民衆はそこに現世利益的な信仰の成就を期待した。

    • サークルで活動するには参加が必要です。
      「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
      ※参加を制限しているサークルもあります。

      閉じる

    • 1
    • サークルで活動するには参加が必要です。
      「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
      ※参加を制限しているサークルもあります。

      閉じる

    • 0

    icon拍手者リスト

コメント: 全1件

from: アナンさん

2011/11/01 19:55:48

icon

「Re:大乗仏教は釈尊の教えを否定しています」
日本に伝えられた仏教のすべてが含まれている『般若心経』

 その意味で、『般若心経』には、日本に伝えられた仏教のすべてが含まれているとも言える。日本には、基本的に
大乗仏教が伝えられたが、後には密教が流行し、さらには浄土教信仰や禅がやはり中国から伝えられ、流行した。
逆に、大乗以前の部派仏教はほとんど伝えられなかったし、社会にはまったく浸透しなかった。
 このうち、浄土教信仰だけは『般若心経』には見られないものの、顕教も密教も、そして、空の体得をめざす禅も、
あとはすべてが含まれている。そして、空の思想を最上の真言としてとらえる『般若心経』の叙述の仕方は、大乗
仏教と密教とのあいだにある根本的な矛盾を隠蔽してしまっている。『般若心経』は、その実に簡潔な表現のなかで、
大乗仏教を、本来それとは矛盾した密教につなげる役割を果たしているとも言えるのである。
 仏教の原初的な形態に立ち戻って考えれば、大乗仏教は釈迦の教えから逸脱していることになる。逆に大乗仏教は、
釈迦の悟りや教えを真っ向から否定しているとも言える。さらに、密教の登場は、今度は大乗仏教の根幹にある教えを
否定した。しかし、だからといって、密教は大乗仏教以前の仏教に立ち戻ったわけではない。
 そうした仏教の、大いなる矛盾を含み込んだ歴史的な展開が、『般若心経』のわずか二六二文字のなかに、実に簡潔に
示されている。それは、非常に興味深く、驚異的なことである。仏教とはいったい何なのか。私たちは、いま一度、
『般若心経』というテキストに向き合うことで、それについて思索をめぐらす必要があるのではないだろうか。

-------------------------------------------------------------------

宗教学者:島田裕己氏の論文を転載しました。

  • サークルで活動するには参加が必要です。
    「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
    ※参加を制限しているサークルもあります。

    閉じる

  • サークルで活動するには参加が必要です。
    「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
    ※参加を制限しているサークルもあります。

    閉じる

  • 0

icon拍手者リスト