サークルで活動するには参加が必要です。
「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
※参加を制限しているサークルもあります。
-
from: yeshangさん
2011/11/19 21:49:32
icon
{水晶玉論」について
初めてこのサークルに参加した時、「水晶玉論」について書きました。
人の精神・心、霊性というものを水晶玉に例えて考えたものです。
人だけでなく生きとし生けるもの、山川草木にも有ると思います。
自分の心は水晶玉のようなものだからよく見れば周囲のものが全てその玉に映っている。近くのものは大きく、遠いものは小さいがよく見ればはっきりと映っている。
人間社会(生き物・自然も)は水晶の玉の集まりで、互いに照らし合い、映しあっている。それで、他の人の姿・気持ちも自分の水晶の玉に映っているので、それを見て知ることができる。(姿・形は目でも見えますが)
嬉しい人・悲しい人が近づけばその姿かたち・心・気持ちが自分の水晶の玉に映るのでわかり合える。そして近くのものは大きく、遠くのものは小さく映る。ここでの近い・遠いは物理的な距離だけでなく関心の強さに関わります。ですから遠くにあっても自分の家族、恋人などは大きく映っています。
神仏に注意を向ければ、それらも自分の水晶の玉に映っているので注意深く見れば、よく見えるでしょう。これが神仏との「入我我入」に通じると考えます。(神仏が自分の玉に映り、自分は神仏の玉に映っている)
「近くのものは大きく、遠くのものは小さく映る」ので近くの人や物、例えば家族、友人などは大きく映りその人たちの心・気持ちは大きく・はっきり見える・感ぜられます。遠くのアフリカや中南米の人の心は小さくて感じにくい。このため、アフリカの飢饉の話や中南米での大事故の話は大変な出来事だが深刻には感ぜられない。
自分を知ろうとすれば、自分の水晶の玉をよく見ればよいのだが、この世のしがらみや煩悩でくもってしまいやすい。よく磨かないと実態が見えにくくなってしまう。磨いていれば、自分だけでなく周囲の人や生き物・物の心もよく映るのでよく見え、解りやすくなる。
ここで精神・心・霊性を水晶の玉に例えましたが、あくまで例えであって実体として有るものではなく、あくまで水晶の玉のような透き通った丸いもののようなものとして考えてもらえればと思います。
だから、究極すれば有るものでなく、と言ってないものでない、例えて言えば「空」と言えるのではないかと考えるのです。
水晶の玉をモデルにして考えるといろいろなことが説明しやすく、解りやすくなると思います。
人の心を知る、遠くのものを見通す、隠れているものを見つける、過去・未来を見通すなど自分も人も自分の水晶の玉を見れば、よく見ればそこに見ることができる。
ただ水晶の玉のように実態としては透き通ったものなので、その物自体は何もないものなのです。しかし、何もないが、そういったものがある、しかし、畢竟なにもないものなのだろうと思います。
これが、このサークルに最初に参加したころのお話です。私自身は「水晶玉論」と呼んでいます。-
サークルで活動するには参加が必要です。
「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
※参加を制限しているサークルもあります。 - 1
-
サークルで活動するには参加が必要です。
「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
※参加を制限しているサークルもあります。 - 0
icon拍手者リスト
-
コメント: 全1件
from: 沙羅さん
2011/11/20 00:06:54
icon
「Re:{水晶玉論」について」

ここに UPさせてごらん?という意味なのかしら、、、
ううう〜ん ちょっと 意味分からないけど、貼ってみよう、、
サークルで活動するには参加が必要です。
「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
※参加を制限しているサークルもあります。
閉じる
サークルで活動するには参加が必要です。
「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
※参加を制限しているサークルもあります。
閉じる
icon拍手者リスト