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from: 21世紀さん
2009年07月16日 09時33分44秒
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【命の処方箋】
(1)事故の後遺症 悩むより新しい一歩を
2009.7.15 08:02
このニュースのトピックス:ライフスタイル
顔に違和感
眠り込んでいたため、自分の身に何が起こったのか全く分からなかった。キーッキーッ。車体のこすれる嫌な音と、救急隊員に名前を聞かれたことだけがかすかに記憶に残っている。
専門学校1年生だった大型連休最終日の午前3時。地元の友人3人と深夜まで遊び明かしていた森和彦さん(31)は、車で自宅に送ってもらう途中で事故に遭った。自宅近くの交差点で、友人の運転する乗用車が電柱に衝突して大破。4人とも奇跡的に助かったが、このときを境に森さんの人生は大きく変わった。
病院のベッドで明け方に目を覚ました森さんの枕元には、今にも泣き出しそうな両親がいた。
「顔に違和感があったけど、病院では怖くて見られなかった」
精密検査の前にいったん帰宅し、自分の部屋で一人になったとき、恐る恐る鏡をのぞいた。ぐにゃりと曲がった鼻、折れたほお骨、高さが異なる左右の目…。左目のまぶたは神経が切れて目の形を成していなかった。自分の顔だとは到底、思えなかった。
身体は無傷だったため、事故の2日後にはぱんぱんに腫れ上がった顔に眼帯とガーゼを当てて学校へ向かったが、1週間ほどで通学に耐えられなくなった。
学校の友人は、すっかり変わってしまった森さんの顔への戸惑いを隠すため、「ウケる」と大笑いして冗談で受け流そうとした。優しい言葉をかけてもらいたかったわけではないが、当時18歳という外見を気にする年ごろでもあり、深く傷ついた。通学途中の電車内でも、笑われているような感覚にとらわれた。
1カ月後、頭蓋(ずがい)骨と腰骨から採取した骨を、顔全面の皮膚をはがして眼窩(がんか)と鼻に移植する大手術を受けた。それからは毎年1回のペースで、手術を受けては入院することを繰り返した。切れた涙腺からは悲しくもないのに涙があふれ続け、ハンカチが手放せなかった。切れた目の神経を元に戻すなど形成手術には4年もの歳月がかかった。
「おやじは昔のおれの写真を持ってきて『元に戻してくれ』って、親ばかみたいですが医師に頼み込んでいました。そのときは痛くても何でも、とにかく顔が元に戻るならと自分のことで頭がいっぱいでした」
事故前は、明るい性格でおしゃれ好き。地元でも学校でも、いつも大勢の友達に囲まれて楽しく過ごしていた。しかし、入院中に2人で見舞いに訪れた女友達は、顔を見た瞬間に驚いてトイレに駆け込み、男友達はわざと事故の話に触れないように面白おかしい話をしようと懸命になる。そんな反応にさらに傷ついた。
「やっぱおれの顔、ひどいんだ。こんな顔で生きていてもこの先、楽しいことなんかないんじゃないか」
“自殺”の文字が頭をよぎった。
一緒に事故に遭った友人も見舞ってくれたが、事故などなかったかのように日常に戻っていた。「なぜ自分だけがこんな目に遭うのか」と余計につらい思いが募るようになった。2度目の見舞いの申し出に、「けがは大したことないから、いいよ」と断った。
日に日に誰とも会いたくなくなる。「このまま目が覚めなければいい」。眠りにつこうとするたびに、そう思うようになった。
絶望感の中で
絶望感に打ちひしがれる中、両親のほかに1人だけ毎日のように見舞ってくれるクラスメートがいた。事故前から好意を寄せていた女性だ。顔のけがを気にするあまり、性格まで変わっていく森さんを「ほっとけない」と学校帰りなどに小一時間、クラスでの出来事などを話していった。
「おれの顔変じゃない?」。街中でもショーウインドーに自分の姿が映るたび、口癖のように何回も聞いた。「変じゃないよ!」。彼女はいつもきっぱりと言ってくれた。
「人間は中身だって言うけど、結局外見が重要だと思ってた。18歳のおれは、ちゃらちゃら遊んでばかりの嫌なやつだった」
彼女の支えに加え、事故直後の入院中に出合った一冊の本にも救われた。平成6年8月、ミニバイクで事故を起こしたビートたけしの著書「顔面麻痺」だ。誰かが差し入れてくれたのか、気付くと病室に置いてあった。事故で顔半分がまひしていた自分の境遇と重ね合わせて一気に読んだ。
「つらいのは自分だけじゃないんだ。こんなに有名な人が、事故をギャグにしてテレビに出ている。前向きな姿を見て、自分も頑張ろうと思いました」
今は少し日に焼けた精悍(せいかん)な顔立ちの森さんだが、少年時代の写真を見ると、胸がしめつけられて切なくなるという。かつての同級生と会っても、自分と気付いてもらえないこともある。「やっぱりおれの顔じゃないんだ…。事故がなかったらどんな顔をしていたんだろう」。心の傷はまだうずいている。
しかし「消したい思い出ではあるけれど、あの事故があったから幸せな今がある」という。当時見舞いに来てくれた彼女とは、9年の交際を経て結婚。男児にも恵まれた。30歳の区切りの年には、あこがれていたアパレル業界に職を得た。
「生きていく上で、外見は必要ない。悩む時間があったら、試行錯誤しながら挑戦していくことで自分を変えられる」
2歳になる長男は、幼いときの自分にそっくりだ。「息子が事故なんか起こしたら、絶対に許さない」と顔をほころばせた。-
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コメント: 全5件
from: 21世紀さん
2009年07月19日 01時40分18秒
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「Re:【命の処方箋】」
(5) 友人の死、「生き方も受け継いで」
2009.7.18 22:23
東京・歌舞伎町のショーパブ。雇われ店長だった友人に誘われ、大学生だった佐藤亨さん(27)はサブマネジャーとして店を手伝っていた。店を辞めるはずだったその日は、アフターで客と飲みに行った後、友人が閉店後に送別会を開いてくれることになっていた。しかし店に戻ると、友人の姿はなく、テーブルの上には服や靴、時計、現金などが並べられていた。
「おかしい」。店の従業員と友人を捜していると、午前5時ごろ、救急車のサイレンが聞こえた。店が入居する雑居ビルの非常階段から、若い男が飛び降りたらしい-。「あぁ、また誰か死んだんだ」。すぐにそれが友人だと知らされた。
「病院で確認しても、実感がわかなかった。身体は温かく、いつも寝ている様子と変わらなかった」
なぜ自殺したのか、自分は止めることができなかったのか。永遠に答えが得られない問いを前に、自分を責める日々が始まった。
大学生で結婚し、子供もいたため、実家に頼らずに生活する金が必要だった。稼げる職業を求めて歌舞伎町をさまよっていた20歳のとき、声をかけてくれたのが中学時代の同級生だった友人だ。
夜の仕事は春休みの間だけのつもりが、いつの間にか半年が過ぎていた。大学に戻ることを友人に告げると、「せっかく大学に行ったんだから。おれは裏社会だけど、お前は表でがんばってくれ」と快諾してくれた。盛大な送別会となるはずだった。
友人の両親と一緒に遺品も片づけたが、死を受け入れられずに引きこもってしまった。それでも、3カ月がたったころ、「友人が一生懸命やっていた店を続けなければ」との思いにかられ、店長不在のままで仕事に戻った。毎晩のように、友人を慕う人たちが店を訪れ、店の女性ではなく、自分と語りたがった。
「何でだと思う」「何か言ってなかったか」「そういうやつじゃなかったのに…」。みんなが口にする疑問に、自分が責められているような気持ちになった。
「みんな、自分じゃなくて友人に会いに来ている。自分の存在の意味を感じなくなってきた」
思いだすのがつらく、仕事が終わると酒ばかり飲んでいた。旧知の友達との付き合いも疎遠となるなか、一人の親友に話を聞いてもらったことが救いだった。
「そういうお前を見たらあいつも悲しむよ。店を引き継ぐだけじゃなくて、生き方、大事にしていたことも受け継いであげるべきじゃないのか」
何を言われても受け止められなかったのに、親友の一言に心を揺さぶられた。
「その通りだと思いました。友人は、友達を大切にするやつだったから」
それからは、疎遠になっていた中学時代の友達を集めてパーティーを開いたり、それぞれの相談に乗ったりと、友人の生き方に自分を重ね合わせてきた。
都内の住宅メーカーで営業を始めて約2年半がたった。最近では、アンケートに「営業が一生懸命やってくれた」「営業で購入を決めた」などと書いてくれる顧客も増え、やりがいを感じるようになってきた。
「自分は、感謝されることに飢えていたのかもしれない。住宅は一生の買い物だから、そこで自分を頼ってくれるお客さんがいることがありがたいと思っています」
夜の歌舞伎町で稼いできた金額に比べれば、今の給料は決して満足な額とはいえない。
「あのときは、お金でしか解決できなかったけど、お金は生きていくのに必要な分だけあればいいと思うようになった。仕事やお金よりも、友人を大切にして頼られる存在でありたいと思っています」
部屋に引きこもって心を閉ざした日々から、立ち直るきっかけとなったのもまた、友人への思いだった。
◇
この連載は石川有紀が担当しました。
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from: 21世紀さん
2009年07月18日 09時34分36秒
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「Re:【命の処方箋】」
(4)いじめ、新たな世界開いた「本」
2009.7.18 08:00
田園風景が広がる愛知県ののどかな町。1学年が100人にも満たない小学校に通っていた大学4年の藤田知美さん(22)=仮名=へのいじめは突然始まった。3年生のある朝、登校すると昨日まで友達だったクラスメートが誰一人として、口を利いてくれなくなっていたのだ。学年は2クラスしかなく、瞬く間にいじめは学年中に広がった。
「ショックでその日のこともよく覚えていないくらい。何がきっかけになったのか分からないんです」
1週間後、あまりの理不尽さに耐えかね、こみ上げる怒りと悲しみを友達にぶつけた。
「言いたいことがあるなら、言えばいいじゃない。ばかじゃないの!」
すると、友達の一人がこっそり耳打ちしてくれた。クラスのリーダー的存在だった女子の気に障ることをしたようだ-。彼女が学年全員に「明日から無視しよう」と電話で連絡を回したというのだ。思い当たることは何もなかった。
授業で配布するプリントをくしゃくしゃにして渡されたり、班の掃除を一人でやらされたり…。どんな子供じみた嫌がらせよりも、存在を否定される無視がつらかった。同級生が持ち上がりで進学した地元の中学校でもいじめは続き、多感な少女時代の7年間をひたすら耐えた。
「大人はいじめに全然気付かなくて。優等生タイプだった私をほめて『知美ちゃんみたいに頑張りなさいよ』なんて言う親もいたくらいでした」
大人の見えないところでいじめは広がり、リーダー格の女子のグループにいじめられて不登校になった友達もいた。それでも藤田さんは「休みたい」と両親に言うことができなかった。
「不登校の子供は逃げているだけ」「自殺するのは弱い人間」-。両親はいずれも高校教師で、家庭ではこんな厳しい教育論が飛び交っていたからだ。
友人にも両親にも相談できず、陰口をたたかれて過ごす日々だった。誰も自分を分かってくれない。自分は嫌われる存在なんだ。こんな自己否定の気持ちがどんどん増幅していった。
「高いところに行くと、ふと飛び降りたくなることもありました。でも、自殺したって両親に嫌われるだけだと思っていたし、世の中、死にたくならない人のほうが少ないと思う」
友達とも遊べず、休み時間にはいつも本を読んでいた。つらかった日々を支えてくれたのは、小学校5年のときに出会った小説家、折原みとさんのティーンズ向けライトノベル「アナトゥール星伝」シリーズだった。普通の女子高生が図書館で偶然見つけた書物「アナトゥール星伝」を開いたことから始まる異世界の冒険物語だ。
「架空の国の物語だけれど、世界の問題を反映していて、生と死、命について考えるようになりました。それに、本を読んでいる間は誰かの人生を生きられるから」
実際、小説は藤田さんに新たな世界への入り口を開いてくれた。作者のホームページで他のファンと感想を交換したりメールをやりとりしたり、自分より年上の大学生や社会人と感動を共有して交流を深めていったりした。
「世界は学校だけじゃないと思うようになり、『とにかくここから抜け出そう』と決めたんです」
みんなと違う高校へ。その一心で必死に勉強し、県内でも有数の進学校に合格した。本と勉強ばかりの生活に終止符を打つと、高校では、自分を大切にしてくれる多くの友達や恋人との出会いに恵まれた。
「まだ人からどう見られるか気になるけど、あの7年間があったから今の私がある。つらいことがあっても、もう少し頑張ったら、あと1分長く生きたら、また良い出会いがあるかもしれないと思えるんです」
国立大法学部4年生となった藤田さんは、将来に悩みながらも、難関の公務員試験に臨んでいる。
◇
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from: 21世紀さん
2009年07月18日 09時29分28秒
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「Re:【命の処方箋】」
(3)家庭問題 身近な「夢」に支えられ
2009.7.17 08:01
東京都内の一流ホテル宴会部に勤務する西村恵さん(23)=仮名=は、主にVIPの接待を担当している。
「社会を動かす立場にある人たちの人柄を垣間見られ、人と話すことが好きな私にはやりがいがあります」
優しげなほほ笑みと、はきはきと話す姿が印象的な女性だ。夢をかなえた西村さんだが、就職活動中に家庭問題から鬱(うつ)状態となり、「死にたい」という思いを抱えたことがある。
高校2年生のとき、両親が離婚。経済的負担から大学進学をあきらめ、就職率がほぼ100%というホテルの専門学校へ進学した。
▼離婚後も…
亭主関白で人にも自分にも厳格な父だった。気に入らないことがあると、子供たちにすぐ手を上げる父が許せず、母が早く離婚すればいいと思っていた。父は中学生ごろから十分な生活費を入れなくなったため、母はスーパーと飲食店のパートを掛け持ちし、朝から深夜2時ごろまで働いていた。やっと離婚が成立し、母は祖父母と郊外の一戸建てを買い、一家の楽しい暮らしが始まるはずだった。
しかし、母と祖父母は家計のやり繰りから料理の味付けにいたるまで日常的に対立。家族関係の険悪化で、妹は引きこもり、弟も小さな非行を繰り返すようになった。
「そんなことでもめないでって思った。本心では、家族は一緒にいるものだと思っていたから、余計につらかったのかもしれない」
2年制の専門学校では、1年の夏休みから早くも就職活動が始まっていたが、前向きになれなかった。
「幸せになるためにお金がほしいって思っていたのに、お金のせいで家族がぎくしゃくするのなら、私はいらない」
2年生になり、祖父母と西村さん家族は、別々の生活を考え始めた。そのころから、自分の異変に気付き始める。
「学校へ行ったら楽しいのは変わらないのに、朝、起きられないの。夜も眠れず、明日が来るのが怖かった」。学校を休んでは自己嫌悪に陥った。自分は鬱かもしれないと思い、誰かに話を聞いてもらいたかったが、「あなただけが頼りだから」と言っていた母、問題を抱える弟や妹…。しっかり者を演じている自分が「病んでいる」とは言えない状況だった。
その夏、思い切って心療内科に足を向けた。話を聞いてほしいとの思いは裏切られ、睡眠薬を処方されただけだった。再び思い悩む日々が続いた。
▼葛藤の日々
「内定は出ないし、家庭はうまくいかない。死んだらどうなるんだろう」と心が沈む日もあれば、「人生うまくいかなくてもがき苦しんでいるけれど、それって生きていくってことじゃん」と自分を俯瞰(ふかん)する日もあった。
「死」を求める“マイナスの自分”と、自らを励まそうとする“プラスの自分”が葛藤(かっとう)していたのだと思っている。このままマイナスの自分が強まることに危機感を覚えた。そして、ある気分の明るい日、日記の裏表紙に「死ぬ前にやりたいことリスト」を書き連ねてみた。
▽ディズニーランドの一番高いホテルに泊まる
▽せっかく女性に生まれたんだから、子供を産む
▽家族に幻想は持てないけど、結婚、家庭を持ちたい
▽応援しているインディーズバンドのワンマンライブ
思いつくまま下書きを重ね、お気に入りのペンできれいに彩った。それから、つらいときにリストを眺めると「まぁ、もうちょっと生きていてもいいかな」と少しだけ心が楽になった。
「手の届きそうな夢を書いているうちに、まだまだ死ぬには早い、本当は自分は生きたいんだって気付いた。それに、夢を実現するにはやっぱりお金を稼がなきゃと思ったんです」
今、マイナスの気持ちが勝ってしまいそうな人に伝えたい。
「自殺なんかしちゃダメ。だって本当は生きたいんだもん」
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2009年07月16日 09時37分40秒
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「Re:【命の処方箋】」
(2) 心の病 生きることで誰かの役に
2009.7.16 08:07
▼突然の発作
パニック障害に突然、襲われたのは期末テストの席でのことだった。当時、神戸大医学部4回生だった深田雄志さん(29)は、急におびただしい汗が背中に流れ落ちるのを感じた。シャツは肌にべったりと張り付き、血圧がどんどん下がっていく。教室を飛び出してトイレに駆け込み、動悸(どうき)が収まるまで30分ほどしゃがみこんでからテストに戻った。
「徹夜で勉強する日が続き、前日は栄養ドリンク数本に眠気覚ましのドリンク剤を飲んでいたのも病気を誘発したかもしれません」
こう振り返るが、何が起きたのか分からないままハードな大学生活を続けた。
3カ月後、発作はまたやってきた。呼吸は苦しく、不安感でいっぱいになる。それから2年以上、電車やバスでドアが閉まると、不安感から逃げたい衝動にかられ、徒歩や自転車で移動せざるを得なくなった。
「ちょっとおかしいんちゃう? 心療内科とか行ってみたら」
医学部の友人に勧められて初めて、自分が病気かもしれないと気付いた。パニック障害や鬱(うつ)について、医学部の授業で分かっていたつもりだったにもかかわらずだ。心療内科に通院し、出された診断結果は「不安神経症」。これから始まる薬とのつきあいを思うと憂鬱(ゆううつ)だった。
「いろいろなことを、病気のせいにして逃げたくない」。本来は病気の治療を優先して休むべきだったが、完璧(かんぺき)主義の性格と周囲からのプレッシャーがそうさせなかった。
「医者になりたいわけではなかった。ただ、父は勤務医、母は看護教員の家庭に育ち、期待に応えようと子供心に必死だった」
自分の思いを封じ込めて進んだ医学部。医師への道をひた走る友人たちに囲まれ、脱落するわけにはいかなかった。
6回生、24歳になった深田さんが国家試験を目前にしたある日のことだ。「こんな状態では医者になることはあきらめなきゃいけない。医学部に行ったのに医者にならない人間なんて意味がない。国立大で高い税金使って学んで、病気になって、医学以外にやれることもないのに…」
首つり、薬物、飛び降り…。実家のこたつの中で、さまざまな自殺の方策が頭をよぎるが、どういう死体になるのか容易に想像できてしまう。ひどい遺体の状況を想像しては、「周囲に迷惑がかかる」と堂々巡りし、ずいぶん長い時間がたったように思った。
▼死を考えた末
「自分が死ねば、臓器も誰かにあげられる…。そこまで考えて、いや待てよ、と思い直しました。骨髄だけは生きていないとあげられないんです」
骨髄は白血球の型が患者と適合しなければ移植できないとされる。「生きることで誰かの役に立つ」と思い立ったその足で、赤十字センターへ向かってドナー登録した。気が付けば、本気で死を考えたのはわずか2時間ほどのことだった。
「それまでなんとなく、生きていた方がいいと思っていたけれど、自信が持てなかった。ドナーカードが命のお守りになった」
国家試験は1点足りずに不合格だった。「人生終わったと思った。両親もそう思ったようでした」。しかし、実際は新たな一歩のきっかけだった。患者との対話が少なく、症状を一言二言聞いて投薬する-。病院実習で目の当たりにした医療現場への違和感から、患者支援団体を立ち上げた。
「医学部生だった僕も精神科に抵抗があった。それに、自分が病気だと気付かない鬱やパニック障害の患者も大勢いるが、社会問題への意識が高かったり感性豊かな人が多い。きっと社会を変える『青い鳥』だと思います」
そこから、団体名は「オフィス・ブルーバード」と名付けた。現在、事業の一環として、インターネット上で患者と医師をマッチングするサイトの開設に向けて奔走している。
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from: 21世紀さん
2009年07月19日 01時42分19秒
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「Re:【命の処方箋】」
【from Editor】「命の処方箋」あります
2009.7.18 07:42
このニュースのトピックス:from Editor
重松清氏の短編集『日曜日の夕刊』に所収されている『桜桃(おうとう)忌の恋人』は、太宰治に耽溺(たんでき)して自殺を図り続ける女子大生となんとなく国文学科に入学したクラスメートの「オレ」を描いた佳品だ。
太宰が入水(じゅすい)した玉川上水に向かった女子大生を思いとどまらせようと、「オレ」は、「死なせるわけにはいかない。死んでほしくない。死ぬのは自由だ。け・れ・ど・も、生きるのもいい」(同書より抜粋)とダッシュする。
15日付社会面(東京本社発行版)から「命の処方箋(せん)」という企画がスタートした。
インターネット上には、自殺の方法があふれ、ネット上で“出会った”他人同士が集団自殺するような陰惨な事件も相次いでいる。「生きていくための問題解決の方法を示すことで自殺を防ぎたい」という自殺防止サイト「生きテク」(オキタ・リュウイチ代表)に寄せられた体験談をもとに「命の処方箋」を探った企画だ。
企画の1回目は、自動車事故で大けがをして、ぐにゃりと曲がった鼻、折れたほお骨、高さが異なる左右の目となり、恐る恐る鏡をのぞくと「自分の顔だとは到底思えなくなった」男性が、自殺を考えてから、「新しい第一歩」を踏み出すまでが記されている。
「おれの顔、変じゃない?」と口癖のように何回も聞き、「変じゃない」と言い続けた彼女と9年間の交際を経て結婚。2歳の坊やは「幼いときにそっくり」と今は笑みを浮かべているそうだ。
2回目は、「不安神経症」と診断された男性が、首つり、薬物、飛び降り…などと、自殺の方策が頭をよぎる中で、骨髄移植に思いをめぐらし、「生きることで誰かの役に立つ」と、ドナー登録。「ドナーカードが命のお守りになった」ことを伝えていた。
平成20年の自殺者は3万2249人-。警察庁の統計によると、年間の自殺者は昨年まで11年連続で3万人を超え、戦後3回目のピークを迎えている。
自ら死を選ぶ人が増え続けるという最悪の国難に、無力化し溶解するばかりの政治はどう向き合おうというのだろうか。
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