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配偶者からの暴力(DV)問題

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  • from: 21世紀さん

    2010年06月12日 13時40分33秒

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    新潟水俣病公表から45年

    痛み今も消えず


    「新潟水俣病」の発生が公式発表されてから、12日で45年。偏見と差別にさらされた被害者の痛みは今も消えないが、一方で、県や国の救済措置により、これまで沈黙を守っていた被害者が、ようやく声を上げられるようにもなってきた。かつて裁判を戦った被害者や、見守り支え続けてきた医者や支援者たちは、今どんな思いで、この節目の年を迎えているのか、取材した。 (渡辺光彦、小田克朗)

    ■1次訴訟原告の五十嵐松男さん

      1965年6月12日、県と新潟大は「原因不明の有機水銀中毒患者が阿賀野川下流域に散発」と新潟水俣病発生を発表した。直後に流域で始まった健康調査を受けた新潟市東区津島屋の漁師五十嵐松男さん(72)の頭髪からは、基準の数百倍にあたる320ppmの水銀濃度が確認された。

     10歳代から毎日のように阿賀野川に漁に出て、ウグイやニゴイなどの川魚を捕っていた五十嵐さんは、発表の数年前から川が濁る現象をたびたび目撃していた。「昭電が何か流している」。漁師仲間の間でうわさは広がっていたが、9年前に熊本で起きた水俣病も知らず、川魚を食べ続けた。

     異常な水銀値が確認されると、新潟大病院に強制入院となり、様々な検査を受けた。思い返せば、頭がボーッとしたり、風邪をひきやすかったり、と自慢の体には異常が出ていた。

     翌年以降、県や新潟大、国の研究班が、上流にある昭和電工鹿瀬工場の排水が原因と指摘するが、昭電は地震による農薬流出説などで反論。漁獲規制で生計も影響を受ける中、「昭電の言い分はどう考えてもおかしい」と、患者団体(現・新潟水俣病被災者の会)に入り、67年に始まった新潟地裁での1次訴訟の原告となった。

     「昭電の圧力が強く、裁判に勝つとは思わなかった」が、約4年後、原告勝訴の判決を東京の昭電本社前での座り込み中に知った。水俣病訴訟で初めて原告が勝った裁判だった。当時のうれしさは忘れられない。

     高齢になった今、手足のしびれやひどい耳鳴りに悩まされるが、被災者の会会長として会員が一日でも長生きすることを願っている。

    ■「語り部」を続ける小武節子さん

     「体験を伝えることが『生き証人』の使命。何か一言でも相手の心に残れば」

     「新潟水俣病被害者の会」会長の小武節子さん(73)は、現在も、新潟水俣病の教訓を後世に伝える県立資料館「環境と人間のふれあい館」で「語り部」を務める。2001年の開館以来、120回余り、延べ7000人以上の子供や教師らに語りかけてきた。

     国と原因企業の昭和電工(東京)を相手取った2次訴訟の原告団の一員として、1995年に政治決着するまでの13年間、闘った。認定患者に支給される手当欲しさの「ニセ患者」と中傷されたことや、手足のしびれなどが発症した夫(77)が酒におぼれ、家庭内暴力を振るったことに話が及ぶと、今でも涙が止まらない。

     「新潟水俣病に対する社会の受け止め方が変わった」と肌で感じたのは、国などの責任を認めた04年の関西水俣病訴訟の最高裁判決から。その後、未認定患者に福祉手当を支給することなどを定めた県の条例や、水俣病被害者救済法が制定された。

     「これまで沈黙していた人たちが被害を訴えやすくなってきた。私たちの地道な活動も、少しは役立っているのでは」と控えめに話す。新潟水俣病で苦しんだ人たち全員が救済されること。そして、自分の話が人から人へと語り継がれ、2度と同じ過ちが繰り返されないこと――。その願いを実現させるためにも、体力の許す限り、「語り部」を続けるつもりだ。

    ■救済措置に277人

      水俣病未認定患者救済の新たな枠組みとして5月から受け付けが始まった水俣病被害者救済法の救済措置への申請が、同月末現在で県内で277人に上ったことが県生活衛生課のまとめでわかった。同課によると、指定医療機関である新潟大病院で、来週以降に公的検診が始まる見込み。

     同課によると、そのうち一時金210万円の給付を求めずに、医療費が無料となる現行の「保健手帳」から制度変更に伴って「水俣病被害者手帳」への切り替えのみを希望している人が約2割を占めた。一時金を申請すれば公的検診が必須で、「医療費だけで十分」「大学での検診が面倒」などとした申請者がいたほか、症状が認められなければ手帳を返納しなければならず、不安を抱えて敬遠した被害者も少なくないとみられる。

     県内での申請は5月6日に始まり、県と新潟、阿賀野、五泉各市、阿賀町で受け付けている。救済法では、手足の先のほうがしびれる感覚障害と全身の感覚障害のどちらの症状も救済対象となり、保健手帳所持者や訴訟の原告ら約450人に潜在患者を加えた人数が対象者となる。

     同課は、「保健手帳所持者の8割にあたる人が申請しており、救済措置がある程度周知された結果とみている。制度を知らない人がいないよう、今後も広報を徹底したい」としている。

    (2010年6月12日 読売新聞)

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