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from: 21世紀さん
2011年11月09日 09時36分33秒
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【from Editor】
家族への愛に生きた女性
2011.11.9 08:09
デスクの電話が鳴ったとき、胸騒ぎがした。電話の主は、国文学の第一人者、中西進さんだった。「実は妻が亡くなりまして…」。「えっ!?」。突然の訃報に、頭が真っ白になった。亡くなったのは9月19日、享年65。持病の腎臓病が悪化したのだそうだ。奥さまはひろ子さんという。ピアニストの中村紘子さんと名前が似ているが、容貌もどことなく似ていた。
中西さん夫妻はおしどり夫婦として知られる。ひろ子さんは中西さんの講演会には必ずと言っていいほど同行し、後ろの方の席で、うなずきながら耳を傾けていた。
東日本大震災にまつわる、忘れられないエピソードがある。夫妻は震災後、被災した大学に役立ててもらおうと、知り合いの教授に直接、義援金を送ろうと決めた。「そうね、義援金を送るなら年収の半分ぐらい送らないといけないわね」とひろ子さん。「え?それは多すぎるのでは? 3分の1か、4分の1ぐらいでどうだろう」という中西さんに、「分かったわ」とだけ答えたという。
後日、中西さんが「義援金、どうなった?」と尋ねると、「ええ、ちゃんと振り込んだわよ」と答えるのみで額は言わない。「いやあ、本当に年収の半分を送ったんだと思いますよ」と中西さんは笑いながら話してくれた。ちなみに義援金を受け取った大学では、被災した学生などのためにお金を使い、それでも余ったので、自治体に寄付したそうだ。
阪神大震災のときには、こんなことがあった。夫妻は京都在住なので、かなりの揺れがあったのだろう。夜明け前の突然の地震に、ひろ子さんはベッドから飛び起きると、まず中西さんに自分の枕を投げたという。中西さんが怪訝(けげん)な顔をしていると、「何をしているの。自分の大切な頭を守りなさい」と叫び、ひろ子さん自身は部屋を飛び出して玄関までのすべての扉を開け放ったという。ひろ子さんは直感的に物事の本質を見抜き、行動に移す能力を持っていたのだと思う。
不幸なことに夫妻はかつて、お嬢さんの一人をスキューバダイビングの事故で亡くしている。2人の悲しみはいかばかりであったろう。ひろ子さんが亡くなった9月19日は、奇(く)しくもお嬢さんの十三回忌の命日だった。
ひろ子さんは「逝く人のその道飾れ秋の花」という句をのこして旅立った。12月には京都で「中西ひろ子 花の会」というお別れの会が開かれる。(大阪文化部長 深堀明彦)-
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