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from: 改革フォーラムさん

2009年12月30日 13時35分24秒

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池田大作の慢心の正体を衝く

(上)------------------------------------------------------------------------

(上)

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(『慧妙』H13.11.1)

 今日の創価学会が引き起こしている、仏法上・世間法上の様々な問題(ことに、仏法上においては三宝破壊の大謗法、世間法上においては日本の国家機構の乗っ取り)は、すべて池田大作の「慢心」から生じたものである。では、池田大作の慢心とは、どのようなものなのか。ここに、その正体を究明してみよう。
 池田大作の人並み外れた「慢心」……。それを物語る資料は数えきれない程ある。
たとえば、自らを「日本の国主であり、大統領であり、精神界の王者であり、思想文化一切の指導者・最高権力者である」などと誇称した妄言や、あろうことか、池田大作を本仏に匹敵させる発言・著述・指導、あるいは、正本堂を大聖人御遺命の本門事の戒壇であると強弁して、池田がそれを建立した大功労者たらんとする発言、あるいは、「戒壇は豆腐のカスのようなもの、オカラにすぎない」という不遜(ふそん)な発言……等々。
 これらを1つずつ列挙したら、とうてい枚挙に暇(いとま)がないので、それは別の機会に譲るが、こうした池田大作の慢心は、どのようなところから起きていたのだろうか。
ここで池田大作の慢心の中味を整理・検討し、その正体を明確にしておこう。


【会長を「仏」と僭称した池田大作】
―会長本仏論とはまさに「池田本仏論」―
 第66世日達上人は、
 「最近わかったのですけれども、すでに昭和38、9年ごろから『会長が仏だ』という話は出ておるんです。それを我々は知らなかった」(昭和54年3月31日)
と仰せられ、池田大作(当時・会長)を仏と仰ぐ、いわゆる「会長本仏論」が、そうとう以前から学会内に蔓延(まんえん)していたことを指摘されている。
 この会長本仏論を言い始めたのは誰であったかというと、それは他ならぬ池田大作自身であり、その時期は正確には昭和33年からであった。
 「仏さまは、ウソをつかないと私は信じます。また、会長先生もウソはつきません。仏さまです」(昭和33年9月14日)
 「戸田先生は仏さまであられます」(昭和35年4月1日)
 すなわち、戸田城聖2代会長の没後、創価学会は会長空席の期間が2年間にわたって続いたが、その間に、総務であった池田大作が、組織的にも完全に学会内の全権を掌握し、3代会長への道を確実なものにしていった。
 そして、まさにその時期、池田は、「会長先生は仏さま」という宣伝を繰り返して会長本仏論を学会内に浸透(しんとう)させ、その上で、昭和35年5月、自らがデッチ上げた「仏の座」である会長職に就任したのである。
 かくいうと学会員たちは、組織で教えられているとおりに、
 「池田センセーが仏で何が悪い!?大聖人は『法華経を持つ者は必ず皆仏なり』(御書1047頁)と仰せである。一切衆生が仏界をもっており、その上、お題目を唱えている者は全て仏なんだから、池田センセーも仏でよいではないか!!」
などという、習い損(そこ)ないの反論をする。
 だが、池田大作の言う「仏さまはウソをつかない」「会長先生は仏さま」という意味は、「会長も一切衆生の一人として仏」などというものではなく、「一切衆生の中でも会長こそ、他から尊崇(そんすう)されるべき仏」というものであって、ここでいう「仏さま」とは、まさに信仰の対象たる「御本仏を意味する仏さま」なのである。
 その証拠を挙(あ)げる。
 「『妙法への帰命』という理念は、具体的な実践でいうならば、希有の師への帰命、すなわち『戸田城聖への帰命』でなければならぬ。」(『人間革命』第3巻)
 ここで池田は、創価学会会長への「帰命」を説いているが、いうまでもなく「帰命」とは
 「一切の仏の始めは南無と申す。南無と申すは月氏(がっし)の語、此の土にては帰命と申すなり」(御書1672頁)
 「一切のかみ仏をうやまいたてまつる始めの句には、南無と申す文字ををき候なり。南無と申すはいかなる事ぞと申すに、南無と申すは天竺(てんじく)のことばにて候。漢土・日本には帰命と申す。帰命と申すは我が命を仏に奉ると申す事なり」(御書1544頁)
 「南無とは梵語(ぼんご)なり、此には帰命と云ふ。帰命に人法之有り。人(にん)とは釈尊に帰命し奉るなり、法とは法華経に帰命し奉るなり」(御書1719頁)
等と仰せのごとく「南無」のことであり、本来我々が南無(帰命)すべき信仰の対象とは、御本仏・日蓮大聖人(久遠元初の釈尊)と、南無妙法蓮華経の御本尊(文底下種の法華経)のみである。
 しかるを、「妙法への帰命すなわち戸田城聖への帰命」などといったら、それは、御本尊への帰命イコール創価学会会長への帰命、という意味になり、まごうことなき会長本仏論となる。
 さらに池田は、最高幹部達に
 「まさしく、現代における人への帰命とは師匠への帰命であり、池田会長への帰命となる」(『ひのくに』昭和50年第10号)
等と指導させ、ここに、池田の企図する会長本仏論、すなわち「池田大作本仏論」が成立する。


【「池田本仏論」が学会内に蔓延】
―御先師日達上人「宗旨に背く」と明快に破折―
 ゆえに、学会出版物の中には、以下のごとく、池田本仏論を述べた記述や指導が随所(ずいしょ)に散見されるのである。
 「世界を守る池田先生のみ、現在において主徳をそなえていらっしゃる。(中略)私たちの師匠池田先生のみ師徳具備でいらっしゃる。(中略)身命を惜しまず、われわれ学会員のしあわせを願ってくださる池田先生こそ、親徳具備でいらっしゃる」(『大白蓮華』昭和41年2月号)
 「私から幹部の任命を受けることは、記別(きべつ=仏が弟子達の未来の成仏を約束すること)を受けることです。これなくしては法華経を持つといえども無益である」(『前進』昭和42年2月号)
 「私は何も言わなくてもみな見えているよ。とても敏感なんだ。……私は言ってあげて、罪業を切ってあげているのだ」(『前進』昭和41年1月号)
 「なんだかんだ云っても、私とつながりがあるから福運がつく」(第40回社長会・昭和45年11月19日)
 「私の頭の中にあることは全部事件をまぬがれる。頭を通るだけで良くなる。(だから)何でも話しておかねばならないのだ」(第15回社長会・昭和43年8月3日)
 「皆さん方に題目を送ります。皆さん方もしっかり題目をあげてほしい。送信機がいくら立派でも、受信機が壊れていてはだめだ」(『前進』昭和44年10月号)
 「私には全部わかっている。又、本部から、いつも会えないから、電波を発信しているのだけれども、いくら発信しても受信機が壊れていては何もならない」(『前進』昭和45年5月号)
 「私を離れて、いくら戦ってもダメだ。私と境智冥合していなければ、異体同心とはいえない」(『前進』昭和40年6月号・池田指導)
 学会員のために念のため説明しておくが、末法において主師親三徳を兼備(けんび)するのは御本仏日蓮大聖人だけであり、弟子檀那(だんな)に成仏の記別を授けることができるのも御本仏だけ。また、三世十方(さんぜじっぽう)を全て御覧になることができるのも、衆生に福徳を与えるのも、衆生の境智冥合の対境となるのも、全て御本仏の境界においてのみ、なしうるのである。
 されば、これらの記述は、いずれも「学会員の信仰の対象を池田大作に定める」という、池田本仏論に他ならない。この池田本仏論に対し、御先師日達上人は、次のように破折(はしゃく)を加えられた。
 「御書に『天に二日無く、地に二王無し、一仏境界、二尊の号なし云々』ということを、仰せになっております。(中略)一仏境界、一の仏が化導をするその範囲は、ただ二尊の号無し。即ちただ一人の仏である。というお言葉でございます。
 だから、末法万年、尽未来際まで大聖人様の南無妙法蓮華経は、慈悲のために垂(た)れ給うたのであります。ゆえに大聖人は末法尽未来際に至るまでの、久遠の仏様であります。それが我々の、日蓮正宗の教義であります。
 最近ある所では、新しい本仏ができたようなことを宣伝しておるということをうすうす聞きました。大変に間違ったことであります。もしそうならば正宗の信仰ではありません。正宗の信徒とは言えません。
(中略)大聖人様以外に本仏があるなどと言ったらば、これは大変なことである。(中略)広宣流布はしなければならん、けれども教義の間違った広宣流布をしたら大変であります」(昭和49年4月25日)
 要するに、御本仏は日蓮大聖人ただ御一人であり、その外(ほか)に、もう一人の本仏を立てるなどということは、宗旨(しゅうし)の根本に背く大謗法だと示されたのである。
普通、ここまでの道理と御金言を示され、また時の御法主より破折されれば、肝(きも)を潰(つぶ)し、まさに息絶(た)えるの想いをなして、ただちに反省懺悔(さんげ)しそうなものだが、しかし池田大作らは、さほどの痛痒(つうよう)を感じた様子もなく、独自の謗法路線を走り続けた。
 それはなぜか。なぜ池田らは、「御本仏は大聖人御一人であり、もう一人の本仏を立てることは大謗法」という道理を示されても、屈伏(くっぶく)しなかったのか。

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from: 改革フォーラムさん

2009年12月30日 13時39分20秒

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「Re:池田大作の慢心の正体を衝く」
(中)

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(『慧妙』H13.11.16)

 昭和42年10月12日、池田大作は正本堂の発誓願文において、
 「詮する所、正本堂の完成を以(もっ)て、三大秘法ここに成就し『立正』の二字、すでに顕現(けんげん)・せんとす」
と述べ、ナンバー2の北条浩(当時・理事長)は、『大白蓮華』(昭和45年5月号)に、「三大秘法完結の時代を迎えて」と題し、
 「すでに大聖人御在世中に、<慧(え)>たる本門の題目、<定(じょう)>たる本門の本尊は建立された。そして、ただ<戒(かい)>たる本門の戒壇のみが『時を待つべきのみ』と後世に残されたが、ここに深い意義を感ずるのである。(中略)ここに正本堂建立が、三大秘法の完結を意味するという、仏法史上重要な意義」
云々と述べた。
 すなわち、「正本堂は広宣流布の暁に建立される本門の戒壇であり、大聖人の顕わされなかった本門戒壇を池田大作が願主となって建立し、ここに三大秘法が完結する」というのである。
 ここで、正本堂建立の意義を巡(めぐ)っての議論は、本稿の論旨ではないので別な機会に譲るが、問題は、この正本堂建立を利用した池田大作の大慢心である。


【天台・伝教の先例を利用した池田指導】
―婉曲な表現ながら池田のホンネは露わ!!―
 すなわち池田は、『撰時抄』『報恩抄』に
 「法華経の円頓(えんどん)の別受戒を叡山(えいさん)に建立せしかば、(中略)伝教大師は、其(そ)の功を論ずれば竜樹・天親にもこえ、天台・妙楽にも勝れてをはします聖人なり」(御書842頁)
 「されば内証は同じけれども、法の流布は迦葉・阿難よりも馬鳴(めみょう)・竜樹(りゅうじゅ)等はすぐれ、馬鳴等よりも天台はすぐれ、天台よりも伝教は超えさせ給ひたり」(御書1036頁)
 「正像二千年の弘通(ぐつう)は末法の一時に劣るか。是(これ)はひとへに日蓮が智のかしこきにはあらす、時のしからしむるのみ」(同頁)
等とある御文を示した上で、さらに
 「インド、中国、日本の3国にわたり、2千余年の仏教の歴史において、時に応じて出現したあらゆる論師、大師、大菩薩、大僧正等々と崇重されし人々よりも、日蓮大聖人の御弘通が勝(すぐ)れたもうこと百千万億倍である。しかるに日蓮大聖人は、本門の題目、本門の本尊のみ建立あって、本門戒壇の建立は後世の弟子に遺付(ゆいふ)あそぱされたのである。
 ゆえに後世において、その時を得、本門戒壇建立の成就される時こそ、3千年の仏教史の最も重大な時である。日蓮大聖人の御入滅後7百年、国家権力の迫害を受けて、拷問(ごうもん)され、追放され、遠流(おんる)され、首斬られし人々よりも、我ら創価学会の弘通は遥(はる)かに勝れている。あるいは江戸時代のごとき大平時代に、幾千万巻の経典を結集したり、多くの師弟の養成をなした人々よりも、われらの弘通は百千万億倍勝れるのである。これすなわち時のしからしむるのみ」(昭和39年11月『撰時抄講義』の序)
などと放言し、当時の理事長だった原島宏治氏も、
 「日蓮大聖人御入滅後7百年、創価学会は、その御予言を実現する時を迎えたのである。釈迦一代の説法も、日蓮大聖人の御出現なくんば、だれびとか、これを証明する者があろうか。竜樹、天親(てんじん)は申すにおよばす、天台、伝教といえども、末法適時(ちゃくじ)の大法を知りつつ、これを顕現すべき時を得なかったのである。
 いまや、末法出現の御本仏、日蓮大聖人の御遺命(ごゆいめい)たる本門戒壇の建立、すなわち王仏冥合の達成は、だれびとの手によって成就さるべきか。過去において、幾多の強信者、先覚者は現われたであろう。しかし、時いたらず、ついに大衆的、組織的活動に発展せずに終わった。
 今正(まさ)しく化儀(けぎ)の広宣流布達成の時である。この時をわきまえずして、いかに天下国家を論じようとも、所詮は戯(け)論にすぎない」(昭和39年11月『撰時抄講義』発刊の辞)
等と述べている。さすがに婉曲(えんきょく=回りくどく)に表現してはいるが、詰まるところ、大聖人の仰せられている「天台大師と後身(ごしん)の伝教大師は、その内証は等しいけれども、迹門(しゃくもん)戒壇建立という法の流布において、天台より伝教の方が勝れる」(趣意)との御金言を前提として、
 「日蓮大聖人ですら建立できなかった本門戒壇を、7百年後に建立する池田大作は、その弘通において大聖人より勝れる(いわんや、7百年間に出現した先師方や、法難によって斬首された熱原の三烈士、また江戸時代に、甚深の教学を体系化して数多の人材を輩出された日寛上人等よりも、池田は百千万億倍勝れる)」
 「釈尊の予言を証明した大聖人は釈尊よりも勝れ、大聖人の予言を証明した池田は大聖人よりも勝れる」
と言いたいのである。
 こうした池田のホンネは、種々の発言の中にも顕われている。
 「大聖人の場合は人数も少なかった、時代も違う。弟子も少なかった。信者も少ない。そういう意味からいえば楽である。我々の場合には時代は激動である。そしてマスコミもある。陰険な人間ばかりである。大変なことである。しかし一代で終らない。大聖人の場合には一代で一応終えられた」(昭和52年1月16日・第4回伸一会総会)
 「大聖人は700年前ご出現なされた。しかし、全然広まらなかった。創価学会が正しいんです」(同年1月26日・第2回「インタナショナルの日」)
等々。これらを見れば、池田が、自分は弘通において大聖人より勝れる、との大慢(だいまん)を抱(いだ)いていたことは、誰れの目にも明らかである。

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