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from: 改革フォーラムさん
2011年02月12日 19時28分55秒
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「Re:理念なき御都合主義」
「総体革命」と自公連立(仮題)
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―正体を現した「自民党の別働隊」―
(ジャーナリスト・溝口敦『フォーラム21』H15.12.1抜粋)
名誉会長・池田大作が唱える「総体革命」とは創価学会が天下を取るという状態を指す。池田はどのような施策を推進したいかといった具体的な政策を持たない。したがって政策の遂行は目的になり得ず、「総体革命」は単に政権をほしいままに牛耳れる状態への憧憬を内実とする。
すなわち総体革命はせいぜいこれまで創価学会・公明党を「いじめた敵陣営をひどい目に遭わせる」といった程度の「政策」しか持たず、本質的には無内容である。政策はどうでもいい。政権の維持だけが眼目であり、政権の一角を占めるという状態こそ全てなのだ。そのためにイラク派兵や年金改悪など、公明党は自民党以上に悪政推進に荷担する。客観的に、右傾化への加速要因として公明党は存在するといって過言ではない。
創価学会が単独で天下を取れないことはほぼ確定的である。そのために創価学会・公明党はつねに勝ち組に寄生する。ふつうパラサイトは安楽に寄生し続けることを目的とするから、自民党なら自民党という宿主は倒さない。宿主を倒せば寄生が成り立たず、共倒れになることが自明だからだ。
だが創価学会・公明党の歴史に明らかなように、彼らは意図しようとしまいと関係なく、手を結んだ相手を滅ぼす。おそらく自民党は手を結ぶ相手としては最大で、最後となる勢力にちがいない。今後の展望として民主党への政権交代が、予想されるが、選挙戦で民主党が戦い、勝つ相手は「自民+公明党」の合体相であり、公明党を政権に入れなければならない必然性はないからだ。
公明党はかつてヌエ的とかジグザグ路線とか、その定まらない政治姿勢を揶揄されてきた歴史を持つ。だが、創価学会・公明党はもともと自民党そのもの、あるいは自民党の別働隊だったと見ることはできないだろうか。彼らは主に社会的底辺層に幻覚を振りまくことで、革新政党に票が流れることを阻止してきた。もちろん社会的底辺層の政治的な要求をすかしなだめ、ごまかし、裏切り、その票を掠め取るばかりか、隣人の票を掠め取るようこき使った。児玉誉士夫が喝破したように創価学会が日本の「革命」を阻止するダムになった。
今、自民党と一対一、さしで連立を組むのは単に正体を現したということでしかなかろう。彼らを護憲の党とか、清潔、良識の党などと見ていた方がバカだったにすぎない。しかしそういう幻想を抱いた者のうち最大の被害者は学会員である。彼らの生活を顧みれば、いかに創価学・公明党が彼らの政治的、経済的利益を裏切ってきたか、年金改悪一つ見ても明らかではないか。彼らは創価学会・公明党に対決しないまでも、遠からず無党派層に転じ、低投票率の中でも投票所に出かける学会員であることからドロップアウトするにちがいない。icon
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王様、
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from: 改革フォーラムさん
2011年02月11日 11時26分42秒
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「池田大作」創価学会名誉会長は「脳梗塞で車椅子」と講演した「星浩」朝日新聞編集委員
創価学会脱会推進委員会
「週刊新潮」平成23年2月10日号
http://6730.teacup.com/tasakuikeda/bbs/111-
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from: 改革フォーラムさん
2011年02月09日 17時30分35秒
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理念なき御都合主義
―本音(権力欲と名誉欲)と建前(平和主義・人道主義、広布達成のため等)の間で―
公約の反古は当たり前、政治理念もコロコロ変わるカメレオン政党 その「心」は?
[国民・新会員向け建前]
・「庶民の党」「清潔で公正」「世界平和主義」(公明党公式サイトより)
・政教分離→会員の政治活動は自由
[会員向け建前]
政治活動は広布の戦いの一環。だから、選挙で公明党を支援することは仏道修行であり、功徳がある。
[ホントの本音]
・「権力奪取」(池田の権力欲の充足)→池田自身が『身延相承書』で説くところの「国主」または『観心本尊抄』で説くところの「賢王」となって広布を達成する、あるいはその師匠=国師となるという「宗教的権威」の獲得という側面もある。これは、上記会員向け建前とも合致
・池田先生をお守りするための党(元公明党委員長・矢野絢也『週刊新潮』H22.3.11)
●創価学会・公明党には、(中略)時代と民衆の要望を口実として、どのような原則をも状況次第によっては変えるという政治的作為の論理が、いつもその底流にあるといわなければなるまい(藤原弘達『創価学会を斬る』)
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イラク派兵に対する公明党の態度と照らし合わせてみて、この指摘はあまりに的を射ていたと言えまいか。(参議院議員・平野貞夫『月刊現代』H16.5)
●違和感を覚える学会員がいても、変化を進化と捉える上層部が、「お前たちの言うことは時代遅れだ」と説得すれば、結果的にそれに従うのです。教団では、上層部の指導に従わないと自分の人生を「全否定」することになる。創価学会員は自分で自分を説得するのです(公明党三役経験者発言『文藝春秋』H15.8)
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コロコロと政策や政治行動が変節する公明党。それでも学会は公明党を支持し、学会員は学会組織の指示に従う。宗門から破門された学会は、これまで宗旨の根本と会員に教えてきたことを完全に否定した。それでも、多くの学会員が学会についてきた。宗教的信念さえ、簡単に捨て去る学会員であれば、公明党の変節など、取るに足りない些事なのであろう。かつて佐高信氏は「公明党は自民党の"下駄の雪"」と評したが、学会員は学会(池田大作)の下駄の雪である。-
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from: 改革フォーラムさん
2011年02月07日 13時30分32秒
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「Re:池田礼賛」
大聖人は「愚人に誉められるは恥」と
【法華経の行者としての立場が前提】
1●貴辺又日蓮にしたがひて法華経の行者として諸人にかたり給ふ是れ豈流通にあらずや、法華経の信心・とをし給へ・火をきるに・やすみぬれば火をえず、強盛の大信力をいだして法華宗の四条金吾・四条金吾と鎌倉中の上下万人乃至日本国の一切衆生の口にうたはれ給へ、あしき名さへ流す況やよき名をや何に況や法華経ゆへの名をや、女房にも此の由を云ひふくめて日月・両眼・さうのつばさと調ひ給へ、日月あらば冥途あるべきや両眼あらば三仏の顔貌拝見疑なし、さうのつばさあらば寂光の宝刹へ飛ばん事・須臾刹那なるべし(『四条金吾殿御返事』全集1117頁〜)
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この御文は、「法華宗の四条金吾」「法華経ゆへの名」とあるように、法華経の行者として広く知られるように「法華経の行者として諸人にかたり給ふ」ことを勧められたものではないのか。池田のように、破折もせずに称号や勲章を貰うこととは全く次元が違う。
●人身は受けがたし爪の上の土・人身は持ちがたし草の上の露、百二十まで持ちて名を・くたして死せんよりは生きて一日なりとも名をあげん事こそ大切なれ、中務三郎左衛門尉は主の御ためにも仏法の御ためにも世間の心ねもよかりけり・よかりけりと鎌倉の人人の口にうたはれ給へ、穴賢・穴賢、蔵の財よりも身の財すぐれたり身の財より心の財第一なり、此の御文を御覧あらんよりは心の財つませ給うべし。(『崇峻天皇御書』全集1173頁)
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大切なのは「心の財」すなわち信心である。「世法即仏法」の意義からいえば、正しい信心をしている人が世法においても実証を示し、高い評価を得ることは当然である。しかし"逆は必ずしも真ならず"で、高い評価を得ているからといって正しい信心をしているとは限らない。池田の場合は「仏法の御ためにも」と世間から賞賛されたことはないし、平和だの文化だので貰った称号や勲章も、金品の見返りであれば「世間の心ねも」芳しくない(笑)。
ところで、四条金吾殿が「主の御ためにも仏法の御ためにも世間の心ねもよかりけり・よかりけりと鎌倉の人人の口にうたはれ」ることは残念ながらなかった。四条金吾殿だけではなく、その他の信徒においても同様であった。大聖人御在世だけではなく、滅後現在に至るまで、そのような方は、未だ出現されていないといってよいだろう。この事実と「猶多怨嫉・況滅度後」の御金言から推測するに、「仏法の御ためにも世間の心ねもよかりけり」と「人人の口にうたはれ」る状況が現実となるのは広宣流布がかなり進んだ時代ではなかろうか。
とすれば、仮に学会が"広布の団体"だと仮定しても(実際は異なるが)、未だ日本においてさえ1割にも満たない会員数の現状(<世帯数>参照)で、池田が「仏法の御ために」「心ねもよかりけり」と「人人の口にうたはれ」るはずがない。もし、そんな有り得ないことが起こっているとすれば、それは折伏をせずに世間的風潮に迎合しているからに他ならない。
●仏法の邪正こそ愚人なれば知らずとも世間の事は眼前なれば知りぬらん(『弥源太入道殿御消息』全集1230頁)
2●日蓮は日本国の諸人にしうし父母なり一切天台宗の人は彼等が大怨敵なり「彼が為に悪を除くは即ち是れ彼が親」等云云、無道心の者生死をはなるる事はなきなり、教主釈尊の一切の外道に大悪人と罵詈せられさせ給い天台大師の南北・並びに得一に三寸の舌もつて五尺の身をたつと伝教大師の南京の諸人に「最澄未だ唐都を見ず」等といはれさせ給いし皆法華経のゆへなればはぢならず愚人にほめられたるは第一のはぢなり(『開目抄』全集237頁)
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「愚人」とは「仏法の邪正」を知らない人である。だから愚人を折伏(仏法の正邪を説く)すれば、「大悪人と罵詈」される。愚人といえども「世間の事は眼前」だから知っている。だから世間の事で愚人に誉められる事自体は悪いことではない。しかし、ここでは「彼が為に悪を除くは即ち是れ彼が親」とあるように、布教の正しいあり方について論じられているのである。池田が大聖人の弟子であり法華経の行者だと自認しているのであれば、池田が膨大な時間を割いて行っている"平和文化活動"は布教の一環でなければならない。しかし、その布教活動において破折もせずに世間体のよいことばかり言って誉められたとしても、「愚人にほめられたるは第一のはぢなり」に該当し、大聖人門下としては決して誉められたことではなく、むしろ恥なのである。
◆台湾・台南県が第1号の授与 池田SGI会長を「名誉県民」に(中略)SGI会長の長年にわたる文化・教育・地域社会への貢献を讃(たた)えたもの(『聖教新聞』H15.1.6/『慧妙』H15.4.1)
●モンゴルと創価学会は数年前から交流を始め、大統領が来日したときに創価大学を訪ねて講演し、創価大学もモンゴルからの留学生を受け入れている。また創価学会系の民主音楽協会がモンゴル伝統音楽を日本に紹介してくれたほか、モンゴルの雪害のとき創価学会が援助してくれました。このような活動を評価し勲章を贈りました(モンゴル大使館広報担当者『週刊現代』H18.11.11)
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池田の受賞は世俗的活動に対する評価であって「彼が為に悪を除く」という仏法上の慈悲の行為によるものではない。つまり池田は「仏法の御ために」「心ねもよかりけり」と「人人の口にうたはれ」てはいないのである。
★授与者は、池田の世間的言動(平和文化活動?)を評価したのであって法華経の行者であることを賞賛したのではない。
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つまり池田は「法華経の行者として諸人にかたり給ふ」(1●)ことをしていないし、当然「法華経ゆへの名」(1●)を流布してもいないのである。
★池田は、称号や勲章の授与者を折伏(三大秘法でなければ幸せになれないと言い切る)した訳ではない。
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池田は"平和文化活動"と称する布教活動(もし、そうでないというならば「他事」〈下記3●〉にうつつをぬかす似非仏法者となる)において、折伏(「彼が為に悪を除く」〈2●〉行為)をせずに「愚人にほめられた」(2●)ことになるが、これは仏法者として「第一のはぢなり」(2●)である。
3●今日蓮は去ぬる建長五年〔癸丑〕四月二十八日より今年弘安三年〔太歳庚辰〕十二月にいたるまで二十八年が間又他事なし、只妙法蓮華経の七字五字を日本国の一切衆生の口に入れんとはげむ計りなり(『諌暁八幡抄』全集585頁)
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破折しない平和文化活動は「他事」に含まれる。
【金品の見返りで得た世間的名誉】
●ベネズエラ、ドミニカ、ブラジル、ペルー、コロンビア、アルゼンチン、チリ、パラグアイといった中南米の国が大半で、麻薬王として知られた独裁者・ノリエガ将軍のパナマ、カストロ議長のキューバからも国家勲章を受けている。(『週刊現代』H18.11.11)
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"貧しい国"から勲章を貰っているという印象。これは何を意味するのか。
●うちの大学(※スペインの国立大学・マドリード・コンプルテンセ大学)は'80年代に創価学会から3000冊の図書を寄贈されました。その際、創価学会側から池田氏に「学術称号を授与できないか」と打診がありました。もちろん、お断りしました(『週刊現代』H18.11.11)
●池田氏は'83年に国連平和賞を受賞しているが、創価学会は'73年から'82年までに国連広報局の資料編纂協力や難民救援募金などの名目で3億3300万円を寄付している。(『週刊現代』H18.11.11)
●昨年8月、韓国SBS放送が創価学会の特集番組を放送。その中で池田氏に名誉教授の称号を贈った忠清大学のチョン・ジュンテク総長が、学会から図書資金などの名目で5億ウォン(約6200万円)以上の援助を受けたと証言したのだ。(放送後、創価学会サイドはテレビ局に猛抗議、SBSは「訂正放送」を余儀なくされた)。(『週刊現代』H18.11.11)
★池田の場合は、多額の金品を寄付した相手に限って受賞している。
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これが事実ならば、池田は仏法上だけではなく世法上においても恥ずべき行為をしていることになる。この事実を知れば世間の「愚人」(2●)もほめることを止めるだろう(笑い)。icon
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from: 改革フォーラムさん
2011年02月07日 13時28分32秒
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「Re:池田礼賛」
大聖人は「愚人に誉められるは恥」と
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―「悪ふざけ」座談会を斬る―
―青年部幹部が池田への顕彰を大宣伝!?―
(『慧妙』H18.10.16)
9月20日付『創価新報』5面に、「青年部座談会」と題する"紙上雑談会"の記事が掲載されている。竹内青年部長ら男子部の幹部連中による、悪ふざけの過ぎた雑談の記事である。
この記事で言いたいことは、日中間の国交はすべて池田大作がもたらしたものである(笑い)ということらしい。
それに付け加えて、日中国交の功労者とされていた竹入義勝氏への罵詈雑言(ばりぞうこん)が並べられているが、これが当座談会の隠された目的であることは、常人であればだれにでも理解できる。いずれにしても、相変わらずの低次元の内容で、目を覆(おお)いたくなるほどだ。
また、冒頭の見出しに、「中国70大学から『名誉教授』9大学に"研究所"」「池田会長の民間外交は燦然(さんぜん)」などと、歯の浮くようなお世辞が並んでいることからもわかるように、この座談会は「池田賞賛披露会」とでもいうべきものである。
その常軌を逸(いっ)した個人礼讃は、独裁国家に見られるものと同類であり、登場する4人が本気でこのようなことを発言しているとしたら、謗法の害毒によって狂ってしまっている、というより他ない。
あるいは、本意ではないが、将来の組織内での出世を考えて、このような猿芝居をしなくてはならないのか。まったくもって、気の毒の一言に尽きる。
当記事において、一際(ひときわ)目立つのが、池田大作に贈られたという「名誉教授」の称号である。
これは、池田のみならず、他の宗教団体の教祖や会長においても、海外の機関から勲章・称号をもらっている例が数多くある。かの立正佼成会の会長や法の華三法行の教祖も、海外の機関からいろいろな勲章や称号をもらっていたことは、周知の事実である。
だが、日蓮大聖人が
「愚人にほめられたるは第一のはぢなり」(『開目抄』御書577、全集237頁)
と戒められているように、正法護持とはまったくかけ離れた、仏法の正邪を知らない機関から、勲章や称号をもらって、それを大々的に宣伝するような心根は、まさしく仏様の教えに反した醜態(しゅうたい)である。
しかも、池田大作の受けた勲章・称号が、はたして本当に人格的要素まで評価されて授与されたものかどうか、甚(はなは)だ疑わしい。
海外在住の元SGI幹部は、スペインのマドリード大学に対して、図書贈呈と引き替えに池田大作に名誉称号をもらえるよう、創価学会本部の指示によって依頼したことを証言している。このことからしても、『聖教新聞』や『創価新報』の紙面を飾る池田大作への称号や勲章は、金品の寄付に対する見返りや返礼の類がほとんど、といえよう。
すなわち、称号や勲章は、池田大作が高潔な人格者であることの証(あかし)にはまったくならないばかりか、むしろ、池田大作の人間性の浅まさを示している、といえるのである。
また、池田創価学会における、「民間外交」、「世界平和」の実態も、まったくの虚偽や誇張であり、池田大作の名誉欲を満たさんがための名目的なものにすぎない。全世界において謗法の悪臭を撒(ま)き散らし、社会の根源悪となっている創価学会に、日本の国益を考えた外交などができようはずもないのである。
[画像]:池田への称賛をひけらかして喜ぶ『新報』
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■「愚人にほめられたるは第一のはぢなり」
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(<法蔵>H18.10.29)
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はて?大聖人は御書でこう仰せですね
◆強盛の大信力をいだして法華宗の四条金吾・四条金吾と鎌倉中の上下万人乃至日本国の一切衆生の口にうたはれ給へ(『四条金吾殿御返事』全集1117頁)
◆中務三郎左衛門尉は主の御ためにも仏法の御ためにも世間の心ねもよかりけり・よかりけりと鎌倉の人人の口にうたはれ給へ(『崇峻天皇御書』全集1173頁)
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さてここでいう愚人とは誰ですか?日蓮正宗以外の人は皆愚人というなら大聖人はなぜ四条金吾に「口々にうたわれたまへ」とおっしゃったのですか?根拠をしめしてこそ破折でしょう。叙勲の内容に触れもせず、画像がおかしいだの、全国紙がなぜ報じないだの。もうこんな日蓮正宗法華講員のヨタ話はお終いですね。
今度は全国に いや 世界に 発信 されましたよ?
※池田名誉会長に「名誉教授」=北京師範大が授与、200番目
創価学会の池田大作名誉会長(78)が7日、中国の北京師範大学から「名誉教授」の称号を授与され、東京都八王子市の創価大学で授与式が行われた。
創価学会によると、池田名誉会長が海外の大学や学術機関から受けた200番目の名誉学術称号。(時事通信)10月7日17時1分更新
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【名聞名利】
●賢人は八風と申して八のかぜにをかされぬを賢人と申すなり、利・衰・毀・誉・称・譏・苦・楽なり(『四条金吾殿御返事』全集1151頁)
●只須く汝仏にならんと思はば慢のはたほこをたをし忿りの杖をすてて偏に一乗に帰すべし、名聞名利は今生のかざり我慢偏執は後生のほだしなり、嗚呼恥づべし恥づべし恐るべし恐るべし。(『持妙法華問答抄』全集463頁)
●今度人間に生れて諸事を閣ひて三宝を供養し後世菩提をたすからんと願へどもたまたま人間に来る時は名聞名利の風はげしく仏道修行の灯は消えやすし、無益の事には財宝をつくすにおしからず、仏法僧にすこしの供養をなすには是をものうく思ふ事これただごとにあらず、地獄の使のきをふものなり寸善尺魔と申すは是なり(『新池御書』全集1440頁)
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僧に供養するどころか僧を否定し、会員の浄財を自分達の懐に入れる。その一部を大学などに寄付する。その寄付したところから称号や勲章をもらい、そのことを大々的に宣伝する。これはもう「名聞名利の風はげしく仏道修行の灯」を消した姿としかいいようがない。
◆「200」の名誉学術称号の中には、人類史に輝く偉人ゆかりの大学も少なくない。それは、池田SGI会長が、こうした偉人たちに連なる証しにほかならない(『聖教新聞』H18.10.8)
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と、かなり苦しいこじつけをした上で、池田氏に「連なる」とされる偉人の肖像画や顔写真を並べている。その顔ぶれが凄い。ゲーテ、ダーウィン、ガリレオ・ガリレイ、コペルニクス、ワット、アダム・スミス、さらに孫文、魯迅、キング牧師、周恩来首相といった教科書に出てくる世界的偉人ばかりなのだ。(『週刊現代』H18.11.11)
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池田氏は、自分を世界の著名人、偉人と同格と考えている。名誉市民や名誉会員などを含めると世界中から2000以上の勲章、顕彰をもらっているのがその証拠だというわけです。しかし宗教者が世俗の勲章でその権威を裏付けたり宣伝したりするのは、私たち同じ宗教者から見てとても滑稽です(東北学院大学名誉教授〈宗教学〉・浅見定雄『週刊現代』H18.11.11)
◆(自分の正しさは)世界が証明してくれた。私は日本の勲章なんかもらわなくてもよいのだ。(中略)日本人は嫉妬深く人間の思いが分からない。200年遅れている後進国だよ(池田大作H2.4.29於創価大学「東京記念総会」録音テープ『週刊現代』H18.11.11)
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「嫉妬」という言葉は日顕上人にも浴びせている。要するに池田は、自分を評価しない者は自分を嫉妬していると思い込んでいるのだ。思い上がりも甚だしい。
◆台湾・台南県が第1号の授与 池田SGI会長を「名誉県民」に(『聖教新聞』H15.1.6)
●県政府文化局の会議で、「池田大作は、台湾を全く認知しておらず、かつ日本では、言葉と行動が伴わず、何かと物議を醸(かも)している人物である。なぜ、そのような人物に栄誉県民証を与えたのか、不可解である」との指摘があり、熱烈な討論が行なわれた。
その結果、会議上で蘇煥智(そかんち)台南県長が謝罪し、「池田大作の背景をきちんと調査せず、ただ、学会員達の〝栄誉県民証を授与してほしい〟という強硬な要求によって、授与してしまった」と釈明した(台南県の一般地方紙『中華日報』H15.1.9/『慧妙』H15.4.1)
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問題の名誉県民号は、平成15年1月2日に授与されたもので、同月6日付の『聖教新聞』では華々しく報じられた(◆は見出し)。その記事によれば、「SGI会長の長年にわたる文化・教育・地域社会への貢献を讃(たた)えたもの」だとか。ところが、それからわずか数日後の1月9日、台南県の一般地方紙『中華日報』が、その授与に関して、重大な事実を報道したのである(●)。
●権藤恒夫さん(元公明党国対委員長)ら公明党の幹部は"池田さんがノーベル平和賞をほしがっている"と私に話していましたよ(元民主党参院議員・平野貞夫『週刊現代』H18.11.11)
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平野氏は長く公明党と新生党、新進党(いずれも当時)とのパイプ役を務め、創価学会・公明党の内情を詳しく知っている政治家の1人だ。
◆権藤さんらの話だと、池田氏がノーベル平和賞に執着するようになったきっかけは'74年に佐藤栄作元首相が非核三原則の提唱などによってノーベル平和賞を受けたことだった。池田氏は佐藤氏と親しかった。佐藤氏の受賞を見た池田氏は"オレもノーベル平和賞がほしい"と本気で言い出したそうです(同)
★池田の受賞→世法即仏法の原理から池田が仏法者として正しい証拠→布教拡大のために池田の受賞を宣伝
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このような考え自体が、本末転倒。"逆は必ずしも真ならず"で、破折もせずに世間的言動を評価されても自慢にはならない。ごく一部の世間的評価を必死に宣伝する姿こそ名聞名利に侵された証である。icon
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2011年02月06日 22時40分01秒
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「Re:池田礼賛」
『フェイク』(学会怪文書)の不見識を嗤(わら)う
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―反論したくば証拠を出してみよ!―
(『慧妙』H22.10.16)
学会怪文書『フェイク』(9月23日発行)が本紙9月16日号の福本潤一氏の対談について反論めいた記事を書いているが、手垢(てあか)のついた単なる反発と、福本氏に対する感情的な人身攻撃ばかりで、全く反論になっていない。
それでも『フェイク』は、池田大作を"全世界が認める偉人"に祭り上げようと、涙ぐましい努力をしているので、ここでは単なる悪口は捨て置き、『フェイク』の強弁を破しておく。
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実際は、大学院等で研さんを積むと基本的には誰もが取得できる博士号より、特別な功績を認められないと受けられない名誉学位の方が、取得は困難と言われている。
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名誉学位には2種類ある。真に顕著な学術的功績のある学者に贈られるものと、大学に対する経済的貢献に対して贈られるものの2つだ。池田には学術的功績など何1つないのだから、彼がコレクションにしている名誉学位が後者の方であることは明白だ。
本紙8月1日号で、中国の大学には寄付対価としての名誉学位を授与する制度がある、と絡介しておいた。つまり、金さえ積めば誰でも名誉学位を手に入れられる、ということだ。現に、池田の他にも、学術貢献がないにもかかわらず、外国の大学から名誉学位をもらっている邪宗の教祖がいる。『フェイク』の論でいくと、彼ら邪宗教祖らも「特別の功績が認められた」と主張していることになるが、それでいいのか。
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これらの名誉学位のうちで、名誉会長自身はもとより、学会側が要望し、働きかけたものは1つもない。
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裏工作の検証が容易でないのをいいことに、これまでどおりの強弁で押し通すつもりだろうが、本紙が報じたさまざまな状況証拠は、学会側からの要望があったであろうことを強く示唆(しさ)している。「学会側が要望し、働きかけたものは1つもない」と言い切るのなら、それを証明する証拠を出してみよ。
大学側から自発的に池田に称号を授与したいと申し出たのなら、その際、「名誉称号授与決定書」が唐突に送付されてくることは常識的にはありえず、その前段階として、当然「初めまして」あたりの初見挨拶で始まる、ファーストコンタクトの公式書簡が来ているはずだ。それを出してみよ。
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名誉学位は各大学が人選して授与するもので、どんな人物に名誉学位を授与したかによって、その大学の評価も決まるとされている。
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それは学術分野に限った話だ。多くの大学は、学術研究と大学運営をドライに立て分けて考えている。後者のためなら、よほどの悪銭に由来するもの以外は相手を選ばず寄付を受け入れ、額に応じて名誉学位を授与している、というのが実情だ。北京大学や清華大学など名門校が、池田以外にも邪宗教祖らに名誉学位を与えているのが、その証左である。
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過去の名誉学位でも、先方の「授賞の辞」で、民間人としての名誉会長の平和・文化・教育・社会貢献などに対する高い評価が述べられている通りである。
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そもそも、相手に配慮した社交辞令は、ミクロな貢献(大学への具体的支援)であってもマクロ的表現の賛辞を送るのが社会の通例である。学会はそれを巧(たく)みに利用し、先方への支援については一切触れず、マクロ的な抽象表現だけをクローズアップして「世界の知性が求めている」などと、驚くべき誇大宣伝をしているに過ぎない。
これについても、そうではないと言い張るのなら、ファーストコンタクトの書簡を公開してみよ。『フェイク』の言うとおりなら、そこに「名誉会長の平和・文化・教育・社会貢献」への感銘と、「ゆえに何としても称号を受け取っていただきたい」旨の熱望が書かれているはずだから。
これらの証拠を提示できなかった場合、『フェイク』の強弁は全て崩壊したということである。
雉(きじ)も鳴かずば撃たれまいに、というべきか。icon
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from: 改革フォーラムさん
2011年02月06日 22時34分16秒
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「Re:池田礼賛」
池田大作その虚飾の仮面を剥ぐ④
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―本物の博士が「池田博士」を"断罪"―
―識者が語る"池田大作の学位詐称"―
―「池田には本物の博士号など取れぬ」―
(『慧妙』H22.9.16)
今回は、「池田大作その虚飾の仮面を剥(は)ぐ④」として、国立大学や国立大学法人で大学教官として長年教鞭(きょうべん)を取られたお2人を招き、池田大作の「博士号」に関する対談をしていただいた。お2人は、東大と京大の大学院博士課程を経験して学者になり、また共に、創価学会の誤りに気付いて脱会、現在は法華講員である。
〈対談者〉
・福本潤一=農学博士(東京大学、地域環境工学) 元愛媛大学助教授・前参議院議員
・後藤竜二(仮名※創価学会からの攻撃を除くため)国立大学法人現職大学教授
【博士号取得には厳密な審査】
―高額寄付で取得はできない!―
〈司会〉福本先生、後藤先生には、お忙しい中、本当にありがとうこざいます。
これまで『慧妙』では、博士号と名誉博士は学位と名誉称号で全く別のものである、ということを明かしてきました。しかし、学会員のなかには、よくわからず、創価学会では会長より名誉会長の方が偉(えら)いので、名誉博士は博士よりもっとすごいのだろう、と思っている人までいます。この誤解は解いておかないといけませんね。
〈福本〉まず、博士号を取るためには、博士論文を書いて、学位授与機関となっている大学に提出しなければなりません。この博士論文は、東大の場合、同分野の5人の博士からなる審査委員会で、学術的独創性や学術的貢献度に至るまで、最低半年以上、専門家の誇(ほこ)りをかけて厳重に審査が行なわれます。先人の研究成果も考察し、その後の新たな境地のどこが本人の成果なのかも、厳しく問われます。
中間発表、最終発表もあり、専門の博士5人による厳しい質疑応答も行なわれます。専門試験、2ヵ国語の語学試験もあります。
また博士論文は、国会図書館に必ず一部を提出し、その論文が保管され閲覧可能となります。
〈司会〉かつて、東京の私大の工学部教授が、博士号を取ろうと東大工学系大学院に申請しましたが、その中間発表会の質疑応答に耐えられず、博士号を取れないことに失望して、工学部の屋上から飛び降り自殺をしたことがあります。博士号を取るというのは、そんなに厳しいものなのですね。
〈福本〉そうです。タイ王女のチェラポーン王女が、薬草学で博士号を取った後、愛媛大学連合大学院で講義するという時、お迎(むか)えして通訳をしたことがあります。その直前の行事が、創価大学前の東京富士美術館で開かれたタイ国王の写真展のテープカットだったのですが、この時に王女は、池田大作とも懇談されたそうです。
その折、池田から「あなたは、来世では、たくさんの博士号を取られるでしょう」と、お追従(ついしよう)を言われたタイ王女は、「来世には、博士号を取るような苦労は2度としたくありません」と答えた、と聞きました。ですから、博士号は、高額寄付や交流で取れる名誉博士とは天地雲泥の違いがあります。
〈司会〉それを、寄付等の貢献によって得た名誉称号をもって「池田博士」などと僭称(せんしょう)するわけですから、本当に苦労して博士の学位を取った先生方からすれば、「ふざけるな!」と言いたくなりますね。
〈後藤〉そういえば、池田が著作などで公言している「トインビーから、あなたは将来多くの名誉博士号を取られるでしょうと言われた」という話も、怪(あや)しい話ですね。学者トインビーが名誉博士号ごときを気にするはずがありませんから(笑い)。
〈司会〉池田大作は、創価大学やアメリカ創価大学から、名誉博士号をもらっているようですね。なぜ、これらの自前の大学で博士号を取らないのでしょうか。
〈福本〉それは、まず、専門分野で新境地を切り開いていないからです。また池田の場合、専門試験や2ヵ国語の語学試験、さらには専門の博士5人からの追究質問などに耐えられないでしょう。
もっとも、80歳で博士号を取った人もいるのですから、まだ遅くありません。頑張ったらどうでしょうか(笑い)。
いずれにしても、今のままの池田に正式な博士号を出す大学があるなら、その大学の学位認定機関としての資格に、文部科学省から嫌疑がかかるでしょう。それは、その大学としての終焉(しゅうえん)であります。
【池田は学歴コンプレックスの固まり】
―その醜い名聞名利に呆れる―
〈司会〉ところで、今までの3回の特集を見て、どんな感想を持たれたでしょうか。
〈後藤〉名誉称号で「池田博士」と呼ばせて学位詐称(さしょう)をしたり、まぎらわしい「桂冠詩人」や「世界民衆詩人」を鼻高々に自賛するところを見ると、池田大作は、そうとうな学歴コンプレックスの固まりであるといえます。また、その裏返しで、世界で認知されたいという欲望の強い人間でもあります。
〈福本〉そもそも、本物の博士号の価値を知らないから、こうも名誉称号を漁(あさ)り、機関紙を使って自慢し続けているのでしょうね。
〈後藤〉いや、池田大作は、ほぼ本物の博士号の価値を知っているので、ああまで、こだわるように、「名誉博士」なのに「池田博士」と言わせて、博士学位を詐称しているのだと思います。正式な博士号を持っているかのごとく、世間の読者や学会員に錯覚してもらうための手法、と言ってもいいのではないでしょうか。
〈福本〉池田と同様に、正式の博土号を持たないで、名誉博士号などの名誉称号を漁るように獲得する人物も世界には、何人かいます。北朝鮮の金正日将軍や、韓国の統一教会の文鮮明教祖が有名です。その2人ですら、あの『聖教新聞』1面のような、仰々(ぎょうぎょう)しい大活字で宣揚することはありません。
〈後藤〉しかも、創価大学の入学式や卒業式を利用して、名誉博士号の授与式を行なうというのは、創価大学や創価学会の私物化ではないでしょうか。
〈福本〉最近は、大学の私物化の批判があるからでしょうか、いちおう、1部、2部と分けたりして批判をかわす作戦をとっているようですが。創価大の父兄からも、"「学生のための大学」と言っていたのに「まるで池田大作のための大学」と思っているのではないか"という批判が出るほど、名誉称号顕彰式のオンパレードです(笑い)。
〈司会〉先ほどの、勲章や名誉称号をたくさん集めている金正日将軍や文鮮明教祖は、金博士とか文博士と呼ばせたりしているのでしょうか?
〈福本〉北朝鮮にも数度行きましたが、金博士と呼ばせていることはないようです。
文鮮明も、統一教会の幹部に問い合わせしたところ、博士と呼ばせることはないし、自称することもないようです。
名誉博士号しかないのに、ドクター金とか、ドクターサンミョンムーン(文鮮明)と言うと、国際的に学位詐称の批判を受ける、との自覚があるのでしょう。
〈司会〉それが最低限の恥を知るという意味で、当たり前な行動でしょうね。
〈福本〉池田の場合、現場でロビー活動をしたり寄付活動をしてきた人達の成果なのでしょうか、「池田博士」と錯覚して呼ばせることには成功しているようです。しかも『聖教新聞』によると、外国では「池田博士公園」等という命名までなされているとのことで、この恥ずべき錯誤を外国にまで流布させているようです。さらに、いくら相手側から呼称された形をとっているとはいえ、『聖教新聞』に大活字で「池田博士」、時には奥さんに「池田カネ子博士」と書くようでは、その底の浅さが知れますね。
〈後藤〉奥さんまで?奥さんは、どこかの大学で正式な博士学位を取られたのでしょうか?
〈福本〉いやいや、取ってなどいませんよ(笑い)。創価学会では、池田大作、奥さんのカネ子、長男の博正だけが、外国から名誉称号を受けているようです。団体としての貢献に対する称号だったら、会長だった秋谷氏や現会長の原田氏が代表受領するのが普通でしょうが。
〈司会〉では、外国の大学への寄付金などは、創価学会のお金でなくて、池田家の個人的な財産から寄付している、ということでしょうか?
〈福本〉寄付金などは、中国の大学のH.Pで「創価学会池田大作」名での寄付金は見ましたが。それが団体としてのものか池田個人としてのものか、その振り分けがどうなっているかはわかりません。
〈後藤〉アメリカでNSA(日蓮正宗アメリカ・当時)の時代から大活躍した、G・M・ウィリアムスこと貞永さんも、この称号をめぐって池田大作から攻撃された1人ですね。池田がたくさん集めた名誉称号と違って、貞永さんは、出身母校の明治大学で、政治学の本物の博士号を取得されたのです。アメリカで「ドクターG・M・ウィリアムス」と名乗れれば、学問の専門分野で新境地を開いた学術の人と認められ、社会で活躍できる分野もたいそう広がります。貞永さんは、「正式の博士号を取得できました」と池田名誉会長に、報告したところ、池田から「名聞名利(みょうもんみょうり)だ!」と激しく叱責(しっせき)されたそうです。
〈福本〉そんなことがあったのですか。新進党で当選した同期7名で作っていた「伸党」の会合で貞永さんの話になった時に、池田側近である「伸党」の教育係が「貞永は、アメリカ創価大学の学長ポストを狙(ねら)って博士号を取ったので粛正(しゅくせい)した」と言っていましたから。
〈後藤〉名聞名利というのなら、池田大作の名誉称号集めの方が、むしろ、名聞名利でしょう。
〈福本〉いずれにせよ、名誉称号などは経歴書に書くなら賞与欄でしょう。が、ノーベル賞を受賞した野依教授をはじめ多くの学者は、名誉称号なぞ賞与欄にも書き込んでいません。それほど、うらやましくもない、大した価値もない称号だということです。icon
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from: 改革フォーラムさん
2011年02月04日 13時29分45秒
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「Re:池田礼賛」
池田大作その虚飾の仮面を剥ぐ③
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―池田が名乗る「桂冠詩人」とは!?―
―国家称号との誤認を狙った!?「桂冠詩人・池田大作」―
―私的団体が"貢献"に報いて贈った称号―
(『慧妙』H22.9.1)
【鼻高々に「桂冠詩人」名乗る池田】
―国家称号に似るも内容は雲泥の差―
周知のとおり、池田大作は、「詩」と称するにはかなり無理のある「詩」を書くのを得意としている。
そして、自作詩の最後に、必ず「桂冠詩人」「世界桂冠詩人」「世界民衆詩人」といった大仰(おおぎょう)な称号を付しているのだが、これがいったい何なのか、称号の意味すら知らない人々も多い。最近では、池田はこれらの称号すべてを併記しているが、よほど自慢なのだろう。
そこで、まず「桂冠詩人」の称号についてだが、桂冠詩人とは、本来、政府等によって公職として公式に任命された詩人、またはその称号を指(さ)すものだ。
英国王室によって選任される桂冠詩人が最も有名だが、他にも十数ヵ国に公的な桂冠詩人制度がある。
アメリカでは国家レベルの桂冠詩人(合衆国議会桂冠詩人)の他に、40以上もの州で、「○○州の桂冠詩人」が一定任期ごとに誕生する。いずれも、詩人としての資質と活躍が評価されて選ばれるもので、任期中は報酬が与えられると同時に、公的な詩作や詩文化普及などの任務が課せられる。
このような桂冠詩人の称号が池田大作に与えられたとすれば、それはたいしたものであろうが、じつは、これまた虚飾の臭(にお)いの漂う名乗りなのだ。
そもそも、池田大作が名乗る「桂冠詩人」とは、世界中に数多(あまた)ある(私的な)詩の同人団体の1つである「世界文化芸術アカデミー」が、身内の会員を表彰した称号であり、前述の公式な桂冠詩人とは性格もステータスも全く異なる。
したがって、本来なら公式の桂冠詩人と誤認されるような単独の「桂冠詩人」を自称すべきではなく、「世界文化芸術アカデミー認定桂冠詩人」等と称すべきであろう。
―称号は詩才に授与と思いきや―
―団体への"類い希なる貢献"で―
とはいえ、1つの同人団体から、池田が詩才を認められて与えられた称号であれば、それなりに讃(たた)えられてもよかろうが、池田の場合は、詩才ではなく資金力で得た称号と考えられるのだ。その理由を以下に述べる。
池田に詩人関連の称号を与えた団体は2つある。
1つは、「桂冠詩人」を与えた世界文化芸術アカデミー、もう1つは「世界桂冠詩人」と「世界民衆詩人」の称号を与えた世界詩歌協会だ。
それぞれ異なる団体であるが、池田が長年、後援していた詩人クリシュナ・スリニバス氏(2007年死去)が両団体の中心人物であったという点で共通している。世界文化芸術アカデミーは、スリニバス氏が詩友らと共に創設した世界詩人会議から派生した団体であり、氏はアカデミーの事務総長であったし、世界詩歌協会はスリニバス氏自身が創設した団体だ。
池田がスリニバス氏主宰の世界詩歌協会の月刊詩集『ポエット(後にポエトリ・ワールド)』のパトロン(後援者)であったことは、古川利明氏の著書『カルトとしての創価学会』で10年前に暴露(ばくろ)されているが、今でも世界詩歌協会のホームページには、「SGI会長池田大作博士の支援下にある」と明記されている。[http://poetryworld publications.weebly.com/]
『聖教』の紙上座談会によると「同協会の機関誌『ポエット』は1979年以来、30年にわたって池田先生の詩を表紙に掲げている」(『聖教新聞』H20.8.21)そうだ。大旦那の酔狂(すいきょう)の詩を表紙に毎号載せるほど、スリニバス氏にとって池田は大パトロンであったことが窺(うかが)える。
そんなスリニバス氏が中心的に関わっていた2団体が池田に与えたのが、「桂冠詩人」「世界桂冠詩人」「世界民衆詩人」「世界平和詩人」の称号である。それらの質も推(お)して知るべしであろう。
池田の詩才が認められての称号群であるなら、スリニバス氏や池田と無関係な評論畑で「大詩人・池田」がもっと取り上げられ、論評されていてもおかしくないはずだが、そういうニュースはついぞ聞いたことがない。また、あれば『聖教』が喜んで記事にしていただろう。
ちなみに、池田が第1号であるという「世界桂冠詩人」の証書を見ると、受賞理由は「世界詩歌協会への類まれなる貢献"for his distinguished contribution to World Poetry"」(『聖教新聞』掲載写真より)となっており、詩人・池田の詩才を讃えるものではなかった。(笑)
【池田に称号を与えた2つの団体】
―『聖教』報道は針小棒大な宣伝―
ここで、スリニバス氏が関与していた2団体、すなわち4つの詩人称号を池田に与えた2つの団体がどのような組織であるのか、もう少し詳(くわ)しく述べてみたい。
創価学会が「桂冠詩人」の授与団体を説明する際、「世界詩人会議―世界芸術文化アカデミー」から授与されたと、「世界詩人会議」を強調的に前置きすることがあるが、世界詩人会議とは、アカデミーが主催するイベントの名称にすぎない。
世界詩人会議は、もともとUPLI(United Poets Laureate International=世界冠詩人連合)という団体が主催していた。UPLIは、フィリピン人のアマド・M・ユーゾン氏によって1963年に創立された団体で、そのUPLIが1969年に創設しスタートしたのが、世界詩人会議という定期イベントである。スリニバス氏はその詩人会議の創設メンバーの1人である。
ところが、1969年に始まった世界詩人会議は、1985年に2つに分裂する。第7回まではUPLI主催で行われていたのが、1985年の第8回以降は、UPLIと世界芸術文化アカデミーの2団体により、別々に開催されているのだ。
分裂の経緯は不明だが、世界詩人会議が、本流(UPLI主催)と支流(世界芸術文化アカデミー主催)という形で、同名で2つ存在するという、奇妙な状況になっていた。池田が後援していたスリニバス氏は、支流の中心者である。
詩の世界は純粋で穢(けが)れなきものというイメージがあるが、詩人団体となるといろいろと複雑怪奇な人間関係があるようだ。
スリニバス氏が関与しているもう1つの団体、世界詩歌協会は、氏が創立者であるが、スリニバス氏の自宅を実際に調べた前述の古川利明氏によると、協会本部はチェンナイ市郊外の閑静な住宅地にあるスリニバス邸に置かれている。
『聖教新聞』ではかなり大きな組織であるかのように報じられているが、実際は個人の自宅で営まれていたわけだ。
称号授与側をできるかぎり、大きく華麗に見せたがる、『聖教』お得意の針小棒大な情報操作だった、ということだ。
【称号授与団体に関するエピソード】
―真の桂冠詩人には程遠い池田大作―
世界詩歌協会には、もう1つ興味深いエピソードがある。
アンドレアス・スクローダーというカナダの作家が『Scams(詐欺)』という著書を刊行した際に受けたインタビューの中で、世界詩歌協会について言及しているのだ。概要は以下の通り。
〈インタビュアー〉(著書『Scams(詐欺)』のテーマに絡めて)あなたは、誰かを騙(だま)そうとしたことはありますか?
〈スクローダー〉あるよ。しかも、まんまと成功した。「世界詩歌協会」という組織があってね、普段、若い詩人を世に出すにはどうプロモートすればよいか、などと、もっともらしいことを言いつつ、若い有望な詩人たちから高額な費用を取って、詩集を出版している組織なんだ。それで、若い詩人たちに警鐘を鳴らすために、世界詩歌協会をハメる計画を立てた。
まず、協会に手紙で「ドイツ語の詩集を出したい」と申し込んだ。すると彼らは話に乗ってきた。次に、カナダ人の大勢の作家友達に呼びかけて「ドイツ語」もどきの詩をたくさん書いてもらった。それらはドイツ語としても詩としても最悪の出来だったが、それをまとめて協会に送ったところ、協会はなんとそれを受け入れた。みごと罠(わな)にかかったってわけだ。
協会は詩集を印刷して、多くの北米の大学のドイツ語学科に送ったそうだ。その結果、協会は大学の笑い者になり、記者は私たちの策略を面白おかしく書きたて、世界詩歌協会が無能な組織であったことが暴露されてしまった。
その後しばらくして、協会はニューヨークオフィスをたたんでしまった。私たちの《Scam(詐欺)》が多少なりとも「貢献」したんだと思う。
[http://ramp.torontopubliclibrary.ca/pdfs/andreas_schroeder.pdf]
これは、世界詩歌協会のニューヨーク支部の話であり、協会全体の実態ではないと思うが、詩は純粋で穢れなきもの、というイメージだけで詩文業界を捉(とら)えることはできないようだ。
ところで、昨年、英国の権威ある本物の桂冠詩人が久しぶりに交代し、キャロル・アン・ダフィーという女流詩人が初の女性桂冠詩人になった。
ダフィ女史は桂冠詩人の報酬である年5750ポンド(約85万円)を、若手詩人育成のために全額寄付するという。
ダフィ女史のように、桂冠詩人になって賞金を寄付する人、池田のように、資金をつぎ込んで「桂冠詩人」もどきをもらって自慢する人、世の中様々である。
いずれにせよ、池田の虚飾がまた1つ剥(は)がれ落ちたことは間違いない。icon
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王様、
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from: 改革フォーラムさん
2011年02月04日 13時28分15秒
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「Re:池田礼賛」
池田大作その虚飾の仮面を剥ぐ②
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―詐称問題について―
―機関紙上に躍る「池田博士」の呼称―
―名誉称号と正式な学位は違う!―
(『慧妙』H22.8.16)
【池田に「博士」の学位はない!】
―HPの紹介でも"学位詐称"―
『聖教新聞』では「池田博士」という呼称が濫用(らんよう)されている。
いちおう、他人(識者)がそう呼んでいるという書き方なので、かろうじて学位詐称(さしょう)にならずに済んでいるが、「池田博士」の文字列をこうも頻繁(ひんぱん)に見せ付けられていては、学会員読者が「池田先生は本物の博士号を持っている」と錯覚(さっかく)しても無理からぬ話だ。
まあ、識者からお世辞でもらった賛辞(さんじ)を、内輪の機関紙で再利用して、合法的に「博士」ごっこをしている分には、とやかくいう筋合いはない。名聞名利(みょうもんみょうり)に酔いしれる池田大作が世間から冷笑されるだけのことだ。
しかし、創価学園のホームページにある以下の記述は、さすがに問題があると思われる。
創価学園の公式ホームページの英語版に、次のような見出しの池田プロフィールページがある。
"Dr.Daisaku Ikeda, Founder of the Soka Schools"
(URL=http://www.soka.ed.jp/english/introduce/index.html)
日本語版の創立者プロフィールページ「創立者池田大作先生」に対応する見出しだが、英文の方には池田の敬称として"Dr."が付けられている。
"Dr."とは"Doctor(ドクター=博士、医師)"の略であり、上記英文の意味は「創価学園創立者・池田大作博士」である。これ以外に訳しようがない。
英語の常識として、博士の学位か医師免許を持った人物にしか、Dr.の敬称はつけないからだ。
上記見出し以外にも、本文内で3箇所、Dr.が使われている。
つまり創価学園の公式HPは、池田大作を正式な「博士」として紹介しているのだ。
はて、池田はいつ博士の学位を取得したのか。
国の法律である「学位規則」によると、
●(博士の学位授与の要件)
第4条 法第百4条第1項の規定による博士の学位の授与は、大学院を置く大学が、当該大学院の博士課程を修了した者に対し行なうものとする。
2 法第百4条第2項の規定による博士の学位の授与は、前項の大学が、当該大学の定めるところにより、大学院の行なう博士論文の審査に合格し、かつ、大学院の博士課程を修了した者と同等以上の学力を有することを確認された者に対し行なうことができる(学位規則・昭和28年4月1日文部省令第9号)
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とあるが、池田がそのような経緯で博士の学位を取得した、という話は聞いたことがない。
池田は名誉博士の称号なら外国から腐るほど貰(もら〉っているが、それは単なる称号に過ぎず、学位ではない。
ということは、創立者が博士の学位を有していないにも拘(かか)わらず、創価学園が公式HPで創立者を「博士」と紹介しているのは、学位詐称ということになる。
【宣伝媒体での詐称は違法!?】
―常識の埒外にある池田の扱い―
学校法人創価学園の公式ホームページは、学生を募集したり、寄付を募(つの)るための宣伝媒体でもある。
その宣伝メディアが学園創立者の学位を詐称しているとなると、誇大広告として、次の軽犯罪法の条文に抵触する可能性も見えてくる。
●(軽犯罪法)
第1条 左の各号の一に該当する者は、これを拘留又は科料に処する。(中略)
15 官公職、位階勲等、学位その他法令により定められた称号若しくは外国におけるこれらに準ずるものを詐称し、又は資格がないのにかかわらず、法令により定められた制服若(も)しくは勲章、記章その他の標章若しくはこれらに似せて作った物を用いた者
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たとえば、よくインチキ商品のチラシなどに、開発者××博士などと学位を詐称している詐欺(さぎ)広告があるが、「博士」の文字を見せることで、商品の優良性と信頼性を消費者に錯覚(さっかく)させる効果があるらしい。右の条文は、そうした詐術(さじゅつ)的な広告による不当競争を防ぐためのものだろう。
同様に、創価学園公式HPも、創立者を「博士」と詐称紹介することで、学園全体の教育機関としての優良性と信頼性のイメージを増幅させる効果がある。
ホームページの主体は日本人向けの日本語版ぺージであり、英語版は付随的なもの、との言い訳は通用しないだろう。詐称事実がある以上、前記軽犯罪法違反の可能性は拭(ぬぐ)い去れない。
不思議なことに、創価大学や米国創価大学の英語ホームページでは、"Daisaku Ikeda"と呼び捨てしており、「Dr.」の詐称はない。創価教育の総本山である学校法人創価学園だけが博士号を詐称しているのは何故だろう。
いずれにしても「嘘(うそ)、大げさ、紛(まぎ)らわしい広告のご相談は」のCMでおなじみのJAROから指導が来ないうちに書き直してはどうか。
なお、蛇足ながら、もう1つ指摘しておく。
創価学園や創価大学のホームページ(日本語)では創立者を「池田大作先生」と敬称しているが、学校法人のHPで学校創立者を「先生」付きで呼んでいるところはほとんどない。
慶応大学の福沢諭吉や早稲田大学の大隈重信など主(おも)だった私立大学の創立者はもちろん、ほとんどの学校法人のHPでは、創立者を敬称なしで表記している。
組織内の身内の人間を対外的に社会に紹介する場合は、どんなに偉(えら)い人物でも呼び捨てにするか、もしくは役職名で呼ぶのが社会常識なのだが、創価教育では「池田大作」の扱いだけは社会常識の埒外(らちがい)にあるようだ。icon
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from: 改革フォーラムさん
2011年02月02日 12時37分59秒
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「Re:池田礼賛」
池田大作その虚飾の仮面を剥(は)ぐ①
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―池田への名誉称号授与の背景を探る―
―「寄付者には名誉称号」各大学が規定―
―驚き!!池田大作・創価学会に対する認知度―
(『慧妙』H22.8.1)
【「50万ドル以上の寄付者には名誉職位」!!】
―寄付と称号授与の因果関係は濃厚―
池田大作に贈られた海外からの名誉称号獲得数は、ギネス級である。大学からの名誉学術称号だけに限っても、2010年7月現在、293件に達している。
不思議なことに、学会は池田が「世界の知性が認める偉大な人物」であると喧伝(けんでん)するが、それにしては爆発的な賞賛ブームが起きるでもなく、毎年、コンスタントに20個前後の名誉学位が小出しで授与されている。この現象は、海外からの顕彰が相手からの自発的なものでなく、創価学会からの計画的な働きかけで発生していることの証左ではないか。つまり、学会から寄付や贈書を行ない、それへの対価として名誉学位を授与してもらうよう、工作しているのではないか。そういう疑念が世間には渦巻いている。
このように言うと学会は、「デマだ」とか「授与してくださった国や大学、団体に対して、あまりにも無礼、非礼極まる話だ」と反発したり
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各大学からの名誉称号は、あらゆる角度で厳正な審査が行なわれる。そして教授会等での決議を経た上で、大学の総意として決定されるものだ。そんなことも知らない。調査しない。どれだけ幼稚か。「焼きもち」か(引用はすべて聖教新聞幹部座談会=2005.10.10)
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と反論するが、彼らこそ大学の名誉称号システムについて無知か、あるいは知っていて故意に隠蔽(いんぺい)しているのではなかろうか。
池田が獲得した名誉称号のうち、中国からの名誉称号授与数は圧倒的(現在111個)で、全体の3分の1以上を占めている。そこで本稿では、池田への名誉称号増産国である、中国の称号授与事情について説明する。後は推(お)して知るべしだ。
中国は近年、経済成長が著しく、GDP世界第2位の経済大国になろうかという勢いであるが、大学教育界はまだまだその恩恵に与(あずか)っておらず、各大学とも資金調達に汲々(きゅうきゅう)としているというのが実情である。
そこで多くの大学は教育基金会を設立し、大学への国内外からの寄付の窓口としている。これは中国の名門大学も例外ではない。超エリート大学である北京大学にも清華大学にも基金会があり、資金調達すなわち寄付獲得に努力しているのだ。
では、寄付と名誉称号の因果関係はどうか。
今年5月に池田大作に名誉教授を授与した、清華大学の教育基金会ホームページに、その辺の説明がある。
◆海外からの50万ドル以上の寄付者には(中略)条件が整えば、大学の名誉職位あるいは指導的職務に就いていただく。(清華大学・教育基金会ホームページ=趣意)
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最近何かと訴訟沙汰の多い、日本の新興宗教「ワールドメイト」代表の深見東州も、清華大学に5百万元(約7千5百万円)を寄付して、深見東州文化基金を設立し、清華大学の"顧問教授"になっている。これは「指導的職務」の方と思われるが、池田大作が受けた"名誉教授"は「名誉職位」に相当する。
やはり、寄付と称号授与の因果関係はかなり濃厚、と言わざるを得ない。
さらに、寄付の対価としての名誉称号を明記している大学もある。池田大作が1990年に名誉教授称号を受けた武漢大学だ。
同大学のホームページにある「武漢大学資金調達経営管理方法(試行)」によると、
◆第5条 1千万元(1億5千万円)以上の寄付提供者で、その他の相当条件を備えた者には、武漢大学名誉教授称号を授与する。
第7条 5千万元(7億5千万円)以上の寄付提供者で、その他の相当条件を備えた者には、武漢大学名誉博士号を授与する。(「武漢大学資金調達経営管理方法(試行)」)
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これは5年前に明文化された規約であり、池田大作が武漢大学名誉教授称号を授与された20年前の相場とは異なるかも知れないが、寄付で名誉教授になるには大枚をはたく必要があるようだ。
以上、紙幅の関係で2大学しか紹介できないが、このように寄付の募集や寄付への礼遇は、どの大学も当たり前の慣習として行なっているのだ。もちろん北京大学にもある。
日本の早稲田大学ホームページの「寄付礼遇」について説明したぺージにも「財政的な援助だけでなく、本学の事業を支援し、大学発展に寄与していただいた方には、『校賓』および『名誉博士』の称号もございます」との案内がある。
「名誉称号は金で買えない」などという学会側の反論が無力であることは、以上のことからも明らかである。池田大作の数多の名誉学術称号は、上述のシステムを最大限に利用したものであろう。
その推測があながち的外れでないことを示す資料がある。
上海大学のホームページにある「上海大学1997年大事記」(学事年表)だ。
それによると、1997年3月26日に、創価学会副会長三津木俊幸と池田大作の秘書潮田普二が、シドニー大学の呉家瑋学長を伴って、上海大学の学長と面会している。
呉家瑋氏は私立大学学長という教育者の側面の他に、第1上海投資管理有限公司(投資コンサルタント会社)の社外取締役という顔も持っている。つまり投資実業家だ。
そういう人物を伴って、学会副会長と池田の秘書が上海大学を訪れ、その1ヵ月半後の5月12日に、池田大作に名誉教授称号が授与されているのである。そこに因果関係を感じるのは筆者だけであろうか。
【「池田氏は日蓮正宗を称賛」だって!?】
―中国・池田研究機関のお寒い認識―
学会は「世界の知性が池田先生の思想を求めている」と喧伝し、それゆえ世界中の各大学が名誉称号を贈っているのだという。
しかし、それが本当なら、創価学会と利害関係のない立場で、池田大作に好意的に言及したり、その思想を宣揚したりしている、団体や個人のぺージがインターネット上で絶無、というのはどういうわけか(英語圏および中国語圏の範囲での調査)。
それどころか、学会と利害関係のある組織や個人のサイトですら、いったい池田大作の何を知っているのかと訝(いぶか)しく見えるぺージがあったりするのだ。
例えば、東北師範大学の「池田大作哲学研究所」のホームページだ。
この研究所は、中国で近年「ブーム」になって次々と誕生している池田大作研究機関の1つだ。
それらの研究機関は、何故か、創価大学が研究用図書を贈呈したり、看板を贈ったり、研究組織の役員に創価学会関係者がいたりと、学会のヒモ付きである場合が多い(専用HPで確認できたところではすべてそうだった)。次の記述は、そんな池田研究機関が設立直後に開設したホームページで掲載していた、池田大作プロフィールの一節である。つい最近(2006年)の記述だ。
◆池田氏は、日蓮正宗は「人間のための宗教」であり、「平和、文化、教育」を推進するための宗教であり、人間の美徳を磨き輝かせる宗教である、と言う。(中略)
青年部は創価学会の考えを実践し、創価学会の精神を身に付け、生命尊厳を至上とする日蓮正宗の教義を信条として、平和運動を弛まず展開していくことを固く誓っている。(東北師範大学「池田大作哲学研究所」HP)
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なんと、池田や青年部が日蓮正宗をべた褒(ほ)めしているではないか。
「池田大作哲学研究所」と「哲学研究」の看板を掲げている研究所でありながら、池田の現在の宗教的属性すら正しく紹介できていないのである。
じつは上述のプロフィールは、20年以上前、中国青年報あたりに載っていた学会概要を引き写したものだ。インターネツトのあちこちに転がっている内容だ。
また、その内容が青年部紹介に特化しているところを見ると、おそらく学会青年部と中華全国青年連合会とが交流を始めた頃(1984年)に、学会側が中国側に提供したプロフィール資料であろう。
いずれにしても、「池田大作の哲学や行動を正視眼で見ることができる」(学会の主張)という海外の知性が、池田の基本属性も知らずに、大昔の資料を無検証に引き写し、知ったかぶりをしている、という状況なのだ。研究所設立後4年が経っているが、上記記述が訂正されないでいるところを見ると、彼らはまだ、池田の宗教属性の変化(変節)に気づいていないようだ。
彼らは、いったい池田の「哲学」の何を研究している、というのであろうか。
【称号授与した側の驚きの理解度】
―「自民党総裁池田大作氏が講演」だって!?―
もうひとつ、池田を理解しているはずの中国のある学者の論文を紹介する。ここにも驚くべき記述がある。
湖南大学教授の馮偉林教授が、中国南宋時代の思想家朱熹について研究した論文の一節である。ここで池田への言及がある。
◆日本の徳川時代、朱子学は官学になった。昨年初秋、日本を訪れた際、自民党総裁池田大作氏の創価大学の入学式のスピーチを聴(き)いたが、その3分の2は朱子の学説について講じたものだった。(湖南大学教授・馮偉林『源頭活水』2007年6月より)
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驚かされるではないか。馮氏は名誉称号授与側の来賓として招かれていたのだ。つまり「池田の価値」を最も知っている立場として臨席していたのだ。
にも拘(かか)わらず、その1年後に書かれた論文で言及した池田大作に対する理解度はこの「程度」だったというわけだ。
もちろん大学者とはいえ、専門外のことはよく知らない、ということは当然ある。池田の素性を知っていようが知るまいが、馮氏の学者としての評価には影響しない。
ただ、学会側が池田の名誉称号を過大評価するためによく言う「海外の学者の方が日本人より池田先生を理解している」とか、「大学の最高決議機関である評議会に推薦があった数多くの候補者の中から、副学長が委員長を務める学位審査会が審査するという、慎重で細心の手続きをおこなって決定している」などという主張が、いかにでたらめなものであるかを指摘するための例として挙(あ)げたのである。
上の2例からも分かるとおり、中国の学術界における池田大作に関する認知度・理解度はそうとう低いといえる。池田大作の「偉大さ」については、創価学会パンフで自称宣伝していることを知っている、という程度だろう。
このような程度の認知度で、さしたる学術成果もない池田が、中国から111個もの名誉称号を受けるには、それなりの手法に頼る以外にはあるまい。
創価学会は名誉称号授与に付随する"抽象的な社交辞令"を最大限利用し、学会員に「池田先生は偉大」と印象付けようと腐心する。おそらく中国側も、そうした創価学会の恥ずべき体質に苦笑しつつも、資金調達のために今後もせっせと名誉称号を贈り続けるであろう。
世界の大学が求めているのは池田思想ではなく池田マネーなのだ。icon
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