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  • from: 改革フォーラムさん

    2009年11月10日 21時42分08秒

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    「在家が供養を受けられる」の嘘

    投稿者:ブロガー 投稿日:2009年11月10日(火)19時57分46秒

    昭和52年に池田氏が発表した『仏教史観を語る』は現在の学会の基本精神となっているが、当時、これが宗門内に大きな物議を呼び逸脱事件の中心の書となった。これには、『大聖人直結の学会』『学会の会館は民衆蘇生の道場』などを挙げ、暗に宗門の姿を批判している。その中で、『在家でも供養が受けられる』という主張にウソが含まれているので明らかにしたい。

    この主張の依経となっているのが「維摩詰経」ただ一つ。池田氏は、その時の様子を経文にみますと、「維摩詰は、ひとたびは固辞し、どうしても受け取ろうとはしなかった。再度の申し出に供養を受け取った彼は、これを人々から軽べつされている貧しい民衆のために半分を使い、あとを仏にたてまつり、仏法弘通のために使ったと記されております」と語る。

    この経文の実際の概略を説明してみよう。
    ある時、「法施の祭りとはどんなものか」との質問に、維摩詰が説く法施を聞いたスダッタは、感激し自分の首飾りを布施しようとした。維摩詰は受け取らなかったが、再度の乞いで首飾りを受け取り、それを二つに分け、一つは最も貧乏な人に、もう一つは難勝如来に差し上げた。そして、維摩詰が言うには『布施する者は、如来にさし上げるべきが布施と思うであろう。そのように貧乏の人を差別なく平等に扱い、その報いを期待することなく、大悲の心から布施を行うを以て、法施の祭りというのである』と。

    これをもって、池田氏は在家でも供養が受けられると発表した。

    維摩詰に供養されたとされるものは“首飾り”であり、お金ではない。しかも供養した人間は大富豪の子なのだ。
    学会が生活保護者からも強要する「財務」とはかけ離れていることは明らかだ。
    そもそも供養は仏にするものであるから、大御本尊を信奉しない者が、供養の名を使うこと自体も間違っている。
    この経文をもって“在家が供養を受けられる”というなら、本部長でも支部長でも供養が受けられることになってしまう。

    正本堂建立の際、集めたご供養は355億円と公式に発表されているが、これには海外で集められたご供養が入っていない、それらを合計すれば400億円を超える。この部分だけでも池田氏のウソがあるが、実際には、本山にはほんの一部を差し出しただけで、ほどんどの供養を学会が搾取した。これをもとに、全国に会館、自分が使うことを目的とした施設をつくってしまったのだから、この人間の本質が何なのか想像できるだろう。
    【創価学会組織改革同盟】(・・その光と影)
    http://9122.teacup.com/taihei/bbs

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