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from: 改革フォーラムさん
2009年11月11日 07時15分36秒
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『教相』と『観心』
御書の大部分は、『教相』という釈尊の立場から読む法華経(文上)、さらに天台が分別した教相と悟り、正師の釈をもって仏教の浅深、勝劣、正邪、悟りが明らかになっている。さらに大聖人の悟りの法門『観心』の二面から説かれている。
本来、ご自身の悟りの部分だけを説いても良さそうなものだが。これには戸田会長曰く『釈尊・天台・伝教等の文上の解釈をやらないと前後のつながりがわからなくなる』とも指導しています。
ちなみに大聖人の観心(内証)から説かれた御書としては『御義口伝』『本因妙抄』『百六箇抄』が挙げられます。
この教相と観心の二筋をはっきり分別ができず、釈尊の教相にとらわれた弟子が五老僧であり、今日の日蓮系宗派となります。
観心の法門を正しく伝えたのは日蓮正宗ただ一つであり、もし宗門がどこかの代で途絶えていたら、観心の法門は現代に理解されていないことになる。当然、かつての創価学会も誕生していません。だから僧宝の存在が大事であることが理解できると思うのです。
御書を拝読するたび思うのは、凡智では考えられない御仏智の深さに驚かされる。仏の悟りが書かれているので、当たり前ではあるが。
それから連想すると、一念三千の法門を打ち立てた天台にも驚くが、戸田会長の確信ある御書講義の内容にも驚く。
最近の池田氏のスピーチを読み返してみると、前者等とは話の深さに雲泥の差があることも再確認した。つくづくこの人は信仰においては成長していないことに気づく。
そこで思い出すのは、52年路線から始まった『池田本仏論』だ。池田氏は自身でも度々、自分は仏だと直接・間接的な言葉で周囲に話していた。これを周囲の幹部が“口コミ”という怪しい手法で組織に宣伝活動していたのも事実である。池田氏が『大聖人の時代には弘まらなかった』と大聖人を小バカにした発言は衝撃的であったが。自分は倶体倶用の体だと発言していたということだ(体とは御本仏を意味する)。そして、決定的なのは破門後、“法華経の行者”と位置づけたことだ。
ならば、池田氏は、
1.本仏なのか?
2.迹仏なのか?
3.ペテン師なのか?
何れかしかないはずだ。
本仏であっても迹仏であっても、文証によって現代に出現する必然性を明らかにし、自身の悟りの法門を説かなくてはならない。
仏は衆生を成仏させることを目的としている。自身の悟りの境地を説いて救おうとしない無慈悲な仏などいるわけがない。
池田氏は信心してすでに60年を超えている。一体いつ何を覚知したのであろうか?数百冊も彼の名前で出版された書籍の中で、一冊として仏の境地から書いていない、皆勝手な想像と引用ばかりだ。これらが開覚していない証拠である。
彼の指導は、六道の凡夫が考え付く次元の低いものばかり、決して開覚した境涯からの指導ではなく、自分を宣揚させるため御書を道具として引用しているに過ぎない。つまり、彼の指導は六道の境涯での指導に他ならない。
開覚もしていないのに仏を気取り“師弟不二”として独自の邪義を立てる様は、恐ろしく不気味だ。
私には、キリストや仏陀、日蓮の再誕を叫ぶ新興宗教の教祖と同類のイカレた人間にしか見えない。
【創価学会組織改革同盟】(・・その光と影)
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