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創価学会あれこれ

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  • from: 改革フォーラムさん

    2010年12月06日 21時19分27秒

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    創価学会員必読コーナー

    創価学会員の皆さんへ
    御登山の功徳を思い出しましょう!

     学会員の皆さんが、かつては「魂のふるさと」と称して恋い慕っていた総本山富士大石寺。学会員が登山参詣をしなくなって、早くも二十年近い年月が経ちますが、それでもなお、桜の季節を迎える頃には、お山の思い出が蘇り、「昔はよく行ったなあ」と懐かしそうに語る学会員がたくさんいます。
    創価学会では、会員の心を総本山から引き離すために、「桜を全部切った」とか「お山は荒れ放題」とか「登山すると、何十万円もの請求書が来る」等とデマ宣伝を繰り返し、あげく、「大石寺にペンペン草を生やして荒れ寺にしてやる」(平成十三年三月一日付『聖教新聞』)などと憎しみの標的とする、恐ろしい指導が出されました。
    しかしながら御安心ください。総本山は今も、大御本尊おわします清涼なる地として、凛(りん)とした空気に包まれ、春の桜をはじめ、ツツジ、ハス、木犀、紅葉など四季折々の花木が咲き誇り、美しく、清浄なたたずまいを守り続けています。
     さらに、平成十四年には、我が国最大の日本式仏教建築である荘厳な奉安堂が建立され、そして本年の『立正安国論』正義顕揚七百五十年を慶祝して、境内地や塔中坊なども整備されて、総本山は以前よりもいっそう立派に美しくなっています。
     このような宗門の繁栄を妬む創価学会は、一般学会員が総本山を渇仰する心を起こさないように、「登山地獄」「目当ては御開扉料」などと讒言を繰り返しており、まことに哀れという他ありません。
     そのような悪口誹謗をする人々は、日蓮大聖人が示された登山の大功徳を片鱗もわかっていないのでしょう。大聖人は、
     「かゝる不思議なる法華経の行者の住処なれば、いかでか霊山浄土に劣るべき。法妙なるが故に人貴し、人貴きが故に所尊しと申すは是なり。(中略)此の砌に望まん輩は無始の罪障忽ちに消滅し、三業の悪転じて三徳を成ぜん」(御書一五六九頁)
    と仰せられ、大聖人(戒壇の大御本尊)のおわします処がすなわち霊山浄土であり、そこに参詣することによって無始以来の謗法の罪障が消滅し、福徳を積むことが出来ると約束せられています。
     だからこそ、池田/大作サン自身もかつては
     「我々が登山して、大御本尊を拝することは、そのまま日蓮大聖人様にお目通りすることであり、偉大なる功徳を享受できることは言うまでもないのである」(昭和三十八年十月一日)
     「霊鷲山への参詣、月一回。先生の直弟子としてこれを歓び、これを実行できぬようでは、正信の人とはいいきれない」(『若き日の日記Ⅱ』一五九ページ)
    とまで述べていたのです。
     破門されたとたんに全く正反対の指導をして憚らない、こんな無節操男に振り回されて、大聖人の御教えに逆行していく学会員の皆さん、早くその誤りに気付いて、総本山根本の信心に立ち返りましょう。
    【慧妙平成21年3月16日号より転載】
    http://www.youtube.com/watch?v=vZdEGHwDT6Q&eurl=http%3A%2F%2F8223%2Eteacup%2Ecom%2Fkoumanoken%2Fbbs%3FBD%3D4%26CH%3D5%26OF%3D0%

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コメント: 全4件

from: 改革フォーラムさん

2010年12月26日 11時13分37秒

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「Re:創価学会員必読コーナー 」
正本堂裁判全件勝訴確定

 創価学会 最高裁39訴訟全敗

正本堂解体を口実にした総本山への攻撃
最高裁で総本山全件勝訴確定


 去る十月六日、最高裁第一小法廷は、正本堂解体を理由として総本山大石寺を訴えていた創価学会員の上告を棄却し、上告審として受理しない決定を下した。この決定は、一連の正本堂関連訴訟で最後の最高裁決定であり、これによって正本堂関連訴訟は、宗門側の全件全勝で確定した。
 平成十二年一月から四月までのわずかな期間に、全国各地で三十九件もの訴訟が提起された正本堂関連訴訟は、動員された創価学会員らの数が四百二十人を超え、請求額も合計三億数千万円におよぶ莫大なものであった。
 そもそもこの訴訟で問題とされた正本堂が解体されるに至った原因は、池田大作の慢心による創価学会の謗法路線にある。
 正本堂は、本門戒壇の大御本尊を御安置申し上げるが故に現時における戒壇の意義を有していた。ところが池田大作は戒壇に関する誤った意義付けを行い、また、日蓮正宗の教義逸脱という仏法破壊の大謗法を行った。かつて「正本堂さながら池田大作、池田大作さながら正本堂」と称された正本堂は、池田大作の慢心を増長させ、創価学会員を惑わす堂宇と化してしまったため、平成十年四月、大御本尊は奉安殿に御遷座され、無用の長物となった正本堂は解体されるに至った。池田の慢心と謗法さえなければ、正本堂は解体されず、創価学会員も正しい信仰を持ち続けていたであろう。諸悪の元凶が池田大作にあるのは明白である。
 また、御供養とは純粋な信仰心の発露としてなされるものであり、何らかの見返りを求めるようなものではない。ところが原告らの主張によれば、彼らのなした御供養は正本堂を保守・維持・管理する契約の対価であり、大石寺は彼らに対して未来永劫、正本堂を保守・維持・管理する義務を負わされていたというのである。まことに荒唐無稽な主張である。彼らは恥じることもなく、御供養に対する不純な動機や信仰心の欠如を自ら吐露したのである。
 結局、本件訴訟において彼ら創価学会員は、日蓮正宗に帰依していない裁判官にさえ、仏教における御供養は信仰心の発露でなされるものであって、条件や負担をつけるものではないと諭されたわけである。
 創価学会員諸氏にはいい加減に目覚めてもらおうではないか。彼らが愛読する聖教新聞は、提訴時にあれだけの大報道をしておきながら、三十九件全件敗訴の事実は隠蔽し、ダンマリを決め込んだままである。池田礼讃にのみ躍起となっている創価学会員諸氏には、この事実を直視してもらいたい。
 宗門全件勝訴確定を受けて、宗門弁護団より談話が寄せられたので、以下に紹介する。




宗門弁護団の談話



 宗門は平成十年から十一年にかけて正本堂を解体しましたが、これに対し、創価学会は平成十二年一月から四月にかけて、全国各地の裁判所に実に三十九件もの訴訟を提起してきました。これら正本堂に関わる事件、いわゆる正本堂事件は、二つの種類に区分けされます。いわゆる建設御供養事件と護持御供養事件で、内訳は前者が二十六件、後者が十三件です。
 建設御供養事件は、正本堂の建設に際し、創価学会に建設資金を寄付した創価学会員らが、耐用年数が「千年」とも言われる正本堂を通常の耐用期間正本堂として維持管理すべきであったのに、宗門が僅か二十六年で取り壊したため、精神的苦痛を被ったとして損害賠償を求めた事案です。これに対して、護持御供養事件は、正本堂の護持のために寄付した御供養金であるから、正本堂を解体した以上、返還せよと求めてきた事案です。
 まず建設御供養事件について言えば、そもそも建設資金の寄付は創価学会に対してなされたもので、宗門が直接寄付を受けたものではありません。宗門は、寄付を集めた創価学会が正本堂を建設して、その建設した建物の寄付を受けたに過ぎないのです。正本堂を解体したのがけしからんと言うのであれば、創価学会が原告となって訴訟を起こすべきであるのに、間接的な寄付者に過ぎない創価学会員らが、全国のあちこちの裁判所に分散して、内容的には全く同じ訴訟を起こしてきたところに、この事件の特徴があります。応訴する宗門の負担は大変です。しかし、幸いにも、宗門弁護団が裁判所に申し立てた結果、このうち二十一件は静岡地方裁判所に移送され、併合して審理されることになり、宗門の負担は一定程度軽減されました。
 次に、護持御供養事件です。これは創価学会員らが直接宗門に御供養した寄付金に関するものですが、それでも内容的には全く同じ訴訟であるにも拘わらず、やはり全国あちこちの裁判所に分散して提訴されました。幸い、これについても、うち六件は静岡地方裁判所に移送され、併合審理されることになりました。(因みに、これら併合決定された二十七件すべてにつき、創価学会側は最高裁判所への特別抗告までして争っています。)
 創価学会員らの要求の根底にあるのは、寄付金を受け取った宗門は、寄付をした創価学会員らに対して、正本堂を長期に亘って維持する義務を負っているという考え方です。専門的な法律用語で言えば、御供養は負担付贈与であったというものです。しかし、御供養は本来的に純粋な信仰心の発露としてなされるものであって、御供養を受ける側に対して何らかの法的義務を負わせる意図でなされるものではない筈です。創価学会員の言わんとするところは、いわばひも付きの御供養であり、具体的な見返りを期待しての御供養ということになります。このように、およそ信仰心の欠けらも見られない言い分を臆面もなく振りかざしてきたのが、正本堂事件の特徴であり、このことは建設御供養事件及び護持御供養事件の双方に共通しています。
 そもそも正本堂が解体されざるを得なかった根本原因は、創価学会とりわけ池田大作が大謗法を犯し、宗門の嚮導に従わなかったことに起因します。創価学会側か大謗法を犯し、何らの反省悔悟も示さないまま長期間が経過した状況下において、池田大作を象徴するとも言われてきた正本堂を存置し続けることは宗門の信仰の根幹を揺るがしかねない問題です。宗門の純粋な信仰を守るためには、謗法の象徴たる正本堂を解体することは必然でした。これに対して創価学会員らが文句を付けてきたのが正本堂事件なのですが、およそ宗門とは信仰上何の関係もなくなった彼らが、宗門が信仰の上において取った措置に対してとやかく言うこと自体、宗門に対する不当な干渉という外ありません。すでに門外漢に成り果てた彼らには、正本堂を維持せよなどと宗門に指図する資格などあろう筈がないのです。彼らの要求は、まさに宗門の宗教活動の自由に対する甚だしい侵害でしかありません。
 当然のことながら、このような創価学会員らの言い分は、裁判所によっても認められませんでした。第一審判決をなしたすべての地方裁判所は創価学会員らの請求を全面的に棄却し、次いで控訴審たる各地の高等裁判所も第一審判決を支持し、最高裁判所もこれら下級審の判決を維持して、創価学会員らの請求には一顧だにしませんでした。最高裁判所は本年十月六日、最後まで残っていた護持御供養事件(供合された六件分)につき、宗門の勝訴判決を出しました。こうして宗門は五年余の裁判闘争を戦い抜いた結果、全件において全面的・完全勝利を達成し、創価学会の策謀を完膚無きまでに粉砕したのです。
 しかしながら、宗門に対する創価学会の不当な攻撃がこれで止むと考えることは楽観的に過ぎる可能性があります。宗門弁護団は今回の全面勝訴に驕ることなく、なお一層気を引き締めて、今後とも宗門弁護に微力を尽くす所存です。

                                        正本堂関連訴訟宗門弁護団


      小山 千蔭
      菅  充行
      有賀 信勇
      大室 俊三
      桂 秀次郎
      本田 兆司


《参考》
・正本堂解体関連 裁判一覧
・正本堂裁判 宗門完全勝訴にあたり、秋元渉外部長談話

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王様

from: 改革フォーラムさん

2010年12月26日 10時04分50秒

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「Re:創価学会員必読コーナー 」
正信会の皆さんへ、「正本堂をなぜ解体したのか?」
From: れいな
http://www.youtube.com/watch?v=s0v_ZhkjLKs

アップいたしました。

日蓮正宗 立正安国論、正義顕揚七百五十年 -
http://www.c-player.com/ac56004/thread/1100099716902

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from: 改革フォーラムさん

2010年12月13日 23時37分53秒

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「Re:創価学会員必読コーナー 」
   
【池田大作その虚飾を検証】するために対談をしました。
両名は、国立大学や国立大学法人で大学教官として長年教鞭をとっており、池田大作氏の「博士号」に関する検証をしました。

さらに両名は、東大と京大の大学院博士課程を経験して学者になりましたので、その比較も参考になるかと思います。(尚、この対談は、平成22年9月、10月慧妙紙に掲載されたものを加筆したものです)

対談者
•福本潤一
•農学博士(東京大学、地域環境工学) 元愛媛大学助教授 前参議院議員
•後藤竜二(仮名※創価学会からの攻撃を除くため仮名にした)
•国立大学法人 現職大学教授

博士号取得には厳密な審査、高額寄付で取得はできない
《司会》
福本先生、後藤先生には、お忙しい中、本当にありがとうございます。

これまで『慧妙』では、博士号と名誉博士は学位と名誉称号で全く別のものである、ということを明かしてきました。

しかし、学会員のなかには、よくわからず、創価学会では会長より名誉会長の方が偉いので、名誉博士は博士よりもっとすごいのだろう、と思っている人までいます。

この誤解は解いておかないといけませんね。

《福本》
まず、博士号を取るためには、博士論文を書いて、学位授与機関となっている大学に提出しなければなりません。

この博士論文は、東大の場合、同分野の五人の博士からなる審査委員会で、学術的独創性や学術的貢献度に至るまで、最低半年以上、専門家の誇りをかけて厳重に審査が行なわれます。

先人の研究成果も考察し、その後の新たな境地のどこが本人の成果なのかも、厳しく問われます。

中間発表、最終発表もあり、専門の博士五人による厳しい質疑応答も行なわれます。

専門試験、二カ国語の語学試験もあります。 また博士論文は、国会図書館に必ず一部を提出し、その論文が保管され閲覧可能となります。

《司会》
かつて、東京の私大の工学部教授が、博士号を取ろうと東大工学系大学院に申請しましたが、その中間発表会の質疑応答に耐えられず、博士号を取れないことに失望して、工学部の屋上から飛び降り自殺をしたことがあります。

博士号を取るというのは、そんなに厳しいものなのですね。

このページの先頭へ

《福本》
そうです。こんな話があります。

タイ王女のチェラポーン王女が、薬草学で博士号を取った後、お迎えして通訳をしたことがあります。

その直前の行事が、創価大学前の東京富士美術館で開かれたタイ国王の写真展のテープカットだったのですが、この時に王女は、池田大作とも懇談されたそうです。

その折、池田から「あなたは、来世では、たくさんの博士号を取られるでしょう」と、お追従を言われたタイ王女は、「来世には、博士号を取るような苦労は二度としたくありません」と答えた、と聞きました。

ですから、博士号は、高額寄付や交流で取れる名誉博士とは天地雲泥の違いがあります。

《司会》
それを、寄付等の貢献によって得た名誉称号をもって「池田博士」などと僭称するわけですから、本当に苦労して博士の学位を取った先生方からすれば、「ふざけるな!」と言いたくなりますね。

《後藤》
そういえば、池田が著作などで公言している「トインビーから、あなたは将来多くの名誉博士号を取られるでしょうと言われた」という話も、怪しい話ですね。学者トインビーが名誉博士号ごときを気にするはずがありませんから(笑い)。

《司会》
池田大作は、創価大学やアメリカ創価大学から、名誉博士号をもらっているようですね。なぜ、これらの自前の大学で博士号を取らないのでしょうか。

《福本》
それは、まず、専門分野で新境地を切り開いていないからです。また池田の場合、専門試験や二カ国語の語学試験、さらには専門の博士五人からの追究質問などに耐えられないでしょう。

もっとも、八十歳で博士号を取った人もいるのですから、まだ遅くありません。頑張ったらどうでしょうか(笑い)。

いずれにしても、今のままの池田に正式な博士号を出す大学があるなら、その大学の学位認定機関としての資格に、文部科学省から嫌疑がかかるでしょう。

それは、その大学としての終焉であります。


【池田は学歴コンプレックスの固まり】 【その醜い名聞名利に呆れる】
《司会》
ところで、今までの三回の特集を見て、どんな感想を持たれたでしょうか。

《後藤》
名誉称号で「池田博士」と呼ばせて学位詐称をしたり、まぎらわしい「桂冠詩人」や「世界民衆詩人」を鼻高々に自賛するところを見ると、池田大作は、そうとうな学歴コンプレックスの固まりであるといえます。

また、その裏返しで、世界で認知されたいという欲望の強い人間でもあります。

《福本》
そもそも、本物の博士号の価値を知らないから、こうも名誉称号を漁り、機関紙を使って自慢し続けているのでしょうね。

《後藤》
いや、池田大作は、ほぼ本物の博士号の価値を知っているので、ああまで、こだわるように、「名誉博士」なのに「池田博士」と言わせて、博士学位を詐称しているのだと思います。正式な博士号を持っているかのごとく、世間の読者や学会員に錯覚してもらうための手法、と言ってもいいのではないでしょうか。

《福本》
池田と同様に、正式の博士号を持たないで、名誉博士号などの名誉称号を漁るように獲得する人物も世界には、何人かいます。

北朝鮮の金正日将軍や、韓国の統一教会の文鮮明教祖が有名です。その二人ですら、あの『聖教新聞』一面のような、仰々しい大活字で宣揚することはありません。

《後藤》
しかも、創価大学の入学式や卒業式を利用して、授与式を行なうというのは、創価大学や創価学会の私物化ではないでしょうか。


《福本》
最近は、大学の私物化の批判があるからでしょうか、いちおう、一部、二部と分けたりして批判をかわす作戦をとっているようですが。

創価大の父兄からも、〝「学生のための大学」と言っていたのに「まるで池田大作のための大学」と思っているのではないか〟という批判が出るほど、名誉称号顕彰式のオンパレードです(笑い)。

《司会》
先ほどの、勲章や名誉称号をたくさん集めている金正日将軍や文鮮明教祖は、金博士とか文博士と呼ばせたりしているのでしょうか?

《福本》
北朝鮮にも数度行きましたが、金博士と呼ばせていることはないようです。

文鮮明も、統一教会の幹部に問い合わせしたところ、博士と呼ばせることはないし、自称することもないようです。

名誉博士号しかないのに、ドクター金とか、ドクターサンミョンムーン(文鮮明)と言うと、国際的に学位詐称の批判を受ける、との自覚があるのでしょう。

《司会》
それが最低限の恥を知るという意味で、当たり前な行動でしょうね。

《福本》
池田の場合、現場でロビー活動をしたり寄付活動をしてきた人達の成果なのでしょうか、「池田博士」と錯覚して呼ばせることには成功しているようです。しかも『聖教新聞』によると、外国に「池田博士公園」とか「池田博士小学校」という命名までして、この恥ずべき錯誤を外国まで流布させているようです。

さらに、いくら相手側から呼称された形をとっているとはいえ、『聖教新聞』に大活字で「池田博士」、時には奥さんに「池田カネ子博士」と書くようでは、その底の浅さが知れますね。

《後藤》
奥さんまで? 奥さんは、どこかの大学で正式な博士学位を取られたのでしょうか?


《福本》
いやいや、取ってなどいませんよ(笑い)。

創価学会では、池田大作、奥さんのカネ子、長男の博正だけが、外国から名誉称号を受けているようです。

団体としての貢献に対する称号だったら、会長だった秋谷氏や現会長の原田氏が代表受領するのが普通でしょうが。

《司会》
では、外国の大学への寄付金などは、創価学会のお金でなくて、池田家の個人的な財産から寄付している、ということでしょうか?

《福本》
寄付金などは、中国の大学のHPで「創価学会池田大作」名での寄付金は見ましたが。それが団体としてのものか池田個人としてのものか、その振り分けがどうなっているかはわかりません。

《後藤》
アメリカでNSA(日蓮正宗アメリカ・当時)の時代から大活躍した、G・Mウィリアムズこと貞永さんも、この称号をめぐって池田大作から攻撃された一人ですね。

池田がたくさん集めた名誉称号と違って、貞永さんは、出身母校の明治大学で、政治学の本物の博士号を取得されたのです。アメリカで「ドクターG・M・ウイリアムズ」と名乗れれば、学問の専門分野で新境地を開いた学術の人と認められ、社会で活躍できる分野もたいそう広がります。

貞永さんは、「正式の博士号を取得できました」と池田名誉会長に報告したところ、池田から「名問名利だ!」と激しく叱責されたそうです。

《福本》
そんなことがあったのですか。新進党で当選した同期七名で作っていた「伸党」の会合で貞永さんの話になった時に、池田側近である「伸党」の教育係が「貞永は、アメリカ創価大学の学長ポストを狙って博士号を取ったので粛正した」と言っていましたから。

《後藤》
名聞名利というのなら、池田大作の名誉称号集めの方が、むしろ、名問名利でしょう。

《福本》
いずれにせよ、名誉称号などは経歴書に書くなら賞与欄でしょう。が、ノーベル賞を受賞した野依教授をはじめ多くの学者は、名誉称号なぞ賞与欄にも書き込んでいません。あれほど、ぎょうぎょうしく賞賛しまくるほどのものではありません。

《司会》
大した価値もない称号だということですね。


[本尊模刻は池田の慢心の顕われ] [徹底的に行なわれたニセ本尊交換]
《後藤》
第一次問題の時も第二次問題の時も、池田創価学会によって、本尊問題が起こりましたね。

第一次では、池田氏による八体の御本尊模刻、この中では、後に、創価学会常住の御本尊だけは日達上人によって開眼供養されました。

勝手に模刻された中には、池田大作自身のお守り御本尊の模刻までありました。こちらの方は、創価学会の東北研修所に安置され、池田氏から「東北を守る御本尊様です。私だと思って祈るように」との伝言があったといわれています。

《福本》
御本尊模刻事件が発覚した時は、池田氏の信心は、そこまでなり下 がっていたのか、と驚きました。あの時は、池田自ら幹部二千名を引き連れての「お詫(わ)び登山」が行なわれました。

しかし、結局、事態を収拾することはできず、昭和五十四年四月に池田氏の会長辞任となってしまいました。

《後藤》
会長辞任の時は、ローマ帝国皇帝のカノッサの屈辱(くつじょく)と同様に、「今に見ておれ! いつか仕返しを!」と思っていたのでしょうね。

後に、随筆人間革命や桂冠詩人の詩作の中で「怨念(おんねん)の五十四年四月二十四日」のことを書いています。池田会長時代が十九年で終了し、辞任せざるを得なかったことが、よほど悔(くや)しかったのでしょう。

第二次戦争では、一九九二年(平成四年)に池田大作氏が信徒除名処分を受け、その翌年(平成五年)には、学会製のニセ本尊を発行しました。

《福本》
そのニセ本尊については、創価学会員はニセ本尊と気付いてない人がほとんどだと思いますよ。なにしろ、わが家にも地元の婦人部が来て「一番功徳のある日寛上人の御本尊様に取り換えることになりました」という説明をしてこられましたから。

あの時、日顕上人の御本尊様をことごとく取り換えさせただけでなく、四国などでは、日達上人の御本尊様まで換えるようにと、徹底的に交換させたようですから。

学会本部では「本人の気持ちが大事です。無理はしないように」との形式的な指導をしていたようですが、現場ではそうもいかなかったということでしょうか。



[建前と本音を併用する学会] [幹部は池田の意を汲んで動く]
《司会》
学会の本部方針は、常に現場では徹底されていない側面があります。

聖教新聞の多数部購読や民音のノルマ的なチケット販売、狂乱財務といわれた一千万(四ケタ)の煽動(せんどう)など、どこが「無理をしないように」でしょうか。

《後藤》
本音と建前の併用ですね。

池田大作自身が、アメリカでの講演で「このように、お世辞を言っておいたほうが財務がたくさん集まる」と言った上で、通訳の矢倉涼子女史に「ここは、翻訳しないでね」と言っておりましたが、それと同じです。うまく、本音と建前を使っていますので、学会員の間では、「池田先生は悪くない。全て途中の幹部が悪いんだ」と言われていたようです。

《福本》
それは、池田氏が本音で望んでいても言い出しにくいことを、側近幹部や最高幹部は実行するのが弟子の責務と思って、会員を煽(あお)っているのではないでしょうか。

各地に、生前中にもかかわらず、池田講堂とか池田名を冠した会館ができるのも、その体質からです。

また、最高幹部の話はいつも池田大作氏の宣揚ばかりですし、会合でやる体験談も、すべて師匠池田大作と弟子たる自分との関係の話です。

《司会》
師弟論の悪用ですね。

いずれにしても、お二人ともそうした池田大作・創価学会の変質に気付かれ、脱会に踏み切られたわけですね。貴重なお話をありがとうございます。

池田大作その虚飾を検証
創価学会をよく知るための書籍
カルト創価の終焉


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from: 改革フォーラムさん

2010年12月06日 21時20分38秒

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「Re:創価学会員必読コーナー 」
参考 (巻頭言)
登山会について
創価学会会長 池田/大作

10月12日は、大御本尊御出現の日である。この大御本尊は、末法の御本仏であらせられる日蓮大聖人様が大慈悲をおこされ、全世界の一切衆生に腸わった御本尊であるがゆえに、一閻浮提総与の大御本尊と申しあげ、また、大聖人様の出世の御本懐として、万人から仰がれる大御本尊であらせられる。われわれが登山して、大御本尊を拝することは、そのまま日蓮大聖人様にお目通りすることであり、偉大なる功徳を享受できることは言うまでもないのである。
この大御本尊の功徳については、日蓮大聖人様御(おん)みずから「此の砌に望まん輩(やから)は無始の罪障忽(たちまち)に消滅し、三業の悪転じて三徳を成ぜん」と仰せられ、また、富士大石寺26世日寛上人は、次のように讃嘆(さんたん)せられている。「此の本尊の功徳、無量無辺にして広大深遠(じんのん)の妙用(みょうゆう)あり、故に暫(しばら)くも此の本尊を信じて、南無妙法蓮華経と唱うれば、則ち、祈りとして叶(かな)わざるなく、罪として滅せざるなく、福として来(きた)らざるなく、理として顕れざる無きなり」と。このように、われら凡愚のいかなる願いも叶え、いかなる重罪も消滅してくださるお方が、人法一箇の大御本尊であらせられるのである。かかる絶対の大御本尊にお目にかかる登山会であれば、学会の登山会こそ、行事の中の最大の行事として、他の一切の行事に優先して行なわれているのである。

やがて時至って、広宣流布の暁(あかつき)には、大聖人様御遺命(ゆいめい)のごとく、本門の戒壇堂に御安置申しあげて、日本国中はもちろん、全世界より渇仰(かつごう)される大御本尊であらせられることを思えば、われら学会員が、未だ時至らざるうちに、とくに御法主猊下のお許しを得て、この大御本尊に御内拝できうることは、無上の福運であり、まことに有難き極みである。


したがって、登山会に当たっては、学会員は特に次の三点に留意すべきであろう。その第一は、病人や、著しい老衰のために他に迷惑を及ぼす恐れのある人は、登山会を差し控えるべきである。登山会が団体行動であることを考えるならば、これは社会人として当然のことであろう。第二には、病気や事故その他で、登山が不可能な人のためには、家族や、もっとも近い親せき等の近親者が代わって登山をして、お願いすることによって、本人が直接登山したと同様の功徳が得られることを、確信すべきである。第三には、登山会は各自の生活の現状、いろいろな活動や功徳の結果を、直接大御本尊に御報告申しあげるとともに、あわせて将来のために、もろもろのお願いを申しあげるのが、その目的であると知るべきである。したがって、病人や極端な老人等を無理に登山させるようなことは、決してあってはならないのである。登山会は、日蓮大聖人様のまします霊鷲山への参詣であり、さらに日興上人・日目上人等、三世諸仏の住処であり、われらが真如の都である、久遠元初の故郷へ還(かえ)ることなのである。

このように、学会の登山会は、極めてその意義が深いのであるから、軽々しく考えてはならない。あたかも大聖人様ご在世当時の阿仏房の精神をもって、登山の精神とすべきである。七百年以前に、佐渡ケ島より荒波を渡り、さらに野を越え山を越えて、身延の沢に再三、大聖人様をお訪ねし、心からお仕え申しあげた阿仏房の精神こそ、たとえ時代は隔(へだ)つとも、わが学会の登山精神でなければならないと思う。


次に私は、常に登山会の陣頭に立って、万全の輸送を果たしている輸送班の、涙ぐましい活躍に対して、心の底から深謝するものである。御本仏日蓮大聖人様の子どもを、その仏前にお目通りさせる輸送班の役目は、誠に重大であり、絶対の功徳に満ち溢れることは必然である。かつては私も、輸送班の第一線に立って、苦楽を共にしたものであり、また立宗七百年祭には、不眠不休でその任務を全うした、喜びの経験をも有するものである。

学会の月例登山会は、昭和27年10月から開始され、今年で満11年目を迎えたわけである。10月は大御本尊御出現の月であり、また、大聖人様御入滅も10月である。この意義深い10月に当たって、ここに改めて、登山会の精神に深く憶(おも)いをいたし、来(きた)るべき三百万総登山、ならびに将来「不開門(あかずのもん)」の開くその日まで、絶対無事故で登山会を完遂するため、ここに指針を示すものである。

以上
http://www.youtube.com/watch?v=vZdEGHwDT6Q&eurl=http%3A%2F%2F8223%2Eteacup%2Ecom%2Fkoumanoken%2Fbbs%3FBD%3D4%26CH%3D5%26OF%3D0%

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