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from: 改革フォーラムさん
2011年05月13日 21時00分20秒
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現証
本紙はけっして、人の不幸をあざ笑うために、このような特集を組んだのではありません。日蓮大聖人の「一切は現証には如かず。善無畏(ぜんむい)・一行が横難横
本紙はけっして、人の不幸をあざ笑うために、このような特集を組んだのではありません。日蓮大聖人の
「一切は現証には如かず。善無畏(ぜんむい)・一行が横難横死、弘法・慈覚が死去の有り様、実に正法の行者是くの如くに有るべく候や。(中略)それほどに浦山敷(うらやまし)くもなき死去にて候ぞやと、和らかに又強く、両眼を細めに見、顔貌(かんばせ)に色を調へて閑(しず)かに言上すべし」(御書1106、全集1279頁)
との仰せに従って、現実を現実として、何ら誇張することなく示すことで、1人でも多くの学会員が1日も早く正信に目覚めることを願っての特集なのです。
最後にもう1度申し上げます。学会員のみなさん、この現実を、どうぞ直視してください!
(『慧妙』H17.9.16)
このなかにだって、財布のなかに十円玉1つぐらいしかない人と、千円札を何枚も持っている人といるはずです。それは、生存競争ということが、世の常でありますから。また、それ以上の問題は、宿命ということがあるからです。
原子爆弾が落ちても、広島の人がみんな死んでしまったわけではない。死んだ者と、けがした者と、助かった者とある。病人が多くなったからといって、みな、病人ではない。そうなれば、だれもが、金のあるほうへはいりたい。あぶないことが起こったら、死なないほうへはいりたい。病気であったら、病気でないほうへはいりたい。それはあたりまえです。
それが、できることなら、だれしもそうなりたいが、では、どうしたらいいのか。それはなんでもないことです。日蓮正宗の大御本尊様を信ずれば、それですむのです。
(『戸田城聖全集』第2巻315頁〜)
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from: 改革フォーラムさん
2011年05月29日 16時35分29秒
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「Re:現証」
杜撰な安全管理で度々衝突事故(仮題)
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―『聖教』の消極的報道には裏事情があった!?―
(『慧妙』H19.3.16)
3月2日、国土交通省九州運輸局は、鹿児島県・奄美大島に本社を置くマルエーフェリー(株)に対し、常時複数の者が航海当直に就(つ)くこと、船員に対し安全管理規定の徹底を図(はか)ること、経営トップから現場まで一体となった安全管理体制を作ることなどを求めた安全確保命令を出した。
これは、2月9日、同社のフェリー「たかちほ」が九州・都井崎の沖合で、マグロはえ縄漁船に衝突して沈没させ、そのまま現場から走り去ってしまった、という事故を起こしたことに対してのもの。
この事故については、漁船の遭難(そうなん)報道から、乗組員が救出される模様、さらに、当て逃げした相手側を捜す中で「たかちほ」に漁船と衝突したらしい痕跡があること、漁船に付着していた塗料が「たかちほ」のものと一致したこと、マルエーフェリー(株)と「たかちほ」に対し、国交省九州運輸局や海上保安庁が、調査・家宅捜索を行なったこと等について、新聞・テレビ等が、こぞって大きく報じた。ところが、漁船に衝突した相手として「たかちほ」「マルエーフェリー」の名が浮上した途端、報道姿勢がガラリと消極的に変わった新聞がある。それは『聖教新聞』である。
『聖教新聞』はなぜ、「たかちほ」や「マルエーフェリー」について報じたがらなかったのか、それは、マルエーフェリーの会長が、『潮』誌上で池田大作への思いを語る程のバリバリの学会員(もしくは学会の超シンパ)であることと、関係はないのか―。
ちなみに『潮』(平成18年10月号)の「平和と文化の大城 池田大作の軌跡」なる企画記事に、次のような件(くだり)がある。
「鹿児島市のマルエーフェリー(元・大島運輸)本部・会長室に入ると、デスクの背に飾られた揮毫(きごう)が目に飛び込んできた。
「安穏」
文字は太く、どっしりと座っている。それでいながら筆の勢いは力感に満ち、動的にも見える。
「池田先生に書いていただきました。うちの宝です」
会長の■■■(※原文では実名)。1963年6月21日、池田会長が初めて奄美大島に船で渡った時に同行した。
「エジプトから取り寄せた特別な紙と伺(うかが)いました。パピルスの復元でしょうか。学会本部で贈呈式がありましてね。千年は持ちますよ、と言われました」
同社が、大型客船で学会員の研修輸送を担(にな)っていた時に、安全・無事故を祈って書かれた揮毫である。
「池田先生には、とにかく安全運転でお願いします、と常に言われました。私たちも必死でした。
先生は、全会員の一生、人生を預かっていらっしゃる。トップの辛労、重圧、責任はとても推(お)し量(はか)れません」
これを読むと、マルエーフェリーの会長が、今も池田大作に深く傾倒していることは疑う余地がない。
もし、『聖教新聞』のペン先が鈍った理由がそれだとしたら、結局、『聖教新聞』は"同人誌"も同じであり、三大紙並みの発行部数を自ら誇る資格などないことは明白だ。
ところで、『潮』に掲載されたマルエーフェリーの会長の言葉に、少々ひっかかるものを感じる。
というのは、船にしろ何にしろ、人や物を運ぶことを生業にしている者が「安全運転」をするのは、誰に言われなくとも当然の責務である。それが、池田大作あたりに言われて痛く感動した、というのは、運輸業界にいる者として「恥」以外の何ものでもないではない―。
今回の事故を起こしたとき「たかちほ」では、本来は2人いるはずの当直のうちの1人は、持ち場を離れて別の作業をしていたことが明らかになっている。
もし漁船の側にも何らかの落ち度があったとしても、「たかちほ」の側が本来の当直体制をキチンと守っていたなら、事故が回避できた可能性は高い。
また、報道によれば、マルエーフェリーの船はこれまでにも何度か、衝突事故を起こしているという。
今回、国土交通省九州運輸局から「経営トップから現場まで一体となった安全管理体制を作ること」という安全確保命令が出たということは、「マルエーフェリー」の会社全体に、やはり安全運行に対する意識・配慮に欠ける部分があった、といわざるをえない。
ともあれ、"『聖教新聞』は真実しか報じない"と信じ込んでいる学会員諸氏よ、このように、『聖教新聞』は真実すらマトモには報道しないことのある新聞だ、ということを、よく肝(きも)に銘(めい)ずることだ。
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