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from: 改革フォーラムさん
2011年11月23日 17時46分10秒
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池田大作 日本経済乗っ取りの野望
池田大作 日本経済乗っ取りの野望(4)
-創価学会の財政のすべて-
会員からしぼりとった金の力で、日本の全面支配へと乗り出す池田大作
第1章
創価学会の「独自・永久路線」推進と、日蓮正宗との摩擦
昭和四十八年から同五十五年まで
絶頂期(昭和四十三年代)「広宣流布したとき首相になり国主になる」 と 公言した池田大作
昭和四十八年は、本来ならば、池田大作と創価学会にとっての輝かしい栄光の年の幕開けになるはずだった。 池田大作が、会長就任直前に打ち出した、“七つの鐘”構想によれば、昭和四十八年から昭和五十四年までを、“第七の鐘”が鳴り終る時期とし、それは正に“広宣流布・王仏冥合”の総仕上げの時期と想定されていた。 昭和四十七年十月に、日蓮大聖人御遺命の“事の戒壇”たるべき正本堂を完成させ、その後の七年間で、“折伏”により、日本国民の過半数を創価学会員とし、選挙で公明党が国会の過半数を占め、政権を奪取する。 その時、池田大作が総理大臣となり、国会の議決で正本堂を“国立戒壇”と定め、最高権力者として大石寺の開かずの門を開き、大御本尊に“広宣流布の報告”をする……。 これが、池田大作が学会員に示しつづけて来た、広宣流布のスケジュールであった。 池田大作が得意の絶頂にあった昭和四十年代の初め頃、ジャーナリストのインタビューに対して、 「(我々は)やろうと思えば、どんなこともできます」 と豪語し、“広宣流布達成”の暁には、自分が、日本において宗教・文化のみならず、政治においても至高の権力になる、と宣言した。 「私は、日本の国主であり、大統領であり、精神界の王者であり、思想文化一切の指導者・最高権力者である」(高瀬広居著「人間革命をめざす池田大作その思想と生き方」より) 「天皇なんか問題になるかよ!!」 今日、世界でただ一人残ったカリスマ的独裁者・北朝鮮の金正日も顔負けの、“絶対権力者宣言”である。 「広宣流布達成の暁には、池田先生が総理大臣になる。“国主”として天皇より上になる。 我々“学会人”は(会員は、自分達をこのように自称して、非会員と区別していた)世の中で、あらゆる所で上になる。 その時は、我々を貧乏人とさげすみ、見下していた連中を見返してやるのだ。 我々は、邪宗の連中を女中や下男として召しつかい、子供の通学の送り迎えもやらせるような身分になる……」 このような妄想を語り合いながら、創価学会員達は、池田大作の示す未来像に酔い、 「正本堂ができるまで!!」 「開かずの門が開くまで!!」 を合言葉に、歯をくいしばって過酷な選挙活動や折伏ノルマに立ち向かっていったのだった。 日常顔を合わせる近隣や会社の人達に、学会員だからと馬鹿にされたり嫌われたりしても卑屈な追従をしながら、腹の中で 「今に見ていろ!! お前達を見下してアゴで使ってやるからな」 と、思いつづけていたのである。 実際、池田大作は、もはや総理大臣気どりで、“閣僚名簿”をつくったりしていたのである。 だが、現実は、そうは問屋がおろさなかった。
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コメント: 全43件
from: 改革フォーラムさん
2012年05月12日 14時58分29秒
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「Re:池田大作 日本経済乗っ取りの野望」
僧侶不用論、寺院不用論が行きづまり
“自前”の寺、“やとわれ僧”を
一方で、他宗の反感を買うことも多く、世間には異様な印象を与えるばかりだったから、“友人葬”も、あまり声高に強調されなくなった。 創価学会は、自らの“僧侶不用論”に反して僧侶を頼むようになったばかりか、“寺院不用論”もいつの間にか引っこめてしまい、自前の寺院を建てるようにさえなってしまった。 どんなに矛盾したことを言おうと、どんなに矛盾した行動をとろうと、知らぬ顔でシャアシャアとしている創価学会も創価学会なら、少し前のことを忘れてしまって、言われるままに羊のごとく従う、洗脳された創価学会員達も、哀れといえば哀れである。
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from: 改革フォーラムさん
2012年04月29日 08時02分16秒
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「Re:池田大作 日本経済乗っ取りの野望」
“友人葬”で既成仏教の破壊を狙う
しかし“導師をすれば死ぬ”と不安な幹部達
「友人葬」は、学会員を日蓮正宗寺院から引き離す効果とともに、既成仏教の存立基盤を崩す狙いと、そして、創価学会が会員を死後まで搾取する目的の、一石二鳥を狙った企業である。 お調子者の宗教学者が、創価学会に金をつかまされて、その尻馬に乗って騒いでいるのは、自らの馬鹿さかげんを世にさらす行為である。 こうした学者とか文化庁の役人がいかに無責任かということは、オウム真理教の提灯を持って世のひんしゅくを買った島田某元助教授の例を見れば、よくわかる。 尤も、創価学会とおかかえ葬儀社による“友人葬”作戦は、一時成功するかに見えたが、やがて、学会員も、僧侶不在の葬儀に不信と不安を懐くことが多くなった。とりわけ、導師をつとめた古参幹部が、 「三回、友人葬の導師をつとめるとトン死する」 という話が流れて、尻込みするようになったりしたこともあって、(事実、導師をつとめて不幸にあった事例もつづいたから)結局、日蓮正宗から破門された“離脱僧”をかつぎ出して、葬儀を行うようになった。これら離脱僧は、葬儀社のやとわれ坊主みたいになってしまった。
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from: 改革フォーラムさん
2012年04月29日 08時00分57秒
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「Re:池田大作 日本経済乗っ取りの野望」
“無病息災”を願う宗教と死者でかせぐ葬儀の
奇妙なドッキング 池田がこよなく愛する“葬儀屋稼業”
飲食店と書店の次は、“葬儀会社”が急成長した。 池田大作が社長会のたびに面白がった“富士白蓮社”の他に、数社が設立され、なかでも、“盗聴、謀略師団”のワザ師として悪名高い北林芳典が社長をつとめる「報恩社」は、情報謀略活動の拠点会社としての役割も果たしている。 日蓮正宗に破門されて以来、創価学会は、僧侶不用の「友人葬」を称え、葬儀をとりしきる学会系葬儀社が、その実施部隊として活躍した。 会場の設営、墓地や火葬の手配はもちろんのこと、古手の学会幹部が導師をつとめる儀典までをとり仕切り、学会員の葬儀を独占して荒かせぎを続ける、これら葬儀社は、余勢をかって他宗の人々の葬儀にまで手を伸ばしている。 創価学園卒の幹部が、棺桶のクギ打ち用の石をポケットにしのばせ、他宗の人々の葬儀にまで走りまわりながら、 「昨日は、池田先生の会食(年に一度か二度)の席で、激励されました!」 とハッスルする姿は、異常を通りこして、こっけいですらある。
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from: 改革フォーラムさん
2012年04月29日 07時58分52秒
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「Re:池田大作 日本経済乗っ取りの野望」
書店や取次店に圧力 新しい言論妨害のテクニック
大手出版社も取次店も、創価学会にニラまれては経営が成り行かないから、批判書籍は、発行することが困難になり、仮に発行しても書店に流通せず、何とか書店に届いても、書店が店頭に並べることをしないから、まるで売れない。 もし店頭に並べている書店があったら、 『潮』や『第三文明』の社員、あるいは学会員を名乗って 「お前のところをボイコットするぞ!!」 と脅すから、系列外の書店も学会批判書を隠してしまう他ない。 昔よりも、より巧妙で完璧な“言論弾圧”のシステムを、創価学会は全国に張りめぐらしているのである。 これを破るには、心ある人達による“ビラ配布”が有効であることが、先の総選挙で証明された。
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from: 改革フォーラムさん
2012年04月28日 00時08分34秒
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「Re:池田大作 日本経済乗っ取りの野望」
池田専用コックを提供 「会食商売」の手足
話が少しそれたが、博文堂レストランは、池田大作が大広間に多数の幹部を集めて会食会を開くときに料理を担当する。一人二千円、三千円と会食費をとり、その何分の一かで料理を上げて、サヤを池田大作の小遣いにする。最近の代議士の“パーティー”と同じである。 また、池田大作が、地方や海外に出かけるときは、専用の料理人を派遣する。 博文堂は、池田大作の“五欲”の一つ、くじらのような食欲を満足させるための“会社”だったのである。 このレストラン、そして書店は、全国各都市の主要会館所在地に展開していった。 特に、“書店”については、創価学会の重点戦略として、㈱青春書店、㈱凰書院とともに、不振な一般店を買いとったり支配下に置くことも含めて、次々と店舗を各都市に設置し、そのシェアは、今では、全国書店売上の十%以上を占めるというから、我が国の書籍の流通経路の死命を握ってしまったといえる。
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from: 改革フォーラムさん
2012年04月28日 00時07分10秒
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「Re:池田大作 日本経済乗っ取りの野望」
池田大作“食欲満足係”の博文
麻原とオウム焼肉屋の関係とソックリ
共にメロン大好き池田と麻原
オウム真理教の麻原彰晃が、教団系列の焼肉屋で幹部をはべらせて飽食していたのは有名な話だが、池田大作とそっくりである。 二人は“高級メロン”に目がないという点まで似かよっていて、私はオウムの話を聞いたとき、思わず吹き出してしまった。 池田大作のやり方は、自分の前にある特別料理にハシをつけて、幹部に下げ渡し、“回し食い”させる。食べ方で、忠誠心をはかるのである。 オウムでは、施設の修行者には“間食”を禁じ、粗食を命じていた。女性との交渉も禁じていたという。 池田大作も、貧しい会員から容赦なくしぼりとり、幹部は安月給で酷使し、“止暇断眠”の活動ノルマを課しておきながら、自分は、朝寝、飽食の生活をむさぼっていた。組織には、“男女関係をつつしめ”と命令しながら、まわりの女性に手当たり次第、手をつけていたのである。 そういえば、麻原彰晃も、二号、三号、四号、五号と、女あさりはとりとめもなかったという。
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from: 改革フォーラムさん
2012年04月28日 00時05分59秒
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「Re:池田大作 日本経済乗っ取りの野望」
レストラン博文、博文堂書店、寿司「満月」
ところでその後、“社長会”メンバーだった会社はどうなったか。 一番成功したのは、東西哲学書院である。 創価学会本部の入り口近く、御苑東通りの慶応大学病院の向かいに、博文堂書店、レストラン博文を出店した同社は、学会員相手に収益をあげ、寿司屋チェーン(満月)にも手を出し、成功した。 青山一丁目近くにある“満月”は、池田大作がたいそうお気に入りで、創価学会や公明党首脳を連れてひんぱんに会食した。 私も、何十回となく同伴した。 この満月と、レストラン博文の二階、そして聖教新聞社近くの“光亭”。 池田大作との会食に呼ばれたのは、この三ヶ所が一番多かった。 それと、学会本部、聖教新聞社等の専用室で、「出張天プラ、出張寿司」をふるまわれることも何度もあった。 篠原善太郎社長は既に亡くなったが、死の直前には池田大作に対して批判的であったという。
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2012年04月27日 09時09分41秒
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「Re:池田大作 日本経済乗っ取りの野望」
破門後、大石寺攻撃のスパイの逃げ込み所となった
富士美術館
創価学会が日蓮正宗から破門された後、大石寺境内に隣接した場所に存在する富士美術館は、創価学会による大石寺攻撃の重要な拠点となった。 大石寺の行事や工事を屋上から望遠レンズで見張り、大石寺境内に忍び込んだスパイは、発見されると富士美術館に逃げ込む。正本堂御供養金で、正本堂の付属建物として造られた富士美術館は、本来なら大石寺に返還されるべきであるのに、ネコババを続けるばかりか、大石寺に対する謀略や攻撃の拠点に使うのだから、まったくタチの悪い団体である。
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2012年04月27日 09時02分23秒
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「Re:池田大作 日本経済乗っ取りの野望」
のど元過ぎて、日蓮正宗を再ぴないがしろにした池田大作
ついに、日蓮正宗から破門
“ノド元過ぎれば熱さ忘れる”というが、状況が好転するに従って、池田大作は、日蓮正宗との関係が、またまた次第にわずらわしくなった。 あわや死に体か、という時に、ありとあらゆる好条件を提示し、ひたすらひれふして慈悲をこい、そのおかげでもう一度チャンスを与えよう、との御慈悲で御法主上人に助けおこされたにもかかわらず、その恩は次第に忘れて、日蓮正宗への信徒団体としての務めを果たすことがいまいましくなり、御奉公の約束を反古にしだんだんと、昔のように「池田本仏論」が復活し、御法主上人や宗門僧侶を悪口中傷するようになった。 もともと、池田の謝罪や誓約は、その場の窮地を免れるための方便でしかなかったのだから、こうした本性の露出は時間の問題であった。 そして、温情をかけた日蓮正宗中枢が、やがて興ざめし、失望と怒りを味わうようになられたのも、当然のなり行きであった。 私は、近い将来、必ずや池田大作は再び本性をあらわし、その結果日蓮正宗と創価学会は決裂する、と確信を持っていたから、正信会側から疎外されたのを好都合に、ある時期から、静かに事態を見守る方針に転じていた。 やがて、平成に入ってから、日蓮正宗と創価学会の間の抗争が次第に表面化していく。 入獄する平成二年二月の直前に、ある方から、日顕上人の御意向が伝えられた。 私は、心安らかに下獄した。 最大の敵の一人であった私の下獄を見とどけた後、創価学会は、日蓮正宗との最終戦争に突入した。 平成三年十一月、日蓮正宗は、創価学会の破門にふみ切り、創価学会は、日蓮正宗との絶縁を宣言した。それにともない、会員が脱会して日蓮正宗につくことを防ぐため、創価学会は、なりふりかまわぬ宗門攻撃を展開していった。 また、破門を契機に、ある意味の拘束から開放された創価学会は、徹底した金集めと、政治への傾斜を深めていったのである。 本シリーズは、創価学会の経済面に焦点をあてて解明することが目的であるから、政治路線や宗門との対立については、その解明に必要な範囲にとどめた。
(創価学会と日蓮正宗の歴史、創価学会と公明党の政治路線については、別シリーズで改めて詳説し、後世に残したいと考えている。)
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2012年04月27日 08時59分39秒
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「Re:池田大作 日本経済乗っ取りの野望」
日達上人御遷化と創価学会の巻き返し
池田大作の辞任で最終和解をしたつもりが、創価学会側のサボタージュと、急進派僧侶の突き上げで、何となく雲行きがおかしくなった中で、昭和五十四年七月、日達上人は御遷化された。 あとを引き継がれた阿部日顕上人は、日達上人の 「私がしいた創価学会との和解路線を何とか推進してほしい。しかし、創価学会が違約したら、その時は、腹を決めて当たってもらいたい」 との遺命を受けて宗政を進められた。しかし、創価学会首脳は、“今が最後のチャンス”とばかり、宗門への「完全服従」「献身奉公」を誓うとともに、一方で、私や急進派僧侶が、創価学会批判を口実に、現執行部を追放して宗門支配を目論んでいる、との中傷を徹底して新執行部に吹き込んだ。 「新しい猊下には、私共は、何でもおっしゃるとおりに御奉公いたします。しかし、そのためには、立ち直る余裕を与えてください。 創価学会を批判する僧侶達を押さえてください。押さえられないなら、宗門から追放してください。さもなくば、これ以上、青年部はだまっていられない。何をするかわからない。そうなると、私にも抑えられない」 「御本尊にかけて申します。私は、猊下や御宗門をないがしろにするようなことは、けっして言っておりません。山崎や原島のいうことは皆なウソです」 「いいですか。山崎や原島のいうことはウソです。私を信じてください。宗門がどうなってもいいのですか。これが最後ですよ」 「若手僧侶は、日顕上人を追い落とし、他の人を御法主にしようと企んでいるのです」 と、恭順、服従を誓い、日蓮正宗の外護を約束し、その一方で、 「俺の言うことがきけないなら腹をくくって戦うぞ!! その時、後悔するぞ!!」 という脅しをきかせ、そして、宗内を分裂させる謀略を行なう。 まさに池田大作一生一代の勝負に出たのである。 日蓮正宗側は、こうした池田・創価学会の出方を真に見極めるには一定の時間が必要、と考え、当面は日達上人の遺命どおり、一歩、創価学会との関係修復にふみ出した。 それに、急進派僧侶が反発し、池田の思惑どおり、宗内の対立は深刻化した。 私も、池田大作の陰険な策謀によって、追いつめられ、流れのおもむくところ、急進派の人達と行動を共にすることとなっていった。 以後、私達は捨て身の反撃に出て、創価学会は窮地に陥り、昭和五十六年七月の総選挙では、公明党は惨敗した。 自民党も、一時私達の“創価学会批判”のしり押しをする構えをみせた。 池田大作は自民党と取引きして、公明党に議会で協力させることと引きかえに私達への弾圧を黙認させた。 その上で、学会は権力で警察・検察を動かし、昭和五十六年、私を恐喝罪で逮捕、起訴させるというウルトラCに成功し、窮地をきり抜けた。 こうして創価学会は、当面、平身低頭することによって、日蓮正宗との一応の関係回復をなし、そしてまた、自民党との裏のつながりを深めていって、危機の回避に成功した。 もはやこわいものがなくなった池田大作は、自民党の派閥抗争を利用して分裂を仕掛け、“二階堂擁立制”で新たな“天下盗り”の策略を練り直したのであった。
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2012年04月23日 04時12分22秒
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「Re:池田大作 日本経済乗っ取りの野望」
日達上人より急進派僧侶の説得を依頼される
昭和五十三年七月、創価学会は聖教新聞上に、教義上の誤りについての訂正を掲載したが、それに至る過程で、日達上人は私に、創価学会との仲介役だけでなく、宗内急進派の僧侶の説得、抑制を依頼された。 若い僧侶達は、時には自分達を、時には宗務院を前面に立てて、日達上人が押したり引いたり、攻めたり、ゆるめたりなさった、かけ引きの妙がわからないため、暴走してしまいがちであった。 日達上人は、当時持病の心臓病の悪化で入院退院をくりかえしておられ、自由に動かれなかったので、思い余って私に依頼されたのであった。 だが、急進派僧侶の鼻息はなかなか荒く、そのコントロールは難航していた。同年十一月の“おわび登山”直前に行なった攻撃中止の説得は、特に困難を極めた。 いきなりとりかこまれて、 「お前は俺達をだましに来たのか、ぶっ殺されるぞ!!」 と脅されたこともあった。 だが、誠意をもって、日達上人の御心のうちを説くうちに、次第にある種の信頼関係ができ上がり、理解してもらえるようになった。 彼らは、矛をおさめる前提として宗務院を通してではなく、直接、創価学会代表と対論する機会を求めた。 そのため、創価学会青年部首脳と急進派僧侶は、私の仲介で何回か会談した。 ところが、その結果は、創価学会首脳にカルチャーショックをもたらした。 「彼らの意見と自分達の考えや意識とは、全くかけはなれている。こんなに強硬な意見が支配的となっている以上、僧侶達とは、将来、絶対にうまく行くはずがない。」 そう認識した創価学会は、日蓮正宗の体制がこわれないうちに現在の宗門指導部に良い条件を出して和解し、その権威で、急進派を押さえさせるしかないと判断し、最終和解案へと進んで行ったのであった。 なお、池田大作の会長及び総講頭辞任は、日達上人が要求されたのではなく、収拾策として池田大作が自ら申し出たものであり、私はそれを取りついだのである。
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2012年04月23日 04時10分32秒
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「Re:池田大作 日本経済乗っ取りの野望」
宗務院と若手僧侶の対立
日達上人、宗内秩序維持に苦慮
また新宗務院は、日達上人の指示どおり、和解路線を進めようとしたが、そのことに対する急進的な僧侶達の反発も強まった。 一方、新しい深刻な問題が生じていた。 日達上人は、創価学会に対抗するために、“根性のある若手僧侶”を起用したが、”根性ある僧侶”とは、ある意味でひとくせもふたくせもあって、従来の日蓮正宗の体制からはアウトサイダー的な人達も少なくなかった。 そうした、普段から宗務院の命令を無視し、仲間で固まる傾向の強かった僧侶達が、創価学会との戦争では中心になっていった。 なにしろ、創価学会の激しいつるし上げにも動ぜず、本堂にスポーツカーで突っ込まれるような直接行動にも動ぜぬ僧侶達である。 これらの僧侶達は、長い間、創価学会による強圧に、にえくりかえるような思いで耐えてきた、との思いを持っていたし、創価学会の横車に、ともすれば押され続けてきたように見える執行部に対する不信も強かった。 「はじめるからには、二度とあとには引けない。たとえ猊下がやめろといっても、創価学会を倒すまではやめない」 このような、激しい決意のもとに立ち上がった急進派の僧侶達は、宗門側優位の形勢の中、ますます意気が上がり、急進化していった。 そして、日達上人の全体的な観点からの思し召しにもとづく“進め”“引け”の指示さえ無視し、突っ走った。 やがて、ご病身の日達上人にとって、創価学会への対応よりも、これら急進派僧侶への対応の方がやっかいな問題となってきた。 急進派勢力は、次第に仲間をふやし、やがて過半数を越えた。そして選挙で宗会での多数派を占め、ついには、宗務院や内事部の指示にも従わず、自分達の考えで独走し、既成の秩序さえおびやかすようになった。 「創価学会をこのようにのさばらせたのは日蓮正宗執行部の責任だ」 と、公然と宗門を批判し、宗門行政の秩序をおびやかす存在となっていった。 「日達上人も優柔不断すぎる!」 「猊下がやめろといっても、我々は学会攻撃を止めるわけにはいかない!!」 「宗務院・高僧は、学会の金漬けになって堕落しきった。ウミを出さなくてはならぬ」 「我々で主導権をとり、日蓮正宗を刷新するしかない」 彼らの主張は、創価学会批判から、次第に宗門人事や行政批判へとエスカレートし、御法主の権威も無視してはばからぬ形勢となった。 彼らの主導権をめぐる思惑に、やがて次期御法主をめぐる思惑や人事についてのかけ引きまで加わるようになり、当然のことながら宗務院も硬化した。 日蓮正宗としては、ある意味で“パンドラの箱”を開けてしまったのかもしれない。 巨大な創価学会から日蓮正宗を守るため、やむをえず、真正面からではなくゲリラ戦から入って行かれ、そしてそれが成功しつつあっただけに、宗内秩序まで揺るがせてしまわれたといえよう。
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2012年04月23日 04時08分43秒
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「Re:池田大作 日本経済乗っ取りの野望」
後継者を指名、くつろがれた日達上人
日達上人は、昭和五十二年頃から、既に体調すぐれず、同五十三年から五十四年にかけて、入・退院をくりかえされた。 動脈硬化と、心筋梗塞が進み、いつ何が起こっても不思議はないという状況が続き、その中での創価学会相手のかけ引きは、上人の御寿命をけずられるものだった。 池田大作の会長・総講頭辞任で、創価学会の牙を抜いたと判断された日達上人は、これで御自身の御法主上人としての最後の仕事は終えられた、とされて、新しい日蓮正宗の体制づくりに着手された。 昭和五十四年五月、日達上人は、阿部信雄総監、藤本栄道庶務部長、菅野慈雲海外部長という新しい宗務院執行部を決定され、発表された。これは、すでに一年前から洩らされていた、 “次は阿部に” という意思表示を、世間にも宗内にも示されたものである。 この決定に先立ち、四月末文京区西片町の管長宅(大石寺出張所)に呼ばれた私は、こうした一連の計画を打ち明けられ、“ひきつづき力をかしてやって下さい”とたのまれた。 以後、日達上人は、宗内の運営は新しい宗務院にまかせ、御自身は、各地に御親教に回られたり、旅行を楽しむプランを立てられたりと、半ば御隠居の生活を過ごされた。 特別のことがなければ、秋には正式に御法主の地位をゆずり、隠居なさる、という心づもりを私共にも語られていた。 日蓮正宗の宗務行政は、次第に“阿部体制”へと移行していた。 日達上人は、私に 「これまでのいきさつについて、阿部に知らないことがあってはいけないから、貴方からも阿部総監によく説明してください」 と言われ、常泉寺をたずねて親しくお話をさせていただいたこともある。 そもそも私が、宗門のことにくわしくかかわるようになったのは、妙信講問題がきっかけであり、総監代行であられた阿部信雄尊師(当時)・藤本栄道尊師(当時)との問題処理のための交流の中で、お二人から日蓮正宗のことをいろいろと教えていただいた。はりがね宗といわれた日蓮正宗の“僧侶根性”というものも、つぶさに見させていただいた。 お二人とも、創価学会幹部よりはるかに人間的であり、率直でかざりけなく、私達に接していただいた。 昭和五十二年以後、しばらく関係は中断し、時々日達上人のもとに伺ったとき、同席してあいさつや言葉を交わす程度の関係が続いたが、池田辞任後の、宗門体制再構築に当たっては、再び接点を持つようになったのである。 だが、日達上人のこのような思し召しにもかかわらず、創価学会は、相変らずなしくずし的に約束の空文化をはかった。 それに対して、急進的な僧侶や信者がはげしく反発し、小ぜり合いは各地で続いた。
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2012年04月23日 04時07分12秒
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「Re:池田大作 日本経済乗っ取りの野望」
池田大作、会長、総講頭辞任で事態収拾に
昭和五十四年四月、池田大作は、会長と総講頭を辞任し、創価学会の運営についても、これまでの独立独歩を改め、他の講中同様、日蓮正宗の監督下に入ることを約束し、そして自らは、創価学会から一切手を引き、北条浩氏を中心とする幹部達の会議に、その運営をまかせることを約束した。 日達上人は、これをもって、目的は達成したと考えられ、矛を収める決心をされたのである。 同年五月三日、創価大学の講堂で行われた総会で、日達上人は、 「今後、学会が日蓮正宗の教義を守るということの上で、過去のことは水に流そう」 と仲直りを宣言されたのである。
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2012年04月21日 19時20分32秒
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「Re:池田大作 日本経済乗っ取りの野望」
ゆとりの日達上人、追いつめられていく創価学会
日達上人は、こうした創価学会の体質を百も承知で、 「いっぺんに追いつめると、血迷って何をしでかすかわからないから、一歩一歩、段階を追って、押したり引いたりしながらやろう」 と、ゆとりを持って、池田大作の料理にかかられた。 何しろ、創価学会で、諸々の事件の処理役であった私が日蓮正宗側へついてしまったのだから、池田大作は飛車角を奪われたに等しいし、日達上人におかれても、私を通じて創価学会側の対応が鏡に写すようにわかるから、それまでと違って、楽に戦いを進められたに違いない。 そうした中で、昭和五十三年六月、教義上の諸問題についての聖教新聞紙上での訂正とおわび、同年九月、勝手に模刻した本尊の返納、十一月の幹部おわび登山へと事態はすすみ、五十四年四月には、池田大作の会長及び総講頭辞任へと行きついた。 日達上人は、表向きはとにかく、御内心は、できれば創価学会と手を切ることはしたくないと思っておられた。手切れとなれば大勢の会員が可哀相であるし、公明党、大学、学園、各種財団等、創価学会が展開してきた種々の事業について混乱がさけられず、そのことについて、これまで支援してきた日蓮正宗にも社会的責任がないとはいえない。それらを直接かかえこむほどの力もない。どこで、戦いを収束するかが、日達上人の最大のご決断となっていた。
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2012年04月21日 19時19分34秒
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「Re:池田大作 日本経済乗っ取りの野望」
日蓮正宗の反学会感情が噴出
通じなくなった池田大作の手練手管
池田大作は私を利用して、日達上人をだまして矛先をそらし、一方で宗務院を脅したりすかしたりして、創価学会に一方的に有利な休戦条約を結ぼうと考えた。そこで、私の、創価学会に対する忠誠心は完全に切れてしまったのである。 日達上人も、そうした池田大作のやり口や手の内、そして私の心を見すかしておられたから、私がお目通りに行っても、 「今度は、どんな話を持って来たのですか、山崎さん」 と、笑いながら面白がって聞かれた。 それでも、池田大作は、 「見ていろ!! 日蓮正宗を手玉に取ってやるからな!!」 と側近に大見得を切って、宗務院を通じてのかけ引きに熱中した。 自分が仕掛けた戦争を、不利になったからといって私に収拾させた、というのでは、今後のリーダーシップにかかわると思ったのであろう。 だが、日達上人は、池田大作の手に乗らなかった。 宗務院を通して池田が申し込んで来たことについて、これまでのように直接、上人が決裁するのでなく、宗会や臨時僧侶会にかけ、宗内の世論を尊重する形をとった。 これまで、創価学会に対して、いろいろといじめられたり、いやがらせを受けてきてハラワタが煮えくりかえる思いをじっとこらえていた僧侶達、それも若手だけでなく、中堅、古老級の僧侶が、日達上人の御意向を慮って、びっくりするような強硬意見を述べ、学会からの和解提案をぶちこわした。 また時には、宗内の会議で何とかまとまりかけた和解案を、ドタン場で日達上人がひっくり返されることもあった。 その一方で、ほとんどすべての末寺で、僧侶が創価学会と池田大作を批判し、脱会者をつのる運動が激化した。 “このままでは、創価学会は崩壊する” 危機感にかられた創価学会首脳は、私の尻をたたいて、日蓮正宗との和解の糸口をさぐった。 既に創価学会は、宗務院を通じての工作をあきらめたし、宗務院側も、日達上人の御指示どおり一歩下がっていたのである。私をたよるしか道は残されていなかった。しかし、私が仲介して和解にこぎつけても、創価学会が取り決めを守らず、一方、若手活動家僧侶も、創価学会の違約を口実に創価学会攻撃をつづけたから、一向にさわぎはおさまらない。 なにしろ池田大作と創価学会には、過去三十年のつき合いの中で、日蓮正宗をバカにするくせがついていた。 せっかく、頭を下げ、譲歩して和解しても、その和解条項をいろいろと口実を設けて実行しない。そのうちウヤムヤにしようとする。そこで、各末寺が、“それみたことか”と、宗務院の制止をふりきってまた末端組織への攻撃を再開する、という悪循環が続き、そのつど、創価学会は追い込まれていった。
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2012年04月21日 19時18分17秒
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「Re:池田大作 日本経済乗っ取りの野望」
民社党と日蓮正宗の攻撃にパニックにおちいった創価学会
五月初め、創立記念日の行事が創価大学で行われた折、呼ばれた私は、どちらかというと“来賓扱い”だった。 一連の行事の終わりに、北条浩副会長に呼ばれ、一室で打ち合せることになったが、その時、はじめて、民社党から国会に提出される予定の質問趣意書のコピーを見せられることになった。 これをめぐって、創価学会内は大恐慌におちいった。これについては、後にくわしく述べる。 日蓮正宗からの反撃は、同年七月に入って、若手僧侶による池田大作講演批判論文が、教学雑誌に掲載されたことで火ぶたが切られた。 つづいて、全国で数十ヶ寺の寺院で、創価学会の教義違背に対する批判と、創価学会をやめて日蓮正宗信徒になるよう勧める“脱会運動”が展開された。 「山崎さん、見てくれましたか。いよいよ始めましたから、よろしく」 七月のある日、日達上人は、はずんだ声で電話をくださった。 八月下旬、伊豆で舟遊びに興じていた私に 「すぐ学会本部に来てくれ」 という呼び出しがかかった。 日蓮正宗対策にぜひ協力してくれ、ということであった。 やりたい放題をやって、しくじると、どうしようもなくなり、側近のだれもができない事態の収拾を私に押しつける。池田大作流のいつものパターンであるが、このときは事情が少し違った。
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2012年02月26日 18時51分45秒
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「Re:池田大作 日本経済乗っ取りの野望」
創価学会からの「離脱」をはかった私
私は、かかえている事件の早期解決に奔走した。 まず、四月末、妙信講との間に訴訟上の和解を行い、最終解決した。 松本勝彌事件については、「宗教上の問題であるから、裁判所は訴えを門前払いすべきである」という主張一本にしぼり、その裏付けのためアメリカ(ハーバード大学、有力ローファーム)、ドイツ(ベルリン大学等)、フランス(パリ大学等)、イギリスへ行き、学説や判例を集め、また、世界的な憲法学者の鑑定書を集めた。 国内でも、有力な学者に鑑定を依頼した。後に、細川内閣で法務大臣を努めた、東大の三ヶ月章教授もその中の一人であった。 こうした努力のおかげで、松本勝彌裁判は、後に、最終的に勝訴した。 五月初めにホテルオークラで行われた、日達上人らを招いての会食で、池田大作は、 「妙信講問題は、山崎弁護士の獅子奮迅の戦いで見事解決した」 と、私をほめたたえた。 だが、池田大作と日達上人の、にこやかな談笑のなかにも、どこかヨソヨソしさがただよっていたし、池田大作の、私を見る目にも、いまいましさがあった。 この頃から、池田大作と創価学会首脳の私に対する態度は、それまでの“身内”扱いから、“客人扱い”へと変わり、ギコチなくなってきた。 言葉はていねいに、扱いはてい重にされるのだが、しかし奥座敷には入りにくくなった。 私は、妙信講問題の終了とともに、かかえていた情報師団の主力メンバーを、北条浩氏のもとに戻した。 彼等は、竹岡誠治、北林芳典を中心に再編され、野崎勲、八尋頼雄副会長の支配下に入り、後に、私に対する情報・謀略を担当することとなった。 私に残されたのは、「月刊ペン事件」と富士宮墓園造成事業、創価大学と創価学園の諸問題、それに、東洋物産の不祥事から派生した“シーホースの処理”くらいのものである。 他の日常的なことは、既に河上覃雄氏、岩住俊典氏らに一任していたから、私の足は次第に学会本部から遠のいた。
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from: 改革フォーラムさん
2012年02月26日 18時48分04秒
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「:Re:池田大作 日本経済乗っ取りの野望」
進退をかけて宗門攻撃中止を働きかける
翌日、学会本部で北条浩氏に会った私は、単刀直入に、 「担当している一切の仕事から手を引きたい」 と申し入れた。 何事かと驚く北条氏に、 「今のような、見境のない宗門攻撃を続けていたら、宗門側も耐え切れなくなって、なりふりかまわず反撃します。既に、各地にその兆しが見えます。 妙信講問題も、松本勝彌の裁判も、宗門との協力関係の上で対策が組み立てられていますから、両者手切れになったら、裁判の方は総くずれになります。 創価学会に対抗するため、もし、宗門と妙信講が手を結んだらどうなりますか。 『正本堂は、事の戒壇ではない』 とはっきり定義されたら、松本勝彌の主張が通ってしまいます。 マスコミがさわぎ、その他の諸々の事件も息を吹きかえして、収拾がつかなくなる。 そうなると、私には解決の自信がないから、やめさせてください」 と言った。 どうしたら良いか、と尋ねる北条浩氏に、これ以上、宗門側を追いつめるのは得策ではないから、恩を売る形で攻撃をやめるよう、進言した。 「幸い、まだ、マスコミは動いていません。ここらでひとまず矛をおさめて、いずれ妙信講問題も、松本勝彌訴訟も、また、月刊ペン事件も、もうすぐ片がつく見通しだし、それから、また始めても良いではないですか」 北条浩氏は、首脳を集め、私の強い進言ということで、攻撃中止をはかった。 皆、心の中では、日蓮正宗攻撃をいやがっていたから、すぐにまとまった。その上で、池田大作に進言した。 池田大作も、どこまでやるか、日達上人を退座にまで追いつめられるか、自信がなかったところであったから、同意せざるをえなかった。 それに、強行すると、私が“仕事を投げ出す”と言っているため、この提案にさからえなかったのである。 その後、前述のように、池田大作が 「猊下がすべて悪い」 と言うのに対し、日達上人が私と打ち合わせた筋書どおり頭を下げられた、という段階を経て、第二次日蓮正宗攻撃は終わった。 秋谷栄之助副会長だけが、 「もう少しで日達上人をやめさせられたのに」 と未練げに言ったが、私は腹の中で“今に泣き面かくぞ”と、せせら笑った。 この年、三月から六月にかけて、池田大作は、日蓮正宗首脳や僧侶に対して、しきりにご機嫌取りを行なった。しかし、“経済封鎖”だけはゆるめなかった。
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from: 改革フォーラムさん
2012年05月12日 14時59分17秒
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「Re:池田大作 日本経済乗っ取りの野望」
創価学会の宣伝メディア「潮」と「第三文明」
創価学会の財政を支える出版事業の一角を支えるのが、㈱潮出版社と、㈱第三文明社である。 総合月刊雑誌『潮』は、創価学会の思想を根底に、広く一般国民向けに情報提供をするメディア、という目的で創刊されたが、実態は、池田大作の宣伝と、マスコミ、文化人対策が主目的であった。 創刊以来、今日まで、発行部数の九割までが学会員の購読者に依存している。実質赤字の“PR雑誌”というべき出版物である。
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