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from: りんごさん
2011/08/10 06:36:32
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寄り添うことしか出来なくて....
お盆が近いので日本語教室の生徒さんもお休みがち。
昨日は 私の生徒さんもお休みだったので
別の方を見させて頂きました
65歳の韓国の方
何を勉強されているのかと思えば....なんと!高校2年生の国語!!!
物語文の漢字にすべてルビを振ってくださいとお願いされましたので
読みながらルビをふりました
そしてその次の『短歌』のページで
短歌を勉強しました
私の読み方に『綺麗な日本語を話すのですね』といい
褒めていただきました
ひととおり勉強が終わると 彼女が自分の生い立ちを話し始めました
朝鮮半島は 北をソ連 南をアメリカの領土とされたんですよ
その前は日本の植民地でした
そのころ家族の中で兄が 兵隊にとられて 私の母はその兄...息子を捜しに
日本へ来たんです
当時私は3歳でした
朝鮮が戦争を始めたので 私たち家族は帰る場所がなくなり
そのまま日本に留まったんです
それからず〜っと私は日本にいます
母の子供の頃の時代は 学校がありましたが
私の子供の時代は 学校がありませんでした
戦争の時代でした 北の兵隊はすごく悪くて
私たちを広場の横一列に並ばせて 端から順番に銃を向けて全員殺すことも
たくさんしました
生きるか死ぬかの瀬戸際だったので
私には学ぶ学校がありませんでした
年頃になって私は結婚しましたけど
主人は会社の経営者で 従業員を20人くらいもっていましたが
私は その従業員のかたの面倒をみることで 大変でした
20人分の3食のご飯をつくったり
自分の子供の世話をしたりして
毎日その繰り返しで....
私が漸く勉強ができるようになったのは
主人がなくなって孫が大きくなって...
10年前だったんです
自分の人生を振り返り とんでもない人生だったと
泣いていたときに 偶然に日本の夜間中学のことを
知人に聞きました
わたしは勉強がしたかった....ずっと ずっと 勉強がしたかったのですが
生きる事に精一杯でそれができませんでした
でもなかなか覚えられない...
それがすごく悔しいんです。本当にこの歳になったら 簡単に暗記ができない
覚えられない 理解ができない
私は朝鮮人だけれども 3歳からず〜っと日本にいるんです
けれども日本語が上手ではありません
まわりからは何年日本にいるんだ!と馬鹿にされます
学校をマトモに出ていないので 教育らしい教育を受けていないんです
日本にいても 綺麗な日本語が話せるわけじゃないんです....
と。
ふむ.....難しすぎます.....
私に出来るのは 綺麗な日本語で? 高校の教科書を読んであげる
ボランティアしかできないんですね...
生きる事って簡単じゃないよなと思った私でした
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