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  • from: どっと虎夢さん

    2011/01/03 17:10:20

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    岡田彰布入団騒動(中編)

    岡田彰布が新人だった1980(昭和53)年の阪神監督は外国人のドン・ブレイザーだった。
    彼が球団社長の小津正次郎と岡田にはやっかいな存在になる。
    米大リーグ卒の肩書きと、南海ホークスの内野手としてならした実績を背負い阪神の監督に招かれた彼は小津の、岡田の父親との密約など知らされておらず、自身のチーム構成案を進めた。
    三塁は掛布であり、手薄と見ていた二塁にはデイブ・ヒルトンを就かせようとしている。
    ヒルトンは2年前にヤクルトを日本一に導いた原動力の内野手。ブレイザーのメガネにかない、金銭で阪神が獲った男である。
    阪神は岡田入団1年目となるその年の春、阪神は米アリゾナ州テンピという田舎町をキャンプ地に選んだ。さあ、掛布に代わって、岡田をサードへと決めた小津と岡田の密約は…岡田サイドにとんでもない結果を招く。
    「君は外野手として練習したまえ」。
    ブレイザーはこれだけ言い、岡田から目を外すのである。
    異国の地アリゾナでルーキー岡田は天を仰いだ。
    岡田は砂漠の町で毎晩ため息をついた。
    小津とブレイザーは密かに会い、社長案を強いたが、なら俺の首を切れとまでブレイザーは言い切った。
    「(岡田が)優れたルーキーということは聞いている。勿論、将来性のある選手だな、とは見れば分かった。でも今シーズンいきなりレギュラーで使えとは、サードは掛布です。セカンドはプロであれほどの実績があるデイブでないと勝てる野球はできない」。小津が押し切られる。
    岡田勇郎に掛布転向説を喋った小林治彦は(岡田の父親に)「会わす顔がない」と以来、酒に頼る夜を過ごした。


    開幕は監督案で始まった。「肩が弱くなり始めていたから、ファースト転向へ」と内々でささやかれていた掛布はサードで、岡田を外野へ追いやったヒルトンはセカンドで、開幕のベルが鳴った。
    ベルは鳴ったが…ヒルトンのバットから快音が鳴らない。5試合、10試合…を消化して打率が彼の身ほどしか上がらない。

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