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from: ku-toさん
2012年02月28日 14時34分17秒
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笠塔峰(かせんどうのみね)縦走
◎1月に予定した日が雨で流れて、今年初の山行きが笠塔峰(929m)の南北尾根を縦走しました。岩上峠からの笠塔峰は2年前に登っているのですが、逆コースの縦走となると時間的な事も分からずで躊躇していました。年末に、我が山の師匠が縦走したので時間割を参考にしました。まぁまこんなコースはマニアしか行かないでしょう
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朝8時半にR311大瀬トンネルの旧国道から取り付きました。いきなりの登りに、劇団員4名は「なんじゃこりゃ?」どんどんと高度を上げます。P446まではあっという間、植林帯のはっきりした尾根道です。P619まで来ると、西の方に半作峰、三ツ森が見えます。劇団員が「腹がすいたぁ〜」と、やかましくいうので小休止、P812までは少し、岩がゴツゴツしていて、かつての熊野火山噴石?の痕のようです。
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P812に着きました。狭いピークです。「どっちの方向?」とか私に聞いてるけど、私も分からん、地図を見て「右方向?」らしいで、というと私を置いてさっさと尾根を下っていった。合ってるのだろうか?再度地図を見ると、合っていました。地図ではほぼ直進の感じですが、現地では45度位に方向を変えている。
P857とP840が見えている。劇団員はそんなのお構いなしにどんどん進んでいる。しかし結構な登り下りだ
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やっとの思いでP840に着く、はて、ここも方向がT字路のように見える。地図では直線のようで変な錯覚がある。立ち止まって行ったり来たり、地図とにらめっこ、漸く地形が読み込めてくる。
慌てるな、じっくり立ち止まろう、女子部は「そんなのカンケーネー」もぅ、遭難しても知らんぞ(笑)帰りは、ここを左方面です。と皆に念入れ、
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笠塔峰のピークが目の前に現れる。鞍部からは標高差200mです。
「あれが200mもあるん?」とN嬢、平面にしか見えないので、そこまで行くと、まだまだ奥にあるのです。現場は3Dの世界です。しかしこの最後の登りがきつかったわ、やっと頂上に着きました。
前回来たときに付けたプレートは飛ばされて見当たりませんでした。立ち止まると寒く、劇団員はさっさと弁当を食べていました私のカップめんを食べるのを寒さに震えて待ってくれました。
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さっさと荷造りをして、来た道をP840まで戻ります。ピークを1つ2つと数えたもののP848に来ると、いざ分からず、来るときはこちらから来たのであるからぁ、そこでもまたまた、きょろきょろ、で、まぁま、しっかりと落ち着いて考えよう、尾根を西方向に下りました。激下りです。標高700mのところで再び方向が変わります。そこでも、またウロウロでした。植林帯をどんどん下りました。
やっと国道が見えてきて、1台目の車止めの真上に出ました。柵がしてあり「下りれないよぅ」と泣いています。赤い橋の方へ、と確か師匠の教えがあったので、その方向に下りました。それはもう「ダッポク者」の様でしたわ、いやはや、楽ちん登山と違い、マニアック登山はやめられないわ、劇団の皆様お疲れ様でした。
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from: ku-toさん
2012年02月15日 18時32分42秒
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新装、田辺市立図書館
2月始めにオープンとなった新図書館に行ってみました。
駐車場が広くて、まず安心して車が止められます。
書庫では、通路のスペースに余裕があり、立ち読みでも安心です。
学習スペースは一人で独占できる机があり、蛍光灯付きでいいですよね、
郷土書庫には、市史などが閲覧できて、戸仕切りが無いので、遠慮なく入れそうで、
今日はその中で椅子に座って、熊野古道に関係する中辺路町史等を見てきました。
大きなテーブルにはスタンドが4つもあり、自由に手元に寄せられ良心的、
かなり?お金をかけただけの価値はありそうです。
ただ、節電のためか、少し寒かった、
まぁま、中屋敷の図書館は小さくて、暖房もぬく過ぎるくらいでしたもんね、
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from: ku-toさん
2012年02月10日 15時26分07秒
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倒れた秀衝桜
2月8日、語り部の研修があって野中に行ってきました。秀衝(ひでひら)桜より、熊瀬川王子までの区間を歩き、説明要点を話し合いました。その秀衝桜は、昨年11月31日の地元新聞にも載っていましたが、夜中に突然倒れたという、樹齢120年、幹周り約70cm
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秀衝伝説は有名で、かの藤原秀衝夫妻が、熊野詣に訪れ、滝尻王子を参拝後、裏山の中ほどで産気付き、連れて行くわけにも行かず、岩屋に産み残したという、それが滝尻の「乳岩」である。
旅を続ける藤原夫妻は、野中を通る頃、産み残した我が子に気がやみ、杖にしていた桜の枝を地に突き刺し、再び、この地を通るときに、この木が根着いていたら、我が子は無事だろうと、願をかけ熊野に向かったという、
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やがて再びその地を訪れると、桜はしっかりと根着き、我が子の無事を喜び、帰っていったという、その桜の木が「秀衝桜」となっている。その後は明治22年の大水害で倒され、現在地の移されたのが3代目というわけです。
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しかし、藤原秀衝は信仰していた事は確かだが、熊野参詣した史実は確認されていない、まぁまぁね、いわゆる伝説というのはそんなもの、時の熊野信仰のPRにもってこいのお話なのですが、でもロマンがあって本当に面白いのが熊野古道なのです。
奇しくも「秀衝桜」が倒れる2日前の29日、私は2名のお客様を案内し、秀衝桜の前で、上記の説明をしたばかりだったのである。何ともまぁ、寂しい限りです。