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from: ku-toさん
2011年09月09日 10時57分26秒
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維盛は優しいね、
かきくけこれもり
本当に生きていたのでしょうか、
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市立図書館に行って、平家の落人に関係する本はありませんか?
と聞いてみると、ななな、何と、天下の市立図書館にありましたがね、薄っぺらい本で2冊、探してくれました。で、貸し出しはアウトでコピーか閲覧のみ、とのこと、それも中身を見ますと、維盛の事で書いてる部分はほんの少し、こりゃダメだわ、
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ネットで検索し、アマゾンでこの本を購入なったという事なのであります。維盛については色んな説があり、墓も点在し、十津川、五百瀬にも維盛の墓があったりで、なかなか、ロマンがあって面白い内容の本なのであります。私達が既に、伯母子岳を登りましたが、高野山には入っていますが、小辺路は歩いていないのですよね、屋島の合戦で破れて、維盛は熊野に落ち延びるのです。四国から、高野山に入り、再び、和歌山に出て、南下し、田辺から、中辺路ルートで本宮に入ってるのです。
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熊野三山の参拝を済ませ、那智、補陀落山寺を訪ね、住職に
補陀落渡海で死出の船旅で亡くなった名簿に載せてくれ、と頼み込み、沖の島に流されたように見せかけ、船を捨て、那智、太田川から、色川に入るのである。維盛は平家のプリンス?背が高くて男前、今風に言えば誰だろう(笑)いたるところで、土地の有力者の娘らが、おもてなしをして恋中にになるのである。都に正室を残し、熊野落ちしてから、最期を遂げるまで、4人の妻を迎え、計8人の子供を残した。待女を入れると7人なのだ(笑)
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最期は胃の病気で亡くなるのであるが、有田川源流の上湯川と言う地で47歳で亡くなっている。まさに10年以上の逃亡生活だったらしいです。五百瀬に墓があるのは、竜神温泉等に行った帰りに、五百瀬の宿屋に二晩ほど泊まったらしい、後に、死を悼んで墓を建てたのでは、と私は推測しますが、
竜神奥の、小森谷にも住み着く訳ですが、温泉に入りに来た道中で、お万という女に出会い、恋に落ち生活を始めるも源氏に追われる身で、2年ほどで、次ぎの地へと逃亡、小森谷には、悲しんで身を投げた「お万が渕」等がある。
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著者によれば、「古文書や伝承を元に、史実を外さないで書いたつもり」と書かれています。前後の史実に矛盾がなければ、7割は事実性があるのかなぁと思ったりで、おじいさんにあたる平清盛の時代から考えると、争いは辞めて平穏に暮らしたいと願った様に思う、源氏も小森谷では谷を一つ挟んだ所で農民と生活していたというのですから、あだ討ちといって、憎しみを持っていたとは思えない、共に平穏に暮らしたいと思っていただろうね、
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維盛の人間性に魅かれていく女達、
いやはや、面白く、800年前も男と女は怪しげに
色々、あったんだねぇ(笑)
私も維盛に惹きこまれそうですわ、
コメント: 全3件
from: starさん
2011年09月16日 08時57分17秒
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「Re:維盛は優しいね、」
下記は私のホームページです
時間がある時に見てください
変わった指輪です
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