from: ku-toさん
2012年07月06日 15時14分05秒
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暖かな昭和の時代
中辺路で語り部をしている方に「ふるさと近野」という小冊子をお借りしました。発行者は「近野小学校創立100周年記念事業」と書かれています。昭和53年11
中辺路で語り部をしている方に「ふるさと近野」という小冊子をお借りしました。発行者は「近野小学校創立100周年記念事業」と書かれています。昭和53年11月発行、生徒に配られたもので、今から34年前のものです。
第1集の最後には、近野100年の年表が付いています。
1876年(明治9年)このころランプが使われだす。
(明治25年)田辺から荷車道ができる。
(大正14年)野中の清水を利用して発電がおこなわれる。
(昭和3年)乗り合い自動車が近露出口まで来るようになる。
(昭和22年)国鉄バスが通るようになる。
(昭和24年)電燈が各戸にともる。等など、
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なかでも「広見川の開拓」というページには
戦後の食料不足に政府は、山間部を切り開いて耕地にする計画を進め、開拓にあたる人を募りました。広見川も15戸の家族が入る予定で事業を進めました。実際には本宮や竜神の人たち8戸が入植しました。開墾は大変な重労働で、冬は寒く、生活の便も悪く、開拓地としては余り良いところではなかった。子供たちの学校も、近野小学校まで7kと遠く、長いトンネルをローソクをつけての登校に苦労したそうです。入植後20年で、夢に見た楽園を手放す決断をしたそうです。その後、殆どの人は近露の野中で暮らしているそうです
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◎広見川は、近露、継桜王子を過ぎたあたりの新高雄トンネルを抜けて、数キロ奥地にあり、果無山脈にある冷水山1261mの裾にあります。勿論、廃村でありますが、現在は、開墾した田畑の跡や、石垣など残っているのでしょうか、是非、近いうちに訪れたいものです。尚、旧高雄トンネル、旧逢坂トンネル等の採掘には、当時、日本の植民地でもあった朝鮮の労働者が強制労働によって造られたものです。
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この2冊の小冊子は、なかなか読み応えのある内容が盛り込まれています
from: ku-toさん
2012年07月18日 07時07分28秒
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「Re:Re:暖かな昭和の時代」
そうですね、我が探検班としては見逃せないですよね、
果て無し、冷水山に行くときにでも寄りましょう、
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kisyu、