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from: ku-toさん
2012年10月15日 14時26分23秒
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賦算札を作る
●こんな物、沢山プリントしてどうすんのよう?
賦算札(ふさんふだ)と読みます。
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今から700年ほど前、一遍上人35才のとき、本宮で、熊野権現と出会い、神勅を得る。その後、遊行上人になり、念仏札を配り始めて一遍と名乗る。とりわけ、熊野を目指す人々に配った御札なんです「浄不浄を嫌わず、信不信を問わず、南無阿弥陀仏と唱えなさい、極楽浄土に行けますよ」と言って、このお札を配って日本全国歩いてまわったのです。51歳でなくなるまで、16年間で、25万1千人に配ったというから、その信念たるや、
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本宮の大斉原(おおゆのはら)に一遍上人真筆の名号碑が、堂々と建っている。私は語り部で、名号碑の前で2分ほどの説明をするのである。その時にこのお札を配るのです。一遍上人になりきったつもりで(笑)もちろん「念仏をとなえなさい」なんて言いませんけど、
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お札には「南無阿弥陀仏、決定往生六十万人」と書かれている。
生涯に60万人に配るつもりであったらしいが、志半ば、歩き通しのため餓死状態で亡くなっていったのです。ネットで調べると、配った御札の現物?というのがあったので、大量にコピーしてみました。紙も、わら半紙風の物で、宅配便の中に詰め込まれていたしわくちゃの代物が、丁度いい雰囲気の物にプリントできました。裁断もカッターで切らずに、切れないハサミでぼさぼさに切ってみました。
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因みに、私、語り部を始めて、丸2年、配ったお札は、途中からですが、100枚足らず。今後、1000枚配れるだろうか?それよりも、受け取ってくれたお客様が、しげしげとお札を眺めてくれている姿がとても嬉しいのであります。しかし、お客様には「あくまでもサンプルですよ」と断りを入れています(笑)
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鎌倉新仏教の改組たちは他にも、そうそうたるメンバー、
日蓮、法然、親鸞とあるが、ただ一人、一遍上人は、後世に、
寺院を建てなかった人物である。から惹かれるものがある。
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