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from: ku-toさん
2011年09月28日 13時37分56秒
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おけし餅
かっての熊野街道であった田辺市の中心部、北新町に「辻の餅」という老舗がある。創業は江戸時代の天保年間、名物の「おけし餅」は平たい直径5Cmぐらいの餅の
かっての熊野街道であった田辺市の中心部、
北新町に「辻の餅」という老舗がある。
創業は江戸時代の天保年間、
名物の「おけし餅」は平たい直径5Cmぐらいの
餅の表と裏につぶあんをつけただけ、この素朴な餅が
1個90円也、60個も食べた人が沢山いたとか、
あっさりした甘さが人気らしい、名前の由来は子供の
「けし頭」に似てるからという、
辻の餅はかっての街道道を通る旅人の茶店だった。
おけし餅は旅の疲れを癒す味であったろう、
*熊野検定テキストより抜粋
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思い出すのは子供の頃、
お彼岸が近づくと、母がいつも「辻の餅」を買ってきて、
仏壇に供えていました。おけし餅は印象に無いのですが
「あんころ」の方は、指でえぐるとうまい具合にアンが取れるのです。
お供えの、見た目は「あんころ」なのですが、後ろ側は、
すっかり指でこそぎ落とされて舐められているのです。
兄弟が誰かれなく、指で舐めるのです。
「だれなぁー!」とよく母が笑いながらブツブツ言ってたのを
思い出します。*写真の左、おけし餅、右はあんころ
from: yurichanさん
2011年09月30日 12時44分07秒
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「Re:Re:Re:Re:おけし餅」残念ながら、仏様のは舐めてません^m^仏様が怖かったから??(+o+)かな?お供えは、必ず、おさがりを戴いてました
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from: ku-toさん
2011年09月19日 10時40分18秒
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ちびっ子ピラミット
昨日は小学校の運動会でした。夫婦連れ立って、孫達の元気な姿を見てきました。午前中は次男ファミリー、午後からは長男ファミリーと学校が違うので掛け持ちにな
昨日は小学校の運動会でした。
夫婦連れ立って、孫達の元気な姿を見てきました。
午前中は次男ファミリー、午後からは長男ファミリーと
学校が違うので掛け持ちになりました。
どちらも男子で、私似?なのか、走りが好きなようで
夢中で応援し、子供達の真剣な顔が見えて、嬉しい限りです。
遠い思い出に、自分の小学校の時の運動会キライの
秋の日差しが妙に焼きついていて不思議な感じです。
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長男ファミリーの上の子が今年、中学一年になり、
昨年は最期の運動会でしたが、そういえば、昨年も
こんな巨大なピラミット作ってたなぁ、
市内小学校では稀に見る、7段ピラミット、総勢70名余り、
実物を目の当たりに見ると、それはそれは圧巻!
女子は1段少なくてそれでも6段、ですから、
いやはや、生徒も大満足であろうし、指導する先生方もご立派です。
子供達の生涯の思い出になることでしょう、
from: ku-toさん
2011年09月21日 18時48分17秒
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「Re:Re:Re:Re:ちびっ子ピラミット」yurityanこんにちは、何事も、共同作業というのは固い絆と連帯感が産まれてほほえましくて良いですよね
from: yurichanさん
2011年09月21日 10時15分42秒
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「Re:Re:Re:ちびっ子ピラミット」ピラミッド、3Dですよね〜〜〜(*^_^*)私も同じ日に違う小学校の運動会観ましたが、まさにこれでした!!昔は
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from: ku-toさん
2011年09月16日 19時29分49秒
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たぬき囲い
たぬきさんゴメンナサイね、我が家の庭先に義兄のミカン畑があります。一昨年までの梅畑をやめて昨年からはミカンに切り替えました。昨年はやっと出来た初成りを
たぬきさんゴメンナサイね、
我が家の庭先に義兄のミカン畑があります。
一昨年までの梅畑をやめて昨年からはミカンに切り替えました。
昨年はやっと出来た初成りをことごとくアライグマにやられて
今年こそは、アライグマ一族にはやられないぞ!と
青成りの今の時期に囲いをしました。私もお休みでしたので
杭をうち、鉄の網を貼り付け、青い網をかぶせました。二人でタップリ半日以上かかりました。
義兄曰く「まぁま、タヌキと遊びやよ」と笑っていました。
さほど、タヌキが憎らしいとは思っていない?様子です。
これぞまさしく、プロの農家なのでしょうか、
タヌキの気持ちも、よおく解ってる様子、
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10本ほどの、新品種のミカンで、ハルミと言ったか、
アケミと言ったか、定かでないが、そのような名前でした。
で、素人が、この畑での、耕作出費を計算しますと
ミカンの苗代、消毒経費、草刈経費、金網代、その他、
人件費を計算しますと、完全なマイナスでしょうね、
まぁ、単なる楽しみでやるくらいで無ければ、必死になってやると
被害に合った時、タヌキが憎くてたまらないでしょうね、
それこそ、タヌキを捕まえて「獄門張付け」か「ぶんぶく茶釜」でしょうに、
「まぁま、タヌキと遊びやよ」と笑いながら
言うところが、素晴らしいところ、
**最近はアライグマでなく、たぬきが多いらしいです。
写真は、自宅2階から撮影、ミカン畑入り口は右隅
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from: ku-toさん
2011年09月09日 10時57分26秒
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維盛は優しいね、
かきくけこれもり本当に生きていたのでしょうか、*********************市立図書館に行って、平家の落人に関係する本はありませんか?と聞
かきくけこれもり
本当に生きていたのでしょうか、
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市立図書館に行って、平家の落人に関係する本はありませんか?
と聞いてみると、ななな、何と、天下の市立図書館にありましたがね、薄っぺらい本で2冊、探してくれました。で、貸し出しはアウトでコピーか閲覧のみ、とのこと、それも中身を見ますと、維盛の事で書いてる部分はほんの少し、こりゃダメだわ、
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ネットで検索し、アマゾンでこの本を購入なったという事なのであります。維盛については色んな説があり、墓も点在し、十津川、五百瀬にも維盛の墓があったりで、なかなか、ロマンがあって面白い内容の本なのであります。私達が既に、伯母子岳を登りましたが、高野山には入っていますが、小辺路は歩いていないのですよね、屋島の合戦で破れて、維盛は熊野に落ち延びるのです。四国から、高野山に入り、再び、和歌山に出て、南下し、田辺から、中辺路ルートで本宮に入ってるのです。
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熊野三山の参拝を済ませ、那智、補陀落山寺を訪ね、住職に
補陀落渡海で死出の船旅で亡くなった名簿に載せてくれ、と頼み込み、沖の島に流されたように見せかけ、船を捨て、那智、太田川から、色川に入るのである。維盛は平家のプリンス?背が高くて男前、今風に言えば誰だろう(笑)いたるところで、土地の有力者の娘らが、おもてなしをして恋中にになるのである。都に正室を残し、熊野落ちしてから、最期を遂げるまで、4人の妻を迎え、計8人の子供を残した。待女を入れると7人なのだ(笑)
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最期は胃の病気で亡くなるのであるが、有田川源流の上湯川と言う地で47歳で亡くなっている。まさに10年以上の逃亡生活だったらしいです。五百瀬に墓があるのは、竜神温泉等に行った帰りに、五百瀬の宿屋に二晩ほど泊まったらしい、後に、死を悼んで墓を建てたのでは、と私は推測しますが、
竜神奥の、小森谷にも住み着く訳ですが、温泉に入りに来た道中で、お万という女に出会い、恋に落ち生活を始めるも源氏に追われる身で、2年ほどで、次ぎの地へと逃亡、小森谷には、悲しんで身を投げた「お万が渕」等がある。
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著者によれば、「古文書や伝承を元に、史実を外さないで書いたつもり」と書かれています。前後の史実に矛盾がなければ、7割は事実性があるのかなぁと思ったりで、おじいさんにあたる平清盛の時代から考えると、争いは辞めて平穏に暮らしたいと願った様に思う、源氏も小森谷では谷を一つ挟んだ所で農民と生活していたというのですから、あだ討ちといって、憎しみを持っていたとは思えない、共に平穏に暮らしたいと思っていただろうね、
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維盛の人間性に魅かれていく女達、
いやはや、面白く、800年前も男と女は怪しげに
色々、あったんだねぇ(笑)
私も維盛に惹きこまれそうですわ、
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from: ku-toさん
2011年09月02日 09時12分23秒
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伯母子岳は蒸し暑かったわ、
28日に奈良県、伯母子岳(おばこだけ)1246mに初秋の気配を求めて劇団員4名と行ってきました。写真は、頂上直下で、恒例のアイ〜ンらしいです(涙汗)*
28日に奈良県、伯母子岳(おばこだけ)1246mに初秋の気配を
求めて劇団員4名と行ってきました。
写真は、頂上直下で、恒例のアイ〜ンらしいです(涙汗)
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取り付きまで車で2時間半もかかるので、国道といっても、クネクネと、
飽きてくるほどの道程、疲れます。8時半、いよいよ登山開始、
3時間半、ただひたすら登れ登れ、です。途中には、江戸期に栄えたであろう、
茶店跡や、旅籠跡もあります。上西屋敷跡は、中腹にあり、
かつて旅籠を営んでいたとか、石組みの跡が広く、敷地も広くて、屋敷裏には田畑も作っていたという、ジャガイモ、と南京がたいそう旨かったとの評判らしいです。
昭和30年代までここに住んでいたらしい、庭の桧の大木が往時を忍ばせます。
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劇団員は、速足組3人と、遅足組2人で、どうしても、道中は離れ離れになるのですが、
ポイントではしっかりと待っていてくれてるのです。帰りは、下りが不得手組みもありで、
色々あってよろしい、終始、先達はウルトラ100k完走組みのエース嬢なのであります。
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殆どルートの分かる範囲の山ですので、さほどの心配もなく、ワイツクガヤガヤと緑の林の中を満喫しました。あいにく、天気が悪くて、木々の間から見える遠望は期待できず、奥駈け方面もうっすらで、釈迦岳もあまり見えませんでした。
昨年11月に登った時は、真っ青な空に、大峰方面がくっきり見えていたのですが残念です。
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予定通りの3時間少しで、伯母子峠に到着(写真)ここは竜神からの林道と接続しています。クロスするように左の尾根へ、あと15分、最後の登りです。これがまた苦しかった。頂上直下の産みの苦しみでしょうか(笑)息も絶え絶えで、頂上です。「わぁ〜い」の歓声で疲れが飛びます。
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しかし下界同様に、異常にむせている。風が無く、曇り空で、天空に蓋をされたような感じ、
スカッと風で雲を吹き飛ばしてよねぇ、
食事する者、焼きソバ作る者、木陰で○になって着替える者?、ラジオかける者、
好き勝手の表情は面白いなぁ、
高野方面からの中年男性5人グループもヤレヤレと言った表情で登ってきていました。
ノーマルコースは、高野方面からで、我々、マニアック逆らいコースは、
スタミナ余裕?の人以外には真似出来ないコースなのです(笑)ウルトラ劇団の脚力お分かり?
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頂上の撤収は1時と決めていましたので、きっかりに退散、
エンヤトット、と4時までに車止めゴールを目指します。
秋に来た時は、足元が枯葉に埋もれて歩き辛かったなぁ、等と思い出しながら、ゴールを目ざしました。それにしても谷から吹き上げる風も無く、下りというのに暑い事、汗だくです。夕刻迫る頃、4時にゴールできました。怪我もなく、お疲れ様でした。
それから2時間半かけて家に着きました。日置劇団も遠路お疲れ様でした。
次回は、1500万年前の熊野火山帯、噴火跡の溶岩流?石垣を登るようなゴロゴロ石の跡を探検登山します。オタノシミニ、
from: starさん
2011年10月02日 08時34分08秒
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「Re:おけし餅」おはようございますお邪魔します古い老舗ですね美味しそうですね