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from: ぽっぽさん
2020年10月31日 13時52分53秒
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私が剪定ぃ~! ふーたんが草取りィ~!
皆さん、こんにちは\(^_^)/
BGMは私の編集で「沖縄民謡三昧」です\(^_^)/
お耳は細菌にしては「静かな方」って感じでございます o(^-^)o
今日は「ハロウィン+満月」ですネ (☆▽☆)
ネットには・・・
『2020年のハロウィンは満月です!ブルームーンはめったに見られないっ. 今年10月31日のハロウィンは満月になります。
中秋の名月を見逃した方も、お月見のチャンスですよ♪』
とあります。
【剪定と草取りィ!】
午前中の予定が午後1時近くまでかかりました。
今日は朝食後、拙宅の北側の「2本の雑木(鳥さんが種を運んで来たのが大きくなったようです)の枝の剪定」を。。。
ふーたんの厳しいチェックにより、北東端の「カイヅカイブキ」の隣の「南天」も剪定しましたヨ。
(下の写真の左端の赤枠です)
ふーたんは丁寧に南天の下から始めまして、2本の雑木の下の草取りをしました。
(下の写真の真ん中と右端)
【沖縄関係の録画】 昨日と今朝で3本見ました。。。
昨日は2本の沖縄のTV番組を見ました。
1本目は「空からドローン」です。
「八幡 暁(海洋冒険家)」がシーカヤックで、「西表島(いりおもてじま)」を出発しまして、「石垣島」「多良間島」そして「宮古島」への様子をドローンで空中撮影した番組でしたが、沖縄大好きぽっぽは画面に見入ってしまいましたヨ\(^_^)/
2本目は「らららクラシック」で「沖縄交響楽団」を取り上げていました。
指揮者の大友直人氏は「日本にクラシックを根付かせる」ために尽力されています。
今回取り上げましたのが「沖縄交響楽団」で、曲もやはり沖縄のものを取り入れていました。
そして今朝、見ましたのは「英雄たちの選択・琉球王朝(再放送)」でございます。
450年続きました「琉球王朝」に薩摩の手が・・・
当時の「尚寧王」を取り上げていました。
今日はデュ・マゴのお世話(?)がありませんので、夕方になりましたら「散歩」でも・・・
明日は下の孫の「誕生日会」でございます\(^o^)/
では皆さん!
ハロウィンをお楽しみくださいネ o(^-^)o
(下の写真は昨日、私が寝室の壁に貼りました「デュ・マゴの中学校体育大会」です)
【食品ロス!】
昼食後は休憩を兼ねまして、夫婦で「録画」を2本「ガイアの夜明け・食品ロス削減!売れ残りが割安&パン大変身&暗闇ごはん」と「相棒(再)」を見ていました。
番組の「食品ロス削減!」をネットでは・・・
『”食品ロス大国"ニッポン。
国内で「まだ食べられるのに廃棄される」食品の量は、年間600万トン以上。
これまで番組では、その削減に奮闘する人々の姿を3回にわたり放送してきた。
そして今、コロナ禍の影響もあり多くの"売れ残り"が発生、改めてその対策の必要性が高まっている。
そんな中、残ってしまった惣菜や調理加工品を救う、新たなシステム作りが始まった。しかし、そこに様々な壁が立ちはだかる...。
また、絶品パンの"切れ端"を別の美味しいものに生まれ変わらせる!「食のアップサイクル」への挑戦も。
一方、大手企業も動き出している。
ハウス食品は"カレーのチカラ"で冷蔵庫に眠る野菜などを救うプロジェクトをスタート。
江崎グリコは賞味期限の記載方法を変え、「ふぞろい品」の格安販売も広げようとしている。
賞味期限が短いものを廃棄から救うべく奔走する人々を追う。』
とあります。
番組を見て思いました事は、「厚生労働省」が本腰を上げてしっかりと「食品管理」をすべきだと思います。
そして、以前ここでも取り上げました「食品の流通機構の改善」「JAなどの卸業の見直し」などなどやはり、政府主導で取り組むべきだと叫びたいです!
【夕方のお散歩!】 今日は「森林コース」です。。。
2つの番組を見終えましたので、今日も「夕方の散歩(午後3時55分頃から午後4時45分頃まで)」に出かけました\(^_^)/
今日はふーたんが「山(「森林コース」の事)!」と申しますので「Y字路」から森林へ。。。
ムカゴが取れます「山芋(?)」の葉は「黄葉」。
途中にあります「池」にも寄ってみました。
(右上の写真は「ミヤマママコナ」だと思います)
いつもUターンします「棕櫚(シュロ)」をパチリ!しましたが、目立ちませんねぇ!
帰り道の「歩道」でも「紅葉」「黄葉」をパチリ! o(^-^)o
(右の写真の矢印はふーたん o(^-^)o)
では皆さん!
また明日でございますo(^◇^)o-
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2020年10月30日 19時13分34秒
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ふーたん、姉・従妹と昼食ぅ~!\(^_^)/
皆さん、こんばんは\(^_^)/
BGMは私がセレクトしました「ボサノヴァ」を。。。
お耳はコラボが続いておりますゥ!o(^◇^)o
今日はふーたんが、鬼娘の婿が気に入りましたイタリアン料理店にて、実姉と従妹の3人で昼食でございます。
(私は午前中は「沖縄追記」を作成していまして、一人で自宅にて昼食を・・・)
【姉と従妹が来ました】
午後、ふーたんから電話がありまして「今(尾張冨士)浅間神社、もうすぐそちらへ行く」と。。。
自宅で昼食後の「お抹茶」「コーヒー」を。。。ふーたんが張り切りました!
3人で色々お話に花が咲いていましたヨo(^◇^)o
(やがて、ふーたんは二人を駅前まで送ってゆきました)
【夕方のお散歩ォ!】
午後4時15分頃から40分頃まで「ショートコースの往復」でお散歩でございます。
行きの中池までのショートコースでは、「花と木の実」「キノコ(誰かが道端へ放り出したのでしょうか?)」「花(キク科でしょうか?)」をパチリ!
中池からは「伊吹山」が望めました。
帰りの歩道では民家が夕日に照らされていました。
と言うことでございまして、あっけないお散歩でございましたヨo(^◇^)o
先ほど夕食と食器洗いが終わりまして、お風呂のお湯も入れましたので、今日は(も?)早めに「おやすみなさい!」でございますo(^◇^)o
では皆さん! また明日でございます。-
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from: ぽっぽさん
2020年10月30日 11時06分25秒
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沖縄旅行の追記1
皆さん、こんにちは o(^-^)o
BGMはネットラジオで「クラシックギター」です。
お耳は下のトピックのごとくでございます。
ふーたんは姉・従妹の3人で昼食でございますので、私は一人で「追記」を・・・ o(^-^)o
(先ほど、沖縄の民宿のご主人に電話をしましたら「民宿はやっていますよ」と・・・)
【沖縄の歴史】
=沖縄旅行その1より=
・「琉球王国(高良倉吉)」によると、カーボン測定法で「山下洞人」は約3万2千年前、「港川人」は約1万8年年前である。
・「沖縄の歴史と文化(外間守善)」では「港川人」は約1万8千年前(洪積世)で、中国の「柳江人」(洪積世の人骨)や「縄文人」と密接な血縁関係にあり「縄文人の遠い祖先」と見なす事ができ、「山下洞人」(約3万2千年前)ともつながる。
「山下洞人」「港川人」は旧石器時代のホモサピエンス(新人)である。
=ネットより=
沖縄の歴史をネットでは・・・
『先史沖縄
約1万年前までは大陸と繋がっていたとされる琉球列島。
沖縄人がどこからやってきたのかは不明だが、南アジアや東南アジアに生息する動物の化石が発見されていることから、琉球列島へも動物を追って人類が大陸からやってきたといわれる。
昭和42年(1967)沖縄県具志頭村(現・八重瀬町)で化石人骨が発見され、その後の発掘調査により、1万8000年前の人骨であることがわかった。
「港川人」と命名され日本の旧石器人として世界的にも紹介された。
このほかにも沖縄各地で旧石器時代の化石人骨が発見されている。当時の生活に関する遺物は発見されていないため、当時の暮らしがどういったものかはわかっていないが、貝塚が発見されるなど、海辺で魚介類を採取して生活していたことがうかがえる。
古琉球
長く続いた貝塚時代のあと農耕文化へと移り、社会を形成し、各地には按司(あじ)と呼ばれる実力者が出現し、グスクが築かれることになる。
その後、勢力争いへと発展していき沖縄本島を北山、中山、南山の3つの「三山時代」へと時代は変わっていった。
その後1429年に尚巴志(しょうはし)が三山を統一し「琉球王国」が誕生することになる。
三山時代
グスクを中心とした各集落では、農耕社会が形成されるとともに、作付け、収穫などの共同作業が必要となり集落内での協力、集落外との交流が始まる。
今につながる「ゆいまーる精神」が培われたと言える。
浦添、読谷、中城、勝連、佐敷、今帰仁といった良港をもった按司は、その勢力をさらに拡大させて行き、やがて按司を統率する「世の主」が現れ、今帰仁を中心とした「北山」、浦添を中心とした「中山」、大里を中心とした「南山」に大きなグスクを築城して、沖縄本島を3分割する三山時代となった。
グスクを中心とした各集落では、農耕社会が形成されるとともに、作付け、収穫などの共同作業が必要となり集落内での協力、集落外との交流が始まる。
今につながる「ゆいまーる精神」が培われたと言える。
浦添、読谷、中城、勝連、佐敷、今帰仁といった良港をもった按司は、その勢力をさらに拡大させて行き、やがて按司を統率する「世の主」が現れ、今帰仁を中心とした「北山」、浦添を中心とした「中山」、大里を中心とした「南山」に大きなグスクを築城して、沖縄本島を3分割する三山時代となった。
琉球王国誕生(第一尚氏王朝)
三山時代に終わりを告げるのは、1429年。
佐敷の按司であった尚巴志が琉球統一を図り、首里城を整備し琉球王国の中心に据えた。
これを第一尚氏王朝と呼んでいる。
さらに、日本や中国、東南アジアとの貿易も精力的に行われるようになり、このころに三線、泡盛、紅型といった琉球文化の基礎が流入した。
琉球王国の政治、文化の中心であった首里城では、中国からの使者「冊封使」が訪れるようになり、もてなしの儀式や宴会などが催された。
現在、そうした儀式の再現が、観光イベントとして行われている。
ちなみに、尚巴志の祖父が、伊平屋島出身であることから、伊平屋島では尚巴志に関わる遺跡、行事、イベントが多く行われている。
<以下省略>』
【琉球王朝(王国)】 ネットでは・・・
『「琉球王国(りゅうきゅうおうこく)・琉球國(りゅうきゅうこく)」
1429年(宣徳4年・正長2年、永享元年)から1879年(光緒4年・明治12年)の450年間、琉球諸島を中心に存在した王国。』
『1429年中山王尚巴志(ちゅうざんおうしょうはし)は北山、中山、南山の三つの王国を統一し、首里(現在の那覇市)に首里城を築いて琉球王国を作った。
16世紀後半から豊臣秀吉や徳川幕府は琉球王国に対して支配下に入るよう圧力をかけていたが、明との関係を重視して歴代の王はこれに対してはっきりとした態度をとらなかった。
しかし1609年、第7代の尚寧王(しょうねいおう)のとき幕府の許可を得た薩摩藩は3000の兵力によって琉球を制服し、首里に在番奉行所をおいて琉球の内政と外交を監視した。
薩摩藩は明貿易の管理権をにぎり、年貢を薩摩藩に上納することを義務付けた。
これによって琉球王国は薩摩藩主の島津氏属国として支配権をにぎられ、幕府体制に組み込まれた。
1872年明治政府は琉球藩を設置し、19代目の尚泰王を琉球藩王に任命して琉球が日本の領土であることを内外にしめそうとした。
しかし琉球が清との関係を続けようとしたため1879年に、明治政府は軍隊や警官を送り廃藩置県を強行して琉球藩を廃し沖縄県を設置した。』
【首里城】 ネットでは
『首里城(しゅりじょう、沖縄方言: スイグシク)は、琉球王国中山(のち、琉球国島尻郡)首里(現・沖縄県那覇市首里金城町)にあり、かつて海外貿易の拠点であった那覇港を見下ろす丘陵地にあったグスク(御城)の城趾である。
現在は国営沖縄記念公園の首里城地区(通称・首里城公園)として都市公園となっている。』
『沖縄県那覇市首里にあった琉球王朝の王城で、日本城郭協会選定による「日本100名城」の一つ。
かつて海外貿易の拠点であった那覇港を見下ろす丘陵地に築城され、県内最大規模を誇った。
城は外郭と内郭からなり、御庭(うなー)と呼ばれる広場に面して立つ正殿・北殿・南殿・奉神門などの建物は内郭に集中している。
内郭には瑞泉門(ずいせんもん)、漏刻門(ろうこくもん)など9つの門が、外郭には歓会門、久慶門など4つのアーチ門があった。
戦前は正殿などが国宝であったが、1945年(昭和20)の沖縄戦と戦後の琉球大学建設により完全に破壊され、わずかに城壁や建物の基礎などの一部が残った。
本格的な復元は1980年代末から行われ、1992年(平成4)に、正殿などが旧来の遺構を埋め戻す形で復元された。
2000年(平成12)には「琉球王国のグスク及び関連遺産群」として世界遺産に登録されたが、登録は「首里城跡(しゅりじょうあと)」であり、復元された建物や城壁は世界遺産ではない』
アレマァ! 昨年(2019年10月41日)に焼失してしまいました「首里城」は世界遺産ではないのですねぇ! (TωT)
下の写真は恩納村で見ました「道ジュネー(パレード)」です。
右は「弥勒(沖縄では「ミルク」と訛ります)」です。
【琉球王家の23代当主】 三重県伊勢市にお住みなんですヨ!
上記に「1429年に尚巴志(しょうはし)が三山を統一し「琉球王国」が誕生」と書きましたネ。
我が家が取っています新聞の10月31日の記事に・・・
・尚家は1469年、国王となった「尚円」を始祖とする王家で、首里城の十種を務めた。
・最後の「琉球国王・尚泰(しょうたい)」の”やしゃご”で、尚本家23代当主の「尚衛(しょうえい)」は三重県伊勢市在住。
旨の事が書いてあります\(^_^)/
アレッ!? では「尚巴志と尚円とはどういう関係?」と疑問に思われますよね。
ネットでは・・・
『尚円王(しょうえんおう、永楽13年(1415年)~ 成化12年7月28日(1476年8月17日))は琉球王国の王。
クーデターで第一尚氏王統を倒し、第二尚氏王統の初代国王(在位:1469年 - 1476年)となった。』
とあります。
(分かったような、分からないような・・・ o(^-^)o)
【沖縄の印象】
=沖縄に思う事=
・1993年のダイビングで「訪沖」して以来2019年で20度訪沖しました。
当初は「ダイビングの船長」が船のエンジンをかけてから、「もやい綱」を外すのでスクリューに絡まってしまう事を何度も繰り返しますので「アホか」と思ってしまいました。
・また、以前の「大学生」で訪沖時には「高校教師」が我々夫婦をアチラコチラとご案内してくださいましたが、旧海軍司令部跡で「私はここまで」とさっさと帰って行ってしまわれました。 残された私共夫婦はあっけにとられてしまいました。
・「民謡スナック田舎乙女」では、今まで踊っていた地元女性が急にパタンと座りこんでしまったので、アレマァ!と思いました。
・このような光景を拝見していまして、沖縄の人って「変わっているなぁ~! やはり南国なんだなぁ~!」と o(^-^)o
・また、ある著書には「地元沖縄のスタッフに明日までにやっておいてと頼んでおいたが翌日は出勤してこない。
どうしてかなぁと思ったら、その友人は昨日は友達に誘われて飲みに行ったので頼まれた仕事がやれなかったから休んだ」との事。
もう呆れますよね。
・このような「テーゲー(おおらかさ・いい加減)」は私も上記のごとく実感していますので「沖縄人が堕民・愚民」と言われる所以かなぁ?と当時は思ってしまいました。
でも、沖縄へ何度もお邪魔している間に沖縄に対する感じ方も変わってきました。
=石敢當= 「魔除け」のようですね。
沖縄でよく見かけますよね。
私も「なんじゃらほい!?」と思いつつ、あちらこちらでパチリしましたヨo(^◇^)o
ネットには・・・
『「石敢當(いしがんとう、いしがんどう、せきかんとう、せっかんとう)」は、丁字路の突き当り等に設けられる「石敢當」などの文字が刻まれた魔よけの石碑や石標。
石敢当、泰山石敢當、石散當等と書かれたものもある。
中国で発祥したもので、日本では主に沖縄県や鹿児島県に多く分布する。』
『「石敢當」は「いしがんとう」と読み、沖縄で古くから信じられている魔物=マジムンを撃退する、魔除けの役割を果たす石碑。
マジムンとは、沖縄で言い伝えられている魔物の総称で、股をくぐられたものは死んでしまうという迷信があります。
種類はさまざま、動物の身なりをしたものがほとんどですが、中にはしゃもじが悪霊化したものもあるそうです。
全てのものには神が宿っている、八百万(やおよろず)の神の考え方に通ずるものでしょうか。
マジムンは直線方向にしか道を進めず、曲がることができません。
そのため「T字路」や「Y字路」にぶつかるとそのまま家に入ってきてしまいます。
それを防ぐのが、石敢當。』
と言うことです。
(真っすぐにしか進めないのは何だか「イノシシ」みたいですねぇ~\(^_^)/)
=石垣島へ移住=
2011年11月14日のトピックに・・・
>まず、観光で3カ月くらいオーストラリア・ケアンズに住んでみたい。 (ダイビングで4度参りましたが、こじんまりした町です)
>その後は沖縄石垣島で・・・と物件もネットで探しましたヨ。
>翌年物件を見に行ったら、関東の方が買われてしまって。
>(その時はまだ会社現役だったので・・・残念!)
>今は二人の孫を預かったりでダメですが、孫が小学校に入ったらさっさと南国・沖縄へ・・・まだ夢は捨ててはいませんがさて?
と書きました。
私共は2004年・5年と2年連続で石垣島へ参りました。
2004年に参りました時に、可愛らしい「赤瓦・平屋の売り物件」を見つけまして、不動産屋に「仮契約をしましょうか?」と申しましたら「なかなか売れませんので大丈夫ですよ」と。
しかし翌年に石垣島へ参りました時にその物件を見ますと・・・
「トラック」が入っていましたので、不動産屋に尋ねましたら「売れました」と!
テーゲ―テーゲ―でございました(T-T )
(もし、その物件を買っていれば今頃石垣住民だったでしょうかねぇ?
下の写真がその物件です。 敷地は70坪ほどだったと思います)
=奄美群島=
上記に・・・
>しかし1609年、第7代の尚寧王(しょうねいおう)のとき幕府の許可を得た薩摩藩は3000の兵力によって琉球を制服し、首里に在番奉行所をおいて琉球の内政と外交を監視した。
>薩摩藩は明貿易の管理権をにぎり、年貢を薩摩藩に上納することを義務付けた。
これによって琉球王国は薩摩藩主の島津氏属国として支配権をにぎられ、幕府体制に組み込まれた。
と紹介しました。
「奄美群島」は琉球の領土でしたが、1609年の「薩摩(島津)の侵攻」で薩摩藩に取られてしまい、今は「鹿児島県」になっています。
沖縄の本土復帰時に「奄美諸島を沖縄に返す!」ことは考えなかったのでしょうかねぇ?
=沖縄戦線=
・一番ショックだったのは「沖縄戦線」でございます。
ネットには・・・
『沖縄戦(おきなわせん)、または沖縄の戦い(おきなわのたたかい)は、第二次世界大戦末期の1945年(昭和20年)、沖縄諸島に上陸したアメリカ軍とイギリス軍を主体とする連合国軍と日本軍との間で行われた戦いである。
連合軍側の作戦名は「アイスバーグ作戦(英: Operation Iceberg、氷山作戦)。
琉球語では、Ucinaaikusa(ウチナー(沖縄)いくさ(戦、軍)の意)」ともいう。』
『沖縄戦は1945年の3月下旬から8月までの戦いをいう。
1944年10月10日、沖縄戦の前哨戦 として10.10空襲があった。
この空襲で旧那覇市街の90%が焼失する。
旧那覇市内の養蚕試験場にあった司令部も焼け 、首里城の地下に司令部壕が掘られる事になる。
その壕を掘ったのが学徒達であった。
米軍の上陸地点からこの首里城の司令部までの首里以北を中部戦線と呼び、司令部が首里陥落を目前に 南部に撤退したため、多くの住民が戦闘に巻き込まれてしまった、首里以南の戦いを南部戦線と呼んでいる。
ひめゆりの悲劇もこの南部地域で起きた。
ひめゆり学徒は何度も映画化され有名なためこの南部地域こそが沖縄戦の主戦場であったと思われている ことが多い。
しかし南部戦線は米軍にとっては敗残兵狩りに等しい戦いであり、米軍の上陸地点から首里城までの中部地域こそが日米が死力を尽くして戦った沖縄戦の主戦場である。
米軍は上陸地点である北谷から首里城までの10キロを進むのに50日間かかっている。
沖縄守備軍はこの間10万人の内7万4千人(主戦力のほぼ7割)の兵力を失っている。
日本兵の死者は1日あたり千人以上にもなる、太平洋戦争もっとも激しい戦いといわれるゆえんである。』
などとあります。
また、沖縄戦では日本軍による「集団自決」を取り扱った「沖縄ノート(大江健三郎・著)」などがあり、当時の司令官が訴訟を起こしました。
長くなりますので、詳しくは次回に・・・
=沖縄の米軍基地=
・そして沖縄と言いますと連想しますのは、やはり「沖縄の米軍基地」です。
我が国の米軍基地の70%以上が沖縄にあります!
私は「安部内閣の軍事化がそのまま菅内閣にも受け継がれているのでは?」と疑っております。
「岸信介 → 佐藤栄作 → 安部晋三 → 岸信夫」と安部の家系、岸信夫を「防衛大臣」にした菅内閣を全く信用できませヌ!
=追記:沖縄米軍の性暴力= お隣から頂いた新聞記事より
ー与那嶺一枝氏(沖縄タイムス編集局長)ー
ここに追記する予定でしたが、長くなりましたので「沖縄旅行の追記2」に書きます。
=読んだ本=
・沖縄へ行った事がない時に読んだ本に「太陽の子(灰谷健次郎)」という小説があります。
・何度も訪中している間に読んだ本には、「琉球王国(高良倉吉)」「琉球紀行(高野 澄)」「沖縄の歴史と文化(外間守善)」「沖縄生活史(高良 勉)」「沖縄報告(朝日新聞社編)」「沖縄からの出発(岡部伊都子)」「沖縄 時間がゆったり流れる島(宮里千里)」「誰も書かなかった沖縄(関 広延)」「沖縄ノート(大江健三郎)「沖縄戦(児島 襄)」「沖縄戦史(上地一史)」「検証 戦争責任Ⅱ(読売新聞社戦争責任検証委員会)」「沖縄 ―新風土記―(岩波写真文庫)」「沖縄ナンクル読本(下川裕治・篠原 章)」「「沖縄オバァ列伝(沖縄オバァ研究会)」があります。
上記の「高良倉吉氏」は昨年10月31日の焼失しました、「首里城復元プロジェクト」のリーダーを務めてお見えです。
【沖縄で撮りました花々】
固い事ばかり書きましたので最後にパッ!と花々を・・・ o(^-^)o
ハイビスカス
ブーゲンビリア
ブッソウゲ
サンタンカ
カズラ
グンバイひるがお
月桃
「シコンノボタン」と「モンパノキ」
「サガリバナ」と「アメリカハマグルマ」
アダン
まだまだパチリしました花々がありますが名前が「?」ですので・・・
とりあえずはここまでとしますね\(^_^)/
(書き足したいことが出来ましたら「追記の追記(笑)」を・・・)-
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2020年10月30日 07時24分50秒
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1214mから347m!\(^_^)/
皆さん、おはようございます o(^-^)o
BGMは掛けていませヌ!
ふーたんはあれこれと「冬支度」を。。。
お耳は慢性化してきました「虫の音・ピチッ!のコラボ」でございます。
(ピチッ!が発生するたびに、どきっ!なので「ピチッ!どきっ!」でございます)
【登山は1214mから347mに・・・】 目的の山への道路が通行止め!(T-T )
さて、昨日の登山の様子を・・・
午前7時45分に国道41号線を30分ほど北進したところにあります「道の駅」で待ち合わせでございます。
自宅を午前6時50分に出発しまして、近くのコンビニでふーたんが「おにぎり・おかず」などを買いました。
通勤時間帯でしたので国道41号線は名古屋方面だけでなくて、私共が参ります高山方面も混んでいました。
午前7時43分頃に「道の駅」に到着しましたら、他の2台は既に待っていました。
予定をしています山は私は今回で4度目ですが、他の2夫婦は5~6度目のようです。
先日夫婦で参りました「ダム湖」をさらに奥へ参りますと「アレマァ! ガケ崩れのため全面通行止め!」でございます (TωT)
(予定していました「梁谷山(やなだにさん:1214m)」はダメ!)
通行止めのところに橋がありましたので、写真をパチリ!
ふーたんは持参のコーヒーの準備を・・・
6人(3夫婦)で景色を眺めながらのはコーヒータイムとしました。
さて、どこにしようか?と6人であれこれと・・・
結局、リーダーの決断で「高木山(展望台)」と言うことになりました。
国道41号線を南下しまして、途中にあります「みのかも健康の森」の駐車場へ。
この健康の森の奥に「高木山(347m)がありまして、山頂には「展望台」があります。
更に健康の森の東には、ふーたんと登ったことがあります「山之上富士」がすっきりと見えていました。
(「男3人衆=今回の3夫婦の男衆」は既にこの2座を登ったことがありますが、奥方たちは初めてです)
今回の登山ルートは下のイラストマップの青色でございます。
では皆さんもご一緒に・・・ネ! (☆▽☆)
駐車場から「どんぐりパーク(広場)」を抜けまして、「山之上富士方面(上の地図の右の青線)」へ参ります。
非常に見ずらい「案内板」がありますが、その案内に従いまして上の地図の右の青線のごとく「つつじの小路」登りま。
「どうだんつつじ」がこうようしていまして、所々に「岩場」あり「山之上富士」がくっきりと。 岩場には名前の分からない植物も・・・
6人とももう若くはありませんので、ゆっくり・ゆっくりと・・・
(以前、男3人衆で「山之上富士」を登った「おまけ」としてこの「つつじの小路」を登ったのですが当時は楽々でしたが、今日はもう辛くて・・・フッ!)
やっと尾根道になりまして、紅葉と「扇谷絶景」を。。。
約1時間で目的の「高木山(347m)」に到着です。
早速お昼ご飯を。。。そして、女性陣が持って参りました食べ物・果物などの「交換会(笑)」を。。。
(私は鬼娘が贈ってくれました新しいリュックでございます o(^-^)o)
下山は西の「はぎの小路」を通りました。
777段の階段を下れば早いのですが、それでは登山の意味がありませヌ!ので、ちょとだけ下りまして、脇道から「どんぐりパーク」へ戻りました。
駐車場では「もみじの紅葉」が奇麗でしたヨ o(^-^)o
(皆さん! お疲れさまでした)
(登山後「コーヒータイム」と言うことになりまして、再び国道41号線を南下しまして、ふーたんが場所を覚えておりました「喫茶店(らんぷ)」へ・・・
喫茶店で解散としまして、我々夫婦は午後4時3分頃に帰宅できましたヨ\(^_^)/
私共夫婦ばかりではなくて、他のご夫婦も久しぶりの登山でしたので、いきなりの「1214m」より「347m」の方が体力的に良かったかなと思っております。
(つくづく「体力の衰え」を実感しましていささかショッキングな登山でございました)-
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おん、
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from: ぽっぽさん
2020年10月30日 07時16分32秒
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from: おんさん
2020年10月29日 23時13分49秒
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2020年10月28日 18時11分01秒
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金木犀剪定後の後始末、完了!\(^_^)/
皆さん、こんばんは\(^o^)/
おんさん、ご覧くださってありがとうございます。
(そちらはもう寒いですよね?
拙宅は今日、初めてエアコンの暖房を入れてみました。
無事に正常稼働しましたのでホッとしましたヨ)
お耳はもう「慢性化(虫の音+ピチッ!)」でございます(T-T )
【金木犀剪定後の枝葉の後始末! 完了!】
午前中は10時頃~11時頃まで、玄関先でせっせと作業を・・・
昨日の作業終了後の状態から、まずは「葉(左上の写真の白枠)」を可燃ゴミ袋に入れました。
そして「枝(赤枠)」は右上の写真の「ペンチの親分のようなはさみ」でチョッキンチョッキン(借金・借金)と切りまして、段ボールへ。
ここで午前の仕事を終えました。
午後からは1時50分頃から2時30分過ぎまで掛けまして、太い2本の枝のあとしまつでございます。
残りました「太い枝(右上の写真の青枠)」は、ビニールテープで縛りました。
下段の写真の「可燃ゴミ袋」と「ビニールひもで縛った枝」は、明日の「可燃ゴミ」にだしますので、既に車に乗っけましたヨ o(^-^)o
段ボール内の「細かく切りました枝」は、先ほどふーたんが「可燃ゴミ」と一緒にゴミ袋に入れてくれましたので、これも明日の可燃ゴミとして出します。
(これにて「木蓮の剪定後の後始末は終了でございます\(^_^)/)
後始末の作業後は、休憩を兼ねまして「録画:クラシック倶楽部・チェロとピアノ)」を見ていました。
映画音楽のメドレーなど私には快い曲が多かったです (☆▽☆)
【夕方のお散歩ォ!】 中池までのショートコースを往復しました。
ふーたんが「(今日は息子宅ヘは)行かない」と申しますので、午後4時15分頃から5時過ぎまで、中池ショートコースの往復とちょっとだけ愛知用水の北の途中まで行って参りました。
今日はどんよりとした空でしたので、奇麗な夕日は望めませんでしたヨ(T-T )
空には「飛行機」が、足元には「きのこ」が・・・パチリ!
何の木の実でしょうか? ススキもパチリ!
帰宅後は、明日の登山準備でございます。
明日は1200mほどの山に登って参りますね\(^_^)/
この山は過去の3度登りまして、2000年11月に2度、2010年11月と10年毎でございますo(^◇^)o
では皆さん!
また明日でございます。-
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おん、
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from: ぽっぽさん
2020年10月28日 05時00分01秒
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金木犀、剪定後の後始末ぅ~!
皆さん、チョーおはようございます\(^_^)/
(今、4時40分でございます)
やはりお耳の「ピチッ!」が波状的に発生しますので、こんな時間にもう目が覚めてしまいました o(TヘTo)
(「虫の音+ピチッ!」が「慢性化」してきたように・・・ふわぁ~!)
さて、昨日の事・・・
昨日は午前中に「沖縄旅行」、午後に「金木犀の後始末」が出来ましたヨ!
【沖縄旅行】
ふーたんは午前10時頃から「皮膚科病院」へ。。。
私は朝食前後から始めました「沖縄旅行」が、ふーたんが病院から帰ってくる頃には「たんぽぽにアップ」が終わると思っておりました。
ふーたんは意外と早く帰って来まして、まだまだ作業中でございましたが、午前中に何とかアップが完了です。
「訪沖」は「WORD」で「旅行記」を作成してありまして、それを「たんぽぽ用」にアレンジしていました。
しかし、最後の「訪沖20」は昨年2月の「石垣旅行」ですが、旅行記の作成をしてありませんでしたので、当時たんぽぽにアップしました「トピック」をWORDに集めましてコピーしましたので、集めた文章が長過ぎまして「文字制限」に引っ掛かってしましました(/Д`)
あちらこちらと文章を削除し写真を載せまして午前中に「たんぽぽにアップ」出来ました\(^o^)/
(アップ後は読み返しましてあれこれと修正を・・・
訪沖1~20を終えまして、「沖縄の花」などまだまだアップしたいと思いますので「追記」を予定しています )
【金木犀の後始末】
午後2時過ぎから、ふーたんが同じ団地の奥さんの「お見舞い(膝が・・・)」に出かけました。
私は月曜日に剪定しました「金木犀の枝葉の後始末」を始めました。
剪定後にドカッと積みました枝葉(下の写真の左上)を玄関先まで出しました(右上の写真)たら、うわぁ~! 量の多い事・・・フッ!
玄関は午後から日差しがありますので、「AMラジオ(下の写真の下段左の「矢印」)」を聴きながら・・・日向ぼっこを兼ねまして\(^o^)/
(結構、暑くなってまいりましたヨ!)
ふーたんが3時過ぎに帰宅しまして、後始末の手伝いをしてくれましたので、どっさりとありました枝葉はほとんど片付きましたヨ o(^-^)o
残りは下の写真の下段左の「葉を取り除いた枝(写真の赤枠)」と下段右の「2本の大きな枝(写真の赤枠)」の始末ですが、明日にでも・・・
【夕方からお散歩ォ! o(^-^)o】 途中でふーたんがUターン!?
午後3時50分頃から4時半頃まで、今日も「森林コース」で息子宅へ参りましてデュ・マゴの様子を見に行く予定で散歩に出かけました。
お隣の団地の出入り口(拙宅から1~2分のところ)の「山茶花(さざんか)」には「やまぶどう」が、そのまま歩道を脇道方面へ参りますと途中で「紅葉」が。。。
(自宅から5分ほどでこのように「晩秋」が見られますので、つくづく良い所に住んでいると思いますo(^◇^)o)
脇道から「Y字路」を右(森林コース)へまいりまして、途中の3か所で「スクワット」を。。。
夕日が木々の間から覗いていました。
先を歩いていましたふーたんが息子宅手前から「Uターン」してきました!?
ふーたんは「(嫁が)帰ってきていて、(おそらく)昼寝をしているので邪魔をしないように」と。
私は息子宅で「後始末後のコーヒー」を・・・と思っておりましたが、いつもの「棕櫚(しゅろ)」で。。。
ふーたんが意欲的に「散歩」をしますのは、木曜日に「登山」に誘われていますので「足慣らし」でございますo(^◇^)o
(明日=28日の午前中は「尾張冨士」に登ろうかなぁ?
午後からは「金木犀の枝葉の後始末」の続きを・・・)
帰宅後は夕食まで時間がありますので、ふーたんと「録画:相棒」を。。。
ふーたんが夕食の支度をしてくれています間に、私は「録画:クラシック倶楽部・ギターとチェロ」と「名曲アルバム」を。。。
と言うことでございましたヨ\(^_^)/-
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from: ぽっぽさん
2020年10月27日 07時40分58秒
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沖縄旅行その7
皆さん、おはようございます o(^-^)o
BGMはFMラジオで「クラシックカフェ」を・・・
お耳の「ピチッ!」の発生件数は最悪の時からしますと、半分ほどって感じでしょうかねぇ?
でもやはり、波状的に発生します「ピチッ!」が気になりますねぇ(/Д`)
(まぁ、「連続花火」にならないことを祈るばかりでありますゥ~! o(^-^)o)
【訪沖19】 2015年11月4~6日 (沖縄本島南部:夫婦)
すでに作成してあります「沖縄旅行記」を少し編集しますネ o(^-^)o
= 今年(2015年)が「戦後70年」という節目の年なので、我が国内唯一の地上戦になった沖縄の「平和の礎」「ひめゆりの塔」へ行ってみたくなりました。
同時に「国道58号線」で「那覇~読谷」の区間だけ私自身が運転していなくて(沖縄自動車道での移動でした。 国道58号線は家族旅行時に息子が運転)、その区間を走れば「私の運転での沖縄本島一周」が達成ですのでこの2つの目的での「訪沖」でした。
=行程=
11/4 セントレア07:40→那覇着10:05・レンタカー→やちむんの里見学→ピザッツァエンゾ(昼食・土産の柿渡す・店の近くを散策)→東屋のある公園→ココガーデン・リゾート・ホテル(夕食はホテル内の「栄料理店」・泊)
11/5 ホテルチェックアウト→海中道路→仲原遺跡(伊計島)→サントリーニで昼食(浜比嘉島)・アマミキヨの墓→沖縄北I/C→南風原南I/C→平和の塔→ひめゆりの塔→道の駅いとまん(ショッピング)→サザンビーチホテル(泊)
11/6 早朝海岸へ散歩(朝日の写真)・朝食(ブッフェ)・室内プール(09:00~09:30頃)・チェックアウト→まさひろ酒造(泡盛の小瓶プレゼント)→お魚センター(昼食)・道の駅いとまん散策→白銀堂→美らSUNビーチ散歩→ヨーナーズ(沖縄そば)→美らSUNビーチ→レンタカー営業所→那覇空港20:05→セントレア22:05
=感想など=
11/4
・レンタカーは今回は「国産車(ホンダ)」でしたがカーラジオがありませヌ!?
那覇市街地を走るのはやはり神経が磨り減ります。
沖縄のドライバーはウインカーも出さずに左右するし、3車線の端から端まで無理に車線変更をするので参りました!
・空港から営業所まではいつも「レンタカー社のマイクロ」で送ってもらいますが、車内で「観光客ドライバーのマナー」の事をビデオ放映します。
しかし、私共観光客より「沖縄住民の運転マナー」の方がよっぽど悪いので、過去に沖縄県警へ抗議の手紙を出したが、全然ご返事はありませヌ! ← こういう事も「アバウトな沖縄!」ですねぇ (TωT)
・「やちむんの里」では色んな工房の約半分ほど見学しました。
・「やちむんの里」から「カサ・ラ・ティーダ」から紹介して頂いた「ピザッツァ・エンゾ(下の写真です)」へ向かいました。
「ピザッツァ・・エンゾ」では「お土産の柿」を渡しましたら、オーナーがお礼の挨拶に来てくれました。
・「エンゾ」での昼食の「1500円のセット(ピザ+パスタ+ドリンク)」は「ピザ+パスタ」ではなくて「ピザかパスタ」って事でしたo(^◇^)o
最初にウエイトレスがしっかりと説明してくれなかった事や、なかなか食後のコーヒーが出てこないなど・・・変なお店でした。 ← 沖縄流でしょうかねぇ?
・でも、親切な店員が店の前の小道から「小さな岬」へ連れていってくれましたが素晴らしい眺めで「最高!」でした。
その岬からは、右に真栄田岬の西側が見えて、眼下の砂浜ではデュ・マゴを遊ばせてやりたい!
・エンゾのテーブル席から「東屋がある公園」が望めたので、食後に行ってみましたが、風が強くて雲も厚かったのが残念でした。
・ココガーデンホテルでチェックイン後、徒歩で「栄料理店」にて夕食です。
夕食では「近海赤仁ミーバイ(スジアラ)とわさび菜のカルパッチョ」「もずくとトビイカの水餃子(冬瓜スープ仕立て)」「沖縄野菜の彩りサラダ」「魚カブトのアファ煮(白身の魚)」を (☆▽☆)
11/5
・ホテルをチェックアウトしてカーナビに「AJホテル(伊計島=昨年ちょっと寄りました)」に入れて出発!
「勝連城跡」「伊計島」方面へは記憶も割と新しいのですんなり! o(^-^)o
途中の「仲原遺跡(昨年は場所が分かりませんでした)」へ行ってみましたら、2組の見学者が来ていました。
・次に昨年も参りました浜比嘉島の「サントリーニ」にて昼食。
我々だけでゆったり貸し切り状態でゆっくり出来ましたヨ!
このレストランは静かで落ち着きますので、もし皆さんが伊計島方面へ行かれるときは是非! (☆▽☆)
・サントリーニからはふーたんが昨年チェックしておきました「アマミキヨの墓」へ足を延ばしました。
・午後は「平和の礎・塔」「ひめゆりの塔」へ行くこととしましたが、「平和記念公園」は夫婦とも初めてでした。
・雨が少し強くなりかけていて困っているところへ「一日中乗り放題のバス(一人100円)」がありましたので乗りましたら、お客様は私ども夫婦だけだったのでこれまた貸し切り状態!\(^_^)/
(下の写真は「平和の礎」です)
私共が参りました「平和記念公園」をネットでは・・・
『平和祈念公園は本島南部の「沖縄戦終焉の地」糸満市摩文仁の丘陵を南に望み、南東側に険しく美しい海岸線を眺望できる台地にあります。
公園整備は琉球政府時代に着手、復帰後昭和47年から都市公園として本格的な整備を進めています。
公園内には沖縄戦の写真や遺品などを展示した平和祈念資料館、沖縄戦で亡くなられたすべての人々の氏名を刻んだ「平和の礎」、戦没者の鎮魂と永遠の平和を祈る「平和祈念像」、そして摩文仁の丘の上には国立沖縄戦没者墓苑や府県、団体の慰霊塔が50基建立されています。』
とあります。
・平和記念公園を出まして、初めての訪沖時に「先生」がご案内してくださった「ひめゆりの塔」へ行きました。
・ホテルへ戻る途中で「道の駅いとまん」横の「JA」でふーたんが夕食(ホテルの部屋で食べる予定の食料品を買ってからサザンビーチホテルへ。
・ホテルのチェックイン時に「今日はお客様で満室ですので、グレードの高い部屋にしました」とのこと。 ラッキ!でしたが、残念ながらオーシャンビューではありませんでした(T-T )
11/6
・朝食前にホテル前の「美々ビーチ」の左方面へ散歩に出かけましたが、雲のため朝日は見れずに残念でした!
・今年から?ホテルの駐車場は「有料(宿泊はカードを通してくれて無料)」、美々ビーチへのドアは「自動ロック(部屋のカードで開く:ホテル宿泊客以外は入ることが出来ない)」になったりで昨年とは様子が違っていましたが、逆に部屋でWi-Fiが使えるようになりましたヨ!
・美々ビーチ散策の後の朝食はブッフェで、ふーたんは「ココガーデンの方が食材はよかった」と申しますが、私はココガーデンの食事は何を食べたのかを忘れました (TωT)
・9時少し前頃、ホテルのプールで泳ぎましたヨ!
・ホテルチェックアウト後に「まさひろ酒造(泡盛の店)」へ「プレゼント(旅行会社からの)」の泡盛小瓶を貰いに出かけました。
おそらく昨年もお邪魔した店で、今年は2階の泡盛コレクション(?)も見学しましたが、私はいきなりの「お酒の匂い」で参ってしまいました(≧Д≦)
・次に、昨日も入りました「お魚センター」や「道の駅いとまん」へも行ってみましたた。
ふーたんは昨日、お魚センターでお客さんが食べていた「貝やエビ」が食べてみたくて、しっかり買っていましたヨ!
ついでに「お寿司」も買いまして、その場で安くておいしい「昼食」となりました。
・昼食後、「情報館」の受付で「この近くで'ここだけは行ったほうが良い'という観光スポットは?」とお聞きしましたら、「白銀堂」を教えて呉れました。
たまたま情報館にいた地元の方がご親切に自分のスマホで場所を教えてくれましたので行くことにしました。
「白銀堂」は「拝所(うがんじゅ)」のようで、入り口には「鳥居」もありました。
・白銀堂からカーナビに「アウトレット・アシビナー」をセットしました。
アシビナー2階の椅子席でコーヒー(2杯)を買いましたが量が多いので、私が車へ戻りましてアルミ缶を持って来まして1杯分を詰めました。
・「美らSUNビーチ」へ行ってみましたら「美々ビーチ」と同様、人工ビーチっでしたのでちょっとガッカリ!
・次にカーナビにセットの「ヨーナーズ」で沖縄そばを食べましたが、味は「普通!?
再び「美らSUNビーチ」戻りましてへ夕日の写真を撮ってみたが夕日にちょっと早くてイマイチでした。
夕日(日の入り)はあきらめまして、レンタカーを返しに営業所へ行き空港まで送ってもらいました。
楽しい楽しい3日間でしたヨ!\(^◇^)/
【訪沖20】 2019(H3)年2月25日~27日 (石垣島:夫婦)
2019年2月7日のトピックに・・・
>ふーたんはそろそろ「どこかへ行きたい」ようで・・・
>昨日ふっと私が「暖かい沖縄が良いなぁ?」と申しましたので、何やら考えているみたい! フフフ\(^o^)/
という事で、ふーたんの希望の「暖かい沖縄」という事で「石垣島」としました o(^-^)o
宿泊は泊まり損ねています「フサキリゾートホテル」を。。。
(沖縄へは上記の「訪沖19:2015年11月」が19度目、今回が3年余ぶりでしてそのうち石垣島へは今回で「4度目」でございますo(^◇^)o)
【石垣島について】
ネットでは・・・
『石垣島 所属諸島:八重山列島、海岸線長:162.2 km、最高標高・最高峰:525.5 mの於茂登岳
<石垣島の位置>
石垣島(いしがきじま)は、日本の沖縄県石垣市に属する八重山列島の島である。
日本の地理上、県内では沖縄本島、西表島に次いで3番目に広く、日本全体(北海道、本州、四国および九州の主たる4島の本土と沖縄本島を含む)では21番目の面積を持つ。 人口は約4万7千人。 亜熱帯海洋性気候に属し、面積は222.25km。
概形としてはほぼ正方形に近く、北東部に細長く平久保半島が突き出ている。
島の中央やや北にある標高 525.5 m の於茂登岳は沖縄県の最高峰であり、この山以北は山がちとなっている。
南部は隆起サンゴ礁の平地が多く、人口もこちらに集中する。南部に下流する宮良川の他には、あまり広域な河川は存在しない。』
とありますが、場所がイマイチでしょうか?
東京と沖縄本島・那覇との距離は約1600km、名古屋からですと約1300kmです。
那覇から石垣島は南西に約410kmの八重山諸島です。
=行程=
2/25 セントレア発11:20→石垣空港14:25→レンタカー→宮良殿内→フサキリゾートホテル(チェックイン)・夕食(フサキガーデンテラス)
2/26 ホテル(朝食はホテルのバイキング)→石垣島鍾乳洞→石垣やいま村→川平湾グラスボートクルーズ(昼食は川平の東屋でふーたんが用意したパン・おにぎりなど)→みんさー工芸館→ホテルへ戻り夕日を鑑賞・夕食は別のホテルのレストランにて
2/27 早朝、海岸で星空観測・朝食はホテルのバイキング・チェックアウト→桃林寺→サンエー(スーパー)→白保食堂(昼食)→レンタカー事務所→石垣空港発15:05ANA580便→セントレア着17:20・コンビニ弁当で夕食・ミュースカイ→犬山駅・バス→自宅着(午後8時10分頃)
(石垣では27日に最高気温が27度を超えまして、犬山市とは17度ほどの気温差でございましたヨ\(^o^)/)
=感想など=
2/25 今日の目的は「宮良殿内(みやらどぅんち)」でございます。
・石垣空港へ降りますと「もわぁ~!」と温かかったですよ。
25日の最高気温は23.9度とのこと・・・
(下の写真が石垣空港です。 新しくなってからは初めてでございました)
・レンタカーの若者がぼんやりと立っていましたので通り過ぎてしまいました。
レンタカー営業所で車を借りまして(ビッツ)、カーナビを「宮良殿内(みやらどぅんち)」にセットして「石垣市街」方面へ向かいました。
初めて石垣島へ参りました時、入り口までは参りましたが中へ入りませんでしたので、心残りでございましたので、今回は是非!
【宮良殿内】
「宮良殿内(下の地図の青枠)」は琉球王朝時の建物で、場所は石垣市街地にあります。
「宮良殿内」をネットには・・・(太文字は目立つようにぽっぽが・・・)
『<宮良殿内(石垣市)>
宮良殿内(みやらどぅんち、めーらどうぬじい)は沖縄県石垣市にある琉球王国時代の邸宅。 メーラヤラドゥヌジィとも呼んだ。
建物は国の重要文化財で、庭園は国の名勝に指定されている。』
『<重要文化財建造物 名勝 旧宮良殿内(めーらどうぬず) (旧宮良殿内庭園 国指定 昭和47年5月15日)>
文政二年(1819年)松茂氏八代宮良親雲上当演が宮良間切頭職(八重山最高の役職)に任命されたことを記念に建造されたといわれる。
上級士族の格式を備えた構えである。
建物は木造平屋づくり本瓦葺きである。
材料は総イヌマキで雨端柱(方言ハナシバーヤ)は根付丸太を使用している。
屋敷は琉球石灰岩の石垣で囲い南西の中央に薬医門型式の門を建て、その西端に裏門を築いている。
表門を入ると築地塀のぴんぷんがあって、中門を開ける。
敷地のほぼ中央に母屋を配置しその東側には石を組み築山を築いた庭園がある。
南東部に築地塀で囲った囲った便所を設け、表門と裏門の間に井戸を造ってある。
庭園は、首里の庭園師城間親雲上の設計指導によるもので、琉球石灰岩を主材料に五つの築山を築いている。
これは日本庭園の伝統儀式を踏襲するもので日本庭園文化の伝播をみる上で貴重であるばかりでなく、わが沖縄の近世における上流階級の屋敷構えの中における庭園としてもっともよく保存されている。』
とあります。
(私どもが参りました時の写真を載せますネ)
宮良殿内内に咲いていました花です。
左は「サンゴアブラギリ」、中は「サンダンカ」、右は「コダチハヤカズラ」です。
【ぴんぷん】 中国が由来のようですヨ!
上記に「ぴんぷん」ってありますよね。 これまたネットで・・・
『琉球建築の民家における典型的な様式のひとつで、門と母屋との間に設けられる「目隠し」をいい、中国語の屏風(ピンプン)に由来するといわれている。「魔除け」という役割もあるが、通りからの目隠しと、南風が屋敷へ抜けていくように設計されているという。』
とあります。 「ぴんぷん」は中国の「屏風(ぴんぷん)」に由来すると言われています。
(下の写真の左は宮良殿内で頂いたポストカード、右が今回パチリりしました)
2/26 アチラコチラとドライブでございます o(^-^)o
・最高気温:24.6度、最低気温:19.7度・・・2月とは思えませヌ! (☆▽☆)
・朝食はホテル内のレストランでバイキングでございます。
下の2枚の写真がふーたんが取ったもので、その下の写真は私が・・・
朝食後、ホテル敷地内を少し散歩しましたヨ\(^o^)/
(写真は本館とふーたん)
・さて、では皆さんと石垣島の2日目のドライブをしましょうネ o(^-^)o
まずは「石垣島鍾乳洞」へ参りました。
ネットには・・・
『日本最南端・石垣島最大の鍾乳洞!20万年もの時をかけて自然が造り出した石垣島最大の鍾乳洞。
鍾乳石の自然美はもちろん、鍾乳洞イルミネーションの幻想的な輝き、滴る水の音を楽しむ水琴窟、トトロの鍾乳石など、地底に広がる世界は見どころがいっぱい。
無数の鍾乳石群に彩られた巨大な地底空間 は、まさに宮殿を彷彿されます。
洞窟内には、シャコ貝などの化石も見られかつて海底であったことを語り掛けてくれます。』とあります。
鍾乳洞をぐるりと回りますのに3~40分かかりましたよ。
次に参りましたのは「石垣やいま村」でございます。
「やいま」とは「八重山」の事です。
ネットには・・・
『石垣島の名勝「名蔵湾」を一望する丘にある石垣やいま村は、豊かな自然を背景に古き良き八重山の家並みを再現した日本最南端のテーマパークです。 国の有形文化財に登録された赤瓦の古民家からは三線の音色が響き、琉球衣装体験、シーサー絵付けなどの体験メニューも充実。
村内には水牛の池、カンムリワシ保護ケージ、リスザル園があり、なかでも小さなかわいいリスザルへのえさやりが大人気。
ラムサール条約に登録された名蔵アンパルへの見学コースもあり、希少な動植物を観察することができます。』
ネットで地図を拾いますと・・・
村内を見学している途中でコンデジの電池が切れてしまいましたので写真の途中からはスマホで・・・
「ヒルギの木」とヒルギの「花のガク」です。
アンパル塔と塔からの眺めです。
アンパル塔をネットでは・・・
『やいま村によると、遠見台は南蛮船などを監視したり、琉球の進貢船などを管理したりするために設けられた。当時は与那国島や竹富町西表島、波照間島などに整備され、のろしを上げて情報を伝達していた。』とあります。
さて、次に参りましたのは「川平湾(かびらわん)のグラスボート」でございます。
ネットのPRには・・・
『石垣島随一の景勝地「川平湾」はサンゴ礁や熱帯魚の宝庫。
そんな美しい海の中を覗いてみませんか。
グラスボート遊覧船は、船の底がガラス張りになっていて、そこから覗く海中はまさに自然の水族館!色とりどりの珊瑚や熱帯魚などお楽しみください。』とあります。
今回はダイビングやス(シュ)ノーケリングは予定していませんので船から海底を覗いてみることにしましたヨ\(^o^)/
下の写真の左のピンクの屋根の船の出発待ちですがお天気が曇って参りました。
(ニャンコちゃんが「う~ん」と伸びを・・・o(^◇^)o)
グラスボートからのサンゴとお魚。。。
・船から降りましたらもう12時半でございます。
駐車場近くの「東屋」でふーたんが昨日コンビニで買いましたおにぎりと今朝のバイキングでテイクアウトしましたパンで昼食でございます。
(豪華な昼食でしょ? 残念ながら写真はありませんo(^◇^)o)
・昼食後は川平湾の展望台へ行ってみました。
展望台からの眺めと、アレマァ!「クチナシの花」が・・・
(皮肉にもグラスボートを降りました時からお天気が良くなってきましたので、ふーたんは「キッ!」と・・・)
・川平湾を出発しまして、「カンピ桜」が咲いていそうと思いまして、地図上の「天然記念物・カンピ桜自生地」を目指しまして東進しました。
しかし「碑」があるだけで、肝心の桜はどこにも見当たらず・・・ o(TヘTo)
諦めまして南下しまして「みんさー工芸館」へ行くことにしました。
【ミンサー織】
・沖縄の織物に「みんさー織」があります。
・ネットには・・・
『ミンサー織り(ミンサーおり)は、沖縄の伝統的な織物の一つである。
素材は木綿で、たて畝織りにする。
厚みがあって素朴な風合い。
産地は読谷山・首里・八重山諸島・与那国島で、それぞれ特徴がある。
強靭で男物の帯に使うが、近年では女物の帯にも使われ、装飾品としての用途も広がっている。』
とあります。
・みんさー工芸館には・・・
『「八重山ミンサー」は素材が木綿、組織が平織り、生産地が石垣市と竹富町とする織物です。最大の特徴は、五つと四つの絣に「いつ(五つ)の世(四つ)までも、末永く・・・。」という想いが込められていることです。
・元々は、藍一色の「ミンサーフ(ウ)」という帯であり、これを愛する男性に贈ったものでした。
近年まで竹富島にこの帯としてあったものが今日の「八重山ミンサー」の原型であります。
・17~18世紀頃の琉球王朝時代に綿の栽培や交易記録があり、木綿発症の地といわれるインダスから伝来したと推定され詳細は解っていません。
・主な製品は、帯製品と加工品に大別でき、公賓はファッション類、インテリア類等多種生産され、現代の生活に根ざした幅広い製品づくりが行われおります。』
とあります。
(では「みんさー工芸館」でパチリしました写真を・・・
下段の右の写真の「赤枠」は私への土産です o(^-^)o)
・旅行会社の「みんさー工芸館のプレゼント券」がありますので、受付に出しましたら・・・
「お守りのストラップ(石垣のお塩が入っています)」でございました\(^o^)/
・フサキホテルへ戻る途中にあります、過去に2度泊まった「ホテルビーチサンシャイン」へ寄りまして、ふーたんは夕食の予約をしましたヨ\(^o^)/
・フサキホテルへ戻りまして、ホテルのビーチから「夕日」を待ちましたらぁ~!
最初は雲で遮られてぼんやりとした夕日でしたが、水平線当たりの雲が薄いので太陽が綺麗に顔を出してくれましたヨ\(^o^)/
夕日が見れましたので「満足!満足!」で夕食へと参りましたヨ\(^o^)/
ふーたんがビーチサンシャインで夕食を予約した時、修学旅行生がいるので時間を午後7時半にずらして予約をしました。
午後7時半前にビーチサンシャイン(フサキホテルから車で10分もかかりません)へ参りました。
案内されましたレストランではおそらく修学旅行の引率の先生グループ(5~6名)がお見えになっているだけで他のお客様はお見えになりませんでした。
そして、ベテランの係の方(女性)があれこれと気配りをしてくれましたヨ o(^-^)o
(お陰様で静かでゆったりとした夕食を楽しむことが出来ました)
・食事を終えた後のお勘定をしている時、その気配りの係の方とちょっとお話をすることが出来ました。
彼女は「ここに努めて8年です」とおっしゃいました。
私は「私共夫婦は2002年と2005年に宿泊しましたがその時はお会いできませんでしたね」と。
・そのベテランの女性係の方は、私やたまたま庭へ散歩に来ていた女性たちを含めて、レストラン外のテラスで「ここは星が綺麗なんですよ。 あの星は☆☆であの星は★★です」と「星空観測」をしてくださいましたヨ (☆▽☆)
(ふーたんはたまたま本館内のお土産コーナーへ行っていました・・・残念!)
・フサキホテルの部屋へ戻りましてTVをつけますと・・・
翌日の天気予報では「27度」になるとの事! ひえぇ~!
(今日でも車を停めていますと車内はもう暑くて・・・エアコンを掛けたり、窓を開けたり・・・)
2/27 夏日になりました! 桃林寺を見学!
・最高気温 27.3度 最低気温 20.7度 ← もう「真夏」ですよね!
・朝食は今朝もバイキングでございます。
レストランには「みんさー織風の木の飾り」が・・・
食べましたのは下の写真のごとくでございます。。。
(今朝は「具」を取り過ぎないようにと・・・ o(^-^)o)
・朝食後は「浜辺(フサキホテルの広いプライベートビーチ)」を散歩しましたヨ o(^-^)o
散歩は本館からビーチに出ましてそのまま浜辺を「エンジェル・ピア」まで参りました。
(下の写真が「エンジェル・ピア」です)
・桟橋から下を覗きますと・・・アレマァ! 「フグの産卵?」 「ソラスズメ?」も。
ふーたんは「貝拾い」を。。。
カヌーとボートがゆったりと・・・
さて、そろそろ戻りましょうか\(^_^)/
・2泊させて頂いたお部屋でございますが、ご覧のごとくベランダからの眺めが・・・ o(TヘTo)
・せっかく2連泊しました「フサキリゾートホテル」なんですがァ!
2019年3月4日のトピックで「2連泊しましたホテルぅ~!」としまして・・・
『私は「下の地図」のごとくコテージはやめてすべての建物を統一しまして、海岸に向けて3階建てくらいの「オール・オーシャンビュー」の部屋をずらーッと横に並べた建物にした方が良いと思いました。
(コテージからは海岸が全然見れません!)
2020年の全館完成にはどうなっているでしょうねぇ!?』
と書きました。
・今年は2020年ですので、どのようになっているのでしょうかねぇ!?
実は・・・
以前は私共が良く泊まりました「ホテルビーチサンシャイン」より、「フサキビーチリゾートホテル」の方がグレードが高かったと思います。
でも、2019年に参りました時には、「ビーチサンシャイン」が増改築?されて、むしろこちらの方がグレードが高そうに思われました。
せっかく「憧れのフサキ」だったのですがねぇ! o(TヘTo)
では、旅行最終日の続きを・・・\(^_^)/
・午前10時過ぎにホテルのチェックアウトをしまして、石垣市街地方面へと戻ります。
・今日のドライブコースは下記のごとく「桃林寺(初日に参りました「宮良殿内」から割と近いです)」に参拝いたしまして「昼食と空港」でございます o(^-^)o
では、ご一緒に参りましょうね!
「桃林寺」をネットでみますと・・・
『沖縄最古の木造建築である権現堂のある桃林寺(桃林禅寺)は、薩摩藩の進言をうけて、1611年、鑑翁西堂の開山により創建された寺。
八重山に勢力を伸ばした薩摩藩が、琉球王朝の尚寧王に、和式の寺院を作らせたのだという。
臨済宗妙心寺派の寺院でご本尊は観音菩薩。
国の重要文化財指定を受けている権現堂(1771年(明和8年)の大津波で壊滅後1786年(天明6年)再建)のほか、沖縄県の指定文化財で1737年(元文2年)に作られた沖縄最古の木彫像・仁王像が二体ある。薩摩藩から八重山への社寺建築の進言を受けた琉球王国第二尚氏王朝7代目国王尚寧王によって、1614年に鑑翁西堂を開山とし桃林寺が創建されるとともに、隣地に権現堂が創建された。』などとあります。
昼食なんですが・・・ホテルのコンシェルジュ(?)から教えて頂いたお店は「今日は貸し切りです」と断られてしまいましたので、近くでのんびりと雑談をしている「オジー達」に聞きましたら「白保食堂」を紹介してくれました。
(結構、有名?のようで私共の様な旅行者も地元の方々も来ていましたヨ)
ふーたんが「ゴーヤチャンプルー」で私が「ふーチャンプルー」。
(ご飯の量が半端じゃなかったのでテイクアウトしまして、セントレアでの夕食としましたヨ)
・沖縄のスーパーと云えば「サンエー」でございます。
空港への途中で寄りましたが、お天気ガンガンで暑くて暑くて・・・!
(27度になりましたヨ)
・空港に近いガソリンスタンドで給油しまして無事にレンタカーを返しました。
レンタカー営業所のマイクロで空港まで送って頂きました。
・空港のANAカウンターで最後尾の座席にして頂きました。
行の機内では貰い忘れました「イヤホーン」でジャズ・クラシックなどを聞きながら・・・
(下の写真は沖縄本島です)
機体が雲の上に出ますと「日輪(赤矢印:ちょっと薄くて見ずらいですね)」が。
・飛行機は石垣空港もセントレアもほぼ定刻でした。
今回も、楽しい楽しい3日間でしたヨ o(^-^)o
(でも、ふーたんは「あの値段(旅行費)だったら竹富島へ行ってもよかったね」と「フサキホテルはもう泊まらない、サンシャインの方が良い!」と・・・ふわぁ~!)
と言うことでございまして、「訪沖1~20」をザーッとアップさせていただきました。
皆さん! いかがでしたでしょうか?
(次回は「琉球王朝」の事や「追記」などを書こうかなぁ?と思っております)-
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from: ぽっぽさん
2020年10月26日 20時14分30秒
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午前:金木犀の剪定! 午後:息子宅まで散歩!
皆さん、こんばんは (☆▽☆)
BGMは私が編集しました「ボサノヴァ」を。。。
お耳は2~3日前よりは「ピチッ!の頻発回数」は少なくなりましたが、それでも早朝から思い出したように「ピチッ!」「ピチッ!」と (TωT)
(朝4時過ぎに目が覚めてしまいましたので、訪沖19・20用の写真を整理していました)
【金木犀の剪定!】 生協が参ります午前11時までには終えたかったです\(^_^)/
昨日のトピックに・・・
>来週は「金木犀の剪定」「ムクゲの剪定」「百日紅(サルスベリ)の剪定」と剪定がまっています。
>11月には「木蓮の剪定」「カイヅカイブキの剪定」が待っています。
と書きましたごとく、今日は「金木犀(きんもくせい)の剪定」を終えました。
朝食後の一休憩の後、作業服に着替えまして玄関左にあります「金木犀」の剪定をしました。
一応、ネットで選定方法などググってはいましたが、「エイ! ヤー!」でございました\(^_^)/
ふーたんは「お隣に(花や枯れ葉が)落ちないようにしてね」と。。。
剪定した時にお隣宅へ落ちました「枝葉」はふーたんが奇麗に掃き掃除をしてくれましたので、作業は1時間ほど(9時半頃~10時半頃)で終わりましたヨ o(^-^)o
(剪定し終えました枝葉は明日にでも「腑分け」をします)
剪定後は録画の消化をしていました。
【午後からはお散歩ォ!】 久しぶりに鉄塔、そしてむすこたくへも・・・
午後3時40分頃から5時30分前頃まで、「森林コース+鉄塔+息子宅」のお散歩でしたヨ\(^_^)/
私は朝が早かったし、午前中の選定作業でいささかバテ気味でしたが、ふーたんは「(散歩に)行くよ!」と元気でございます\(^_^)/
渋々(笑)行くことに・・・!
今日も大快晴でございまして、意外と温かかったです。
森林コースの途中に私が自宅から委嘱しました「桑の木」の葉はもう枯れて落ちていましたのでパチリしましても「何が何だか」ですよね。(下の左写真)
でも、銀杏は黄葉もせず(笑)元気でしたヨ!(右写真)
いつもの「棕櫚(しゅろ)」から、左の尾根道を登りまして「鉄塔」へ・・・
鉄塔からは「尾張冨士」も「楽田山」もくっきりでございました。
(木々が大きくなりましたので、今ではもう息子宅は隠れてしまいました)
鉄塔の「尾根道」から「棕櫚」まで戻って参りますと、ふーたんが「(息子宅で)洗濯物を取り込んでやりたい」と申しますので息子宅へ。。。
デュ・マゴは帰宅していませんでしたが、やがて下の孫が返って参りまして、シャワーを浴びて2階の自分の部屋へ・・・
そして、上の孫も帰ってまりましたのでパチリ!
デュ・マゴが揃ったところで「バイバーイ」と。。。
息子宅の玄関からは「尾張冨士と月」が。。。
帰りも「森林コース」でございましたが、暗くなりかけてきましたので、「スマホのライト」を。。。
帰宅後はやはり「録画消化」でございます o(^-^)o
では、皆さん!
また明日でございます。
(明日はふーたんが「湿疹の病院」へ行きますので、おそらく私は留守番でしょうかねぇ?
「沖縄旅行・訪沖19・20」の作成・アップをしようかなぁ?)-
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